【完結】 いいえ、あなたを愛した私が悪いのです

冬馬亮

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それは魔法の呪文



「足元に気をつけて」


そう言って差し伸べられたニコラスの手を取り、ナタリアは馬車に乗った。


歩きで帰ると遠慮したナタリアに、ベアトリーチェがどうしてもと用意したものだ。



--- 信じて


--- あなたは幸せになっていいのよ



何度も、何度も、ナタリアの心に浸みこませるように繰り返されたベアトリーチェの言葉。


それは魔法の呪文のようだった。


感情の落とし所が分からず混乱し、罪悪感に苛まれ、自己嫌悪に陥り、自分をどうやったら罰せるのか、ずっとそればかり考えていた。

幸せなんて、人に愛されることなんて、二度と望んではいけないと思っていた。


だから、あんな風に、しかもベアトリーチェから言ってもらえるなんて予想もしていなかった。


幸せに、なっても、いい。

なっていいのだと、ベアトリーチェはナタリアを抱きしめた。

あなたは今、何も悪いことをしていない。きっとこれからもしないから、と。



「・・・」


ニコラスが口を開く。


「・・・少し、気が楽になった?」

「え?」

「表情が、柔らかくなってるよ」

「・・・」


無意識だったのか、微笑んでいたことに本人は気づいていなかったようだ。

ナタリアは不思議そうに両手を頬に当て、自分の表情を確認している。


その様子を見て、ニコラスはおかしそうに笑う。


「なんか、よく分からないけど、でも良かったね。ベアトリーチェさまはずっとナタリアさんのこと気にかけてたからなぁ」

「・・・はい」


まるで自分のことのように、そう言ってくれるニコラスに、ナタリアは嬉しさと懐かしさを感じる。


この人は、初めて会った時からそうだったのだ。


校舎裏に呼び出され、騎士訓練科の模擬戦の観戦に誘われた。それがきっかけでよく話すようになって、周囲には付き合っていると誤解する人もいたけれど、でもそんな雰囲気にはならなくて。


気安く、居心地よく、話しやすく。
ニコラスと居るのは、温かい布団に包まれているみたいに楽だった。

強く押してくることも強引に事を進めることもなく、たまに小さく好意を覗かせるくらいで。

本当に、本当に、ゆっくりと、じわじわと育ってゆく友情にも思える愛情は、もしニコラスの退学がなかったら、いつしか恋へと育っていたのだろうか。

もしあのまま、同じ学年でいられたら。

三年間、共に学園に通えていたら。

自分は、レオポルドではなく、この穏やかな人に恋をしていたのだろうか。



「・・・もうすぐだよね」

「え・・・?」


視線を窓の外に向けたまま、ニコラスが呟く。

よく聞き取れず、首を傾げたナタリアに、ニコラスが笑った。


「学園の卒業だよ。もうあと十日くらい・・・だったかな?」

「あ、はい。そうです」

「それで、新しい町にはいつ発つ予定?」

「卒業式の二日後の予定です」

「そっか。じゃあ、もうすぐだね」


頬杖をつき、顔は窓の方に向けたまま、ニコラスは呟く。


「寂しくなるな」


ぽつり、と。

でも、今度の声は、ナタリアの耳にちゃんと届いていた。


「・・・」


相変わらず、気安くて心地よいこの人は、やはり強引なことは言ってこない。


いつも、ナタリアが怯えないように、怖がらないように、どこかに逃げ道を用意して接するのだ。


だから、きっと。
今回も何も言わない。

言われない、筈。


・・・もうすぐ、会えなく、なるのに。


王都ここを離れると決めたのは自分。

何度か遠回しに好意を伝えられているのに、返事が出来ないでいるのも自分。


なのに、今もまたニコラスから何か言ってくれるのを待ってしまう。


「・・・」


溜息が出そうになり、慌てて飲み込んだ。


あれから、少しずつ強くなれた気でいたけれど。


ナタリアは膝の上でキュッと手を握り込む。


それはやっぱり気のせいだったみたいだ。


視線を巡らせ、馬車の窓から景色を見やるナタリアの眼に、病院の建物が遠くに映った。


ああ、早いな。

もうすぐ病院だ。


歩きだったら、もっと。



「・・・手紙を」


静寂の中、ニコラスが口を開く。


「え?」

「手紙を、書いてもいいかな」

「手紙・・・私に?」

「うん。ナタリアさんが元気でやってるか知りたいんだ。迷惑でなければ」

「・・・」


ニコラスの優しさに、甘えていると思う。

きっと、この人の目に留まりたい女の人はたくさんいるだろう。


優しくて、穏やかで、しっかりしていて、子ども好きで。でも、きっと女の人を見る目がない。


だからずっと、自分なんかに声をかけ続けてくれるのだ。


自分なんかに・・・



--- 幸せになっていい人よ



「・・・っ」



不意に。

ベアトリーチェの言葉が脳裏に浮かぶ。



--- 大丈夫

あなたは、今、何もしていない

これからもしないわ ---



ナタリアは、膝の上で固く握っていた手を解いた。


「・・・ニコラス、さん」

「うん?」

「・・・ありがとう、ございます。嬉しい・・・です」

「・・・ナタリアさん」


何故か、ニコラスは驚いたように目を瞠る。


「あの、ニコラスさん」


ナタリアは、ベアトリーチェの言葉を胸に精いっぱい微笑んだ。


「私も・・・書きます。お手紙」

「・・・っ」


ニコラスは、軽く息を呑んで、そして。


「楽しみにしてる」


そう言って、笑った。










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