31 / 35
31. 一旦
しおりを挟む今私は王都の端に小さな一軒家を借り、エルタとマリー、通いの使用人たちと慎ましく暮らしている。
神殿を飛び出すと、参拝に来ていたアリーゼ様とフェンリー様にかち合った。そうして動揺する私にフェンリー様は何やら訳知り顔で、フォー子爵を通し私を匿ってくれたのだ。
『ぶふっ、叔父上……自信満々だったくせに……安心しきって詰めを誤るとか、まだまだだな……』
フェンリー様は何やら独り言を呟いていたが、口元を覆い言いにくそうにしていたから、追求はしなかった。
『あの、でもやっぱりちゃんとお話した方がいいのでは……?』
不安そうにするアリーゼ様の肩を撫で、フェンリー様は優しく諭す。
『アリーゼは優しいね。でもレキシー様にも落ち着く時間が必要ですよ、ねえ?』
私はその言葉に頷いた。今はとてもイーライ神官の顔をまともに見られる気がしない。
そうして彼は心配するアリーゼ様を宥め、密かに借家も用意してくれたのだ。
生計を立てる為には絶対に働かないとならないし、それにはやはり王都は都合が良かった。かと言って喧騒で過ごすにはまだ心が回復していなかったから、フェンリー様はとても理想的な場所を提供して下さったと思う。
王都中心部から馬車で片道二時間の小ぶりな一軒家。私は喜んでその提案を受け、エルタとマリーと共にささやかな暮らしに興じていた。けれど、
「──離して下さい、イーライ様……」
結局私は彼に見つかった。
◇
一年前、私はイーライ神官のしでかした事をとても怒った。
子供を亡くしたと言われた喪失感と悲しみは、他に言いようが無かったのだ。
ただ、一方であれがなければ、私はウィリアムとの記憶に苛まれ、打ちひしがれ、或いは自棄になっていたかもしれない。
そしていずれ産まれた子供を愛せず、虐げていた可能性もあったかもしれないと、そう思うようになっていった。
だから「イーライ神官は、私が嘆く様を素知らぬ顔で聞いていたのだ」と湧き上がる怒りと共に、「本当にそうだったろうか」という疑念も込み上げた。
そもそも彼が嬉々としてそんな事を行うようには思えない。
彼はいつも一緒に祈ってくれていた。
亡くなった子が天に召され、女神の元に迎えられ安らかに眠る事を。
私の気が済むまで、ずっと……
そんな考えが頭を掠めれば、私は彼を憎む事も、恨む事も出来なくなってしまったのだ。
私はイーライ神官の好意を知らず、ずっと婚家や実家の話をしてきた。そんな私の悩む姿を見て、イーライ神官にも葛藤があったのではないだろうか。
そう考えると益々居た堪れなくなってしまい。彼ばかりが悪い訳ではなかったのだと、そう思うようになった。
「──レキシー様って本当にお人好しですよね」
そうマリーに呆れられて。
「私はお嬢様が幸せになれるのなら良いのですが……」
物言いたげなエルタに申し訳ない気持ちにもなった。
エルタとマリーには散々謝られた。
特にマリーはイーライ神官に命じられてドリート家に入ったそうで。私の事を報告する日々に罪悪感を感じていたらしい。
だから一緒に来て欲しいと誘った時は随分泣かれてしまい、宥めるのが大変だった。
そんな事までしてたのかと、イーライ神官への呆れ半分の気持ちの中には、微かな感謝が確かにあって。
私は実に半年ぶりにイーライ神官に手紙を書いた。
お腹にいなかったのだと知っていても、子供を失くしたあの時の喪失感は消えない。だからとてもそれを許せる気持ちは無いのだけれど──
私の事を考えて行動してくれた事には感謝していると、その旨を書いた。
「……これ以上は、書けないわね……」
そっと羽ペンを机に戻す。
彼の厚意に憤慨し、あの時私は二度と会いたくないと神殿を飛び出してしまったのだから。
今更もう呆れられているかもしれないし。だからせめて感謝だけでも……そう思いマリーに託したところ、彼女は片道二時間の道程を往復三時間で戻ってきた。
具合でも悪くなり引き返して来たのだろうかと馬車に駆け寄れば、切羽詰まったイーライ神官が馬車から飛び降りてきて目を丸くした。
「レキシー!」
「イ、イーライ神官様? お久しぶりです……その、お元気でしたか?」
ぎょっと後退る私に構わずイーライ神官はのしのしと歩み寄る。
「全く元気じゃなかった! 君がいなかったから! もう嫌われてしまったと……このまま会ってくれかったらどうしようかと……!」
イーライ神官の顔色は悪く、やつれたように見える。細くなった面立ちにぎょろっと目が浮いている様子は申し訳ないが些か怖い。
「わ、分かりました。私もお話し出来たらと思っておりましたから、その、どうしましょう、お茶を淹れましょうか──?」
逃げるように視線を彷徨わせれば、ぐったりとしたマリーが馬車から降りてきたところを見て閉口してしまう。
……相当無理してきたらしい。
ちらりとイーライ神官に視線を向ければ、今度は捨てられた犬のような顔でこちらを凝視している。
視線が痛い。
こんな顔をされると、私が悪いみたいに思うのは何故だろうか。
「イーライ神官様」
意を決してそっとイーライ神官の手に触れると、彼は驚きに身体を強張せた後、直ぐにその場に傅いた。その手を額に押し付け請い願うように口にする。
「レキシー……結婚してくれ」
「はいい?」
まずは挨拶とか謝罪とかでなく?
「えっ、結婚ですか?」
そう問えばイーライ神官は激しく首肯した。
「……私は私のした事に罪悪感を持っているけれど、それはあなたを手放す理由にはならない。大人しく身を引いて他の誰かに譲るなんて無理だ、考えられない」
誰かなんて、まだそんな事を言っているのか……呆れたような懐かしいような、そんな忘れられない情が込み上げるけれど。
「──離して下さい、イーライ様……」
「嫌だ」
……自分で呼んだようなものかもしれないが。
いつの間にかしっかりと握り込まれた手に戸惑っていると、イーライ神官はじっと私の目を見つめてきた。切実さを含むその眼差しに躊躇いがちに口を開いた。
「……その、あなたは……まだ私が好きなんですか?」
「はい、ずっと」
間髪入れない返事に言葉が詰まる。
なんて物好きな、と笑い飛ばせたら良かったのに。
「……馬鹿ですね」
私の心は頑なになる事なく、柔らかく解れ絆されてしまった。
「レキシー」
そんな子供じみた減らず口くらいでしか抵抗出来ないくらい、嬉しい。
だからもう観念しようと思う。
「私も、ずっとあなたが好きだったんですよ」
「……っ!」
そう言って跪くイーライ神官に被さるように、私は彼を抱きしめた。
26
あなたにおすすめの小説
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
【完結】 異世界に転生したと思ったら公爵令息の4番目の婚約者にされてしまいました。……はあ?
はくら(仮名)
恋愛
ある日、リーゼロッテは前世の記憶と女神によって転生させられたことを思い出す。当初は困惑していた彼女だったが、とにかく普段通りの生活と学園への登校のために外に出ると、その通学路の途中で貴族のヴォクス家の令息に見初められてしまい婚約させられてしまう。そしてヴォクス家に連れられていってしまった彼女が聞かされたのは、自分が4番目の婚約者であるという事実だった。
※本作は別ペンネームで『小説家になろう』にも掲載しています。
団長様、再婚しましょう!~お転婆聖女の無茶苦茶な求婚~
甘寧
恋愛
主人公であるシャルルは、聖女らしからぬ言動を取っては側仕えを困らせていた。
そんなシャルルも、年頃の女性らしく好意を寄せる男性がいる。それが、冷酷無情で他人を寄せ付けない威圧感のある騎士団長のレオナード。
「大人の余裕が素敵」
彼にそんな事を言うのはシャルルだけ。
実は、そんな彼にはリオネルと言う一人息子がいる。だが、彼に妻がいた事を知る者も子供がいたと知る者もいなかった。そんな出生不明のリオネルだが、レオナードの事を父と尊敬し、彼に近付く令嬢は片っ端から潰していくほどのファザコンに育っていた。
ある日、街で攫われそうになったリオネルをシャルルが助けると、リオネルのシャルルを見る目が変わっていき、レオナードとの距離も縮まり始めた。
そんな折、リオネルの母だと言う者が現れ、波乱の予感が……
【完】瓶底メガネの聖女様
らんか
恋愛
伯爵家の娘なのに、実母亡き後、後妻とその娘がやってきてから虐げられて育ったオリビア。
傷つけられ、生死の淵に立ったその時に、前世の記憶が蘇り、それと同時に魔力が発現した。
実家から事実上追い出された形で、家を出たオリビアは、偶然出会った人達の助けを借りて、今まで奪われ続けた、自分の大切なもの取り戻そうと奮闘する。
そんな自分にいつも寄り添ってくれるのは……。
拾った指輪で公爵様の妻になりました
奏多
恋愛
結婚の宣誓を行う直前、落ちていた指輪を拾ったエミリア。
とっさに取り替えたのは、家族ごと自分をも売り飛ばそうと計画している高利貸しとの結婚を回避できるからだ。
この指輪の本当の持ち主との結婚相手は怒るのではと思ったが、最悪殺されてもいいと思ったのに、予想外に受け入れてくれたけれど……?
「この試験を通過できれば、君との結婚を継続する。そうでなければ、死んだものとして他国へ行ってもらおうか」
公爵閣下の19回目の結婚相手になったエミリアのお話です。
次期騎士団長の秘密を知ってしまったら、迫られ捕まってしまいました
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢で貴族学院2年のルミナスは、元騎士団長だった父親を8歳の時に魔物討伐で亡くした。一家の大黒柱だった父を亡くしたことで、次期騎士団長と期待されていた兄は騎士団を辞め、12歳という若さで侯爵を継いだ。
そんな兄を支えていたルミナスは、ある日貴族学院3年、公爵令息カルロスの意外な姿を見てしまった。学院卒院後は騎士団長になる事も決まっているうえ、容姿端麗で勉学、武術も優れているまさに完璧公爵令息の彼とはあまりにも違う姿に、笑いが止まらない。
お兄様の夢だった騎士団長の座を奪ったと、一方的にカルロスを嫌っていたルミナスだが、さすがにこの秘密は墓場まで持って行こう。そう決めていたのだが、翌日カルロスに捕まり、鼻息荒く迫って来る姿にドン引きのルミナス。
挙句の果てに“ルミタン”だなんて呼ぶ始末。もうあの男に関わるのはやめよう、そう思っていたのに…
意地っ張りで素直になれない令嬢、ルミナスと、ちょっと気持ち悪いがルミナスを誰よりも愛している次期騎士団長、カルロスが幸せになるまでのお話しです。
よろしくお願いしますm(__)m
異世界転移聖女の侍女にされ殺された公爵令嬢ですが、時を逆行したのでお告げと称して聖女の功績を先取り実行してみた結果
富士とまと
恋愛
公爵令嬢が、異世界から召喚された聖女に婚約者である皇太子を横取りし婚約破棄される。
そのうえ、聖女の世話役として、侍女のように働かされることになる。理不尽な要求にも色々耐えていたのに、ある日「もう飽きたつまんない」と聖女が言いだし、冤罪をかけられ牢屋に入れられ毒殺される。
死んだと思ったら、時をさかのぼっていた。皇太子との関係を改めてやり直す中、聖女と過ごした日々に見聞きした知識を生かすことができることに気が付き……。殿下の呪いを解いたり、水害を防いだりとしながら過ごすあいだに、運命の時を迎え……え?ええ?
崖っぷち令嬢の生き残り術
甘寧
恋愛
「婚約破棄ですか…構いませんよ?子種だけ頂けたらね」
主人公であるリディアは両親亡き後、子爵家当主としてある日、いわく付きの土地を引き継いだ。
その土地に住まう精霊、レウルェに契約という名の呪いをかけられ、三年の内に子供を成さねばならなくなった。
ある満月の夜、契約印の力で発情状態のリディアの前に、不審な男が飛び込んできた。背に腹はかえられないと、リディアは目の前の男に縋りついた。
知らぬ男と一夜を共にしたが、反省はしても後悔はない。
清々しい気持ちで朝を迎えたリディアだったが……契約印が消えてない!?
困惑するリディア。更に困惑する事態が訪れて……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる