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#022 Chanson
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東京都・41歳男性「今のご時世、外国の方を会食にお招きする機会はめっきり減ってしまいましたが、もし海外の方が提供された寿司をナイフとフォークで食べ始めたら箸の使用をお勧めした方が良いのでしょうか?」
…………………………………………………………………………………
総理官邸前に並ぶ総勢200名の黒服たち。彼らが待っていたのは、今し方到着した1台のリムジンである。邸宅の前で停止した車体に小走りで数人が駆け寄ると、重々しい左右のドアを同時に開け放った。
官邸に招かれたのは、異端の使徒達である。ミゲルを先頭に、サラフィエル、サンダルフォンが続き、最後にメタトロンが降車した。
慣れない礼装に肩が凝った様子のメタトロンは気怠そうに腕をグルグルと振り回している。そんな兄の姿を横目で睨み付けたサンダルフォンは、彼と距離を置くために先を歩くサラフィエルの元に小走りで近付いた。
「一体、何が始まるんですかこれから?」
「見当もつかないな。ミゲルの秘密主義も良い加減にしてもらいたいよ」
呆れ顔でドレッドヘアを掻いたサラフィエルの溜め息が聞こえたのか、先頭を歩くミゲルがくるりとテンポよく踵を返す。文句があるのか、そう笑顔の奥の瞳に訴えられている気がして、二人は愛想笑いを返した。
黒服が先回りして大きな玄関の前に立つと、両開きの玄関を開け放って面々を迎え入れる。扉のすぐ向こう側の煌びやかな玄関ホールで使徒達を待ち受けていたのは、都野崎と彼に近しい政治家達だった。
「ようこそ、異端の使徒の皆様方」
ニコリと口元に笑みを浮かべた都野崎に、ミゲルは右手を出して笑い掛ける。
「お招きいただきありがとうございます、ミスター・トノザキ。今日は沢山手土産を持って参りました」
固い握手を交わした二人は赤い絨毯の敷かれた大ホールの中に入っていった。
異端と日本政府が会食の場を設けるのはこれで3回目である。1回目は日本と同様に音楽禁止路線を突き進む中国からの紹介で彼等と顔合わせをした時、2回目は協力関係を結ぶ為の調印の時、そして3回目の今回は異端からの成果報告の場であった。
長いテーブルに向かい合って腰掛けた面々。異端の使徒達は、ここにいる4名だけでも並んでその姿を見ると全くもってその名の通りの容貌であり、対峙した政治家たちは目を見張る。
「さて…成果報告、でしたね」
ミゲルが都野崎に向かって切り出すと、彼は笑顔で首を縦に振った。
「良い報告が多い事を期待してこの場を設けました」
日本政府は異端と手を組むにあたって、多額の援助を行っている。これまでの関係性としては、ホストとクライアントであった。この会食の場は、金を出した分の成果を出せというプレッシャーを掛ける機会でもある。都野崎の意図に気付いたミゲルは、変わらず笑顔を見せながら水を少し口に含んだ。
「それなら良かった。きっとお喜びになる」
続々と運ばれてくるコース料理を前に、ミゲルは淡々と語り始めた。
「まず、全国に潜伏している音楽家の炙り出しについては、警察による検挙率の上昇が成果そのものを物語っています。また、楽団の派遣した旋律師も今までに計13人捕らえて処刑致しました」
楽団の名を出した途端に、多くの政治家達が嬉々とした声を上げて響めく。今まで日本政府があらゆる戦力を投入し、手を焼いてきた存在をこの短期間でそれだけ葬る事が出来たのは、矢張り彼らが特殊な異能を持った集団であるからこそであった。
「そうでしたか……ただ、一つ気になる話を事前に聞いているのですが…」
顔に張り付いた笑顔をそのままに、ミゲルを真っ直ぐ見据えながら都野崎が尋ねる。
「旋律師に対して勧誘活動を行っている…と、風の噂で耳にしましたので…。敵である彼らをこちら側に引き入れるのはリスクが高い。彼らの教育は徹底されていると聞きますから、二重スパイになる可能性もあるかと…」
片方の眉をピクリと動かしながら顔を見据えてきた都野崎に、ミゲルはその質問は想定済みだと言わんばかりの余裕の表情で返してきた。
「そのリスクは十分承知の上で、我々は仲間に引き入れたいと考えているのですよ」
意外な答えを持ち出した青い瞳に、都野崎は眉を顰めて訝しげな表情を見せる。
「使い捨ての駒はある程度必要です。実際、泥舟なのですからこちらに移りたいという邪念が心にくすぶるのはごく自然な事。それに、現状では彼らにしか扱えない楽曲も存在するようでして……」
息継ぎはどこでしているのかと思う程饒舌なミゲルの弁明に、都野崎は静かに聞き入る。
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「楽団に所属する一部の旋律師…彼らだけに演奏する事が許されている全21楽章の超絶技巧…アレに秘められた呪いは我々にとっても大変魅力的なものです」
託斗の楽譜の模造品を作り、社会実験を繰り返す異端。彼らはこれまで、そこに秘められた制約のロジック、災厄の因果と祝福についての謎を解き明かすことが出来ずにいた。所詮は紛い物であり、思ったような呪いを込めることができていない。その結果、無関係な人々を巻き込んで実験を行うしかなかった。
「我々は楽団アメリカ支部長の殺害と本部情報伝達AIの完全掌握を成し遂げました。そして、アメリカ支部長が所持していた超絶技巧の楽譜を手に入れることに成功いたしました」
本物の楽譜を手に入れた事によって、本物の異能を手に入れることができる。そして、それまで謎だった全てのロジックを解明し、紛い物ではなく真の呪いを秘めた新たな楽譜を生み出そうというのである。
「そして我々は今、楽団との凌ぎ合いにおいて、彼らが血眼になって探していたある情報を入手しました……それが、21番目の楽譜の在処です」
全21楽章の超絶技巧の最後の1楽章…それが『別天津神』である。天地開闢の物語を曲にしたこの楽譜には、全てを創造し、そして破壊する異能が奏者に齎されると言われている。
囲炉裏を囲んで座る彼らの前で、託斗が説明をした。
「天と地が初めて別れた時、高天原に最初に生まれた5代の神々が別天津神だ。世界を創造する程の正のエネルギーと、それに相反して天と地を別つ程の負のエネルギーを持った異能が祝福によって齎される…ていうのが第21楽章」
「で……何でそんな物騒な曲を書いたのよアンタは?」
梓が眉を顰めて尋ねると、託斗は腕を組んで困ったように唸っていた。
「何で……何で…。まぁ、敢えて言えば抑止力としてかな。コレ演奏しちゃったら世界終わりマースっていう…」
その最強の抑止力をどのような経緯で楽団から奪い去られたのかは不明である。しかし、長年探し続けた楽譜の所在を異端側が先に発見したという情報を得た。これは楽団にとって非常に都合の悪い事態である。
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大粒の雨が降り続く中、シェリーは古民家の縁側に腰掛けて外の様子を眺めていた。地面に跳ね返った雨粒で膝下が濡れているのも気にしていない。
「シェリーちゃん、そんな所にいたら風邪引いちゃうよ?」
風呂上がりの茅沙紀が首からタオルを掛けながら彼女に話し掛けた。その声も聞こえているのか否か、ぼんやりと暗がりの方を見つめている。
隣に座って顔を覗き込んできた茅沙紀に、シェリーは唇を尖らせながら呟く。
「……喫茶店の2階で敵に襲われた時……アタシだけ連れてかれそうになった」
当時の状況を思い出した茅沙紀は、確かに…と首を縦に振った。
「何か目的があった……とか?」
「それしか考えられないじゃん」
顔を伏せて体育座りになったシェリーの膝から水滴が滴る。
「……一緒にいない方が良いのかな」
小声でそう続けたシェリーの様子は、出会って間もない茅沙紀にすら普段の彼女とは違うのだと認識出来る。
「いやいや、右神さんが必死に守ってくれたんだか「だから、一緒にいない方が良い」
茅沙紀の言葉を遮ったシェリーは顔を上げて彼女と目を合わせた。
「きっと…楽団の人達は今、ヤバい事に巻き込まれてて大変なんだよ。アイツは何だかんだいつも助けてくれるから、アタシの事は構うなって言っても聞かないだろうし…」
異端に狙われる理由があるのなら、自分の存在を彼らの足枷にしたくない。シェリーはそう思っているのだ。悪態ばかりついている割には案外気を遣うのだと、茅沙紀は彼女の意外な一面を見て瞬きを繰り返す。
「第一、アタシの事引き取ったのもボランティアみたいな所あるから、いつまでも一緒にいるのもどうかって思ってたんだよね。アタシも今年で18歳だから独り立ちしたって良い年だし…」
早口で述べられた言葉は全て、彼女が自身に言い聞かせているようだった。そうあるべきだと自分を戒め、本当の気持ちに蓋をする。コレクター達の元にいた時の彼女はいつもそうして生きてきたのだ。
再び俯いたシェリーの横顔を見つめる事しかできない茅沙紀は、不意に誰かに肩を叩かれて慌てて振り返る。そして、シェリーから少し離れた所に下がると彼女の隣に胡座をかいて座った彼が何を発言するのかと息を呑んだ。
「お前、僕がボランティアで引き取ったとか思ってたんだ」
突然隣から聞こえてきた京哉の声に、シェリーは慌てて其方に顔を向けた。
「なっ……んで、此処に…」
「軒下で語らってるから、恋バナでもしてんのかと思って盗み聞きしてた」
ニヤリと笑った京哉に、シェリーは毒気を抜かれる。
「最低…」
そう言いながら彼の肩をど突いたシェリーは、雨露で濡れた脚を手で払いながら頬を膨らませた。
「僕達と一緒にいんの、嫌?」
「嫌じゃ無い…ケド……迷惑かけるし……」
自分の身を護る手段を持ち合わせない点では自分も一緒だと、茅沙紀も眉間に皺を寄せる。
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「迷惑とか…今更何言ってんだよ。むしろアンタらは僕達に巻き込まれて此処に来てんじゃないの?」
茅沙紀の方を見やった京哉は、顔の前で片手を上げて手刀を上下させながらウインクした。数秒経ってその意味を理解した彼女は、親指と人差し指で丸を作ってその場から離れていく。
「……僕がシェリーを引き取ったのは、君の身体に埋め込まれてる自鳴琴が楽団の監視対象だったから」
静かにそう語り始めた京哉。真の理由をシェリーに話したのは初めてである。
「仕事…だから?」
「そ。お前の親父…オルバス・シェスカは昔、楽団にも出入りしてたんだ。その時に僕の親父の楽譜の一部をくすねた事があったらしくてすぐ出禁になったけど…」
オルバスの造るオルゴールのシリンダーに、異能を秘めた楽譜の旋律が刻まれている可能性がある。楽団がシェリーを監視対象に指定したのはその為であった。
彼女の体内に埋め込まれたオルゴールが何を切っ掛けに回り始めるかわからない以上、近くで様子を見続ける必要がある、と。
「楽団のセキュリティどうなってんだよって話だよな。色々盗まれ過ぎだろ……まぁ、管理してたのがあの親父だったから仕方ないか」
苦笑いを浮かべている横顔に、シェリーが問い掛ける。
「…楽団にもう監視しなくて良いって言われたら……京哉はどうする?」
突き刺さるように真っ直ぐな視線を感じた京哉は、シェリーの方に顔を向けた。泣きそうになるぐらいなら、そんな事聞かなければ良いのに。京哉はその言葉は心の中に留めながら、水が滴り落ちる軒先を見上げる。
「それなら監視を止める」
そう告げられると、シェリーは下唇を噛んで視線を外した。
「普通に一緒に暮らすだけ」
彼女の瞳に光がやどり、京哉の手が頭の上に置かれると再び彼女の膝をポタポタとこぼれ落ちる雫が濡らした。慌てて顔を手で覆ったシェリーを抱き寄せた京哉は、こちらに近寄る足音に気が付いて彼女をヘッドロックした。バタバタと苦しげにもがくシェリーを抑え込みながら、京哉は音の方を振り返った。
「また喧嘩してんだ、京ちゃんとシェリーちゃん」
ヘラヘラと笑いながら近付いてきた祐介。シェリーは京哉の鳩尾に何度も肘鉄を食らわせて拘束から逃れると、祐介の背後に駆け込んで騒いだ。
「アイツ!アイツ最低っ!!」
「それは知ってるけどさ」
祐介にも間接的に最低だと言われた事に気が付いた京哉は、唇を尖らせながら不貞腐れてしまった。
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ジャズ発祥の地、アメリカ合衆国・ニューオーリンズ。セントチャールズ・アベニューの一角に、楽団アメリカ支部の社屋が聳え立っていた。
支部長ジョセフ・アーロンの殺害以降、在籍中の旋律師達とは連絡が取れなくなっており、アメリカ支部の機能は著しく低下していた。
ジョセフに代わって現場を取り仕切っているのは、副支部長のノア・グラウス。彼は部下達と共に被害状況の確認、通信手段の確保、そして本部への支援要請の為に一週間社屋に泊まり込んで対応に当たっていた。
疲れ切った表情でデスクに向かう彼に、庶務の女達がマグカップに淹れたコーヒーを差し入れる。ノアは笑顔を取り繕いながらそれを受け取ると、ネクタイを緩めながら天井を仰ぎ見た。
「グラウスさん、一度家にお戻りになって休まれた方が良いですよ…」
「支部長が亡くなって大変なのはわかりますが…」
ノアの体調を心配する彼女達に、彼は静かに首を横に振って答える。
「気持ちは嬉しいが、今は楽団始まって以来の危機のようだ。どうにか乗り越えない事には枕で眠る事なんてできないよ」
コーヒーを啜ってデスクに置かれた数々の書類に視線を戻す。支部から派遣した調査班の人間が掻き集めたデータだ。消息を絶った旋律師のうち、少なくとも8人の死亡が確認されている。そして、楽団上層部から通達のあった『子連れの男』の目撃情報も集まりつつある。
作業に集中する中、卓上に据えられた一般回線の固定電話の呼び鈴が鳴った。一般回線の使用は盗聴の恐れがあったが、黒電話とPHSが使えない状況下では致し方ない。派遣中の調査班との連絡手段として街中のリサイクルショップからアンティークと化していた中古の端末を掻き集めてきたという。
「はい、アメリカ支部……また遺体か。わかった。君も気を付けて調査を続けてくれ」
受話器を置いたノアは、縁の太いメガネを外し胸ポケットから取り出したハンドタオルで顔を拭った。そして、深い溜め息をつきながら椅子の背もたれに頭を預ける。
「娘が産まれたばかりだってのにな……」
早く彼女の顔を見たいと嘆くものの、決して家に帰ろうとしないノアを見て、庶務の女達は彼を哀れみの眼差しで見守るしかなかった。
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周囲を廃墟に囲まれた路地裏に身を潜めた調査班の一人、ジョン・ルイスは今し方調査を担当していた[[rb:旋律師 > メロディスト]]の死亡報告を終えた所だった。
耳や鼻、口から何かを垂れ流した状態で廃墟地下に横たわっていた旋律師。彼女は後輩に頼られる熟練として親しまれていた事をジョンは知っていた。
胸の前で十時を切り、手を組んで祈りを捧げる。そして、支部への報告の為にポラロイドカメラで撮影した写真をまとめている時だった。ジャリっと靴底が地を踏み締める音に、彼は周囲を見回す。
廃墟群から大通りに出る通路に、黒いスーツを着たチロリアンハットの男と白いローブを纏った金髪碧眼の少年が立っていた。
ジョンは位置を悟られない様にあらゆる音を殺しながらゆっくりと物陰に身を潜める。二人は廃墟群の中を闊歩しながら何かを探している様子だった。
「ねえ、ラファエル!これが終わったらパンケーキ食べたい!」
少年は男の手を引きながら楽しげに話しかけている。
「おう、良いよ。オジちゃんが何でもご馳走様してやる」
男の方も歯を見せて豪快に笑っていた。ジョンは二人をやり過ごすと、今度は一定の距離を保ちながら彼らを尾行し始める。
スーツの男と子供。一見、普通の親子のように見えるが、こんな廃墟群を散歩する物好きは早々いない。そして、彼らの身体的特徴は楽団本部から提供された、旋律師を殺して回っている犯人のものとあまりにも酷似していたのだ。
戦力を持ち合わせない調査班の人間であるジョンだったが、何人もの仲間の死を目の当たりにしてきた状況でその仇をみすみす逃す気にもなれない。何とか情報を掴みたかった。
尾行を続けている最中、二人はある廃墟の前で立ち止まり中に入っていく。ジョンは呼吸を整えながら意を決して建物内に進んでいった。
所々水が滴る音が響く暗がりの中で、前を進む二人は階段を登っていく。一つ上のフロアの床にはハンネス機関に繋がった小さな投光器が据えられており、空間全体を淡いオレンジ色の光でぼんやりと照らしている。
スーツの男が柱に緩く巻かれていたブルーシートを取り外し雑に畳んで床に放り投げた時だった。
「っ……!?」
ジョンは、そこで見た光景に思わず声を出しそうになる。柱に縛り付けられていたのは、アメリカ支部の[[rb:旋律師 > メロディスト]]、ウルフ・アンダーソンだった。彼の太腿には1センチ角の木材が数箇所突き刺さっており、見ているだけで痛々しい。そして、彼の耳からは血が滴っている。
「そろそろ次の街に移動する時間なんだよ。話してくれないなら殺しちゃうしかないんだけど、良いかな?」
スーツの男は廃墟に置いてあったスーツケース状の物体を開いて床に戻す。中はグロッケンになっており、先端の黒いマレットを手に取った男は、少年の方を向いて笑い掛ける。
すると、スゥっと空気を吸い込んだ少年がバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を歌い始めた。透き通る歌声とは裏腹に、ジョンは胸を締め付けられるような圧迫感を感じる。そして、柱に縛り付けられたウルフも同様に苦しみ始めた。
男が少年の聖歌に合わせてグロッケンで伴奏を付けると、ウルフの耳や鼻の穴から血が溢れ出した。口からも血を吐き出す彼は、息が吸えずに窒息間際である。
しかし、フロアに響く美しい聖歌を妨害したのは、一発の弾丸。少年のローブを貫き、埃を被った床が彼の血で濡れていった。
「ラファエル!!痛いっ……血が出てるよ!!」
慌てふためいてスーツの男に泣きついた少年。白いローブをめくり、怪我の状態を確認する男。すぐに銃弾が掠めたのだと理解した男は、彼の背中を摩りながら周囲をぐるりと見回す。そして、床に跪いて拳銃を構えたままの姿で固まっていたジョンと目が合った。
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スーツの男の靴底が床を蹴ったのと同時に、ジョンは駆け出して廃墟の階段を転がるように降りて行く。建物を出た途端に追いつかれると、いつの間にか仰向けに寝かされていたジョンの目前に男の顔が迫っていた。
「ひっ…」
「お前……楽団の人間だな?」
襟元を掴まれ、頬に衝撃が走ったと感じた瞬間には宙に舞っていた。視線を落とした先には手にナイフを持った男の姿。痛みを覚悟して目を瞑ったジャンだったが、彼が次に感じた衝撃は誰かに抱き止められたものだった。
そっと目を開けると、息を切らしながら走るウルフの顔。廃墟群を抜けて商店街に入ると、あえて人目につくカフェテリアの前で彼を地面に降ろした。
「…アンダーソンさんっ!」
「とりあえず感謝するぜ、スタッフ。さて…無事にアメリカ支部に戻れるかな?」
白いトラウザーズからじわじわと滲んでくる鮮血を見て、ジョンは額に汗を滲ませた。人混みの奥から、少年を抱えたスーツの男が迫ってくるのも見える。
大怪我をした男がいる、と騒ぎになり店内からゾロゾロと人が出てきてウルフ達を囲んだ。
「アンタ…酷い怪我だね!すぐ救急車呼ぶから」
店長と思しき中年の女が店内に戻ろうとしたのを引き留めたウルフは、あと数メートルという所まで近付いてきていた男を横目に笑顔で話しかけた。
「オバちゃん、ありがとう。でも仲間が車を呼んでくれててさ。救急車呼ぶと高いだろ?戻ってくるまで少し店内で休ませてもらっても良いかな?」
すると、女が店内から店員を呼び集める。そして、ウルフを屋内に運ぶように指示を出した。
「良いよ良いよ、入っておいき!」
傍に跪いていたジョンも中に入るように促すと、女は店の外に置いてあった木製の立て看板を店内に仕舞う。そして、歩み寄ってきたスーツの男に向かって大声を出した。
「今取り込み中だからね!後にしておくれ!」
そうして自分も店内に入ると、内鍵を閉めてブラインドを降ろした。
カフェテリアの入り口前で立ち尽くすスーツの男であったが、彼の肩の上で泣き叫ぶ少年の様子を見た周囲の人間が騒ぎ始める。
「あんた!子供が怪我してるじゃないか!!」
「酷い!こんなに血が出てる!救急車だ!早く呼んでくれ!」
人混みに揉まれているうちにカフェテリアの方に近付けなくなってしまう。舌打ちをした男は、周囲にまとわりつく人間を振り払いながら廃墟群の方へと戻っていった。
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赤い絨毯を踏み締めながら大ホールを出た[[rb:異端 > カルト]]の使徒達は、都野崎と黒服達に見送られながらリムジンで総理官邸を後にした。
静かな車内からニュー千代田区画の夜景を眺めるミゲルは、その横顔に含み笑いを帯びている。サラフィエルが眉を顰めながらその肩を叩くと、彼は咳払いをしながら彼女の方に顔を向けた。
「何ニヤニヤしてんだよ、気持ち悪い…」
「いやぁ…ちょっとデタラメ言い過ぎたかなって反省してたところだよ」
そう言って足を組んだミゲルは窓の外を流れる夜景に視線を戻す。
「旋律師を勧誘してた理由ってやつだろ?……アメリカ支部長の野郎も勧誘してたじゃん。使い捨てる前に結局殺したけど…」
「ああ、あの時は少し語弊があったね。必ずしも引き入れた人間を駒にできるわけじゃない。彼は流石幹部クラスと言うか……かなり強情だった。結局殺すしかなくなってしまった訳だ。でも、興味があるんだよ…楽譜の奏者達に。何故命を賭してまで恩恵を得たいのか…彼らの人生そのものは実に興味深い」
クツクツと笑い出したミゲルを見て、サラフィエルは肩をすくめた。そして、隣に座るサンダルフォンに耳打ちする。
「出たよ…ミゲルの悪い癖。人生そのものって…いつも要らない情報まで聞き出そうとするからな、アイツ」
「そうそう。あの人の拷問は見てて歯痒いです。ネチネチ長過ぎるし…」
うんうんと首を縦に振りながら、彼女もミゲルに対する不満を口にした。
「酷いな君達……アメリカ支部長の彼の人生も面白かっただろ?楽譜を誰に渡すのかを決めるのは作曲者のタクト・ウガミだそうだからね。彼とは同じ趣味をしているのかもしれないと思うと、今から合間見える時が楽しみだよ」
ベラベラと饒舌に語るのは、彼の常である。話の内容が理解できず大きな欠伸をしながら目を閉じたメタトロンを見て、一応上司に当たる彼の目の前で寝てしまえるその図太さが羨ましいと思う二人であった。
…………………………………………………………………………………
茅葺き屋根の上に登った雨ガッパ姿のナツキとフユキは、背中合わせになって周囲の警戒を始めた。この悪天候の中、見張の当番を買って出たのはナツキである。
「ねぇ、どうして手上げたの?雨に濡れて嫌かなって思ったのに」
フユキが顔についた雨を手で拭きながら尋ねると、深い溜め息をついてナツキが答えた。
「嫌な予感がしたんだよ。創くんがワゴンから雀卓運び込んだ時から…」
するとフユキも口を押さえながら、あぁー…と声を漏らした。
「100パーセント賭け麻雀やるだろ、あの大人達。これ以上カモられんのはゴメンだぜ」
ナツキの嫌な予感は的中した。
鬼頭が隠れ家から持ち出した雀卓を囲んで、託斗、梓、京哉、麗慈の4人が昔の恥ずかしい話の暴露を賭けた麻雀大会を始めていたのだ。
初心者組のシェリー、茅沙紀、祐介は鬼頭と一緒に和やかな雰囲気でルールを学んでいる。
「振り込んだ奴は秘密を暴露されるってルールで良いよね?」
楽しげな表情で牌を混ぜる託斗を見て意気込んでいる梓と対照的に、顔色を悪くする京哉と麗慈。
「その恥ずかしい話って…アイツらにも聞かれる感じ?」
シェリー達の方を指差した京哉に、託斗はサムズアップする。
「負けた奴はついでに次の見張りに行けば?双子ちゃん、雨の中夜通しは可哀想でしょ」
梓が提案すると、屋根の上から「大丈夫でーす」というフユキの声が聞こえてきた。
最初の牌を切った託斗が、ニヤニヤしながら京哉に声を掛ける。
「仁道くんとシェリーちゃんに聞いたけどお前、僕に怒られてから練習したんだって?」
咳き込んだ京哉に、梓も笑顔になりながら麗慈に話を振った。
「素直で良い子じゃん!アンタもちゃんと毎日練習してるんでしょうね?下手ンなってたら承知しないから」
冷や汗を滲ませながら捨て牌を置いた瞬間に託斗に鳴かれて、麗慈は息を詰まらせた。
「あずあずは厳しすぎるんだよなぁー…前回教育してた子、結局大泣きしながら楽団本社に助け求めてきて担当変えられてたでしょ?」
「その子の為を思っての指導ですー。っていうか、その呼び方マジで止めろよ」
いつも通り凄まれた託斗は涙目になっていた。
開始早々物々しい雰囲気に包まれている卓を他所に、鬼頭の麻雀教室では笑い声が起こっている。
楽しそうなその様子を羨ましそうな目で見ながら牌を切った京哉は、隣から聞こえてきたロンの掛け声に目をパチクリさせる。麗慈が倒した13枚と京哉の切った東で三暗刻が出来上がっていた。
共にカモられる側だと思っていた麗慈の思わぬ裏切りに、京哉ははくはくと口を震わせている。
…………………………………………………………………………………
「酷い!安い役ですぐ上がるなんて卑怯だ!」
泣きついてくる京哉を片手で遇らう麗慈はニヤリと口元に笑みを浮かべていた。
「俺が狙うならお前しかねーだろ。そうだな…オーストリアで同部屋だった時にコイツが風呂で…「ソレはマジなやつじゃんっ!ダメダメ!他の!」
必死に話を遮ってくる京哉の様子に、麻雀教室の四人も興味津々に麗慈の話に耳を傾けている。
「……確かに女子には聞かれたくない話だな。じゃあ、日本に来てすぐのやつ」
梓と茅沙紀が残念そうにする中、シェリーは首を傾げていた。
「俺が面倒見てた医院の裏に野良猫の親子が住み着いてたんだけど、そいつらにエサやりながら語尾にニャンニャンつけて喋ってたな」
麗慈の暴露に、祐介もボソリと呟く。
「あ…それ、前の家でもよくやってたなぁ。裏の駐車場に猫がよく遊びに来るから、しゃがみ込んで猫語で会話してたね、京ちゃん」
「アタシも見た……部屋に入ろうとして扉開けたら、窓のところに遊びに来てた野良猫にデレデレしてて、気持ち悪かったから入るのやめたんだった」
シェリーにまで猫好きの裏面を見られていた事を知った京哉は、顔を真っ赤にしていた。
もうヤダ!と叫びながら逃げ出そうとした所を雀卓に強制連行された京哉を尻目に、茅沙紀がボソリと呟く。
「皆さん、結構余裕あるんですね…いつ敵が来るかもわからないって時に麻雀大会やってるし」
不安げな表情を見せながら牌を指先で弄る茅沙紀に、鬼頭が笑い飛ばした。
「アイツらは軍人じゃなくて音楽家だぜ?ストレスだらけの状況で根詰めながら演奏したって、良いエネルギー変換できねぇって話よ。モヤモヤしてる時は思い切り笑ってリフレッシュすんのが、英気を養うには一番ってこった」
演奏から音エネルギーを生み出して攻撃手段に変換する旋律師。敵襲に備えて気を張っているよりも馬鹿騒ぎしていた方が良いというのだ。
「酒入れた方が興が乗って強くなる奴もいるしな」
鬼頭がそう付け加えると、祐介はかつてのカンフースターがスクリーンで見せていた酔拳を思い浮かべた。
なるほど、と茅沙紀とシェリーが納得した様子で鬼頭の話を聞いている間に、また京哉が振り込まされていた。託斗がバラした彼の秘密とやらを聞いた梓と麗慈が顔を引き攣らせている。
「……英気、養えてない人が一人いる様な気もしますけど…」
茅沙紀のもっともな指摘に、シェリーと祐介も首を縦に振っていた。
…………………………………………………………………………………
真夜中まで続いた麻雀大会はようやく終わり、結局振り込みマシーンにされた京哉の恥ずかしい話披露大会となった。
意気消沈している彼を引き連れて、託斗は例の部屋へと向かっていた。何処に向かっているのか気が付いた京哉は足を止める。
「おいで」
襖を開け、尻込みする京哉を手招く託斗。
16年前、彼はこの部屋で最愛の母親を目の前で失った。辛い日々が続くきっかけとなったこの場所に、何故今入らせようとするのだろうか。京哉には託斗の考えが全くわからなかった。
あの日と変わらぬ間取りの部屋に、半分新しくなった内装。あの時は存在しなかった部屋の奥に据えられた仏壇を見て、京哉は敷居を跨ぐ事ができず部屋の外に立ち尽くしていた。
「…洋司さんに聞いた。シエナはここで殺されたんだろ」
仏壇の前に備えられていた光沢のある楽器ケースを手に取った託斗は、それを持って京哉の正面に立った。
「創くんにお願いして綺麗にしてもらって来てよ。アイツの形見だ」
見覚えのあるそのケースを、京哉は戸惑いながら受け取る。自分のフルートとは違い、かなり軽く感じる。それでもあの時は重くてずっと持っていられなかったのだ。シエナに支えられながらフルートを吹いていた幼い日の記憶が蘇り、彼は眉を顰めて俯いた。
「……僕はどうしたら良いんだろう」
ぼつりと呟いた託斗の方に顔を向ける。彼は部屋の中をゆっくりと歩きながら周囲を見渡していた。
「妻を見殺しにした。息子が地獄で喘いでいるのを知らずにのうのうと生きていた」
部屋の奥で立ち止まった託斗は踵を返す。答えを求めるような眼差しと目が合い、京哉は戦慄く唇をゆっくりと動かした。
「どうしたら……?」
息を吸い込んだ京哉は一歩前に足を踏み出し、思い切って敷居を跨いだ。
「謝りたかったら謝れば良いし、責められたいんだったらいくらでも文句は言ってやれるよ」
託斗の隣に並んで、仏壇をじっと見据える。
「……でも、それはお母さんが望んで無い気がする」
手に持っているシエナの楽器ケースを撫でながら、京哉は託斗の方に身体を向けた。
「お母さんが望んでた事が一つだけある。それを僕と一緒に叶えて欲しい」
土砂降りの雨が上がり、雲の切れ間から顔を出した月明かりが障子戸を通って室内をぼんやりと照らす。
会えないでいる間にすっかり大人の顔になっていた我が子の真っ直ぐな眼差しを見て、託斗は優しい表情で微笑んでいた。
[22] Chanson 完
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総理官邸前に並ぶ総勢200名の黒服たち。彼らが待っていたのは、今し方到着した1台のリムジンである。邸宅の前で停止した車体に小走りで数人が駆け寄ると、重々しい左右のドアを同時に開け放った。
官邸に招かれたのは、異端の使徒達である。ミゲルを先頭に、サラフィエル、サンダルフォンが続き、最後にメタトロンが降車した。
慣れない礼装に肩が凝った様子のメタトロンは気怠そうに腕をグルグルと振り回している。そんな兄の姿を横目で睨み付けたサンダルフォンは、彼と距離を置くために先を歩くサラフィエルの元に小走りで近付いた。
「一体、何が始まるんですかこれから?」
「見当もつかないな。ミゲルの秘密主義も良い加減にしてもらいたいよ」
呆れ顔でドレッドヘアを掻いたサラフィエルの溜め息が聞こえたのか、先頭を歩くミゲルがくるりとテンポよく踵を返す。文句があるのか、そう笑顔の奥の瞳に訴えられている気がして、二人は愛想笑いを返した。
黒服が先回りして大きな玄関の前に立つと、両開きの玄関を開け放って面々を迎え入れる。扉のすぐ向こう側の煌びやかな玄関ホールで使徒達を待ち受けていたのは、都野崎と彼に近しい政治家達だった。
「ようこそ、異端の使徒の皆様方」
ニコリと口元に笑みを浮かべた都野崎に、ミゲルは右手を出して笑い掛ける。
「お招きいただきありがとうございます、ミスター・トノザキ。今日は沢山手土産を持って参りました」
固い握手を交わした二人は赤い絨毯の敷かれた大ホールの中に入っていった。
異端と日本政府が会食の場を設けるのはこれで3回目である。1回目は日本と同様に音楽禁止路線を突き進む中国からの紹介で彼等と顔合わせをした時、2回目は協力関係を結ぶ為の調印の時、そして3回目の今回は異端からの成果報告の場であった。
長いテーブルに向かい合って腰掛けた面々。異端の使徒達は、ここにいる4名だけでも並んでその姿を見ると全くもってその名の通りの容貌であり、対峙した政治家たちは目を見張る。
「さて…成果報告、でしたね」
ミゲルが都野崎に向かって切り出すと、彼は笑顔で首を縦に振った。
「良い報告が多い事を期待してこの場を設けました」
日本政府は異端と手を組むにあたって、多額の援助を行っている。これまでの関係性としては、ホストとクライアントであった。この会食の場は、金を出した分の成果を出せというプレッシャーを掛ける機会でもある。都野崎の意図に気付いたミゲルは、変わらず笑顔を見せながら水を少し口に含んだ。
「それなら良かった。きっとお喜びになる」
続々と運ばれてくるコース料理を前に、ミゲルは淡々と語り始めた。
「まず、全国に潜伏している音楽家の炙り出しについては、警察による検挙率の上昇が成果そのものを物語っています。また、楽団の派遣した旋律師も今までに計13人捕らえて処刑致しました」
楽団の名を出した途端に、多くの政治家達が嬉々とした声を上げて響めく。今まで日本政府があらゆる戦力を投入し、手を焼いてきた存在をこの短期間でそれだけ葬る事が出来たのは、矢張り彼らが特殊な異能を持った集団であるからこそであった。
「そうでしたか……ただ、一つ気になる話を事前に聞いているのですが…」
顔に張り付いた笑顔をそのままに、ミゲルを真っ直ぐ見据えながら都野崎が尋ねる。
「旋律師に対して勧誘活動を行っている…と、風の噂で耳にしましたので…。敵である彼らをこちら側に引き入れるのはリスクが高い。彼らの教育は徹底されていると聞きますから、二重スパイになる可能性もあるかと…」
片方の眉をピクリと動かしながら顔を見据えてきた都野崎に、ミゲルはその質問は想定済みだと言わんばかりの余裕の表情で返してきた。
「そのリスクは十分承知の上で、我々は仲間に引き入れたいと考えているのですよ」
意外な答えを持ち出した青い瞳に、都野崎は眉を顰めて訝しげな表情を見せる。
「使い捨ての駒はある程度必要です。実際、泥舟なのですからこちらに移りたいという邪念が心にくすぶるのはごく自然な事。それに、現状では彼らにしか扱えない楽曲も存在するようでして……」
息継ぎはどこでしているのかと思う程饒舌なミゲルの弁明に、都野崎は静かに聞き入る。
…………………………………………………………………………………
「楽団に所属する一部の旋律師…彼らだけに演奏する事が許されている全21楽章の超絶技巧…アレに秘められた呪いは我々にとっても大変魅力的なものです」
託斗の楽譜の模造品を作り、社会実験を繰り返す異端。彼らはこれまで、そこに秘められた制約のロジック、災厄の因果と祝福についての謎を解き明かすことが出来ずにいた。所詮は紛い物であり、思ったような呪いを込めることができていない。その結果、無関係な人々を巻き込んで実験を行うしかなかった。
「我々は楽団アメリカ支部長の殺害と本部情報伝達AIの完全掌握を成し遂げました。そして、アメリカ支部長が所持していた超絶技巧の楽譜を手に入れることに成功いたしました」
本物の楽譜を手に入れた事によって、本物の異能を手に入れることができる。そして、それまで謎だった全てのロジックを解明し、紛い物ではなく真の呪いを秘めた新たな楽譜を生み出そうというのである。
「そして我々は今、楽団との凌ぎ合いにおいて、彼らが血眼になって探していたある情報を入手しました……それが、21番目の楽譜の在処です」
全21楽章の超絶技巧の最後の1楽章…それが『別天津神』である。天地開闢の物語を曲にしたこの楽譜には、全てを創造し、そして破壊する異能が奏者に齎されると言われている。
囲炉裏を囲んで座る彼らの前で、託斗が説明をした。
「天と地が初めて別れた時、高天原に最初に生まれた5代の神々が別天津神だ。世界を創造する程の正のエネルギーと、それに相反して天と地を別つ程の負のエネルギーを持った異能が祝福によって齎される…ていうのが第21楽章」
「で……何でそんな物騒な曲を書いたのよアンタは?」
梓が眉を顰めて尋ねると、託斗は腕を組んで困ったように唸っていた。
「何で……何で…。まぁ、敢えて言えば抑止力としてかな。コレ演奏しちゃったら世界終わりマースっていう…」
その最強の抑止力をどのような経緯で楽団から奪い去られたのかは不明である。しかし、長年探し続けた楽譜の所在を異端側が先に発見したという情報を得た。これは楽団にとって非常に都合の悪い事態である。
…………………………………………………………………………………
大粒の雨が降り続く中、シェリーは古民家の縁側に腰掛けて外の様子を眺めていた。地面に跳ね返った雨粒で膝下が濡れているのも気にしていない。
「シェリーちゃん、そんな所にいたら風邪引いちゃうよ?」
風呂上がりの茅沙紀が首からタオルを掛けながら彼女に話し掛けた。その声も聞こえているのか否か、ぼんやりと暗がりの方を見つめている。
隣に座って顔を覗き込んできた茅沙紀に、シェリーは唇を尖らせながら呟く。
「……喫茶店の2階で敵に襲われた時……アタシだけ連れてかれそうになった」
当時の状況を思い出した茅沙紀は、確かに…と首を縦に振った。
「何か目的があった……とか?」
「それしか考えられないじゃん」
顔を伏せて体育座りになったシェリーの膝から水滴が滴る。
「……一緒にいない方が良いのかな」
小声でそう続けたシェリーの様子は、出会って間もない茅沙紀にすら普段の彼女とは違うのだと認識出来る。
「いやいや、右神さんが必死に守ってくれたんだか「だから、一緒にいない方が良い」
茅沙紀の言葉を遮ったシェリーは顔を上げて彼女と目を合わせた。
「きっと…楽団の人達は今、ヤバい事に巻き込まれてて大変なんだよ。アイツは何だかんだいつも助けてくれるから、アタシの事は構うなって言っても聞かないだろうし…」
異端に狙われる理由があるのなら、自分の存在を彼らの足枷にしたくない。シェリーはそう思っているのだ。悪態ばかりついている割には案外気を遣うのだと、茅沙紀は彼女の意外な一面を見て瞬きを繰り返す。
「第一、アタシの事引き取ったのもボランティアみたいな所あるから、いつまでも一緒にいるのもどうかって思ってたんだよね。アタシも今年で18歳だから独り立ちしたって良い年だし…」
早口で述べられた言葉は全て、彼女が自身に言い聞かせているようだった。そうあるべきだと自分を戒め、本当の気持ちに蓋をする。コレクター達の元にいた時の彼女はいつもそうして生きてきたのだ。
再び俯いたシェリーの横顔を見つめる事しかできない茅沙紀は、不意に誰かに肩を叩かれて慌てて振り返る。そして、シェリーから少し離れた所に下がると彼女の隣に胡座をかいて座った彼が何を発言するのかと息を呑んだ。
「お前、僕がボランティアで引き取ったとか思ってたんだ」
突然隣から聞こえてきた京哉の声に、シェリーは慌てて其方に顔を向けた。
「なっ……んで、此処に…」
「軒下で語らってるから、恋バナでもしてんのかと思って盗み聞きしてた」
ニヤリと笑った京哉に、シェリーは毒気を抜かれる。
「最低…」
そう言いながら彼の肩をど突いたシェリーは、雨露で濡れた脚を手で払いながら頬を膨らませた。
「僕達と一緒にいんの、嫌?」
「嫌じゃ無い…ケド……迷惑かけるし……」
自分の身を護る手段を持ち合わせない点では自分も一緒だと、茅沙紀も眉間に皺を寄せる。
…………………………………………………………………………………
「迷惑とか…今更何言ってんだよ。むしろアンタらは僕達に巻き込まれて此処に来てんじゃないの?」
茅沙紀の方を見やった京哉は、顔の前で片手を上げて手刀を上下させながらウインクした。数秒経ってその意味を理解した彼女は、親指と人差し指で丸を作ってその場から離れていく。
「……僕がシェリーを引き取ったのは、君の身体に埋め込まれてる自鳴琴が楽団の監視対象だったから」
静かにそう語り始めた京哉。真の理由をシェリーに話したのは初めてである。
「仕事…だから?」
「そ。お前の親父…オルバス・シェスカは昔、楽団にも出入りしてたんだ。その時に僕の親父の楽譜の一部をくすねた事があったらしくてすぐ出禁になったけど…」
オルバスの造るオルゴールのシリンダーに、異能を秘めた楽譜の旋律が刻まれている可能性がある。楽団がシェリーを監視対象に指定したのはその為であった。
彼女の体内に埋め込まれたオルゴールが何を切っ掛けに回り始めるかわからない以上、近くで様子を見続ける必要がある、と。
「楽団のセキュリティどうなってんだよって話だよな。色々盗まれ過ぎだろ……まぁ、管理してたのがあの親父だったから仕方ないか」
苦笑いを浮かべている横顔に、シェリーが問い掛ける。
「…楽団にもう監視しなくて良いって言われたら……京哉はどうする?」
突き刺さるように真っ直ぐな視線を感じた京哉は、シェリーの方に顔を向けた。泣きそうになるぐらいなら、そんな事聞かなければ良いのに。京哉はその言葉は心の中に留めながら、水が滴り落ちる軒先を見上げる。
「それなら監視を止める」
そう告げられると、シェリーは下唇を噛んで視線を外した。
「普通に一緒に暮らすだけ」
彼女の瞳に光がやどり、京哉の手が頭の上に置かれると再び彼女の膝をポタポタとこぼれ落ちる雫が濡らした。慌てて顔を手で覆ったシェリーを抱き寄せた京哉は、こちらに近寄る足音に気が付いて彼女をヘッドロックした。バタバタと苦しげにもがくシェリーを抑え込みながら、京哉は音の方を振り返った。
「また喧嘩してんだ、京ちゃんとシェリーちゃん」
ヘラヘラと笑いながら近付いてきた祐介。シェリーは京哉の鳩尾に何度も肘鉄を食らわせて拘束から逃れると、祐介の背後に駆け込んで騒いだ。
「アイツ!アイツ最低っ!!」
「それは知ってるけどさ」
祐介にも間接的に最低だと言われた事に気が付いた京哉は、唇を尖らせながら不貞腐れてしまった。
…………………………………………………………………………………
ジャズ発祥の地、アメリカ合衆国・ニューオーリンズ。セントチャールズ・アベニューの一角に、楽団アメリカ支部の社屋が聳え立っていた。
支部長ジョセフ・アーロンの殺害以降、在籍中の旋律師達とは連絡が取れなくなっており、アメリカ支部の機能は著しく低下していた。
ジョセフに代わって現場を取り仕切っているのは、副支部長のノア・グラウス。彼は部下達と共に被害状況の確認、通信手段の確保、そして本部への支援要請の為に一週間社屋に泊まり込んで対応に当たっていた。
疲れ切った表情でデスクに向かう彼に、庶務の女達がマグカップに淹れたコーヒーを差し入れる。ノアは笑顔を取り繕いながらそれを受け取ると、ネクタイを緩めながら天井を仰ぎ見た。
「グラウスさん、一度家にお戻りになって休まれた方が良いですよ…」
「支部長が亡くなって大変なのはわかりますが…」
ノアの体調を心配する彼女達に、彼は静かに首を横に振って答える。
「気持ちは嬉しいが、今は楽団始まって以来の危機のようだ。どうにか乗り越えない事には枕で眠る事なんてできないよ」
コーヒーを啜ってデスクに置かれた数々の書類に視線を戻す。支部から派遣した調査班の人間が掻き集めたデータだ。消息を絶った旋律師のうち、少なくとも8人の死亡が確認されている。そして、楽団上層部から通達のあった『子連れの男』の目撃情報も集まりつつある。
作業に集中する中、卓上に据えられた一般回線の固定電話の呼び鈴が鳴った。一般回線の使用は盗聴の恐れがあったが、黒電話とPHSが使えない状況下では致し方ない。派遣中の調査班との連絡手段として街中のリサイクルショップからアンティークと化していた中古の端末を掻き集めてきたという。
「はい、アメリカ支部……また遺体か。わかった。君も気を付けて調査を続けてくれ」
受話器を置いたノアは、縁の太いメガネを外し胸ポケットから取り出したハンドタオルで顔を拭った。そして、深い溜め息をつきながら椅子の背もたれに頭を預ける。
「娘が産まれたばかりだってのにな……」
早く彼女の顔を見たいと嘆くものの、決して家に帰ろうとしないノアを見て、庶務の女達は彼を哀れみの眼差しで見守るしかなかった。
…………………………………………………………………………………
周囲を廃墟に囲まれた路地裏に身を潜めた調査班の一人、ジョン・ルイスは今し方調査を担当していた[[rb:旋律師 > メロディスト]]の死亡報告を終えた所だった。
耳や鼻、口から何かを垂れ流した状態で廃墟地下に横たわっていた旋律師。彼女は後輩に頼られる熟練として親しまれていた事をジョンは知っていた。
胸の前で十時を切り、手を組んで祈りを捧げる。そして、支部への報告の為にポラロイドカメラで撮影した写真をまとめている時だった。ジャリっと靴底が地を踏み締める音に、彼は周囲を見回す。
廃墟群から大通りに出る通路に、黒いスーツを着たチロリアンハットの男と白いローブを纏った金髪碧眼の少年が立っていた。
ジョンは位置を悟られない様にあらゆる音を殺しながらゆっくりと物陰に身を潜める。二人は廃墟群の中を闊歩しながら何かを探している様子だった。
「ねえ、ラファエル!これが終わったらパンケーキ食べたい!」
少年は男の手を引きながら楽しげに話しかけている。
「おう、良いよ。オジちゃんが何でもご馳走様してやる」
男の方も歯を見せて豪快に笑っていた。ジョンは二人をやり過ごすと、今度は一定の距離を保ちながら彼らを尾行し始める。
スーツの男と子供。一見、普通の親子のように見えるが、こんな廃墟群を散歩する物好きは早々いない。そして、彼らの身体的特徴は楽団本部から提供された、旋律師を殺して回っている犯人のものとあまりにも酷似していたのだ。
戦力を持ち合わせない調査班の人間であるジョンだったが、何人もの仲間の死を目の当たりにしてきた状況でその仇をみすみす逃す気にもなれない。何とか情報を掴みたかった。
尾行を続けている最中、二人はある廃墟の前で立ち止まり中に入っていく。ジョンは呼吸を整えながら意を決して建物内に進んでいった。
所々水が滴る音が響く暗がりの中で、前を進む二人は階段を登っていく。一つ上のフロアの床にはハンネス機関に繋がった小さな投光器が据えられており、空間全体を淡いオレンジ色の光でぼんやりと照らしている。
スーツの男が柱に緩く巻かれていたブルーシートを取り外し雑に畳んで床に放り投げた時だった。
「っ……!?」
ジョンは、そこで見た光景に思わず声を出しそうになる。柱に縛り付けられていたのは、アメリカ支部の[[rb:旋律師 > メロディスト]]、ウルフ・アンダーソンだった。彼の太腿には1センチ角の木材が数箇所突き刺さっており、見ているだけで痛々しい。そして、彼の耳からは血が滴っている。
「そろそろ次の街に移動する時間なんだよ。話してくれないなら殺しちゃうしかないんだけど、良いかな?」
スーツの男は廃墟に置いてあったスーツケース状の物体を開いて床に戻す。中はグロッケンになっており、先端の黒いマレットを手に取った男は、少年の方を向いて笑い掛ける。
すると、スゥっと空気を吸い込んだ少年がバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を歌い始めた。透き通る歌声とは裏腹に、ジョンは胸を締め付けられるような圧迫感を感じる。そして、柱に縛り付けられたウルフも同様に苦しみ始めた。
男が少年の聖歌に合わせてグロッケンで伴奏を付けると、ウルフの耳や鼻の穴から血が溢れ出した。口からも血を吐き出す彼は、息が吸えずに窒息間際である。
しかし、フロアに響く美しい聖歌を妨害したのは、一発の弾丸。少年のローブを貫き、埃を被った床が彼の血で濡れていった。
「ラファエル!!痛いっ……血が出てるよ!!」
慌てふためいてスーツの男に泣きついた少年。白いローブをめくり、怪我の状態を確認する男。すぐに銃弾が掠めたのだと理解した男は、彼の背中を摩りながら周囲をぐるりと見回す。そして、床に跪いて拳銃を構えたままの姿で固まっていたジョンと目が合った。
…………………………………………………………………………………
スーツの男の靴底が床を蹴ったのと同時に、ジョンは駆け出して廃墟の階段を転がるように降りて行く。建物を出た途端に追いつかれると、いつの間にか仰向けに寝かされていたジョンの目前に男の顔が迫っていた。
「ひっ…」
「お前……楽団の人間だな?」
襟元を掴まれ、頬に衝撃が走ったと感じた瞬間には宙に舞っていた。視線を落とした先には手にナイフを持った男の姿。痛みを覚悟して目を瞑ったジャンだったが、彼が次に感じた衝撃は誰かに抱き止められたものだった。
そっと目を開けると、息を切らしながら走るウルフの顔。廃墟群を抜けて商店街に入ると、あえて人目につくカフェテリアの前で彼を地面に降ろした。
「…アンダーソンさんっ!」
「とりあえず感謝するぜ、スタッフ。さて…無事にアメリカ支部に戻れるかな?」
白いトラウザーズからじわじわと滲んでくる鮮血を見て、ジョンは額に汗を滲ませた。人混みの奥から、少年を抱えたスーツの男が迫ってくるのも見える。
大怪我をした男がいる、と騒ぎになり店内からゾロゾロと人が出てきてウルフ達を囲んだ。
「アンタ…酷い怪我だね!すぐ救急車呼ぶから」
店長と思しき中年の女が店内に戻ろうとしたのを引き留めたウルフは、あと数メートルという所まで近付いてきていた男を横目に笑顔で話しかけた。
「オバちゃん、ありがとう。でも仲間が車を呼んでくれててさ。救急車呼ぶと高いだろ?戻ってくるまで少し店内で休ませてもらっても良いかな?」
すると、女が店内から店員を呼び集める。そして、ウルフを屋内に運ぶように指示を出した。
「良いよ良いよ、入っておいき!」
傍に跪いていたジョンも中に入るように促すと、女は店の外に置いてあった木製の立て看板を店内に仕舞う。そして、歩み寄ってきたスーツの男に向かって大声を出した。
「今取り込み中だからね!後にしておくれ!」
そうして自分も店内に入ると、内鍵を閉めてブラインドを降ろした。
カフェテリアの入り口前で立ち尽くすスーツの男であったが、彼の肩の上で泣き叫ぶ少年の様子を見た周囲の人間が騒ぎ始める。
「あんた!子供が怪我してるじゃないか!!」
「酷い!こんなに血が出てる!救急車だ!早く呼んでくれ!」
人混みに揉まれているうちにカフェテリアの方に近付けなくなってしまう。舌打ちをした男は、周囲にまとわりつく人間を振り払いながら廃墟群の方へと戻っていった。
…………………………………………………………………………………
赤い絨毯を踏み締めながら大ホールを出た[[rb:異端 > カルト]]の使徒達は、都野崎と黒服達に見送られながらリムジンで総理官邸を後にした。
静かな車内からニュー千代田区画の夜景を眺めるミゲルは、その横顔に含み笑いを帯びている。サラフィエルが眉を顰めながらその肩を叩くと、彼は咳払いをしながら彼女の方に顔を向けた。
「何ニヤニヤしてんだよ、気持ち悪い…」
「いやぁ…ちょっとデタラメ言い過ぎたかなって反省してたところだよ」
そう言って足を組んだミゲルは窓の外を流れる夜景に視線を戻す。
「旋律師を勧誘してた理由ってやつだろ?……アメリカ支部長の野郎も勧誘してたじゃん。使い捨てる前に結局殺したけど…」
「ああ、あの時は少し語弊があったね。必ずしも引き入れた人間を駒にできるわけじゃない。彼は流石幹部クラスと言うか……かなり強情だった。結局殺すしかなくなってしまった訳だ。でも、興味があるんだよ…楽譜の奏者達に。何故命を賭してまで恩恵を得たいのか…彼らの人生そのものは実に興味深い」
クツクツと笑い出したミゲルを見て、サラフィエルは肩をすくめた。そして、隣に座るサンダルフォンに耳打ちする。
「出たよ…ミゲルの悪い癖。人生そのものって…いつも要らない情報まで聞き出そうとするからな、アイツ」
「そうそう。あの人の拷問は見てて歯痒いです。ネチネチ長過ぎるし…」
うんうんと首を縦に振りながら、彼女もミゲルに対する不満を口にした。
「酷いな君達……アメリカ支部長の彼の人生も面白かっただろ?楽譜を誰に渡すのかを決めるのは作曲者のタクト・ウガミだそうだからね。彼とは同じ趣味をしているのかもしれないと思うと、今から合間見える時が楽しみだよ」
ベラベラと饒舌に語るのは、彼の常である。話の内容が理解できず大きな欠伸をしながら目を閉じたメタトロンを見て、一応上司に当たる彼の目の前で寝てしまえるその図太さが羨ましいと思う二人であった。
…………………………………………………………………………………
茅葺き屋根の上に登った雨ガッパ姿のナツキとフユキは、背中合わせになって周囲の警戒を始めた。この悪天候の中、見張の当番を買って出たのはナツキである。
「ねぇ、どうして手上げたの?雨に濡れて嫌かなって思ったのに」
フユキが顔についた雨を手で拭きながら尋ねると、深い溜め息をついてナツキが答えた。
「嫌な予感がしたんだよ。創くんがワゴンから雀卓運び込んだ時から…」
するとフユキも口を押さえながら、あぁー…と声を漏らした。
「100パーセント賭け麻雀やるだろ、あの大人達。これ以上カモられんのはゴメンだぜ」
ナツキの嫌な予感は的中した。
鬼頭が隠れ家から持ち出した雀卓を囲んで、託斗、梓、京哉、麗慈の4人が昔の恥ずかしい話の暴露を賭けた麻雀大会を始めていたのだ。
初心者組のシェリー、茅沙紀、祐介は鬼頭と一緒に和やかな雰囲気でルールを学んでいる。
「振り込んだ奴は秘密を暴露されるってルールで良いよね?」
楽しげな表情で牌を混ぜる託斗を見て意気込んでいる梓と対照的に、顔色を悪くする京哉と麗慈。
「その恥ずかしい話って…アイツらにも聞かれる感じ?」
シェリー達の方を指差した京哉に、託斗はサムズアップする。
「負けた奴はついでに次の見張りに行けば?双子ちゃん、雨の中夜通しは可哀想でしょ」
梓が提案すると、屋根の上から「大丈夫でーす」というフユキの声が聞こえてきた。
最初の牌を切った託斗が、ニヤニヤしながら京哉に声を掛ける。
「仁道くんとシェリーちゃんに聞いたけどお前、僕に怒られてから練習したんだって?」
咳き込んだ京哉に、梓も笑顔になりながら麗慈に話を振った。
「素直で良い子じゃん!アンタもちゃんと毎日練習してるんでしょうね?下手ンなってたら承知しないから」
冷や汗を滲ませながら捨て牌を置いた瞬間に託斗に鳴かれて、麗慈は息を詰まらせた。
「あずあずは厳しすぎるんだよなぁー…前回教育してた子、結局大泣きしながら楽団本社に助け求めてきて担当変えられてたでしょ?」
「その子の為を思っての指導ですー。っていうか、その呼び方マジで止めろよ」
いつも通り凄まれた託斗は涙目になっていた。
開始早々物々しい雰囲気に包まれている卓を他所に、鬼頭の麻雀教室では笑い声が起こっている。
楽しそうなその様子を羨ましそうな目で見ながら牌を切った京哉は、隣から聞こえてきたロンの掛け声に目をパチクリさせる。麗慈が倒した13枚と京哉の切った東で三暗刻が出来上がっていた。
共にカモられる側だと思っていた麗慈の思わぬ裏切りに、京哉ははくはくと口を震わせている。
…………………………………………………………………………………
「酷い!安い役ですぐ上がるなんて卑怯だ!」
泣きついてくる京哉を片手で遇らう麗慈はニヤリと口元に笑みを浮かべていた。
「俺が狙うならお前しかねーだろ。そうだな…オーストリアで同部屋だった時にコイツが風呂で…「ソレはマジなやつじゃんっ!ダメダメ!他の!」
必死に話を遮ってくる京哉の様子に、麻雀教室の四人も興味津々に麗慈の話に耳を傾けている。
「……確かに女子には聞かれたくない話だな。じゃあ、日本に来てすぐのやつ」
梓と茅沙紀が残念そうにする中、シェリーは首を傾げていた。
「俺が面倒見てた医院の裏に野良猫の親子が住み着いてたんだけど、そいつらにエサやりながら語尾にニャンニャンつけて喋ってたな」
麗慈の暴露に、祐介もボソリと呟く。
「あ…それ、前の家でもよくやってたなぁ。裏の駐車場に猫がよく遊びに来るから、しゃがみ込んで猫語で会話してたね、京ちゃん」
「アタシも見た……部屋に入ろうとして扉開けたら、窓のところに遊びに来てた野良猫にデレデレしてて、気持ち悪かったから入るのやめたんだった」
シェリーにまで猫好きの裏面を見られていた事を知った京哉は、顔を真っ赤にしていた。
もうヤダ!と叫びながら逃げ出そうとした所を雀卓に強制連行された京哉を尻目に、茅沙紀がボソリと呟く。
「皆さん、結構余裕あるんですね…いつ敵が来るかもわからないって時に麻雀大会やってるし」
不安げな表情を見せながら牌を指先で弄る茅沙紀に、鬼頭が笑い飛ばした。
「アイツらは軍人じゃなくて音楽家だぜ?ストレスだらけの状況で根詰めながら演奏したって、良いエネルギー変換できねぇって話よ。モヤモヤしてる時は思い切り笑ってリフレッシュすんのが、英気を養うには一番ってこった」
演奏から音エネルギーを生み出して攻撃手段に変換する旋律師。敵襲に備えて気を張っているよりも馬鹿騒ぎしていた方が良いというのだ。
「酒入れた方が興が乗って強くなる奴もいるしな」
鬼頭がそう付け加えると、祐介はかつてのカンフースターがスクリーンで見せていた酔拳を思い浮かべた。
なるほど、と茅沙紀とシェリーが納得した様子で鬼頭の話を聞いている間に、また京哉が振り込まされていた。託斗がバラした彼の秘密とやらを聞いた梓と麗慈が顔を引き攣らせている。
「……英気、養えてない人が一人いる様な気もしますけど…」
茅沙紀のもっともな指摘に、シェリーと祐介も首を縦に振っていた。
…………………………………………………………………………………
真夜中まで続いた麻雀大会はようやく終わり、結局振り込みマシーンにされた京哉の恥ずかしい話披露大会となった。
意気消沈している彼を引き連れて、託斗は例の部屋へと向かっていた。何処に向かっているのか気が付いた京哉は足を止める。
「おいで」
襖を開け、尻込みする京哉を手招く託斗。
16年前、彼はこの部屋で最愛の母親を目の前で失った。辛い日々が続くきっかけとなったこの場所に、何故今入らせようとするのだろうか。京哉には託斗の考えが全くわからなかった。
あの日と変わらぬ間取りの部屋に、半分新しくなった内装。あの時は存在しなかった部屋の奥に据えられた仏壇を見て、京哉は敷居を跨ぐ事ができず部屋の外に立ち尽くしていた。
「…洋司さんに聞いた。シエナはここで殺されたんだろ」
仏壇の前に備えられていた光沢のある楽器ケースを手に取った託斗は、それを持って京哉の正面に立った。
「創くんにお願いして綺麗にしてもらって来てよ。アイツの形見だ」
見覚えのあるそのケースを、京哉は戸惑いながら受け取る。自分のフルートとは違い、かなり軽く感じる。それでもあの時は重くてずっと持っていられなかったのだ。シエナに支えられながらフルートを吹いていた幼い日の記憶が蘇り、彼は眉を顰めて俯いた。
「……僕はどうしたら良いんだろう」
ぼつりと呟いた託斗の方に顔を向ける。彼は部屋の中をゆっくりと歩きながら周囲を見渡していた。
「妻を見殺しにした。息子が地獄で喘いでいるのを知らずにのうのうと生きていた」
部屋の奥で立ち止まった託斗は踵を返す。答えを求めるような眼差しと目が合い、京哉は戦慄く唇をゆっくりと動かした。
「どうしたら……?」
息を吸い込んだ京哉は一歩前に足を踏み出し、思い切って敷居を跨いだ。
「謝りたかったら謝れば良いし、責められたいんだったらいくらでも文句は言ってやれるよ」
託斗の隣に並んで、仏壇をじっと見据える。
「……でも、それはお母さんが望んで無い気がする」
手に持っているシエナの楽器ケースを撫でながら、京哉は託斗の方に身体を向けた。
「お母さんが望んでた事が一つだけある。それを僕と一緒に叶えて欲しい」
土砂降りの雨が上がり、雲の切れ間から顔を出した月明かりが障子戸を通って室内をぼんやりと照らす。
会えないでいる間にすっかり大人の顔になっていた我が子の真っ直ぐな眼差しを見て、託斗は優しい表情で微笑んでいた。
[22] Chanson 完
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しかし、そこは「帝国の重荷」と蔑まれる、借金まみれで領民が飢える極貧領地だった。
凍える屋敷、迫りくる借金取り、絶望する家臣たち。
詰みかけた状況の中で、アレクは独自のユニーク魔法【構造解析(アナライズ)】に目覚める。
それは、物体の構造のみならず、組織の欠陥や魔法術式の不備さえも見抜き、再構築(クラフト)するチート能力だった。
「問題ない。この程度の赤字、前世の案件に比べれば可愛いものだ」
前世の経営知識と規格外の魔法で、アレクは領地の大改革に乗り出す。
痩せた土地を改良し、特産品を生み出し、隣国の経済さえも掌握していくアレク。
そんな彼の手腕に惹かれ、集まってくるのは一癖も二癖もある高貴な美女たち。
これは、底辺から這い上がった若き伯爵が、最強の布陣で自領を帝国一の都市へと発展させ、栄華を極める物語。
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