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第6話 蛇の村
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村を探し、北へ北へと車を進めていた二人は、複雑に水路が入り乱れる道を走っていた。
「村ってどこにあるんだろうね」
「もしかしたら過ぎてしまっているかもしれんのぉ」
「えぇー」
ユタは車窓にもたれ、口を尖らせた。
もう何日も車を走らせている。期待だけを胸に過ごす日々は生殺しも同然だ。
しかし、文句を言っても村が現れてくれる訳もない。二人は水路の奏でる心地よい音を聞きながら道を進んで行くが、突然、後輪の乗った地面が崩れる。
「なっ!」
「うわぁ!」
二人は慌てて車体にしがみ付く。
「最悪じゃの。完全にはまってしもうとる」
いくらタイヤを回そうとも、空回りをするのみ。地面の下が空洞になっており、タイヤが触れる隙間すらない。
「歩きはやだよ。ここら辺何もないよ」
「どうにかして救出したいのぉ」
しかし辺りを見回しても、あるのは水路だけ。使える道具もありはしない。
完全な手詰まり状態にココンは頭を掻く。
そんな時、何処かからか声が聞こえた。
「ねぇ、何か聞こえなかった?」
「人の声じゃ」
人より耳の良いココンには、はっきりと人の声が聞こえていた。
「……い、おーい」
声のする方向に目をやると、白装束に身を包んだ女が手を振って走ってきていた。
「人だ!」
ユタも「おーい」と大きく両手を振って返した。
「やぁ。キミ達、こんなところで何しているんだい?」
二人の元までたどり着いた女は、薄っすらと額に浮かんだ汗を拭うと、爽やかな笑顔を向けて聞いた。
「車がはまっちゃって動かないの」
「なるほどね。それなら村の男衆を連れて来よう。すぐに車を出してあげるよ」
「やったー! ありがとう!」
ユタが喜ぶ一方、ココンはいぶかし気な表情をしていた。
あまりにもとんとん拍子で進んで行くこの状況に違和感を覚えていた。
ココンはユタの前に躍り出ると、獣の目つきで女に問う。
「貴様、何者じゃ。何の用があってここに来た。まるで儂らがいることを分かっておったように見えるが」
静かに、だが気圧される圧を放つココンの言葉。しかし女は一切態度を崩さない。まるで面を張り付けたような表情で答える。
「私はこの先にある村の住人のシナイと申します。村を治める白蛇仙人は全てをお見通しなのです。故に私目が様子を見に来たのです。どうか心配なさらず。私共はあなた方を害するつもりはございません」
嘘か誠か。その村がロトンの訪れた村ならば、その白蛇仙人が神ということになる。
完全に信用できるわけではないが、今は頼らざるを得ない。
「分かった。では助力を頼む」
「はい。喜んで。それでは男衆を呼んでまいりますので、少々お待ちください」
その善意に疑惑の目を向けながらも、ココンはシナイが村人を連れて来るのを待った。
※※※
暫く待つと、シナイは同じ白装束に身を包んだ五人の男達を連れてきた。その者達の力もあって、車は簡単に引き上げられた。
「助かった。礼を言う」
「ありがとうございます」
「いえ。私達はやるべきことをしたまでですので」
変わらず謙虚な姿勢を見せるシナイは「それよりも」と言葉を続ける。
「どうでしょう。白蛇仙人が旅のお方とお話がしたいとのことなので、村に来てはいただけませんか?」
安住の地を探すという目的の元、旅をしてきたのだ。この提案を拒否する理由はない。
ココンが渦巻く不安を払拭出来ず、返答に詰まる中、代わりにユタが答える。
「いいよ。行こ」
「ユタ!」
「大丈夫だよ。話するだけなんでしょ? それにやっと村を見つけたんだよ。行かないと」
「分かった」
ユタに説得される形で、渋々ココンは車へと乗り込んだ。
※※※
村までの道のりはそれまで通っていた道と変わりなかった。二人は、シナイ達の後ろを車に乗ってついていく。
「シナイさん、あそこ何?」
ユタの見る先にはぽっかりと穴が開き、湖となっている箇所があった。そこを渡る為の橋はあるが、車で渡れば壊れそうなほど劣化している。
「この水路は遥か昔に作られたものですので、私には分かりかねます」
先程までの親しみすい態度は異なり、冷たい返事が返ってくる。
「そっか。ココンは何だと思う?」
そんな態度に一瞬疑問符を浮かべながらも、ユタに気にする様子を見せなかった。
それよりも、代り映えのない景色の中にあった変化に興味を示し、ココンにも話を振る。
「ん? なんじゃろうな。分からん」
返事は酷く淡白だった。同じものを見ているのに心ここに在らずと言った様子だ。
そんな様子に、ユタは自分が勝手に決定を下したこと怒っているのだと思い、口を閉じた。
そしてそのまま、一行は静かに村へと進行していった。
※※※
「さて、そろそろですよ」
シナイの言葉通り、大きな囲いが水路の中に現れる。
ぐるっと囲まれた塀には何の装飾もなく、中の音も聞こえない。村と言われなければ、何であるかは分からない外装だ。
「では車のまま中へどうぞ」
シナイに促され、ユタとココンは唯一ある塀に開けられた正門から村へと入た。
するとそこには今まで見たことのない光景が広がっていた。
「人が……いっぱいいる」
「……」
綺麗に建てられた住居の数々。行きかう人々。奥にはこうじょうだろうか。大きな施設もある。村としての形を成した場所がそこにはあった。
しかし同時に違和感もあった。全員が同じ白装束に身を包み、仮面を取り付けたように表情が固まっている。
初めこそ感動したものの、その異様さにユタはココンの服を掴んでいた。
そんな二人の前に、薄っすらとした笑みと共に出迎えの言葉が投げかけられる。
「ようこそ。待っていたよ」
後ろ手を組み現れた青年の恰好は、他の村人とは異なり、金色の装飾の施されたチャイナ服を着ていた。
一目で分かる。この男こそが、村を治める神だと。
車から降りた二人は、男の形をした神と向き合う。
舐め回すような視線が二人の体を滑る。捕食者に狙われる小動物のような感覚に襲われ、ユタは身震いする。
「初めまして。僕はこの白村を治める神だ。今は白蛇仙人と名乗っている。皆は僕のことを白蛇仙人や白蛇様と呼んでいる。君達も好きに呼ぶといいよ」
白蛇仙人は笑みを崩さず言葉を紡ぐ。
それは村人の張り付けられた表情と違う。ココンには獲物をおびき寄せる為の罠。詐欺師の笑みに感じられた。
「では白蛇の。単刀直入に聞く。貴様、村人に何かしておるな」
ココンの温度を感じさせない言葉に白蛇仙人の口がピクリと動く。
「何を言ってるんだい? そんなこと」
ある訳ないでしょ。
そう口にしかけて、白蛇仙人は首を振った。
「いや、誤魔化したって怪しまれるだけか。そうだよ。村人には仕込みをしてある」
「やけにあっさりと白状するんじゃな」
以前、淡々とココンは詰める。
「だって君も同類でしょ? だったら説明して理解してもらった方が早いじゃん」
「だったら聞かせてもらおうかの。人を弄ぶ理由を」
「いいよ。けど、立ち話をするには長いから、僕の家で話そうか。君達のことも聞きたいしね」
そう言うと、白蛇仙人はココンらの返事を待たずに移動を始める。
「行くの?」
「あぁ。怪しい奴じゃが、この村の実態は知っておきたい。それに、他の神が何をしているのか知てる貴重な機会じゃ。安心しろ。お主は儂が守る」
募る不信感を払拭する為、この世界における神の存在理由を知る為。何より、安住の地に辿り着くという目的を果たす為、二人は白蛇仙人の後へとついていった。
※※※
白蛇仙人の部屋は、囲炉裏を囲むように座布団が置かれただけの、穏やかな心持にさせる空間造りだった。
囲炉裏を挟み、対面に座ると、白蛇仙人は共についてきたシナイに指示を出し、飲み物を出させた。
「それはこの村で栽培しているマメの葉を煎じて作ったお茶だよ。村人からの評判も良くてね。是非、飲んでみてほしい」
白蛇仙人は、さぁどうぞと手で飲茶を促す。
澄んだ緑が穏やかさを醸し出し、立ち上る湯気から爽やかな香りが鼻を抜ける。評判が良いというのも本当なのだろう。
「おいしそう」
香りに誘われ、ユタが湯飲みに手を伸ばす。するとココンは手で制止し、目の前に置かれた湯飲みを横にずらした。
「何が入っているか分らんもんを飲む訳がなかろう」
「そうかい。それは残念だ」
白蛇仙人は思ってもいない言葉を紡ぐ。
以前化けの皮を剥がさない白蛇仙人に対し、ココンはナイフのような鋭い口調で再度問う。
「貴様と慣れ合うつもりはない。さっさと教えろ。貴様は一体、村人に何をしておる」
そんな鋭利な態度に、しかし白蛇仙人は動じない。それどころか掴みどころのない態度で、あっさりと答える。
「ま、簡単に言うと洗脳だね。」
「洗脳じゃと?」
「毒だよ、毒。彼らには僕の毒が少しだけ入っている。害はないよ。僕の言葉に従いやすくしているだけさ」
村人の仮面を張り付けたような表情は、毒の作用によるものという訳だ。そうなると疑問が湧いてくる。
「何でそんなこと……」
「洗脳などせずとも、人は自力で生きていける筈じゃ」
毒を用いて村を治めるなど、穏やかな話ではない。この村は形こそ保ってはいても、本来あるべき村の形とは大きく異なる。
人が人らしく生きる。そこに神が介入する理由がココンには分からなかった。
「何でって、本当に分からないのかい? 争いや無計画な繁殖を防ぐためだよ。人間の良くは果てしない。だからすぐに同族で争う。そして半端に知能が高いせいで、愛だなんだとうたい、数を増やし続ける。僕は村が上手く機能するように管理しているだけさ」
つまりは愚かな人間が滅びないようにしてあげていると白蛇仙人は言いたい訳だ。
ココンは確かに言い分には一理あると感じてはいた。しかし、自我を統制され、営みを縛られ、それは生きていると言えるのか。
「まるで家畜場じゃの」
ココンにはそれが正しい人の在り方だとは思えなかった。
そんなココンの考えを察知したのか、白蛇仙人は問い掛ける。
「じゃあ聞くけど、僕達、神の存在意義って何なのさ。人間の祈りが積み重なって形を得て、そして人間がいなくなれば消えていく。人間より優れた力を持っているにもかかわらずだ。僕達は人間に頼らないと生きることも出来ない」
それまでの掴みどころのない態度にひびが入る。
「だったら何のために生まれたのか。僕は、神は人間を導くために生まれたんだと思っている。愚かな人間が滅ばないように。だから僕は村を洗脳し、管理しているんだ」
人間が正しくあるための、言わばセーフティー。それが白蛇仙人の考える神の在り方。
事実、人間の発展の結果、世界は様変わりした。強大な力を持ち、制御する者がいなければ、世界が元に戻ろうとも、同じ過ちを繰り返すだろう。
だがそれもまた運命であるとココンは考えていた。
「それがお主の考えか。じゃが儂は違う。神が人の前に現れたのは、その行く末を見守る為じゃ。滅びに向かうにしても、再生に向かうにしても、儂らは人間が何を考え、何を為すのかを見届けることこそが、神の存在意義じゃ」
ココンは自身の言葉の証明として、ユタの頭を撫でる。
「その結果、僕達が消えるとしてもかい?」
「そうじゃ。それが世の流れというじゃろう?」
二人の視線が、火花を散らすように衝突する。
人間が一枚岩ではないように、神もまた異なる思想を持つのか。
互いの相容れぬ考えがぶつかり合う中、ココンは「それと」と白蛇仙人の言葉の中に足りなかった違和感を指摘する。
「白蛇の。貴様、本心を隠しておるな」
白蛇仙人の仮面に大きな亀裂が走る。取り繕っていた表情は剥げ、大きく歪んだ笑顔がさらけ出される。
そして白蛇仙人は隠すことなく語る。
「よく分かったね。そうさ、僕がこの村を管理するのは人間という食料を失わない為さ」
「人を……食べる……?」
ユタは震える手で、ココンの腕をぎゅっと握った。
「神が人を喰らうか」
「それの何が悪い。神が善である決まりなんてない。僕は、僕が生きたいように生きる」
「そうか。それは好きにすればよい。儂らは行かせてもらう」
この村では真に求める安住は手に入らない。ココンは席を立とうとする。
すると悪寒が蛇のように絡みつく。
「帰すわけないだろ。もう生殺与奪は僕が握っているんだ」
白蛇仙人が口にすると同時、ユタがその場に倒れ込む。
「ユタ! 貴様、何をした!」
ココンは囲炉裏を踏んで、白蛇仙人に掴み掛かった。
全身の毛が逆立ち、その牙は今にも噛み殺さんと震えている。
「茶の湯気を浴びたでしょ? あれには睡眠毒が混じっていたのさ。君には効かなかったけどね。大丈夫。時間が経てば目は覚めるよ」
つまりは初めから逃がす気はなかったということだ。ココンは自身の軽率な行いに奥歯を噛み締める。
だが何故逃がしたくないのか。村を見るに人間は多くいた。先程、語っていたように、無理に人を増やすことはしたくない筈。
ココンは怒りの中で思考を巡らせ、一つの結論に辿り着く。
「儂が狙いか」
「よく分かったね」
白蛇仙人は取り繕った笑顔ではなく、本心からの笑みで返し、言葉を続ける。
「ゲームをしないかい?」
「あ?」
あまりに唐突な誘いにココンは眉をひそめる。
「君が勝てば、君達は素直に解放しよう」
「負ければ?」
「それは負けてからのお楽しみだ」
どの道、拒否は出来ない。白蛇仙人はおそらく毒を扱える。揮発したレベルでも効果のある毒を扱えるのだ。断ればユタの命が危ない。
ココンは芽を閉じて息を吐くと、白蛇仙人から手を放した。
「分かった。その誘い、乗ってやる」
「話が早くて助かるね。それじゃあシナイ、持ってきて」
「分かりました」
指示を受け、シナイは部屋の棚から二つのサイコロと、赤と白の札をそれぞれ二枚ずつ持ってくる。
そして開けた場所に移動して腰を下ろすと、白蛇仙人は説明をする。
「ルールは簡単。サイコロの目の合計が奇数か偶数か当てるだけ。奇数だと思うなら赤、偶数なら白だ。互いの持ち点は五点。先に尽きた方が負けだ」
床を滑らせ渡された札を受け取ると、ココンは何か仕込まれていないか、まじまじと見つめる。
その様子を見て、白蛇仙人が口を挟む。
「それはただの札さ。何もないよ」
「となれば仕掛けがあるのはサイコロか?」
「そんなに疑わしいのなら、確認してもいいよ。何なら、君がサイコロを振るかい?」
「いや、よい。見たところで分かるようには仕組んでいないじゃろうしの。ただし、イカサマが見つかればゲームは終いじゃぞ」
「ま、当たり前だよね。じゃあ始めようか」
白蛇仙人が合図を出すと、シナイは茶碗の中にサイコロを転がし、床に伏せた。
「さぁ、奇数か偶数か。どちらを選ぶ?」
「……」
互いに手で札を隠し、突き出す。
ココンは伏せられる直前までのサイコロの動きを見ていた。だが伏せられた後のサイコロの動きを予測することは不可能。
ここは勘に頼るしかなかった。
「では、オープンだ」
ゆっくりと互いの手が退けられる。
ココンの札は奇数の赤の札。対して、白蛇仙人の札は偶数の白。
「ッ……」
これでは初手から持ち点を減らすことになる。ココンは舌打ちをした。
「まだ結果は分からないよ」
白々しい態度だが、ココンは口を出さず、結果を待つ。
これが純粋な勝負なら、まだ結果は分からない。
緊張の瞬間。ココンが不正に目を光らせる中、椀がどけられる。
出た目の結果は、一と五。その合計は六。偶数だ。
「幸先がいいね。これで君はあと四ポイントだ」
「まだ四ポイントもあるの間違いじゃ」
早速ポイントを失った。だがまだ三回は勝負出来る。もしも白蛇仙人がイカサマをしているのなら、残り三回で見抜き、ゲームを終わらせる。それかもしくは―――
「さぁ、第二回戦じゃ」
二巡目。互いの出した札は、ココンが白。白蛇仙人は赤だった。そして、サイコロの目は六と三の奇数。ココンは続けてポイントを失ってしまう。
「連続せいかーい。運がいいね。それに比べて、君は運がないね。いっそのこと降参したら?」
「馬鹿を言うでないわ。ポイントが尽きぬ限りは戦える。最後までどうなるか分らんのが、このゲームじゃろ」
ココンはこれからが本番だというように笑う。
「その威勢いいね。けど、いつまで続くかな?」
続く三巡目、ココンが仕掛けた。
「どうしたんだい? 早く札を見せてよ」
白蛇仙人は赤の札を見せていた。だがココンは手を札に乗せたまま退けようとしない。
「おそらく貴様は今回も当てるじゃろう。聞くが白蛇の。この札、赤と白、どちらじゃと思う?」
「白だね」
「ではその目で確かめてみるとよい」
ココンが手を退けると、白蛇仙人は感嘆の声を漏らす。
「へぇ、やるじゃん」
白蛇仙人の眼に映った色は、自身の札と同じ赤だった。
「でも、まだ安心は出来ないよ。目の合計がどうなるかは分からない」
「では確認といこうかのぉ」
期待と緊張がまじりあう中、サイコロが姿を現す。その結果は―――
「おめでとう。初めての正解だね」
合計数、九の奇数。互いに予想が的中した。
その結果に、ココンは安堵したのか大きく息を吐く。
現在の持ち点は、ココンが三ポイント。白蛇仙人が五ポイント。差は開きはしなかったが、縮みもしていない。傍から見れば、運よく一ターン延びだだけだ。
以前、向かい風が吹いているこの状況。しかしココンの目の輝きは失われていなかった。
「ではオープンだ」
四巡目、またもやココンはすぐには札を見せなかった。
その行動には、白蛇仙人も指摘を行う。
「合図と同時に札を見せるのが普通だと思うんだけど」
「おぉ、そうか悪いのぉ。こんなゲームは初めてじゃから、分からなんだわ」
棒読みの言い訳をしながら見せた札は、白蛇仙人と同じ白。サイコロの目の合計は二。
動きのない対決となる。
「五回戦目。行こうか」
サイコロの軽い音が床に消える。
奇数か偶数か。互いが同時に札を見せ合う。すると今度は色が割れる。
ココンが赤なのに対して、白蛇仙人は白。
「さぁて、面白くなってくるんじゃない?」
ココンの顔には動揺はない。落ち着いた態度で、結果を待っていた。
結果は、四と二の偶数。
「やったね! これで君はあと二ポイントだ」
「やはり、イカサマをしておるの。白蛇の」
「急にどうしたんだい?」
五連続正解なんて余程の豪運だ。可能性としてもなくはないだろう。しかし、これまでの白蛇仙人からは、賭けに対する感情の揺れが一切感じられない。明らかに勝利を確信している者の態度だった。
「一体、どういうイカサマをしておるのか教えてもらいたいもんじゃのぉ」
追い込まれて自棄になったのか。白蛇仙人は嘲るように伝える。
「していない、としか言えないよね。まぁ、もしイカサマをしていたとしても、バレなければ、それはイカサマにはならないけどね」
「そうか。中断させて悪かったの。続きといこう」
あっさりとしたココンの態度を疑りながらも、白蛇仙人は六巡目に入る。
「さぁどうなるかな?」
互いの色が割れた。ココンは白。白蛇仙人は赤。
ここでココンが的中させなければ、あとはなくなる。
緊張の瞬間に、白蛇仙人は卑しい笑みを浮かべて待機する。
しかし、次の瞬間、その笑みは凍り付く。
サイコロが導き出した数字は一と五。偶数だった。
「何っ……で」
「どうした? 狐につままれたような顔をして。初めての負けで気が動転したか?」
明らかな動揺。ココンは白蛇仙人がサイコロに細工をしていると確信する。
「これまでの運が良かっただけじゃ。気を取り直して、次といこうではないか。ほれ白蛇の。さっさと札をしまえ」
「何をした」
「はて? 何のことかのぉ」
白蛇仙人には問い詰める手段はあった。しかし、ここで手札を切ると、それ即ち、自分の首を晒すということ。
たかが一ポイント。白蛇仙人は気持ちを切り替え、落ち着きを取り戻していく。
「悪かったね。気を取り直してやろうか」
荒れ始めた第七巡目。ココンは口元に手をやり、暫し長考した。
その結果、互いの札が赤で重なる。
『さっき何をしたかは分からないけど、このターンは凌げる。時間があるうちに、タネを見破るんだ』
今はココンと札が重なっている限り、ポイントが減ることはない。運にはなるが、札が重なっている間にイカサマを見破る。
焦りが渦巻き始める中、その目にサイコロが映る。その結果に平静を装っていた白蛇仙人は絶句する。
一と三の四で偶数。二人がポイントを失う。
「どういうことだ……
「もう残り一ポイントか。追い詰められたの」
ココンがイカサマをしていることは確定。だったら何故ここでポイントを失うのか。あまりにもメリットのない行動。それ即ち、ココンのイカサマは万全ではないということの証明。
動揺していた白蛇仙人の顔が薄ら笑いへと変わる。
相手にとって、イカサマは地獄の綱渡り。恐るるに足らず。
それよりも気になるのは、あまりにも落ち着いたココンの態度だった。
「君がイカサマをしていることは分かっている。けど、君の残りは一ポイント。対して僕は三ポイントだ。どうしてそんなに余裕でいられるんだい?」
「負けるつもりがないから、とだけ返しておこうかの」
「へぇ、だったらその余裕面、剥がしてあげるよ」
白熱の八巡目。互いの札が割れ、白蛇仙人がポイントを失う。目元が痙攣するように揺れ、その表情が歪む。
しかし冷静さを失わず、タネを見破ることに注力して挑んだ九巡目。
白蛇仙人はまたしてもポイントを失った。互いに残りポイントは一。白蛇仙人の表情はそれまでに見せたことのないほどに歪んでいた。
『このサイコロの面は、それぞれ微量に異なる温度を持つように作られている。僕の目は、その温度を感知出来るんだ。なのに、なのに何で、何で当たらないんだ。僕の目に狂いはないのに!』
そこにはもう余裕なんてものは存在していなかった。
「ボクが間違えるはずなんか―――」
白蛇仙人は全てを押し退ける勢いでサイコロに掴み掛かる。
しかし、ココンがその腕を掴み、制止する。
「放せ! 君がサイコロに細工をしたことは分かっているんだ!」
「そうだとするならば、最も近くでサイコロを扱っている小娘が気付くはずではないか? それに今、サイコロに触れるのはイカサマしますと言っておるのと同じじゃろう。判断してほしいというのなら、ユタを起こせ。何も教えず、ただ確認だけさせればよい」
飢えた狼のような形相の白蛇仙人に対し、ココンは冷静に返す。
その姿はまるで静かに鎮座する山の如し。格の違いに白蛇仙人は思わず狼狽える。
「どうするんじゃ?」
「いいよ。このまま続けよう」
舌を噛み、白蛇仙人はココンの手を振り払う。腰を下ろし、札を手に取る。
「さぁ、早く!」
泣いても笑っても、この一戦で全てが決まる。
ココンは座り直すと、ユタの頭を軽く撫で、前を向いた。
「それでは参ります」
椀の中にサイコロが転がされる。
白蛇仙人はひと時も目を離さず、サイコロの温度を把握し続けた。それだけでなく、転がる音さえも聞き分け、ズレがないかを確認をする。
その間、ココンは口元に手をやり、考え込んでいた。
『いける。僕は勝てるんだ。負ける筈がない』
椀で蓋されたサイコロに変化は見られない。サイコロの目は五と六の合計、十一。
白蛇仙人は奇数の赤の札を出そうとした。だがそのタイミングで違和感を覚え、手が止まる。
『何かが似ている』
今の状況は、これまでの対戦とどこか似ていた。
既に札を出しているココンは、早くしろと言わんばかりの余裕を見せているが、これではない。
何かヒントはないか。白蛇仙人は一度札を引き、考え直す。
『これまであっちは四回イカサマを仕掛けている。けど、一回は失敗。成功したのは三回だけだ。あっちのイカサマは万全じゃない。どこかに類似点がある筈だ』
白蛇仙人はゲームが始まってからの記憶の海を遡る。ココンの一挙手一同全てを思い返していく。
『あった』
そしてその中で砂金の一粒を見つけるに至る。
たった一度の失敗。その時にしていた行動。そして今回の対決でしていた行動。それは口元を手で隠す行為。
『あれはイカサマに自信がないからやっていたんだ』
白蛇仙人は声を大にして笑った。耳を塞ぎたくなる声量に、しかしココンは静かに伝える。
「儂は赤を出す」
「その手には乗らないよ。君はこのイカサマを失敗する。言っておくけど出した札を変えるのはなしだ」
七巡目の対決で、白蛇仙人はその目に映った数字を出して、ココンと共に点を失った。今、ココンはその時と同じ状況を生み出している。おそらくはサイコロの目を誤魔化す術を持っていても判断する術が不安定。つまり、この場面では、資格を信じずに、白の札を出すことこそが勝利への道。
「これで終わりだ!」
白蛇仙人は白の札を叩き付けた。対するココンは赤の札。
焦らすように蓋が退けられていく。
白蛇仙人の心臓が高鳴る。
『さぁ、さぁ、さぁ、僕の勝利を見せてくれ!』
二人の目にサイコロが映る。その合計は。
「儂の勝ちじゃ」
十一。白蛇仙人が見た、五と六の目が、そこにはあった。
「う……そだ。どういう……ことだ……」
狼狽え、砕く勢いでサイコロを掴む白蛇仙人。その様子を憐れむように見て、ココンは淡々と伝える。
「人も神も、最後は自分の都合の良いように考えを組み合わせる。偶然を必然だと思い違える」
「まさか……。全部演技だったっていうのか⁉」
「そうじゃよ。貴様の敗因は一つ。慢心じゃ。相手が同じ神であるということを忘れんだら結果は違ったじゃろうな」
「何をしたんだ!」
白蛇仙人は怒りに任せ、サイコロをココンに投げつける。
「教える義理はない」
ココンはユタを抱え、その場を去ろうとした。
だが、蛇のような目が睨みつけ、逃がす気はなかった。
「大人しく負けてればよかったんだ……。それなら苦しまずに食べてやったのにさ!」
白蛇仙人が人の皮を捨て、部屋を圧迫するほど巨大な白蛇となって、ココンを捕食しに掛かる。
「勝負の結果は守らんか!」
しかしココンも簡単にはやられない。白蛇の目に炎を放った。
「ぐあぁ!」
予想だにしない攻撃が直撃した白蛇は大きく怯む。
その巨体が家を壊す中、ココンは飛び出すと、車へと駆け込んだ。
「う……うぅん」
「ユタ、起きたか。逃げるぞ」
「え?」
状況の理解出来ていないユタを連れ、ココンがエンジンを轟かせると、タイヤの金切り声と共に、脱兎の如く村を飛び出す。
「な……なに? なになになに⁉」
身を投げ出されそうな勢いのハンドル捌きに、ユタは悲鳴に似た驚きの声を上げる。
「白蛇の奴、元から儂らを食うつもりで招いたんじゃ。ほれ、後ろ見てみろ」
「えぇ⁉」
言われて後ろを見ると、ユタは衝撃の光景を目にする。
それはこれまで見たことのない、うねうねした巨大な白い生物が追って来ている姿。
追い付かれれば、車ごと丸呑みだろう。
ユタは思わず悲鳴を上げると、座席で頭を抱えた。
「君は! 人間なんかに依存せずとも生きられる道を歩みたいとは思わないのか⁉」
追われる最中、背後からガリガリと地面を削る音と共に白蛇の声が響く。
「思わん!」
ココンは巧みにハンドルを切り、水路の迷路を突き進んでいく。
「人間なんかいなくても生きる為に何が必要か、僕はずっと考えてきた。そして考え着いた。神を超えればいいんだってね! そんな時に君が現れた。僕は確信した。これは天啓だと。君を喰らい、神を超えろという意味だと!」
「くだらん! そんなことをしても何も変わらんわ!」
「そんなこと、やってみないと分からないじゃないか!」
巨大な口が車体の側面をかすめる。
何とか避けた車はしかし、行き場を失っていく。
向かっている先にあったのは、村に向かう際に見た、大きな湖。
そこに架かっているのは崩れそうな橋だった筈。渡っている途中で落ちる危険がある。ユタは進路を変えるよう訴える。
「どうするの⁉ あんなところ行ったら捕まっちゃうよ⁉」
「いいや。あそこでよい」
ココンはアクセル全開のまま、橋へと走らせた。するとユタの目には記憶と違う光景が映る。
「うそ⁉」
古びた橋は、この短時間で修復され、新品となっていた。
車はそのまま橋を渡り始める。その後を追い、白蛇も橋に乗った。
次の瞬間―――
「なっ―――!」
橋がクッキーのように崩れ、白蛇は湖へと落ちた。
崩壊し始めた橋を全力で車が走る。渡り切るのが先か、転落が先か。
「ココン頑張って!」
「分かっておる!」
エンジンの悲鳴を轟かせ、ココンは何とか湖中央の陸地に滑るようにして車を止めた。
車を降りると、ココンはユタを連れて、崩れた橋へと向かう。
見下ろす先にいたのは、蛇の姿のままでは沈んでしまう為、人の姿に戻った白蛇仙人。水に浮かび、絡みつくような蛇の目が二人を睨みつけていた。
「君のイカサマの正体がやっと分かったよ。幻覚だね。あのゲームで、君は僕に偽の目を見せていたんだ。そしてこの橋も、新品のように見せて、僕に渡らせた」
「正解じゃ。貴様は村を管理しとるからの。外の状態なんぞ知らんだろうと賭けに出てみた」
「まんまとボクは賭けに負けたって訳か」
己の失態に白蛇仙人は自嘲的に笑う。
「ここまで負け続き。けどまだ全部負けた訳じゃない!」
ここで白蛇に変身すれば、逃げる隙も与えず、一気にココンを捕食することが出来る。
白蛇仙人が脱皮しようとしたその時、水底で何かが蠢いた。
「いいや、お主の負けじゃよ。白蛇の」
「何を言って―――」
白蛇仙人の足首を何かが掴む。凍えるような感覚が流れ込む。
「何だよこれ」
白蛇仙人を掴んでいたのは赤子の手だった。温もりを求める凍えきった手が、数を増やし、その体に纏わりついていく。
「やめろ! 離れろ!」
剥がしても剥がしても、その手は数を増やしていく。その力は段々と強くなり、決して離れないように掴んで、水底へと引きずり込んむ。
「ゴボッ、助け……。ゴボッ」
どれだけもがこうと、ココンは手を差し伸べない。そうなることが分かっていたかのように、ただただ傍観していた。
「頼む……ゴボッ、もう襲わない。ゴボッ、だから助けゴボッ」
悲痛な訴え。だが波に飲まれ、その涙は流されていく。たとえ見えたとしても、伸ばされた手を掴む者はいない。代わりに向けられるのは冷酷な眼差しだけだ。
「貴様はユタを危険に巻き込んだ。貴様にとって譲れぬものがあるように、儂にも譲れぬものがある。それに手を掛けた貴様を助ける道理はない」
「そんな……」
白蛇仙人の顔が絶望に染まる。その手が虚空を掴むと同時、一気に水底へと引っ張られた。
「嫌だ! こんなところで死にたくない! 僕は生きたい!」
魂からの叫び。しかしその声は誰にも届くことない。白蛇仙人は冷えきった水の底へと姿を消していった。
「お主が愛を教えることが出来ればいずれ解放されるじゃろう。その時、村が残っているかは分からんがの」
※※※
車を走らせている中、ユタが未だ収まらぬ動悸に困惑しながら聞く。
「あれ、何だったの?」
「あれは祈る先のなかった願いが空を漂い、形を成した存在じゃろう。母の温もりを求め、生者にしがみ付いたんじゃ」
「ココンは知ってたの?」
「あそこを通った時にな。微かじゃが不思議な気配を感じた」
そう答えつつ、ココンは村の前で車を止める。中に入ると、そこには糸の切れた操り人形のように立ち尽くしている村人の姿があった。
「ここでは過ごせんの」
「この人達、どうなるの?」
「分からん。ただ生きたいと願うのなら、自らの足で歩み始めるじゃろう。この世界では依存するだけでは生きていけぬ」
憐れむように村を一瞥すると、ココンは踵を返した。
「さようなら」
ユタも別れを告げると、静寂だけが流れる村を後にするのだった。
「村ってどこにあるんだろうね」
「もしかしたら過ぎてしまっているかもしれんのぉ」
「えぇー」
ユタは車窓にもたれ、口を尖らせた。
もう何日も車を走らせている。期待だけを胸に過ごす日々は生殺しも同然だ。
しかし、文句を言っても村が現れてくれる訳もない。二人は水路の奏でる心地よい音を聞きながら道を進んで行くが、突然、後輪の乗った地面が崩れる。
「なっ!」
「うわぁ!」
二人は慌てて車体にしがみ付く。
「最悪じゃの。完全にはまってしもうとる」
いくらタイヤを回そうとも、空回りをするのみ。地面の下が空洞になっており、タイヤが触れる隙間すらない。
「歩きはやだよ。ここら辺何もないよ」
「どうにかして救出したいのぉ」
しかし辺りを見回しても、あるのは水路だけ。使える道具もありはしない。
完全な手詰まり状態にココンは頭を掻く。
そんな時、何処かからか声が聞こえた。
「ねぇ、何か聞こえなかった?」
「人の声じゃ」
人より耳の良いココンには、はっきりと人の声が聞こえていた。
「……い、おーい」
声のする方向に目をやると、白装束に身を包んだ女が手を振って走ってきていた。
「人だ!」
ユタも「おーい」と大きく両手を振って返した。
「やぁ。キミ達、こんなところで何しているんだい?」
二人の元までたどり着いた女は、薄っすらと額に浮かんだ汗を拭うと、爽やかな笑顔を向けて聞いた。
「車がはまっちゃって動かないの」
「なるほどね。それなら村の男衆を連れて来よう。すぐに車を出してあげるよ」
「やったー! ありがとう!」
ユタが喜ぶ一方、ココンはいぶかし気な表情をしていた。
あまりにもとんとん拍子で進んで行くこの状況に違和感を覚えていた。
ココンはユタの前に躍り出ると、獣の目つきで女に問う。
「貴様、何者じゃ。何の用があってここに来た。まるで儂らがいることを分かっておったように見えるが」
静かに、だが気圧される圧を放つココンの言葉。しかし女は一切態度を崩さない。まるで面を張り付けたような表情で答える。
「私はこの先にある村の住人のシナイと申します。村を治める白蛇仙人は全てをお見通しなのです。故に私目が様子を見に来たのです。どうか心配なさらず。私共はあなた方を害するつもりはございません」
嘘か誠か。その村がロトンの訪れた村ならば、その白蛇仙人が神ということになる。
完全に信用できるわけではないが、今は頼らざるを得ない。
「分かった。では助力を頼む」
「はい。喜んで。それでは男衆を呼んでまいりますので、少々お待ちください」
その善意に疑惑の目を向けながらも、ココンはシナイが村人を連れて来るのを待った。
※※※
暫く待つと、シナイは同じ白装束に身を包んだ五人の男達を連れてきた。その者達の力もあって、車は簡単に引き上げられた。
「助かった。礼を言う」
「ありがとうございます」
「いえ。私達はやるべきことをしたまでですので」
変わらず謙虚な姿勢を見せるシナイは「それよりも」と言葉を続ける。
「どうでしょう。白蛇仙人が旅のお方とお話がしたいとのことなので、村に来てはいただけませんか?」
安住の地を探すという目的の元、旅をしてきたのだ。この提案を拒否する理由はない。
ココンが渦巻く不安を払拭出来ず、返答に詰まる中、代わりにユタが答える。
「いいよ。行こ」
「ユタ!」
「大丈夫だよ。話するだけなんでしょ? それにやっと村を見つけたんだよ。行かないと」
「分かった」
ユタに説得される形で、渋々ココンは車へと乗り込んだ。
※※※
村までの道のりはそれまで通っていた道と変わりなかった。二人は、シナイ達の後ろを車に乗ってついていく。
「シナイさん、あそこ何?」
ユタの見る先にはぽっかりと穴が開き、湖となっている箇所があった。そこを渡る為の橋はあるが、車で渡れば壊れそうなほど劣化している。
「この水路は遥か昔に作られたものですので、私には分かりかねます」
先程までの親しみすい態度は異なり、冷たい返事が返ってくる。
「そっか。ココンは何だと思う?」
そんな態度に一瞬疑問符を浮かべながらも、ユタに気にする様子を見せなかった。
それよりも、代り映えのない景色の中にあった変化に興味を示し、ココンにも話を振る。
「ん? なんじゃろうな。分からん」
返事は酷く淡白だった。同じものを見ているのに心ここに在らずと言った様子だ。
そんな様子に、ユタは自分が勝手に決定を下したこと怒っているのだと思い、口を閉じた。
そしてそのまま、一行は静かに村へと進行していった。
※※※
「さて、そろそろですよ」
シナイの言葉通り、大きな囲いが水路の中に現れる。
ぐるっと囲まれた塀には何の装飾もなく、中の音も聞こえない。村と言われなければ、何であるかは分からない外装だ。
「では車のまま中へどうぞ」
シナイに促され、ユタとココンは唯一ある塀に開けられた正門から村へと入た。
するとそこには今まで見たことのない光景が広がっていた。
「人が……いっぱいいる」
「……」
綺麗に建てられた住居の数々。行きかう人々。奥にはこうじょうだろうか。大きな施設もある。村としての形を成した場所がそこにはあった。
しかし同時に違和感もあった。全員が同じ白装束に身を包み、仮面を取り付けたように表情が固まっている。
初めこそ感動したものの、その異様さにユタはココンの服を掴んでいた。
そんな二人の前に、薄っすらとした笑みと共に出迎えの言葉が投げかけられる。
「ようこそ。待っていたよ」
後ろ手を組み現れた青年の恰好は、他の村人とは異なり、金色の装飾の施されたチャイナ服を着ていた。
一目で分かる。この男こそが、村を治める神だと。
車から降りた二人は、男の形をした神と向き合う。
舐め回すような視線が二人の体を滑る。捕食者に狙われる小動物のような感覚に襲われ、ユタは身震いする。
「初めまして。僕はこの白村を治める神だ。今は白蛇仙人と名乗っている。皆は僕のことを白蛇仙人や白蛇様と呼んでいる。君達も好きに呼ぶといいよ」
白蛇仙人は笑みを崩さず言葉を紡ぐ。
それは村人の張り付けられた表情と違う。ココンには獲物をおびき寄せる為の罠。詐欺師の笑みに感じられた。
「では白蛇の。単刀直入に聞く。貴様、村人に何かしておるな」
ココンの温度を感じさせない言葉に白蛇仙人の口がピクリと動く。
「何を言ってるんだい? そんなこと」
ある訳ないでしょ。
そう口にしかけて、白蛇仙人は首を振った。
「いや、誤魔化したって怪しまれるだけか。そうだよ。村人には仕込みをしてある」
「やけにあっさりと白状するんじゃな」
以前、淡々とココンは詰める。
「だって君も同類でしょ? だったら説明して理解してもらった方が早いじゃん」
「だったら聞かせてもらおうかの。人を弄ぶ理由を」
「いいよ。けど、立ち話をするには長いから、僕の家で話そうか。君達のことも聞きたいしね」
そう言うと、白蛇仙人はココンらの返事を待たずに移動を始める。
「行くの?」
「あぁ。怪しい奴じゃが、この村の実態は知っておきたい。それに、他の神が何をしているのか知てる貴重な機会じゃ。安心しろ。お主は儂が守る」
募る不信感を払拭する為、この世界における神の存在理由を知る為。何より、安住の地に辿り着くという目的を果たす為、二人は白蛇仙人の後へとついていった。
※※※
白蛇仙人の部屋は、囲炉裏を囲むように座布団が置かれただけの、穏やかな心持にさせる空間造りだった。
囲炉裏を挟み、対面に座ると、白蛇仙人は共についてきたシナイに指示を出し、飲み物を出させた。
「それはこの村で栽培しているマメの葉を煎じて作ったお茶だよ。村人からの評判も良くてね。是非、飲んでみてほしい」
白蛇仙人は、さぁどうぞと手で飲茶を促す。
澄んだ緑が穏やかさを醸し出し、立ち上る湯気から爽やかな香りが鼻を抜ける。評判が良いというのも本当なのだろう。
「おいしそう」
香りに誘われ、ユタが湯飲みに手を伸ばす。するとココンは手で制止し、目の前に置かれた湯飲みを横にずらした。
「何が入っているか分らんもんを飲む訳がなかろう」
「そうかい。それは残念だ」
白蛇仙人は思ってもいない言葉を紡ぐ。
以前化けの皮を剥がさない白蛇仙人に対し、ココンはナイフのような鋭い口調で再度問う。
「貴様と慣れ合うつもりはない。さっさと教えろ。貴様は一体、村人に何をしておる」
そんな鋭利な態度に、しかし白蛇仙人は動じない。それどころか掴みどころのない態度で、あっさりと答える。
「ま、簡単に言うと洗脳だね。」
「洗脳じゃと?」
「毒だよ、毒。彼らには僕の毒が少しだけ入っている。害はないよ。僕の言葉に従いやすくしているだけさ」
村人の仮面を張り付けたような表情は、毒の作用によるものという訳だ。そうなると疑問が湧いてくる。
「何でそんなこと……」
「洗脳などせずとも、人は自力で生きていける筈じゃ」
毒を用いて村を治めるなど、穏やかな話ではない。この村は形こそ保ってはいても、本来あるべき村の形とは大きく異なる。
人が人らしく生きる。そこに神が介入する理由がココンには分からなかった。
「何でって、本当に分からないのかい? 争いや無計画な繁殖を防ぐためだよ。人間の良くは果てしない。だからすぐに同族で争う。そして半端に知能が高いせいで、愛だなんだとうたい、数を増やし続ける。僕は村が上手く機能するように管理しているだけさ」
つまりは愚かな人間が滅びないようにしてあげていると白蛇仙人は言いたい訳だ。
ココンは確かに言い分には一理あると感じてはいた。しかし、自我を統制され、営みを縛られ、それは生きていると言えるのか。
「まるで家畜場じゃの」
ココンにはそれが正しい人の在り方だとは思えなかった。
そんなココンの考えを察知したのか、白蛇仙人は問い掛ける。
「じゃあ聞くけど、僕達、神の存在意義って何なのさ。人間の祈りが積み重なって形を得て、そして人間がいなくなれば消えていく。人間より優れた力を持っているにもかかわらずだ。僕達は人間に頼らないと生きることも出来ない」
それまでの掴みどころのない態度にひびが入る。
「だったら何のために生まれたのか。僕は、神は人間を導くために生まれたんだと思っている。愚かな人間が滅ばないように。だから僕は村を洗脳し、管理しているんだ」
人間が正しくあるための、言わばセーフティー。それが白蛇仙人の考える神の在り方。
事実、人間の発展の結果、世界は様変わりした。強大な力を持ち、制御する者がいなければ、世界が元に戻ろうとも、同じ過ちを繰り返すだろう。
だがそれもまた運命であるとココンは考えていた。
「それがお主の考えか。じゃが儂は違う。神が人の前に現れたのは、その行く末を見守る為じゃ。滅びに向かうにしても、再生に向かうにしても、儂らは人間が何を考え、何を為すのかを見届けることこそが、神の存在意義じゃ」
ココンは自身の言葉の証明として、ユタの頭を撫でる。
「その結果、僕達が消えるとしてもかい?」
「そうじゃ。それが世の流れというじゃろう?」
二人の視線が、火花を散らすように衝突する。
人間が一枚岩ではないように、神もまた異なる思想を持つのか。
互いの相容れぬ考えがぶつかり合う中、ココンは「それと」と白蛇仙人の言葉の中に足りなかった違和感を指摘する。
「白蛇の。貴様、本心を隠しておるな」
白蛇仙人の仮面に大きな亀裂が走る。取り繕っていた表情は剥げ、大きく歪んだ笑顔がさらけ出される。
そして白蛇仙人は隠すことなく語る。
「よく分かったね。そうさ、僕がこの村を管理するのは人間という食料を失わない為さ」
「人を……食べる……?」
ユタは震える手で、ココンの腕をぎゅっと握った。
「神が人を喰らうか」
「それの何が悪い。神が善である決まりなんてない。僕は、僕が生きたいように生きる」
「そうか。それは好きにすればよい。儂らは行かせてもらう」
この村では真に求める安住は手に入らない。ココンは席を立とうとする。
すると悪寒が蛇のように絡みつく。
「帰すわけないだろ。もう生殺与奪は僕が握っているんだ」
白蛇仙人が口にすると同時、ユタがその場に倒れ込む。
「ユタ! 貴様、何をした!」
ココンは囲炉裏を踏んで、白蛇仙人に掴み掛かった。
全身の毛が逆立ち、その牙は今にも噛み殺さんと震えている。
「茶の湯気を浴びたでしょ? あれには睡眠毒が混じっていたのさ。君には効かなかったけどね。大丈夫。時間が経てば目は覚めるよ」
つまりは初めから逃がす気はなかったということだ。ココンは自身の軽率な行いに奥歯を噛み締める。
だが何故逃がしたくないのか。村を見るに人間は多くいた。先程、語っていたように、無理に人を増やすことはしたくない筈。
ココンは怒りの中で思考を巡らせ、一つの結論に辿り着く。
「儂が狙いか」
「よく分かったね」
白蛇仙人は取り繕った笑顔ではなく、本心からの笑みで返し、言葉を続ける。
「ゲームをしないかい?」
「あ?」
あまりに唐突な誘いにココンは眉をひそめる。
「君が勝てば、君達は素直に解放しよう」
「負ければ?」
「それは負けてからのお楽しみだ」
どの道、拒否は出来ない。白蛇仙人はおそらく毒を扱える。揮発したレベルでも効果のある毒を扱えるのだ。断ればユタの命が危ない。
ココンは芽を閉じて息を吐くと、白蛇仙人から手を放した。
「分かった。その誘い、乗ってやる」
「話が早くて助かるね。それじゃあシナイ、持ってきて」
「分かりました」
指示を受け、シナイは部屋の棚から二つのサイコロと、赤と白の札をそれぞれ二枚ずつ持ってくる。
そして開けた場所に移動して腰を下ろすと、白蛇仙人は説明をする。
「ルールは簡単。サイコロの目の合計が奇数か偶数か当てるだけ。奇数だと思うなら赤、偶数なら白だ。互いの持ち点は五点。先に尽きた方が負けだ」
床を滑らせ渡された札を受け取ると、ココンは何か仕込まれていないか、まじまじと見つめる。
その様子を見て、白蛇仙人が口を挟む。
「それはただの札さ。何もないよ」
「となれば仕掛けがあるのはサイコロか?」
「そんなに疑わしいのなら、確認してもいいよ。何なら、君がサイコロを振るかい?」
「いや、よい。見たところで分かるようには仕組んでいないじゃろうしの。ただし、イカサマが見つかればゲームは終いじゃぞ」
「ま、当たり前だよね。じゃあ始めようか」
白蛇仙人が合図を出すと、シナイは茶碗の中にサイコロを転がし、床に伏せた。
「さぁ、奇数か偶数か。どちらを選ぶ?」
「……」
互いに手で札を隠し、突き出す。
ココンは伏せられる直前までのサイコロの動きを見ていた。だが伏せられた後のサイコロの動きを予測することは不可能。
ここは勘に頼るしかなかった。
「では、オープンだ」
ゆっくりと互いの手が退けられる。
ココンの札は奇数の赤の札。対して、白蛇仙人の札は偶数の白。
「ッ……」
これでは初手から持ち点を減らすことになる。ココンは舌打ちをした。
「まだ結果は分からないよ」
白々しい態度だが、ココンは口を出さず、結果を待つ。
これが純粋な勝負なら、まだ結果は分からない。
緊張の瞬間。ココンが不正に目を光らせる中、椀がどけられる。
出た目の結果は、一と五。その合計は六。偶数だ。
「幸先がいいね。これで君はあと四ポイントだ」
「まだ四ポイントもあるの間違いじゃ」
早速ポイントを失った。だがまだ三回は勝負出来る。もしも白蛇仙人がイカサマをしているのなら、残り三回で見抜き、ゲームを終わらせる。それかもしくは―――
「さぁ、第二回戦じゃ」
二巡目。互いの出した札は、ココンが白。白蛇仙人は赤だった。そして、サイコロの目は六と三の奇数。ココンは続けてポイントを失ってしまう。
「連続せいかーい。運がいいね。それに比べて、君は運がないね。いっそのこと降参したら?」
「馬鹿を言うでないわ。ポイントが尽きぬ限りは戦える。最後までどうなるか分らんのが、このゲームじゃろ」
ココンはこれからが本番だというように笑う。
「その威勢いいね。けど、いつまで続くかな?」
続く三巡目、ココンが仕掛けた。
「どうしたんだい? 早く札を見せてよ」
白蛇仙人は赤の札を見せていた。だがココンは手を札に乗せたまま退けようとしない。
「おそらく貴様は今回も当てるじゃろう。聞くが白蛇の。この札、赤と白、どちらじゃと思う?」
「白だね」
「ではその目で確かめてみるとよい」
ココンが手を退けると、白蛇仙人は感嘆の声を漏らす。
「へぇ、やるじゃん」
白蛇仙人の眼に映った色は、自身の札と同じ赤だった。
「でも、まだ安心は出来ないよ。目の合計がどうなるかは分からない」
「では確認といこうかのぉ」
期待と緊張がまじりあう中、サイコロが姿を現す。その結果は―――
「おめでとう。初めての正解だね」
合計数、九の奇数。互いに予想が的中した。
その結果に、ココンは安堵したのか大きく息を吐く。
現在の持ち点は、ココンが三ポイント。白蛇仙人が五ポイント。差は開きはしなかったが、縮みもしていない。傍から見れば、運よく一ターン延びだだけだ。
以前、向かい風が吹いているこの状況。しかしココンの目の輝きは失われていなかった。
「ではオープンだ」
四巡目、またもやココンはすぐには札を見せなかった。
その行動には、白蛇仙人も指摘を行う。
「合図と同時に札を見せるのが普通だと思うんだけど」
「おぉ、そうか悪いのぉ。こんなゲームは初めてじゃから、分からなんだわ」
棒読みの言い訳をしながら見せた札は、白蛇仙人と同じ白。サイコロの目の合計は二。
動きのない対決となる。
「五回戦目。行こうか」
サイコロの軽い音が床に消える。
奇数か偶数か。互いが同時に札を見せ合う。すると今度は色が割れる。
ココンが赤なのに対して、白蛇仙人は白。
「さぁて、面白くなってくるんじゃない?」
ココンの顔には動揺はない。落ち着いた態度で、結果を待っていた。
結果は、四と二の偶数。
「やったね! これで君はあと二ポイントだ」
「やはり、イカサマをしておるの。白蛇の」
「急にどうしたんだい?」
五連続正解なんて余程の豪運だ。可能性としてもなくはないだろう。しかし、これまでの白蛇仙人からは、賭けに対する感情の揺れが一切感じられない。明らかに勝利を確信している者の態度だった。
「一体、どういうイカサマをしておるのか教えてもらいたいもんじゃのぉ」
追い込まれて自棄になったのか。白蛇仙人は嘲るように伝える。
「していない、としか言えないよね。まぁ、もしイカサマをしていたとしても、バレなければ、それはイカサマにはならないけどね」
「そうか。中断させて悪かったの。続きといこう」
あっさりとしたココンの態度を疑りながらも、白蛇仙人は六巡目に入る。
「さぁどうなるかな?」
互いの色が割れた。ココンは白。白蛇仙人は赤。
ここでココンが的中させなければ、あとはなくなる。
緊張の瞬間に、白蛇仙人は卑しい笑みを浮かべて待機する。
しかし、次の瞬間、その笑みは凍り付く。
サイコロが導き出した数字は一と五。偶数だった。
「何っ……で」
「どうした? 狐につままれたような顔をして。初めての負けで気が動転したか?」
明らかな動揺。ココンは白蛇仙人がサイコロに細工をしていると確信する。
「これまでの運が良かっただけじゃ。気を取り直して、次といこうではないか。ほれ白蛇の。さっさと札をしまえ」
「何をした」
「はて? 何のことかのぉ」
白蛇仙人には問い詰める手段はあった。しかし、ここで手札を切ると、それ即ち、自分の首を晒すということ。
たかが一ポイント。白蛇仙人は気持ちを切り替え、落ち着きを取り戻していく。
「悪かったね。気を取り直してやろうか」
荒れ始めた第七巡目。ココンは口元に手をやり、暫し長考した。
その結果、互いの札が赤で重なる。
『さっき何をしたかは分からないけど、このターンは凌げる。時間があるうちに、タネを見破るんだ』
今はココンと札が重なっている限り、ポイントが減ることはない。運にはなるが、札が重なっている間にイカサマを見破る。
焦りが渦巻き始める中、その目にサイコロが映る。その結果に平静を装っていた白蛇仙人は絶句する。
一と三の四で偶数。二人がポイントを失う。
「どういうことだ……
「もう残り一ポイントか。追い詰められたの」
ココンがイカサマをしていることは確定。だったら何故ここでポイントを失うのか。あまりにもメリットのない行動。それ即ち、ココンのイカサマは万全ではないということの証明。
動揺していた白蛇仙人の顔が薄ら笑いへと変わる。
相手にとって、イカサマは地獄の綱渡り。恐るるに足らず。
それよりも気になるのは、あまりにも落ち着いたココンの態度だった。
「君がイカサマをしていることは分かっている。けど、君の残りは一ポイント。対して僕は三ポイントだ。どうしてそんなに余裕でいられるんだい?」
「負けるつもりがないから、とだけ返しておこうかの」
「へぇ、だったらその余裕面、剥がしてあげるよ」
白熱の八巡目。互いの札が割れ、白蛇仙人がポイントを失う。目元が痙攣するように揺れ、その表情が歪む。
しかし冷静さを失わず、タネを見破ることに注力して挑んだ九巡目。
白蛇仙人はまたしてもポイントを失った。互いに残りポイントは一。白蛇仙人の表情はそれまでに見せたことのないほどに歪んでいた。
『このサイコロの面は、それぞれ微量に異なる温度を持つように作られている。僕の目は、その温度を感知出来るんだ。なのに、なのに何で、何で当たらないんだ。僕の目に狂いはないのに!』
そこにはもう余裕なんてものは存在していなかった。
「ボクが間違えるはずなんか―――」
白蛇仙人は全てを押し退ける勢いでサイコロに掴み掛かる。
しかし、ココンがその腕を掴み、制止する。
「放せ! 君がサイコロに細工をしたことは分かっているんだ!」
「そうだとするならば、最も近くでサイコロを扱っている小娘が気付くはずではないか? それに今、サイコロに触れるのはイカサマしますと言っておるのと同じじゃろう。判断してほしいというのなら、ユタを起こせ。何も教えず、ただ確認だけさせればよい」
飢えた狼のような形相の白蛇仙人に対し、ココンは冷静に返す。
その姿はまるで静かに鎮座する山の如し。格の違いに白蛇仙人は思わず狼狽える。
「どうするんじゃ?」
「いいよ。このまま続けよう」
舌を噛み、白蛇仙人はココンの手を振り払う。腰を下ろし、札を手に取る。
「さぁ、早く!」
泣いても笑っても、この一戦で全てが決まる。
ココンは座り直すと、ユタの頭を軽く撫で、前を向いた。
「それでは参ります」
椀の中にサイコロが転がされる。
白蛇仙人はひと時も目を離さず、サイコロの温度を把握し続けた。それだけでなく、転がる音さえも聞き分け、ズレがないかを確認をする。
その間、ココンは口元に手をやり、考え込んでいた。
『いける。僕は勝てるんだ。負ける筈がない』
椀で蓋されたサイコロに変化は見られない。サイコロの目は五と六の合計、十一。
白蛇仙人は奇数の赤の札を出そうとした。だがそのタイミングで違和感を覚え、手が止まる。
『何かが似ている』
今の状況は、これまでの対戦とどこか似ていた。
既に札を出しているココンは、早くしろと言わんばかりの余裕を見せているが、これではない。
何かヒントはないか。白蛇仙人は一度札を引き、考え直す。
『これまであっちは四回イカサマを仕掛けている。けど、一回は失敗。成功したのは三回だけだ。あっちのイカサマは万全じゃない。どこかに類似点がある筈だ』
白蛇仙人はゲームが始まってからの記憶の海を遡る。ココンの一挙手一同全てを思い返していく。
『あった』
そしてその中で砂金の一粒を見つけるに至る。
たった一度の失敗。その時にしていた行動。そして今回の対決でしていた行動。それは口元を手で隠す行為。
『あれはイカサマに自信がないからやっていたんだ』
白蛇仙人は声を大にして笑った。耳を塞ぎたくなる声量に、しかしココンは静かに伝える。
「儂は赤を出す」
「その手には乗らないよ。君はこのイカサマを失敗する。言っておくけど出した札を変えるのはなしだ」
七巡目の対決で、白蛇仙人はその目に映った数字を出して、ココンと共に点を失った。今、ココンはその時と同じ状況を生み出している。おそらくはサイコロの目を誤魔化す術を持っていても判断する術が不安定。つまり、この場面では、資格を信じずに、白の札を出すことこそが勝利への道。
「これで終わりだ!」
白蛇仙人は白の札を叩き付けた。対するココンは赤の札。
焦らすように蓋が退けられていく。
白蛇仙人の心臓が高鳴る。
『さぁ、さぁ、さぁ、僕の勝利を見せてくれ!』
二人の目にサイコロが映る。その合計は。
「儂の勝ちじゃ」
十一。白蛇仙人が見た、五と六の目が、そこにはあった。
「う……そだ。どういう……ことだ……」
狼狽え、砕く勢いでサイコロを掴む白蛇仙人。その様子を憐れむように見て、ココンは淡々と伝える。
「人も神も、最後は自分の都合の良いように考えを組み合わせる。偶然を必然だと思い違える」
「まさか……。全部演技だったっていうのか⁉」
「そうじゃよ。貴様の敗因は一つ。慢心じゃ。相手が同じ神であるということを忘れんだら結果は違ったじゃろうな」
「何をしたんだ!」
白蛇仙人は怒りに任せ、サイコロをココンに投げつける。
「教える義理はない」
ココンはユタを抱え、その場を去ろうとした。
だが、蛇のような目が睨みつけ、逃がす気はなかった。
「大人しく負けてればよかったんだ……。それなら苦しまずに食べてやったのにさ!」
白蛇仙人が人の皮を捨て、部屋を圧迫するほど巨大な白蛇となって、ココンを捕食しに掛かる。
「勝負の結果は守らんか!」
しかしココンも簡単にはやられない。白蛇の目に炎を放った。
「ぐあぁ!」
予想だにしない攻撃が直撃した白蛇は大きく怯む。
その巨体が家を壊す中、ココンは飛び出すと、車へと駆け込んだ。
「う……うぅん」
「ユタ、起きたか。逃げるぞ」
「え?」
状況の理解出来ていないユタを連れ、ココンがエンジンを轟かせると、タイヤの金切り声と共に、脱兎の如く村を飛び出す。
「な……なに? なになになに⁉」
身を投げ出されそうな勢いのハンドル捌きに、ユタは悲鳴に似た驚きの声を上げる。
「白蛇の奴、元から儂らを食うつもりで招いたんじゃ。ほれ、後ろ見てみろ」
「えぇ⁉」
言われて後ろを見ると、ユタは衝撃の光景を目にする。
それはこれまで見たことのない、うねうねした巨大な白い生物が追って来ている姿。
追い付かれれば、車ごと丸呑みだろう。
ユタは思わず悲鳴を上げると、座席で頭を抱えた。
「君は! 人間なんかに依存せずとも生きられる道を歩みたいとは思わないのか⁉」
追われる最中、背後からガリガリと地面を削る音と共に白蛇の声が響く。
「思わん!」
ココンは巧みにハンドルを切り、水路の迷路を突き進んでいく。
「人間なんかいなくても生きる為に何が必要か、僕はずっと考えてきた。そして考え着いた。神を超えればいいんだってね! そんな時に君が現れた。僕は確信した。これは天啓だと。君を喰らい、神を超えろという意味だと!」
「くだらん! そんなことをしても何も変わらんわ!」
「そんなこと、やってみないと分からないじゃないか!」
巨大な口が車体の側面をかすめる。
何とか避けた車はしかし、行き場を失っていく。
向かっている先にあったのは、村に向かう際に見た、大きな湖。
そこに架かっているのは崩れそうな橋だった筈。渡っている途中で落ちる危険がある。ユタは進路を変えるよう訴える。
「どうするの⁉ あんなところ行ったら捕まっちゃうよ⁉」
「いいや。あそこでよい」
ココンはアクセル全開のまま、橋へと走らせた。するとユタの目には記憶と違う光景が映る。
「うそ⁉」
古びた橋は、この短時間で修復され、新品となっていた。
車はそのまま橋を渡り始める。その後を追い、白蛇も橋に乗った。
次の瞬間―――
「なっ―――!」
橋がクッキーのように崩れ、白蛇は湖へと落ちた。
崩壊し始めた橋を全力で車が走る。渡り切るのが先か、転落が先か。
「ココン頑張って!」
「分かっておる!」
エンジンの悲鳴を轟かせ、ココンは何とか湖中央の陸地に滑るようにして車を止めた。
車を降りると、ココンはユタを連れて、崩れた橋へと向かう。
見下ろす先にいたのは、蛇の姿のままでは沈んでしまう為、人の姿に戻った白蛇仙人。水に浮かび、絡みつくような蛇の目が二人を睨みつけていた。
「君のイカサマの正体がやっと分かったよ。幻覚だね。あのゲームで、君は僕に偽の目を見せていたんだ。そしてこの橋も、新品のように見せて、僕に渡らせた」
「正解じゃ。貴様は村を管理しとるからの。外の状態なんぞ知らんだろうと賭けに出てみた」
「まんまとボクは賭けに負けたって訳か」
己の失態に白蛇仙人は自嘲的に笑う。
「ここまで負け続き。けどまだ全部負けた訳じゃない!」
ここで白蛇に変身すれば、逃げる隙も与えず、一気にココンを捕食することが出来る。
白蛇仙人が脱皮しようとしたその時、水底で何かが蠢いた。
「いいや、お主の負けじゃよ。白蛇の」
「何を言って―――」
白蛇仙人の足首を何かが掴む。凍えるような感覚が流れ込む。
「何だよこれ」
白蛇仙人を掴んでいたのは赤子の手だった。温もりを求める凍えきった手が、数を増やし、その体に纏わりついていく。
「やめろ! 離れろ!」
剥がしても剥がしても、その手は数を増やしていく。その力は段々と強くなり、決して離れないように掴んで、水底へと引きずり込んむ。
「ゴボッ、助け……。ゴボッ」
どれだけもがこうと、ココンは手を差し伸べない。そうなることが分かっていたかのように、ただただ傍観していた。
「頼む……ゴボッ、もう襲わない。ゴボッ、だから助けゴボッ」
悲痛な訴え。だが波に飲まれ、その涙は流されていく。たとえ見えたとしても、伸ばされた手を掴む者はいない。代わりに向けられるのは冷酷な眼差しだけだ。
「貴様はユタを危険に巻き込んだ。貴様にとって譲れぬものがあるように、儂にも譲れぬものがある。それに手を掛けた貴様を助ける道理はない」
「そんな……」
白蛇仙人の顔が絶望に染まる。その手が虚空を掴むと同時、一気に水底へと引っ張られた。
「嫌だ! こんなところで死にたくない! 僕は生きたい!」
魂からの叫び。しかしその声は誰にも届くことない。白蛇仙人は冷えきった水の底へと姿を消していった。
「お主が愛を教えることが出来ればいずれ解放されるじゃろう。その時、村が残っているかは分からんがの」
※※※
車を走らせている中、ユタが未だ収まらぬ動悸に困惑しながら聞く。
「あれ、何だったの?」
「あれは祈る先のなかった願いが空を漂い、形を成した存在じゃろう。母の温もりを求め、生者にしがみ付いたんじゃ」
「ココンは知ってたの?」
「あそこを通った時にな。微かじゃが不思議な気配を感じた」
そう答えつつ、ココンは村の前で車を止める。中に入ると、そこには糸の切れた操り人形のように立ち尽くしている村人の姿があった。
「ここでは過ごせんの」
「この人達、どうなるの?」
「分からん。ただ生きたいと願うのなら、自らの足で歩み始めるじゃろう。この世界では依存するだけでは生きていけぬ」
憐れむように村を一瞥すると、ココンは踵を返した。
「さようなら」
ユタも別れを告げると、静寂だけが流れる村を後にするのだった。
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