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重すぎる罰

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Side レイ



◇◇



結局あの後、アリシア様がフィリップ様に何か訴えを起こすことはなかった。

平和主義のあの方が、他人に手を挙げるほど激昂した理由も、あの女の心の醜さも…何もかも闇に葬り去られてしまったのだ。



残ったのは、今まで通り仲睦まじく過ごすスタイン侯爵家からやってきた異物が二つ。




庭園でお茶をする二人の姿を見かけて、俺は心の底から湧き出る怒りを抑えるのに必死だった。


その男の隣はアリシア様の場所になるはずだったのではないのか。

どうしてあの方の気持ちが蔑ろにされ、オルティス家とは何ら関わりの無かった女が我が物顔でお茶なんてしばいているのか。




流れる穏やかな空気に吐き気がする。





吐き気がするのに、嫌でも会話の内容が耳に入ってしまう程には、俺はこの二人のことが嫌いで嫌いで仕方がないのだろう。





「っいたた」


「ハンナ、どうかした?」



「先日アリシア様に殴られたときに口の中を切ってしまったんです。熱い紅茶が傷口にしみてしまって…」



人をここまで憎いと感じたことは、未だかつてなかったように思える。

傍で見ていた自分だからこそ断言できるが、あんなにも軽い平手でどうやって怪我をすると言うのか。


アリシア様の細腕で、それも、ほとんど無意識下で行われたそれは威力なんてほとんどないに等しかった。




「…僕のせいで辛い思いをさせてしまってすまない」

そんなことを口にするそいつに思わず握りこんだ拳に爪が食い込む。


痛みなんて感じなかった。



「そんな、フィリップ様のせいなんかじゃ…あの、もう、スタイン家に帰りませんか?きっと頼み込めば旦那様だって許してくれます!フィリップ様がこんなにつらい思いまでしてこの場所に留まり続ける必要なんてありませんっ!!」


必死になって言葉を紡ぐその女は、明らかに恋情の滲んだ女の顔で説得を続ける。



「私、フィリップ様には誰よりも幸せになってほしいんです」



「…ハンナ、ありがとう」




そう口にしたその男に、自分の理性が良くもここまで機能したことを褒めてあげたいくらいだった。






「そんなにお家が恋しいなら、うだうだ言ってないでさっさと荷物まとめて出てけよ」



気がつくと、すたすたとテーブルに近寄り、置かれていたティーカップを持ち上げて、男の頭上でそのままひっくり返していた。


びしゃびしゃと零れていく液体が、目の前の男の端正な顔を容赦なく湿らせる。





「…っ!」


「あなた、何してるの?!使用人のくせにっ」



「こちとらそこの坊ちゃんに雇われてるわけじゃねーから。俺の雇い主はオルティス家の皆様、ひいては俺を拾ってくれたアリシア様なんだよ」



大切な主人を傷つける人間を、どうして敬うことができるというのだろうか。


そんなの、ただの敵だろ。







「…君は、アリシアのことを心から慕ってるんだな」

紅茶をぶっかけられた当の本人は、怒るでもなく緩やかに眉を下げてそんなことを口にした。



「当たり前。アリシア様が、そうだから」



俺だって、あの人のために、せめてもらったもののほんの一部くらいは恩返しがしたい。






…今現在、多大なる迷惑をかけてしまっていることは棚に置くことなんてできないけれど。





「誰かっ、執事が乱暴を働いたの!誰か来て」


クソ女が無駄に騒ぎ立ててくれたおかげで、周囲にどんどん人が集まってくるのがわかる。




視界の隅に捉えたアリシア様は酷く慌てた表情を浮かべていて、なんだか罰が悪くなりそっと顔を背けた。






「…レイ」


「すみません…」




罰が下るのを、大人しく待つ。





「貴方は、今日をもってオルティス家の執事から除籍します。今後については、追って言い渡すから…今は部屋に戻ってなさい」




当然の処罰だった。


次期当主になり得る大切な入婿を傷つけたのだから。





「承知しました」




一礼して歩き出した背中で、フィリップ様の怪訝そうな声が聞こえた。




「っ、彼は君のためにやったんだ…少し罰が重すぎると思う」




…愚かなその男は、どこまでもアリシア様を傷つけたいらしい。






「重すぎるとは思いません。この度は本当にご迷惑おかけしました」


まるで赤の他人への謝罪の言葉のようなそれに、二人の関係がどこまでも離れてしまっていることをまざまざと突きつけられる。



今回のことで、原因の一端になってしまっている俺が言うことではないが。







「レイのことは別に怒ってないよ。彼は君を慕っているだけだ。許してやることはできないのか?」


「レイの処分については、こちらに一任してください。オルティス家の使用人のことですから」





フィリップ様だって、こんなことにならなければ、使用人の裁量に十分口を挟む立場にあっただろうに。




アリシア様にとっても、最早彼はオルティス家の婿で自分の夫だという認識が薄れ始めているのかもしれない。



そんなことを哀しく思う自分に、なんだか少しだけ驚いてしまった。






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