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第一章 穀雨
(2)穀雨 二
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翌朝、僕はさっそく大家さんを訪ねてみた。
何ごとも先延ばしは良くない。というよりも、幽霊説をさっさと潰して安心したかった。
「あの、こちらにお孫さん同居されていますか? 昨日の夜、庭に立っている人がいて……もしかしたらって思ったんですけど」
大家さんは驚く様子もなく、ニコニコと対応してくれた。
「マコですかな。いやあ、河西さん申し訳ない。うちには河西さんと年の近い孫が一人おるんですが、ご迷惑かけてしまったようで。もう入らんようにきつく言っておきますんで」
「あ、いえ、不審者とかじゃなければいいんです」
幽霊じゃなければいいんです。
「河西さんが入る前、しばらく空き家だった時にマコが庭の手入れをしておったんですよ。前の借主さんが作った花壇が残っていたものでね。ああ、もちろん今は河西さんの家ですから、庭は好きにして下さって構わんですよ」
「ありがとうございます。あの、今お孫さんは……」
昨日は怖くてまともに話せなかったから、改めて挨拶くらいしておきたかった。
「来る途中に会いませんでしたか? たった今、ゴミ出しルール変更のお知らせを一軒ずつ配りに行ってもらったところで。その辺におると思いますよ」
そう言われたものの、家に戻るまでのわずかな距離に人影はなかった。
少しがっかりして玄関前に着くと、庭に少女が立っていた。
昨夜と同じ、黒いワンピースのおかっぱ頭の美少女だ。
「マコちゃん!」
僕は思わず呼びかけた。
「はぁ?」
思いきり嫌そうな返事をしたのは、少女ではなく、彼女と一緒にいた男の方だった。
誰?
「いきなり失礼だな。なれなれしく呼ばないでもらえますか?」
見目麗しい少女と並んでも全く遜色のない、細身で長身でモデルみたいな青年が僕をにらんだ。ふわふわした銀色の短髪が、風になびいている。
初対面だが、どこか見覚えが……
「あ、タンポポか」
思わず口に出してしまった。
まさにタンポポの綿毛を連想させる容姿だった。
言われた青年は一瞬さらに嫌そうな顔をしたが、そこは完全にスルーした。
絶対言われ慣れているに違いない。
「失礼しました。僕は、ここの入居者の河西一郎と申します。ところで、どちら様で?」
青年が、さらに嫌そうな顔をした。
「お前が今なれなれしく呼んだだろう。大家の孫の二宮誠です」
「え? だって、大家さんの孫のマコちゃんって……」
タンポポ男の隣には、黒衣のおかっぱ美少女が確かにいる。
僕が指さした方をちらりと見て、誠は少し驚いたように言った。
「お前もしかして。見えて……」
誠と目が合った瞬間、いけないことを悟ってしまった。
「うわー! いいですっ言わないで! 聞かないから言わないで!」
世の中、知らない方が幸せなこともある。これは確実に怖い展開だ。
僕は、耳を手で塞いで敷地の外へ逃げ出していた。
「おい、ここはお前の家だろう。戻って来いよ」
道路で固まっている僕に向かって誠が手招きしている。その横にいた、マコちゃんだったはずの少女はいない。
あれ? また消えた?
おずおずと敷地に入っていくと、誠の隣に再び少女が現れた。
「……」
「お前、これが見えるのか?」
「見えません」
「いや、見てるだろ」
僕は力なくうなずいた。三度目の引っ越しが頭をよぎる。
「お世話になりました。僕ここに住むのは無理です、絶対無理です……」
僕の落胆ぶりを黙って見ていた誠は、天を仰いでため息をついた。
「安心しろ。幽霊じゃないから」
「でも、今も見えたり消えたり……昨日も急にいなくなって……」
「昨日も見たのか?」
誠が少女を見ると、少女は嬉しそうにうなずいていた。
「とにかく、これは幽霊じゃなくて精霊だ。慣れれば怖くない」
「精霊?」
キク、と誠は少女を呼んで目配せする。少女は静かに僕の目の前まで来た。
「キクと申します」
「あ、はい、河西一郎と申します」
やっぱりきれいな子だな。
つい見入っていると、キクの手が伸びていきなり抱きついてきた。
「ぎゃーっ!」
僕はキクを引きずったまま後ずさりした。重さは感じないのに、しがみつく感触だけははっきりとある。
なにこれ⁉︎
敷地の外に出た瞬間、キクの姿も感触も消えた。
「また消えた……」
「ふむ」
誠は何かに納得したようだ。
「こっちに戻って来ないのか?」
「あの、戻ったらキクちゃんがしがみついていたりしませんか?」
「キクなら俺の横にいる」
僕が敷地内に戻るのをためらっていると、誠の方からゆっくりと近寄ってきた。
「今わかる範囲でお前の置かれた状況を説明してやる。引っ越しを考えるのはそれからでも遅くないだろう?」
僕はうなずくしかなかった。
説明だけはしてほしい。信じるかどうかはそれから考えればいい。いや、でも、怖いのはパスしたい。
今はとにかく誠を頼ろう。とりあえず大家の孫だし、少なくとも僕みたいにこの状況を怖がってはいない。
「よろしくお願いします、マコちゃん」
「お前、気安くマコちゃんて呼ぶなよ」
頼りになりそうだが、頼らせてくれるかはわからなかった。
何ごとも先延ばしは良くない。というよりも、幽霊説をさっさと潰して安心したかった。
「あの、こちらにお孫さん同居されていますか? 昨日の夜、庭に立っている人がいて……もしかしたらって思ったんですけど」
大家さんは驚く様子もなく、ニコニコと対応してくれた。
「マコですかな。いやあ、河西さん申し訳ない。うちには河西さんと年の近い孫が一人おるんですが、ご迷惑かけてしまったようで。もう入らんようにきつく言っておきますんで」
「あ、いえ、不審者とかじゃなければいいんです」
幽霊じゃなければいいんです。
「河西さんが入る前、しばらく空き家だった時にマコが庭の手入れをしておったんですよ。前の借主さんが作った花壇が残っていたものでね。ああ、もちろん今は河西さんの家ですから、庭は好きにして下さって構わんですよ」
「ありがとうございます。あの、今お孫さんは……」
昨日は怖くてまともに話せなかったから、改めて挨拶くらいしておきたかった。
「来る途中に会いませんでしたか? たった今、ゴミ出しルール変更のお知らせを一軒ずつ配りに行ってもらったところで。その辺におると思いますよ」
そう言われたものの、家に戻るまでのわずかな距離に人影はなかった。
少しがっかりして玄関前に着くと、庭に少女が立っていた。
昨夜と同じ、黒いワンピースのおかっぱ頭の美少女だ。
「マコちゃん!」
僕は思わず呼びかけた。
「はぁ?」
思いきり嫌そうな返事をしたのは、少女ではなく、彼女と一緒にいた男の方だった。
誰?
「いきなり失礼だな。なれなれしく呼ばないでもらえますか?」
見目麗しい少女と並んでも全く遜色のない、細身で長身でモデルみたいな青年が僕をにらんだ。ふわふわした銀色の短髪が、風になびいている。
初対面だが、どこか見覚えが……
「あ、タンポポか」
思わず口に出してしまった。
まさにタンポポの綿毛を連想させる容姿だった。
言われた青年は一瞬さらに嫌そうな顔をしたが、そこは完全にスルーした。
絶対言われ慣れているに違いない。
「失礼しました。僕は、ここの入居者の河西一郎と申します。ところで、どちら様で?」
青年が、さらに嫌そうな顔をした。
「お前が今なれなれしく呼んだだろう。大家の孫の二宮誠です」
「え? だって、大家さんの孫のマコちゃんって……」
タンポポ男の隣には、黒衣のおかっぱ美少女が確かにいる。
僕が指さした方をちらりと見て、誠は少し驚いたように言った。
「お前もしかして。見えて……」
誠と目が合った瞬間、いけないことを悟ってしまった。
「うわー! いいですっ言わないで! 聞かないから言わないで!」
世の中、知らない方が幸せなこともある。これは確実に怖い展開だ。
僕は、耳を手で塞いで敷地の外へ逃げ出していた。
「おい、ここはお前の家だろう。戻って来いよ」
道路で固まっている僕に向かって誠が手招きしている。その横にいた、マコちゃんだったはずの少女はいない。
あれ? また消えた?
おずおずと敷地に入っていくと、誠の隣に再び少女が現れた。
「……」
「お前、これが見えるのか?」
「見えません」
「いや、見てるだろ」
僕は力なくうなずいた。三度目の引っ越しが頭をよぎる。
「お世話になりました。僕ここに住むのは無理です、絶対無理です……」
僕の落胆ぶりを黙って見ていた誠は、天を仰いでため息をついた。
「安心しろ。幽霊じゃないから」
「でも、今も見えたり消えたり……昨日も急にいなくなって……」
「昨日も見たのか?」
誠が少女を見ると、少女は嬉しそうにうなずいていた。
「とにかく、これは幽霊じゃなくて精霊だ。慣れれば怖くない」
「精霊?」
キク、と誠は少女を呼んで目配せする。少女は静かに僕の目の前まで来た。
「キクと申します」
「あ、はい、河西一郎と申します」
やっぱりきれいな子だな。
つい見入っていると、キクの手が伸びていきなり抱きついてきた。
「ぎゃーっ!」
僕はキクを引きずったまま後ずさりした。重さは感じないのに、しがみつく感触だけははっきりとある。
なにこれ⁉︎
敷地の外に出た瞬間、キクの姿も感触も消えた。
「また消えた……」
「ふむ」
誠は何かに納得したようだ。
「こっちに戻って来ないのか?」
「あの、戻ったらキクちゃんがしがみついていたりしませんか?」
「キクなら俺の横にいる」
僕が敷地内に戻るのをためらっていると、誠の方からゆっくりと近寄ってきた。
「今わかる範囲でお前の置かれた状況を説明してやる。引っ越しを考えるのはそれからでも遅くないだろう?」
僕はうなずくしかなかった。
説明だけはしてほしい。信じるかどうかはそれから考えればいい。いや、でも、怖いのはパスしたい。
今はとにかく誠を頼ろう。とりあえず大家の孫だし、少なくとも僕みたいにこの状況を怖がってはいない。
「よろしくお願いします、マコちゃん」
「お前、気安くマコちゃんて呼ぶなよ」
頼りになりそうだが、頼らせてくれるかはわからなかった。
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