34 / 65
34.真意 一
しおりを挟む
夜勤明けのぼんやりした頭で、晴久は陽射しの強い窓辺に揺れるレースのカーテンを見ていた。
波、みたいだな……。
布団に入ったものの眠気のピークを過ぎてしまい、眠るに眠れない。
必要最低限の物さえ揃っていないような殺風景な部屋で、唯一テーブルに飾っている絵をつかんで寝転がった。
明美が手帳に描いてちぎった落書きのような絵。
石崎から預かった消耗品のギターピックと明美の絵は、晴久が初めて手に入れた形ある宝物だ。
絵を眺めながら、晴久は自分の内のモヤモヤした気持ちも眺めていた。
僕は他人と関わるのが怖い。
表面的に社会生活を送れるくらいのことはできるようになった。自分から、もっと関わりたいと思えるようにもなった。
存在の全てが欲しい。そう強く望む相手がいる。
それなのに、どうしても近づけない。
僕の心は近づくことを怖がって遠くに隠れている。きっちりと引いた境界線の内側で、ひとり寂しく安心している。
思い出すのは、闇の中より暗い黒。ただそこにいるだけで人目を惹く存在感。不機嫌にも見える気難しそうな顔で、つまらなそうに僕に声をかける姿。
うつむいて黒髪が少し頬にかかるのを僕はまともに見られない。なぜかぞくりと粟立つ感覚に、水底に引きずりこまれて沈む自分を思う。
僕のことに無関心で拒絶の目を向けたかと思えば、静かな声が僕を引き寄せる。
もし、その唇が僕の名の軌跡を描いたら……。
想像して、またぞくりとする。
歓喜にはほど遠い絶望。
晴久は、速まる鼓動をそのままに布団に突っ伏した。
「ムリだな……。ハ、ル、ヒ、サ……」
心臓が痛い。
僕は、あなたに名前を呼ばれる勇気がない。
ライブハウスでギターを弾く石崎は、晴久が全く知らない別人のようだった。
それも含めて石崎さん、だよな。
……ササイシンって、誰だろう。
検索すればきっと何か出るはずだ。でも、知れば益々遠くなる気がする。直接訊かないのにこっそり調べるのも気が引ける。
気になるなら訊いていい。そう言っていたけれど、そもそも石崎さんは僕にササイと呼ばせない。
ササイシンは僕とは無縁の存在だということではないのか。
答えの出ない思考を繰り返し、繰り返し、戻れなくなる前に振り出しに戻る。
……ずっと石崎さんのことを考えているな。
学生が夏休みの時期になると、施設の面会に孫やひ孫が多くなる。少し賑やかな雰囲気が入居者を笑顔にする。
「あら、かわいいねえ。ボクいくつ?」
小さな子供を見て車椅子から声をかける百歳のキヨは、面会者を笑顔にする。フロア全体がいつもより穏やかだ。
キヨにも孫家族が面会に来ていた。帰り際にフロア長と話している。
「婆ちゃんアタシらのことはもう忘れちゃってて仕方ないんですけど、南大東島の思い出もなくなっちゃったんですかねえ。旅行で行ったから写真見せに来たのに、これは違うって怒って。今はこんなだよって言っても全然ダメで……」
晴久は、面会が終わったキヨを部屋に連れて行くため車椅子を押した。
「佐藤君。南大東島ってご存知?」
キヨが機嫌良く話しかけてきた。
「一面サトウキビ畑でね、海も。……」
「……キヨさん?」
キヨはそれ以上何も言わなかった。
晴久は、キヨを抱きかかえて車イスからベッドへの移動を介助する。男でも気をつけないと腰を痛める重労働だ。
高齢者は少し体をこすっただけで酷い内出血になることもあるので、常に細心の注意が必要だ。
「佐藤君はいっつも優しいねえ。ありがとうねえ。ああ、南大東島ってご存知? いいところなのよ」
今日も僕は佐藤君だな。
キヨの前で晴久はいつも佐藤君だ。
「キヨさんは南大東島、また行きたいですか?」
ふと訊いてみた。ベッドに横になったキヨは、穏やかな笑顔で床頭台を指差した。施設に来た時から飾ってある古い風景写真だ。
「私の南大東島よ」
一瞬、キヨの心にかかった霧の先を見た気がした。キヨの言う南大東島は思い出の中にあるということか。
見返すと、いつもどおりふわふわと曖昧な笑顔で晴久を見ている。
本意も真意もわからない。それでもキヨはそう言ったような気がした。
キヨの知っている南大東島と、家族の見た南大東島は違う。どちらも本物なのに、同じではない。
キヨにとって大切なものは、もう過去の自分の記憶の中しかないのだろうか。
波、みたいだな……。
布団に入ったものの眠気のピークを過ぎてしまい、眠るに眠れない。
必要最低限の物さえ揃っていないような殺風景な部屋で、唯一テーブルに飾っている絵をつかんで寝転がった。
明美が手帳に描いてちぎった落書きのような絵。
石崎から預かった消耗品のギターピックと明美の絵は、晴久が初めて手に入れた形ある宝物だ。
絵を眺めながら、晴久は自分の内のモヤモヤした気持ちも眺めていた。
僕は他人と関わるのが怖い。
表面的に社会生活を送れるくらいのことはできるようになった。自分から、もっと関わりたいと思えるようにもなった。
存在の全てが欲しい。そう強く望む相手がいる。
それなのに、どうしても近づけない。
僕の心は近づくことを怖がって遠くに隠れている。きっちりと引いた境界線の内側で、ひとり寂しく安心している。
思い出すのは、闇の中より暗い黒。ただそこにいるだけで人目を惹く存在感。不機嫌にも見える気難しそうな顔で、つまらなそうに僕に声をかける姿。
うつむいて黒髪が少し頬にかかるのを僕はまともに見られない。なぜかぞくりと粟立つ感覚に、水底に引きずりこまれて沈む自分を思う。
僕のことに無関心で拒絶の目を向けたかと思えば、静かな声が僕を引き寄せる。
もし、その唇が僕の名の軌跡を描いたら……。
想像して、またぞくりとする。
歓喜にはほど遠い絶望。
晴久は、速まる鼓動をそのままに布団に突っ伏した。
「ムリだな……。ハ、ル、ヒ、サ……」
心臓が痛い。
僕は、あなたに名前を呼ばれる勇気がない。
ライブハウスでギターを弾く石崎は、晴久が全く知らない別人のようだった。
それも含めて石崎さん、だよな。
……ササイシンって、誰だろう。
検索すればきっと何か出るはずだ。でも、知れば益々遠くなる気がする。直接訊かないのにこっそり調べるのも気が引ける。
気になるなら訊いていい。そう言っていたけれど、そもそも石崎さんは僕にササイと呼ばせない。
ササイシンは僕とは無縁の存在だということではないのか。
答えの出ない思考を繰り返し、繰り返し、戻れなくなる前に振り出しに戻る。
……ずっと石崎さんのことを考えているな。
学生が夏休みの時期になると、施設の面会に孫やひ孫が多くなる。少し賑やかな雰囲気が入居者を笑顔にする。
「あら、かわいいねえ。ボクいくつ?」
小さな子供を見て車椅子から声をかける百歳のキヨは、面会者を笑顔にする。フロア全体がいつもより穏やかだ。
キヨにも孫家族が面会に来ていた。帰り際にフロア長と話している。
「婆ちゃんアタシらのことはもう忘れちゃってて仕方ないんですけど、南大東島の思い出もなくなっちゃったんですかねえ。旅行で行ったから写真見せに来たのに、これは違うって怒って。今はこんなだよって言っても全然ダメで……」
晴久は、面会が終わったキヨを部屋に連れて行くため車椅子を押した。
「佐藤君。南大東島ってご存知?」
キヨが機嫌良く話しかけてきた。
「一面サトウキビ畑でね、海も。……」
「……キヨさん?」
キヨはそれ以上何も言わなかった。
晴久は、キヨを抱きかかえて車イスからベッドへの移動を介助する。男でも気をつけないと腰を痛める重労働だ。
高齢者は少し体をこすっただけで酷い内出血になることもあるので、常に細心の注意が必要だ。
「佐藤君はいっつも優しいねえ。ありがとうねえ。ああ、南大東島ってご存知? いいところなのよ」
今日も僕は佐藤君だな。
キヨの前で晴久はいつも佐藤君だ。
「キヨさんは南大東島、また行きたいですか?」
ふと訊いてみた。ベッドに横になったキヨは、穏やかな笑顔で床頭台を指差した。施設に来た時から飾ってある古い風景写真だ。
「私の南大東島よ」
一瞬、キヨの心にかかった霧の先を見た気がした。キヨの言う南大東島は思い出の中にあるということか。
見返すと、いつもどおりふわふわと曖昧な笑顔で晴久を見ている。
本意も真意もわからない。それでもキヨはそう言ったような気がした。
キヨの知っている南大東島と、家族の見た南大東島は違う。どちらも本物なのに、同じではない。
キヨにとって大切なものは、もう過去の自分の記憶の中しかないのだろうか。
1
あなたにおすすめの小説
日当たりの良い借家には、花の精が憑いていました⁉︎
山碕田鶴
ライト文芸
大学生になった河西一郎が入居したボロ借家は、日当たり良好、広い庭、縁側が魅力だが、なぜか庭には黒衣のおかっぱ美少女と作業着姿の爽やかお兄さんたちが居ついていた。彼らを花の精だと説明する大家の孫、二宮誠。銀髪長身で綿毛タンポポのような超絶美形の青年は、花の精が現れた経緯を知っているようだが……。
(表紙絵/山碕田鶴)
お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。
「だって顔に大きな傷があるんだもん!」
体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。
実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。
寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。
スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。
※フィクションです。
※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。
一億円の花嫁
藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。
父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。
もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。
「きっと、素晴らしい旅になる」
ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが……
幸か不幸か!?
思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。
※エブリスタさまにも掲載
『 ゆりかご 』
設楽理沙
ライト文芸
- - - - - 非公開予定でしたがもうしばらく公開します。- - - -
◉2025.7.2~……本文を少し見直ししています。
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
――――
「静かな夜のあとに」― 大人の再生を描く愛の物語
『静寂の夜を越えて、彼女はもう一度、愛を信じた――』
過去の痛み(不倫・別離)を“夜”として象徴し、
そのあとに芽吹く新しい愛を暗示。
[大人の再生と静かな愛]
“嵐のような過去を静かに受け入れて、その先にある光を見つめる”
読後に“しっとりとした再生”を感じていただければ――――。
――――
・・・・・・・・・・
芹 あさみ 36歳 専業主婦 娘: ゆみ 中学2年生 13才
芹 裕輔 39歳 会社経営 息子: 拓哉 小学2年生 8才
早乙女京平 28歳 会社員
(家庭の事情があり、ホストクラブでアルバイト)
浅野エリカ 35歳 看護師
浅野マイケル 40歳 会社員
❧イラストはAI生成画像自作
182年の人生
山碕田鶴
ホラー
1913年。軍の諜報活動を支援する貿易商シキは暗殺されたはずだった。他人の肉体を乗っ取り魂を存続させる能力に目覚めたシキは、死神に追われながら永遠を生き始める。
人間としてこの世に生まれ来る死神カイと、アンドロイド・イオンを「魂の器」とすべく開発するシキ。
二人の幾度もの人生が交差する、シキ182年の記録。
『月のトカゲを探す者』第一部(全三部)。
(表紙絵/山碕田鶴)
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
モテ男とデキ女の奥手な恋
松丹子
恋愛
来るもの拒まず去るもの追わずなモテ男、神崎政人。
学歴、仕事共に、エリート過ぎることに悩む同期、橘彩乃。
ただの同期として接していた二人は、ある日を境に接近していくが、互いに近づく勇気がないまま、関係をこじらせていく。
そんなじれじれな話です。
*学歴についての偏った見解が出てきますので、ご了承の上ご覧ください。(1/23追記)
*エセ関西弁とエセ博多弁が出てきます。
*拙著『神崎くんは残念なイケメン』の登場人物が出てきますが、単体で読めます。
ただし、こちらの方が後の話になるため、前著のネタバレを含みます。
*作品に出てくる団体は実在の団体と関係ありません。
関連作品(どれも政人が出ます。時系列順。カッコ内主役)
『期待外れな吉田さん、自由人な前田くん』(隼人友人、サリー)
『初恋旅行に出かけます』(山口ヒカル)
『物狂ほしや色と情』(名取葉子)
『さくやこの』(江原あきら)
『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい!』(阿久津)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる