未完の玉座

ドンキル

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未完の玉座

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「あぁ、まるで夢みたいだ」
 陽光を受け、黄金色に輝く樹海の上空を僕は飛んでいた。パラシュートを開き、緩やかなカーブを描きながら、日本から遠く離れた異国、ドイツの空を滑空している。
 見渡す限りの緑の中に、その城はあった。
 ルードヴィヒ二世の忘れ形見、ノイシュバンシュタイン城を視界に捉え、僕は息を呑んだ。
「これから、あの城の内部に…」
 僕は決意を固める。後戻りは出来ない。
 ゆっくりと下降していたパラシュートを前方に大きく傾け、着地体勢に入る。何度も頭の中で反復した動きで着陸し、素早くパラシュートを身体から取り外す。
 あまり時間は残されていない。警備員はもう僕に気づいたはずだ。
 僕は持っていたスマートフォンで城の内部写真を開き、現在地を瞬時に確認する。
「この広間か…。よし!いい所に降りたぞ、俺」
 僕はそう呟くと、鍵のかかっていないドアを開き、中世の世界へと足を踏み入れた。
 
「すげぇ…」
 見渡す限りの空間が金箔で覆われていた。
 キリスト教的な絵画と、どこかで見た事のあるような馬に跨った騎士の絵画。
 現実とは思えない程に荘厳な雰囲気を讃えたその空間に居ると、本当にタイムスリップしてきたような心地さえした。
 その時、突然声が響いた。
「ここは、玉座の間。ルードヴィヒ二世が夢見た玉座。そして、彼は夢半ばで倒れ、玉座が据えられる事は永久に無くなった」
 そこには、少女がいた。自然と驚きは無かった。彼女がそこに居るのはごく自然な事にさえ思えた。
「ほら、あの白い大理石の階段があるでしょ」少女が言った。
 僕は無言で頷いた。
「あの階段の先。ルードヴィヒ二世が理想とした玉座は、そこに据えられる予定だったの」
 そう言うと、少女は玉座があるはずだった場所へと歩いていき、僕を手招きした。
 僕の足は自然と動き、彼女の横に並んだ。さっきいた場所から、数歩しか距離が変わらないはずなのに、その空間は別世界のように、僕たちを包み込んだ。
「想像してみて、未完の玉座を。君は象牙と黄金で出来た玉座に居るの。そこから見える景色を。音を。その世界を。」
 僕はゆっくりと目を閉じた。
 玉座の真上に描かれた六人の聖王の暖かい視線を背中に感じる。
 そして、ルードヴィヒ二世が味わう筈だった世界を想像した。
 
 僕が目を開けると、もう少女は居なかった。
 その部屋を見渡しても、彼女の影はおろか、彼女がいた痕跡すら見つける事が出来なかった。
 
 あれから、五年がたった。
 ノイシュバンシュタイン城で体験した、夢のような時間は今でも僕の脳裏に根付いている。
 未完の玉座を。鳥の囀りを。家臣の視線を。そして、象牙と黄金で出来た玉座は、ほんのりと暖かな熱を孕んでいた。未完の玉座は僕の頭の中で既に完成していた。
 あの旅行を機に、僕は生まれ変わった。
 あの日、あの玉座の上で僕は、自分を見つめ直した。これまでの事、そしてこれからの事。
 儚い人生を悔いなく過ごす事を、あの玉座で、ルードヴィヒ二世に誓った。
 今でも目を閉じれば、完成した玉座が現れる。
 ワーグナーをこよなく愛し、中世への強い憧れを抱いた、かの「狂王」が夢見た景色。
 彼の理想は約百五十年の時を経て、現代に受け継がれた。
 もう、迷わない。人生を強く生き続ける決意を固めて、僕は目を開けた。
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