182年の人生

山碕田鶴

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1974ー2039 大村修一

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 死神といえども、人間として生まれれば肉体に囚われるのか。それを承知でこの死神は私のもとへやって来るのだ。
 なんとも職務に忠実なことだ。

「魂と肉体が強固に繋がっていると言うが、私はお前を弾き飛ばした。他の人間の魂も……追い出した」
「そう。お前はいわばシステムの不具合だ。相手に隙がなければさすがに魂を引き剥がすなど無理だろうが、既に三度肉体を奪った」
「修一は……まだ子供だった」
「そうだ。お前は遠藤よりもよほど罪人だな、シキ。だがお前は誰にも罰せられることはない。罰を受けて罪を償うことはできないのだ。もちろんあの世で罪は問われない。すなわち、みそぎがない。無罪放免とは違うぞ。自分の行いは取り消せないということだ。履歴は消せない。誰が忘れようとも記憶は魂に刻まれ、己を構成する情報の一部となって永遠に残り続けるのだ」
「この世で反省や更生をした人間でもか?」
「更生した人間は過去を忘れるのか?  反省のない人間が、それを記憶に残していないのか?  この世を離れれば薄れた記憶も感覚も鮮明になって己に戻ってくる。逃れることはできない。ただし、善悪の判断はこの世のものだ。俺は関与しない」
「そういう……意味か」

 この世の罪はあの世で問われない。
 他者に問われるまでもなく、自身に刻まれた消せない記憶が重くのしかかるということか。

「俺はこの世の罪人だろうが善人だろうが、死者を回収するだけだ。その先のことはあの世で訊け」
「……だが、罪の意識を持たない罪人はいるだろう? 反省などしない人間もいるぞ?」
「逃げ得だと言いたいのか? それもこの世の問題だ。俺に訊くな」

 面倒だというふうに私をあしらいながらも、私が納得しないでいるのを見た死神は話をそこで終わらせることはしなかった。
 こいつはつくづく律儀なやつだ。

「いいか、この世で魂は肉をまとい自他の区別をつけている。それでも魂どうしは繋がり混ざろうとする。そういう性質なのだ。他人と関わればその名残のように相手の念が魂にこびりつく。お前の言うような加害者に対する恨みは特に強い念となる。呪いの作法など知らずとも、悪感情は相手にのしかかるのだ。肉体が滅びようとも魂についた念が剥がれるわけではないから、呪われた魂は重過ぎてあの世へ上がることができない。そのままこの世をさまよううちに魂が消滅することもあるし、それ以前に念が魂を崩壊させることさえある。この世でのいさかいの最悪の顛末だ。生者が知ることはなかろうから逃げ得だなどと考えても仕方ないが、俺が回収できなかった魂は山ほどあるぞ。これは罰か? 当然の報いか? では、魂を呪い壊した相手は悪か? この世の善悪ではどう判断されるのだ?」
「……」

 死神の問いはこの世の視座を超えていて、私には答えることができなかった。答えを期待されてもいないだろう。
 死神から見れば私はあまりにも小さな存在だ。畏怖の念すら覚えるこの相手から、それでも私は逃げようとしているのか。思わず溜息が出た。

「シキ、お前は他人から責められ、痛みを感じて修一の罪を償った気になりたいのか? 己の内に積もりゆく罪の意識を捨て去ることができなくて辛いのだろう? 罪の意識は重く、押し潰されるほどか? ならば安子に会えばよかろう。安子に罵倒してもらえ。それでお前の気が済むだろう」

 修一と安子に対する申し訳なさは決して消えることがなかった。安子にどれだけ責められ罵倒されても、それは当然のことだ。
 だが、それでこの世を去る気にはならない。私は自分が生きるために罪を犯した。この世で生きる私には反省も後悔もありえないのだ。
 死神が私を非難する様子はない。すっと伸びた腕が、私の頭上に近づく。

「シキ。わかっているだろう? お前が生き続けようとする限り、後悔はできないのだ。お前は自らの意思で赦されない存在となった。楽になろうと思うな。言い訳を探しながら生きるな。魂を無駄に汚すな」

 死神に魂を包まれる感覚に、自然と涙が溢れた。

「修一はすぐにあの世へ向かった。子供の魂は軽やかだ。この世への執着も少ない。安子に恨まれるとすれば、お前より俺であろうな。安子は修一の魂を身体に戻そうと必死だった。それを引き離してあの世へ送ったのだからな。残念だが、自己を保てなくなった状態で肉体に戻るのは無理なのだ。たとえ肉体から出ずにいられたとて、あれでは廃人同然だ。もはや元に戻ることは叶わない」

 死神はただ事実を伝えているだけだ。
 だが、それはまるで私の心に寄り添い慰めを与えるかのように感じられて、ひどく戸惑った。
 私は自分に都合良く解釈しているに違いない。私は慰めが欲しかったのか……。
 なんとも身勝手なものだな。死神に満たされ癒しを得る資格などないだろう。
 溢れる涙を止める手立てがないまま、頬を拭おうとした腕を影が制した。

「魂に呪いや恨みがこびりつくように、祈りもまた魂を包む。古来人間はそうして故人の安寧を念じ、魂を守ってきた。お前には罪を償う機会はない。ならばせめてあの世での安寧を祈ってやれ。誰からの祈りであろうと、その念は修一の魂に力を与えることになる」
「カイ……」
「ひとつお前に教えてやる。いいか、この世は一度きりではない。望めばまた来ることができる」

 私は目を覚ました。社員寮の部屋に一人横たわり、暗闇には誰の気配もない。
 死神の感触がわずかに腕に残っている。
 カイ……。
 私は癒しを与えられたのか? 慈悲の輝きを宿した黒い影に包まれ、私は死神の慰めを受けたのか?
 誰からも罰せられず、積み上がる罪悪感を内に抱え続けるしかない私に、わずかな救いを許してくれたのか?
 私は生き続けたい。後悔は偽善だ。言い訳は許されない。
 私はひとり泣き続けていた。
 修一への懺悔ではなく、ただ彼の魂の安寧と来世での健勝を祈って、泣いた。



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