彼女をぬらす月の滴

内山恭一

文字の大きさ
4 / 22

4

しおりを挟む
風がひんやりと頬を撫でて、髪が引かれる。
風が吹いているからではないのはすぐに分かった。
絶え間なくお尻に伝わる振動に、ガラガラと聞き覚えのある軽そうな金属音。
それらよりも明確なのは、つま先の方から膝の両脇、腰のすぐそばをハイスピードで後ろに抜けて通り過ぎていく手すりに、自分が前に進んでいることを手のひらに感じていたからだ。
これが何なのか、あかさはすぐに理解できた。
きっと誰もが即答し得るだろう、滑り台である。
お尻に敷いているビート板のような滑り板が金属のローラーと擦れて容赦ない鈍痛を和らげてくれている。
が、それでもやはり凄い震動で、それはきっとこの猛烈と言っていい速度のせいだろう。
ヒンヤリとするのは当然で、濃い霧が視界を悪くして、その中を突っ切っているからだ。
全く見えないわけでもなく、霧の切れ目からはるか下の方に緑色が広がっているのが見渡せ、それは森なのだろうと直感した。
やや怖さを感じるほどのスピードが出ていて、少し靴でブレーキをかけた今はゆったりと滑り落ちている。
しかしそれ以上速度を落とすことはしなかった。
その理由は、後ろ向きに、つまりあかさの方を向いた格好で、すぐ足の先を一緒に滑り落ちていくフジの顔が見えたから。
ポヨンとしたひげの付け根が細かい震動に共鳴してブルンブルンしている頭でっかちのその猫は、嫌がるわけでなく、また楽しむわけでもなく、ただあかさを見つめているようだった。
表情は計り知れないものの、フジはきっと喜んでいるはずなのだ。
何しろあかさは笑っていた、との表現は控えめで、爆笑していたからだ。
ただの滑り台ならいざ知らず、こんな面白い猫ならちかややしおんも、きっと誰もが楽しめること請け合いだ。
当人は、いや当猫は何とも感じていないだろうが、ずっと笑わせてもらうのもかわいそうで、
「こっちにおいで」
と、涙をぬぐいつつフジに呼びかけた。
フジは滑りながら移動を試みた様子だが、動き出した途端に、それこそあっという間もなくゴロンゴロンと横向きに転がり始め、落ちてしまうという不安から手を伸ばしたあかさの腕をすり抜け、跳ねたかと思うとうまいことあかさの太ももの上に落ちてきた。
目を回しているだろうフジを前に、その奇跡的な光景がまたおかしくて、あかさは吹き出して笑った。
あかさはぬいぐるみのようにくたっとして力ない猫を抱え上げまじまじと見て、
「ねぇ、平気?」
「何ともない」
と、そっけない返事に冷静さを取り戻した。
思念だとか人知を超えた不思議な存在で、崇高ですらあるイメージだったのに、すっかり間の抜けた猫の姿に違和感がない。
でもこれが私の望みなのだと、そうさせているのは自分自身なのだとあかさは承知していた。
それにしても…。
ずっと下っているようなのに垣間見える森は延々下の方に見えるばかりで、どれほどの深さなのか確信は持てないのだが、人を寄せ付けない、住むことも通ることすら困難に思えるほど木々は枝を密集させ、もしあの場所に落ちたらと思うと悪寒が走る。
下を覗き見るあかさは緩やかなカーブに差し掛かり、また少しスピードが落ちてきた。
流れる霧の動きがよりはっきりと見て取れるようになった。
さらに下、コースターの土台がどうなっているのか気になってバランスに気を留めながら身を乗り出す。
観覧車が一番天辺に来た辺りで見下ろした時に頼りなく見えるあの鉄柱、それと似たような光景がそこにあった。
森から細く長くにょっきりと突き出た橋脚が緑の絨毯から生えているようで、人工物と自然が混在し奇妙な空間だと感じさせ、一際目につく。
段々速度が落ちてきて、どこかに触れれば止まってしまうほどの微速になる。
もう手で止めるのも容易だろうと、手を伸ばす。
ようやくぐるりと見回して、落し物がどこかにあるのではないかという素振りでそれらしいところに目を凝らす。
ちかやとしおんのことである。
落し物などと言えば、「自分も同じでしょ」と言われかねないので、この際は迷子にしておこうとあかさは思ったが、それが同じことだとまでは深く考えていない。
考えていることは、自分の幼少のころのこと。
そして、このトリップはあかさの昔の夢なのだと気づく。
幼いころ、幼稚園くらいだろうか、高くて速くて怖いものの姉と一緒だと負けていられないと、ドキドキしながら乗ったロングスライダーが楽しかったのを記憶の隅っこから引き出していた。
あれはまるっきり別世界だった。
緑に包まれ、それを下に見るほど登り、普段感じることのないスピード感に興奮した。
親にせがんでたくさん連れて行ってもらった、はず。
もう記憶はあいまいで、それなのに心が温かい。
一緒に滑らされていた姉の笑顔を疑うことは無く、今思えばさぞかし大変だったろうと思ってみたものの、こうして今大きくなってもう一度乗ったとして童心に返ることができるのだから、きっとあの笑顔は姉の心そのままだったのだと理解できた。
楽しい。
ただ、板の上とはいえ、お尻の痛さはあの頃の比ではなく、よくも昔は板がなくても滑られたものだと我ながら感心しきりのあかさだった。
滑り台の途中、速度を落とす踊り場よろしく、あかさの居る場所は傾斜が少ない。
ローラーの未だ回転する音がカラカラとけたたましく鳴っている。
それも段々と落ち着いてきた頃、コロンコロンと小さな音の向こうで鳥の鳴き声やら動物の呼び合う声やらが聞こえてくる。
声だけ聴けば動物園の様相なのだか、声の持ち主らしき姿は見当たらない。
気のせいかもしれないが、空気が澄んでいるようで街の空気とは別物のように感じた。
少なくともこの霧がそうしているのかもしれないし、視覚的にそう思い込んでいるだけかもしれないが、世界を満喫するに充分だった。
再び深呼吸する。
今は慣れた日常も、きっと昔はこんなに世界を新鮮に感じたんだろう。
腕がくすぐられたようにむず痒く、
「楽しい世界みたいだね」
心を読まれたのかとドキッとして声の方を向くと、猫が見上げていてその存在を忘れていることに気づかされた。
「ねぇ、フジ。これは私の子供のころの夢だよね?」
「そう思うけど、わからない。ただ、君が楽しんでいるのは感じてる」
霧がぽっかりと口を開いて、あかさの所だけ太陽の光が眩しくなった気がして目を細めた。
空を仰いで光をもれなく顔中に浴びながら、
「大きくなっても楽しいんだ。ちょっと違う、かな」
「どう違う?」
「大きくなったからわかることもあるって思ったの」
「大きくなる?」
「成長するって意味よ。わかる?」
「成長するんだね、あかさは」
鸚鵡返しみたいで、どうも話しづらい。
苦笑しながら、
「無理やり滑り台につき合わせていたと思っていた姉の気持ちがわかる気がしてる。この世界に来ないと気づかなかったことだったはず」
「楽しさと嬉しさがあるんだね」
「私の夢のくせして」
「あかさの夢だからわかるんだ」
この顔でこの喋り方は一層愉快で、あかさはむぎゅうと顔を手で挟んで毛の柔らかさを楽しんだ。
「珍しく私の夢なんだね、ここは」
「もっと見てみたい夢の世界はないのかい?」
「特にない、かな」
「そう」
「今が充分夢みたいだから。あ、この世界じゃなくてね」
「よくわからない。でも君が楽しんでいるのは僕が一番よくわかってる」
ムニムニと潰れた口で喋る姿を楽しんで、ようやくあかさは手を離した。
「もう変えられない過去なのに、受ける感情を変えることがあるなんて人間は不思議で面白い」
ぷっと吹き出し笑い出すあかさに怯える様子もなく、数羽の鳥が飛んできて、すぐそばの手すりに止まってこちらの様子を見ている。
目が合っているはずのその鳥たちはカラフルな羽をして、日の光に鮮やかだった。
いかにも南国に居そうな容姿であり、小刻みに首を振りつつ一人と一匹を観察していたが、危険はない動物だと判断したのか、呼び合うように鳴きだした。
もう少し近ければ触れられそうなのに、あかさはその姿を楽しむだけにしておいた。
猫らしくない猫なので反射的に飛び出さないかと念のため手を添えていたフジは、興味なさげにあかさの方だけを向いている。
ここが私たちの街ならあの鳥はきっと雀か鳩なのだろうな。
そんなことを思いつつ、フジを撫でながらしばらく眺めていた。
パタパタとフジが耳を動かしていることに気が付いた。
どうしてこうも仕草が猫なのに中身が違うのかと、興味津々でフジの目を覗き込んだ。
「滑り台は子供の夢かい?」
いきなりの質問に驚くあかさ。
そうやって改めて言われると考えたことなんかないとしか言い返せそうになく、でももしかしたらかつて考えたりしたのかもしれないな、と、
「そうかもね」
と頷くあかさだった。
「そうなら、この世界はどうもあかさだけのものじゃないみたいだ」
「どういうこと?」
そう聞き返した途端、何かの予兆なのか、鳥たちが慌ただしく飛び立っていき、音をたてないように辺りを見回す。
ローラーの甲高い音が静けさの中に耳につく。
気が付かなかっただけで、もっと前から聞こえていたのだろう。
高周波に近く、すごい回転をさせているのはその音でわかり、その何かはどんどん音を大きくさせている。
フジの耳が明らかにあかさの後ろの方、霧の中を向いていた。
「進んだ方がいい。すぐ後ろまで来てる」
振り返り霧を凝視するあかさ。
「君の友人がやってきている」
実際音はしなかったが、バフォっと擬音をつけたくなる勢いで霧を潜り抜け、スカートが捲れないように必死のしおんが飛び出してきた。
目を閉じてる?
それはともかく、しおんはすごいスピードであかさの背中に迫っていたのだ。
急いで手すりを掴んで漕ぎ出すあかさのすぐ後ろ、どうやってもあのスピードまで加速できるわけがないと思いながらも、懸命に漕いだ。
全身を使って前進を試みるが、もう間に合わないと衝撃を受ける覚悟を決めた。
ドシン。
あかさの両脇に何かがすっと入り込み、一緒になってスライダーを落ち始める。
「痛てて」
想像したほどの衝撃がなかったのは坂が緩やかだったおかげのようで、痛みというより驚きに声を上げた。
「え?あかさなの」
仰向けに倒れたあかさが目を開くと、空の青を背景にしてしおんの驚いている顔が飛び込んできて、目が合った。
あかさの脇にしおんの足が入り、しおんの太ももに背を乗せたまま、二人はくっついて下っていく。
スライダーは急激に傾斜を増し、突然の遭遇に驚いたままの二人をよそにどんどんスピードを上げていく。
起き上がろうにも動けなないあかさはしおんに頼みたかったが、強く目をつぶって身をこわばらせているのがわかり、きっとしおんは…、
「滑り台、怖いの?」
こぶになった所を滑り抜け、短く悲鳴を上げるしおんは、
「こんな速いのは怖…」
と、言葉じりはもう聞き取れないくらいに小さかった。
好きじゃないわけ?
驚愕の発言をするしおんに、あかさは足を踏ん張ってブレーキをかける。
速度が落ちる、と想像した。
しかしそれは想像にすぎなかった。
普通ならブレーキがかかるはずで、今頃ゆっくりになってもおかしくないのだが、靴はブレーキの役を果たさない。
靴の摩擦以上に下降するエネルギーが強く、そもそも寝そべっているあかさでは二人分を止めるほどに力が入らなかった。
気持ち程度速度が落ちたかなと思ったのは、プラセボ効果だろうか。
この状態で手すりを手で握るのは危険行為であり、こうなると再び踊り場がくるのを期待するほかなかった。
震動で体が震え、風が服をはためかせる。。
そんななか、あかさは目を開き続けていたが、縮こまるしおんの表情と、霧が流れていく様と、見えるものはあまり多くない。
うなる金属音が耳の感覚をおかしくする。
そうなったところで、しおんの口は堅く結ばれたままで困りはしない。
スリル満点な状況にあって、これは子供は乗れないでしょ、とあかさは悠長にも考えていた。
少し起き上がると、流れる霧の向こうにちらりと動く何かが見えた気がした。
しおんに聞いてみたくて見てみると、あかさの髪が顔に絡みつき、さらに口にも入っているのに外そうとすらせずに固まっていて、どうにもできない状況に顔が引きつった。
しおんは本当に苦手なのだろう、背に触れている柔らかいはずの太ももも硬直している。
ガクンと、こぶを乗り越える。
その拍子に少し起きがちの姿勢になるあかさと、より密着してあかさを抱くしおん。
おかげで視界が広がった。
雲の中を飛行機になって突っ切っている感覚を味わう最中、また何かが目の前を、上方というのが正しいだろう、すぐ前を交錯していった。
瞬間の出来事で、追い求めて目を向けるがすでに黒い影となって霧に消えていく。
見たことあるような…。
霧のせいでロールシャッハテストのごときシルエットで自信はなかったものの、スライダーが大きくカーブに差し掛かったおかげで、その影の正体を見ることができた。
ちかやだった。
そして、いかにも楽しそうな笑顔を見せていた。
少し大きく見えるカピバラを肩に乗せ、しかしそれは無表情であり対比がおかしくてあかさは吹き出して笑った。
「何?」
叫ぶしおんに、
「ちかやが居た」
と、あかさが言った途端にちかやは霧の中へ、しおんは入れ違いで、
「どこ?ひぃっ」
タイミングが悪い…。
すぐにもう一度姿を現すちかやを指さし、しおんもその先を追った。
相対的に霧が上がっていき、絶対的にはあかさたちが下がっているわけで、カーブでスピードが落ち、着陸態勢の飛行機が雲を抜けたような感じだった。
明らかになるちかやの姿。
あかさとしおんとは違う動きを見せていたちかやは、スライダーではなく、ターザンロープというのか、ロープが結ばれた滑車でワイヤーを滑り降りる、公園にある遊具の一つに乗っていた。
シューと爽快な音と共に、
「おーい、あかさ、しおん!」
と気づいたちかやが片手放しで手を振って、そのせいでロープから滑り落ちかけて照れ笑いを浮かべ、一部始終を見ているあかさをドキドキさせた。
今にもこちらに飛び移ってきそうなほどに近い。
まさか、そんな無茶はしないよね…。
否定できないところが末恐ろしかった。
「面白いよ、これ!」
滑り台にターザンロープ、まさに子供のころの夢。
フジが言っていたのは、しおんではなく、ちかやの方の夢だったのかと合点がいった。
「子供のころ、すっごい好きだった!」
大声でやっとぎりぎり判別できる程度に騒音がけたたましい。
あかさはちかやの笑顔を見ながら、あることに気づく。
この滑走距離や高低差が常識外れであること、ではない。
それは夢の世界なのだから、何があっても不思議ではない。
そうではなくて、経験からするとあっちの方がスピードは出るはずで、こっちのスピードももちろん常識外れではあるが、ほとんど同じ速度なのはおかしい。
もしかしたら、とちかやに声を掛ける。
「この先どうなってる?」
「え?聞こえない!」
「この先はどうなってるの?」
「聞こえない!」
互いの騒音発生源が耳に近いのだから仕方ない。
「そっちに飛び移ろうか?」
はっきり聞こえたあかさは焦って手を振って、駄目だと伝える。
「冗談だって!」
ホッとしたのもつかの間で、くるんとちかやの向きが変わって、その姿が木々の緑に隠れてしまう。
やっぱりそうだ。
起き上がって先を見つめる。
光を反射してキラキラと輝く何か。
眩しくてよく見えなくて心配になるあかさは、それよりも気になることがあった。
そろそろお終いだろうに、このスピードでどこまで行くつもり?
しおんは相変わらず目をつむって、もしかしたらあかさに身をゆだねているつもりなのかも知れず、相談相手になりそうにない。
木々の隙間にちかやの姿を見つけ、併走しているのが救いだったのに、大きく速度を落として後方へ消えていった。
「水みたいだよ!」
それが最後のちかやの叫び声だった。
「何を言ってるの?ちかや」
つぶやく声は小さくなり、それはすでに独り言になっていたからだ。
この先は何?
緑のトンネルをくぐり、なおも速度を緩めない滑り台はその答えを二人と一匹の目前に見せた。
敷いていた板が外れ、お尻で水面を走ったかと思うと、バシャーンと激しい音と大きな水しぶきを上げて、水に突っ込んだ。
ブクブクとあっという間に水の中にいて、浮き上がって目を白黒させた。
「ぷはぁ」
ギリギリ足が届く中、アップアップと息を整えしおんを探す。
しおんが顎を上げて息をしていて、ギリギリ足が届かない様子であかさに抱き付いて来た。
まだ驚いているだろうと表情を窺ったが、意外にもにこやかで、やっとこの世界で初めてしおんの笑顔を見ることができた。
そこへ、
「くきゃぁ」
表記するのに苦悩させる声を上げて、あかさたちの上空で弧を描いているその声の持ち主は水面に落ち、あかさたちよりも大きく水しぶきを上げた。
ブクブクと泡が立ち、中心から突き出るちかやの頭。
振り返ればブランコよろしくターザンロープが大きく揺れていて、どうやら終点で振り子のごとく振られて、吹っ飛ばされたのだ。
遅れること数秒、カピバラがドボンとくぐもった音を立てて、まだ波紋で揺れる水面に水柱を上げた。
プールのような澄んだ水で、気持ちが良い。
というよりも、見回してみたところでここはプールに違いなかった。
ウォータースライダーの終着点、というわけだ。
目が合う三人。
あかさが笑うと、ちかやも、それにしおんに至っては笑いが止まらなかった。
緊張からの解放がそうさせたと言えた。
付け加えるなら、フジが仰向けに浮いていて、カピバラが波に揺られ漂い、その光景が面白かったことも関係あるだろう。
笑いあった。
楽しそうな二人の姿を見て、あかさも楽し気に声を上げた。
「…時間です」
ハッとして息を飲む。
そして、辺りを見回す。
急に暗がりに来たようで、目が慣れるまで数秒の時間を要した。
同じくきょろきょろとしているちかやとしおんが隣にいる。
薄くなってしまったトリップ前の展示室が記憶を揺さぶる。
雨がガラスを叩く音に、閉館を知らす音楽が鳴り響いている。
「閉館なんだ」
天井の電燈が一つ、また一つと消え、窓からの光は少なく暗かった。
あかさたちは立ち上がり、手をつないだままで急いで玄関ロビーへ向かい、ホールの係員が不思議そうな顔をあかさたちに向けているのを見て、ドキドキとしてしまうのは走ったせいではない。
「びっくりした」
「今のが一番びっくりだね」
あかさが手を離し、しおんもちかやから手を離した。
「でも、さっきの人が一番驚いてたんじゃない?」
「変な人たちって思われたかも」
「そうかな」
「そうだよ。だって変な人たちでしょ?私たち」
うんうんと三人は頷いた。
「もっと早くに来ればよかったね」
「出るのも、着くのも、どの彫刻にするのかも、時間かかったもんね」
「うん。あー、面白かった!」
ちかやの声が響き渡り、あかさとしおんはロビーを見回し係員を見つけようとしたが、もう誰も居ないようだった。
「今日は誰?」
しおんの問いにあかさは小さく手を上げた。
「ちかやもでしょ」
記憶を反芻しているのか、楽しそうに口元は上がったまま反応の無いちかやだが、それが愚問なのはしおんもわかっていた。
ちかやの夢の形が一番引きが強いのはみんな経験から感じていることだ。
では、しおんはどうだろうか?
二人がしおんを見る。
天井の照明にしおんの髪が光を返す。
「昔は多分好きだったと思うけど、あれはちょっと…」
感覚的に得たことを否定しない、しおんらしい答えで、
「怖いの?」
と、ちかやの目が一気に輝いて見えたのは、表情を見れば間違いではなかった。
間髪入れずにちかやに体当たりするしおんだが、結局二人ともよろけてしまう。
あのタイミング、阿吽の呼吸というか、以心伝心というか、ともかく抜群の相性を見せた。
羨ましさを感じながら、あかさは冷静になってさっきの夢の中で目にしたことを思い出した。
フジの言うように、ちかやの思念であるカピバラは少し大きくなっていたようだった。
それにフジの人格は以前よりはっきりとしてきたようにも思う。
彼らはこれからどうなっていくのだろうか。
求める先、たどり着く先はどこなのだろうか?
あのフジの真ん丸の顔をガラスに思い描くが、感情は想像の中ですら描けなかった。
ガラスの向こうは暗く、反対に照明に明るく照らされた自分の顔を見て、一層顔を曇らせた。
現実に引き戻されるあかさ。
あの夢、正夢だったんだ。
自動ドアのガラスの向こうはさっきよりも激しい雨で、幾つもの波紋を作る雨足の強さにあかさは濡れる覚悟をしなければならなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...