失語オメガと4人のアルファ

Aki

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第六話

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夜が明け、白み始めた空の冷たい光が、重い鉄扉の隙間から防音シートの内側へと差し込んでいた。


「……ん、っ……」


埃っぽいブルーシートの上で、幸広は力なく身を丸めた。
全身の骨が軋むような鈍い痛みと、下半身を焼き尽くすような気怠い熱。指先一つ動かす気力すら残っていない。幸広の身につけていたスポーツウエアは無残に乱れ、太ももから膝にかけては、勝也が容赦なく注ぎ込んだドロドロの白濁と愛液が混ざり合って、生々しくこびりついていた。


何度、あのノットに捕まり、最奥に熱を叩き込まれただろうか。
声を出すこともできず、ただ涙を流して痙攣するしかなかった夜の記憶が蘇り、幸広は屈辱に唇を噛み締めた。


「……佐藤。ほら、服着れるか?」


頭上から、ひどく甘く、穏やかな声が降ってくる。
見上げると、スウェット姿の勝也が、幸広のスポーツバッグから綺麗なタオルを取り出し、幸広の汗と涙に濡れた顔を優しく拭っていた。昨夜、獣のように幸広を蹂躙した男と同一人物とは思えないほどの、甲斐甲斐しい手つきだ。


(触るな……っ!)


心の中では激しく拒絶しているのに、限界までアルファのフェロモンを浴びせられ、オメガとして完全に『開発』されてしまった身体は、勝也の手が触れるだけでピクリと卑しい反応を示してしまう。


「ごめんな。最後の方は俺も歯止めが効かなくて……少し、痛くしすぎた。立てるか?」


勝也はそう言うと、抵抗できない幸広の身体を軽々と抱き起こし、下着とズボンを穿かせ始めた。まるで、大切にしている恋人を扱うようなその態度は、幸広にとって暴力そのものよりも恐ろしく、おぞましいものだった。


「これ。俺の連絡先」


勝也は幸広のバッグから勝手にスマホを取り出すと、自身の端末と連携させ、メッセージアプリの連絡先を交換してしまった。


「ブロックしたり、着信拒否したりするなよ? もし俺と連絡がつかなくなったら……心配になって、お前の大学やアパートまで探しに行っちゃうかもしれないからな」


心配、という言葉に巧妙に隠された『脅迫』。
幸広の背筋に、氷のような悪寒が走った。ここで彼を拒絶すれば、今度は大学の友人たち――あの穏やかな日常までもが、この狂ったアルファに壊されてしまう。


「……」


幸広は真っ青な顔のまま、コクンと小さく頷くことしかできなかった。
勝也は満足そうに微笑むと、幸広の額にチュッとキスを落とし、「またな」と告げて重い鉄扉を開け放った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……幸広? ねぇ、幸広ってば!」
「……っ!?」


大学のカフェテリア。肩をポンと叩かれ、幸広は弾かれたように顔を上げた。
目の前には、友人の田中杏奈が心配そうな顔をして覗き込んでいる。


「ど、どうしたの? ここ最近ずっと顔色悪いよ。ボーッとしてるし、目の下にクマできてるし……。体調悪いなら、無理して大学来なくていいのに」


幸広は慌てて首を横に振り、首から下げたホワイトボードにマーカーを走らせた。


『ごめん、ちょっと寝不足なだけ。大丈夫だよ』


そう書きながらも、幸広の心臓は服の下で嫌な音を立てていた。
ポケットに入れたスマホが、ブブッと短く震える。画面を見なくてもわかる。勝也からのメッセージだ。


あの日から数日。勝也からは毎日、決まった時間にLINEが届くようになった。


『おはよう。今日は大学か?』『ちゃんと飯食ってるか?』『今週末、空いてるか? 俺は現場が休みだから、お前の顔が見たい』


恋人面をした、吐き気がするほど優しいメッセージ。返信を無視すれば、数時間後には『どうした? 何かあったのか? 今から大学に行こうか』と追い打ちが来る。だから幸広は、恐怖に震えながらスタンプ一つで返事をするしかなかった。


逃げられない。その事実が、真綿で首を絞めるように幸広の精神を削り取っていた。


「……ほんとに大丈夫? あんた、なんか最近笑ってないっていうか、すっごく思い詰めてる顔してる」


杏奈はサバサバとした口調の中に、本気の心配を滲ませた。彼女の明るい優しさに触れると、幸広は泣き出してしまいそうになる。


「ねえ、もしよかったらさ、今週末パァーッと飲みに行かない? 気分転換!」


杏奈が身を乗り出し、声を弾ませた。


「実はさ、他大学との合同で、おっきい合コンがあるんだよね! 10対10の超大所帯! 男子の幹事が人数足りないから誰か呼んでって言っててさ。幸広、どう?」


『合コン』という単語に、幸広は目を瞬かせた。
ホワイトボードに文字を書き込む。


『俺が? でも、俺、喋れないし……。それに男だよ? 合コンなんて行ったら、場が盛り下がっちゃうよ』
「何言ってんの! 10対10だよ? そんな大人数だったら、端っこで黙ってご飯食べてる人が数人いたって全然バレないって! それに幸広、顔は無駄に良いんだから、座ってるだけで目の保養になるし!」


杏奈はケラケラと笑いながら、幸広の背中をバシッと叩いた。


「最近、幸広が塞ぎ込んでるから、私すっごく心配だったの。たまには知らない人たちとワイワイする空気の中にいた方が、気晴らしになるよ。ね、一緒に行こ!」


彼女の真っ直ぐな優しさが、胸に染みた。
確かに、このまま一人でアパートに引きこもって勝也からの連絡に怯え続けるよりは、誰かがいる騒がしい場所にいた方が、気が紛れるかもしれない。オメガである自分を隠し、ただの「声が出ない物静かな大学生」として、何も知らない人たちに紛れ込む。それは、今の幸広にとって一筋の光のように思えた。
幸広は少しだけ迷った後、小さく微笑んで頷いた。


『ありがとう。じゃあ、端っこで美味しいものだけ食べさせてもらうよ』
「よっしゃ! 決まりね! 絶対楽しませてあげるから!」




その週末。
駅前にある、薄暗い照明と賑やかな音楽が響く大型のダーツバー。そこが合コンの会場だった。


すでに女子側のメンバーと、男子側の数名が揃っており、フロアの奥のソファ席は熱気に包まれていた。幸広は杏奈の配慮で、一番奥の、周囲から目立たない壁際の席に座らせてもらっていた。


(……すごい人だな)


ジンジャーエールのグラスを手に、幸広は少しだけホッと息をついた。
周囲の人間から発せられるのは、ごく一般的なベータたちの匂いだけ。勝也のような、鼻を劈くアルファのフェロモンを持つ人間はいないようだ。
言葉を発さなくても、隣に座る杏奈がうまくフォローしてくれているおかげで、幸広は穏やかな気持ちでその場に溶け込むことができていた。


「ごめーん! 遅れた!」


その時、店の入り口のドアが開き、ドヤドヤと数人の男たちが入ってきた。他大学の、遅れてきた男子メンバーたちらしい。


「わりぃ! ちょっとゼミが長引いちゃってさ。みんなもう飲んでる?」
(……?)


その場をパッと明るくするような、よく通る声。チャラチャラとした軽い口調。
その声が耳に届いた瞬間、幸広の心臓が、ドクンッと嫌な音を立てて跳ね上がった。
背筋に、氷をすべらせたような悪寒が走る。


「おお、来た来た! こいつが俺らの幹事の、高橋!」
「高橋智也(たかはし ともや)です! 今日はよろしく!」


幸広は弾かれたように顔を上げた。
薄暗い照明の中、女子たちの前に立って人懐っこい笑顔を振りまいているその男。


一見すると今どきのチャラい大学生だが、服の上からでもわかるガッチリとした骨格。
間違いない。
高校時代、同じ柔道部で、仲が良かった同級生――あの日、勝也たちと共に幸広を狂ったように犯した四人のアルファの一人、高橋智也だった。


(なんで……っ、なんで智也が、ここに……!)


幸広は咄嗟に顔を伏せ、グラスを持つ手をガタガタと震わせた。
まさかこんな偶然で再会するなんて。


「あ、そっちの奥の席、空いてるじゃん。俺あそこ座るわ」


智也の声が近づいてくる。
足音が、幸広のすぐ斜め前の空席で止まった。


(気づかれるな、気づかれるな……っ!)


幸広は息を殺し、必死に気配を消した。
合コンの時間は二時間。なんとか顔を見られずに、接点を持たずにこの嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
勝也から逃げた先で、また別の過去の亡霊に捕まることだけは、絶対に避けなければならなかった。
幸広の長く苦しい『息潜め』の時間が、幕を開けた。
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