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episode.11 アザ・ト・レディー
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突然出現したぶりっこ女に連れられて入ったのは路地裏の小さな喫茶店だった。
カウンター席とそれ以外には四人席が二個くらい、そんな小規模なお店だ。もちろん店員も店主と思われるおじいさん一人しかいない埃の匂いがたちこめているような、歴史というか――ある種の古臭さのようなものを感じさせる店だ。
「お兄さん、さっきはぶつかってしまってぇ~、本当にごめんなちゃいでしたぁ……。あたちぃ、ちょっとおっちょこちょいなところがあってですねぇ~、たまにああいうことしてしまうんですぅ」
私は一人で座り、向かいにはノワールと女が一緒に隣り合って座っているというスタイルだ。
女は両手でノワールの片腕を掴んでいる。
それこそ、まるでずっと前から仲良しないちゃいちゃカップルであるかのように。
しかも女はノワールの腕に風船のようなバストをさりげなく当てている。
「っていうかぁ、女の人いつからいたんですかぁ~? あははっ、おもしろぉ~い」
全然面白くないッ!!
「あたちたちぃ、これからぁ、一緒にいろんな話するんですぅ~。だ、か、ら、女の人は出ていってくださいよぉ~?」
「困ります。いきなり現れて何なのですか、それは」
「ええ~? な~んか怖いでつぅ~」
「さすがにちょっと失礼ですよ! こんな! 急に、無理矢理!」
するとぶりっこ女は目をぱちぱちさせながら隣のノワールの頬に尖らせた唇を近づける。
「うわ、ちょ、やめて」
ノワールは不愉快極まりないというような表情を面に滲ませていた。
しかしぶりっこ女は躊躇せず接近する。その改造されきった顔面を再びノワールの耳もとへと近づける。彼の左耳に光る淡いエメラルドグリーンのピアスにもう少しで唇が触れる、というところまで近づいて――そうしてマシュマロのような唇をぬるりと動かすのだ。
「ノワール・サン・ヴェルジェ、みぃ~つけた」
背筋が凍りつくような甘い泥のような声。
直後、彼女は急にノワールの身体を椅子ごと床に倒した。
女は桃色に塗った爪が目立つ手でノワールの首を掴んだ――見た感じ、その握力はかなりのもののようだ。
「ちょっと! 本当にやめて!」
何とかしようと、ほぼ無意識で女に体当たり。その行動が功を奏し、女の手がノワールの首から離れた。けれども女はその巨大な二つの目でこちらを睨んできている。
「これだからぁ、女の人って嫌い~」
「何なんですか!?」
「うっさいババア、出てくんな」
「ババ……? い、いや、それはそれでもいいですけど。でも! いきなり首を掴むとかはやめてください危ないです!」
ぶりっこ女は目をぎょろりとさせて見下すような見方をしてくる。
「ね~え~、そこのいてぇ? ババア邪魔だからぁ、早く、そこのいてくれるぅ?」
「何を言って……」
「んふぅ、あのねぇ~、あたち、その男、殺すのよぉ」
語尾を上げつつ物騒なことを言ってくる女。
じりじりと近づいてくる。
「早くのかないとぉ、痛い目に遭っちゃいますよぉ~?」
このままではまずい。
そう思って、咄嗟にテーブルの上に置いていた水のグラスを投げつけた。
「きゃぁっ!」
背後で座ったような体勢になっているノワールの片手首を掴み、立ち上がり、「逃げなきゃ!」とだけ言って走り出す。
それからは必死だった。
とにかくあの怪しい女から逃れたい、その一心で駆けた。
けれども少しして後ろから大きな音がして、振り返れば、巨大な魔の者が出現していた。
あの喫茶店は破壊されてしまったかもしれない。
おじいさんだった店主は無事だろうか。
でもそんなことを考えている余裕はない、逃げなくてはならないから。
周辺からは悲鳴があがっていた。
だが無理もない、いきなり巨大な魔の者が現れたことに気づいたら――大体は怖くて叫んでしまうか何も言えなくなるかだろう。
「ちょっと待って! ソレア!」
数十秒走った頃、ノワールが急に声を発してきた。
少しでも遠くへ逃げなくてはならないのに、彼は立ち止まっている。
「どうしたの?」
「アレの狙いはボクだ、逃げた分だけ何かが壊される」
「でも逃げるしかないわ!」
「……方法ならある」
「方法? 何よそれ、どういうこと?」
「ボクが倒せばいい」
高い空にサイレンが響いている。
「大通りで迎え撃つ」
彼は分かってと言いたげに直視してきた。
でも正直なところ私は――不安だった。
信じたい。でも信じられない。
どうすればいいの?
そのまま信じて、彼に後は任せるべき?
「……絶対に生きて」
「任せてよ」
ノワールは大通りの方へ、私は大通りとは一本ずれた方の道へ、それぞれ別の方向へ駆け出す。
やがて、大通りの方へと魔の者は向かい始めた。
やはりノワールを追っている。
そのように動いている。
その事実は誰の目にも明らかだ。
ボブだった髪は逆立ち、頭の上部からは角のような二本のハート型の物体が発生、衣服はカーディガンは消えたうえイエローの大きく膨らんだロングドレスへと変わっていた。
狂気を貴婦人の姿に変えた絵画のような女――それが今街に現れている魔の者の姿だ。
「このアザ・ト・レディーからは誰も逃れられないんですぅ! ノワール! 今日死ぬってぇ、運命はもう決まってるんですぅ~!」
重力に抗う髪の隙間から見えるのはハートのイヤリング。
風を受けて左右に揺れている。
「まずはぁ……手下を増やしますぅっ!」
ドレスの魔の者――アザ・ト・レディーは、少し浮いた角のようなハート型の部分から赤黒い光を放った。それは地上に降り注ぐ。けれども驚いたことに物体は破壊されなかった。ただ、たまたま近くにいた人がその光を浴びるところを目撃したのだが――光を浴びた人はあのぶりっこ女と同じような改造されきった癖の強い顔に変わった。巨大な目、不自然なほど小さくされた鼻、すべてが変わり、様子もまた変化する。目自体は切り拓かれたように大きいのに、目つきは虚ろだ。
もしかして、操られるのだろうか? あの光を浴びると……。
「そしてぇ~」
光を浴びないためには建物の陰に隠れるしかない。
「さぁ! アザ・ト・レディーの可愛い兵士たち! ターゲットを仕留めなさぁ~いっ!」
言葉を合図に、操られた人間たちが一斉に大通りへと向かう。
「ノワール・サン・ヴェルジェ・ぷちっと潰して大作戦、開始ですぅ~ッ!!」
巨大な敵は、軽く握った両拳を顎にあてがってぶりっこポーズを披露していた。
カウンター席とそれ以外には四人席が二個くらい、そんな小規模なお店だ。もちろん店員も店主と思われるおじいさん一人しかいない埃の匂いがたちこめているような、歴史というか――ある種の古臭さのようなものを感じさせる店だ。
「お兄さん、さっきはぶつかってしまってぇ~、本当にごめんなちゃいでしたぁ……。あたちぃ、ちょっとおっちょこちょいなところがあってですねぇ~、たまにああいうことしてしまうんですぅ」
私は一人で座り、向かいにはノワールと女が一緒に隣り合って座っているというスタイルだ。
女は両手でノワールの片腕を掴んでいる。
それこそ、まるでずっと前から仲良しないちゃいちゃカップルであるかのように。
しかも女はノワールの腕に風船のようなバストをさりげなく当てている。
「っていうかぁ、女の人いつからいたんですかぁ~? あははっ、おもしろぉ~い」
全然面白くないッ!!
「あたちたちぃ、これからぁ、一緒にいろんな話するんですぅ~。だ、か、ら、女の人は出ていってくださいよぉ~?」
「困ります。いきなり現れて何なのですか、それは」
「ええ~? な~んか怖いでつぅ~」
「さすがにちょっと失礼ですよ! こんな! 急に、無理矢理!」
するとぶりっこ女は目をぱちぱちさせながら隣のノワールの頬に尖らせた唇を近づける。
「うわ、ちょ、やめて」
ノワールは不愉快極まりないというような表情を面に滲ませていた。
しかしぶりっこ女は躊躇せず接近する。その改造されきった顔面を再びノワールの耳もとへと近づける。彼の左耳に光る淡いエメラルドグリーンのピアスにもう少しで唇が触れる、というところまで近づいて――そうしてマシュマロのような唇をぬるりと動かすのだ。
「ノワール・サン・ヴェルジェ、みぃ~つけた」
背筋が凍りつくような甘い泥のような声。
直後、彼女は急にノワールの身体を椅子ごと床に倒した。
女は桃色に塗った爪が目立つ手でノワールの首を掴んだ――見た感じ、その握力はかなりのもののようだ。
「ちょっと! 本当にやめて!」
何とかしようと、ほぼ無意識で女に体当たり。その行動が功を奏し、女の手がノワールの首から離れた。けれども女はその巨大な二つの目でこちらを睨んできている。
「これだからぁ、女の人って嫌い~」
「何なんですか!?」
「うっさいババア、出てくんな」
「ババ……? い、いや、それはそれでもいいですけど。でも! いきなり首を掴むとかはやめてください危ないです!」
ぶりっこ女は目をぎょろりとさせて見下すような見方をしてくる。
「ね~え~、そこのいてぇ? ババア邪魔だからぁ、早く、そこのいてくれるぅ?」
「何を言って……」
「んふぅ、あのねぇ~、あたち、その男、殺すのよぉ」
語尾を上げつつ物騒なことを言ってくる女。
じりじりと近づいてくる。
「早くのかないとぉ、痛い目に遭っちゃいますよぉ~?」
このままではまずい。
そう思って、咄嗟にテーブルの上に置いていた水のグラスを投げつけた。
「きゃぁっ!」
背後で座ったような体勢になっているノワールの片手首を掴み、立ち上がり、「逃げなきゃ!」とだけ言って走り出す。
それからは必死だった。
とにかくあの怪しい女から逃れたい、その一心で駆けた。
けれども少しして後ろから大きな音がして、振り返れば、巨大な魔の者が出現していた。
あの喫茶店は破壊されてしまったかもしれない。
おじいさんだった店主は無事だろうか。
でもそんなことを考えている余裕はない、逃げなくてはならないから。
周辺からは悲鳴があがっていた。
だが無理もない、いきなり巨大な魔の者が現れたことに気づいたら――大体は怖くて叫んでしまうか何も言えなくなるかだろう。
「ちょっと待って! ソレア!」
数十秒走った頃、ノワールが急に声を発してきた。
少しでも遠くへ逃げなくてはならないのに、彼は立ち止まっている。
「どうしたの?」
「アレの狙いはボクだ、逃げた分だけ何かが壊される」
「でも逃げるしかないわ!」
「……方法ならある」
「方法? 何よそれ、どういうこと?」
「ボクが倒せばいい」
高い空にサイレンが響いている。
「大通りで迎え撃つ」
彼は分かってと言いたげに直視してきた。
でも正直なところ私は――不安だった。
信じたい。でも信じられない。
どうすればいいの?
そのまま信じて、彼に後は任せるべき?
「……絶対に生きて」
「任せてよ」
ノワールは大通りの方へ、私は大通りとは一本ずれた方の道へ、それぞれ別の方向へ駆け出す。
やがて、大通りの方へと魔の者は向かい始めた。
やはりノワールを追っている。
そのように動いている。
その事実は誰の目にも明らかだ。
ボブだった髪は逆立ち、頭の上部からは角のような二本のハート型の物体が発生、衣服はカーディガンは消えたうえイエローの大きく膨らんだロングドレスへと変わっていた。
狂気を貴婦人の姿に変えた絵画のような女――それが今街に現れている魔の者の姿だ。
「このアザ・ト・レディーからは誰も逃れられないんですぅ! ノワール! 今日死ぬってぇ、運命はもう決まってるんですぅ~!」
重力に抗う髪の隙間から見えるのはハートのイヤリング。
風を受けて左右に揺れている。
「まずはぁ……手下を増やしますぅっ!」
ドレスの魔の者――アザ・ト・レディーは、少し浮いた角のようなハート型の部分から赤黒い光を放った。それは地上に降り注ぐ。けれども驚いたことに物体は破壊されなかった。ただ、たまたま近くにいた人がその光を浴びるところを目撃したのだが――光を浴びた人はあのぶりっこ女と同じような改造されきった癖の強い顔に変わった。巨大な目、不自然なほど小さくされた鼻、すべてが変わり、様子もまた変化する。目自体は切り拓かれたように大きいのに、目つきは虚ろだ。
もしかして、操られるのだろうか? あの光を浴びると……。
「そしてぇ~」
光を浴びないためには建物の陰に隠れるしかない。
「さぁ! アザ・ト・レディーの可愛い兵士たち! ターゲットを仕留めなさぁ~いっ!」
言葉を合図に、操られた人間たちが一斉に大通りへと向かう。
「ノワール・サン・ヴェルジェ・ぷちっと潰して大作戦、開始ですぅ~ッ!!」
巨大な敵は、軽く握った両拳を顎にあてがってぶりっこポーズを披露していた。
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