【完結】 いいえ、あなたを愛した私が悪いのです

冬馬亮

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咽せる

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「レンブラントさま。お茶をどうぞ」


山と積まれた書類を捌き終え、別部署へ持って行くように指示し終えたレンブラントの前に、見計らったかのように良い香りのお茶が差し出される。

アレクが気を利かせて用意してくれたようだ。


「お、ありがとうな。アレク」


丁度、ひと息入れたいタイミング。

レンブラントはカップへと手を伸ばした。


「確か、今日は卒業式では?」

「ん?」

「妹さんの卒業式です。今日でしたよね」

「ああ。よく知ってるな。君のところで今学園に通っている者はいなかった筈だが」

「父が福祉部の大臣ですので」

「そうか。教育関連も福祉部の管轄だったな」


納得するレンブラントの前で、アレクが頭を下げた。


「改めてお祝い申し上げます。妹さんのご卒業おめでとうございます」


その言葉に、珍しくもレンブラントが分かりやすく表情を崩す。


「ありがとう。多少は寝込んだりもしたが、それなりに通えてな」

「それは良かったです。前よりも体調が良くなっているとはお聞ききしていましたが」

「そうなんだよ、聞いて驚け。三年時の欠席日数はな、たったの二十三日だったんだ」

「それはすごいですね。例の苦い薬草茶の効能でしょうか」



レンブラントの部下の中で、アレクサンドラほどベアトリーチェの体調を気にかけてくれる者はいない。

二人が顔を会わせれば、時候の挨拶代わりにベアトリーチェの体調の話をしているともっぱらの評判だ。


アレクサンドラのベアトリーチェへの気遣いは、純粋に有り難いとレンブラントは思っている。


だが、これがもし、かつての自分の言動に気を遣ってのことならばそれはそれで申し訳ないとも思うのだ。アレクサンドラに対しても、アレクサンドラの父カーネギー伯爵に対しても。


アレクサンドラが文官として男装姿で内務部に初めて現れた時、レンブラントは直ぐに伯爵に事情を聞きに行っていた。

だが返答は、娘の意志でしている事だから気にしないでくれ、というもので。

それでも、彼女の幼い頃の可憐なドレス姿をレンブラントは記憶している。


・・・気にするな、と言われてもな。


アレクサンドラの二つ下の妹は、既に他家に嫁いだ。一番下の妹は、まだ学園に通う年齢にもなっていないが既に婚約者がいる。

貴族令嬢としての観点で言うならば、アレクは世間で行き遅れと揶揄されてしまう年齢なのだ。


嫁ぐのが女の幸せ、などと陳腐な台詞を吐くつもりはない。だが、男性優位の王宮職にあって、女性がそこに混じって働く危険というものは間違いなく存在する。

現に、男装していても、アレクが女性であることを知っている者たちはそれなりにおり、そのうちのある者たちは、書類確認などと称して執務中に彼女を別室に連れ込もうとした事がある。それもレンブラントが知っているだけで二回。

その二回は、どちらもレンブラントによって事前に防がれ、相手の男たちには然るべき制裁が密かに下されたものの、正直あの時レンブラントは相当に肝が冷えたのだ。


護身用として小刀を所持していると聞いてはいるものの、だからと言って、はいそうですか、と安心は出来ない。

伯爵が密かに護衛を付けてはいるのかもしれない、だけどそれもただの憶測だ。


そんな風に心配したら、ではより男らしく見せるため、いっそ髪を短く切ってしまいましょう、などと本人が言い出した。あの時はレンブラントも必死に止めた。

アレクサンドラの髪は、黒真珠のように艶やかで美しいのだ。それを一部の愚かな男のために切り落とすなど。


男女関係なく能力のある者が評価されるべき、レンブラントはそう思う。独身を貫く男性が普通にいるのと同じ様に、独身を貫く女性の自由も尊重されて当然。
アレクサンドラが本気でそう願っているのならば応援するつもりでいる。だが、それを良しとしない者たちも一定数以上いるのが世の中の事実。


何故、アレクサンドラは貴族令嬢であれば当然とも言える結婚という道を避けたのか。


そう考えると、かつて己の決意を乱暴に相手に投げつけた記憶が蘇る。そして後悔するのだ。

せめてもっと配慮していれば。

目の前にいるこの人は、婚姻に・・・男に、幻滅などしなかったのではないだろうか、と。



「・・・なにやら難しいお顔をなさっていますね。お茶のお代わりでも淹れましょうか?」


つらつらと考え事をしていたら、呆れた様にアレクが声をかける。


まさか考えていた事を口には出来ない。話題を変えようとレンブラントは妹からの頼み事を思い出した。


「そうだ、アレク。君の父上に伝えておいてくれないか。部下の一人に時間を空けてもらいたいんだ。病院関係のことで聞きたいことがある」

「病院関係ですか」

「ああ。妹がな」


結局はベアトリーチェに話が帰結する。それに自分でも気づいたのか、レンブラントは苦笑した。


「何がしかの援助活動をしたいそうなんだ。だが、思いつきでやるより、専門の話を聞いて参考にしたいと言っていて」

「それは素晴らしいですね。ベアトリーチェさまは余程、ご自分の体調回復が嬉しいのでしょう」

「あ~、まあ、それもあるんだろうけど」


言葉を濁すと、アレクは不思議そうな顔をした。


「違うのですか?」


レンブラントは肩を竦める。


「あいつの友だちが病院で働いてるのを見て、何か思うところがあったらしい。自分も何か出来ることをしたいんだとさ」

「・・・なるほど、ご友人ですか。きっと、その方を大事に思っての事なのでしょうね」


しみじみと語られたその言葉に、レンブラントも頷いた。


「ああいう繋がりもあるのかと、今さらながら驚かされたよ。少し・・・羨ましいとも思ったかな」

「羨ましい・・・レンブラントさまがですか?」

「ああ」

「何故、とお聞きしても?」

「まあ、ほら、俺はさ」


レンブラントは、差し出されたお茶のお代わりを受け取りながら、言葉を探した。


「そんな美しい友情を築けるような男じゃないからな。薄情だし、人間関係もまず打算が先に来る」

「・・・薄情?」


アレクサンドラは再び不思議そうな顔をした。


「・・・病に侵された妹の前で幸せになる訳にはいかない、と婚約話を蹴るような人が?」

「・・・っ!」


レンブラントは、口に含んだばかりのお茶を吹き出しそうになり、盛大に咽せた。


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