バカンス、Nのこと

犬束

文字の大きさ
4 / 5

4.

しおりを挟む


 近所のオーベルジュでランチのキャンセルが出たから、二人で食べに行こう、とNに誘われたのは、私(と叔母)が帰る前日の朝だった。予約が取れず、ごねていたらしい。
 嬉しさのあまり、私はお礼を云うどころか、何を着るべきか彼に尋ね、それはほとんど詰問するような口調だった。
「ビストロみたいな店だから、気を遣わなくていいよ。ぼくも、このままで行くし」
 その日の彼は、白地に空色のボーダーのTシャツ。デニムのパンツは、触れると指が染まりそうなほど濃いインディゴブルーで、腿の前の辺りだけ白く色落ちさせてある。
 偶然にも、私もボーダーのTシャツに、白と黄色のブロックチェックのフレアスカート(黄色は青の補色!)を着ていた。
「ウエストの緩い服じゃないと、たくさん入らないわよ」
 叔母のからかいは癪に障ったけれど、もっともなので、彼女が縫ってくれたAラインのワンピースに着替えた(淡い水色のそれは、『ロシュフォールの恋人たち』の姉妹を真似たボックスプリーツで作る予定だったが、難しすぎて諦めたようだ)。
 彼はTシャツのブルーと同じ色味のワンピースを見ると、共犯者めいた表情で微笑した。
 田舎風のプチ・ホテルには、歩いて七、八分ほどでたどり着いた。食堂のテラスの前に、ビーチが広がっている。穏やかな波の音。馴染み客ばかりなのか和やかな空気に包まれ、非常に居心地がよかった。
「どこよりも美味しい生牡蠣を、食べてもらいたかったんだ」
 運ばれて来た岩牡蠣は大きくて、一粒でまあまあ満腹しそうだった。レモンを絞りながら、牡蠣の黒い縁取りが活き活き反応する様子を夢中で眺めた。彼の眼差がまっすぐ私に向けられているのさえ、気がつかなかったほどだ。
「ねえねえ」と彼は前ががみで私を凝視め「お世話ぬきに、バカンスは楽しめた?」
 彼が過去形を使ったので、心臓がかすかに軋んだ。
「ええ、とても。とても素晴らしかった」
 彼に倣って過去形で答えはしたが、本当は帰りたくなかった。ずっと彼のそばに居たかった。
「ああ、ほっとした」と彼は背中を椅子にもたせかけた。
「きみが幼稚園児の頃、従姉妹の結婚式で約束したの、覚えている?」
「あたしたち、約束したっけ」
「新婚旅行を羨ましがって、バカンスに連れて行けってせがんだの、記憶にない?レセプションで顔を見た途端に、どうしてだか思い出したんだよね。ここに招待したら、約束が果たせるじゃん、って。だけど、バカンスなんて言葉、どこで覚えたの?」
 約束の相手は、本当に私だったのだろうか。初めて呼ばれた親戚の披露宴で、人見知りの激しい私は、ろくすっぽ挨拶も出来なかったのに。彼のテーブルは、近くではなかったはずなのに。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...