182年の人生

山碕田鶴

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1974ー2039 大村修一

38-(1/2)

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 その夜、私は視線と気配を感じて目を覚ました。社員寮の、ほぼ何もない部屋である。寝ている私の足元にはっきりと黒い影が立っている。
 死神か⁉︎
 緊張で血の気が引いた。速まる鼓動が全身に危機を告げている。
 いや、やつは遠藤の身体に閉じ込められ、拘置所に閉じ込められ、決してここに来ることはできないはずだ。落ち着け。冷静になれ。
 黒い影はゆらゆらと煙のように流れながら近づくと、私に覆い被さってきた。

「シキ」

 名を呼ばれたと思った瞬間、私の意識は暗く沈んだ。

 シキ……シキ……

 私を求める声が聞こえる。
 目を開けると、死神が私を見下ろしていた。
 私は何もなくただ明るい空間に横たわっている。ああ、これは夢だ。私の意識の空間だ。
 死神は私に顔を近づけて微笑んだ。
 黒い影のままではあるが、人間のような頭や腕の形がなんとなくわかる。顔立ちははっきりしないが表情を感じる。視覚以外の直感的な何かが死神の笑顔を認識している。最後に見た遠藤の姿を投影して、私の意識がそう見せているだけかもしれない。

「久しいな。やっと見つけたぞ。お前、俺を呼んだだろう?  わざわざ来てやったのだ。もっと喜べ」
「呼んだ?」

 はっとして、嬉しそうな死神から目をそむけた。

 カイ……。

 死神のことを考えて、私は確かにその名を呼んでいた。

「拘置所から出られないのになぜここにいる?」
「人間の魂と同じだ。幽体離脱やら生き霊のようなものだ。おおもとは肉体に縛られたままであっても、意識はいくらでも広げられる。お前の場合、肉体という頑丈な家にこもっているから厄介だが、俺の名を呼ぶのは玄関口の鍵を渡すに等しいことだからな。こうして夢の中まで来てやれるようになったのだ」

 肉体に繋がったままの状態で意識だけを飛ばしているのか。これまで視線を感じてきたのも、かつて秋山の足元に影が現れた時も同じか。

「お前の夢の中に入った方がやはり電波状況がいいな。ほら、さっきよりはっきりと俺がわかるだろう?」
「あ……」

 腕らしき影が私の頬に伸びて、かすかに触れた。
 死の恐怖と魂が満たされる歓喜と。その両方が同時に私を襲い、全身が打ち震える。その姿を死神は満足そうに眺めている。

「一度繋がれば、毎日でも夜這いに来られる。退屈だったから丁度いい」
「来てもただの生き霊だろう? 今のお前は私をどうにもできない」
「そうか? こうして触れて、お前を喜ばせてやることはできる。それに、この世への執着を剥がせばお前は自らここを去るだろう?  お前が望むならこの世の仕組みを見せてやってもいいぞ。どうせあの世へ行けば皆知るのだ。今すぐ謎を解きたくはないか?」
「お前は毎日よほど暇とみえるな。安っぽい誘い文句で私を落とそうなど、俗世にまみれるとはまさにお前のための言葉だ。死神が聞いて呆れる」
「せっかく来てやったというのに、相変わらずつれないな。退屈だとは言ったが、あいにく俺は忙しい。人間として生きながら、仕事は今までどおりだ。お前とばかり遊んでいられるわけではないぞ」
「忙しいならわざわざ来るな」
「なんだ? 拗ねているのか。お前はわかりやすいな、シキ。俺と遊びたいのなら、もっと俺を呼べ。名を呼ぶほどに俺はお前の内に刻まれる。欲しいなら、お前の全てが俺になるまで俺を呼べ」

 黒い影がまとわりつく。
 直接触れることなく表面をかすめていくだけの軌跡に、ぞくりと粟立つ刺激が残る。
 耳元で低くささやく声が響いた。

「安心しろ。夜這いはお前だけだ、シキ。肉の内まで押し入って引きずり出さねばならないのはお前だけだからな。お前は特別なのだ」

 絡みつく言葉に支配される感覚は暗示に似ていた。見えない手が私の思考を奪っていく。

「なあシキ。この世では肉の快楽を魂の快楽と勘違いするらしいが、お前はどうだ? 今の身体は快適か? 肉だけで満足できるか? 私なら魂の快楽を与えてやれるぞ」

 支配されてばならない。
 ふうと深く息を吐いて、私の内を撫でまわす影を追い出した。
 だが、つまらなそうに離れる死神を見た途端に喪失感さえ生まれている。嫌な笑い方で私を見透かす死神から視線をそらしながら、己が快楽に依存しやすいタチであることに苦笑した。

「お前、やはり暇なのだろう。忙しいならもう帰れ。だいたい、そんなにフラフラ出歩けるなら遠藤の肉体をさっさと捨てて新たな人生を始めればよかろう」
「無理を言うな。この世に生まれるからには、魂と肉体の固着は厳格なのだ。そうでなければ安全基準を満たせないだろう。お前はシートベルトのないジェットコースターに乗れるのか?」
「……」

 死神からジェットコースターなどという単語が出るとは思わなかったが、私も死神も長らくこの世に在り続けている。時代に即したたとえではあろう。
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