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料理人は鼻高々のようです 中編
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初日の朝食はなにも問題なく終えたようだ。
ヴィヴィアナの侍女から彼女の食事の好みを聞いたが、どうやら油の多いものは好みではなく、比較的あっさりした風味が好きなようだ。食事の量も通常よりも少ないので小食のようである。朝はあまり量を食べることはなく少しのパンと多めの果物で済ませ、昼は野菜とメインに少しの魚か肉、夜はコースを食べるが、どれも野菜メインである。量をあまり食べてないかと思えば、おやつの甘いお菓子は通常よりも多く摂取しているし、そこで帳尻を合わせているのかもしれない。
ヴィヴィアナの専属としての生活は普段作らない野菜重視の料理ばかりだったので、新しいレシピを考案したりと忙しくもあったが、充実したものだった。毎日一度は侍女からヴィヴィアナからの感想ももらえるし、時々呼ばれて褒めてもらえるし、厨房でむさ苦しい男どもと低レベルな仕事をするよりもずっといい。本当にヴィヴィアナは女神のような人だ。
そうして半月ほどたったころ、モーリスは今日も晩餐の準備をしていた。すでに前菜とスープは出ているので、次は魚料理だ。今日は川魚のムニエルで、オーブンから包みを取り出して皿に野菜の彩りを加えつつ盛り付けていく。ソースで皿の縁に模様をつけて完成だ。ヴィヴィアナは喜んでくれるだろうか。
そう思っていると、ドタバタ足音が聞こえた。副厨房は食堂から少し離れていて、タイミングを合わせて侍女が食事を取りに来るくらいで他に往来するものはいないはずだ。モーリスは首を傾げながらも次の肉料理を温め始めた。しかし、足音は段々と近づき、扉が勢いよく開かれて肩を震わせて驚いてしまった。入ってきたのは伯爵様の護衛の一人だった。無遠慮な来訪に眉間にしわが寄る。
「なんですかい? こっちは忙しいんすよ。埃を立てられても困るんで早く出て行ってくだせい」
「どの口が言うんだ!?」
護衛は突然モーリスに掴みかかり、そのまま腕を後ろで拘束されてしまった。なにが起きているのか理解が追いつかない。なぜ自分がこんな扱いを受けなければならないのか。
「なにをするんだい!? 腕は料理人の命だぞ!」
「弁明は戻ってから聞く」
護衛に押されて、モーリスは歩き出すしかなかった。まだ晩餐が終わっていないと言うのに。
「オレはヴィヴィアナ様の専属だぞ!? こんな風にしていいと思っているのか!?」
「図々しい奴め。伯爵様の命令だ。黙ってついてこい」
「いてて……」
護衛の拘束は容赦なく、肩が外れそうだった。
少し歩いて食堂に着くと、待っていたと言わんばかりに扉が開かれる。中には涙を流して侍女に寄り添ってもらうヴィヴィアナと、その横で手を握る伯爵様、そしてなぜか料理長が青ざめた顔で立っていた。状況が理解できない。
伯爵様はモーリスを見ると、スッと目を細めた。
「やっと、来たか」
底冷えするような声にブルリと背筋が震えた。たった一言で伯爵様の怒りが伝わってくる。
「な、なにがあったんですや?」
思わずそんな言葉を口にしてしまった。この屋敷に来た時、使用人がまず最初に習うのは許可なく頭をあげてはいけないこと、そして許可なく話し始めてはいけないことだ。身分の低いものが身分が高い方に話しかけるなどしてはいけない。驚きでそのことが頭から抜け落ちてしまっていた。
「誰の許可を得て話している!?」
バンっと床に打ち付けられる。モーリスを連れてきた護衛とは別の、ヴィヴィアナが来た当初から彼女によく噛みついていた護衛だ。肺の中の空気が押し出されて呼吸が乱れる。息がままならない。
伯爵様はそれを冷え冷えとした視線で見下ろしていた。
「そこまででいい。話が聞けなくなるのは困る」
「はっ!」
護衛が下がり、モーリスはやっと空気を吸えた気分だった。酸素を取り込むために息が上がってしまう。しかし、伯爵様は呼吸が整うのを待ってくれる気はないようだ。
「――――して、釈明はあるのか?」
質問の意味がわからない。モーリスは胸を押さえながら首を傾げた。
「なん、のことですか……?」
まるで分かっていない態度が癪に触ったのだろう。伯爵様は目をカッと開くと、怒りのままに怒鳴った。
「白々しい! お前がヴィヴィアナの食事に毒虫を入れたのだろう!?」
「ど、毒虫!?」
伯爵様が指差す方を見ると、そこには確かに自分が作ったスープがある。長い時間煮込んで作ったコンソメと春野菜がたっぷり入った自慢のスープだ。苦いものが苦手なヴィヴィアナのために、野菜は一つ一つ丁寧に下処理して、苦味やえぐみをなくしている。それがどうしたのだろうかと思ったが、よく見ると皿の横にはナプキンが置かれ、その上に黒いなにかがのっている。
「アカガシラ!?」
アカガシラとはその名の通り頭に赤い小さな模様があるムカデのような虫だ。湿ったところに生息し、触ると患部が大きく腫れ、発熱と吐き気に襲われて最悪死に至る。この地方に住むものなら子供の頃から見つけたら触らないようにと口を酸っぱくして注意されるような虫である。そんな虫がなぜこんなところに? まさか伯爵様の言う通りスープに入っていたというのだろうか……?
「オ、オレは知りませんや!!」
慌てて首を強く横に振る。毒虫なんて入れるわけがない!
「なにを言うか! この料理に携わっているのはお前とヴィヴィアナの侍女だけだ。お前以外に誰がいる!?」
「オレじゃねぇ! 料理はしっかり確認している! ヴィヴィアナ様の侍女がやったに違いねぇですや!」
「罪を押し付けるつもりか!?」
「ほ、本当にやってねぇです……」
弁明するが、伯爵様の怒気に気圧されて声が段々小さくなっていく。
モーリスには本当に身の覚えがないことだった。ヴィヴィアナの料理に毒虫を入れるなんてあり得ない。彼女の専属として頑張り、そして料理長になるための口添えをしてもらうつもりだったのだからヴィヴィアナが死んでは元も子もない。殺すなんて考える訳がない。
やっていない、と何度も言うが、伯爵様は信じる気はないようだった。凍りそうなほど冷たい瞳でモーリスを一瞥する。そして未だ震えているヴィヴィアナを見ると、今度はゆっくりと話し始めた。怒りが収まってきたようにも思える落ち着いた声だった。
「ヴィヴィアナは毒虫を見て驚き、そしてまたなのか、と言って涙を流した。それがどう言うことか分かるか?」
モーリスに問いはしたが、答えを待つ気はないようだった。口を挟む隙もないまま話を続ける。
「事情を聞いてみれば、このような食事の異物が混入したのは初めてではないらしい」
ヒュッとモーリスは小さく息を飲んだ。そこでなんのことか理解したからだ。
「ヴィヴィアナがこの屋敷に来た頃に数度、虫や痺れ薬、嘔吐薬が食事に混ざっていたそうだ。幸い侍女のお陰でほとんどの難は逃れたが、巧妙に隠された薬は何口か摂取してしまい、体調を崩した。当時、私が忙しいからと大事にしたくないヴィヴィアナはなにも言わなかったそうだが、知ってしまっては話は別だ。――全く、十年後の世界の僕はなにをやっていたんだか……」
伯爵様はなにか最後にボソリと呟いたが、それはモーリスの耳には入ることはなかった。そして伯爵様は扉近くの料理長に視線を移す。ずっと立たされていた料理長の顔には血の気がなく、ブルブルと小刻みに震えている。
「料理長に聞こう。当時のヴィヴィアナの食事を作っていたのは誰か分かるか?」
「に、二年前なので正確な記憶ではないですが、モーリスと数人が作っていたはずです」
「言いがかりだ! こいつは嘘をつこうとしてますや! オレよりも料理がヘタだからってこんなことをするのか!?」
「黙れ」
モーリスの叫びは伯爵様の低い声ですぐに萎んでいいった。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
確かにモーリスは二年前、ヴィヴィアナの料理にちょっとしたイタズラをした。あの頃は妊婦だった奥様の好みではない食事を作ったと急に見習いに降格させられ、自暴自棄になっていたし、奥様の侍女たちがヴィヴィアナが困るようなことをすればまた専属に戻れるようにしてやると言ったからやったのだ。どれも少し困らせてやるくらいの細工で、そう大したことはしていない。ちょっとした虫は入れたがもちろんアカガシラのような毒虫なんて入れていないし、確かに薬系は料理に隠すのが少し楽しくなって回数を重ねたが、死ぬようなものではない。あれは奥様の侍女の指示だし、殺そうと思ったことなんて一度もない。どれもモーリスのせいではないのだ。あの時見習いから料理人に戻れはしたが、専属に返り咲くことは結局できなかった。本当に使えない女たちだ。今回こんな事態になったのもあの侍女たちのせいだ。
「オレはやってねぇですや!」
「本当か?」
やってないと釈明するが、伯爵様の凍えるような冷たい声に喉の奥が震える。
「今回のことと二年前のことに関係はないと? お前がやっていない証拠はあるのか?」
詰められるように質問され、グッとたじろいでしまう。だが、答えねばなにも悪くないのに自分のせいにされてしまう。震える喉で頑張って叫ぶ。
「本当にやってねぇです! ヴィヴィアナ様の専属になりたいのに毒虫を入れる訳ねぇですや! 証拠はねぇが、カメリアとメイビスなら知ってるはずです!」
「なぜ、その二人が知っていると?」
伯爵様に睨まれ、ハッと気づいた。自分が失言をしてしまったかもしれないことに。
「い、いや、あいつらならやりそうなことでしたんで……」
声が萎む。二年前のはあの侍女たちが悪い。自分は言われたからやっただけなのだ。
「ふんっ、表情も取り繕えないとは。否定するならまあいい。こちらも無理やり聞き出すまでだ。――アルバスト、こいつを拷問しろ」
「なっ!?」
モーリスは耳を疑った。拷問? そんなもの罪人が受けるものではないか。なぜモーリスがされねばならないのか。
「だ、だから、やってねぇです!」
叫ぶが、聞き入れてもらえないようだ。逃げようとするとすぐに護衛たちに捕まって腕を拘束されてしまう。身を捩るが、鍛えている彼らに敵うはずがない。連れて行け、と言う伯爵様の言葉とともに扉が開かれる。
「オレじゃねぇんだ!」
「待って!」
最後の抵抗として叫ぶと同時に、可憐な女性の声が響いた。今まで侍女と共に少し離れた椅子に座っていたヴィヴィアナだったが、ハンカチで涙を押さえながら近寄ってきて、伯爵様の裾を指先で引っ張る。
「待ってください、旦那様。わたし、旦那様に誰かが拷問されてるところなんて見て欲しくないです……」
「ヴィヴィアナ……」
「旦那様がわたしのことを想ってそうしてくれたのはわかっています。スープに虫が入っていて、二年前のように体調を崩しては、と怖かった。そしてまだこの屋敷のみんなに認められていないと思って悲しかった。けれど、――――旦那様にそう指示させてしまったことが、今は一番辛いです。領主になったら辛いことがあるのも、罪人を裁くことがあるのも知ってます。それは分かっているんですけれど、綺麗事かもしれなくても、ただでさえ悲しんでいる旦那様に、もう辛いことを背負わせたくないの……」
お願いします、とヴィヴィアナはまた泣きそうな顔になって伯爵様の手を握った。
モーリスはただ見ていることしかできなかったが、ヴィヴィアナが助けてくれた事実に胸が熱くなった。やはり彼女はモーリスの女神だ。
「君が、もし毒虫に気付かなければ、……もうこの世にいなかったかと思うと、頭に血が上った」
「はい。でも、わたしは生きています。だから、旦那様が無理なさる必要はありません」
伯爵様はヴィヴィアナを少し不器用に抱きしめた。モーリスはなんだかそれが不快で目を逸らした。
「あれはどうするつもりだ?」
伯爵様の問いかけにヴィヴィアナは少し考えて答えた。
「わたしが専属を考えていた料理人ですもの。責任を持って事実関係を調べてから処遇を決めます。それでよろしいですか?」
「その、君はいいのか? 君を殺そうとしたかもしれないのだぞ?」
「わたしには優秀な侍女や護衛、そして旦那様がおりますもの。大丈夫ですわ」
伯爵様は少し心配そうだったが、ヴィヴィアナの言葉に頷いた。そしてモーリスを強く睨んだ。
「次はないと思え」
モーリスは身体を震わせたが、伯爵様の護衛たちからヴィヴィアナの護衛に拘束が変更され、そのまま食堂から連れ出された。そして扉が閉まると、掴まれていた腕が解放される。ホッとした。やっと安心できる。
ヴィヴィアナに礼を言おうと振り返ると、なにやら楽しそうに笑っていた。
「ねぇ、副厨房に行きましょう?」
「副厨房に? ああ、まだ晩餐が終わってないですもんね。温めやす」
「いいえ、食事はいいのよ。ただ、旦那様に事実関係を確かめると言ってしまったわ。そうしないといけないの」
「事実関係?」
「ええ、貴方が二年前のことに係っているかを、ね」
いつも通り光が舞って身惚れてしまう表情なのに、なぜか恐ろしく見えた。
ヴィヴィアナの侍女から彼女の食事の好みを聞いたが、どうやら油の多いものは好みではなく、比較的あっさりした風味が好きなようだ。食事の量も通常よりも少ないので小食のようである。朝はあまり量を食べることはなく少しのパンと多めの果物で済ませ、昼は野菜とメインに少しの魚か肉、夜はコースを食べるが、どれも野菜メインである。量をあまり食べてないかと思えば、おやつの甘いお菓子は通常よりも多く摂取しているし、そこで帳尻を合わせているのかもしれない。
ヴィヴィアナの専属としての生活は普段作らない野菜重視の料理ばかりだったので、新しいレシピを考案したりと忙しくもあったが、充実したものだった。毎日一度は侍女からヴィヴィアナからの感想ももらえるし、時々呼ばれて褒めてもらえるし、厨房でむさ苦しい男どもと低レベルな仕事をするよりもずっといい。本当にヴィヴィアナは女神のような人だ。
そうして半月ほどたったころ、モーリスは今日も晩餐の準備をしていた。すでに前菜とスープは出ているので、次は魚料理だ。今日は川魚のムニエルで、オーブンから包みを取り出して皿に野菜の彩りを加えつつ盛り付けていく。ソースで皿の縁に模様をつけて完成だ。ヴィヴィアナは喜んでくれるだろうか。
そう思っていると、ドタバタ足音が聞こえた。副厨房は食堂から少し離れていて、タイミングを合わせて侍女が食事を取りに来るくらいで他に往来するものはいないはずだ。モーリスは首を傾げながらも次の肉料理を温め始めた。しかし、足音は段々と近づき、扉が勢いよく開かれて肩を震わせて驚いてしまった。入ってきたのは伯爵様の護衛の一人だった。無遠慮な来訪に眉間にしわが寄る。
「なんですかい? こっちは忙しいんすよ。埃を立てられても困るんで早く出て行ってくだせい」
「どの口が言うんだ!?」
護衛は突然モーリスに掴みかかり、そのまま腕を後ろで拘束されてしまった。なにが起きているのか理解が追いつかない。なぜ自分がこんな扱いを受けなければならないのか。
「なにをするんだい!? 腕は料理人の命だぞ!」
「弁明は戻ってから聞く」
護衛に押されて、モーリスは歩き出すしかなかった。まだ晩餐が終わっていないと言うのに。
「オレはヴィヴィアナ様の専属だぞ!? こんな風にしていいと思っているのか!?」
「図々しい奴め。伯爵様の命令だ。黙ってついてこい」
「いてて……」
護衛の拘束は容赦なく、肩が外れそうだった。
少し歩いて食堂に着くと、待っていたと言わんばかりに扉が開かれる。中には涙を流して侍女に寄り添ってもらうヴィヴィアナと、その横で手を握る伯爵様、そしてなぜか料理長が青ざめた顔で立っていた。状況が理解できない。
伯爵様はモーリスを見ると、スッと目を細めた。
「やっと、来たか」
底冷えするような声にブルリと背筋が震えた。たった一言で伯爵様の怒りが伝わってくる。
「な、なにがあったんですや?」
思わずそんな言葉を口にしてしまった。この屋敷に来た時、使用人がまず最初に習うのは許可なく頭をあげてはいけないこと、そして許可なく話し始めてはいけないことだ。身分の低いものが身分が高い方に話しかけるなどしてはいけない。驚きでそのことが頭から抜け落ちてしまっていた。
「誰の許可を得て話している!?」
バンっと床に打ち付けられる。モーリスを連れてきた護衛とは別の、ヴィヴィアナが来た当初から彼女によく噛みついていた護衛だ。肺の中の空気が押し出されて呼吸が乱れる。息がままならない。
伯爵様はそれを冷え冷えとした視線で見下ろしていた。
「そこまででいい。話が聞けなくなるのは困る」
「はっ!」
護衛が下がり、モーリスはやっと空気を吸えた気分だった。酸素を取り込むために息が上がってしまう。しかし、伯爵様は呼吸が整うのを待ってくれる気はないようだ。
「――――して、釈明はあるのか?」
質問の意味がわからない。モーリスは胸を押さえながら首を傾げた。
「なん、のことですか……?」
まるで分かっていない態度が癪に触ったのだろう。伯爵様は目をカッと開くと、怒りのままに怒鳴った。
「白々しい! お前がヴィヴィアナの食事に毒虫を入れたのだろう!?」
「ど、毒虫!?」
伯爵様が指差す方を見ると、そこには確かに自分が作ったスープがある。長い時間煮込んで作ったコンソメと春野菜がたっぷり入った自慢のスープだ。苦いものが苦手なヴィヴィアナのために、野菜は一つ一つ丁寧に下処理して、苦味やえぐみをなくしている。それがどうしたのだろうかと思ったが、よく見ると皿の横にはナプキンが置かれ、その上に黒いなにかがのっている。
「アカガシラ!?」
アカガシラとはその名の通り頭に赤い小さな模様があるムカデのような虫だ。湿ったところに生息し、触ると患部が大きく腫れ、発熱と吐き気に襲われて最悪死に至る。この地方に住むものなら子供の頃から見つけたら触らないようにと口を酸っぱくして注意されるような虫である。そんな虫がなぜこんなところに? まさか伯爵様の言う通りスープに入っていたというのだろうか……?
「オ、オレは知りませんや!!」
慌てて首を強く横に振る。毒虫なんて入れるわけがない!
「なにを言うか! この料理に携わっているのはお前とヴィヴィアナの侍女だけだ。お前以外に誰がいる!?」
「オレじゃねぇ! 料理はしっかり確認している! ヴィヴィアナ様の侍女がやったに違いねぇですや!」
「罪を押し付けるつもりか!?」
「ほ、本当にやってねぇです……」
弁明するが、伯爵様の怒気に気圧されて声が段々小さくなっていく。
モーリスには本当に身の覚えがないことだった。ヴィヴィアナの料理に毒虫を入れるなんてあり得ない。彼女の専属として頑張り、そして料理長になるための口添えをしてもらうつもりだったのだからヴィヴィアナが死んでは元も子もない。殺すなんて考える訳がない。
やっていない、と何度も言うが、伯爵様は信じる気はないようだった。凍りそうなほど冷たい瞳でモーリスを一瞥する。そして未だ震えているヴィヴィアナを見ると、今度はゆっくりと話し始めた。怒りが収まってきたようにも思える落ち着いた声だった。
「ヴィヴィアナは毒虫を見て驚き、そしてまたなのか、と言って涙を流した。それがどう言うことか分かるか?」
モーリスに問いはしたが、答えを待つ気はないようだった。口を挟む隙もないまま話を続ける。
「事情を聞いてみれば、このような食事の異物が混入したのは初めてではないらしい」
ヒュッとモーリスは小さく息を飲んだ。そこでなんのことか理解したからだ。
「ヴィヴィアナがこの屋敷に来た頃に数度、虫や痺れ薬、嘔吐薬が食事に混ざっていたそうだ。幸い侍女のお陰でほとんどの難は逃れたが、巧妙に隠された薬は何口か摂取してしまい、体調を崩した。当時、私が忙しいからと大事にしたくないヴィヴィアナはなにも言わなかったそうだが、知ってしまっては話は別だ。――全く、十年後の世界の僕はなにをやっていたんだか……」
伯爵様はなにか最後にボソリと呟いたが、それはモーリスの耳には入ることはなかった。そして伯爵様は扉近くの料理長に視線を移す。ずっと立たされていた料理長の顔には血の気がなく、ブルブルと小刻みに震えている。
「料理長に聞こう。当時のヴィヴィアナの食事を作っていたのは誰か分かるか?」
「に、二年前なので正確な記憶ではないですが、モーリスと数人が作っていたはずです」
「言いがかりだ! こいつは嘘をつこうとしてますや! オレよりも料理がヘタだからってこんなことをするのか!?」
「黙れ」
モーリスの叫びは伯爵様の低い声ですぐに萎んでいいった。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
確かにモーリスは二年前、ヴィヴィアナの料理にちょっとしたイタズラをした。あの頃は妊婦だった奥様の好みではない食事を作ったと急に見習いに降格させられ、自暴自棄になっていたし、奥様の侍女たちがヴィヴィアナが困るようなことをすればまた専属に戻れるようにしてやると言ったからやったのだ。どれも少し困らせてやるくらいの細工で、そう大したことはしていない。ちょっとした虫は入れたがもちろんアカガシラのような毒虫なんて入れていないし、確かに薬系は料理に隠すのが少し楽しくなって回数を重ねたが、死ぬようなものではない。あれは奥様の侍女の指示だし、殺そうと思ったことなんて一度もない。どれもモーリスのせいではないのだ。あの時見習いから料理人に戻れはしたが、専属に返り咲くことは結局できなかった。本当に使えない女たちだ。今回こんな事態になったのもあの侍女たちのせいだ。
「オレはやってねぇですや!」
「本当か?」
やってないと釈明するが、伯爵様の凍えるような冷たい声に喉の奥が震える。
「今回のことと二年前のことに関係はないと? お前がやっていない証拠はあるのか?」
詰められるように質問され、グッとたじろいでしまう。だが、答えねばなにも悪くないのに自分のせいにされてしまう。震える喉で頑張って叫ぶ。
「本当にやってねぇです! ヴィヴィアナ様の専属になりたいのに毒虫を入れる訳ねぇですや! 証拠はねぇが、カメリアとメイビスなら知ってるはずです!」
「なぜ、その二人が知っていると?」
伯爵様に睨まれ、ハッと気づいた。自分が失言をしてしまったかもしれないことに。
「い、いや、あいつらならやりそうなことでしたんで……」
声が萎む。二年前のはあの侍女たちが悪い。自分は言われたからやっただけなのだ。
「ふんっ、表情も取り繕えないとは。否定するならまあいい。こちらも無理やり聞き出すまでだ。――アルバスト、こいつを拷問しろ」
「なっ!?」
モーリスは耳を疑った。拷問? そんなもの罪人が受けるものではないか。なぜモーリスがされねばならないのか。
「だ、だから、やってねぇです!」
叫ぶが、聞き入れてもらえないようだ。逃げようとするとすぐに護衛たちに捕まって腕を拘束されてしまう。身を捩るが、鍛えている彼らに敵うはずがない。連れて行け、と言う伯爵様の言葉とともに扉が開かれる。
「オレじゃねぇんだ!」
「待って!」
最後の抵抗として叫ぶと同時に、可憐な女性の声が響いた。今まで侍女と共に少し離れた椅子に座っていたヴィヴィアナだったが、ハンカチで涙を押さえながら近寄ってきて、伯爵様の裾を指先で引っ張る。
「待ってください、旦那様。わたし、旦那様に誰かが拷問されてるところなんて見て欲しくないです……」
「ヴィヴィアナ……」
「旦那様がわたしのことを想ってそうしてくれたのはわかっています。スープに虫が入っていて、二年前のように体調を崩しては、と怖かった。そしてまだこの屋敷のみんなに認められていないと思って悲しかった。けれど、――――旦那様にそう指示させてしまったことが、今は一番辛いです。領主になったら辛いことがあるのも、罪人を裁くことがあるのも知ってます。それは分かっているんですけれど、綺麗事かもしれなくても、ただでさえ悲しんでいる旦那様に、もう辛いことを背負わせたくないの……」
お願いします、とヴィヴィアナはまた泣きそうな顔になって伯爵様の手を握った。
モーリスはただ見ていることしかできなかったが、ヴィヴィアナが助けてくれた事実に胸が熱くなった。やはり彼女はモーリスの女神だ。
「君が、もし毒虫に気付かなければ、……もうこの世にいなかったかと思うと、頭に血が上った」
「はい。でも、わたしは生きています。だから、旦那様が無理なさる必要はありません」
伯爵様はヴィヴィアナを少し不器用に抱きしめた。モーリスはなんだかそれが不快で目を逸らした。
「あれはどうするつもりだ?」
伯爵様の問いかけにヴィヴィアナは少し考えて答えた。
「わたしが専属を考えていた料理人ですもの。責任を持って事実関係を調べてから処遇を決めます。それでよろしいですか?」
「その、君はいいのか? 君を殺そうとしたかもしれないのだぞ?」
「わたしには優秀な侍女や護衛、そして旦那様がおりますもの。大丈夫ですわ」
伯爵様は少し心配そうだったが、ヴィヴィアナの言葉に頷いた。そしてモーリスを強く睨んだ。
「次はないと思え」
モーリスは身体を震わせたが、伯爵様の護衛たちからヴィヴィアナの護衛に拘束が変更され、そのまま食堂から連れ出された。そして扉が閉まると、掴まれていた腕が解放される。ホッとした。やっと安心できる。
ヴィヴィアナに礼を言おうと振り返ると、なにやら楽しそうに笑っていた。
「ねぇ、副厨房に行きましょう?」
「副厨房に? ああ、まだ晩餐が終わってないですもんね。温めやす」
「いいえ、食事はいいのよ。ただ、旦那様に事実関係を確かめると言ってしまったわ。そうしないといけないの」
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