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27. レディ・ナタリー

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「この絨毯3人乗っても大丈夫なのかよ!? 過積載じゃないの?」

「大丈夫だよ、子供の頃も何人かで乗ったことあるし」

「昔と今とじゃ体重が全然違うだろう!!」

ビクトールとカイルは、絨毯の上でよく分からない会話をしていた。今のところ、空飛ぶ絨毯はすいすいと快調に飛んでいる。だが、ビクトールは高いところが苦手らしかった。先ほどから汗をだらだらと垂らしながらカイルを問い詰めている。

「物理的に移動できるものじゃなきゃ駄目だと言ったのはお前だぞ。人間相手に転移の魔法を使うと追尾されやすいからって。うちに魔法の絨毯があってよかったな。珍しいもの好きのお父様のコレクションの一つなんだ」

「だからってもっと安全な乗り物なかったのかよ……」

「後は箒くらいしかない」

「箒なんてもっと危ないだろう! 訓練しなきゃ乗れないし!」

リリアーナは2人の会話を黙って聞いていたが、やがてぷっと吹き出し、腹を抱えて笑いだした。笑うなんて何日ぶりだろう。顔の筋肉も随分こわばっていたのが分かる。

「しばらく見ないうちに2人とも仲良くなったのね」

ビクトールもカイルも、久しぶりに笑うリリアーナを見てほっとした表情を浮かべた。

「別に仲良くなったわけじゃない。切羽詰まった状況だから一時的に休戦にしたまでのことだ」

ビクトールは口をとがらせて言ったが、彼のこんな表情を見るのも初めてだ。

「でもあなた、前より明るくなった感じがするわ。前はもっと気難しかったのに」

リリアーナに指摘され、ビクトールは胸がチクリと痛んだ。彼女が部屋に閉じ込められて不自由な思いをしている間に、ビクトールは魔法技術省で有意義な日々を過ごしていた。魔法使いの弟子として尊敬できる研究者に師事できたのは、彼の人生にとって大きな収穫だった。彼女を早く解放しなければと思う一方で、この日々が永遠に続いて欲しいと思ってしまったのも事実だ。

リリアーナの横顔を見ると、前に見た時よりやつれたように見える。目には隈ができており、明らかに痩せた様子だ。この1ヶ月近く、彼女がどれだけ苦しんだかを目の当たりにして、ビクトールは罪悪感が募った。

「謝らなくちゃいけないことがある。実は調べたいことがあって、しばらく魔法技術省に研修生として通っていたんだ。それで救出が遅れてしまった」

「まあ! あなた念願の魔法技術省に行けたのね! 研修生ということは、正式に入れる見込みがあるってこと? 素晴らしいわ!」

リリアーナは、自分よりビクトールのことを喜んでくれた。本当は、魔法技術省とは金輪際縁がないのだが、流石に今、それを伝えることはできなかった。

「これからレディ・ナタリーのところへ連れて行く」

ビクトールは強制的に話題を変えた。レディ・ナタリー? 聞きなれない名前にリリアーナはきょとんとした。

「俺の親代わりみたいな人だ。王都の郊外で孤児院を開いている。昔はうちの近所にあったが移転したんだ。俺は一応親がいるけど殆ど放置状態だったから、何かあるとしばしば厄介になっていた」

ビクトールが自分の話をするのは初めてだ。リリアーナは静かに話す彼の横顔を見ながら黙って聞いていた。

「初めて魔法を使ったのは5歳の時だ。父のいない間に母が間男を連れ込んでいて、うろちょろする俺が邪魔だったんだろう、そいつに殴られそうになって咄嗟に身を庇ったら魔力が暴発して、気づくと吹っ飛ばしていた。怖くなった俺は、無我夢中で家を飛び出して孤児院に逃げ込んだ。そこで魔力があることをレディ・ナタリーに教えられたんだ」

彼の口から語られる意外な過去に、リリアーナもカイルも黙って耳を傾けていた。

「レデイ・ナタリーも貴族の血を引くから魔術の心得がある。彼女に基礎的な魔術を教えてもらった。そのお陰で魔力を暴走させずにコントロールすることができるようになった。魔法学校に推薦してくれたのも彼女だ。それだけじゃない、親から碌にしつけもされなかった俺を人間に調教してくれた。いつか恩返ししたいと思っていたらいつの間にか引っ越して行方知れずになっていて……やっと最近カイルに消息を当たってもらったんだ」

「だから魔法学校に入ってもそんなに不自然さがなかったんだな。貴族に対する礼儀作法とかどこで学んだのか不思議だった」

一緒に聞いていたカイルは、かねてからの疑問が氷解してすっきりした気持ちになった。

「その辺も魔法学校に入ると決まった時点で、きつくしごかれた。当時はかなり反発してたからやっかいな生徒だったと思う。後で謝っておかないと」

ビクトールはそう言ってから、今度はリリアーナに向き合った。

「レディ・ナタリーのところにいれば安全だから、しばらくそこにいて欲しい。孤児院で騒がしいとは思うけど、家よりは居心地いいと思う。俺とカイルはそれぞれやることがあるから一緒にいられないけど、たまには会いに行く。どうか信じて待って欲しい」

「分かった。信じるわ。ありがとう、ビクトール」

リリアーナもビクトールの目をまっすぐ見つめて答えた。ビクトールがここまで自分のためにお膳立てしてくれたなんて嬉しいに決まっている。ありがとうの一言ではとても伝えきれなかった。

「おい、見えて来たぞ。そろそろだ」

カイルが指さした方向を見ると、だだっ広い平原の中にぽつんと一軒家が建っていた。それなりに大きな建物で、学校のように見える。魔法の絨毯は降下を始め、だんだんその家の姿が大きく見えてきた。白ペンキが塗られた木造造りの邸宅の庭で、何人かの子供たちが遊んでいる。そのうちの一人が魔法の絨毯を指さし他の子に教えると、一斉にわあっという歓声が上がった。子供たちが見守る中、絨毯は邸宅の前にふわっと降りた。

「ちょっと、レディ・ナタリーを呼んでくれないか?」

ビクトールが子供の一人に声をかけると、子供は一旦建物の中に入って行った。やがて、燃えるような赤い髪を無造作にまとめた30代半ばの女性が中から出て来た。女性にしては背が高くほっそりした体型をしており、乗馬服のようなぴっちりした服を着ていた。派手な身なりではないが、ぱっと人目を惹く容貌と長い手足で、見る者に忘れ難い印象を与える。彼女は、ビクトールたちを見ると、目を丸く見開いて驚いた表情を浮かべた。

「お久しぶりです、レディ・ナタリー。事前に連絡した通り彼女を連れてきました。こちらがリリアーナ・オズワルド公爵令嬢です」

「本当に公爵令嬢を連れて来たのね! ただ者じゃないとは思っていたけど、こんな成長の仕方をするとはね! 本当にあなたは規格外ね、ビクトール!」

レディ・ナタリーは豪放でざっくばらんな性格らしく、アハハと声を上げて笑った。簡単に飲み込める状況ではないはずなのだが、それも含めて面白おかしく思っているらしかった。

「あ、あの、初めてお目にかかります。リリアーナ・オズワルドと申します」

リリアーナは丁重に挨拶しようとしたが、身体がふらつき転びそうになったところをビクトールに支えられた。体力が弱っているだけでなく、先ほど痛めた脇腹が痛いらしい。

「ごめんなさい、結界を破った時の衝撃で体を打ってしまったようなの」

ビクトールは杖を取り出し、なにやら低い声で呪文を唱えた。するとリリアーナの怪我が一瞬で治った。

「ありがとう! あなたすごいわ! まるで聖女みたい!」

「簡単な怪我しか治せないよ。治癒の魔法は本来聖女しか使えないから」

なぜか顔をしかめて答えるビクトールを、レディ・ナタリーは複雑な表情で見ていた。

「体が弱ってるみたいだから、今日のところはゆっくり休みなさい。あなたの部屋は既に用意しているわ。そこのあなた……ああ、ギャレット侯爵のご子息ね。あなたも着いて行ってあげて」

レディ・ナタリーは、慣れたようにてきぱきと指示を出した。カイルが侯爵の息子だろうが、そんなことを一向に気にする様子はない。一通り指示を出し終えたところで、ビクトールを呼び、施設長の部屋へ案内した。

「治療してやるから見せてごらん。さっきあの子の怪我を自分の体に移したでしょ?」

レディ・ナタリーは全てお見通しのようだった。ビクトールは一瞬否定しかけたが、観念したように服をたくし上げ、赤黒く腫れ上がった脇腹の怪我を見せた。

「大した怪我じゃないからよかったようなものの……傷移しの術なんて学校じゃ習わないでしょう? せっかく奨学金を貰ったというのに、碌な方向に成長していないみたいね」

「学校の勉強もちゃんとやってますよ。これでも一応主席だし」

ビクトールはむくれた表情で答えた、拗ねた中にも甘えるような響きがあった。

「学校の勉強だけじゃ飽き足らず、ヤバい魔法にも手を出したんでしょう? せっかく才能はあるんだから危ない橋は渡って欲しくないんだけど」

レディ・ナタリーは、怪我の治療をしながらため息をついた。さすがのビクトールも、育ての親に等しいレディ・ナタリーには頭が上がらないようだ。

「傷移しの術なんてたった一人にしか利かない。それも一番に思う相手でないと。よりによってそれが王太子の婚約者だった公爵令嬢とはね。あんたもとんでもない運命に巻き込まれたわね」

レディ・ナタリーは苦笑しながら言ったが、ビクトールはじっとうつむき暗い表情を見せた。

「言われてみればそう……ですね」

「でももう後戻りできないんでしょう?」

ビクトールはしばらくうつむいたままだったが、意を決したように顔を上げて、レディ・ナタリーを見つめた。

「はい。それに、他に頼れる大人もあなた以外いません。どうか、リリアーナを守ってください。他に味方がいないんです」

「オズワルドと言ったら、貴族の鼻持ちならないところを煮詰めたような一族なのに、その娘がやって来るなんてね。一筋縄じゃいかないけどあなたその覚悟はあるのね、まあ、そうでなけりゃ傷移しの術なんて使えるはずもないけど」

レディ・ナタリーは、ビクトールを心配しながらも、どこか楽しそうな雰囲気さえあった。困難に直面すると却ってワクワクするタイプなのだ。こんな性格でなければ、孤児院経営という困難がつきまとう事業をやり遂げることはできない。実家から無理やり奪ったリリアーナを匿ってもらうなんて、火中の栗を拾うようなことを頼めるのは、レディ・ナタリーくらいしかいなかった。

「はい、リリアーナは見かけによらず素直で正直な人間です。どうか彼女をお願いします、ああそれと」

ビクトルは一瞬迷いを見せたのちまた口を開いた。

「今更だけど、敬語を教えてくれてありがとうございました。貴族の前でも恥をかかない振舞いを覚えたお陰で、最低でも犬扱いだけはされずに済みました。その甲斐あって何とか学校に通えています。あの時は散々反抗してすいませんでした」

ビクトールが真剣に頭を下げるのを見て、レディ・ナタリーは声を上げて笑った。親から何の躾もされなかったビクトールを人間らしく調教して、貴族が通う学校でも恥をかかない程度に仕上げたのはまさに彼女だった。余計なことしやがってとしか思えなかった自分の浅慮が今となっては恥ずかしい。だから彼女には全幅の信頼を寄せていた。彼女ならきっとリリアーナも救ってくれると信じていた。





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