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ファーストキス
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この週は忙しかった。
瞳の父親に成績の件でプレッシャーをかけられているので、勉強をおろそかにすることはできない。
書籍化に対する推敲の進捗について、担当の前田さんからはしょっちゅう確認のメールが入ってくる。
あと、イラスト担当のレナさんからも、確認とも、冷やかしとも取れるようなメールが頻繁に入ってくる……これは半分無視してもいいのだが。
瞳からは、ラノベの書き下ろしシナリオについての相談と確認、そしてお互いに勉強頑張ろう、という励ましだ。これは俺をやる気にさせてくれる。
それともうひとつ……例の件についての作戦、だ。
火曜の時点で、すでに彼女に伝えていた。
すぐ近くの裏山全体が公園になっていて、中腹に神社があるから、この土曜日、小説のヒットをお祈りしにいこうと誘ったのだ。
神社、と聞いた彼女は微妙な反応だったが、
「Poisonはそもそも和風の物語で、主人公達は『神の名代』として異世界に転生したことになっているし、直接神社が出てくる訳じゃないけど、そういう世界観の参考になるんじゃないかな」
と言うと、納得してくれたようだった。
あと、
「それに……ちょっと歩くと、すごく景色のいい高台があるんだ。わりと穴場で、あんまり人もいなくて……」
と余計なことを言ってしまい、しまったと思ったのだが、彼女は、
「……うん、分かった。楽しみにしてるね!」
と声を弾ませていた……なんとなく、俺の真意がバレて……いや、伝わったか?
とにかく、それでちょっと舞い上がったのだが、それでテンションが高いことは仕事と勉強の両立に役立ってくれた。
そして土曜日。
梅雨時だったので天気が心配だったが、薄曇りで、日差しも強すぎずいい感じだ。
裏山はちょっときつい傾斜を登らないといけないので、彼女にはそれなりの格好をしてくるように言ったのだが……これが可愛い。
ダークグリーンのストレッチパンツにハイキングシューズ、グレーのチェックシャツに赤いフルーティジャケットを重ね着し、小さなリュックを背負っている……ちょっとした登山スタイルだ。
この日は少し気温が低かったので、暑くはないと思うが、それにしても気合いが入っている。
それに対して、俺はジーンズと濃いブルーの長袖チェックシャツ、普通のスニーカーに、ウエストポーチと、スポーツドリンクのペットボトルを片手に持っているだけだった。
「……あれ、和也君、いつもとあんまり変わらないね?」
「ああ、山って言っても、標高で言ったら、たぶん百メートルもないからな」
「え、そうなの? ……うん、だったら良かった、安心した。ちょっと荷物、持って来すぎたかな?」
「一体、何をそんなに持ってきたんだ?」
「えっと……水筒とお弁当。あとは、レジャーシートとかかな?」
「……弁当って……ひょっとして、作ってくれたとか?」
「うん。朝四時半に起きて……さすがにちょっと眠いね……」
気合い入りすぎだ……でも、手作りの弁当があるのは、正直嬉しかった。
けど……目的の場所まで登るのに、二十分もかからないんだけどな……。
それに、あんまり人がいない時間帯が良かったので、現時刻は早朝、七時半だ。お昼まで絶対、時間が余ってしまう。
まあ、いいかっと思って、一緒に登り始めた。
この裏山、公園となっていて、急な傾斜の階段を登るコースと、ジグザグに続く緩やかな坂道の2コースが存在する。
階段の方は俺でもきついので、緩やかな方を登り始めたのだが……瞳は三分で息を切らし始めた。
俺はすぐに、彼女のリュックを担いであげた。
「……ありがとう、優しいね」
にこっと微笑む瞳の表情が、たまらなく可愛く思えた。
その後、休憩をはさみながら、ゆっくり三十分かけて、まずは神社に辿り着いた。
「……へえ、けっこう立派な建物ね。誰か住んでいるのかな?」
その社屋の中には、十二畳ぐらいの広間が存在しているようだった。
「いや、正月とかでなにか神事があるときだけ、神主さんとか、巫女さんがいるみたいだよ。普段は無人なんだ」
「そうなんだ……じゃあ、おみくじとか売っていないのかな?」
「残念ながら……お参りだけしておこう」
「うん、『Poison』の大ヒット、お願いしなきゃね!」
二人でそう話しながら、五百円という、結構大きい額の賽銭を入れて、鈴を鳴らし、手を叩いてお祈りした。
「……ホント、あんまり人いないね……」
「ああ、もうちょっと時間が経てば、健康の為に日課で登ってくる人とか、あの下の方の広場でかくれんぼとかする子供がいるんだけどね」
この広い公園には、今現在、俺たち二人だけしかいない。
少し鼓動が高鳴る。
「じゃあ、あと少しだけ登って、高台に行ってみようか」
俺の誘いに、瞳はコクン、と頷いた……少しだけ頬が赤くなっている。ひょっとしたら、俺の考えに気付いているのかもしれない。
高台までは、やや急で不規則な木製の階段を上らなければならない。
それほど距離は長くないのだが、普段こんな道を歩かない瞳は、やはりちょっと戸惑っているようだ。
手を繋ぎ、ゆっくり、一歩一歩登っていく。
そしてようやく、その高台に辿り着いた。
「……わあ、すごい。綺麗……海が見える……」
直径二十メートルほどと、それほど広くはなく、ほんの少し開けているだけの空間。
木製の古ぼけたベンチがあるだけで、それほど手入れがされているわけでもない。
しかし、そこから見える景色は抜群で、山裾から続く町並み、緩やかに流れる阿奈津川、それは太平洋へと続き、水平線まで見渡せる。
瞳は、少しでも景色をよく見ようと、木製の柵のぎりぎりまで寄ろうとして、少しよろけた。
慌てて、俺が肩を支えた。
「……ありがと、久しぶりに運動したから、ちょっと疲れちゃった……」
「ひょっとして、体育の授業とか、出てないのか?」
「……体操ぐらいならしてるけど、まだ、激しい運動は控えているかな……」
瞳のその言葉を聞いて、俺は、とんでもないことをしてしまったのではないか、と思ってしまった。
彼女は、農薬を誤飲する、という重篤な事故を起こしてしまった。
以前聞いた話では、内臓ごと口から出てしまうのではないか、と思うほど嘔吐を繰り返したのだという。
意識を失い、生死の境をさまよった。
そんな状態で、退院してからまだ二ヶ月少ししかたっておらず……激しい運動を禁止されていてもおかしくなかったのだ。
「……ごめん、そんな事とは知らなくて……」
「ううん、いいの。そろそろ、先生から少しずつ運動して体力をつけなさいって言われていたし……それに、こんな気持ちの良い場所にも連れてきてもらって、今、こうして一緒にいて……」
頬を桜色に染め、微笑みながらそう言ってくれる彼女の事が、たまらなく愛おしく思えた。
俺は、彼女の肩を抱いたまま、すぐ近くでその綺麗な瞳を見つめた。
しばらくそのまま見つめ合う。
そしてゆっくりと、顔を近づけた。
すると彼女は、静かに目を閉じて――。
――互いの唇が、触れあった。
初めての、柔らかく、湿った感触。
ほんの数秒だったが、凄く長い時間に感じた。
そして俺は、そのまま彼女を抱き締めた。
「……瞳、良かった……生きててくれて、本当に……」
すると彼女の方からも、俺のことを抱き締めてくれた。
「……和也君、ちょっとオーバーよ……私、今はもう大丈夫だから……」
彼女にも、俺が本気で命の心配をしていた事が伝わったようだった。
「……君が死んでしまったと思ったとき、本当に怖かった……絶望した思いだった……」
「……あれは、和也君が慌てん坊だっただけだから……でも、私も嬉しかったよ。それに、今もとっても嬉しい……あなたと会えて、人生が変わって……うん、生きてて良かった……心から、そう思ってます……」
そう言って、瞳は、俺にしがみつくように抱きつく腕に力を入れてきた。
しばらくそのままで、彼女の体温を感じ、生きている事を実感して……少しだけ体を離すと、瞳は、涙目になっていた。
それがあまりに可愛くて、切なくて……そして俺は、もう一度、彼女にキスをした――。
瞳の父親に成績の件でプレッシャーをかけられているので、勉強をおろそかにすることはできない。
書籍化に対する推敲の進捗について、担当の前田さんからはしょっちゅう確認のメールが入ってくる。
あと、イラスト担当のレナさんからも、確認とも、冷やかしとも取れるようなメールが頻繁に入ってくる……これは半分無視してもいいのだが。
瞳からは、ラノベの書き下ろしシナリオについての相談と確認、そしてお互いに勉強頑張ろう、という励ましだ。これは俺をやる気にさせてくれる。
それともうひとつ……例の件についての作戦、だ。
火曜の時点で、すでに彼女に伝えていた。
すぐ近くの裏山全体が公園になっていて、中腹に神社があるから、この土曜日、小説のヒットをお祈りしにいこうと誘ったのだ。
神社、と聞いた彼女は微妙な反応だったが、
「Poisonはそもそも和風の物語で、主人公達は『神の名代』として異世界に転生したことになっているし、直接神社が出てくる訳じゃないけど、そういう世界観の参考になるんじゃないかな」
と言うと、納得してくれたようだった。
あと、
「それに……ちょっと歩くと、すごく景色のいい高台があるんだ。わりと穴場で、あんまり人もいなくて……」
と余計なことを言ってしまい、しまったと思ったのだが、彼女は、
「……うん、分かった。楽しみにしてるね!」
と声を弾ませていた……なんとなく、俺の真意がバレて……いや、伝わったか?
とにかく、それでちょっと舞い上がったのだが、それでテンションが高いことは仕事と勉強の両立に役立ってくれた。
そして土曜日。
梅雨時だったので天気が心配だったが、薄曇りで、日差しも強すぎずいい感じだ。
裏山はちょっときつい傾斜を登らないといけないので、彼女にはそれなりの格好をしてくるように言ったのだが……これが可愛い。
ダークグリーンのストレッチパンツにハイキングシューズ、グレーのチェックシャツに赤いフルーティジャケットを重ね着し、小さなリュックを背負っている……ちょっとした登山スタイルだ。
この日は少し気温が低かったので、暑くはないと思うが、それにしても気合いが入っている。
それに対して、俺はジーンズと濃いブルーの長袖チェックシャツ、普通のスニーカーに、ウエストポーチと、スポーツドリンクのペットボトルを片手に持っているだけだった。
「……あれ、和也君、いつもとあんまり変わらないね?」
「ああ、山って言っても、標高で言ったら、たぶん百メートルもないからな」
「え、そうなの? ……うん、だったら良かった、安心した。ちょっと荷物、持って来すぎたかな?」
「一体、何をそんなに持ってきたんだ?」
「えっと……水筒とお弁当。あとは、レジャーシートとかかな?」
「……弁当って……ひょっとして、作ってくれたとか?」
「うん。朝四時半に起きて……さすがにちょっと眠いね……」
気合い入りすぎだ……でも、手作りの弁当があるのは、正直嬉しかった。
けど……目的の場所まで登るのに、二十分もかからないんだけどな……。
それに、あんまり人がいない時間帯が良かったので、現時刻は早朝、七時半だ。お昼まで絶対、時間が余ってしまう。
まあ、いいかっと思って、一緒に登り始めた。
この裏山、公園となっていて、急な傾斜の階段を登るコースと、ジグザグに続く緩やかな坂道の2コースが存在する。
階段の方は俺でもきついので、緩やかな方を登り始めたのだが……瞳は三分で息を切らし始めた。
俺はすぐに、彼女のリュックを担いであげた。
「……ありがとう、優しいね」
にこっと微笑む瞳の表情が、たまらなく可愛く思えた。
その後、休憩をはさみながら、ゆっくり三十分かけて、まずは神社に辿り着いた。
「……へえ、けっこう立派な建物ね。誰か住んでいるのかな?」
その社屋の中には、十二畳ぐらいの広間が存在しているようだった。
「いや、正月とかでなにか神事があるときだけ、神主さんとか、巫女さんがいるみたいだよ。普段は無人なんだ」
「そうなんだ……じゃあ、おみくじとか売っていないのかな?」
「残念ながら……お参りだけしておこう」
「うん、『Poison』の大ヒット、お願いしなきゃね!」
二人でそう話しながら、五百円という、結構大きい額の賽銭を入れて、鈴を鳴らし、手を叩いてお祈りした。
「……ホント、あんまり人いないね……」
「ああ、もうちょっと時間が経てば、健康の為に日課で登ってくる人とか、あの下の方の広場でかくれんぼとかする子供がいるんだけどね」
この広い公園には、今現在、俺たち二人だけしかいない。
少し鼓動が高鳴る。
「じゃあ、あと少しだけ登って、高台に行ってみようか」
俺の誘いに、瞳はコクン、と頷いた……少しだけ頬が赤くなっている。ひょっとしたら、俺の考えに気付いているのかもしれない。
高台までは、やや急で不規則な木製の階段を上らなければならない。
それほど距離は長くないのだが、普段こんな道を歩かない瞳は、やはりちょっと戸惑っているようだ。
手を繋ぎ、ゆっくり、一歩一歩登っていく。
そしてようやく、その高台に辿り着いた。
「……わあ、すごい。綺麗……海が見える……」
直径二十メートルほどと、それほど広くはなく、ほんの少し開けているだけの空間。
木製の古ぼけたベンチがあるだけで、それほど手入れがされているわけでもない。
しかし、そこから見える景色は抜群で、山裾から続く町並み、緩やかに流れる阿奈津川、それは太平洋へと続き、水平線まで見渡せる。
瞳は、少しでも景色をよく見ようと、木製の柵のぎりぎりまで寄ろうとして、少しよろけた。
慌てて、俺が肩を支えた。
「……ありがと、久しぶりに運動したから、ちょっと疲れちゃった……」
「ひょっとして、体育の授業とか、出てないのか?」
「……体操ぐらいならしてるけど、まだ、激しい運動は控えているかな……」
瞳のその言葉を聞いて、俺は、とんでもないことをしてしまったのではないか、と思ってしまった。
彼女は、農薬を誤飲する、という重篤な事故を起こしてしまった。
以前聞いた話では、内臓ごと口から出てしまうのではないか、と思うほど嘔吐を繰り返したのだという。
意識を失い、生死の境をさまよった。
そんな状態で、退院してからまだ二ヶ月少ししかたっておらず……激しい運動を禁止されていてもおかしくなかったのだ。
「……ごめん、そんな事とは知らなくて……」
「ううん、いいの。そろそろ、先生から少しずつ運動して体力をつけなさいって言われていたし……それに、こんな気持ちの良い場所にも連れてきてもらって、今、こうして一緒にいて……」
頬を桜色に染め、微笑みながらそう言ってくれる彼女の事が、たまらなく愛おしく思えた。
俺は、彼女の肩を抱いたまま、すぐ近くでその綺麗な瞳を見つめた。
しばらくそのまま見つめ合う。
そしてゆっくりと、顔を近づけた。
すると彼女は、静かに目を閉じて――。
――互いの唇が、触れあった。
初めての、柔らかく、湿った感触。
ほんの数秒だったが、凄く長い時間に感じた。
そして俺は、そのまま彼女を抱き締めた。
「……瞳、良かった……生きててくれて、本当に……」
すると彼女の方からも、俺のことを抱き締めてくれた。
「……和也君、ちょっとオーバーよ……私、今はもう大丈夫だから……」
彼女にも、俺が本気で命の心配をしていた事が伝わったようだった。
「……君が死んでしまったと思ったとき、本当に怖かった……絶望した思いだった……」
「……あれは、和也君が慌てん坊だっただけだから……でも、私も嬉しかったよ。それに、今もとっても嬉しい……あなたと会えて、人生が変わって……うん、生きてて良かった……心から、そう思ってます……」
そう言って、瞳は、俺にしがみつくように抱きつく腕に力を入れてきた。
しばらくそのままで、彼女の体温を感じ、生きている事を実感して……少しだけ体を離すと、瞳は、涙目になっていた。
それがあまりに可愛くて、切なくて……そして俺は、もう一度、彼女にキスをした――。
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