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山岸邸
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夜遅く、佐一郎は自宅の自室へと戻っていた。
結婚した当初は、山岸家のやり方に沿い婿として頑張ろうと思っていたが、元来自由に生きてきた人間が家のしきたりに縛られる生活が出来るわけがなかった。たった一年で、佐一郎は山岸家の人間の言う事を聞かなくなり、頻繁に外に遊びに行くようになる。酒や女で遊ぶのはもちろんの事、山岸家の金を持ち出し女への贈り物や酒代で浪費していった。これには山岸家の人間も黙ってはいない。佐一郎に対し再三の注意と外出禁止という罰を与え、何とか一人娘のゆきの婿としてきちんとするよう見張ってきた。しかしそれも、数カ月と持たず元の木阿弥。これは駄目だと、さじを投げようとも思ったが、結婚して一年足らずでの離婚は世間体が悪すぎるのでさせられない。しかも、当のゆきは佐一郎の遊びに左程関心もないようなのである。物を言わなくなった赤子につきっきりで佐一郎の事まで面倒みられないのだろう。
佐一郎は、これはしめたとばかりに家を留守にする毎日。
今日も、祭りで出会った女と遊びその後キッチョウで飲んで帰ってきた。
女中が敷いた布団の上にゴロリと横になり、そのまま気持ちよく眠りにつこうと思っていた時、庭の方でカタリと音がした。
「ん?」
音に気がつき、庭がある方を見るが障子が閉まっているのでそこまで行き障子を開けなくてはいけない。酔っている佐一郎には面倒な行動である。そこで、また音がするか聞き耳を立てていたが、もう何も聞こえない。
「気のせいか」
佐一郎はまた、眠りにつこうとした。ウトウトとしかけた時、また庭の方からカタリと音がした。
「ん?」
何か、固いものを廊下に置いたような音。だらしない性格の佐一郎だが、多少神経質な所もある。気になったら自分の気が済むまで調べるか行動しないと気が済まない。だから、色々な事を知っていたりするのかもしれない。
「ちっ」
寝入りを邪魔された佐一郎は、小さく舌打ちをして起き上がると障子に近づきパシンと音をたてて障子を開ける。しかし、暗闇の中に見える庭は灯篭がぼんやりと灯りをともしているだけでそれ以外別に異常はないようだ。
「何だよ」
誰にともなく不満が口から出る。障子を閉める際、もう一度庭をぐるりと見まわし廊下も自分が見える範囲で右から左へと目を凝らす。
何もいな・・・
障子を閉めようとした佐一郎は手が止まった。
何もいなかった・・・か?
自分が廊下を右から左へと見た時の記憶をすぐに頭の中で再生する。
(右側はいなかった。真っ暗で何も見えなかったが誰もいなかった。左側は・・・)
・・・いた。
人と言うより何かがあった。廊下の奥の、辛うじて月明かりが届く場所に赤い着物の裾が見え、裾からは真っ白な足袋を履いた小さな足が二つつま先をこちらに向けていた。まるでまだ歩くことが出来ない赤ん坊のように小さい足。
(何だ今のは)
佐一郎はもう一度廊下の左側を見るため、部屋から顔を出した。
「うわっ」
そこにいたのは、ボロボロに擦り切れた着物を着た人だった。ソイツは手ぬぐいを頭と顔に巻きその隙間から目だけ出していた。
「だ、誰だ!」
驚いた佐一郎は大声で聞いた。
しかし、廊下にいる何者かは慌てる佐一郎に対し何も言わず手ぬぐいの間から覗く光る両目でじっと見ているだけだ。
何も言わない妖しい奴に、初め驚いた佐一郎だったが見た所自分よりも小さい。これは、チャンスとばかりに佐一郎はわざと大声で騒ぎだした。
「妖しい奴め!この山岸家を守るのは俺だ!」
白々しくも聞こえるこの言葉は、寝ている家人にも聞こえたようで遠くの方からざわざわと人が動く音が聞こえてくる。
佐一郎は勝ち誇ったように妖しい奴の前に立つ。
「お前をとっつかまえて役所に届ければ、暫く俺の立場は安泰だ。この家に金でも盗みに入ったんだろうが残念だったな。ここにはないよ」
じっと自分を見つめる奴に、鼻息荒く早口に話す佐一郎。
次第にバタバタと家の者達が近づいてくる気配がする。
「さ、大人しくしてくれよ」
そう言うと、佐一郎は何も言わず黙って立っている奴の腕を掴んだ。
「おっと、この前に顔を見せてもらわなくちゃな」
もう片方の手で、頭と顔に巻かれた手ぬぐいをサラサラと取り除く。
「どれどれ?」
余裕の佐一郎は、手ぬぐいを取られた瞬間下を向いた侵入者の顔を、にやつきながら覗き込む。
「え・・・」
佐一郎は、覗き込んだ体制のまま動くことが出来なかった。
手ぬぐいを取られたその顔は、真っ黒で顔いっぱいに大きな口がありその口はニィといやらしい笑いを浮かべていたからだ。
「どうした!」
「何があった!」
と口々に叫びながら駆けつける家人達の声で、我に返った佐一郎は助けを求めるかのようにそちらを見た。
一番に駆けつけたのはゆきの父親と若い男衆だ。手には棒切れと灯りを持ち寝間着姿で走り寄る。
「どうしたんだ。こんな時間に大声をあげて」
厳しい表情をした父親が佐一郎を責める。
「こ、こいつが」
「あ?こいつ?」
父親が周りをキョロキョロしながら佐一郎の言っているものを探す。
「え?」
いつの間にか、目の前にいたはずの侵入者が跡形もなく消えている。
「え?は?確かに・・ここに」
佐一郎も慌てて周りを探すがどこにもそれらしいものはいない。
「なんだ。夢でも見たのか?」
「人騒がせな」
「本当に厄介な人だよ」
駆けつけた人達は、口々に不満を漏らしながら自分の部屋へと帰って行く。
一人残った父親は、厳しい表情を崩さず
「佐一郎。お前はどこまで人に迷惑をかければ気が済むんだ?毎日毎日飲み歩いて、子供が大変な時に家にいない。ゆきに全て任せっきりだろう。挙句、こんな時間に騒いでみんなを起こすなんて。もう一度騒ぎを起こしたら出て行ってもらうからな」
そう言うと、父親は戻って行った。
「そんな・・・」
残された佐一郎は、狐につままれれたように理解できず呆然としていた。手には確かに腕を掴んだ感触が残っている。
「俺は一体何を見たんだ?絶対いたんだ。ここに・・・・」
そう一人呟き、さっきまで侵入者がいた場所に目をやる。
「ん?」
そこに何かが転がっているのが分かった。しゃがみ込みソレを手に見てみると、小さな赤い実だ。赤い実が数粒転がっている。
「何だよこれ。何でこんなものがここに・・・ちっ」
結局、手柄ではなく騒ぎを起こしてしまっただけで終わった事に腹が立ってきた佐一郎は、その赤い実を口に入れた。口の中には甘い果実の実の味が広がる。
「面白くねぇ」
バシンと力強く障子を閉めると、不貞腐れながら布団に潜り込んだ。
「なんだろうねぇ。外が騒がしいみたい」
子供をようやく寝かしつけたゆきは、家の者がバタバタと廊下を走り騒ぐ様子を布団の中で聞いていた。あまり騒がれてしまっては子供が起きてしまう。
ゆきは、寝付いた子供が起きないよう小さな声で子守歌を歌いながら子供の頭をなでてやる。
暫くすると、廊下を走って行った者達が何やら話しながら帰ってきた。気になったゆきは障子を開け何があったのか聞こうとした。
手に灯りを持った人がこちらに歩いて来る。
(誰かしら。お父さん?ま、誰でもいいわ)
「ねえ。何かあったの?余り騒がないでもらえないかしら子供が起きちゃうわ」
ゆきはこちらに歩いて来る者に声を掛けた。
「あいすみません」
声からして女のようだ。遠目で見た時はてっきり男だと思っただけに、ゆきは少し驚き相手が誰かを確かめるべく歩いて来る者を待つ。
さっきまで月を隠していた雲が動いたらしい。ゆっくりと庭の方から月明かりが照らされていく。ゆきの方へと歩いて来る者の足を照らし、腰を照らし上半身を照らし・・・そして顔を照らす。
「ひっ」
ゆきは、喉の奥の方に何かつまったような変な声を出した。
ゆきが見たものは角隠しを被り白無垢を着た女だった。
女は、真っ白い手に小さな提灯を持って真っ直ぐゆきの方へ歩いて来る。
「あ・・あ・・あ・・」
女が近くに来れば来るほど、はっきりとその顔を見ることが出来る。その顔を見たゆきは驚きの余り言葉が出ず、足が震えその震えが次第に体の方へと伝わりようやく障子の端を掴み立っている状態だった。
そこまでゆきを震え上がらせた女の顔は、生気のない人形の様だった。白いふっくらとした顔。三日月のような薄い眉と小さい優しそうな眼。形のいい紅を塗った唇。しかし、その優しそうな眼には光がない。白い顔も血が通っていない陶器のようである。
これが本当の人形ならば可愛らしいと感じるのかもしれないが、今ゆきの目の前にいるのは自分で歩いている。生きていなくてはおかしいのだ。
なのにその顔からは生気が全く感じられない。
ゆきは、震える足に力が入らなくなり障子に寄りかかりながらへなへなと座り込んだ。女は、へたり込むゆきを光を持たない眼でゆっくりと追うように見る。
「あ・・あ・・あ、あんた。誰よ!」
絞り出すように叫ぶゆき。
しかし白無垢を着た女の、形のいい赤い唇は固く閉ざされ開きそうにない。何も話さず、立ったまま座り込んだ自分を見るだけの女にゆきは苛立ってきた。
気の強いゆきは、まだ足の震えは納まらなかったが何とか立ち上がり目の前に立つ白無垢女に
「あんた。まさかおいちじゃないだろうね。おいちは死んだと聞いたよ。はっ、今となっちゃおいちにやれば良かったよ。あんな男。欲しけりゃくれてやるから持って行きな!」
最初は震えていた声も、次第に興奮してきたのか大きな声で怒鳴りつける。
それを、何の感情表現も示さないで聞く女。
そんな女の様子が、馬鹿にされているように感じたゆきは
「何か言いなさいよ!」
と女の肩を強めに押す。
ただでさえ白無垢は歩きにくく、動きずらい着物。バランスを崩すか庭の方へでも落ちればいいなどと思ったゆきの手ごたえはとても軽いものだった。着物越しに肩を押したというよりは、何も入っていない着物だけを手で押した感覚。ゆきは、意外な手ごたえに驚き女を見た。
女は相変わらず、光を持たない眼でゆきをじっと見つめていたが提灯を持たないもう片方の手で、着物の帯の所にさしてある懐剣を取り出すと器用に中身だけを抜き出した。
懐剣とは、別名護り刀とも言い護身用の短刀である。
短刀なので、刃渡り十㎝程の物だが刺されれば無事では済まないのは明確だ。
月明かりを受けて薄く光る懐剣の刃。
さっきまで威勢よく怒鳴っていたゆきもそれを見て息を呑んだ。
「な、な、何よそれ。それをどうするつもり?」
ゆきは、自分の体から力が抜けて行くのを感じた。
白無垢の女は、顔を青くしたゆきを見ながら懐剣を高々と振り上げる。
「ヒッ」
殺されると思ったゆきは、咄嗟に目をつぶる。胸に激痛が走り足に力が入らず、ガクガクト震え崩れ落ちる・・・・・と、思いきや自分の体に激痛どころか痛みも痒みすらない。恐る恐る目を開け、自分の体を慌ただしく触るが異常はない。
「はぁ」
ホッとはしたものの、ではあの女が振り上げた懐剣はただの威嚇だったのか。安心した途端に怒りが湧いてきたゆきは、女を怒鳴りつけようと顔を上げる。
「え?」
いない。
さっきまで、自分の前に立っていた女が跡形もなく消えている。
「え?どこに?」
ゆきはきょろきょろと辺りを探すが、あの女の姿はどこにもなかった。
「まぁいいわ。気味が悪い。後で家の者に探させ・・・・・・」
自分の部屋へと戻ったゆきは愕然とした。
ゆきの目に飛び込んで来たのは、ようやく寝かしつけた子供の首に深々と刺さる懐剣だった。懐剣は細い子供の首に垂直に刺さっていた。ゆきは自分が見ている物が一体どういう状況なのかすぐに理解することが出来なかった。
「なに?なに?」
ゆきは急いで子供の側へ寄り状況を把握すると、この世とは思えない絶叫を上げ白目をむきあおむけに倒れてしまった。
ゆきの絶叫を聞きつけ真っ先に駆け付けたのは二人の女中達だった。しかし二人は、布団に寝ている子供の余りにも無残な状態に声を失う。隣では、白目をむき体を痙攣させながら倒れているゆきがいる。これはどういう状況なのか。ゆきの両親が駆け付けるまで女中二人は部屋へ入らず、廊下で立ちすくんでいた。ようやく両親が駆け付ける。
「ゆき!ゆき!どうしたの?」
母親は、寝間着姿のまま走って来ると部屋に入り、すぐに倒れているゆきのもとへ行き声を掛ける。まだ、孫の姿を見ていないようだ。流石の父親は周りの状況をすぐに把握し、廊下で立ちすくむ女中二人を見て
「ここには誰も入っていないな!」
「は、はい」
「この事は他言無用だ!他の者が来てもこの部屋に入れるな。いいか!分かったな!」
「はい」
父親はそう言うと、部屋に入り障子をぴしゃりと閉めてしまった。残された二人の女中は、恐ろしいのと自分達はこれから何をどうしたらいいのか分からなかったが、取り敢えずこの場所から早く離れたかったので、父親が「この部屋に入れるな」という言いつけを守る事も忘れ女中は、お互いを支えあうように早足にその場を離れた。
「何て言う事だ・・」
「ゆき!ゆき!」
父親は、懐剣が喉に刺さったままの子供に近づいていく。寝ている所を刺されたのか、子供の顔は苦痛に歪むことなく眠っているようだった。
「あなた・・・な、なんですか・・・それは・・・」
ようやく母親は、父親が見下ろしている孫の状態に気がついた。
「落ち着け。いいか・・落ち着けよ・・」
「・・あなた・・まさか・・・ゆきが・・」
「そ、そんな事・・」
否定したい父親だったが、だらしない夫に物言わなくなった子供との生活に疲れ果てて犯してしまった事なのではと頭をよぎる。
「どうしましょう・・」
父親にすがる母親は、血の気が失せ顔だけではなく手や足まで白くなっている。
「う~ん・・・」
額に汗を浮かべ、厳しい表情をした父親はジッと動かない子供を見つめる。
「ん?・・・・なんと・・」
父親はある事に気がついた。
結婚した当初は、山岸家のやり方に沿い婿として頑張ろうと思っていたが、元来自由に生きてきた人間が家のしきたりに縛られる生活が出来るわけがなかった。たった一年で、佐一郎は山岸家の人間の言う事を聞かなくなり、頻繁に外に遊びに行くようになる。酒や女で遊ぶのはもちろんの事、山岸家の金を持ち出し女への贈り物や酒代で浪費していった。これには山岸家の人間も黙ってはいない。佐一郎に対し再三の注意と外出禁止という罰を与え、何とか一人娘のゆきの婿としてきちんとするよう見張ってきた。しかしそれも、数カ月と持たず元の木阿弥。これは駄目だと、さじを投げようとも思ったが、結婚して一年足らずでの離婚は世間体が悪すぎるのでさせられない。しかも、当のゆきは佐一郎の遊びに左程関心もないようなのである。物を言わなくなった赤子につきっきりで佐一郎の事まで面倒みられないのだろう。
佐一郎は、これはしめたとばかりに家を留守にする毎日。
今日も、祭りで出会った女と遊びその後キッチョウで飲んで帰ってきた。
女中が敷いた布団の上にゴロリと横になり、そのまま気持ちよく眠りにつこうと思っていた時、庭の方でカタリと音がした。
「ん?」
音に気がつき、庭がある方を見るが障子が閉まっているのでそこまで行き障子を開けなくてはいけない。酔っている佐一郎には面倒な行動である。そこで、また音がするか聞き耳を立てていたが、もう何も聞こえない。
「気のせいか」
佐一郎はまた、眠りにつこうとした。ウトウトとしかけた時、また庭の方からカタリと音がした。
「ん?」
何か、固いものを廊下に置いたような音。だらしない性格の佐一郎だが、多少神経質な所もある。気になったら自分の気が済むまで調べるか行動しないと気が済まない。だから、色々な事を知っていたりするのかもしれない。
「ちっ」
寝入りを邪魔された佐一郎は、小さく舌打ちをして起き上がると障子に近づきパシンと音をたてて障子を開ける。しかし、暗闇の中に見える庭は灯篭がぼんやりと灯りをともしているだけでそれ以外別に異常はないようだ。
「何だよ」
誰にともなく不満が口から出る。障子を閉める際、もう一度庭をぐるりと見まわし廊下も自分が見える範囲で右から左へと目を凝らす。
何もいな・・・
障子を閉めようとした佐一郎は手が止まった。
何もいなかった・・・か?
自分が廊下を右から左へと見た時の記憶をすぐに頭の中で再生する。
(右側はいなかった。真っ暗で何も見えなかったが誰もいなかった。左側は・・・)
・・・いた。
人と言うより何かがあった。廊下の奥の、辛うじて月明かりが届く場所に赤い着物の裾が見え、裾からは真っ白な足袋を履いた小さな足が二つつま先をこちらに向けていた。まるでまだ歩くことが出来ない赤ん坊のように小さい足。
(何だ今のは)
佐一郎はもう一度廊下の左側を見るため、部屋から顔を出した。
「うわっ」
そこにいたのは、ボロボロに擦り切れた着物を着た人だった。ソイツは手ぬぐいを頭と顔に巻きその隙間から目だけ出していた。
「だ、誰だ!」
驚いた佐一郎は大声で聞いた。
しかし、廊下にいる何者かは慌てる佐一郎に対し何も言わず手ぬぐいの間から覗く光る両目でじっと見ているだけだ。
何も言わない妖しい奴に、初め驚いた佐一郎だったが見た所自分よりも小さい。これは、チャンスとばかりに佐一郎はわざと大声で騒ぎだした。
「妖しい奴め!この山岸家を守るのは俺だ!」
白々しくも聞こえるこの言葉は、寝ている家人にも聞こえたようで遠くの方からざわざわと人が動く音が聞こえてくる。
佐一郎は勝ち誇ったように妖しい奴の前に立つ。
「お前をとっつかまえて役所に届ければ、暫く俺の立場は安泰だ。この家に金でも盗みに入ったんだろうが残念だったな。ここにはないよ」
じっと自分を見つめる奴に、鼻息荒く早口に話す佐一郎。
次第にバタバタと家の者達が近づいてくる気配がする。
「さ、大人しくしてくれよ」
そう言うと、佐一郎は何も言わず黙って立っている奴の腕を掴んだ。
「おっと、この前に顔を見せてもらわなくちゃな」
もう片方の手で、頭と顔に巻かれた手ぬぐいをサラサラと取り除く。
「どれどれ?」
余裕の佐一郎は、手ぬぐいを取られた瞬間下を向いた侵入者の顔を、にやつきながら覗き込む。
「え・・・」
佐一郎は、覗き込んだ体制のまま動くことが出来なかった。
手ぬぐいを取られたその顔は、真っ黒で顔いっぱいに大きな口がありその口はニィといやらしい笑いを浮かべていたからだ。
「どうした!」
「何があった!」
と口々に叫びながら駆けつける家人達の声で、我に返った佐一郎は助けを求めるかのようにそちらを見た。
一番に駆けつけたのはゆきの父親と若い男衆だ。手には棒切れと灯りを持ち寝間着姿で走り寄る。
「どうしたんだ。こんな時間に大声をあげて」
厳しい表情をした父親が佐一郎を責める。
「こ、こいつが」
「あ?こいつ?」
父親が周りをキョロキョロしながら佐一郎の言っているものを探す。
「え?」
いつの間にか、目の前にいたはずの侵入者が跡形もなく消えている。
「え?は?確かに・・ここに」
佐一郎も慌てて周りを探すがどこにもそれらしいものはいない。
「なんだ。夢でも見たのか?」
「人騒がせな」
「本当に厄介な人だよ」
駆けつけた人達は、口々に不満を漏らしながら自分の部屋へと帰って行く。
一人残った父親は、厳しい表情を崩さず
「佐一郎。お前はどこまで人に迷惑をかければ気が済むんだ?毎日毎日飲み歩いて、子供が大変な時に家にいない。ゆきに全て任せっきりだろう。挙句、こんな時間に騒いでみんなを起こすなんて。もう一度騒ぎを起こしたら出て行ってもらうからな」
そう言うと、父親は戻って行った。
「そんな・・・」
残された佐一郎は、狐につままれれたように理解できず呆然としていた。手には確かに腕を掴んだ感触が残っている。
「俺は一体何を見たんだ?絶対いたんだ。ここに・・・・」
そう一人呟き、さっきまで侵入者がいた場所に目をやる。
「ん?」
そこに何かが転がっているのが分かった。しゃがみ込みソレを手に見てみると、小さな赤い実だ。赤い実が数粒転がっている。
「何だよこれ。何でこんなものがここに・・・ちっ」
結局、手柄ではなく騒ぎを起こしてしまっただけで終わった事に腹が立ってきた佐一郎は、その赤い実を口に入れた。口の中には甘い果実の実の味が広がる。
「面白くねぇ」
バシンと力強く障子を閉めると、不貞腐れながら布団に潜り込んだ。
「なんだろうねぇ。外が騒がしいみたい」
子供をようやく寝かしつけたゆきは、家の者がバタバタと廊下を走り騒ぐ様子を布団の中で聞いていた。あまり騒がれてしまっては子供が起きてしまう。
ゆきは、寝付いた子供が起きないよう小さな声で子守歌を歌いながら子供の頭をなでてやる。
暫くすると、廊下を走って行った者達が何やら話しながら帰ってきた。気になったゆきは障子を開け何があったのか聞こうとした。
手に灯りを持った人がこちらに歩いて来る。
(誰かしら。お父さん?ま、誰でもいいわ)
「ねえ。何かあったの?余り騒がないでもらえないかしら子供が起きちゃうわ」
ゆきはこちらに歩いて来る者に声を掛けた。
「あいすみません」
声からして女のようだ。遠目で見た時はてっきり男だと思っただけに、ゆきは少し驚き相手が誰かを確かめるべく歩いて来る者を待つ。
さっきまで月を隠していた雲が動いたらしい。ゆっくりと庭の方から月明かりが照らされていく。ゆきの方へと歩いて来る者の足を照らし、腰を照らし上半身を照らし・・・そして顔を照らす。
「ひっ」
ゆきは、喉の奥の方に何かつまったような変な声を出した。
ゆきが見たものは角隠しを被り白無垢を着た女だった。
女は、真っ白い手に小さな提灯を持って真っ直ぐゆきの方へ歩いて来る。
「あ・・あ・・あ・・」
女が近くに来れば来るほど、はっきりとその顔を見ることが出来る。その顔を見たゆきは驚きの余り言葉が出ず、足が震えその震えが次第に体の方へと伝わりようやく障子の端を掴み立っている状態だった。
そこまでゆきを震え上がらせた女の顔は、生気のない人形の様だった。白いふっくらとした顔。三日月のような薄い眉と小さい優しそうな眼。形のいい紅を塗った唇。しかし、その優しそうな眼には光がない。白い顔も血が通っていない陶器のようである。
これが本当の人形ならば可愛らしいと感じるのかもしれないが、今ゆきの目の前にいるのは自分で歩いている。生きていなくてはおかしいのだ。
なのにその顔からは生気が全く感じられない。
ゆきは、震える足に力が入らなくなり障子に寄りかかりながらへなへなと座り込んだ。女は、へたり込むゆきを光を持たない眼でゆっくりと追うように見る。
「あ・・あ・・あ、あんた。誰よ!」
絞り出すように叫ぶゆき。
しかし白無垢を着た女の、形のいい赤い唇は固く閉ざされ開きそうにない。何も話さず、立ったまま座り込んだ自分を見るだけの女にゆきは苛立ってきた。
気の強いゆきは、まだ足の震えは納まらなかったが何とか立ち上がり目の前に立つ白無垢女に
「あんた。まさかおいちじゃないだろうね。おいちは死んだと聞いたよ。はっ、今となっちゃおいちにやれば良かったよ。あんな男。欲しけりゃくれてやるから持って行きな!」
最初は震えていた声も、次第に興奮してきたのか大きな声で怒鳴りつける。
それを、何の感情表現も示さないで聞く女。
そんな女の様子が、馬鹿にされているように感じたゆきは
「何か言いなさいよ!」
と女の肩を強めに押す。
ただでさえ白無垢は歩きにくく、動きずらい着物。バランスを崩すか庭の方へでも落ちればいいなどと思ったゆきの手ごたえはとても軽いものだった。着物越しに肩を押したというよりは、何も入っていない着物だけを手で押した感覚。ゆきは、意外な手ごたえに驚き女を見た。
女は相変わらず、光を持たない眼でゆきをじっと見つめていたが提灯を持たないもう片方の手で、着物の帯の所にさしてある懐剣を取り出すと器用に中身だけを抜き出した。
懐剣とは、別名護り刀とも言い護身用の短刀である。
短刀なので、刃渡り十㎝程の物だが刺されれば無事では済まないのは明確だ。
月明かりを受けて薄く光る懐剣の刃。
さっきまで威勢よく怒鳴っていたゆきもそれを見て息を呑んだ。
「な、な、何よそれ。それをどうするつもり?」
ゆきは、自分の体から力が抜けて行くのを感じた。
白無垢の女は、顔を青くしたゆきを見ながら懐剣を高々と振り上げる。
「ヒッ」
殺されると思ったゆきは、咄嗟に目をつぶる。胸に激痛が走り足に力が入らず、ガクガクト震え崩れ落ちる・・・・・と、思いきや自分の体に激痛どころか痛みも痒みすらない。恐る恐る目を開け、自分の体を慌ただしく触るが異常はない。
「はぁ」
ホッとはしたものの、ではあの女が振り上げた懐剣はただの威嚇だったのか。安心した途端に怒りが湧いてきたゆきは、女を怒鳴りつけようと顔を上げる。
「え?」
いない。
さっきまで、自分の前に立っていた女が跡形もなく消えている。
「え?どこに?」
ゆきはきょろきょろと辺りを探すが、あの女の姿はどこにもなかった。
「まぁいいわ。気味が悪い。後で家の者に探させ・・・・・・」
自分の部屋へと戻ったゆきは愕然とした。
ゆきの目に飛び込んで来たのは、ようやく寝かしつけた子供の首に深々と刺さる懐剣だった。懐剣は細い子供の首に垂直に刺さっていた。ゆきは自分が見ている物が一体どういう状況なのかすぐに理解することが出来なかった。
「なに?なに?」
ゆきは急いで子供の側へ寄り状況を把握すると、この世とは思えない絶叫を上げ白目をむきあおむけに倒れてしまった。
ゆきの絶叫を聞きつけ真っ先に駆け付けたのは二人の女中達だった。しかし二人は、布団に寝ている子供の余りにも無残な状態に声を失う。隣では、白目をむき体を痙攣させながら倒れているゆきがいる。これはどういう状況なのか。ゆきの両親が駆け付けるまで女中二人は部屋へ入らず、廊下で立ちすくんでいた。ようやく両親が駆け付ける。
「ゆき!ゆき!どうしたの?」
母親は、寝間着姿のまま走って来ると部屋に入り、すぐに倒れているゆきのもとへ行き声を掛ける。まだ、孫の姿を見ていないようだ。流石の父親は周りの状況をすぐに把握し、廊下で立ちすくむ女中二人を見て
「ここには誰も入っていないな!」
「は、はい」
「この事は他言無用だ!他の者が来てもこの部屋に入れるな。いいか!分かったな!」
「はい」
父親はそう言うと、部屋に入り障子をぴしゃりと閉めてしまった。残された二人の女中は、恐ろしいのと自分達はこれから何をどうしたらいいのか分からなかったが、取り敢えずこの場所から早く離れたかったので、父親が「この部屋に入れるな」という言いつけを守る事も忘れ女中は、お互いを支えあうように早足にその場を離れた。
「何て言う事だ・・」
「ゆき!ゆき!」
父親は、懐剣が喉に刺さったままの子供に近づいていく。寝ている所を刺されたのか、子供の顔は苦痛に歪むことなく眠っているようだった。
「あなた・・・な、なんですか・・・それは・・・」
ようやく母親は、父親が見下ろしている孫の状態に気がついた。
「落ち着け。いいか・・落ち着けよ・・」
「・・あなた・・まさか・・・ゆきが・・」
「そ、そんな事・・」
否定したい父親だったが、だらしない夫に物言わなくなった子供との生活に疲れ果てて犯してしまった事なのではと頭をよぎる。
「どうしましょう・・」
父親にすがる母親は、血の気が失せ顔だけではなく手や足まで白くなっている。
「う~ん・・・」
額に汗を浮かべ、厳しい表情をした父親はジッと動かない子供を見つめる。
「ん?・・・・なんと・・」
父親はある事に気がついた。
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