境界のクオリア

山碕田鶴

文字の大きさ
2 / 65

2.遭遇 一

しおりを挟む
   ……聞こえるか?  おい?

   誰かが呼んでいる。

   ……おい?

   ここには何もない。
   僕はいない。存在しない。
   誰も僕を知らない。誰も僕を気にしない。

   おい……

「おい!」

   はっと我に返った晴久はるひさは、自分が呼ばれていることに気づいた。
   意識が朦朧としていて体が動かない。目の前がぼんやりとして焦点が合わない。
   商業ビルに囲まれた鉄道駅前のペデストリアンデッキ広場だ。電光掲示板やビルを彩るネオンの光を浴びながら流れてゆく人々の片隅で、晴久はベンチに座っていた。
   歩道も周辺の飲食店も賑やかさを増す平日十九時過ぎは、夜の活気に満ちた時間だ。

「聞こえているか?」

   顔を上げた晴久は、声の主と目が合った。
   確か、ベンチの隣で電話をしていた人だ。
   三十代半ばだろうか。気難しそうなサラリーマン風の男は、迷惑そうにもう一度「聞こえているか」と尋ねた。
   顔が、近い。
   息遣いまで感じる距離で、黒い瞳が晴久の怯えに困惑している。
   晴久は、自分が男の肩に頭を寄せてもたれかかり、黒いジャケットをつかんでいることを理解した。

「うわっ。すみません、人違いです、間違えました!」

   自分でも何が人違いかわからない。気が動転していた。
   ばっとベンチから立ち上がると、逃げるようにその場を離れようとした。だが、足がもつれてそのままベンチに倒れ込む。
   意識が戻りきっていない状態に混乱が拍車をかけて、思考がまとまらない。
   男が肩と腕を支えてくれたのはわかる。自分が男に寄りかかっているのもわかる。周りが騒がしくなってきたのもわかった。
   かなり派手に転んだようだ。

「大丈夫?」
「救急車呼びます?」

   周りにいた何人かが男に訊いている。

「おい、大丈夫か?  どうする?」

   今度は男が晴久に訊いた。

「大丈夫……です。ちょっとフラフラしただけです。なんでもないですから」

   完全に支えられながら晴久は答えた。

「そうか。でも、周りが騒がしくなっているぞ」

   男はのんびりと言った。
   晴久と男の周囲で心配そうに見守る人がちらほらといる。その後ろで、事情がわからずこちらを覗く人、何かあるのかと通りすがりに視線を送る人……注目を浴びているのは確かだ。

「大丈夫ですか?  顔色悪そうですよ」

   親切そうな女性が晴久の肩に手を触れた。  
   その瞬間、晴久の体がこわばった。
   しまった!
   反射的に手を払いのけようとしたのを意思で抑えつけ、謝意だけは伝えようとしたのを男の言葉が遮った。

「いや、大丈夫です。知り合いですから」
「あら?  あなた、ひょっとして……」
「人違いです」

   その声に遠くからの視線がさらに集まる。

「え?」
「あれって……」

   何やら男の方にも注目が集まり始めている。
   男は晴久の耳元に顔を寄せた。

「歩けるか?  とりあえずここを離れる」

   小声で話すと晴久を抱えるようにして立ち上がらせた。

「君も一緒に来るか?」

   男は晴久に確認した。

「はい。行きます」

   まだぼんやりとした頭で、晴久はとりあえず返事をしていた。
   状況が全くわからないけれど、周囲の目は気になる。目立つことはしたくない。この場を離れた方が良さそうだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

日当たりの良い借家には、花の精が憑いていました⁉︎

山碕田鶴
ライト文芸
大学生になった河西一郎が入居したボロ借家は、日当たり良好、広い庭、縁側が魅力だが、なぜか庭には黒衣のおかっぱ美少女と作業着姿の爽やかお兄さんたちが居ついていた。彼らを花の精だと説明する大家の孫、二宮誠。銀髪長身で綿毛タンポポのような超絶美形の青年は、花の精が現れた経緯を知っているようだが……。 (表紙絵/山碕田鶴)

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

『 ゆりかご 』 

設楽理沙
ライト文芸
  - - - - - 非公開予定でしたがもうしばらく公開します。- - - - ◉2025.7.2~……本文を少し見直ししています。 " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。 ―――― 「静かな夜のあとに」― 大人の再生を描く愛の物語 『静寂の夜を越えて、彼女はもう一度、愛を信じた――』 過去の痛み(不倫・別離)を“夜”として象徴し、 そのあとに芽吹く新しい愛を暗示。 [大人の再生と静かな愛] “嵐のような過去を静かに受け入れて、その先にある光を見つめる”  読後に“しっとりとした再生”を感じていただければ――――。 ――――            ・・・・・・・・・・ 芹 あさみ  36歳  専業主婦    娘:  ゆみ  中学2年生 13才 芹 裕輔   39歳  会社経営   息子: 拓哉   小学2年生  8才  早乙女京平  28歳  会社員  (家庭の事情があり、ホストクラブでアルバイト) 浅野エリカ   35歳  看護師 浅野マイケル  40歳  会社員 ❧イラストはAI生成画像自作  

見えない戦争

山碕田鶴
SF
長引く戦争と隣国からの亡命希望者のニュースに日々うんざりする公務員のAとB。 仕事の合間にぼやく一コマです。 ブラックジョーク系。

182年の人生

山碕田鶴
ホラー
1913年。軍の諜報活動を支援する貿易商シキは暗殺されたはずだった。他人の肉体を乗っ取り魂を存続させる能力に目覚めたシキは、死神に追われながら永遠を生き始める。 人間としてこの世に生まれ来る死神カイと、アンドロイド・イオンを「魂の器」とすべく開発するシキ。 二人の幾度もの人生が交差する、シキ182年の記録。 『月のトカゲを探す者』第一部(全三部)。 (表紙絵/山碕田鶴)  

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

モテ男とデキ女の奥手な恋

松丹子
恋愛
 来るもの拒まず去るもの追わずなモテ男、神崎政人。  学歴、仕事共に、エリート過ぎることに悩む同期、橘彩乃。  ただの同期として接していた二人は、ある日を境に接近していくが、互いに近づく勇気がないまま、関係をこじらせていく。  そんなじれじれな話です。 *学歴についての偏った見解が出てきますので、ご了承の上ご覧ください。(1/23追記) *エセ関西弁とエセ博多弁が出てきます。 *拙著『神崎くんは残念なイケメン』の登場人物が出てきますが、単体で読めます。  ただし、こちらの方が後の話になるため、前著のネタバレを含みます。 *作品に出てくる団体は実在の団体と関係ありません。 関連作品(どれも政人が出ます。時系列順。カッコ内主役) 『期待外れな吉田さん、自由人な前田くん』(隼人友人、サリー) 『初恋旅行に出かけます』(山口ヒカル) 『物狂ほしや色と情』(名取葉子) 『さくやこの』(江原あきら) 『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい!』(阿久津)

処理中です...