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2039ー2043 相馬智律
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「リツ、大丈夫だ。心配するな。お前は素直にカイに従っていればいい。後で褒めてもらえるぞ」
「後で?」
「あれは何度でも生まれて来る。死神だからな」
「しに、がみ? 人間……じゃないってことですか?」
「そうだ。いや、外側は人間だが。……人間の身体に死神の魂が入っている」
「死神……」
カイは、私を狩るためにこの世で人間として生きる死神なのだ。お前を利用していると売店で言ったのは、私をこの世から消す手伝いをさせているという意味だ。
カイは私を消すために、これまで何度も何度でも現れた。今回もどうせろくなことはしない。今さらだ。
リツは、わかったようなわからないような、ただ了解はしたという顔でうなずいた。
「……それでも、あなたはカイを待っている」
「そうだな。あれがいないと生きている実感が湧かない」
「ふふっ。変なの」
リツが小さく笑った。
スクリーンの笠原も微笑んでいた。お前、普通に笑えたのか。
『……リツ。メモの用意はいいか? シキはそこにいるか? お前はシキを見る。シキに触れて、思い出す。私の声を思い出して、シキに伝える。メモに書く。簡単だ』
重ねていたリツの手がこわばった。スクリーンを見たまま、リツは笠原がゆっくりと語りかける言葉を繰り返すように声にした。
「思い出す……シキに……伝える……メモに……書く」
リツがペンを取った瞬間、高瀬と立会人たちに緊張が走った。リツを囲むように集まって来て、ペン先を注視している。
昨日は、何も起きなかった。
カイから私へのメッセージであることは明白だ。
リツは独り言のように話し始めた。
「……シキ。BS社の人格移植は完成している。外見や声を完全模倣したアンドロイドを作り、個人が生前残したデジタルデータを総動員して性格や行動パターンをプログラムする。どこから見ても本人だ。だが、それだけなら極秘実験など必要なかろう。大村の人体実験の本質はそこではない。BS社が裏でやっているのはただの『人格移植』ではない。『全脳エミュレーション』だ」
全脳……エミュレーション……か。
BS社の社員が明らかに動揺している。他の立会人も戸惑っている。
当然だ。全脳エミュレーションは、人間の脳そのものを丸ごとコンピュータ上に再現する技術だ。人工知能ではなく、人工脳。大村の脳のコピーで思考するアンドロイドなら、当然大村の人格が再現される。そういう理屈だ。
肉体から脳を直接取り出して機械に移植するグロテスクなものではないが、方向性は同じだろう。
今は大村個人の話だが、技術が確立すればそれは個人の人格を超え、人類の知能を機械に与えることを意味する。人工脳を使えば、人間のように考えて処理ができる汎用AIが作れるはずなのだ。
では、どうやって人工脳を作るか。人間の脳の「スキャン・アンド・コピー」だ。大村の脳を薄切りにして構造を読み取っていくことを実際にやったとしか考えられない。
最初に見せられた動画では全脳エミュレーションについていっさい語られていない。人工脳の実験は極秘中の極秘ということだ。
だが、予備知識を持って見ればすぐに理解するはずだ。BS社が作ったアンドロイドには人工脳が搭載されている。イオンの大村は従来の方法で人格データを移植しただけだ。二体は大村の再現度を確認するための比較実験なのだ。
「脳を人工的に再現しても本人にはならない。シキ、お前ならわかるだろう? それでも、大村と同じことは既に行われた。それで人間は生き続けていることになるらしい」
同じことが行われた? 大村の他にも人工脳のアンドロイドを作ったのか?
立会人たちがさらに動揺している。高瀬も戸惑っている。
会議室は異様な空気に包まれていた。
カイはいったい何をしたのか。何をするつもりなのか。
「なあ、シキ。こいつは死なれると困るのか? この世を動かす人間なのか?」
リツはそこまで言うと、机に置かれた紙を見つめたまましばらく動かなかった。
「……メモ……書く……」
ペンを持つリツの手が動き始めた。
[……は、全脳エミュレーションのアンドロイドだ。]
「カイ⁉︎」
思わずイスから立ち上がった私は、リツに近づこうとする早川と目が合った。
「来るな早川! 動くな! 見るな!」
机に覆いかぶさり叫ぶ私を早川は立ちつくしたまま呆然と見ていた。
立会人たちは黙ってその様子を見ていた。
誰も、何も言わない。
……こいつらは、知っている。
一般国民にとって、この人間個人の生死はたいした問題ではない。だが、政財界や軍ひいては国家間のパワーバランスにおいて不在が知られれば世界的動乱の引き金を引きかねない世界の要ともいうべき人間がアンドロイドに置きかわっている。
私は、国家機密に触れたのだ。
隣国の……大陸の国家元首がアンドロイド⁉︎
全くの部外者である私が、いっさい知る必要のない情報を知った。
手術の担当でもなく、国家間の取引きに関わりもなく、相手に与える見返りを何ひとつ持たない私が、不釣り合いに一方的に情報を得てしまった。
なぜこんな重要機密を私に伝えた⁉︎
BS社の社員とあの議員は、最大の情報漏洩を危惧してわざわざ来たということか?
ここはNH社の裏部門だ。大村の人体実験が問題にならなかったように、笠原の死が事件にならなかったように、研究員が一人消えたところで話題にすらならないだろう。
高瀬はわずかな動揺を隠し、無表情に私を見下ろしていた。
きっと高瀬も知らなかったに違いない。だが、この男と私とでは立場が違う。高瀬は巻き込まれたのだろうが、元々機密を扱ってきた人間だ。情報共有が許されてもおかしくはない。
だが、私は?
BS社の社員ではない。人格移植にはいっさい関わっていない。NH社が総力をあげて開発してきたイオンの生みの親である大村でもない。ただのアンドロイド研究者、相馬だ。
リツは何が起きたかわからない様子で、自分が書いた文字を見つめていた。
誰も、その場を動かなかった。
カイ……ずいぶんと手が込んでいるではないか。全て予定調和か?
カイは本当にろくなことをしない。
私を狩るためにリツを、相馬の魂を利用した。BS社も、NH社も、ただ利用した。
私を消す。
目的は、ただそれだけだ。
「後で?」
「あれは何度でも生まれて来る。死神だからな」
「しに、がみ? 人間……じゃないってことですか?」
「そうだ。いや、外側は人間だが。……人間の身体に死神の魂が入っている」
「死神……」
カイは、私を狩るためにこの世で人間として生きる死神なのだ。お前を利用していると売店で言ったのは、私をこの世から消す手伝いをさせているという意味だ。
カイは私を消すために、これまで何度も何度でも現れた。今回もどうせろくなことはしない。今さらだ。
リツは、わかったようなわからないような、ただ了解はしたという顔でうなずいた。
「……それでも、あなたはカイを待っている」
「そうだな。あれがいないと生きている実感が湧かない」
「ふふっ。変なの」
リツが小さく笑った。
スクリーンの笠原も微笑んでいた。お前、普通に笑えたのか。
『……リツ。メモの用意はいいか? シキはそこにいるか? お前はシキを見る。シキに触れて、思い出す。私の声を思い出して、シキに伝える。メモに書く。簡単だ』
重ねていたリツの手がこわばった。スクリーンを見たまま、リツは笠原がゆっくりと語りかける言葉を繰り返すように声にした。
「思い出す……シキに……伝える……メモに……書く」
リツがペンを取った瞬間、高瀬と立会人たちに緊張が走った。リツを囲むように集まって来て、ペン先を注視している。
昨日は、何も起きなかった。
カイから私へのメッセージであることは明白だ。
リツは独り言のように話し始めた。
「……シキ。BS社の人格移植は完成している。外見や声を完全模倣したアンドロイドを作り、個人が生前残したデジタルデータを総動員して性格や行動パターンをプログラムする。どこから見ても本人だ。だが、それだけなら極秘実験など必要なかろう。大村の人体実験の本質はそこではない。BS社が裏でやっているのはただの『人格移植』ではない。『全脳エミュレーション』だ」
全脳……エミュレーション……か。
BS社の社員が明らかに動揺している。他の立会人も戸惑っている。
当然だ。全脳エミュレーションは、人間の脳そのものを丸ごとコンピュータ上に再現する技術だ。人工知能ではなく、人工脳。大村の脳のコピーで思考するアンドロイドなら、当然大村の人格が再現される。そういう理屈だ。
肉体から脳を直接取り出して機械に移植するグロテスクなものではないが、方向性は同じだろう。
今は大村個人の話だが、技術が確立すればそれは個人の人格を超え、人類の知能を機械に与えることを意味する。人工脳を使えば、人間のように考えて処理ができる汎用AIが作れるはずなのだ。
では、どうやって人工脳を作るか。人間の脳の「スキャン・アンド・コピー」だ。大村の脳を薄切りにして構造を読み取っていくことを実際にやったとしか考えられない。
最初に見せられた動画では全脳エミュレーションについていっさい語られていない。人工脳の実験は極秘中の極秘ということだ。
だが、予備知識を持って見ればすぐに理解するはずだ。BS社が作ったアンドロイドには人工脳が搭載されている。イオンの大村は従来の方法で人格データを移植しただけだ。二体は大村の再現度を確認するための比較実験なのだ。
「脳を人工的に再現しても本人にはならない。シキ、お前ならわかるだろう? それでも、大村と同じことは既に行われた。それで人間は生き続けていることになるらしい」
同じことが行われた? 大村の他にも人工脳のアンドロイドを作ったのか?
立会人たちがさらに動揺している。高瀬も戸惑っている。
会議室は異様な空気に包まれていた。
カイはいったい何をしたのか。何をするつもりなのか。
「なあ、シキ。こいつは死なれると困るのか? この世を動かす人間なのか?」
リツはそこまで言うと、机に置かれた紙を見つめたまましばらく動かなかった。
「……メモ……書く……」
ペンを持つリツの手が動き始めた。
[……は、全脳エミュレーションのアンドロイドだ。]
「カイ⁉︎」
思わずイスから立ち上がった私は、リツに近づこうとする早川と目が合った。
「来るな早川! 動くな! 見るな!」
机に覆いかぶさり叫ぶ私を早川は立ちつくしたまま呆然と見ていた。
立会人たちは黙ってその様子を見ていた。
誰も、何も言わない。
……こいつらは、知っている。
一般国民にとって、この人間個人の生死はたいした問題ではない。だが、政財界や軍ひいては国家間のパワーバランスにおいて不在が知られれば世界的動乱の引き金を引きかねない世界の要ともいうべき人間がアンドロイドに置きかわっている。
私は、国家機密に触れたのだ。
隣国の……大陸の国家元首がアンドロイド⁉︎
全くの部外者である私が、いっさい知る必要のない情報を知った。
手術の担当でもなく、国家間の取引きに関わりもなく、相手に与える見返りを何ひとつ持たない私が、不釣り合いに一方的に情報を得てしまった。
なぜこんな重要機密を私に伝えた⁉︎
BS社の社員とあの議員は、最大の情報漏洩を危惧してわざわざ来たということか?
ここはNH社の裏部門だ。大村の人体実験が問題にならなかったように、笠原の死が事件にならなかったように、研究員が一人消えたところで話題にすらならないだろう。
高瀬はわずかな動揺を隠し、無表情に私を見下ろしていた。
きっと高瀬も知らなかったに違いない。だが、この男と私とでは立場が違う。高瀬は巻き込まれたのだろうが、元々機密を扱ってきた人間だ。情報共有が許されてもおかしくはない。
だが、私は?
BS社の社員ではない。人格移植にはいっさい関わっていない。NH社が総力をあげて開発してきたイオンの生みの親である大村でもない。ただのアンドロイド研究者、相馬だ。
リツは何が起きたかわからない様子で、自分が書いた文字を見つめていた。
誰も、その場を動かなかった。
カイ……ずいぶんと手が込んでいるではないか。全て予定調和か?
カイは本当にろくなことをしない。
私を狩るためにリツを、相馬の魂を利用した。BS社も、NH社も、ただ利用した。
私を消す。
目的は、ただそれだけだ。
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