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23. 黄昏時③
しおりを挟む一方、ふしゅーっと力が抜けるのはイーライも同じだった。これまで十年女性を遠ざけていたせいか、耐性というものがさっぱりない。ドアに両手と額を突いて蹲り、やり過ぎたかもしれないと身悶えていれば、冷ややかな声が頭上から掛けられた。
「何してるんです? 叔父上」
「……なんだ、猫っかぶり」
振り返れば黒髪黒目の甥、フェンリーが佇んでいた。雰囲気は母方、色彩は父方から引き継いだこの甥は、自身の容姿を最大限利用し他者を翻弄する、悪童である。
「叔母上の様子は如何ですか?」
……撤回しよう、とても良い子だ。
こほんと咳払いして立ち上がり、イーライは閉じた扉を不安気に見やった。
「疲れが溜まっていたのだろう。十年抱えてきた負担が弾け飛んだようなものだ」
レキシーの心情を思えば胸が詰まる。
あんな奴らに囲まれて。家族に顧みられる事が無くとも、自分が正しいと思う事から目を背けずに奮闘していたのだ。
実家にも、婚家にも……
あいつらの中にある優しさを見出し、見捨てられずにいた彼女は確かにお人好しと言えなくもない。
けれど誰からも侮蔑を受ける筋合いなどない筈だ。特にその恩恵を少なからず享受してきた輩には。
◇
十年前、ラッセラード家はレキシーに対するブライアンゼ家の処遇を知り、縁を結ぶ事に難色を示していた。
それを見捨てないで欲しいと兄に頼み込んだのはイーライである。
加えてフェンリーが、婚約者がいた方が他の女性の誘いを断りやすいからと同意した為。たった十歳の子供の発言とは思えないが。既に人目を引き始めていた彼なりに危機感を感じていたようだった。
……女性に苦労するのは血筋のようだが、こんな時ばかりは助かったなんて。あの時は思っていたけれど。
その為ブライアンゼ家はその体裁を保ってこられた経緯がある。
それらを知らず、旧家の血筋である事を鼻にかけ、好き勝手振る舞ってきた彼らはいっそ滑稽だ。
それでもイーライは彼女から何も奪いたく無かった。あんな家族でも没落すればレキシーは心を痛めるだろうし、助けを求めてあの不実な夫に縋って欲しくも無かった。彼女の弱音の吐き場所は自分だけでいい。
自分のそんな願望に、イーライは益々己の心に確信を持った。そして自分がしなければならない事に頭を巡らせたのだ。
神職を選んだ自分が彼女と結ばれる事はできない。少なくとも向こう七年は。
かと言って、これを辞め、文官や騎士に志願したところで、すぐに芽が出るものかと言えば疑問だった。安定した地位を手に入れるには今と同じか、それ以上に時間が掛かるだろう。
実家の男爵家の援助が頭を掠めたが、そこに頼るのは何だか格好がつかなくて嫌だった。
レキシーはたった一人で自分の道を切り開こうとしているのに。
だから必ず彼女を迎えに行くと決め、この道で高い地位に就く事を誓った。
……彼女には離縁を考えて貰わなければならない。けれどウィリアムが不実と知って嫁いてきた彼女が、婚外子や散財くらいで根を上げるとも思えない。
ただ叩けば埃の出るような奴だ。時間を掛け、今のうちにあらゆる証拠を集めておこう。
そうしていい加減、苛立ちが募り始めた五年目。
いっそ事故に見せかけて亡き者にするのが手っ取り早いかと一人画策していると、そんな事をすれば、傷つくのはレキシーだと言って退けたのがフェンリーだった。
「折角信頼できる司祭を演じているのでしょう? 期待を裏切ってどうするんですか。罪の意識を感じ出奔するかもしれませんし、最悪騙されたと逃げられたら、叔父上ではもう取り戻せませんよ」
未成年の甥が口にする、最悪な未来を告げられ震え上がっていると、ふと気になった事を口にする。
「叔父上では、って何だ。お前には取り戻せるというのか?」
面白くない想像に顔を顰めると、フェンリーはけろっと、心は諦めますね。と言い切ったので、これ以上は聞かない事にする。
この甥はたまにおかしな事を口にする。
自分と似てると言われる事があるが、そんな筈はない。自分はただ一途なだけだ。神職だから手を出せないので、一歩引いたところで凡ゆる手を使い彼女を守ろうとしているだけなのだ。……間違いなく甥とは一線を画している。
「私とて彼女を困らせるのは本意ではない。時間は掛かるが領地からの絡め手で行くとしよう」
「ああ、家を潰すんですか」
ぽんと手を叩く甥を見てイーライはあっさりと首肯した。
「いらないだろう、あんなボンクラ。あれの弟が少しはましなようだから、あっちに家を継がせてやればいい。……当主夫婦に子はいないからな。レキシーが引き留められる事もないだろう」
婚外子はいるが。
──ウィリアムとレキシーとの子については、決して許せるものではなく、穏便に済ませたかった気持ちが吹き飛んだ瞬間だった。
ウィリアムと愛人ナリアの仲は数年で破綻していた。
ナリアはウィリアムに対し、自分が屋敷に住めず、愛人の立場である事に不満を覚え出したからだ。
没落したとはいえ根は貴族。
今の不遇は父の失態であって自分のせいではない。それなのに何故自分がこんな目に合わないといけないのかと、そう考えたようだ。
……一般的な貴族令嬢とは、皆こんな考え方なのだろうかと閉口してしまう。
日に日に募るナリアの要望に辟易とする中で、ウィリアムはレキシーに興味を示してしまったのだ。
レキシーは決して醜女ではない。
着飾る事は少なかったが、その献身的な輝きは誰よりも美しかったから。
結婚当初ウィリアムにその気は無かったようだが、ナリアに飽き始めた彼は、正妻であるレキシーに自分との子を産ませようと考えるようになった。
そんなウィリアムの気配を嗅ぎ取った、屋敷に潜ませていたエルタとマリーから早文が届き。レキシーには悪いが、こちらの策に嵌って貰う事にしたのだ。
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