海線丘線

葦原蒼市

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4.海線のその先

丸町発、港公園行き

 ターミナルとその周辺の工事が終わり、トランジットモールも整備され、新キャンパスと新しい車庫もお目見えした。三月半ばである。その予感は前々からあったが、開業日の前倒しも明らかになった。「交通」に引っかけて、開業は五月二日。プレイベントは従って五月一日となる。
 新型の試運転の合間を縫って、旧型モハを移送する段取りも同様に固まっていたが、本体を自走させるのは困難ということで、動かすための動力車を別に用意する必要が生じた。連結器に間違いがなければ、という条件付きではあるが、当日に間に合ったのは何よりである。ただし、ここからはぶっつけ本番になる。
 四月末日。記念館、即ち丸町駅には、午後から住民有志や関係者が集まり、ささやかなお別れ会が執り行われていた。館内の賑やかさを他所に、移送の準備は進む。佐良が呼ばれたのは、丸町温泉口で方向を変えて動力車が戻ってきてしばらく経った時だった。
 業者の説明をもとに、庄が誘導する。
「車両は点検済み。線路も万全です。あとは連結して押させるだけです。佐良さんには運転席についてもらって、制御系とか見ておいてもらえれば」
 「じゃ、もう出発?」
 「一応予定時刻なので、そろそろ」
 徳久の挨拶もそこそこに一同は新装なったホームへと繰り出す。子供たちから花束を受け取ると、佐良はにこやかに運転台に立った。出で立ちこそ普段着だが、制帽の着用は忘れなかった。そして、亡き夫の懐中時計を台にセットする。
 連結器は鈍い音を立て、反応を確かめるように小休止した後、しっかりと動力を伝えてきた。
 「出発進行!」
 動力車に押されモハが動き出すと、ホームからはどこからともなく万歳が起こり、やがて大きな拍手へと変わった。佐良は振り返らなかった。ただ、正面を見据え、指差しと喚呼を繰り返していた。
 車内には、ライトレールの運転士、社員を中心とした動画撮影班、一部の工事関係者、庄をはじめとした協議会の数名、そして女性客。七見だけではない。舞と河南にも特別に同乗してもらった。皆、安全帽を着けての乗車である。
 緩やかなカーブ、なだらかな傾斜、丘線らしさをそのままに線路は甦った。薄明るい春の陽を浴びて光るその新しい鉄路の上を、年季の入った鉄輪が静かに辷って行く。懐かしい風景と見たことのない景色が入り混じる中、佐良はかつての呼吸を思い出しながら、停車駅を称呼する。
 「徳矢、停車」
 「いや、佐良さん、停まりませんから」
 「え? あ、通過」
 どこか緊張した雰囲気に包まれていた車内は一気に和んだ。緑色の帯が眩しい駅名標はゆっくりと後方に流れていく。
 「ハセショーさん、これずっと停まらないってこと?」
 「えぇ。徐行はしますが、海線の終点までは停車しません」
 「遅いけど特急ね。何だか夢みたいだわ」
 撮影スタッフと何人かの運転士、それに庄を除いては着席して、左右の景色を眺めている。河南ははじめのうちは車内を見回していたが、佐良の所作が気になり、いつしか運転席の傍に立っていた。
 「西平通過、よし! あら、河南ちゃん」
 「次、大学前です。あの、撮らせてもらっていいですか?」
 河南は携帯電話を取り出すと、目の前の車窓、運転席、近づく新駅、そして女性運転士と次々に撮影した。
 「伯父さん、お願い」
 モハが新駅をすり抜けるその瞬間、携帯電話のシャッター音が鳴った。佐良と河南の記念すべき一枚が記録された。

 上り列車で米市を過ぎると、かつては田園が広がり、心が安らいだものである。今は民家が其処此処に点在し、ライトレールを跨ぐ幹線道路もできた。
 「この辺りはずいぶんと変わったものね。でも何となく思い出すわ」
 干草、畦道、夕雲――当時の情景を思い浮かべつつ、佐良は改めて思う。
 『走ってた頃は当たり前だったけど、何もない広々したところをただ走るほど贅沢なものはないわね』
 「次は何駅ですか?」
 「昔の駅名なら、万堂ばんどうね。木造の古い駅でね、廃線後もしばらくは鉄道写真家がよく来たわ。その次は有泉ありいずみ新松しんまつ八幡はちまんと続いて、観光鉄道時代は駅南えきみなみが終点」
 「へぇ、どれも上品な感じがしますね」
 「名前だけ聞くと確かにね。でも、新松あたりは路地裏をすり抜けるみたいで冷や冷やしたし、八幡の参道は踏切がなかったから、やっぱり気を遣ったし、決してお上品には運転できなかったわ」
 「そうなんだ」
 河南は朗らかに応じ、再び携帯電話を車窓に向けた。沿道には人だかりができていて、それが被写体になっている。
 「あら、ずいぶんと人が増えてきたこと。昔はこの辺から併用軌道だったから、そのままだったら危なかったわね。モハもきっと驚いてるわ」
 ターミナルの南口に新たにできた二面三線の真ん中の線をゆっくりと進んでいく。低いホームを過ぎれば、JRの高架下、そして単線、さらにモールと続く。
 「あら、ここにも新しい駅? といっても安全地帯みたいなものね」
 「危なっかしい感じはしますが、歩行者との共存がポイントですからね。明日からは最徐行での運転になります」
 「今は全面通行止めなのね。でも一応、鳴らしましょう。河南ちゃん、そこのペダル踏んでみて」
 しばらく鳴らしていなかった警鈴が不意を衝かれたように音を発する。そのチリンチリンという連呼に車内一同は驚くが、佐良は涼しい顔のまま。が、それは見かけの話で、初めて見る光景に目を見張り、息を呑んでいたというのが実際である。

 平常運転による所要時間は四十分強を見込んでいるが、今回の移送では一時間弱を要した。港公園駅に着いた頃には、黄昏の淡い光が届き始めていた。
 「どうもおつかれ様でした。これでまた開業に向けて前進です」
 「いいえ、こちらこそ。すっかり楽しませてもらって。勘も戻ったから、明日は大丈夫よ」
 今はまだがらんとしたレールパークの一隅に人々は居て、影を長く伸ばしている。微笑み交わすその姿を見て、佐良は一層の安堵を覚える。明日はいい一日になりそうだ。
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