彼女がのぞむ月の向こう

内山恭一

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あかさの髪は強風にたなびいた。
本当はそんな気がしただけだった。
あんな強風だったら、降ろしていたはずの髪は舞い上がったはずだから。
でも、後れ毛をとかしたに過ぎなかったのは、どうやらまとめ髪になっているせいらしかった。
それだけでなく、花飾りがついているようだった。
ハラリと手に花弁が乗った。
本物の花だ、いやこれも夢なのだが本物であり、造花ではないということ。
手のひらの花を見つめ、もったいないと嘆くあかさ。
見とれる艶をした布が幾重にも連なり、華やかなイブニングドレスを形作っていて、あかさはしかしもう驚いたりしない。
ただ、どうしても自分のその姿を鏡に映して見たかった。
「鏡はどこ?」
誰に話すでなく、つぶやいたつもりだったが、
「ほら、そこにある」
あ、フジが居るんだった。
その鼻先をたどるように、歩き出す。
ヒールの音が高らかに誇らしげに響き渡る。
天井も高く、広々としたスペースはどうやらホテルのロビーのようだった。
デザインは凝っているがとてもシンプルで洗練され、人工物の美という印象で、一方で人影はなく何脚もの空のソファがどこか寂しげに見える。
鏡で自分の姿をなめるようにしてあかさは見て、息を飲んだ。
「すごい素敵。ドレスも良いけどこれが一番」
と、斜に髪飾りに見とれた。
花弁が一つ足りないところが悲しげであるが、補って余るほどに他の花も美しい。
完璧でないのはもちろん残念だが、これだけ着飾っていながら化粧していない、それが一番残念だった。
折角こんな夢なのに、化粧してないなんて。
化粧してたらどんなだったろうと想像もできず、悔しがった。
「嬉しくない?」
「ん、うん、ちょっとね」
「どういうところが?」
「変わってない、私に」
猫に具体的にどうこういうのもつまらないなぁと、あかさは苦笑した。
しおんはどこだろう。
鏡に寄り添うと、じわりと動き出した。
鏡と思っていたそれは、装飾の施された大きな扉で、開いた途端にあかさは騒がしさに包まれた。
中はもっと広い部屋になっていて、パーティでもあるのか、山のように積まれた豪華な食事がテーブルに連なっている。
同じように人の数も凄いもので、立食中の人の間を通り抜けていけるか不安になる。
「あっちだね」
フジがまた先を行くのを見送り、心の準備もそこそこに慌ててついて行く。
それぞれが歓談しているようで、混じり合う会話はどれも聞き取りづらい。
フジを見つける人が誰もいないのを不思議に思いつつ、先へ先へ進む。
バックで流れている音楽がはっきりと聞こえるようになって初めてこれが生演奏だとわかったのは、目の前にオーケストラよろしく演奏者が何十人と指揮者の前に並んでいるのが見えたから。
この辺りは音が大きいためか、少し人影が少ない。
フジはあかさを見上げもせず、
「そこ」
あかさに鼻で指し示した。
頭が大きすぎて鼻がどっちなのか正確にはわからないが、あかさにはしおんの見当はついた。
上手に回りながら踊るたくさんの男女の中に一段華やかなドレス姿が、浮き沈みしながらクルクルまわるしおんの姿があった。
その相手はなかなかの美男子。
不器用そうだというあかさの初見はどうやら不正解のようで、相手と足が絡まることなく楽しそうである。
頬が上気してピンク色なのか、それとも化粧なのか、判然としないが、しおんの一面が見られてあかさまで楽しくなってくる。
これがしおんの夢なのだ。
それにしても、二重の意味で絵に描いたような美男子である。
ああいうのがしおんの好みか、端正な顔立ちの美男美女だらけの、これが同じ人種なのかといぶかしむほどだが、まるっきりアイドルグループに居そうな雰囲気なところが何とも安心できる点であった。
折角のしおんのゆめなのだ、声を掛けるのはもう少し待つかと、手近なテーブルに近づいた。
何段にも重ねられた色とりどりのフルーツの一つを口にしたあかさは、とろけそうな味覚にメロメロである。
ちかやはさぞ満足だったろうと、もう一口それを味わうあかさは、演奏に聴き入った。
食べ物の匂いが漂う中、かすかに鼻腔に届く花の香り。
感じようとすればするほどに臭覚が研ぎ澄まされていく。
つんとするような独特の甘い匂いで、あかさは目を閉じて、音や香りを一人楽しんだ。
自分にない願望の形に直面し、これもいいじゃないと思いもするが、結局の所他人の夢であり、楽しめるはするのだけども、少なくとも今の自分の内から発せられた五感を刺激するものではないと、逆に冷めてしまう。
私が求めるものって何だろう?
目を開けると演奏が終わっていて、フロアの人たちは交差点を行くかのように入り交じっている。
つま先立ちでしおんを探すが、どこにも姿はないようだった。
そして視線を感じた。
フジのものだったそれは、何を言わんとしているかわかる気がして、あかさは言葉を失った。
「あっちに行ったよ」
ゆっくり視線を外し歩き出すフジは、人の流れを知っているかのようにぶつかることも踏まれることもなく進む。
あかさも遅れまいと避けながら突き進む。
ようやっと窓辺まで来られたあかさは大きく肩で息をした。
あまり似合わない仕草である。
人とぶつからないように歩くのは精神的に疲れる。
ちかやの言うように人をただのものととらえればきっと楽なのだろう。
極論すれば、この人たちはただの夢で形を持っただけに過ぎないのだ。
何をしたって構いはしない。
しかし、それはちかやの捉え方であって、交わる人のつながりは他人には取るに足らないことでも気になってしまうのだから、もうこれは性分なのだ。
しおんとの付き合いもまだまだ始まったばかり。
もしかしたらまだ始まってもにないと言われるかも知れない。
それなのに彼女と干渉しても良いのだろうか?
彼女の夢の中で、あの楽しげな笑みをたたえた彼女の夢を、私というつまらない現実に付き合わせる必要は無いのではないか。
呼吸が一向に落ち着かない。
フジが窓の外からこちらを窺っていて、目が合う。
フジにしろ、しおんにしろ、友人と言っていいのだろうか?
楽しさはない、不安ばかりが先に立つ。
フジの言葉はこれまでの夢と同じか、あるいはそれ以上にあかさには難解だ。
息が詰まるあかさは深呼吸しようと月の光の差し込むベランダへ飛び出た。
「あ」
そこには壁際で美男子にリードされて、今まさにキスされそうになっていたしおんの姿があって、しかし目があった途端にばつの悪い顔をして顔を赤くした。
しまった。
途端に強風にあおられて虹の粉が空高く月へと舞い上がっていった。
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