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幸せになれるといい
しおりを挟む「ごめんね、フリッツ。結局あまりお話しする時間が取れなくて」
「ううん。大丈夫だよ、姉さま。会えてよかった・・・ぼくが知らなかったこともいっぱいあったみたいだから」
マッケイが起こした騒ぎがようやく収まった頃。
中庭に残した弟のところに戻ろうとしていたナタリアは、待ちきれずに正面入り口近くまで歩いて来ていたフリッツを見つけた。
騒動があったことをどこかで耳にしたのだろう、青ざめていた顔は、姉と再会した瞬間に安堵で口元が綻んだ。
「・・・アレハン兄さまのところだったんですね、騒ぎがあったのは」
アレハンドロとは姉を介しての接触しかなかったフリッツには、現在の彼の情報は入らない。
当然ながら、アレハンドロの怪我も今も残る障害も、もちろんここに入院していることも知らずにいた。
突然に知らされた数々の状況説明に、フリッツは目を丸くする。
「兄さままでここにずっといたなんて、知らなかったです」
「・・・治る怪我じゃないの。車椅子なしでは動けないし、この先もずっと病院から出られないと思うわ」
「そうだったんだ・・・」
まだ幼かったせいか、それともナタリアの弟という立場を考慮されたのか、フリッツがアレハンドロの餌食になることはなかった。
たまにしか顔を合わせることもなかったが、会えばそれなりに可愛がってもくれていて。
自然と「アレハン兄さま」などという呼び名までついていたくらいだ。
故に、彼が実の父親に襲われたという話に、フリッツも素直にショックを受けていた。
「アレハン兄さまとそのお父さまは、仲が悪かったのですか?」
アレハンドロとはオルセン子爵家でしか会ったことのないフリッツは、当たり前ではあるが彼の家の事情など知らない。
「・・・悲しいことね。・・・でも、私たちが思うより珍しくない事なのかもしれないわ」
うちだって、程度は違うけど少し似てる。
子どもを、好きに使える便利な道具としか思っていないところが。
弟の頭を優しく撫でながらそう答えるナタリアは、自分と父親との関係を思い浮かべたのか眉が情けなく下がった。
それに気づいたフリッツは、慌てて話題を変えた。
「あ、ええと、そういえば姉さま。さっきの方はどなたですか?」
「え? さっき?」
「あの、さっき入り口で会えた時に、挨拶してくれた背の高い男の人です」
「あ・・・あの方は」
ナタリアの頬が困惑と羞恥で赤く染まる。
「? 姉さま?」
その反応に、フリッツが首を傾げた。
「あ、えと、あの方はニコラスさまって言って。前に同じ学園だった人なの」
「そうなんですか。学園の。優しそうな人でしたね」
「そうね・・・優しい、人よ。とっても」
私のせいでアレハンドロに目をつけられて学園をちゃんと卒業出来なくなってしまった人。なのに、一度も、一言も私を責めなかった人なの。
そして再会した時、『あなたが幸せになれるといいですね』って、笑ってくれた人。
そう、あの人は。
--- いつか、あなたが幸せになれるといいですね
そして出来ればそれは ---
その時に告げられた言葉を思い出し、ナタリアの心はずくりと痛んだ。
駄目よ。夢を見ては駄目。
あの人も、私とアレハンドロのせいで人生が狂ってしまったのだから。
そのことを私は絶対に忘れてはいけないの。
ニコラスに続きベアトリーチェ、それからレオポルドの顔がナタリアの脳裏に浮かぶ。
側にいたくて、本当はずっと側にいたくて、でも決してそうしてはいけない人たち。
そうよ、私はまた間違う訳にはいかない。
「・・・ね、すごく堂々とした人に見えました。後ろ姿だけですけど、背中がピシッとしてて」
「え・・・」
「ぼくもあんなに背が大きくなるといいなぁ」
弟の無邪気な声に、思考に沈みかけた意識が戻り、慌てて顔を上げた。
「・・・なるわよ、きっと。あの方は騎士さまだから、いつも背筋をしゃんと伸ばしてらっしゃるんじゃないかしら」
「騎士さま? あれ? でも制服を着てませんでしたよ?」
不思議そうに首を傾げるフリッツに、ナタリアもそう言えばと思い返す。
「そうだったわね。私服のニコラスさまは私も初めてだわ。学園では制服だったし、それ以外でお会いした時は騎士さまの格好だったし・・・あら? もしかして今日はお休みの日だったのかしら」
「でも、お仕事でここに来られたんでしょう? それとも、あの方は今日は姉さまに会いに来られたんですか?」
姉さまに会いに。
その言葉に一瞬、心が弾みかけ、そんな筈はないと慌てて打ち消す。
学園にいた時とは違うのよ、彼も私も。
馬鹿な考えは止めろと頭の中で声がした。
「ええと、たぶんお仕事で来られた筈よ。きっと慌てて駆けつけて下さったから、着替える時間がなかったのかも・・・一番に来て助けて下さったし」
「姉さまを一番に助けて・・・そうですか・・・」
「・・・フリッツ?」
なぜか嬉しそうな顔を見せた弟の顔を、ナタリアは不思議そうに覗き込む。
フリッツは、何でもないと笑って首を横に振った。
「とにかく姉さまがご無事でホッとしました。じゃあ僕はそろそろ帰りますね。きっと父さまがヤキモキして待ってるだろうから」
「・・・フリッツ、大丈夫? 怒られてしまうのではない?」
恐らくはナタリアと二人で連れ立って馬車まで戻って来ることを期待しているであろう父に、ひとり戻るフリッツが心配でついそんな言葉が溢れた。
「姉さまを連れて帰らないからですか? ふふ、そうかもしれませんね。でも大丈夫。僕にはそこまでキツく当たりませんから、父さまは」
吹っ切れたように笑うフリッツは、そんなことより、と言葉を続けた。
「どうか元気でいて下さい・・・また、会いに来てもいいですか?」
「フリッツ・・・もちろんよ。ここに居るのはあとふた月足らずだけど。それまでの間、また会えたら嬉しいわ」
次は父さまに黙って来ます、と言ってフリッツは手を振った。
少し表情が大人びたように見えるのは気のせいだろうか。姉の欲目なのかもしれない、そう思いつつ、何度も振り返る弟の姿が見えなくなるまで、ナタリアはずっと見送っていた。
その後、部屋に戻ったナタリアに知らせが届く。
それは、マッケイが起こした事件に関する事情聴取の協力要請に関するもので、差出人はベアトリーチェとレンブラントの父、現ストライダム侯爵家当主ノイスからだった。
「・・・まさか、それは本気ですか? アレハンドロさま・・・」
同じ頃、アレハンドロの病室には、マッケイの尋問に付き添っていたザカライアスが戻って来ていた。
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