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第2章 幼少期~現在と過去編~

25 わたしと声の主

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「ねえ、泣いているの?」

 ティファニアがそっと問いかけると、ひゅっと息を呑む音が聞こえ、声の主が驚いたことが分かった。しかし、返答はなく、沈黙が辺りを満たした。

「あなたもこのパーティーに呼ばれたの?」

 さすがに直接的だったと思い、質問を変えると、高い、それでも少年と分かる声が返ってきた。

「そう、です。……あなたもですか?」
「うん。でも、あんまり慣れてなくて逃げてきちゃったの。うふふ、あなたも抜け出してきたの?」
「ええ、そうです」

 ティファニアがお茶目に笑って言うと、逃げたくなりますよね、と少年もくすりと笑って返してくれた。そして、二人で笑いあったところで訊ねる。

「わたしはティー。あなたは?」
「私は……リアン、です」
「うふふ、いい名前ね。よろしく、リアン」
「ありがとうございます。よろしくお願いします、ティー」
「うん!」

 そう言ってティファニアは顔の見えないリアンに笑いかけた。すると、少しだけ肌寒い風が撫でるように髪を乱した。

「ここは外よりあったかいのね。わたし、びっくりしちゃった」
「ああ、ここは王のおひざ元だから。王宮に守りがはたらいているんだよ」
「そうなのね。花も春みたいに咲いているから不思議に思っていたの」

 うふふとティファニアは笑うと、目の前の花の香りをいっぱいに吸い込んだ。

「いい香りの沈丁花。優しい香りがするわ」
「……詳しいんですね。ティーは花が好きなんですか?」
「うん。わたしの屋敷の庭にもいっぱい咲いているの。一番好きなのは薔薇なんだけどね」
「薔薇、ですか。美しいですよね。私も好きです」

 真っ赤な薔薇は一番好きな色なんですよ、と少年は嬉しそうに言った。よっぽど好きなのか、とても好きな色なんです、とその声は余韻に浸っているようだった。

「うん。……うん、真っ赤な薔薇って素敵な色だよね」
「ええ、ティーは何色が好きなのですか?」
「……紫、かな。大好きな人の色なの」

 ティファニアは自分が好きな紫の薔薇を思い出して、目を細めた。無性にラティスに会いたくなったのはその色がラティスの色だからだろうか。それとも、さきほどの少年のため息がラティスのものと似てると思ったからだろうか。

「紫の薔薇、ですか。私は見たことがないですね」
「……うん。珍しい色だから。でもね、わたし、あの色が一番好き。大好きなの」
「それはいいですね。私も赤は大事な人の色なので好きなんですよ」
「うふふ、じゃあ、一緒だね」
「ははは、たしかに一緒ですね」

 ティファニアと少年は生け垣越しにお揃いだね、とまた笑いあった。すると、また風が二人の間を繋ぐように吹いて去った。
 静けさが辺りを包み込んだ。

「………ねえ、リアン、リアンはなんで抜け出してきたの?」

 ティファニアは落ち着いた声で森閑を破った。

「ああ、……ちょっと、周りに人がいっぱい寄ってきたので、少し、人に酔ってしまったのですよ」
「そうだったのね。大丈夫?」
「ええ、もう治まりました。大丈夫ですよ」

 それを聞いて、ティファニアはよかった、と小さく零す。そして、ゆっくり目を閉じた。

「…じゃあさ、……じゃあ、なんで、リアンは泣いているの?」
「……えっ? ティ、ティー? ……なに、言って、るの?」

 少し震えた声が響いたが、それは風の中に消え行ってしまいそうだった。

「リアン、ごめん。……でもね、リアン、……わたしもそう・・、だから、放って置けなかったの」
「………そう、って、ティーは……?」

 絞り出したような声でそう問われると、ティファニアは覚悟を決めるように軽く息を吸った。

「……わたしもね、誰にも泣くところを見せられないことがある、ってこと」
「……そう、ですか」

 安心したような、悲しいような少年の声は小さくても、ティファニアにはしっかり届いた。

「ねえ、リアン、わたしはね、リアンが何で泣きそうなのかは聞かない。どこでも泣けないなら、泣いてもいいよとも言わない」

 だって、わたしが聞いてほしくないから。わたしが泣きたくないから。
 そう、心の中で思いながら、ティファニアは言葉を紡いだ。

「でもね、…だからさ、さっきみたいにもっと、……もっと、笑って」

 ティファニアは生け垣の向こうに少しだけ見える、こちらに背を向けた少年をまっすぐ見た。少年はきっとティファニアが思っている人で間違いないだろう。そう、思って。
 彼はお茶会の会場では全く笑っていなかった。いや、顔は笑っていた。でも、きっと心では笑っていない。そんな取り繕った笑みを浮かべていた。周りにいた人は気づいているのかわからないが、ティファニアのよく知る友人と似たような仮面の顔を作っていた。友人もその笑顔を作っているときは辛そうであったため、彼がその表情の下に苦しい何かを抱えているのはすぐに分かった。
 もちろん、それだけでなく、彼がティファニアのよく知る人・・・・・だからでもあるのだが。

「リアン、笑うのはね、人の薬っていうの。笑うと嬉しいし、楽しいし、悲しいことも辛いことも吹き飛ばして、時には治してくれるでしょ? わたしはね、いつも誰かと笑うようにしているの。お父様や弟、友達、そしてわたしの屋敷のみんなと。…そうするとね、辛いことも薄れていくんだよ」

 辛くて、辛くて、胸が張り裂けそうでも、怖くて眠れない夜があっても、泣きたくて耐える日があっても、あの中で笑っているだけで少しずつだけれど、薄れていった。
 ティファニアがスラムから、あのつらい状況から立ち直れたのもラティスと、アリッサと、そして他の使用人たちが笑いかけ、そしてティファニアも笑えるようになったからだ。

「それでつらいことがなくなるわけじゃないのは分かってる。でもね、笑った数だけ泣きたい数も減るでしょ? あんな押し殺すような笑いをしてたら辛くなるだけだよ。……だからさ、リアン、笑って。さっきみたいに。…ね?」

 すると、少しの沈黙の後に、はははという笑い声が聞こえた。心なしか鼻声だが、それでも、その声は楽しそうだった。

「ふふ、ははは、あははは。ティー、あなたは面白いですね。……でも、ありがとうございます。少しだけ心が軽くなった気がします」
「うふふ、でもね、いいの。わたしは周りに助けてくれる人がいるから。だから、リアン、あなたに、……あなたにもそういうい人が見つかることを願ってるわ」
「……ありがとう」

 喜びの含んだ返事を聞くと、ティファニアが空を見上げた。来た時よりも太陽が傾いてきており、思ったよりも話し込んでしまったことが分かった。このお茶会は乗り気ではなかったが、それでもずっと席を外していることは出来ない。そして、シャルルが心配するだろうと思い、ティファニアは会場に戻ることにした。
 それに、声の主である少年もすぐにでも戻るべきなのだ。

「リアン、わたし、そろそろ戻らなきゃ。友達が心配していると思うの」
「ええ、わかりました」
「じゃあね、リアン」

 そういうと、ティファニアは振り返らずにその場から足を進めた。そして、彼から自分がみえなくなるような距離になると、ぼそっと呟いた。

「いるじゃないですか、あなたにも、助けてくれる人が。助けてくれるユリウスがいるじゃないですか、……ジュリアン殿下」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ティファニアが会場に戻ると、シャルルとユリウスはまだ令嬢たちに囲まれており、ティファニアが入るスキは全くなかった。シャルルがこちらを見たので、頑張ってとエールを送るとお菓子のあるテーブルに向かった。ウルタリアの料理人たちが作ってくれるお菓子はとても美味しいが、お城のお菓子はどうだろうと気になっていたのだ。
 テーブルに近寄り、近くに待機しているメイドに紅茶を頼むと、ティファニアはマカロンの様なカラフルなお菓子に手を付けた。はむっと口に運ぶ。

「うっ……!」

 ティファニアは小さく唸った。
 そのマカロンがあまりにも予想外だったからだ。主に味と食感が。マカロンの生地は何故か硬くてバリバリしており、中のクリームはもったりしているのに砂糖がじゃりじゃり混ざっているようなものだった。味は甘ったるくてしょうがない。
 ティファニアはすぐに用意してもらった紅茶を手に取り、口にする。そして、ふぅと一息ついた。

(まさか、お城のお菓子がこんなにも、…こんなにもレベルが低いだなんて思わなかった……!)

 ティファニアはウルタリアの屋敷の外で食べたことがない。ウルタリアの屋敷では今、ティファニアが前世の知識で教えたお菓子ばかりが出てくる。その前は身体が弱く、ほとんど食べれなかったのでゼリーの様なものとクッキーばかりだったが、それでも料理人のブルーノたちが作ってくれたお菓子は美味しかった。だから、ティファニアはすっかり他の家もそうなのだと思っていた。なので、今回お城でお菓子研究ができるのではないかと少し期待していたのだ。

(ちょっと、……いや、結構がっかりかも…)

 周りには悟られないようにティファニアはがくっと項垂れた。
 お城とウルタリアの屋敷での味の差は単純に料理人の腕の差なのである。ブルーノやその弟子はどこの誘いも蹴ってウルタリアの屋敷にとどまっているのだ。しかし、今のティファニアに知るすべはない。

 紅茶で口直しが済むと、辺りを見回した。他のお菓子に手を付ける気力はさっきのマカロンもどきを食べきるのに全て使い切ってしまったのだ。
 周りにいる子息令嬢たちはそれぞれ話していたり、ティファニアをじろじろと見ていたりした。
 ラティスがそうである為、あまり自覚はなかったが、きっと白金の髪が珍しいのだろうとアリッサによって複雑に編み込まれたハーフアップの髪を少し掬った。スラムにいたころの短さは嘘であるかのように腰まで伸びたティファニアの髪は綺麗に切りそろえられ、アリッサによって毎日丁寧に手入れされているお陰で絹糸のように艶やかだ。
 しかし、人と違う色というのは受け入れられにくいのだろうとティファニアは少し残念に思った。友達が1人でもできればと思っていたのだが、今日は無理そうだなと表情を隠すように紅茶を口に運んだ。
 すると、先ほどの少年――ジュリアンが同世代の令嬢たちに囲まれているのが見えた。令嬢の数が多いので頭が少しと、たまに顔が見えるくらいだが、笑っているように見えた。しかし、きっと、心の中はそうではないのだろう。
 ティファニアはその表情を悲しく思いながら、ぼうっとジュリアンを見つめた。

(やっぱり、根本的に解決しないといけないのかな……?)



『ジュリアン・トゥーラ・エルフィリス
エルフィリス王国の王太子。主人公より2歳年上。常に笑みを浮かべており、自分の本性を悟らせない。学園では生徒会長を務めている。弟ユリウスを遠ざけている。2人の婚約者候補がいる』

 そう書かれた説明文の下には漆黒の髪と輝くような金の瞳の少年が温和な表情を浮かべながらこちらをみていた。
 ジュリアンはエルフィリス王国の第1王子として生まれた。王子として何不自由なく暮らしていたが、突然弟ができた。王である父が連れてきた、自分より1つ下のその男の子はジュリアンにとって初めての兄弟であったため、毎日連れまわすように可愛がった。ジュリアンはユリウスが大好きであるという理由だが、それ以上にユリウスが自分を慕ってくれるのがうれしかったのだ。周りにいる大人は自分に敬意を払い、気軽に遊ぶこともできなかった。だから、ユリウスのように何も考えずに接することができる相手はとても嬉しかったのだ。
 しかし、それはジュリアンが6歳の時に変わっていった。5歳から受け始める王族の教育をユリウスが受け始めてからだ。ジュリアンは城内でとある噂を聞くようになった。
 『不義の子であるユリウスはジュリアンよりも優秀である』と。
 それについて、ジュリアンは弟の優秀さを喜んだ。さすがは自慢の弟だ、と。
 しかし、その噂は城内にとどまらず、貴族の間でも囁かれるようになった。すると、いつの間にかジュリアンに対して直接的に不出来な王子、出来損ないの王子と密やかに罵ってくるものが出てきた。
 最初は気にならなかった。しかし、何度も、何度も、何十回も、何百回も聞いた。メイドから、教師から、場内で働いている貴族から、といたるところから聞こえた。そのせいで、ユリウスには最初はどう接すればいいかわからなくなり、しまいには避け、遠ざけるようになったのだ。そして、それはジュリアンの心を折るのに十分であった。いくら頑張っても、努力してもその噂はおさまらなかったのだ。
 ジュリアンは自信も、自尊心も、矜持もすべて少しずつだが確実にぼろぼろと崩れていった。
 だが、ジュリアンはそれでも王の子だ。周りにそれを見せることは出来ない。その為、顔に笑顔を張り付け、自分の本性をだれにも悟らせなくなったのだ。




(そして、ユリウス殿下とジュリアン殿下はギクシャクしたまま学園に入学して、|ヒロイン(妹)に会うんだよね……)

 ティファニアが少しぼーっとしながら前世の記憶を掘り起こしていると、突然後ろから声がかかった。

「すみません。ティファニア様、でしょうか?」

 少し驚きながらティファニアが振り返ると、そこには緑色の髪をした同じ年くらいの少年が少しはにかんだ顔でこちらをみていた。
 少し挙動不審だが、きっとティファニアより身分が下なのであろう。身分が下の者が上の者の許可なく話しかけるのは本来はマナー違反だが、今回は子供だけなので追及する者はいないだろう。少年はティファニアに名乗ってもらうことで、自分も名乗れるようにと話しかけたのであろう、と一瞬で考えに至ると、にこりと笑って返した。

「はい、そうですわ。ティファニア・ウルタリアと申します。貴方様は?」
「ぼ、…私はチェ―――……」
「ティファニア嬢!」

 少年の名前を聞こうとすると、よく知った声が聞こえた。どうやら、シャルルがあの魔の渦から抜け出してきたようで、ティファニアのすぐそばに寄ってきた。そして、さっとティファニアの手を取ると遅くなってごめんと小声で囁いた。
 ティファニアは大丈夫、と首を振るとほっと肩を撫で下ろした。少し疲れてきたのか、シャルルの温もりが手から伝わり、とても安心する。
 すると、シャルルが目の前の少年を少し冷たい目で見つめた。

「ティファニア嬢に何か用か、チェスター? 私の大切なはとこなんだが…?」

 鋭い声でシャルルが問いかけられると、チェスターと呼ばれた少年は息を呑んだ。ただでさえ公爵子息という身分差があり、そして子供ながら整った容姿に睨まれているのだ。少年が怯えるのも仕方がないとティファニアは思った。自分はそういう風に睨まれたことは、出会った初日くらいだが、その時4歳だったにも関わらず、シャルルは凍てつくような眼をしていたな、と隣にいるシャルルの横顔を見つめながらティファニアは思いだす。
 すると、返答がないことに少し神経を逆なでさせられたのか、シャルルは底冷えするような声で冷たく言い放った。

「用がないなら、もう近寄るな。私たちは、失礼させてもらう」

 シャルルはティファニアの手を引くと、さっさとその場を去った。
 ティファニアもそれに続く。

「ねえ、シャル、あの子、なに?」

 小声で尋ねると、シャルルは質問の意味を心得たように答える。

「あれは親が関わっちゃいけない人とつながっているんだよ」

 詳しくは言えない、という意味が含まれていることをティファニアは察し、それ以上は聞かなかった。しかし、シャルルがあの少年と会話することを止めた理由が分かって充分である。

「そっか。ありがとう。」
「うん、大丈夫。僕も遅くなったから」

 少し離れたところまで来ると、二人でお互いを確かめるように目を合わせた。

「ティファ、シャルル、遅くなった! 何とか逃げてきたぞ!」

 横から少し息が上がった声がかかると、シャルルは目を細めて不機嫌になった。今、ちょうど、いいところだったのだ。

「殿下、遅すぎたのでもう来なくてもよろしかったのですよ。ティファニア嬢は私が守りましたので」
「なっ!?」
「それに、時間ですね。私たちはもうそろそろお暇させていただきます。さあ、ティファニア嬢、ラティスおじ様のところに行きましょうか」

 そう言って、シャルルは優雅にティファニアにエスコートのための手を差し出すと、ティファニアはそっとその手に自分の手を重ねた。

「ええ、シャルル様。わたくし、疲れましたもの。それに、殿下、ティファニアですわ」
「ちょっ、まっ、待て! せっかくあいつらから逃げてきたんだぞ? 庭に行って、走って抜け出してきたのに、だ。なんでお前たちとほとんど話せずに終わるんだよ!!」
「それは時間だからです」

 シャルルが冷たく言い放つと、ティファニアはなんだか二人のやり取りを聞いてくすりと笑ってしまった。

「おい、ティファ! なに笑ってるんだよ!!」
「殿下、ティファニア嬢に当たらないでください」

 また言い合いを始める二人に、ティファニアはうふふと笑う。
 ジュリアンはきちんと励ませなかった。そして、友達は出来ず、お菓子はレベルが低く、髪のせいで避けられ、終いには変な少年に話しかけられてしまった。そんなお茶会だったが、ティファニアはこのいつもの会話が久しぶりに聞けただけで来てよかったのかな、と思えた。



*


どうやら作者はどうしてもシリアスにしたくなっちゃうみたいですw
そんなに重くないよ!

今回はいろいろと遮られてばっかりですね。
作者的にはシャルルが活躍できて嬉しいですw

お知らせです。
ちょっくら里帰りをするので1週間お休みします。
次の更新は来週の日曜日です。

ジュリアンについては、また。
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