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38.邯鄲の夢
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リリアーナは、女性が働いているという店まで一緒に着いて行った。商店街の中にある店かと思ったら、そこを素通りして路地に入り奥まった場所まで来てしまった。それなりに大きな建物だが、大きな両開きの扉があるだけだ。
そもそもこれは店なのか? 商品を陳列する場所もないし、店構えというものがまるでない。よく見ると、周りは飲み屋のようで、これらの店も昼間は戸が閉まっており、人気がなかった。本当にここで合っているのかとリリアーナは不安になって来た。
「まだお店が開いてないので裏口から入りましょう」
「あの……ここはどういう……」
とうとう我慢しきれなくなってリリアーナが尋ねたとのちょうど同じタイミングで、女性は裏口の扉を開けた。
「よう、ジュディス。遅かったな。隣にいる奴は誰だ?」
そう声をかけて来たのは禿げ頭の50代くらいの男だった。
「こないだの3人組にまた出くわして絡まれたんです。そしたらこの子が助けてくれて」
「この子、ってまだガキじゃないか! 一体どうやって——」
「石を投げたら偶然当たりどころが悪かったみたいで。すいません、実はお願いがあって来たんですが」
リリアーナは慌てて男の言葉を遮って話し出した。魔法のことは秘密にしておきたい。
「町に来たばかりで仕事を探してるんですって。ちょうど裏方の仕事を募集してましたよね。助けてもらったお礼に力になってあげたいんですけど」
「掃除でも洗濯でもなんでもしますからどうか雇ってください!」
ジュディスに続いてリリアーナも頭を下げて頼み込んだ。
「雑用は今んとこ間に合ってるんだよ。今足りないのは会計の仕事で計算や読み書きができないと——」
「むしろ専門分野です! やり方を教えてくれればすぐにできます!」
リリアーナは目を輝かせてアピールした。力仕事や雑用より頭を使う仕事の方が得意だ。しかし、田舎の平民の子供という身なりを見て男は戸惑っているようだった。ある程度の教育を受けてないとできない業務なのに、そんな素養を身に着けているようには到底見えない。
「いや無理だろ……ジュディスを助けてくれたのはありがたいが……」
「騙されたと思ってやり方を一通り教えてください! もしご希望にそえる働きができなかったら採用しなくていいので!」
これを逃したらもうチャンスはないかもしれない。世の中のことを何も知らないリリアーナは、他にどうすることもできなかった。
「どうしたの? 何か騒々しいようだけど」
そこへ30代くらいの男性がやって来た。背はひょろ長く痩せぎすで、くせ毛にたれ目という組み合わせは全体的に柔和な印象を受けた。
「へえ、ジュディスがこのガ……男の子に道端で助けられたというんですが、ここで働かせてほしいと言ってるんですよ。帳簿のつけ方を教わればすぐに仕事ができると言うんですが」
「それじゃ教えてあげようよ。いいよ、僕がやるから」
意外にもこの男性からは好感触の回答が得られた。リリアーナはぱっと顔を輝かせて「ありがとうございます!」とお礼を言った。
「まだ採用するとは決めてないよ。前任者と同じ程度はできてもらわないと困る」
男性は微かに笑いながら言った。何としてもここで認めてもらわないといけない。リリアーナは座学なら自信があったので大丈夫と言ったが、初めてやる事なので一抹の不安がないと言えば嘘になった。
男性はリリアーナを事務室に呼んで、一通りのことを教えてから最後にこう言った。
「帳簿のつけ方は分かったね。今日の店が終わったら見せに来て。その出来栄えで採用するか決めるから。あ、まだ名前を聞いてなかった。何て言うの?」
リリアーナは一瞬固まってしまった。大事なことなのに今まで考えていなかった。間を空けては怪しまれると焦り、咄嗟に頭に浮かんだ名前を口にした。
「ビック、ビック・シュタインです」
「ビックね、よろしく。僕は店長のディーン、こっちの禿げ頭は番頭のダン。とりあえず今夜一晩よろしく」
「あの、ここはどんなお店なんですか?」
リリアーナは、最後になってようやくずっと疑問だったことを尋ねることができた。
「何だ、知らなかったの? キャバレーだよ。『邯鄲の夢』、大人の社交場さ」
**********
夕方のオープンに向けて店内はだんだんと慌ただしくなった。外から見た入り口はとても地味なのに、一たび足を踏み入れると天井や壁から床に至るまで緋色に彩られ、非日常的な空間が広がっていた。ステージにはビロードの幕がかかり、客席にはソファとローテーブルが並んでいる。楽隊のメンバーも出そろい、楽器をチューニングする音が開店まで間もないことを告げていた。
やがて、化粧を施し衣装に着替えた踊り子たちが続々とやって来て、にわかに慌ただしくなった。リリアーナが助けてあげたジュディスも踊り子の一人だった。彼女らはステージに上がって踊ったり、それ以外の時は客を接待したりするのが仕事だった。
(まさかこんな店だったとは……いわゆる殿方の社交場よね? いかがわしい場所なのかしら?)
リリアーナのような立場の女性はまず縁がない場所であることは確かだった。遊び好きの男性が主な顧客のようだ。なかなか高級な店らしく、富裕層の商人や貴族も通っているらしい。自分は少年ということになってるし、そもそも表には出てこないが、それでもドキドキしてしまった。
ディーンが教えてくれた内容はそれほど難しくなかった。魔法の代わりに他の勉強を頑張ったリリアーナにとっては慣れてしまえばなんのことはない業務のように思える。
少年の身なりをしても実際は女性なのだから、力仕事をやれと言われなかったのは運がいいと思った。掃除などの雑用もリリアーナは苦手だ。当然だが今までそんな仕事をしたことはなかったし、黙っていても何でもしてくれる環境にいたリリアーナにとって、自分から進んで動くことは難しかった。孤児院の手伝いでも気が利かなくて他の人の手を煩わせることがあった。
「ビック、手が空いたらライラのところへ挨拶に行って」
ライラとは、踊り子たちのトップスターらしい。一人だけ専用の控室を与えられるなど、待遇もトップだ。優しい人だといいなと考えながら、リリアーナはライラの控室の扉をノックした。
「いらっしゃい。話は聞いたわよ。うちのジュディスを助けてくれてありがとう。時々変な客が来るのよ。女だと思って足元見て馬鹿にする輩が。そういうのに限ってケチなのよね」
ライラは化粧を施しながら鏡越しにリリアーナを確認して、改めて彼女に向き直り「本当にありがとう」と言い直した。ちぢれた黒髪にはっきりした目鼻立ちはどこか異国ぽさを漂わせ、真っ赤な口紅がよく似合っている。プライドは高そうだがどうやら悪い人ではなさそうだ。リリアーナはほっと胸をなでおろした。
「い、いえ、とんでもないです。今日からここで働かせていただくことになりました。皆さんの足を引っ張らないように頑張るのでよろしくお願いします」
リリアーナはぺこりとお辞儀をして挨拶した。この人に気に入ってもらうことがどうやら第一関門のようだ。幸いライラは気難しい人ではないらしく、笑顔を返してくれた。
そろそろ店が開く時間だ。自分は事務所に引っ込もうとした時、派手なオレンジ色の髪をたなびかせた背の高い人物とぶつかった。その人はヒールの高いブーツを履いており、まつ毛が長くフリルがふんだんに使われたシャツの上にラメ入りのコートを着ていた。
「きゃっ! ごめんなさい……ってディーンさん!?」
リリアーナは、店長のディーンが昼間に会った姿とはまるで違う格好に驚いた。女性のように長い髪のかつらを被り、女性以上に派手な化粧をしているその姿はある意味一番強烈だった。
「ああ、毎日この格好で出るんだよ。司会は僕がやるからね。驚かせちゃってごめんね」
ディーンはごめんねと言いながら何にも感じてない風で、リリアーナの元を過ぎ去った。どうやら変装をするのは、ここでは彼女だけではないらしい。大丈夫……私は裏方だから関係ない……リリアーナはドキドキした胸を鎮めながら何度も自分に言い聞かせた。
**********
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そもそもこれは店なのか? 商品を陳列する場所もないし、店構えというものがまるでない。よく見ると、周りは飲み屋のようで、これらの店も昼間は戸が閉まっており、人気がなかった。本当にここで合っているのかとリリアーナは不安になって来た。
「まだお店が開いてないので裏口から入りましょう」
「あの……ここはどういう……」
とうとう我慢しきれなくなってリリアーナが尋ねたとのちょうど同じタイミングで、女性は裏口の扉を開けた。
「よう、ジュディス。遅かったな。隣にいる奴は誰だ?」
そう声をかけて来たのは禿げ頭の50代くらいの男だった。
「こないだの3人組にまた出くわして絡まれたんです。そしたらこの子が助けてくれて」
「この子、ってまだガキじゃないか! 一体どうやって——」
「石を投げたら偶然当たりどころが悪かったみたいで。すいません、実はお願いがあって来たんですが」
リリアーナは慌てて男の言葉を遮って話し出した。魔法のことは秘密にしておきたい。
「町に来たばかりで仕事を探してるんですって。ちょうど裏方の仕事を募集してましたよね。助けてもらったお礼に力になってあげたいんですけど」
「掃除でも洗濯でもなんでもしますからどうか雇ってください!」
ジュディスに続いてリリアーナも頭を下げて頼み込んだ。
「雑用は今んとこ間に合ってるんだよ。今足りないのは会計の仕事で計算や読み書きができないと——」
「むしろ専門分野です! やり方を教えてくれればすぐにできます!」
リリアーナは目を輝かせてアピールした。力仕事や雑用より頭を使う仕事の方が得意だ。しかし、田舎の平民の子供という身なりを見て男は戸惑っているようだった。ある程度の教育を受けてないとできない業務なのに、そんな素養を身に着けているようには到底見えない。
「いや無理だろ……ジュディスを助けてくれたのはありがたいが……」
「騙されたと思ってやり方を一通り教えてください! もしご希望にそえる働きができなかったら採用しなくていいので!」
これを逃したらもうチャンスはないかもしれない。世の中のことを何も知らないリリアーナは、他にどうすることもできなかった。
「どうしたの? 何か騒々しいようだけど」
そこへ30代くらいの男性がやって来た。背はひょろ長く痩せぎすで、くせ毛にたれ目という組み合わせは全体的に柔和な印象を受けた。
「へえ、ジュディスがこのガ……男の子に道端で助けられたというんですが、ここで働かせてほしいと言ってるんですよ。帳簿のつけ方を教わればすぐに仕事ができると言うんですが」
「それじゃ教えてあげようよ。いいよ、僕がやるから」
意外にもこの男性からは好感触の回答が得られた。リリアーナはぱっと顔を輝かせて「ありがとうございます!」とお礼を言った。
「まだ採用するとは決めてないよ。前任者と同じ程度はできてもらわないと困る」
男性は微かに笑いながら言った。何としてもここで認めてもらわないといけない。リリアーナは座学なら自信があったので大丈夫と言ったが、初めてやる事なので一抹の不安がないと言えば嘘になった。
男性はリリアーナを事務室に呼んで、一通りのことを教えてから最後にこう言った。
「帳簿のつけ方は分かったね。今日の店が終わったら見せに来て。その出来栄えで採用するか決めるから。あ、まだ名前を聞いてなかった。何て言うの?」
リリアーナは一瞬固まってしまった。大事なことなのに今まで考えていなかった。間を空けては怪しまれると焦り、咄嗟に頭に浮かんだ名前を口にした。
「ビック、ビック・シュタインです」
「ビックね、よろしく。僕は店長のディーン、こっちの禿げ頭は番頭のダン。とりあえず今夜一晩よろしく」
「あの、ここはどんなお店なんですか?」
リリアーナは、最後になってようやくずっと疑問だったことを尋ねることができた。
「何だ、知らなかったの? キャバレーだよ。『邯鄲の夢』、大人の社交場さ」
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夕方のオープンに向けて店内はだんだんと慌ただしくなった。外から見た入り口はとても地味なのに、一たび足を踏み入れると天井や壁から床に至るまで緋色に彩られ、非日常的な空間が広がっていた。ステージにはビロードの幕がかかり、客席にはソファとローテーブルが並んでいる。楽隊のメンバーも出そろい、楽器をチューニングする音が開店まで間もないことを告げていた。
やがて、化粧を施し衣装に着替えた踊り子たちが続々とやって来て、にわかに慌ただしくなった。リリアーナが助けてあげたジュディスも踊り子の一人だった。彼女らはステージに上がって踊ったり、それ以外の時は客を接待したりするのが仕事だった。
(まさかこんな店だったとは……いわゆる殿方の社交場よね? いかがわしい場所なのかしら?)
リリアーナのような立場の女性はまず縁がない場所であることは確かだった。遊び好きの男性が主な顧客のようだ。なかなか高級な店らしく、富裕層の商人や貴族も通っているらしい。自分は少年ということになってるし、そもそも表には出てこないが、それでもドキドキしてしまった。
ディーンが教えてくれた内容はそれほど難しくなかった。魔法の代わりに他の勉強を頑張ったリリアーナにとっては慣れてしまえばなんのことはない業務のように思える。
少年の身なりをしても実際は女性なのだから、力仕事をやれと言われなかったのは運がいいと思った。掃除などの雑用もリリアーナは苦手だ。当然だが今までそんな仕事をしたことはなかったし、黙っていても何でもしてくれる環境にいたリリアーナにとって、自分から進んで動くことは難しかった。孤児院の手伝いでも気が利かなくて他の人の手を煩わせることがあった。
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ライラは化粧を施しながら鏡越しにリリアーナを確認して、改めて彼女に向き直り「本当にありがとう」と言い直した。ちぢれた黒髪にはっきりした目鼻立ちはどこか異国ぽさを漂わせ、真っ赤な口紅がよく似合っている。プライドは高そうだがどうやら悪い人ではなさそうだ。リリアーナはほっと胸をなでおろした。
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リリアーナはぺこりとお辞儀をして挨拶した。この人に気に入ってもらうことがどうやら第一関門のようだ。幸いライラは気難しい人ではないらしく、笑顔を返してくれた。
そろそろ店が開く時間だ。自分は事務所に引っ込もうとした時、派手なオレンジ色の髪をたなびかせた背の高い人物とぶつかった。その人はヒールの高いブーツを履いており、まつ毛が長くフリルがふんだんに使われたシャツの上にラメ入りのコートを着ていた。
「きゃっ! ごめんなさい……ってディーンさん!?」
リリアーナは、店長のディーンが昼間に会った姿とはまるで違う格好に驚いた。女性のように長い髪のかつらを被り、女性以上に派手な化粧をしているその姿はある意味一番強烈だった。
「ああ、毎日この格好で出るんだよ。司会は僕がやるからね。驚かせちゃってごめんね」
ディーンはごめんねと言いながら何にも感じてない風で、リリアーナの元を過ぎ去った。どうやら変装をするのは、ここでは彼女だけではないらしい。大丈夫……私は裏方だから関係ない……リリアーナはドキドキした胸を鎮めながら何度も自分に言い聞かせた。
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