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6話 来訪
しおりを挟むその日から、リーンがミドガルド城の料理人になった。
初めてリーンが作った料理を口にしたギィの表情は中々の見物だった。その日の朝食は卵をたっぷりと使ったクミンのスープにポーチサーモン、ポテトのパンケーキ、そしてデザート代わりに用意した、スパイスを効かせたあたたかなラムズ・ウールだった。
ステラには野菜の切り分けや皿への盛り付けなど簡単なところだけ手を貸してもらい、調理など味の決め手となる部分は全てリーンが行った。
ギィは形の良い眉をひそめて、運ばれてきた料理を見、それからリーンを見た。ピッポかステラから、リーンが作った料理であることを前もって聞いていたようだ。
ギィはいぶかしげに料理を眺めていたが、リーンが平然とそれらの料理を口にするのを見て、ためらいながらもスープを一さじすくって口に運んだ。
ギィの金色の瞳が見開かれ、リーンを見る。その目は明らかに『信じられない』と語っていた。
何が『信じられない』のだろうか。”毒蛾王子”が料理をするということだろうか、それともその料理が意外にも美味しかったことだろうか。それともその両方か。
それから黙々とギィは料理の皿を空にしていった。新たな料理を口にするたびギィが目を丸くしてリーンを見る様子が、おさなご以上にまるで野生の動物のような素直さで、リーンは思いがけず愉快な気持ちになった。
ケチで傲慢な偏屈辺境伯だと思っていたが、予想外に根は素直で正直な男なのかもしれない。
ピッポはニコニコとほほ笑んで、ステラは誇らしげに、食堂の隅に控えながら彼らの主人とその客人を見守っていた。
朝、昼、晩とリーンが食事を作りはじめてから一週間ほど経ったある夜、ギィがリーンの部屋へ訪れた。
城主かつ辺境伯であるギィがわざわざ子爵の部屋まで足を運んできたことに対する『礼儀』としてリーンは自室の中へ招いたが、ギィは扉の前から動かなかった。
一体何の用だろうか。
リーンは、自分より少し高い位置にあるギィの瞳を見つめた。
この一週間で、少しずつではあるがギィ・ミドガルドという男の人となりが段々とリーンにも分かってきた。
まず、ギィは朝に弱い。
暗殺に対抗出来うる頑健な身体作りのための早寝早起きと適度な運動を信条としているリーンとは対照的に、ギィは夜半にどこかへ出かけ明け方に帰ってくるときがある。城主である彼の予定に合わせて、朝食がブランチのような時間になることもしばしばだ。
次に、思いのほか分かりやすい。
言葉少なく寡黙だが、瞳や表情が彼の言いたいことを雄弁に物語る。反応が率直で、彼の好物らしきメニューが出されると瞳が生き生きと輝き、逆に苦手なものが入っていると途端に沈痛な面持ちになる。しかし彼が食事を残すことは一度も無かった。ミドガルド城に到着初日に振る舞われたステラの料理も、リーンと同じく完食していた。
そして使用人 ーー二人しか居ないが……ーー を、とても大切に扱っている。
何故ギィが使用人を増やさないのかリーンにはいまだ分からないままだったが、ギィは彼らを”従僕”ではなく”家族”か”友人”であるかのように接していた。
王宮に出入りしていた貴族達と使用人の間には超えられない身分の壁があり、使用人がその主人に話しかけることさえ許されていなかった。何百人と使用人をかかえる貴族の中には、使用人を同じ”人間”として扱わず家畜のように虐げる者すらいた。
そういった貴族達とは比べものにならないほど、ギィはピッポとステラを尊重していた。ステラの敬語はたどたどしいものだが、彼女のそんな言葉遣いに対しても特にとがめ立てず許しているようだった。ピッポが時々ステラにギィやリーンへの話し方についてたしなめているが、効果は薄いようだ。
また、ギィが彼らを大切にしているのと同様に、二人の使用人も主人を慕い敬っていた。 ピッポとステラは”毒蛾王子”と呼ばれたリーンのことですら『優しい』と形容するお人好しだ。二人の評価基準は大分甘めかもしれないが、それでもリーンはピッポとステラのことが嫌いではなかったし、彼らが慕っているギィについてもきっとそれほど悪い人間では無いのだろうと感じられた。
「……感謝を伝えに来た」
ギィが、きまりが悪そうにそう口にした。 「……ピッポも、ステラも、喜んでいる」 何を、とは言わなかったが、おそらくリーンが料理を担当することで彼らの負担が減ったのだろう。
戸惑うようにギィの瞳が揺れていた。
「そう。それは良かった」
良かった。
心から、その時リーンはただ”そう”思った。あの心優しく善良なひと達が喜んでくれるなら、それは幸いだ。
ギィの戸惑いの色がさらに深まった。押し黙り、しばらくしてからためらいつつ口を開いた。
「……すまなかった」
「何のこと?」
「お前は嘘と虚飾だらけだと初めて会ったときに言ったな。訂正する。お前でも、本当のことを言うときがあるのだな」
……へえ。
リーンは内心少し驚いた。
リーンをあれほど嫌悪していた様子のギィが、自分の非を素直に認め柔軟に考えを変えたのは意外だった。そして、こんなにも打算無く、感謝と謝罪を伝えてくるギィの潔さに感心すら覚えた。
まっすぐな男なのだ。不器用で、社交辞令や上手な嘘もつけないほどーー。
その本質を分かってしまえば、ギィの不器用な誠実さは清々しく、好ましいものだった。ただ、リーンにとってギィの誠実さは眩しいものでもあった。相対すると、リーンの影がより一層際立って感じられた。
息をするように嘘をつける俺とは正反対だな……ーー
リーンはギィの真っ直ぐな視線から逃げるように顔を背け、茶化すような軽薄さで答えた。
「それはどうも。俺と仲良くしてくれる気がちょっとは芽生えたようで嬉しいね。それはそうと、城下町へ行く許可を出してもらえるか?食材を実際に見て選びに行きたいんだ」
「……それは許可できない」
途端にギィの表情がサッと曇った。監禁し、また秘密裏に暗殺するように命じられている者をむやみに城外に出すことは出来ないのだろう。
リーンの逃亡も恐れているのかもしれない。 万が一リーンが逃亡した場合、その責はリーンの身柄を預けられたギィに問われることになり、ひいてはギィにリーンを預けたアイビーにも責が負わされるだろう。アイビーを深く愛しているクラウン王がアイビーに重い罰を科すとは思えず、また幼なじみであるギィのこともアイビーが必死に守るだろうからそれほど大きな”被害”は出ないとリーンは踏んでいるが、そんなことはきっとこの真面目で不器用な辺境伯には分からないだろう。
ギィは唇を引き結び心苦しそうに目を伏せた。本当はリーンへの感謝を行動で示して、城下への外出許可も出したいのだろう。
本当に、嘘がつけない男だ。
愚かなまでに真っ直ぐで、不器用だ。こんな調子で大丈夫なのだろうか。他人事ながら心配になってしまう。暗殺対象者に情をうつしたら、後々苦しむのは彼の方だ。感情と行動を切り離すことが出来るほど器用な人間には見えない。
しかし、その時リーンの胸に確かに小さな喜びが湧いた。
きっと、ギィは傷つくだろう。リーンを手に掛けた時、ひどく苦しみ悲しむに違いない。多くの者にとっての喜びであり安心の糧になる”毒蛾王子の死”を悼み悲しむ、数少ない人間の一人になってくれるだろうか……ーー
しかし、リーンはすぐにその考えを振り払った。感傷に浸るのも、他人に何かを期待するのも無意味だ。誰からも望まれずとも、どれだけ憎まれようとも生き延びる。それだけがリーンの目的だったはずだ。
暗殺される日が一日でも遅くなることを祈りながら何もせずに震えて待つなど愚かなことだ。脱走計画の道筋と協力者を見つけるためにはまずは城外へ出る必要がある。そのための許可を城主から得られなかった今、他の手段を考えなければ……。
リーンはギィに向かって完璧な形の笑みを作って見せ、一礼する。
「そうか、それなら仕方ないな。おやすみなさいミドガルド辺境伯。良い夢を」
そして、ギィの返事を待たず彼を廊下に残してバタンと自室の扉を閉めた。
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