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一章 一節 「行方不明」

1-1-6「混沌の末に」

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 どれほど揺蕩っているのだろうか。
 おそらく多くの処理が終わり、整然とした記録として思い出せるようになっている。

 記憶の処理が終わり、五感に意識を割けるようになったらしい。
 それは意識の中にぼんやりと立っている自分自身に気づいた。

 あたりを見回すが、意識してみると周りには何もなかった。
 いや、無かったのではない。
 存在しているが、それはすぐに形を変えるのだ。

 心地の良い明るさに身を置いていると、あの激動の時間が映画のように再生されていく。

 自分は、何かを殺したのだ。

 恐る恐る自分の手を見る。
 そこには変わらぬ自分自身の手。
 血液はおろか、傷一つ付いていない。

「はあ……」

 勢いよく倒れこむが、予想した痛みはやってこない。
 いつ自分は先ほどの世界に放り投げられるのだろうか。

「いや、放り投げないよ」

 自分でない声が意識を震わせる。

 その声の主を探さずとも、それは目の前にいた。

 いつから黄緑色の瞳と目が合っていたのか。
 実体はまじまじとそれを見て興味深そうな笑みを浮かべていた。

 白く短い髪に不釣り合いなお下げが揺れている。白い丸底眼鏡に、黒いリボン。
 どこかの制服だろうか、やはり白い洋服を着ている。

 全体的に白色を纏った実体が、そこにいた。
 

 実態は戸惑いなくそれに手を伸ばし、頬に触れた。

「えっ」

「おやあ、珍しい。実態があるね、ご主人様?」

 驚き動けないそれに対し、執拗に見回す実体。
 指が近づく。

 眼球を触ろうとした実体の腕を強く掴む。
 「あの」と不愉快そうに眉を顰めた。

「ご主人様じゃない」

「いんや、君はご主人様だよ。だってここにいるじゃない」

 強く掴まれたことなど無かったのように、するりと実体の腕が戻っていく。

 実体は椅子を取り出すと、足を組んで座る。
 そこに、椅子は無かった筈だが。

 何も言えずに居るそれを眺めながら、自由にしなさいと言いたげな二つの眼で着席を促す。
 それが後ろを振り返るとやはりそこには椅子があった。

 よく椅子を見るとそれは木造の椅子だった。
 自分の体格によく合った、自分のために生まれてきたような椅子だった。

 不思議な体験に慣れてきたようで、勧められたようにゆっくりと着席する。

「改めまして、ご主人様。ボクらは今お互いに欠けた同士なんだ」

 欠けた同士。つまり相互補完を呼びかける実態はそれの双眸を捉えて離さなかった。
 恐ろしいほど野心的な実体に不思議な感覚を覚える。

 ここにある自分以外の全てが実体に味方している。
 味方させられている。

 席を立ちあがることも、やはり覚醒することも出来ない。
 きっと聞かせるまでここから出られないのだろう。

 恐怖に似た、しかし恐怖ではない感情を抱きながらそれは静聴を選んだ。

「ボクは君に情報を与えよう。もちろん、ボクが知りうる範囲に限るけどね。でも他のオートマタくん達には負けないほど知識はあると思うよ」

 右手を上げ、「例えば」と続ける。
 右の手のひらを凝視すると、そこには一つ結晶があった。

 その結晶は四角錐を二つ組み合わせたような形をしていた。ちょうど正方形ができる面で完璧に固定されている。
 嗜好品のガーネットのような深い赤色に染まったその物体を実体は子供のように手で弄ぶ。

 突然の強い反射に思わず目を反らした。

「これが何か、教えてあげるよ」

 声の主は結晶を見ながら、それの様子に気づかないようにそう呟いた。
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