【完結】終末世界を神さまと

霜月

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第3話 成れ果て

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 気ままに進んでいた車は、ある場所に到着する。
「大きいのぉ。どうりで中々着かなんだ訳じゃ」
「この向こうに行けば人がいるのかな」
「どうじゃろうな」
 二人の前には、都市を跨ぎ、彼方へと続く巨大な橋があった。
 この都市に来た時からずっと視界に入っていた場所。ここ数日、二人はこの橋を目的地として車を走らせていた。
 橋を越えた先に何があるのかは分からない。しかし安住の地を求める二人には、歩みを止めるという選択肢はない。
 ココンはアクセルを更に踏み、橋を渡り始めた。
 だが突如として急ブレーキが踏まれる。その衝撃でユタは車外に放り出されそうになる。
「ココン危ないだろ!」
「すまん」
 ユタの怒りに対してココンは謝るが、その言葉は低く、そして重々しかった。
 まるで何か異変を察知したような態度に、ユタは恐る恐る聞く。
「何かあったの?」
「あぁ」
 ココンは車を降りると、それの元へ歩いて行く。
「やはりか……」
 そこにあったのは、道路から橋へと終わりなく続いている、削るように抉れた細い一本線。そしてその跡を追うように点々と落ちている、吐き気を催すほどの腐臭を放つ紫色の肉片。
「行先はどっちか……」
 劣化具合を見るに、ここを通ってからそう日は経っていない。痕跡の犯人と進行方向が同じだとすれば、渡っている最中に鉢合わせる可能性がある。出来ることならば接触は避けたい。しかし辺りに同じような橋は見当たらない。ココンは考え込んだ。
「行こうよ」
 迷うココンの背に、ユタは言葉を掛ける。
「危険じゃぞ。下手すれば命に係わる」
「大丈夫だよ。ココンがいるんだもん」
 何を持っての信頼か。純粋無垢なその言葉にココンは小さく笑い飛ばす。
「そうじゃな。儂がユタを守ってやる。行くか」
 不安は払拭された。ココンは覚悟を決めて車へと戻った。
 ※※※
 橋を渡り始めてからどれくらい経っただろうか、痕跡を途切れることなく二人の隣に刻まれ続けている。
 アクアリウムとなった都市を見下ろして進み続ける車だったが、突然路肩へと寄っていく。
「運の悪い。こっちにおったか」
「成れ果て……」
 二人の視界の先に映るのは、命を刈り取ることを生業とする生物【成れ果て】だ。かつて人であったそれは、全身が数多の芽に覆われて醜悪な見た目の中に、かろうじて隙間から覗く服が、皮膚が、髪が人間であったことを証明している。
「あんなバカでかい刃物で襲われたら、ひとたまりもないの」
 削り跡である右手と融合している錆びた身の丈ほどの刃物を見て、ココンは言葉をこぼす。
 刃物を引きずり、今にも消え去りそうなおぼつかない足取りで、成れ果てはどこかへと向かっている。
 ココンの隣でユタの呼吸が浅く速くなっていく。
「ユタ、しっかりせい。ユタ」
 大きく見開いた目は囚われたように成れ果てを見ている。
 ユタの中ではかつて見た成れ果ての姿が、それによる惨状が映し出されていた。このままでは心を壊されてしまう。ココンはユタの頬を叩いた。
「落ち着け。大丈夫じゃ。覚悟を決めてきたんじゃろ。儂が守ってやる。だから安心するんじゃ」
 ユタはじんじんと痛む頬を押さえ、ココンの目を見る。その目は揺るぎなく、そして恐怖さえも押し退ける強さがあった。
「ごめん」
 ユタの謝罪に、ココンは朗らかな笑みを浮かべる。しかし次の瞬間には真剣な顔つきに戻り、緊張を含んだ声を発する。
「このままゆくが騒ぐなよ。奴らに見つかれば地の果てまで追いかけて来る」
「分かってるよ」
 二人は息を潜め、車を走らせた。
 普段は気にならないエンジン音がとてもうるさく感じる。距離が縮まるたび、鼓動がドラムでも叩いているのかと思うほどに鳴り響く。
 未だ成れ果ては二人には気付いていない。このまま波風立たずに終わってくれと願い、成れ果ての横を過ぎようとした、その時だった。
 グリンと成れ果ての首が二人に向く。
「クソッ、気付かれた!」
「ココン早く!」
 エンジンが全力で叫ぶと、タイヤが金切り声を上げて地面を擦り、駆け出す。
 その背後から金属が地面を砕く音と重い風を切る音が鳴り響く。背後を見たユタの目には、怒り狂ったように刃物を振る成れ果ての姿が映っていた。もしも追いつかれれば為す術もなく殺されるだろう。ユタはぎゅっと目を瞑り、顔を前に戻した。
 しかしそれは杞憂に終わる。成れ果ても元は人間。車の速度に追い付ける筈もなく、距離はどんどんと開いていく。
「良かった。これなら大丈夫だね」
「あぁ、ヒヤヒヤさせおる」
 二人は安堵した表情を見せた。次の瞬間―――
「ッ!」
「うわぁ!」
 大きなくぼみにタイヤが引っ掛かった。止まりはしなかったもののハンドルを取られ、車は橋の外へと身を投げ出しに行ってしまう。
「クソッ!」
 ココンは慌ててハンドルを戻そうとするが、成れ果てとの接触を避ける為、橋の淵を走っていた車を戻すには時間が足りない。
 車は大きくスピンすると、無情にも塀にぶつかる。
「うぅ……」
「ユタ! 大丈夫か⁉」
 車は塀を壊したところで停止し、奇跡的に落下せずに済んだ。
 ココンはすぐさまユタの安否を確認する。
 遥か昔の車だ。エアバックの機能は壊れている。衝撃を全て受けたユタだったが意識はあった。しかし頭から血を流しており、意識は朦朧とし、自力で動くことは出来ない。
 ココンは痛む体に鞭を打つと、車から降りてユタを車外へ引っ張り出そうとした。だが右足が挟まっているのか、ユタを動かすことが出来ない。
「すぐに助け出してやる! 待っとれ!」
 車体と挟まる箇所に手をねじ込むと、ココンは持てる力を使いこじ開けようとする。
「クソッ……動けッ」
 だがびくともしない。
「ココン……一人で逃げて」
「何を言うとる! 二人で逃げるんじゃ!」
 諦めを口にするユタを叱責すると、ココンは奥歯が砕けるほどに噛み締めて、力を籠めた。
 車は前部分がプレス機に掛けたように潰れている。例えユタを助け出せたとしても逃げる足がない。それならユタを見捨てて逃げる方が現実的だ。
 しかし、ココンはその手を止めなかった。
「諦める訳にはいかんのじゃッ……。儂はお主を守ると約束したッ……」
 カウントダウンのように破壊音が近づいている。
 このままでは共倒れ。ココン顔に苦悩の表情が浮かび、手が止まる。ココンは拳を握り締め、ユタを見る。
「一か八かじゃ……。ユタ、耐えろよ」
 ココンは割れた車のフレームを手に取ると、表情はそのままに、しかし迷うことなくユタの挟まる足目掛けて全力で振り下ろした。
 大きく車体が揺れる。それと同時にユタの絶叫が響き渡った。
「ああああぁぁぁぁぁ!」
「ユタ、耐えるんじゃ!」
 助け出す為とはいえ、あまりにも残酷な決断。しかしそれだけでは終わらない。ユタを押さえつけると、ココンは掌から炎を生み出す。
 煙が上がると、更なる絶叫が一帯に響き渡り、暴れ狂うユタにココンは突き飛ばされる。
「すまん。これしか方法がなかったんじゃ」
 泣き叫び続けるユタを抱え、ココンは塀に上る。橋の下には底に見えない海が広がっている。
「成れ果て! 追えるものなら追ってみぃ!」
 まるで挑戦状を叩き付けるように叫ぶと、ココンはユタを抱えて橋から飛び降りた。
 そして二人を追って成れ果て塀を突き破ると爆発と見まごう水飛沫と音を立て、姿を消した。
 ※※※
「何見せたの?」
 成れ果ての飛び降りた塀から水面を眺めながらユタは聞いた。
「儂らが事故を起こし、橋から飛び降りたように幻覚を見せた」
「溺れちゃったのかな。かわいそうだよね」
「仕方のないことじゃ。そうせんと儂らが殺されておった」
「うん」
 そうするしかなったとユタも分かってはいる。しかし、形はどうあれ成れ果てもこの星の命。無意味に命を奪ったという結果が頭の隅から離れなかった。
「何で生き物は成れ果てになっちゃうんだろうね」
「星が命の存在を拒絶しておるのか、それとも……」
 ココンは想像の域を出ない考えを飲み込む。
「いつかボクも成れ果てになるのかな」
「大丈夫じゃ。儂がおる限りそんなことは起こさせん」
 ユタの頭を優しく撫でると、ココンは手に持っている色褪せた写真を見つめた。
 そこには太陽に負けないほどの満面の笑みを浮かべた大人の男女と幼い少女が写っていた。
「それって成れ果てが持ってたの?」
「あぁ……」
 もしかするとあの歩みは家族の元へ辿り着く為のものだったのかもしれない。その歩みを止めてしまった。二度と辿り着けないようにしてしまった。
 ココンはそっと写真を風に乗せた。その風が持ち主の元へ戻る方舟となるようにと願って。
 写真は風に乗り、海へと吸い込まれていった。
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