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9話 小さな決意が芽吹くまで
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それからも私は、リンツと直接関わることはしなかった。
いや、できなかった。
勇気がなかったのである。
彼は私を、いつも気にかけてくれていた。
話さないかと会いに来てくれたり、食事に誘ってくれたり、色々な物を贈ってくれたり。とにかく色々な方法で、構ってくれたのだ。
けれど、私はそれを拒否してばかりだった。
申し訳ないとは思うのだ。それに、悪いことをしているなと思いもする。けれど、彼と同じ時間を過ごす気にはどうもなれなくて。
私がもっと器用な人間であったなら、すべては上手くいっただろう。こんな風にややこしいことになることもなく、ただひたすら穏やかに、夫婦として暮らせただろうに。
「キャシィ様、なぜリンツ王子を拒まれるのです?」
午後三時、部屋へ紅茶を持ってきてくれていたローザが、唐突にそんなことを言った。
「ちゃんと関わる自信がないからです」
「なぜそう思われるのです? キャシィ様はきちんとした教育を受けておいででしょうに」
「……両親のこともありますし」
私はベッドに腰掛けたまま、ローザと話す。
「ご両親のこと、ですか?」
「私は第二王女だから、そんなに大切にされていないことは知っていました。けど、勝手に隣国に売られるなんて思っていなくて……」
私の言葉に、ローザは暫し黙り込む。何か考えているような顔だ。悪いことを言ってしまったかも、と思いつつ、私はローザの返事を待つ。
五秒、十秒、十五秒。
沈黙は長引く。
形のない不安を抱きつつ、私は、彼女が何か発するのを待った。
「……確かに」
一分ほどが経っただろうか、ローザがようやく口を開く。
「確かに、キャシィ様が衝撃を受けていらっしゃることも理解できます」
「ローザさん」
「肝心なところを伝えられずに結婚、しかもその相手の国から出られないというのは、少々酷ですよね」
ローザはゆっくりと述べる。
どうやら彼女は、今の私が陥っている状態を理解しようとしてくれているようだ。
私の心のすべてが正しく伝わる可能性は、かなり低いだろう。
けれど、それでも構わない。
私だって「すべて理解してほしい」なんて言うような贅沢はしない。理解しようとしてくれている、寄り添おうと努力してくれている。ただそれだけでいい。それだけで十分。私は満足だ。
「ご両親ともう一度話し合うというのも悪くはないかもしれませんね」
「もう会いたくないです」
「そうですか。ですよね、それも分かります」
ローザはポットを持ち上げ、ティーカップに紅茶を注ぐ。白い湯気が宙をふわりと舞っていた。
「これをお飲みになって下さい」
言いながら、ローザは、熱い紅茶を注いだティーカップを渡してくれる。
「これは?」
「紅茶です。心が落ち着きますよ」
そう述べながら微笑むローザは、まるで母親のようだ。私は内心「こんな人が母だったら良かったな」と思ってしまった。
「ありがとうございます」
ローザからティーカップを受け取り、口へ流し込んでみる。
熱と共に口内に広がる、甘みのある芳香が心地よい。
「キャシィ様、お一人で悩まれるのは体に毒ですよ。どなたかに相談してみられてはいかがでしょう」
「そう……ですね。考えてみます」
ティーカップの中の紅茶に映る自分の顔を見つめながら、私はそう返した。
しばらく鏡を見ていなかったから気づいていなかったのだが、私は酷い顔をしていた。口角は下がっているし、目の周囲は血色が悪い。美しいとはとても言えないような顔だ。
私、これでいいのかしら。
こんな状態で生きていて、後悔しないのかな。
——いや。
今のままでは駄目だ。こんな憂鬱な顔のまま年だけとるなんて、絶対にごめんである。
嫌なことはあるけれど、それに負けて萎れている場合ではない。
前を向いて、歩かなければ!
まさに今この瞬間、私の中では、小さな決意が芽吹いていた。
いや、できなかった。
勇気がなかったのである。
彼は私を、いつも気にかけてくれていた。
話さないかと会いに来てくれたり、食事に誘ってくれたり、色々な物を贈ってくれたり。とにかく色々な方法で、構ってくれたのだ。
けれど、私はそれを拒否してばかりだった。
申し訳ないとは思うのだ。それに、悪いことをしているなと思いもする。けれど、彼と同じ時間を過ごす気にはどうもなれなくて。
私がもっと器用な人間であったなら、すべては上手くいっただろう。こんな風にややこしいことになることもなく、ただひたすら穏やかに、夫婦として暮らせただろうに。
「キャシィ様、なぜリンツ王子を拒まれるのです?」
午後三時、部屋へ紅茶を持ってきてくれていたローザが、唐突にそんなことを言った。
「ちゃんと関わる自信がないからです」
「なぜそう思われるのです? キャシィ様はきちんとした教育を受けておいででしょうに」
「……両親のこともありますし」
私はベッドに腰掛けたまま、ローザと話す。
「ご両親のこと、ですか?」
「私は第二王女だから、そんなに大切にされていないことは知っていました。けど、勝手に隣国に売られるなんて思っていなくて……」
私の言葉に、ローザは暫し黙り込む。何か考えているような顔だ。悪いことを言ってしまったかも、と思いつつ、私はローザの返事を待つ。
五秒、十秒、十五秒。
沈黙は長引く。
形のない不安を抱きつつ、私は、彼女が何か発するのを待った。
「……確かに」
一分ほどが経っただろうか、ローザがようやく口を開く。
「確かに、キャシィ様が衝撃を受けていらっしゃることも理解できます」
「ローザさん」
「肝心なところを伝えられずに結婚、しかもその相手の国から出られないというのは、少々酷ですよね」
ローザはゆっくりと述べる。
どうやら彼女は、今の私が陥っている状態を理解しようとしてくれているようだ。
私の心のすべてが正しく伝わる可能性は、かなり低いだろう。
けれど、それでも構わない。
私だって「すべて理解してほしい」なんて言うような贅沢はしない。理解しようとしてくれている、寄り添おうと努力してくれている。ただそれだけでいい。それだけで十分。私は満足だ。
「ご両親ともう一度話し合うというのも悪くはないかもしれませんね」
「もう会いたくないです」
「そうですか。ですよね、それも分かります」
ローザはポットを持ち上げ、ティーカップに紅茶を注ぐ。白い湯気が宙をふわりと舞っていた。
「これをお飲みになって下さい」
言いながら、ローザは、熱い紅茶を注いだティーカップを渡してくれる。
「これは?」
「紅茶です。心が落ち着きますよ」
そう述べながら微笑むローザは、まるで母親のようだ。私は内心「こんな人が母だったら良かったな」と思ってしまった。
「ありがとうございます」
ローザからティーカップを受け取り、口へ流し込んでみる。
熱と共に口内に広がる、甘みのある芳香が心地よい。
「キャシィ様、お一人で悩まれるのは体に毒ですよ。どなたかに相談してみられてはいかがでしょう」
「そう……ですね。考えてみます」
ティーカップの中の紅茶に映る自分の顔を見つめながら、私はそう返した。
しばらく鏡を見ていなかったから気づいていなかったのだが、私は酷い顔をしていた。口角は下がっているし、目の周囲は血色が悪い。美しいとはとても言えないような顔だ。
私、これでいいのかしら。
こんな状態で生きていて、後悔しないのかな。
——いや。
今のままでは駄目だ。こんな憂鬱な顔のまま年だけとるなんて、絶対にごめんである。
嫌なことはあるけれど、それに負けて萎れている場合ではない。
前を向いて、歩かなければ!
まさに今この瞬間、私の中では、小さな決意が芽吹いていた。
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