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第20話 「楡の木」編集部
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王都に来てから、連日アンジェリカやセオドアと一緒に街に出て買い物をしたり、おいしいものを食べたりする生活を送っている。見るもの聞くもの全てが新鮮で、人の往来も珍しい物もあふれかえっており、今まで住んでいた田舎とは情報量がまるで違う。ともすれば、エリオットのいない寂しさなど忘れてしまいそうになるほど都会は刺激が多い。実家のテレンス家やブラッドリー家は郊外の片田舎にあったので、時折最寄りの街に遊びに行くくらいだったビアトリスにとっては、王都の喧騒に包まれる毎日が新鮮であった。
そんな中、ビアトリスはアンジェリカに案内された「楡の木」の編集部を訪れた。
「ねえ、『楡の木』の事務所ってここで合ってるかしら?」
「ええ、多分。大丈夫よ」
ビアトリスは町中にある2階建ての建物を見上げた。そう言えば先日「紅の梟」の編集部にもお邪魔させてもらった。規模としては同じくらいに見えるが、発行部数では「紅の梟」の方が少しだけ多いらしい。「楡の木」は「紅の梟」の後に発行された投稿型同人誌だが、やはりここからもプロの作家を輩出したりと、文芸界の注目度は高かった。
「編集部は……確か二階だったわね」
ビアトリスは緊張しながら、狭い階段を上って行った。やがて小さなドアにたどり着きノックする。出て来た事務員に、自分の名前と編集長と会う約束がある旨を伝えた。アンジェリカと共に中に通され、小さな会議室のようなところで待っていると、とび色の髪の毛をした爽やかな青年が大股で部屋に入って来た。歳の頃は30歳くらいだろうか。
「あなたが、トビアス・ジェームズさん!? てっきり男の人かと? 失礼しました。僕は、編集長のマーク・シンプソンです。ええと、本当の名前を教えていただいてもよろしいですか?」
「は、はい。本名はビアトリス……ブラッドリーと言います。女が小説を書くなんて珍しいから男性名にしたんですが……」
「そんなの気にする必要ないですよ。今は女性作家もぽつぽつ出ているし、逆に好意的に受け止められています。この際、女性であることを武器にして、本名で出すのはどうですか?」
そう言われて、ビアトリスは目を大きく見開いた。女である方が注目される? 今までそんな発想をしたことがないので大層驚いた。しかし、本名を晒したら周りから何と言われるだろう? 大いに迷ったものの、マークに押し切られる形で了承した。
名前の件が一段落した後、ビアトリスは、自分の小説のどんな点が評価されたのか尋ねた。マークから指摘された点は、言葉は違えどエリオットが指摘してくれたところと一致していた。やはり、エリオットの見る目は確かなのだ。編集者としての彼の実力がここでも分かる。
「ところで、ブラッドリーとありますが、どこのブラッドリーさん?」
突然マークに尋ねられて、ビアトリスは椅子から立ち上がりそうになった。もしかして、エリオットとの関係を疑われている? しかし、ここは、彼とのつながりは隠しておこうという作戦のはずだ。嘘をつくのに慣れていないビアトリスは、冷や汗をかきながらしどろもどろに答えた。
「どこって……別に誰も知り合いなんていませんが?」
傍目に見てもうさんくさいらしく、隣にいるアンジェリカもハラハラしている。しかし、マークは別に気にする様子もなく、普通に受け流した。
「すいません、変な質問しちゃって。もしかしたら知り合いかなと思ったんですが勘違いだったようです。ブラッドリーなんて別に珍しくもない名前ですからね」
そうですね、ははは、とビアトリスも曖昧な笑みを浮かべて合わせる。しかし、内心は心臓がドキドキしていた。
「つかぬことを伺いますが、うちの他にどこに投稿してました? こういうのは、別に隠さなくてもいいからざっくばらんに教えてください。ライバル誌と掛け持ちしている方が普通ですから」
そう言われ、ビアトリスは正直に答えることにした。
「実は『紅の梟』にも投稿してて……でも一度も掲載されることはありませんでした。それで、『楡の木』にも投稿したらいきなり載るようになったので、正直驚いてます」
「確かに。『紅の梟』は少しお堅い作風だから、あなたの繊細で柔らかな作品はカラーじゃないかもしれないな。その点、うちは頭が柔らかいんだよね。面倒くさいイキり作家志望はあっちに行ってくれるから正直助かる」
それを聞いて、ビアトリスは、身びいきから少しむっとした。しかし、素性を隠しているので表に出すわけにはいかない。とはいえ、マークの言ってることも分かる。「紅の梟」は、どちらかと言うと読者もうるさがたで、読者投書欄は歯に衣着せぬ評論が並んでいた。
「ねえ、ちょっと提案があるんだけどいい?」
「はい? 何でしょう?」
「もしよければ、うちの仕事を手伝ってもらう傍ら、こちらで小説の添削指導をしようかなと。せっかく連載するならいいものに仕上げたいでしょう。これが初めての連載となると、未熟なところもあるから指導しながら育てたい気持ちがあるんです。その方が完成度が上がるかと」
「ぜひお願いします。正直言って、2回しか投稿してないのにいきなり連載なんていいのかなって思って。自信もないので、ぜひ働きながらスキルを上げたいです」
「ちょ~~っと待ったあ!」
そこへ、いきなりアンジェリカが割って入った。
「添削指導はいいけど、ここの仕事をすることになるのよね? それならきっちり雇用契約を結んで賃金を貰えるようにしないと、タダ働きになってしまうわ。こういうのは最初が肝心なの。特に相手が女性の場合見くびる雇用主もいるから」
「でも、私はまだ修行の身で、小説を見てもらう訳だから、それくらい奉仕してもいいと思うのよ。でないと申し訳ないわ」
「それが甘いのよ! ビアトリスはいい家のお嬢様だから、その辺知らないだろうけど、どんな前提であっても働くからには賃金をもらう権利があるの。それに、ひよっこのあなたを出版社が立派な作家に育成するのは、修行でも何でもないわ。商品価値を高めるためには当然のことよ」
「その通りだよ。ビアトリス。ご友人の言う通りだ」
マークは特に気分を害した様子もなく、事もなげに答えた。
「その辺うちも心得ているから大丈夫。今までも新人作家の面倒は見てきたからね。お給料はちゃんと出るよ。ただし、いい家のお嬢様にとっては雀の涙かもしれないけど」
「いえっ! 私、今まで働いたことがないので、労働でお金がもらえるなんて嬉しいです!」
「そうか。それならよろしく。ご友人もわざわざありがとう。いい友達を持ったね」
マークは気さくな人物らしく朗らかに笑い、その後は、具体的な勤務条件の話へと移った。こうして見ると、ハンサムという噂は本当だ。人当たりもいいし、なかなかモテるのではないかと密かに考えた。
全ての話し合いが終わり、建物を出たのはお昼過ぎだった。辛抱強く付き合ってくれたアンジェリカにお礼を言う。
「遅くなってしまったけど、どこかでお昼を食べましょう。私におごらせて」
「気を使わなくていいわよ。でもあなたをみすみす逃してしまったエリオットとセオドアは馬鹿ね。あのシンプソンとかいう編集長、やり手らしいのは分かったけど、なかなか油断ならないわね。あなたに気にいられようと必死だったわ」
「ちょっと、私は人妻よ? それに気のせいよ。私を口説く男性なんているわけがないもの」
「本当にそう思ってるの? 自分が思うよりなかなかかわいいわよ? とにかく、男には注意なさい。男で碌な者はいないですからね?」
「それお兄さんにも言える? 見たところ仲は悪くないようだけど?」
「兄としてはまあ合格点と言えないことはないけど、男としてはどうかしらね! 私の知らないところで女を泣かせてるかもよ?」
影でひどいことをしているセオドアがまるで想像できなくて、ビアトリスは笑ってしまった。アンジェリカとの共同生活は楽しい。初めての仕事も緊張はするが期待の方が大きい。あとはエリオットがいれば完璧なのだが。ビアトリスは、雲が多い空を見上げ、遠くにいる夫のことを考えた。
★★★
最後までお読みいただきありがとうございます。
恋愛小説大賞エントリー中です。
新キャラはイケメンか。もしかして波乱の予感?と思ったら清き一票をお願いします!
「忘れられた王女は獣人皇帝に溺愛される」も同時連載中です。こちらはシリアス度高めです。
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「ところで、ブラッドリーとありますが、どこのブラッドリーさん?」
突然マークに尋ねられて、ビアトリスは椅子から立ち上がりそうになった。もしかして、エリオットとの関係を疑われている? しかし、ここは、彼とのつながりは隠しておこうという作戦のはずだ。嘘をつくのに慣れていないビアトリスは、冷や汗をかきながらしどろもどろに答えた。
「どこって……別に誰も知り合いなんていませんが?」
傍目に見てもうさんくさいらしく、隣にいるアンジェリカもハラハラしている。しかし、マークは別に気にする様子もなく、普通に受け流した。
「すいません、変な質問しちゃって。もしかしたら知り合いかなと思ったんですが勘違いだったようです。ブラッドリーなんて別に珍しくもない名前ですからね」
そうですね、ははは、とビアトリスも曖昧な笑みを浮かべて合わせる。しかし、内心は心臓がドキドキしていた。
「つかぬことを伺いますが、うちの他にどこに投稿してました? こういうのは、別に隠さなくてもいいからざっくばらんに教えてください。ライバル誌と掛け持ちしている方が普通ですから」
そう言われ、ビアトリスは正直に答えることにした。
「実は『紅の梟』にも投稿してて……でも一度も掲載されることはありませんでした。それで、『楡の木』にも投稿したらいきなり載るようになったので、正直驚いてます」
「確かに。『紅の梟』は少しお堅い作風だから、あなたの繊細で柔らかな作品はカラーじゃないかもしれないな。その点、うちは頭が柔らかいんだよね。面倒くさいイキり作家志望はあっちに行ってくれるから正直助かる」
それを聞いて、ビアトリスは、身びいきから少しむっとした。しかし、素性を隠しているので表に出すわけにはいかない。とはいえ、マークの言ってることも分かる。「紅の梟」は、どちらかと言うと読者もうるさがたで、読者投書欄は歯に衣着せぬ評論が並んでいた。
「ねえ、ちょっと提案があるんだけどいい?」
「はい? 何でしょう?」
「もしよければ、うちの仕事を手伝ってもらう傍ら、こちらで小説の添削指導をしようかなと。せっかく連載するならいいものに仕上げたいでしょう。これが初めての連載となると、未熟なところもあるから指導しながら育てたい気持ちがあるんです。その方が完成度が上がるかと」
「ぜひお願いします。正直言って、2回しか投稿してないのにいきなり連載なんていいのかなって思って。自信もないので、ぜひ働きながらスキルを上げたいです」
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