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第3部 ヒロイン編入
6: 弱気では勝てません
しおりを挟む想いとは裏腹に周囲の状況はクロエを巻き込み始めていく。
最初の出来事は、教員室に匿名で届けられた『クロエ・ハチス侯爵令嬢による留学生タリ・クレセントへの虐め行為を告発します』という文書だった。
もちろん教員たちは一笑した。模範生である彼女がそのようなことをするはずがないと。優等生ならではのやっかみによる捏造だと。
だが、教員たちが議論もせずに葬った、くだらないその告発文は何故か学園の中で噂となって流れ始める。
『婚約者だからって虐めているんだって──』
『転ばされたって聞いたぞ』
『寮内の茶会でドレスに茶をかけたっていうじゃないか』
『教科書とか破かれたって』
普通科の男子生徒たちの間で、半ば真実として噂は広がっている。挙句の果てにタリ・クレセントは王子との愛のために健気に耐える悲劇の少女となっている。
面白いことに専科生と普通科の女生徒はその噂に懐疑的だった。
特に普通科の女生徒たちは、戦闘狂と魔法狂に怯えて王子らに近づけなかった不満はあっても、だからと言ってタリ・クレセントの『異文化故のマナー知らず』を許容していない。
何度注意しても改善しないどころか鼻で笑われれば噂など信じる気にもならない。悪意を向けられたクロエは貴族的に見ても淑女として完璧だし、高慢ではない。夏の合宿以降、マカレ侯爵令嬢エギナとドルカス伯爵令嬢オルガはクロエを密かに尊敬しており、彼女らに近しい友人たちも常軌を逸するような男子生徒たちとは同調せず、むしろ冷ややかに、ひとりの少女の機嫌をとる情けない男どもを眺めている──そんな日々を送っていた。
「いい怪訝になさいませ、皆様! 根も葉もない噂に騒ぐなどみっともないと思いませんの!」
月に一度の合同朝礼の日。
講堂内にエギナ嬢の叱責が響いた。
普通科の男子生徒たちの多くがタリ・クレセントを守るように囲み、専科の学生たち──いや、クロエに聞こえるように噂を話している様にキレたのだ。
「エギナ様はクロエ様に心酔されているからあたしを悪者にされるのですね……。でもあたしだけじゃなく皆さんのことまで誤解されるなんでひどい…」
ううっ…と泣くタリ・クレセントに、男子生徒たちは一斉にエギナ嬢を睨みつける。
「タリちゃんはなんて優しいんだ。俺たちを守ろうとするなんて。それに対してエギナ様、どういうつもりですか!」
「そうだ! 権力者に媚を売って高位の男を捕まえるおつもりか、あさましい!」
詰め寄り糺弾され、
「な、なんて失礼な!!」
思わず一歩後退しかけたエギナ嬢の肩を男子生徒の一人が押した。
「きゃあ!」
「エギナ様!?」
転倒して床に伏せるエギナ嬢を蹴りつけようとする輩までいた。
「やめて!!」
庇うようにオルガ嬢が覆いかぶさる。
下級貴族とはいえ男が女性を、しかも高位貴族の令嬢へ暴力を振るう。その異常な光景に驚く生徒たちをかき分けて、
「何をなさっているの!」
騒ぎに気がついて、クロエは駆けつけた。
「エギナ様、オルガ様、お怪我はありませんか?」
「クロエ様、わたくし──」
「クロエ様…あ、ありがとうございます」
震えながらしがみついてくる二人をそっと抱きとめ、クロエは落ち着かせるように背を撫で、
「皆さまのお顔は覚えましたわ。罰が無いとは思わないでくださいませ!」
生徒たちを厳しく見つめる。
怒りを顕わにするクロエから気まずそうに視線を避ける生徒たちをよそに、
「やっぱりクロエ様の仕業なのね! あなたがこの人たちをつかって、皆さんを悪者にしようとしているんでしょう。そんなにも王子さまの婚約者という立場に執着するのですか! ジンセル様にまで媚をうって、いやらしい!!」
タリ・クレセントは勝ち誇ったように笑った。
その笑みに、クロエは嫌悪する。
このひとがエンヤルト様の番だとは思えない──でも、だったら何故、このひとの側にいるのだろう?
もしかしたら、エンヤルトの考えが読めずに安易な方向に走りかけたのかもしれないと、クロエは目が覚めた思いで目の前で醜悪な笑みを浮かべるタリ・クレセントと視線を合わせた。
(もしエンヤルト様の番だとしても、これは許せないですわ。泣き寝入りなんてしませんわ!!)
ヒロインに怯えていた弱い心を振り払う。
「貴女の発言は不敬だとお気づきですか? ああ、お気づきではございませんわね。お好きなだけわたくしを悪し様に仰っていただいて結構ですわよ」
毅然とタリ・クレセントと対峙するクロエにはもう恐怖はない。
逃げる為に今日まで努力したのではなく、戦って勝つ為に今があることを思い出した。
遠くから駆けてくるエンヤルトと視線が絡み合う。
(エンヤルト様、わたくしはわたくしの好きなようにしますわ!)
静かな微笑を唇にのせ、
「──わたくしは、《紅蓮》のハチス公爵家クロエですもの。逃げも隠れもしませんわ。無礼とは断固として戦いますわよ! 皆さまも、お忘れなきように!」
挑むようにクロエは講堂内のすべてに聞こえるように宣言をした。
(お姉ちゃん格好いい!)
そんなクロエの姿をシロエはじっと見つめ、何事かを決意したように手を握りしめていた。
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