182年の人生

山碕田鶴

文字の大きさ
132 / 200
2039ー2043 相馬智律

65-(4/4)

しおりを挟む
「リツ、大丈夫だ。心配するな。お前は素直にカイに従っていればいい。後で褒めてもらえるぞ」
「後で?」
「あれは何度でも生まれて来る。死神だからな」 
「しに、がみ? 人間……じゃないってことですか?」
「そうだ。いや、外側は人間だが。……人間の身体に死神の魂が入っている」
「死神……」

 カイは、私を狩るためにこの世で人間として生きる死神なのだ。お前を利用していると売店で言ったのは、私をこの世から消す手伝いをさせているという意味だ。
 カイは私を消すために、これまで何度も何度でも現れた。今回もどうせろくなことはしない。今さらだ。
 リツは、わかったようなわからないような、ただ了解はしたという顔でうなずいた。

「……それでも、あなたはカイを待っている」
「そうだな。あれがいないと生きている実感が湧かない」
「ふふっ。変なの」

 リツが小さく笑った。
 スクリーンの笠原も微笑んでいた。お前、普通に笑えたのか。

『……リツ。メモの用意はいいか? シキはそこにいるか? お前はシキを見る。シキに触れて、思い出す。私の声を思い出して、シキに伝える。メモに書く。簡単だ』

 重ねていたリツの手がこわばった。スクリーンを見たまま、リツは笠原がゆっくりと語りかける言葉を繰り返すように声にした。

「思い出す……シキに……伝える……メモに……書く」

 リツがペンを取った瞬間、高瀬と立会人たちに緊張が走った。リツを囲むように集まって来て、ペン先を注視している。
 昨日は、何も起きなかった。
 カイから私へのメッセージであることは明白だ。
 リツは独り言のように話し始めた。

「……シキ。BS社の人格移植は完成している。外見や声を完全模倣したアンドロイドを作り、個人が生前残したデジタルデータを総動員して性格や行動パターンをプログラムする。どこから見ても本人だ。だが、それだけなら極秘実験など必要なかろう。大村の人体実験の本質はそこではない。BS社が裏でやっているのはただの『人格移植』ではない。『全脳エミュレーション』だ」

 全脳……エミュレーション……か。
 BS社の社員が明らかに動揺している。他の立会人も戸惑っている。
 当然だ。全脳エミュレーションは、人間の脳そのものを丸ごとコンピュータ上に再現する技術だ。人工知能ではなく、人工脳。大村の脳のコピーで思考するアンドロイドなら、当然大村の人格が再現される。そういう理屈だ。
 肉体から脳を直接取り出して機械に移植するグロテスクなものではないが、方向性は同じだろう。
 今は大村個人の話だが、技術が確立すればそれは個人の人格を超え、人類の知能を機械に与えることを意味する。人工脳を使えば、人間のように考えて処理ができる汎用AIが作れるはずなのだ。
 では、どうやって人工脳を作るか。人間の脳の「スキャン・アンド・コピー」だ。大村の脳を薄切りにして構造を読み取っていくことを実際にやったとしか考えられない。
 最初に見せられた動画では全脳エミュレーションについていっさい語られていない。人工脳の実験は極秘中の極秘ということだ。
 だが、予備知識を持って見ればすぐに理解するはずだ。BS社が作ったアンドロイドには人工脳が搭載されている。イオンの大村は従来の方法で人格データを移植しただけだ。二体は大村の再現度を確認するための比較実験なのだ。

「脳を人工的に再現しても本人にはならない。シキ、お前ならわかるだろう? それでも、大村と同じことは既に行われた。それで人間は生き続けていることになるらしい」

 同じことが行われた? 大村の他にも人工脳のアンドロイドを作ったのか?
 立会人たちがさらに動揺している。高瀬も戸惑っている。
 会議室は異様な空気に包まれていた。
 カイはいったい何をしたのか。何をするつもりなのか。

「なあ、シキ。こいつは死なれると困るのか? この世を動かす人間なのか?」

 リツはそこまで言うと、机に置かれた紙を見つめたまましばらく動かなかった。

「……メモ……書く……」

 ペンを持つリツの手が動き始めた。

 [……は、全脳エミュレーションのアンドロイドだ。]

「カイ⁉︎」

 思わずイスから立ち上がった私は、リツに近づこうとする早川と目が合った。

「来るな早川! 動くな! 見るな!」

 机に覆いかぶさり叫ぶ私を早川は立ちつくしたまま呆然と見ていた。
 立会人たちは黙ってその様子を見ていた。
 誰も、何も言わない。
 ……こいつらは、知っている。
 一般国民にとって、この人間個人の生死はたいした問題ではない。だが、政財界や軍ひいては国家間のパワーバランスにおいて不在が知られれば世界的動乱の引き金を引きかねない世界の要ともいうべき人間がアンドロイドに置きかわっている。
 私は、国家機密に触れたのだ。
 隣国の……大陸の国家元首がアンドロイド⁉︎
 全くの部外者である私が、いっさい知る必要のない情報を知った。
 手術の担当でもなく、国家間の取引きに関わりもなく、相手に与える見返りを何ひとつ持たない私が、不釣り合いに一方的に情報を得てしまった。
 なぜこんな重要機密を私に伝えた⁉︎
 BS社の社員とあの議員は、最大の情報漏洩を危惧してわざわざ来たということか?
 ここはNH社の裏部門だ。大村の人体実験が問題にならなかったように、笠原の死が事件にならなかったように、研究員が一人消えたところで話題にすらならないだろう。
 高瀬はわずかな動揺を隠し、無表情に私を見下ろしていた。
 きっと高瀬も知らなかったに違いない。だが、この男と私とでは立場が違う。高瀬は巻き込まれたのだろうが、元々機密を扱ってきた人間だ。情報共有が許されてもおかしくはない。
 だが、私は?
 BS社の社員ではない。人格移植にはいっさい関わっていない。NH社が総力をあげて開発してきたイオンの生みの親である大村でもない。ただのアンドロイド研究者、相馬だ。
 リツは何が起きたかわからない様子で、自分が書いた文字を見つめていた。
 誰も、その場を動かなかった。
 カイ……ずいぶんと手が込んでいるではないか。全て予定調和か?
 カイは本当にろくなことをしない。
 私を狩るためにリツを、相馬の魂を利用した。BS社も、NH社も、ただ利用した。
 私を消す。
 目的は、ただそれだけだ。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

見えない戦争

山碕田鶴
SF
長引く戦争と隣国からの亡命希望者のニュースに日々うんざりする公務員のAとB。 仕事の合間にぼやく一コマです。 ブラックジョーク系。

月夜想曲

山碕田鶴
現代文学
月夜に出会うアタシとあなた。 自由詩的小説です。 (表紙絵/山碕田鶴)

日当たりの良い借家には、花の精が憑いていました⁉︎

山碕田鶴
ライト文芸
大学生になった河西一郎が入居したボロ借家は、日当たり良好、広い庭、縁側が魅力だが、なぜか庭には黒衣のおかっぱ美少女と作業着姿の爽やかお兄さんたちが居ついていた。彼らを花の精だと説明する大家の孫、二宮誠。銀髪長身で綿毛タンポポのような超絶美形の青年は、花の精が現れた経緯を知っているようだが……。 (表紙絵/山碕田鶴)

神スキル【絶対育成】で追放令嬢を餌付けしたら国ができた

黒崎隼人
ファンタジー
過労死した植物研究者が転生したのは、貧しい開拓村の少年アランだった。彼に与えられたのは、あらゆる植物を意のままに操る神スキル【絶対育成】だった。 そんな彼の元に、ある日、王都から追放されてきた「悪役令嬢」セラフィーナがやってくる。 「私があなたの知識となり、盾となりましょう。その代わり、この村を豊かにする力を貸してください」 前世の知識とチートスキルを持つ少年と、気高く理知的な元公爵令嬢。 二人が手を取り合った時、飢えた辺境の村は、やがて世界が羨む豊かで平和な楽園へと姿を変えていく。 辺境から始まる、農業革命ファンタジー&国家創成譚が、ここに開幕する。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

くらげ のんびりだいぼうけん

山碕田鶴
絵本
波にゆられる くらげ が大冒険してしまうお話です。

アララギ兄妹の現代怪異事件簿

鳥谷綾斗(とやあやと)
ホラー
「令和のお化け退治って、そんな感じなの?」 2020年、春。世界中が感染症の危機に晒されていた。 日本の高校生の工藤(くどう)直歩(なほ)は、ある日、弟の歩望(あゆむ)と動画を見ていると怪異に取り憑かれてしまった。 『ぱぱぱぱぱぱ』と鳴き続ける怪異は、どうにかして直歩の家に入り込もうとする。 直歩は同級生、塔(あららぎ)桃吾(とうご)にビデオ通話で助けを求める。 彼は高校生でありながら、心霊現象を調査し、怪異と対峙・退治する〈拝み屋〉だった。 どうにか除霊をお願いするが、感染症のせいで外出できない。 そこで桃吾はなんと〈オンライン除霊〉なるものを提案するが――彼の妹、李夢(りゆ)が反対する。 もしかしてこの兄妹、仲が悪い? 黒髪眼鏡の真面目系男子の高校生兄と最強最恐な武士系ガールの小学生妹が 『現代』にアップグレードした怪異と戦う、テンション高めライトホラー!!! ‎✧ 表紙使用イラスト……シルエットメーカーさま、シルエットメーカー2さま

処理中です...