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「付き合ってくれよ」
佐村の言葉はシチュエーションもタイミングも全てが外れているようで、唐突だった。
それはあかさも同様で、
「うん、いいよ」
あかさの間髪入れない返答があまりに躊躇がないことに、佐村は笑顔なのであるが複雑な表情を見せた。
「え?意味わかってる?」
疑いたい気持ちはわかる。
「彼女として、じゃないの?」
「え?あ、そう」
驚きを通り越してポカンとする佐村だったが、
「マジで?」
あかさがニコリと微笑んでみせると、佐村は通行人の目など気にもせずに雄たけびをあげて歓喜した。
見ていてうれしい反面、わきまえない佐村に少々ひいてしまうあかさだったが、自身の心もやはりうれしさに溢れてると感じた。
蝉の声や車の騒音に負けない奇声が落ち着くと、佐村の方へじりじりと近づいて、
「ね、行こう」
と、いろんなエビの種類を体現するようにのけぞる佐村を促した。
加織、きっとこうなると知ってたな?
あかさは体がぽかぽかと温かいのは夏の暑さだけではないと感じながら、加織のことをそう思わずにおれなかった。
学校を出る前、加織が居ないのを不思議に思い連絡しようと携帯を覗いてみたら、
「楽しみぃ、優仁」
などと意味不明の加織のメッセージがあって、どういう経過を持ってそうなったのか後日必ず聞くからね、と心に誓っていた。
とにかくもう少しこの場所から離れたいと、あかさは佐村の腕をとって足早に歩き出すと、大通りをそれて小道を進んだ。
ほっとして大きく息をつくあかさ。
あぁ恥ずかしかった。
こんな人とは思わなかったと、知らない彼の一面を発見したことにあかさは存外困惑してしまう。
制服の襟元をパタパタして、まとわりつくまとめ髪をパサリとほぐした。
夕方に近いのに、昼の容赦ない日差しがあかさの肌をジリジリさせる。
「て、返事、早くない?」
「言うのが遅いからでしょ」
見透かしているわけではない。
単純に、彼の気持ちをはっきりさせたかったという気持ちが強かったからに過ぎない。
あの夢で一緒して以来、すっきりしない日々を過ごしてきたのだ。
彼にはきっとわからないだろう、相手の心を知ったうえで受け身で居続けることのまどろっこしさを。
それでも試験勉強が手につかないというほどでもなく、自分の問題でもあると理解していたからこそすんなりと受け入れられたのだろう。
タイミングが合った、これが一番しっくりくる。
そう落としどころを見つけても、
「なんで今、言うわけ?」
と、あかさは気になって仕方ない。
「何が?」
満面の笑みが普段の彼を表しているようで、あかさもつられて笑みを浮かべるながら、
「告るタイミング」
眉毛をぴくりとあげたかと思うと、じんわりと笑顔が固まった。
「聞かないからだよ」
「え?いつ」
「いつも」
あかさはきょとんとして、思い当たる様子はない。
そんな会話はなかった気がするが…。
「俺があの夢での話をしようとしたら、いつも話を逸らしただろ?」
あ、あれか。
思わず口元を抑える仕草になるあかさ。
確かに何度もあった。
それは仕方のないことだとこうなった今でも思うのだが、一方で何故その流れで告白につながるというのだろうと、首をかしげざるを得ない。
「あのちっちゃいお前も可愛かったけど、お前…」
あかさがあからさまにぷいっとそっぽを向くので佐村はそれが気になって言葉をなくし、あかさの顔色をうかがう。
あかさはそれを見られるわけにはいかなかった。
きっと顔が真っ赤だろう、顔から火が出る思いだったからだ。
「大丈夫か?」
心配そうな顔をしているだろうと口調から推測できたが、落ち着くまであかさはそのまま無言で歩き続けた。
やばい、うれしい。
気持ちの中ではあれは外見以外は私と違う別人なわけで許せないのだが、彼のそれから続くだろう言葉が連想されてしまって、かき混ぜたカフェラテが正反転して混濁するように感情が入り乱れ、しかし温かい。
やっとほてりが収まったかと一息つけたように思えたのに、またそんな感情がこみあげてきて、もう頭が真っ白になりそうだった。
「大丈夫。ちょっとおもしろかっただけ」
あかさは日陰を見つけて暗がりに入ると佐村を見た。
日向との明暗でコントラストが際立って見える。
そんな異世界のような風景に立つ彼は、すらりとしていながらもがっちりとした長身で、いつも隣で見る姿とは違う印象を受けた。
マジマジと全身を見るのは、そういえば初めてのような気がする。
太陽の強い日差しに夏服の白とビスケットのような肌の色が好対照で、彼の頭上に広がるあの空と雲のようにスカッと突き抜けた印象だ。
「さぁ、行こう」
高揚感に包まれていて、それに浸っていたい気持ちに名残はあったが、ひさきのことも気になる。
少しでもひさきの家に近づいておきたい気持ちがあかさのつま先の向く方を決めていた。
「京恵のところに行くんだよな?」
うなずいて歩くあかさに、ついてくる佐村。
彼も日陰に入ろうとして、しかしまだ高い太陽の位置だと影は短くて、隣り合う袖が触れ合うほどに近く、互いのたった一言だけで心の距離が近くなることを肌で感じた。
そういえば、とあかさは思う。
佐村とあかさが仲良くなるのは隣同士だからだろう。
だが、一緒に話すこともあって、周りからは仲の良さそうに見える佐村とひさきだってこうなる機会はあっただろう。
もちろん本人たちの感情があって恋愛になりえる話なのだから絶対ではないが、ひさきを選んでいてもおかしくない。
あれほど可愛いと言ってしっくりくる人は他にいない、心底そう思っていた。
「ひさきって呼ばないんだね?」
「そこまで仲良くはないだろ」
「一緒に話したりしてたじゃん」
「だいたい、今更呼び名を変えるのは、なんかおかしいだろ。変える必要もないしな」
「ふーん」
と、かつてテスト範囲には含まないといいながら、実際は一問だけ入っていた中学の中間テストのこと、そしてあの明言し背反をした教師の顔が思い出される。
「じゃぁ、あかさって呼んでもいいか?」
「え?」
ドキッとして、後ずさりながら佐村を見上げるあかさは、どう答えたらよいだろうと考えた。
加織たちとは特に考えがあって名前で呼び合っているわけではない。
最たる理由は親しいからであり、その証とも言えるわけだが、ただ、男子に言われるのはちょっと違うと思う。
「いいよ。でも、学校では今まで通りで。」
こんな楽しい時間にあっても、一瞬冷静に二人の今後を考えているあかさがいて、その考えを否定するわけにもいかない。
こんな条件つきの返答はしてはいけないとも思えたが、
「わかった。そうする」
と、佐村は二つ返事で受け入れた。
少し心がちくりと痛んだ。
だめだ、楽しまないとね。
まだまだ彼のことは知らないことばっかりなんだから。
あかさは冷徹ともいえるもう一人の自分、その思考を脳内から追放することにして、先ほどよりもぴったりと寄り添って歩いた。
また日差しが熱くなり、あかさは車があまり通らない小道を選んで進む。
ひさきの家までは歩くのであればそれなりに距離があるが、話しながらだと結構あっという間に到着するのであるが、それは加織だけでなく佐村でも同様であり、小道を縫って進む割りに今回もやはり早く着いた。
少しはお互いのことを知り合えたと思えるほどに、話は盛り上がっていたが、
「ここ、ひさきの家」
「へぇ、結構遠いなぁ」
「別についてこなくても良かったんだよ?」
「いいだろ?それに、蒔本にも行ってくれって頼まれてたし」
きっとおぜん立てしてる気なのだ、あかさはあたかも加織がそこにいるように肩を押した。
押された佐村は何のことやらわからずに、
「何?」
「ごめん、間違えた」
佐村は何を間違えられたのやら要領を得ない顔で、
「お前、おもしろいな」
と、一転屈託ない笑顔を見せた。
「結構でかいな」
佐村はマンション住まいで、同じくマンションで暮らしているあかさも初見ではそう感じた。
近隣と比べてしまうからだろう、今では他と比べて特段大きくは感じない。
やはり、清潔な印象という方が強い。
清潔ではあるが、質素であり、生活感がないとも言えた。
インターホンを押す。
しばらく動きを探す二人だったが、反応は見られなかった。
先に電話をかけておくべきだったが、想像しなかった展開にすっかり気を取られて忘れていた。
あかさは鞄から携帯を取り出して、ひさきの番号を探す。
「どちら様?」
背後から靴音は聞こえていたが、まさか声をかけられるとは思っておらず、あかさはビクッとしてあやうく携帯を落としそうになった。
「ごめんなさい。驚かせた?」
見れば日傘の奥で笑顔をたたえた大人の女性がおり、寄り添うようにしている女子中学生と共に歩きつつあかさ達に近づいてきた。
「ひさきの、お友達?」
「はい、霧村です」
「佐村です」
快活な話しぶりのその女性は、
「ひさきの母です。わざわざ会いに来てくれたの?」
と、日傘をかしげる。
ひさきに似ている、いや、本来は逆なのだがそんな印象を受けるほどに、素敵な笑顔である。
会釈をして建物に消える中学生はおそらく妹であり、彼女は少し違った印象であったがやはり素直な笑顔の持ち主だ。
「はい。ひさきさん、居ます?」
表情が豊かとはこのことを言うのだろうか、あかさには次に来る答えが聞く前からわかった。
「ごめんね。妹を一緒に迎えに行ったんだけど、途中で別れたの」
「どこに行ったんですか?」
「今日帰ってきたばかりだから、たぶん用事があるわけじゃないと思うんだけど。たぶん散歩、かな」
「そうですか」
落胆するあかさを見て、
「待ってね。電話してみるから」
と母は傘をたたんで、取り出した携帯をポンポンとはじく。
ジロジロと見るつもりはなかったが、日傘の下の印象と違って見えてそれが何なのか気になった。
光線に照らされた髪が時折きらりと輝く。
白髪が少ないものの散見される。
自分の母にはまだ見られないそれが苦労を感じさせるが、女手一つで育てていることを知っているあかさの勝手な思い込みであり、その実溌剌として影はなさそうだ。
呼び出し音がかすかに漏れて聞こえる。
鳴っている、つながっているのだ。
自分で電話をかけたい衝動に駆られるあかさだったが、もしかしたら話を聞いて帰ってきてくれるかもしれない、会えるかもしれないと落ち着きない。
家のドアが開いて、
「お姉ちゃん、忘れて行ってるよ」
と、先ほどの妹が玄関から姿を現す。
その手には見覚えあるあの電話が、リンリンと透き通る風鈴のような音を発しながら握られていた。
母は電話を切ると、
「また忘れてる」
とあきれるように言うと、あかさに視線を戻して、
「本当にごめんね」
あかさはすっかり恐縮してしまって、慌てて、
「いえ、大丈夫、大丈夫です。どこに行ったのか、わかります?」
「うーん、どこかな」
「どこで別れたんですか?」
「少し先の橋のところ」
「じゃぁ、行ってみます」
あかさは居てもたってもいられず、母が顔を向けた方へ走り出した。
「おい、ちょっと…」
佐村が後を追いかける。
場を去ろうとする二人の背に、
「明日はきっと行けるから」
と母の声がかかった。
明日では遅い。
今すぐ。
熱の滞留した家並みを抜け、蝉が競争して鳴く声で賑わしい公園を通り、涼しい風のわたる川にかかる橋の上まで来て、ようやくあかさは足を止めた。
川にいくつも橋が架かっていて、上流から下流へ視線を走らせた。
期待にそぐわず、ひさきの姿はどこにも見当たらない。
川の両岸には覆うようにマンション群がそびえているが、上空は大きく空を望むことができて、どこまでも青い空を仰いで波のように繰り返しそよぐ風を感じた。
こんな小さな街なのに。
あかさは欄干に体を預けると息を整えた。
辺りをうかがいながら佐村が追い付いてきて、
「どこにいるんだろうな」
「もう、わかんないね」
まだ諦めずに探してくれる佐村に、
「ありがとう」
と心から感謝した。
自分につきあってくれている、その気持ちがありがたかった。
「でも、気を付けろよ」
何に気を付ける?
あかさはその意味が分からず、
「何に?」
佐村は大きく腕を振って地面の方を指し示して、
「スカートが捲れそうだったぞ」
そんなこと、完全に忘れていた。
大人びた容姿とは言えないな、と恥ずかしさがこみあげてくるあかさは、
「エッチ」
と佐村を斜に見た。
「見えた?」
「見えなかったってば」
「それって、見ようとしてたってことでしょ?」
「違うって」
あたふたと大きな動きで否定する半笑いの佐村が滑稽に見えて、あかさは楽しげに笑った。
佐村も一緒に笑う。
大事なものがまた増えた。
またさわやかな風が通り抜け、心地よさげに空を見上げた。
あかさはひさきに会ったら、たくさん話をしよう、そう誓った。
佐村の言葉はシチュエーションもタイミングも全てが外れているようで、唐突だった。
それはあかさも同様で、
「うん、いいよ」
あかさの間髪入れない返答があまりに躊躇がないことに、佐村は笑顔なのであるが複雑な表情を見せた。
「え?意味わかってる?」
疑いたい気持ちはわかる。
「彼女として、じゃないの?」
「え?あ、そう」
驚きを通り越してポカンとする佐村だったが、
「マジで?」
あかさがニコリと微笑んでみせると、佐村は通行人の目など気にもせずに雄たけびをあげて歓喜した。
見ていてうれしい反面、わきまえない佐村に少々ひいてしまうあかさだったが、自身の心もやはりうれしさに溢れてると感じた。
蝉の声や車の騒音に負けない奇声が落ち着くと、佐村の方へじりじりと近づいて、
「ね、行こう」
と、いろんなエビの種類を体現するようにのけぞる佐村を促した。
加織、きっとこうなると知ってたな?
あかさは体がぽかぽかと温かいのは夏の暑さだけではないと感じながら、加織のことをそう思わずにおれなかった。
学校を出る前、加織が居ないのを不思議に思い連絡しようと携帯を覗いてみたら、
「楽しみぃ、優仁」
などと意味不明の加織のメッセージがあって、どういう経過を持ってそうなったのか後日必ず聞くからね、と心に誓っていた。
とにかくもう少しこの場所から離れたいと、あかさは佐村の腕をとって足早に歩き出すと、大通りをそれて小道を進んだ。
ほっとして大きく息をつくあかさ。
あぁ恥ずかしかった。
こんな人とは思わなかったと、知らない彼の一面を発見したことにあかさは存外困惑してしまう。
制服の襟元をパタパタして、まとわりつくまとめ髪をパサリとほぐした。
夕方に近いのに、昼の容赦ない日差しがあかさの肌をジリジリさせる。
「て、返事、早くない?」
「言うのが遅いからでしょ」
見透かしているわけではない。
単純に、彼の気持ちをはっきりさせたかったという気持ちが強かったからに過ぎない。
あの夢で一緒して以来、すっきりしない日々を過ごしてきたのだ。
彼にはきっとわからないだろう、相手の心を知ったうえで受け身で居続けることのまどろっこしさを。
それでも試験勉強が手につかないというほどでもなく、自分の問題でもあると理解していたからこそすんなりと受け入れられたのだろう。
タイミングが合った、これが一番しっくりくる。
そう落としどころを見つけても、
「なんで今、言うわけ?」
と、あかさは気になって仕方ない。
「何が?」
満面の笑みが普段の彼を表しているようで、あかさもつられて笑みを浮かべるながら、
「告るタイミング」
眉毛をぴくりとあげたかと思うと、じんわりと笑顔が固まった。
「聞かないからだよ」
「え?いつ」
「いつも」
あかさはきょとんとして、思い当たる様子はない。
そんな会話はなかった気がするが…。
「俺があの夢での話をしようとしたら、いつも話を逸らしただろ?」
あ、あれか。
思わず口元を抑える仕草になるあかさ。
確かに何度もあった。
それは仕方のないことだとこうなった今でも思うのだが、一方で何故その流れで告白につながるというのだろうと、首をかしげざるを得ない。
「あのちっちゃいお前も可愛かったけど、お前…」
あかさがあからさまにぷいっとそっぽを向くので佐村はそれが気になって言葉をなくし、あかさの顔色をうかがう。
あかさはそれを見られるわけにはいかなかった。
きっと顔が真っ赤だろう、顔から火が出る思いだったからだ。
「大丈夫か?」
心配そうな顔をしているだろうと口調から推測できたが、落ち着くまであかさはそのまま無言で歩き続けた。
やばい、うれしい。
気持ちの中ではあれは外見以外は私と違う別人なわけで許せないのだが、彼のそれから続くだろう言葉が連想されてしまって、かき混ぜたカフェラテが正反転して混濁するように感情が入り乱れ、しかし温かい。
やっとほてりが収まったかと一息つけたように思えたのに、またそんな感情がこみあげてきて、もう頭が真っ白になりそうだった。
「大丈夫。ちょっとおもしろかっただけ」
あかさは日陰を見つけて暗がりに入ると佐村を見た。
日向との明暗でコントラストが際立って見える。
そんな異世界のような風景に立つ彼は、すらりとしていながらもがっちりとした長身で、いつも隣で見る姿とは違う印象を受けた。
マジマジと全身を見るのは、そういえば初めてのような気がする。
太陽の強い日差しに夏服の白とビスケットのような肌の色が好対照で、彼の頭上に広がるあの空と雲のようにスカッと突き抜けた印象だ。
「さぁ、行こう」
高揚感に包まれていて、それに浸っていたい気持ちに名残はあったが、ひさきのことも気になる。
少しでもひさきの家に近づいておきたい気持ちがあかさのつま先の向く方を決めていた。
「京恵のところに行くんだよな?」
うなずいて歩くあかさに、ついてくる佐村。
彼も日陰に入ろうとして、しかしまだ高い太陽の位置だと影は短くて、隣り合う袖が触れ合うほどに近く、互いのたった一言だけで心の距離が近くなることを肌で感じた。
そういえば、とあかさは思う。
佐村とあかさが仲良くなるのは隣同士だからだろう。
だが、一緒に話すこともあって、周りからは仲の良さそうに見える佐村とひさきだってこうなる機会はあっただろう。
もちろん本人たちの感情があって恋愛になりえる話なのだから絶対ではないが、ひさきを選んでいてもおかしくない。
あれほど可愛いと言ってしっくりくる人は他にいない、心底そう思っていた。
「ひさきって呼ばないんだね?」
「そこまで仲良くはないだろ」
「一緒に話したりしてたじゃん」
「だいたい、今更呼び名を変えるのは、なんかおかしいだろ。変える必要もないしな」
「ふーん」
と、かつてテスト範囲には含まないといいながら、実際は一問だけ入っていた中学の中間テストのこと、そしてあの明言し背反をした教師の顔が思い出される。
「じゃぁ、あかさって呼んでもいいか?」
「え?」
ドキッとして、後ずさりながら佐村を見上げるあかさは、どう答えたらよいだろうと考えた。
加織たちとは特に考えがあって名前で呼び合っているわけではない。
最たる理由は親しいからであり、その証とも言えるわけだが、ただ、男子に言われるのはちょっと違うと思う。
「いいよ。でも、学校では今まで通りで。」
こんな楽しい時間にあっても、一瞬冷静に二人の今後を考えているあかさがいて、その考えを否定するわけにもいかない。
こんな条件つきの返答はしてはいけないとも思えたが、
「わかった。そうする」
と、佐村は二つ返事で受け入れた。
少し心がちくりと痛んだ。
だめだ、楽しまないとね。
まだまだ彼のことは知らないことばっかりなんだから。
あかさは冷徹ともいえるもう一人の自分、その思考を脳内から追放することにして、先ほどよりもぴったりと寄り添って歩いた。
また日差しが熱くなり、あかさは車があまり通らない小道を選んで進む。
ひさきの家までは歩くのであればそれなりに距離があるが、話しながらだと結構あっという間に到着するのであるが、それは加織だけでなく佐村でも同様であり、小道を縫って進む割りに今回もやはり早く着いた。
少しはお互いのことを知り合えたと思えるほどに、話は盛り上がっていたが、
「ここ、ひさきの家」
「へぇ、結構遠いなぁ」
「別についてこなくても良かったんだよ?」
「いいだろ?それに、蒔本にも行ってくれって頼まれてたし」
きっとおぜん立てしてる気なのだ、あかさはあたかも加織がそこにいるように肩を押した。
押された佐村は何のことやらわからずに、
「何?」
「ごめん、間違えた」
佐村は何を間違えられたのやら要領を得ない顔で、
「お前、おもしろいな」
と、一転屈託ない笑顔を見せた。
「結構でかいな」
佐村はマンション住まいで、同じくマンションで暮らしているあかさも初見ではそう感じた。
近隣と比べてしまうからだろう、今では他と比べて特段大きくは感じない。
やはり、清潔な印象という方が強い。
清潔ではあるが、質素であり、生活感がないとも言えた。
インターホンを押す。
しばらく動きを探す二人だったが、反応は見られなかった。
先に電話をかけておくべきだったが、想像しなかった展開にすっかり気を取られて忘れていた。
あかさは鞄から携帯を取り出して、ひさきの番号を探す。
「どちら様?」
背後から靴音は聞こえていたが、まさか声をかけられるとは思っておらず、あかさはビクッとしてあやうく携帯を落としそうになった。
「ごめんなさい。驚かせた?」
見れば日傘の奥で笑顔をたたえた大人の女性がおり、寄り添うようにしている女子中学生と共に歩きつつあかさ達に近づいてきた。
「ひさきの、お友達?」
「はい、霧村です」
「佐村です」
快活な話しぶりのその女性は、
「ひさきの母です。わざわざ会いに来てくれたの?」
と、日傘をかしげる。
ひさきに似ている、いや、本来は逆なのだがそんな印象を受けるほどに、素敵な笑顔である。
会釈をして建物に消える中学生はおそらく妹であり、彼女は少し違った印象であったがやはり素直な笑顔の持ち主だ。
「はい。ひさきさん、居ます?」
表情が豊かとはこのことを言うのだろうか、あかさには次に来る答えが聞く前からわかった。
「ごめんね。妹を一緒に迎えに行ったんだけど、途中で別れたの」
「どこに行ったんですか?」
「今日帰ってきたばかりだから、たぶん用事があるわけじゃないと思うんだけど。たぶん散歩、かな」
「そうですか」
落胆するあかさを見て、
「待ってね。電話してみるから」
と母は傘をたたんで、取り出した携帯をポンポンとはじく。
ジロジロと見るつもりはなかったが、日傘の下の印象と違って見えてそれが何なのか気になった。
光線に照らされた髪が時折きらりと輝く。
白髪が少ないものの散見される。
自分の母にはまだ見られないそれが苦労を感じさせるが、女手一つで育てていることを知っているあかさの勝手な思い込みであり、その実溌剌として影はなさそうだ。
呼び出し音がかすかに漏れて聞こえる。
鳴っている、つながっているのだ。
自分で電話をかけたい衝動に駆られるあかさだったが、もしかしたら話を聞いて帰ってきてくれるかもしれない、会えるかもしれないと落ち着きない。
家のドアが開いて、
「お姉ちゃん、忘れて行ってるよ」
と、先ほどの妹が玄関から姿を現す。
その手には見覚えあるあの電話が、リンリンと透き通る風鈴のような音を発しながら握られていた。
母は電話を切ると、
「また忘れてる」
とあきれるように言うと、あかさに視線を戻して、
「本当にごめんね」
あかさはすっかり恐縮してしまって、慌てて、
「いえ、大丈夫、大丈夫です。どこに行ったのか、わかります?」
「うーん、どこかな」
「どこで別れたんですか?」
「少し先の橋のところ」
「じゃぁ、行ってみます」
あかさは居てもたってもいられず、母が顔を向けた方へ走り出した。
「おい、ちょっと…」
佐村が後を追いかける。
場を去ろうとする二人の背に、
「明日はきっと行けるから」
と母の声がかかった。
明日では遅い。
今すぐ。
熱の滞留した家並みを抜け、蝉が競争して鳴く声で賑わしい公園を通り、涼しい風のわたる川にかかる橋の上まで来て、ようやくあかさは足を止めた。
川にいくつも橋が架かっていて、上流から下流へ視線を走らせた。
期待にそぐわず、ひさきの姿はどこにも見当たらない。
川の両岸には覆うようにマンション群がそびえているが、上空は大きく空を望むことができて、どこまでも青い空を仰いで波のように繰り返しそよぐ風を感じた。
こんな小さな街なのに。
あかさは欄干に体を預けると息を整えた。
辺りをうかがいながら佐村が追い付いてきて、
「どこにいるんだろうな」
「もう、わかんないね」
まだ諦めずに探してくれる佐村に、
「ありがとう」
と心から感謝した。
自分につきあってくれている、その気持ちがありがたかった。
「でも、気を付けろよ」
何に気を付ける?
あかさはその意味が分からず、
「何に?」
佐村は大きく腕を振って地面の方を指し示して、
「スカートが捲れそうだったぞ」
そんなこと、完全に忘れていた。
大人びた容姿とは言えないな、と恥ずかしさがこみあげてくるあかさは、
「エッチ」
と佐村を斜に見た。
「見えた?」
「見えなかったってば」
「それって、見ようとしてたってことでしょ?」
「違うって」
あたふたと大きな動きで否定する半笑いの佐村が滑稽に見えて、あかさは楽しげに笑った。
佐村も一緒に笑う。
大事なものがまた増えた。
またさわやかな風が通り抜け、心地よさげに空を見上げた。
あかさはひさきに会ったら、たくさん話をしよう、そう誓った。
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