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第十話
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しおりを挟む「私たちの準備の間、店長のところにいるって言ってたのは、浴衣を着せてもらうためだったんだね」
「ううん。そういうわけじゃなかったんだけど、話の流れで着せてもらえることになって。最後に、いい思い出になるだろうって」
「そっか。……うん、すごくいい」
こうして外で待ち合わせるのも、浴衣姿も、とても新鮮でドキドキしてしまう。
星奈はその胸を高鳴らせる感情にだけ集中して、軋むような痛みは意識しないようにした。
意識しても、終わりは来る。それなら、できるだけ楽しいことにだけ集中して、残りの時間を幸せに過ごしたいと思ったのだ。
「もうっ! 何で金子は普通の服なの!? 今日は祭りだよ! もっと気合い入れて来てよ!」
夏目は、いつも通りの格好で来た金子に腹を立てていた。せっかく可愛い浴衣を着ているのに、プリプリしている。
「まあまあ、夏目ちゃん。金子くんが着てなくても、夏目ちゃんが浴衣なんだからいいじゃん」
「篤志さんは黙っててください! てか、何で甚平なんですか!?」
「えー……」
甚平姿の篤志が、仲裁に入って八つ当たりされている。
どうなることかと星奈たちが見守っていると、それまでずっと眠そうに黙っていた金子がおもむろにスマホを取り出して、プリプリ怒る夏目の写真を撮り始めた。
「夏目、俺は自分の可愛い彼女の浴衣姿を撮りたいんだけど。できたら笑って欲しい」
「なっ……」
金子の言葉によって、夏目は一瞬にして固まった。こんなことを言われて、怒り続けるのは難しい。夏目の機嫌は、あっという間に治ってしまった。
金子の巧みな夏目の扱いにみんなで感心しつつ、一同は縁日の屋台巡りに出発した。
まずは腹ごしらえと思っていろいろ見てみるけれど、目移りしてしまってなかなか決まらない。
様々な屋台の中でもたこ焼きや箸巻き、お好み焼きなどの粉物のソースの香りが気になりはしたものの、日頃「トントン」でおいしいお好み焼きを食べているため、誰も買おうとはしなかった。
粉物を外してその他の定番といえば焼き鳥やイカ焼きということになったけれど、それらを買って食べると今度は大人たちはアルコールが恋しくて仕方なくなった。
夏目と金子の未成年カップルにならって大人たちもラムネを飲みながら屋台を巡り、お腹が少し膨れると今度は食べ物以外を見て回ることにした。
「エイジ、俺と一緒に射的やろうぜ」
「うん、いいよ」
篤志は、ずっとエイジにくっついている。今も肩を組んで、射的の屋台へと向かっていってしまった。
「篤志さん、エイジさんの帰国が相当寂しいんですね。仲良くなりたくてべったりでしたし、最近本当に打ち解けてきたのに」
射的の屋台に並ぶ二人を見て、金子が言った。
今日お祭りに来たのは、エイジのお別れ会も兼ねている。エイジは七月いっぱいまで「トントン」で働いて、八月に帰国することになっている。
最後まで“謎の多い留学生”で通すことができたのだ。
星奈は、このおおらかな人々に心の中で感謝した。
「ねえー星奈さん、どれが欲しいー?」
射的のコルク銃を手にした篤志が、手招きしながら尋ねてきた。その横でエイジも、ニコニコして星奈を見ていた。
射的の的となる景品は、子供が喜びそうなオモチャやぬいぐるみだ。そのどちらもどこかで見たことがあるものを模した見た目をしていて、星奈は思わず笑ってしまった。
「ぬいぐるみが欲しいな。あの黄色い、眉毛が生えたクマさん」
どのぬいぐるみも憎めない顔をしていて気になるのだけれど、星奈は特に太眉の生えた黄色いクマが気になっていた。
「よし! じゃあエイジ、二人であの黄色いクマを狙うぞ」
「わかった」
篤志とエイジは声をかけあって、銃を構えた。
ぬいぐるみはわりと重さがあるのか、篤志とエイジがそれぞれ五発ずつ撃ち込んでも体が大きく傾くだけで、落ちてこなかった。篤志が店主から追加で弾をもう五発買って、そのうち三発を撃ち込むとようやく黄色いクマは落下した。
「はい、星奈さん」
「ありがとう、篤志くん。エイジも」
篤志に差し出されたクマに、星奈はギュッと抱きついた。二人が苦労して取ってくれたのだと思うと嬉しくてたまらなかったのだ。
「そんなに喜んでもらえるなら、頑張った甲斐があるよ。な、エイジ」
「うん、よかった」
篤志がニッと歯を見せて笑うと、エイジも微笑んだ。
「エイジ、次は何したい?」
「ヨーヨー釣り。あの、風船のやつ」
「いいな! じゃあ、どっちが多く取れるか競争な!」
ぬいぐるみをゲットしたことでテンションが上がった篤志は、エイジを伴ってヨーヨー釣りの屋台めがけて行ってしまった。
星奈たちはそばまで行って、それを見守った。どちらにもそれぞれ応援がついたけれど、結局篤志は力みすぎて早々にこよりが切れてしまい、最後の最後まで丁寧に釣り続けたエイジの圧勝だった。
「せっかくだから、みんなに一個ずつあげる」
そう言って、エイジは星奈たちにヨーヨーをひとつずつくれた。
それからみんなでヨーヨーをペチペチさせながら、前川おすすめの花火鑑賞スポットに向かった。
「花火ってきれいだから好きなんですけど、打ち上がり始めると、お祭りが終わっちゃうんだなあって思って寂しくなるんです」
この祭りの花火は、最初のほうは雰囲気を盛り上げるためにハートやスマイルマークの花火が打ち上がる。それらを見上げて、夏目がポツリと言った。
「盛り上がるにつれてどんどん気分は上がるけど、それと同時に切ない感じもするよね」
そう言う幸香の声は、早くも湿っぽくなっている。
可愛らしい形の花火がひと通り上がると、次はスターマインと呼ばれる短時間にたくさんの玉が連続で打ち上がる花火が夜空を鮮やかに彩る。
それからは大輪の菊花火、牡丹花火、色とりどりの小さな菊が集まって咲く彩色千輪菊、光の帯がしだれるように下へ流れる柳と、次々に見応えある花火が打ち上げられた。
みんな一様に空を見上げているけれど、意識しているのは別のことだ。
「……エイジ! 国に帰っても、俺たちのことを忘れないでくれよ!」
ずっと我慢していた様子だったのに、ついにこらえきれなくなった篤志がエイジに抱きついた。
「エイジさん! 俺、いつか世界旅行に行くんで、そのときに絶対にエイジさんの国に行きます! そしたら、一緒にキャンプしましょうね……!」
篤志に触発されたのか、金子まで感傷的になってしまったようでエイジに抱きついていた。それを見て、幸香がしゃくり上げる。
「……もうっ。泣かないって決めてたのに、そんなの見せられたらだめだ……。エイジ、ありがとね。いっぱいいっぱいありがとう!」
抱きつきはしないものの、篤志と金子にしがみつかれているエイジの肩に手をおいて、幸香は鼻をぐすぐす言われた。
幸香の「ありがとう」に込められている意味がわかるから、星奈も胸が熱くなった。
「みんな泣いたら、私も泣いちゃいますよー。うわー寂しいー」
最後は夏目まで走っていって、エイジは四人にもみくちゃにされていた。
みんな泣いているのに、エイジは笑顔だ。どこまでも晴れやかで、満足げな顔だ。
「牧村さんは、もう平気? いろいろと」
団子のようにくっついているエイジたちを微笑ましく見守っていた前川が、不意に星奈に尋ねた。
前川が何を尋ねようとしているのか考えてから、星奈は頷いた。
「はい。エイジがたくさんのものをくれたので」
「じゃあきっともう、思い残すことはないね」
「そうですね……そうだといいな。エイジにとって、いいモニター体験だったなら、私も本当に嬉しいです」
「君が嬉しいなら、きっと彼も嬉しいよ」
前川は、本当にそう信じているというように言った。
だから星奈も、そうなのだと信じることにした。
星奈に悔いはない。だから、エイジもこの半年が幸せだったのだ。
「ほらほら。みんな、泣きやんで。花火見なきゃ、もったいないよ。そろそろ、終わりそう」
星奈はエイジたちに駆け寄っていって、団子になるのに参加した。そして、空を見るよう促す。
クライマックスに向けて夜空には、連続して大玉が上がっている。
赤が、黄色が、ピンクが、まばゆい光の花となって空に浮かぶ。ひとつが消えるより先に次が打ち上げられるから、目もくらむほどの眩しさだ。
その一瞬の眩しさを目に焼き付けるために、星奈は瞬きもせずに空を見つめ続けた。
五年後も十年後も、エイジと見たこの空を思い出せるように。
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