アルカシア

槇村焔

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5章

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(今日は、大月の晩かなぁ…)

夜空に浮かぶ、眩しいほどの満月を仰ぎながら、静流はぼんやりとその輝きに目を細めた。

 アルジスと心を通わせてからも、神子としての重圧や周囲のめまぐるしい変化に追われ、一人でこうして一息つく余裕などなかった。こうしてのんびりと月を眺めて安息に息をつく時間は本当に久しぶりのことだった。

今、表面上のゼントフェレスは穏やかに見える。
しかし、大司教の予言は静かに、そして確実に的中しており、小さな災いが国のあちこちで起きていた。
それを完全に防ぐことはできず、犠牲も出てしまった。
静流はそのたびに胸を締めつけられるような痛みに襲われた。

未来が“見えていた”はずなのに、どうしても変えられなかった――。
聖樹ユグドの導く運命は、抗えば抗うほど無駄だとでもいうように被害が大きくなっていた。
「未来は変えられない」、大司教が告げた言葉が、あれからずっと静流の胸の奥に重く残っている。

(今日は…大月の晩かな)

 一人月を見ていると、少し気落ちしていた気持ちが浮上する。
アルジスもよく月を眺めていたが、同じように様々な重圧や声から解放されたかったから月を眺めていたのかもしれない。

「ーーこのまま、何事もなければいいのにな…」

静流がぽつりとこぼした途端、部屋の戸をこつん、と小さく叩く音が響いた。
ためらいがちで、遠慮がちなその音は、一人の時間のひとときの終わりを告げる合図のようだった。

静流は小さく息を吐き、未練を残しつつも立ち上がる。
扉をそっと開けると、そこにはジュペリアがいた。

「ちょっといいかしら?貴方に話があるの」
「話?」
「ええ、二人きりで」

ジュペリアの表情は張り詰めていて、どこか追い詰められたようにも見えた。
聖樹ユグドの件だろうか。もしくはアルジスか。
緊急の何かかもしれない、そう思いながらも、静流の心の奥には一抹のざわつきが走る。

(ついていくべきか…いや)

北の国へ向かう前、ジュペリアに陥れられ、媚薬を浴びたアルジスに無体を働かされそうになった過去がある。
けれど今の静流には、あの頃とは違う。彼女と対等に向き合えるだけの力がある。
いつまでも逃げ続けるわけにはいかない。

(昔はジュペリアさんのほうがずっと強かった。けど、俺も変わった。
もうあの頃の俺じゃない。彼女ともちゃんと話さなきゃ――彼女は、この世界にとって重要な人だから。
お互い、過去のままではいけない。向き合わないと……)

ジュペリアは、聖樹ユグドのことで静流と二人きりで話したいと言ってきた。
危険かもしれない――そう警戒はしたものの、彼女の思いつめた表情が気にかかり、静流は断ることができなかった。静流は、アルジスにも大司教にも告げずに、ジュペリアとの対話を決意する。

 ジュペリアが向かった先は、聖樹ユグドがある森だった。
夜の冷たい空気の中、枝葉の間からこぼれる月光が、森の奥を白く照らしている。
聖樹の根元を囲むように、無数のシルクの花が咲き乱れ、風に揺れていた。

ジュペリアはその光景の前で足を止め、しばし見入った。
そして、ふっと小さく吐息を漏らす。
その横顔には、いつもの鋭さはなく、どこか陰りが差していた。

「無用心なのね、神子様。
たった一人で私についてくるなんて。
私に殺されかけたのをお忘れなのかしら?」
「忘れてないよ。
あんたにはずっと危険な目にあわせられたし、嫌みもさんざん言われたしさ。
でも…ーージュペリアさん、泣きそうな顔してたし。おれもずっと貴方とふたりで話したいことがあったから」
「二人で?何?アルジス様と結ばれた報告でもしたいのかしら?私を見下したいと?
さっさと西の国に帰れとでもいいたいのかしら」

喧嘩腰にまくしたてるジュペリアに、静流は静かに首を振る。

「そうじゃない。
ただ、この間ジュペリアさんがフェンリルに話しかけてるの見たんだ。
すごいせっぱつまった顔してたから気になってーー」
「フェンリル…。ああ、あの子と話しているのを見たのね。
心配いらないわ。ずっと考えていたことを実現させるだけだもの。私の野望のため。あなたには関係ないわ」
「野望?アルジスには関係ある?」
「あるわよ。私はアルジス様のいいなづけだもの。あの方を愛しているから、ずっと支えていくつもりでーーー」
「本当に?」
「神子様は疑い深いのね」
「だって…あんたが本当にアルジスを好きだとは思えなかったから。
アルジスを振り回して、愛してもらうことで自分を繋ぎ止めているような感じがして。
あんたはアルジスを通して、別の誰かをみている気がしたんだ。
たとえば、アルジスのお兄さんとかさーーー」

短く鋭い問いかけに、ジュペリアの目がかすかに揺れた。
それは、一瞬のことで、すぐにまたいつもの高飛車な笑みが戻る。

そして、おもむろに一本のシルクの花を静流へ差し出した。
白く透き通る花弁は、月明かりを受けて冷たく光っている。

突然のことに戸惑いながらも、静流は素直にそれを受け取った。

「この花、ずっと好きだった花なの。あの人が。
ねぇ、神子様。貴方は北の国でお知りになったのよね。
瘴気の正体。
瘴気の正体は、聖樹ユグドが作った呪いだと。
そして、その呪いは、悪意あるものによって、この地に住む人々へ広めることができる。
その瘴気を浴びた人間を魔物が食べればより凶暴化し、いつしか人間の手には負えない魔物を作り出してしまうーー。呪いは、心の弱い人間を引き寄せてしまう。
ユグドは呪いを集めている。
そして、その聖樹ユグドを支えるのは神子だと。あの人も誘惑に負けて、聖樹ユグドの葉を食べてしまった。
この国で王は二人も存在してはいけない。
王位を脅かし、いつか殺されるものだからーーー。
危険すぎる存在は、抹殺されるべきだと。
あの人は殺される前に、禁止された薬を使った。
自分の力が及ばない人間を助けるために、使ってはいけない禁忌に手を出してしまったのよ。
自分の命を引き替えにして、誰かを助けたいと思うあの人が好きだった。たとえ、それが悪の道だったとしても。
花を愛でて、誰かの為に生きたいというあの人が私のすべてだった。
私のことを綺麗だと告げたあの人とみる景色が、私の大切な場所だった。
どんなに世界が平和になろうとも、私のあの好きな景色は二度と戻らない
どんなに世界が笑いに満ち溢れても、私はずっと取り除かれる。
ずっとあの人の過去を見てあの人の辛さはわかっていたのに、私は止められなかった。
私は愛する人を守れなかった。
力が足りず、本当に守りたい人を守れなかった。
過去を見通せる力があっても、彼を救えなかったことが私の最大の後悔」
ジュペリアはそういって、そっと目を伏せた。
「過去を見通せる力…ーー」
「今は使えない力よ」
「いまは?」
「私もまた呪いに蝕まれ力を奪われているということよ。
この聖樹ユグドがある限り、この世界は永遠に呪いに悩まされる。
だから、この木を枯らすことが、この世界を救う唯一の方法なのよ」
「で、でもこの木がなければこの世界は滅びるんじゃ」
「ええ。
だから、この木を消滅させ、変わりに聖樹ユグドよりもより強い神を作ればいい。
そうすれば、世界は正常に動く。
この世界を破滅に願う神がいるから、この世界は常に歪なの。
だから先代の神子、ユイトは聖樹ユグドに変わる神木になること、自分が犠牲になることを考えていた。
人々は、先代の神子ユイトを神に逆らった恐ろしい野蛮人のように言うけれど、本当は違うの。
諸悪の根源は、この木なのよ。
ユイトはただ一人、この木に抗い神のかわりとなってこの世界の歪をもとに戻そうとしていた。
でもね、聖樹ユグドに気づかれて台無しになってしまったの…ーー。
その身に呪いを受けてしまった。
聖樹ユグドを守ることが、本当にこの世界を救うことになるのか、私にはもうわからない。」

ジュペリアは深いため息をつく。
その吐息は冷たく、そして静かに夜気に溶けていった。
ジュペリアが顔をあげて静流を見据える。その瞳は深い紅に染まっていた。

「ジュペリアさん、その瞳…ーーー」
「私の身体も、精神ももうもたない。私もまた、ユイトのように、この世界に憎しみを抱いてしまった。
聖樹ユグドは、少しの油断も見逃さない。
次第に私の精神は聖樹ユグドによって、記憶をなくし精神を蝕んでいく。
だから、私は私であるうちに、死を望むの。
それが私の神への最後の抵抗なのよ」

そう言って、ジュペリアは懐から短剣を取り出し、刃を静流へと向けた。
その動きは穏やかで、まるで儀式の一部のようだった。

 にっこりと笑うその表情に、静流は息を呑み、一歩後ずさる。

「…ーーーっ」
「私の言う事、信じるも信じないもあなた次第。
人は簡単に嘘をつく。
簡単に裏切る。どんな相手であっても。
だから、覚えておいて。
本当に信じられる人のみ信じなさい。守りたい人だけを死ぬ気で守りなさい。何があっても。
あなたを大切に思い、あなたのために泣いてくれるひとを。
自分が大事にしている人を、最後まで守りなさい。
いいわね?」

その言葉を言い切った瞬間、ジュペリアは迷いなく短剣を自らの胸へ深く突き立てた。白い衣が瞬く間に血で真紅に染まっていく。
静流は慌てて駆け寄り、必死に回復魔法を使う。
だが、ジュペリアはその手を強く押さえた。

「…このまま死なせて」とーーー。

「でもーーー」
「本当に貴方はこんな時までユイトそっくりなのね。ずるいわよ。
最後くらい、とんでもないわるい女でいさせてほしいのに。死んで当然だと嘲笑ってほしいのに、こんな時まで切り捨ててくれない。
あなたといると、調子が狂うの。私の決意も揺らいでしまう。
だから、私は貴方が嫌いなのよ。
最後まで恨んでくれたら良かったのに。
さっさと死ねっていってくれたら。
そしたら、私も貴方を地獄の底まで呪って死んでやるわって笑って死ねるのにね。
ねぇ、もしも…、呪いがなかったら。もしも私がこの国にくるとこがなければーーー、すべて今更なのに、最後なのにどうしても、もしもがつきまとうの。あの時ああしたら、こうだったら…って。
駄目ね、私は。本当にーーー。本当に、最後の最後まで後悔ばかり」

ジュペリアの呼吸が細く、弱くなっていく。
その体は少しずつ温もりを失い、手足から冷たさが静かに広がっていった。
抗えない死の気配が、二人の間に重く降り積もる。

ジュペリアは泣きじゃくる静流の頬をそっとなぞる

「馬鹿ね、あなたは本当に」

微笑とも溜息ともつかぬ声が、ジュペリアの震える唇からこぼれる。

「ねぇ、神子様。
最後にお願い、聞いていただけないかしら」

ジュペリアの願いは、アルジスの兄の指輪がほしいというものだった。
静流がその指輪をそっと握らせると、ジュペリアの頬に一筋の涙が静かに滑り落ちる。
彼女は安堵したように微笑み、瞳をゆっくり閉じた。

「誰にも渡さない。この気持ちも、この記憶も。
全部。絶対にすべてを奪わせはしない。
たとえそれが、神が望んだことであろうともーー」

最後の力を振り絞り、ジュペリアは静流の耳元に唇を寄せる。

「えーーー」
「あとは貴方次第よ…ーーー神子様」

その囁きが途切れた瞬間、彼女の胸は二度と上下しなくなった。
静かに、そして永遠に、ジュペリアは事切れた。
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