182年の人生

山碕田鶴

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1878ー1913 吉澤識

8-(3/4)

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「宮田さん、さすがに里心がついたのではありませんか。似て非なる人々に囲まれていると、益々異国に来たことを感じるばかりでしょう。酒では慰めになりませんか?」

 虚ろに私を見ていた宮田は、ややあって小さくうなずいた。

「ならば、別の手配をいたしましょうか。ご内密に願いたいが、ここは裏の看板を出しておりますので」

 立ち上がりかけた私の腕を宮田が掴んで制した。

「必要ない」

 語気が強い。だが、すぐに我に返ったように恐縮した。

「……すみません、吉澤さん。確かに飲み過ぎました。貴方といると気が緩んでいけません。今夜のことは忘れて下さい」
「そうですか。では、忘れるといたしましょう。今宵のことも。この先も」
「え?」

 宮田の驚く顔には隙しかなかった。

「貴方は、何をご所望になりますか?」

 腕を掴んだままの宮田を見据えて、静かに訊いた。
 なあ、宮田。お前の心の奥底には何が隠れている?  お前の本心はどこにある?

「あ……」

 言いかけた宮田の口の動きが止まる。宮田は目を逸らすこともできずに私を見つめたまま、掴む手の力だけが強くなっていった。
 気持ちが弱っている人間は、つけ込まれやすい。心を揺さぶられやすい。感情を読まれやすい。
 お前は、酒を飲むなら独りが向いているな。
 私は、かすかに震える指の一本一本を丁寧に腕から外した。

「貴方はずいぶんと酔われているようだ」

 吉澤さん、貴方がしばらく居てくれれば、それでいい。
 宮田は声には出していない。その目が、そう告げた。
 うなずく私を宮田は不思議そうに見ている。
 なぜわかったのか。なぜ意を汲み願いを聞き入れられたのか。
 混乱し動揺したまま、私が触れたところだけが静かに熱を帯び始める。
 お前はそうして警戒を解き、心を溶かす。目の前の男こそ自分を真に理解し、信用に値する存在だと錯覚する。
 声に出せぬ願いを聞き届けるというのは、そういうことだ。請われて叶えてやるよりも遙かに深い信頼を生む。
 相手の一挙手一投足に気を巡らせ、わずかな変化も見逃さない。深く知ろうと間を詰め探り、相手の信頼を得るための偽善で臨む。
 色恋の駆け引きと何が違うというのか。
 相手を知り尽くしてこそ得られる情報を求めるならば、恋情にも似た心緒を抱かせても不思議はないだろう。
 許せ、宮田。私は、お前にさえこんなことをしている。
 お前を探る必要はどこにもない。私が第二部から通達されたのは、情報提供しろということだけだ。たとえお前が山本に与しても、それは私には関わりのないことだ。
 だが、これが私の性質だ。
 常に疑え。仲間こそ疑え。相対あいたいする者全てに、気づけば疑いの目を向けている。
 そして、知りたい。目の前にある全てを。そこに隠れている全てを。私が触れる事象の全てを知りたい。
 求めるのは親密さや愛情ではない。知ることこそが私にとっての最大の欲求であり快楽なのだ。
 職務上知る必要もなく立ち入ってはならない線引きはわきまえているつもりだ。だが、他人の心の内ならば黙って覗き見てもとがめられはしまい。そのための偽装には労を厭わない。
 今の私はお前にどう映っている? 一民間人の情報提供者がお前を心配しているように見えるか? お前に情を移したように見えるか?
 お前との関係は全てが偽りだ。お前は遊び友達として悪くないが、これはあくまで作りものの友情だ。お前とのつきあいは表面上でしかない。
 お前が私に親密さを感じてくれるほどに、私は自分の偽装が成功していることを確信し、喜びすら感じるのだ。
 だから、これも私にとって偽装のうちだ。
 ただそれだけのことだ。
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