【完結】出戻り令嬢の奮闘と一途な再婚

藍生蕗

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30. 離脱

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 ある休日の昼下がり。
 はあっと耳元に掛かる吐息に身体を震わせ、私は近くで身をかがめるイーライ神官をぎゅっと睨みつけた。
 神殿での生活もそろそろ一ヵ月。近すぎる距離感に慣れはしたものの……

 いつものように訪れたイーライ神官を、客間に備えられた小さな庭園で出迎えた。エルタ自慢の焼き菓子とお茶を楽しもうと声を掛ければ、何を思ったのか彼は当たり前のように私を抱え上げ、そのまま膝に乗せお茶を楽しみ始めたのだ。

「──っ何してるんですか、イーライ神官様!」

 呆然とされるがままになっておきながら、急に込み上げる羞恥に私は叫んだが、対してイーライ神官は冷たい口調でしれっと口にした。

「あなたが私を切り捨てようとしたのが悪い」

 ぎくっと身体を強張らせると、イーライ神官はいつもの柔和な表情はどこへやら、じろっと私を睨みつけた。

「私はあなたに愛の告白をして、あなたが欲しいと言いましたよね? 返事を待つとは言いましたが、まさか放置して逃げ出すとは思いませんでした。あなたも私を好きと言ってくれたから、油断していた……」
「いえ、それはですね」

 それは多分、そろそろここを出た方がいいのでは無いかと、物件探しを口にした事を言っているのだろう。……誰に言ったつもりもないのだが、口にした覚えは確かにある。一体どこで耳にしたのだろう。

 とはいえ求婚者に無断で事を進めるつもりは無かったので、誤解されたのならその怒りはごもっともだと、私は急いで手を横に振って見せた。
「に、逃げてませんよ! た、ただずっとここでお世話になるのが気が引けてしまって……事業の方も再開したいですし、かといって流石に仕事を神殿に持ち込む事は出来ないでしょう?」
「……へえ」

 せっせと言い訳をすれば、イーライ神官は疑わしそうに目を眇めた。
「あなたにとって、私はその程度の存在でしたか」
 珍しく説得されてくれないイーライ神官に私は益々焦り出してしまう。
「ち、違っ……引っ越しの件は言いそびれていただけですよっ」

「何が違うんです? あなたが私の婚約者であると、周りに言い切ってくれていない事を、私はちゃんと把握しているんですよ?」

 ぐっと顔を近づけるイーライ神官に私は急いで言葉を紡いだ。
「だってですね! その、私は……婚歴があり……その上、子供を産めない身体です。それに家族との縁も薄く、あ、あなたの助けにはとてもなれません……それなのにあなたの婚約者、だなんて……」

 好きという感情はとても嬉しいが、それ以上を考えるとどうしても行き詰まってしまう。メリットとか世間体とかは、やはり踏み切れない事情の一つだ。自分でも煮え切らないとは思うけど……
 私の説明にイーライ神官は、ほうと相槌を打ち言葉を引き取った。

「……つまりあなたは私がバツイチで、子供が無く、家族と縁を切っていたら、嫌いになる、という事ですか?」
「なっ、そんな事はありませ──……あっ!」
 自分で自分の言葉に驚いていると、イーライ神官は言質はにやりと口の端を吊り上げた。
「ねえ、それならそんな理由であなたに壁を作られる私はとても可哀想ではありませんか?」

 確かに。相手に置き換えて考えると、そんな事気にしないと当然に思えるのに……でもとかあのとか、しどもどと言い淀んでいると、イーライ神官がぐいと顔を上向かせた。

 すぐ近くに切なそうな顔がある。
 思わず写生しておきたくなるような美貌に為す術なく固まっていると、端に控えていたエルタがごほんと大きめな咳払いをしたので、私は慌ててイーライ神官の口を塞いで両手を突っ張った。

 むっとした顔がエルタを射抜くのが見えたが、心拍数が危険値に達しかけていた私の方はエルタに感謝の目を向ける。
 それぞれの視線を受け、エルタは徐に口を開いた。

「イーライ神官様、お嬢様に告白なさるなら、先にお話して欲しい事があります。その事を有耶無耶にしたまま先に話を進めようとするなら、僭越ながら私は徹底的に邪魔させて頂きますので」
 あしからず、と締め括るエルタに首を傾げ、イーライ神官に顔を向ければ彼はエルタに渋面を向けていた。
「イーライ神官様?」

 イーライ神官はふうっと一息吐いて改めて私に向き直った。申し訳なさと不貞腐れた様を混ぜたようなそんな顔。
 悪戯をした子供が保護者に無理矢理謝らされると、こんな顔をしそうだな、なんて思いながら。こちらも居住まいを正して彼の話を待つ事にする。……とりあえず膝から降りた方がいいだろうか……

「レキシー、その……あなたのこ……子供、の話……なのですが……」
「……え?」

 そうして歯切れ悪く語り出された彼の話は、私にとっては到底信じられない話であった。

 それはもう、求婚された喜びが吹き飛ぶ程に……

 彼の頬でバチンと大きな音が炸裂し、熱くなった掌を握りしめ。呆然とする彼に向かって私は沢山喚いて泣いて、その場を走り去った。ずっとずっと遠くまで……


 そうして一年が経った──
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