輪(りん)

玉城真紀

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待つ日

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二人は夢中になって遊んでいた。

楽しそうな笑い声をあげながらかけっこをしたり、小川の近くの石を積み上げて競争したり、そんな二人を見て母親はとても幸せだった。本来の子供の姿を見ることが出来る。顔には般若の面がついているが、振舞などは子供なのだ。

母親にはそのアンバランスなものでさえ愛おしく感じていた。
暫くすると、二人が歩くたび逃げ回っていた蛍たちが、不思議な事にチヨとハルの側に寄ってきたのだ。

「凄~い」
「綺麗」
「こっちの水は甘いぞ~そっちの水は辛いぞ~」

母親に教わった歌を歌う。
その光景はとても幻想的なものだった。般若の面をつけた子供二人を優しく囲むように飛ぶ蛍。キラキラと輝いて見える。
きっと蛍は、恐ろしい般若の面をつけていたとしてもこの子達の優しさが伝わったのではないか。と母親は思った。とても素晴らしく、誇りに思うこの光景をずっと見ていたかったが

「チヨ。ハル。もうそろそろ帰りましょう」

母親が二人に声を掛けた。

くるりと母親の方を振り向いた二人は

「え~」
「え~」

駄々をこね始める。

「またここに連れてきてあげるから帰りましょう」

「本当に連れてきてくれる?」
「本当?」

「ええ。本当。約束する」

二人は母親に近づくと、小さな小指を前に差し出した。

「指切りして」
「指切りして」

母親はニコリと笑うと器用に三つの小指を絡め約束をした。

その後、小屋まで誰にも見られないように細心の注意を払いながら帰った。小屋に着き、母親とお休みの挨拶を済ませ見送った後、楽しい時間を過ごせたチヨとハルは、興奮の為か暗いじめじめした小屋で布団に入るが中々眠れないでいた。

「ねえハル。楽しかったね」
「うん。楽しかった」

「また行きたいね」
「うん。また行きたいね」

「今度はいつ行けるかな」
「明日」

「フフ。またハルの明日が始まった」
「だって、直ぐに行きたいもの」

「そうだね。明日お母さんが来たら頼んでみようか」
「うん。頼んでみよう」

「ハル」
「なあに?」

「お母さん笑ってたね」
「うん。笑ってたね」

「お母さん嬉しそうだったね」
「うん。嬉しそうだったね」

「またお母さんの嬉しそうな顔見たいね」
「うん。見たいね」

「フフ」
「フフ」

二人は布団の中で、先程の楽しかった時間の余韻に浸りながら眠りに落ちて行った。


次の日の朝。母親ときぬが二人の朝ご飯を運んできた。

「おはよう。昨日はちゃんと寝たの?」

戸から入ってくる朝日が眩しいのか、顔を背けながらチヨは布団の上で体を起こした。

「おはようございます。私ちゃんと寝たよ」
「私も」

ハルは体を起こすことなく布団の中からこちらに顔を向けている。

「フフフ。本当?さ、起きて。朝ごはん食べなさい」

「は~い」
「は~い」

きぬは、せかせかと二人の布団をたたみお膳を二人の前に並べている。

そんなきぬにチヨは

「ねえきぬ。昨日とても素敵な事があったのよ!」

きぬは、キラキラと目を輝かせながら話を始めるチヨを嬉しそうに見て

「はい。何があったのでございますか?」

「お母さんとハルと一緒にとても綺麗な所に行ったの。蛍って言う虫がた~くさん飛んでいてね。その蛍は光ってるのよ。ね、ハル」
「うん。すご~く綺麗だった!」

「蛍ですか⁈ソレは凄いですね!きぬも一度行ってみたいです」

「きぬは蛍を見た事あるの?」

「いいえ。ありません」

「じゃあ今度一緒に行こう!ねえねえ。お母さんいいでしょ?きぬも一緒に行っても」

チヨは、ハルにご飯を食べさせている母親の方を見て言った。

「そうね。一緒に行きましょうか」

それを聞いたチヨは、きぬの手を取り

「やった~!良かったねきぬ。一緒に行けるわ!」

と、躍り上がって喜んでいる。手を取られたきぬも

「は、はい。本当に!楽しみです!」

と、一緒になって喜んでいる。
「はいはい。食事中よ。取り敢えずご飯を食べなさい」

母親は困り顔で笑いながら、ハルの口元にせっせとご飯を運んでいる。

「は~い。ハル。良かったね。今度はきぬも一緒よ。何して遊ぼうか」
「鬼ごっこ」
「そうだね。鬼ごっこもいいわね」

「久しぶりです。鬼ごっこなんて。私こう見えても足が速いんですよ」

子供達は、食事をしながらも心はあの丘の方へ行っているようだ。
食事が終わり、お膳を片付けるため母親ときぬは台所の方へ向かう。

「奥様。本当にいいんでしょうか?私も行って」

きぬは不安そうな表情で話しかけてきた。

「ええ、いいのよ。チヨとハルはあなたの事が大好きだから、一緒に行きたいのよ。あの素晴らしい光景を一緒に見たいと思ったのね」

「そうですか」

嬉しそうに笑いながらきぬは洗い物を始める。

「でも・・・・・・大丈夫かしら。部屋であなたがいないなんて騒ぎになったら」

「大丈夫ですよ。寝ているように布団の中に枕とかを入れて誤魔化しますから」

自信たっぷりにきぬは言った。

「そう?じゃあ。そちらはうまくやってもらうとして、あの子たちはすぐにでも行きたいようだけど、念には念を入れないとね。軽率に動いて見つかりでもしたら大変だから、少し日にちを開けるわ」

「あ・・・・・・そうですね」

きぬは残念そうだ。

「フフフ。大丈夫。必ず行くから。それまで楽しみにしてて。でも決して人に悟られないように気を付けるのよ」

きぬは泡だらけの人差し指を口元に持って行くと

「きぬは絶対に悟られないようにします」

と真剣な表情で言ったが、泡が鼻の頭につき滑稽な感じだったので母親は笑った。きぬもケラケラと楽しそうに笑う。
その後、母親は自室へ戻ると二人の着物の繕いの続きを始めようとした。

「あら?」

自分の着物の袂に何かが入っている。取り出してみると二人に渡そうと思っていた帯留めの箱だ。

「あら嫌だ。渡すの忘れてしまったのね。フフフ」

あれだけ渡すのを楽しみにしていたものを忘れるなんて、それだけあの場所で三人で過ごした時間が素晴らしいものだったのだと思ったら、凄く幸せな気持ちになる。また今度の機会に渡す事にしようと、そっと棚の中にしまった。

その機会はすぐに訪れるだろうと思っていたが、これが意外にも難しかった。きぬが夜番の時を狙っていたのだが、他の人からの交代を言われたり、チヨの具合が悪くなったり、中々、全員のタイミングが合わない。

そんなやきもきする中、四人はじっと機会を伺い辛抱強く待った。
チヨとハルに急かされるのをなだめるのは大変だった。そんな時は、むやみに行動してしまうともう二度と行けなくなるのよと言うと、二人は納得しないながらもじっと待ってくれた。

そしてついにその日は来た。

小屋に夕飯の膳を持ってきた母親ときぬは、元気がなくなった二人の前にお膳を用意しながら

「チヨ、ハル。今日の夜あそこへ行けますよ」

母親の言葉に二人は勢いよく顔を上げ

「え?」
「え?」

「フフフ。よく我慢したわね。今日行きましょう」

「本当⁈やった~!」
「本当⁈やった~!」

チヨは飛び上がって喜んだ。母親は勝手知ったもので、チヨの前のお膳をスッと避ける。前のようにひっくり返してもらっては困ってしまう。

「チヨ様。ハル様。やっとですね!きぬも嬉しくて嬉しくて」

きぬもチヨ同様、飛び上がらんばかりに喜んでいる。

「さ、ご飯を食べたら早くおやすみなさい。暫くしたら迎えに来ますからね」

「は~い」
「は~い」

あっという間にご飯を平らげると、きぬがやると言うのを断り自分で布団を敷き横になった。

そんなチヨ達を微笑みながら見ていた母親は

「じゃ、また後でね」

「は~い」
「は~い」

母親は蝋燭を吹き消すと、きぬと共にお膳を持ち小屋を出た。

その母親の後ろ姿を布団の中で見ていたチヨは少し体の線が細くなった母親が気になった。
しかし、あの丘に行ける事の楽しみの方が勝ち、それ以上は深く考えずに目をつぶった。






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