プリンセス・ロンド 運命の兄王と妹姫

月森あいら

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◆◇第十七章 真実◇◆

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 春の予感を感じさせる庭で、幼い兄妹がいた。彼らは咲き始めた花を摘み、それを束ね、輪を作り、甘い蜜の匂いの中、戯れる。
「クレア」
 呼びかけに少女が振り向くと、彼女の薄い緋色をした髪の上にそっと何かが置かれた。
「なに?」
 少女がそれに手をやると、少年はそっとその手を押さえた。
「だめ、取っちゃ」
「お兄様、なんなの?」
 両手を頭の上のそれに沿え、少女は首をかしげたが、それでもそれを取ろうとはもうしなかった。
「なんなの、これ」
 少女が重ねて聞く言葉に、少年は微笑んだ。
「冠だよ」
「冠?」
 赤い花と白い花を束ねて作ったそれは、少女の頭には少し大きくて、ずり落ちそうになるのを少年は両手で押さえた。
「そう、僕はね、王冠を持っているんだって」
 間近でそうささやく兄を、少女はきょとんと見つめる。
「その王冠は、僕が大きくなったとき、一番大切な人にあげなくちゃいけないって」
 少女の髪を、少年はなでた。さらり、暖かくなった風がそれをさらう。
「だから、クレアにあげる」
 少年は微笑んだ。
「お兄様の大切なものなのに?」
 少女はそれに喜びながらも、ふと表情を曇らせる。
「いいの、お兄様の大切なもの」
「いいんだよ」
 風が、くちづけのように少女の頬をかすめた。少年の手が、それに倣うように指先で少女の顔をなでる。
「クレアが、僕の大切な人だから」
「嬉しいですわ」
 その言葉に単純に喜んで、少女は兄に抱きつく。大い花冠が彼女の頭から滑り落ちた。

 そんなことが、あった。


◆◇


 クレアが目を覚ますと、そこは見慣れた光景だった。薄い紗の天蓋が、自分が今どこにいるのかを思いださせた。
 手を伸ばしてみると、それは薄い衣の夜着に包まれており、腕からは怠さが伝わる。クレアは体を起こそうとした。
「姫さま」
 紗のカーテンの向こうから声がかかり、クレアはそちらを見た。布をかき分けて顔をのぞかせたのはシルヴィアで、クレアはとっさに顎をすくめる。
「お起きになれますか、お手伝いいたします」
 シルヴィアに手を背に回されて、クレアはびくっと体をこわばらせた。それは、薄い夜着を通してシルヴィアにも伝わったに違いない。シルヴィアは驚き、そして小さく微笑んだ。
「体は、もうお辛くありませんか」
 クレアは助けられて起こした体を少しひねってみた。わずかに気だるさが走る。
「私、どうしたの……?」
 シルヴィアを見上げてそう問うと、彼女はにっこりと笑みを作ってこう言った。
「お倒れになられたのです。お熱を出されて。今日で、三日になります」
「そう、なの……」
 倒れる前の記憶は、曖昧なようではっきりと残っている。体には、セラフィスのぬくもりがしっかりと刻まれたままだ。
「お兄様は?」
 聞くともなしに聞いてみると、返事はすぐ戻ってきた。
「執務に当たられています」
 そしてクレアの顔をのぞき込んで、シルヴィアは言う。
「姫が目覚めになられたこと、ご報告して参りましょうか」
 立ちかけたシルヴィアをクレアは慌てて止めた。
「いいですわ、お邪魔になってはいけませんから」
「そんなこと」
 シルヴィアは笑った。
「お邪魔とはお思いになるわけもありません。この三日間、人心地もないほどご心配になっておられましたから」
 クレアは、さぞ楽しげにそう言うシルヴィアを見上げた。
「シルヴィア」
 小さく呼びかけると、彼女はすぐクレアの方へ顔を向けた。
「なんですか、姫」
 間近で見ると、その美しさはますます色濃くクレア瞳に映った。今のシルヴィアは、舞踏会でのように着飾ってはおらず、それどころか驚くほど質素なドレスに宝石のたぐいはいっさい身に付けず、そして髪さえも無造作に束ねているだけなのに、その美しさは最初見たときと同じ、それどころか、余計なものに遮られないぶんかえって増しているかのように思えた。
「あの、私……」
 仮にも兄の婚約者であるシルヴィアの前で取り乱したことが、今になって恥ずかしく思われた。彼女は、いったいどう思っただろうか。不快には思わなかっただろうか。
「私、申し訳ないことをしましたわ」
 その先を、シルヴィアがそっと遮った。驚くクレアに微笑みかけ、そして声を高くして言った。
「姫に、何かお飲み物を持ってきて差し上げてください」
 その声に答える声がして、扉が開き、そして閉じた。心なしかしんとした部屋の中で、クレアは先ほどの言葉の続きを綴ろうと口を開けた。
「お兄様を、お好きなの?」
 シルヴィアは微笑んだ。しかし、肯定の返事がすぐ戻ってこないことをクレアは訝しんだ。
「殿下が愛していらっしゃるのは、姫だけです」
 その言葉に、クレアはかっと頬を染めて口を手で覆った。
「そ、んな、こと……」
 しかし、シルヴィアは微笑むだけ。
「姫には、お話ししておかなくてはいけないことがあるのです」
 シルヴィアはにわかに表情を引き締めた。そして、ほんの少し声を落とし、ささやくように話し始めた。
「シルヴィア・ケレルという者は、この世にはおりません」
 クレアは狐につままれたようにぽかんとした。
「では、あなたは?」
 シルヴィアは胸の前に手を添え、恭しく頭を下げる。
「私は、ソティラ・アストリアと申します」
「ああ……」
 そう、初めて彼女の姿を見かけたとき、エクス・ヴィトが言った名はそれだった。ソティラ・アストリア。ラクシュ神族の、騎士。
「騎士団においては縁あって、殿下にはかわいがっていただいておりました」
 ドレスに身を包んでいるというのに、自らの名を明かした途端、シルヴィア――ソティラの姿は、にわかに騎士の風格に包まれた。
「私はラクシュ神族でありながら騎士団に入団を許されました。姫もご存知でしょうが、ラクシュ神族は普通の人間とは相いれぬ種族。それゆえ辺境にて細々と暮らしてゆく定めの種族でありながら、殿下にはこのようなご厚情をいただき、しかも、暴動の折りの私の出過ぎた行動をとがめることもなく、それどころか身に過ぎる処遇。殿下のそのようなご温情に、是非報いたいと思っておりました折り、殿下から内密にとの呼び出しを受けました」
 クレアが半分だけ起こした体をいたわるように、ソティラは手を伸ばした。
「お加減は、大丈夫ですか」
「ええ……」
 戸惑いながら、クレアは慌ててうなずいた。
「それは、いつごろのことなの?」
 話の先をせかしてクレアは尋ねる。
「そうですね、姫さまが、ラグラール皇国からお戻りになったころです」
 ソティラは少し考えてからそう言った。
「私に、殿下の婚約者の役を演じろと申されました」
 その言葉が出たとき、クレアの体が少し震えたのに、ソティラが手を添えた。
「ソティラ・アストリアとしてではなく、ラクシュ神族の村からやって来た別の者として」
「……」
 ソティラの口から洩れる話に、クレアは驚くことも忘れて聞き入っていた。
「ですから、シルヴィア・ケレルは、いずれ王宮を去って、どこかに消えてしまうことになっております。そして殿下はその傷ゆえに、お妃様をお娶りになることはないでしょう」
「それは、お兄様のお考え?」
 ソティラはうなずいた。
「ええ、私は、殿下に恩返しができれば、と思っているだけです」
 クレアがソティラの顔を見ると、彼はにっこりと微笑んだ。
「このことを知っているのは私だけです。殿下は、エクス・ヴィト様にも本当のことは申されてはいないようです。私も、この計画の目的というのを殿下から直接は聞かされてはおりません」
 それが、すなわち、クレアへ向けたセラフィスのせめてもの誠実さ。妻に迎えることはできない、それならば、彼の隣を永遠に空席のままにしておきたいという気持ち。そのために、周りを欺くよう仕向けた画策。そこに座るのはクレアだけだという、セラフィスの思い。
「けれど、おおよそどういうことか、見当はつけさせていただいております」
 ソティラはいたずらっぽく笑った。
「私は、姫がうらやましく思えます。殿下の、姫に向けたお気持ちは、嫉ましいほどで」
 小さく吐息を付き、ソティラは小さく言葉を継いだ。
「私も、誰かにそれほどまでに愛されたら、と思ってしまいます」
 クレアはぱっと頬を染めた。そして、首をあげる。
「あなたは、私たちのことを非難しようとは思わないの? こんな、神に背く……」
 それ以上は言い兼ねて、クレアは言葉をつぐんだ。しかし、ソティラは変わらぬ表情を浮かべている。
「まったくそうは思わなかった、といえば嘘になります」
 ソティラは静かに言った。
「けれど、殿下のご様子を間近で拝見するうちに、姫のお話を殿下からお聞きするたびに、そんな気持ちは消えていきました」
 その手がクレアのそれを包んだ。慰めるように、優しく。
「人が、人を思う心のどこが罪なのでしょうか。ここまで誠実な思いを、どうして神が罰しましょうか。私は、おふたりをうらやましいと思いこそすれ、罪などとは思いません」
 それは、強い声だった。クレアはその声に背中を押されたような思いだった。自分の思いを、肯定してくれる人がいる。それだけで、まっすぐ前を向いて歩けそうな気がした。
「ソティラ、ありがとう」
 言うと、ソティラは笑った。
「姫がお礼を申されることなどありません」
 手を取ったまま、ふたりは微笑み交わす。ソティラは、その美しい笑みを惜しげもなくクレアに送った。
 大きな音がして扉が開いた。ふたりが驚いてそちらを見ると、そこにいたのはセラフィスだった。彼に似合わないほどの乱暴な足取りで部屋に入ってくる。
「お兄様!」
 クレアは微笑んだ。顔を上げて、わずかに手を差し伸べる。
「クレア」
 見舞いに来てくれたのだと思った。元気になった自分を見せねば、と思ってクレアは声をあげた。
「お兄様、私……」
 しかし、セラフィスは表情を引きつらせたままクレアの横たわる寝台に歩み寄った。
「どう、なさったの……?」
 そこにいるソティラのことにも気づかないようにセラフィスはベッドのカーテンを引き、そして言った。
「父上が亡くなった」
 部屋に水を打ったような沈黙が流れる。クレアも、ソティラも、そしてセラフィスとともに部屋に入ってきた侍女たちも息を飲んで体をこわばらせた。
「いつ、なのですか」
「ほんの先ほどだ。父上に呼ばれ、私が赴いたときにはもう、声も出せない状態であられた。そして、つい先ほど」
「……ああ」
 クレアは小さくうめいた。いよいよ始まるのだ、との思いが胸を貫いた。
 父への思いは、そう強いものではなかった。あまり頻繁に会ったこともなく、公務の場で時折顔を合わすくらい。クレアの父への印象は、肉親のそれに対するもの、というよりも、優秀な主君へ対する臣下からの尊敬、というものに近かった。
「クレア、もう体は大丈夫か」
 セラフィスが早口にそう言い、クレアはうなずいた。
「ええ、大丈夫です」
「そうか」
 ほっとした表情で、セラフィスはわずかに微笑んだ。
「よかった、三日ほど眠り続けていたのだからな」
 セラフィスの言葉にクレアは微笑み、そっと腕を上げて見せた。
「ご心配をおかけいたしました。もう、大丈夫です」
「そうか、ならいいのだが」
 セラフィスの表情がにわかに硬くなった。
「これからが、始まりだ」
 何を、とクレアは問わなかった。ただ、うなずいた。
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