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#024 Aubade
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ニューオーリンズ・37歳男性「転職活動は難しいですね。この歳になって表社会に出ることになるなんて思ってもみませんでした。いつどんな事に巻き込まれるかわからないですね。今からでも入れる保険ありますか?」
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朝陽が山間から顔を覗かせ始めた頃、PHSの着信音が屋内に響いた。
外の見張りをしていた京哉を含め、旋律師達全員が自分の端末を手に取って画面を確認する。
『やあ、元気そうで何よりだね』
老婆と祐介が洗い物をする台所にせっせと食器を運び込む茅沙紀とシェリーは、囲炉裏を囲んで話し合いを始めた彼らの方を一瞥した。
「ジャック、普通に復旧してたね。大丈夫なの?ウィルスとか入ってない?」
梓が湯呑みを傾けながら最初に口を開いた。
「俺がそれとなく聞いてみたが、ありゃ前のジャックとは別人格というか…似て非なるものだったな。まるっと別のシステムに乗り換えたんだろ」
鬼頭が腕組みをしながらそれに答える。
朝方、楽団の旋律師達と調律師である鬼頭が受信した本社からの連絡。本来の機能を取り戻した為、通常業務に戻れとの通達であった。
「ボク達と京哉クンの所には早速次の依頼が来てます」
「切り替え早ェなー…オレ達みたいに異端に反撃とかしねぇのかよ」
フユキとナツキが、ねぇーっと顔を見合わせる。
「あれは僕が勝手にやろうって言ったことだからね。本来なら全員懲罰房行きでしょ!命令無しに動いて色々破壊したんだから」
ケラケラと笑いながら言う事ではないと、全員が託斗を窘めるような目で見た。
「私は一人教育してくれって言われたんだよね。新しい潜伏先も紹介された。この後、茅沙紀チャンを連れて向かうわ」
自分の名前が聞こえ、茅沙紀は台所から慌てて居間に駆け込んできた。
「い…移動するんですか?この後すぐ?」
「うん。仕事きちゃったから。何か問題あった?」
梓が尋ねると、茅沙紀は苦笑いを浮かべた。
「問題ではないですけど……ここにいる皆さんに囲まれてるとすごく安心するというか…」
それを聞いた託斗が、梓を指差しながら返す。
「大丈夫、大丈夫!あずあずは滅茶苦茶強いから、昨日の兄妹ぐらいの敵なら秒殺できるって」
茅沙紀を安心させるつもりで放った言葉だったが、彼以外の全員が黙り込んでしまった。あずあず呼びによる鉄槌も下らない。
メタトロンとサンダルフォンの凄惨な最期は、彼らの胸に痼りとして残っていた。本当に対峙するべき相手ではなかったのではないか、という疑問がいつまでも残る。
「……ご、ごめんなちゃい…」
ぐすん、とわざとらしく涙を拭う真似をした託斗が麗慈の背後に身を潜める。
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「後味悪かったってのもあるけど…あの兄妹が本体の人間じゃないとしたら、これまでに異端の人間と直接会った事あるのって京ちゃんだけ?」
梓が尋ねると、京哉は多分…と首を縦に振った。
「上海でマフィアと連んでた半面の男と、鶯谷で新興宗教作って教祖気取ってた矢波…」
「何だか作為的なものも感じますね」
フユキがいきなり眉を顰めながら呟く。どういうこと?とナツキが彼を突いた。
「京哉クンが受けた依頼がたまたま異端に繋がっていたのか、それとも奴らに関係する依頼を京哉クンが受けるように誰かに仕向けられたのか…」
「後者だとすると、かなり前からジャックは敵の手に落ちてたってこと?」
ざわつき始める面々に、気を取り直した託斗が口を挟んだ。
「顧客からの依頼を精査する段階で、誰に依頼を振るかは上の人間が決めるんだ。京哉は楽団内の評価が高いからね。より模造された楽譜に関連しそうな案件が優先的に入るようになってるんだよ」
新たな知識を得た双子は、ほぉーと顔を見合わせる。その様子を見て、梓が手を挙げた。
「ハイハイ!その評価って、託斗はここにいる全員分知ってるの?」
「え?知りたい?傷付かない?」
ニタリと笑った託斗にイラッとした梓は、すぐさま彼を平手打ちした。
「酷いっ!暴力女だっ!あずあずなんかDランクだ!」
例の如くわんわん泣き真似を始めた子供大人を居間の外に締め出すと、鬼頭が話を切り出した。
「俺はコイツらを新しい潜伏先に連れてけと言われてる」
コイツらと言って顎で差したのは京哉と双子だった。
「麗慈、アンタは?」
梓にそう尋ねられると、彼は不服そうに顔を歪めた。
「……俺も新しい住所に向かえ、と」
その指示の何が嫌なのかとその場にいた全員が首を傾げると、締め出した筈の託斗が襖を開けて顔を出す。
「日本にいる間は麗慈の所にお邪魔しまーす!会いたくなったらいつでも来てね!」
嬉しそうにニコニコと笑っている託斗の顔面を鷲掴みにした梓に凄まれ、託斗は大人しく部屋を出て行った。
これからの胃痛の日々を想像して頭を抱えている麗慈の肩を叩いた京哉は、哀れみの眼差しで彼を見ていた。
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ノア・グラウス、アメリカ副支部長の訃報が入ったのは新ジャックシステム復旧後すぐのことだった。
そして今、ほぼ同時刻、アメリカ大統領ダラス・シンプソンが何者かに殺害されたという衝撃の事件報道が世界中を駆け巡っていた。
この事態を受け、全体機能のほぼ90パーセントが復旧した楽団本社では上層部による緊急会議が行われていた。
アメリカ支部長に続き、副支部長、そして楽団と親交のあったアメリカ大統領の殺害事件。大火傷を負いながらも奇跡的に生還したノアの秘書の証言によって、それら3つの事件において異端の人間の関与が証明されていた。
「さて…楽団との連絡手段を断たれている間にこのザマだ」
「楽譜を狙っていたにしても、大統領の件はどういう訳なんだ?」
ガヤガヤと騒がしい会議場内、議長を勤めていた男が手を叩くと、彼の隣に座っていたロジャーが神妙な面持ちで口を開く。
「最新の状況報告によると、アメリカ支部所属の旋律師のうち、約半数が未だに行方不明だそうだ。残りの半数は…」
事前に配布した資料に、死亡者リストが記載されており、その数の多さに一同が絶句した。
「ほぼ壊滅状態と言っていい。楽団がアメリカ国内で勢力を弱める中で、異端の人間が先導するとされている反政府運動も各地で勃発している」
ロジャーは議長の男の方を向いて一度頷いた。彼は目の前に置かれた端末を操作し、プロジェクターの映像を壁に投影する。
映し出されたのは、異端による襲撃を受けて集中治療室に入っていたウルフだった。無事に普通病棟に移動できたようでカメラに向かって元気そうな様子を見せる。
『ご無沙汰してます、社長』
「悪いな、アンダーソン。大変な時に」
今は笑顔で受け答えをしているウルフだったが、一時は生死の境を彷徨っていた。
「子連れでスーツの男…君は奴らに襲われた人間の中で唯一生還した貴重な証人だ。君が襲われた当時の状況を話してもらえるか?」
「はい、勿論ですよ。これが最後の仕事ですから…」
ウルフは異端の人間から受けた怪我の影響で右耳の聴力を失っており、残された左耳も非常に聴こえづらい状況だという。音楽家としては致命的であり、引退を余儀なくされていた。
「私が最初に奴を認識したのは、ジャックが機能停止に陥ったその日の夜でした」
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アメリカ支部のあるニューオーリンズからポンチャートレイン湖を挟んで北側に位置するルイジアナ州スライデル。
任務遂行中だったウルフが身を潜めていた廃ビルの中に、突如金髪碧眼の白いローブを纏った少年が姿を現したのだ。
何故こんな夜遅くに子供が一人で出歩いているのか。しかも、こんな廃墟の中を…。ウルフの脳裏には先日、楽団本社から受けた子連れのスーツ男の件が過ぎる。リングナイフを手の中に隠し、周囲を警戒しながら彼は少年に話しかけた。
「やあ。こんな時間にどうしたんだい?」
ウルフは緊張の面持ちで少年の反応を待つ。すると、彼はニッコリと可愛らしい笑顔を浮かべてウルフの脚にしがみついてきた。
「おじちゃん!聞いてくれる?」
両手に何も持っていない事を確認しながら、ウルフは少年の前にしゃがみ込んで顔を覗き込んだ。
「聞くって何を?お話かい?」
「ううん、僕の歌だよ」
少年の表情が悪魔のような笑顔に変わった瞬間、高い金属音が響いてウルフは意識を失った。
次に彼が目覚めた時には、柱に縛り付けられた状態だった。目の前には、こちらに背を向けて座るスーツの男。その隣には先ほどの少年の姿がある。ウルフの楽器が入ったジュラルミンケースは彼らの手元に移動されていた。
「あ、おじちゃん起きてるよ!」
少年がウルフの方を指差しながらスーツ裾を引っ張っている。徐に立ち上がって踵を返した男は、ゆっくりとした足取りでウルフに近づいた。
「はじめまして。一応、自己紹介しとく?まずは君からね」
飄々とした態度の男だった。しかし、隙が何処にもない。この手の男は豹変すると厄介だと、ウルフは経験上理解していた。名前を教えろ…暗に込められた意味を読み取り、大人しく彼に従う。
「ウルフ・J・アンダーソン」
「ウルフさんね。私はラファエルで、このちっこいのは相棒のペネム。ま、コードネームなんだけどさ」
ラファエルと名乗ったスーツの男は、埃だらけの床に散らばった廃材をガサガサと漁り始めた。
「なに、ちょっと教えてもらいたいんだけどさ…君たち楽団の選ばれた奏者が持ってる特別な楽譜ってのがあるじゃん?」
歩み寄ってきたラファエルの右手には先の尖った長さ20センチ程の細い角材。左手には木槌が握られていた。
「アレはどうやって力を得てるのかなって思って…さっ!」
そう尋ねながら、ウルフの太腿に角材を突き立て振りかぶった左手の木槌で打ち込んだ。歯を食いしばりながら声を押さえるウルフを見て、ペネムはパチパチと拍手をし始めた。
「やっぱり旋律師って凄いや!今まで一人も悲鳴上げなかったし、きっとおじさんも命乞いしないんだろうね!」
「こらこら、今は私がお話中なんだから」
ラファエルが注意すると、ペネムはつまらなそうに床に散らばった小さな廃材を弄りながら一人遊びを再開した。
「で、どうなの?教えてくれないかな?」
チロリアンハットの下でニッと笑った男は、再び角材を構えていた。
「……俺の知ってる事で良ければ教えてやるよ。答えは、知らない、だ」
「ほう?教えない、じゃなくて?」
ラファエルがもう一本角材を打ち込む。白いトラウザーズの片側だけ真っ赤に染まっていった。
「…ちがう、な。教えてやれる事が何も無い」
楽譜の呪いに関する祝福と災厄、そして制約についてはその奏者のみが知り得る。起こり得る災厄はその曲のモチーフに纏わる神話から推測されるが、具体的な制約については実際に演奏してみないとわからないのだ。
そして、それらの情報は組織の重要機密に値するとされている。何故ならば、彼らの弱点たり得るからだ。
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ウルフの目を見てどうやら嘘はついてなさそうだと判断したラファエルは、小さく息を吐いて新たな角材を手に取った。
「……そういう事にしておいてやるか。じゃあ次の質問。超絶技巧の第21楽章の在処に心当たりは?」
「それがわかったら苦労しないね。血眼で探している最中さ」
じっとウルフの目を睨み付けた男は、木槌を持った手をそっと引っ込めた。そして、床で一人遊びをしていたペネムに声を掛けた。
「準備をしてくれるかい、ペネム。今回は早いが、コイツは中々口が硬い男のようだ。そろそろ心に聞いてみようじゃないか」
ラファエルの方に駆け寄ってきたペネムは重たそうに両手でスーツケースを運んできた。中を開くと、グロッケンの鍵盤が埋め込まれており、ビーターを取り出したラファエルはそれを両手に構えた。
甲高い金属音が響き、鍵盤を打ち付ける度に音が混ざり合ってフロア内を渦巻く。グラグラと脳が揺れる感覚に襲われたウルフの耳に、少年の歌声が入ってくると突然胸痛が起こり始めた。偏頭痛のようにズキズキと血管が収縮して脳が痛み、気が付いた時には耳や鼻から血が流れ出している。
「さて…ウルフさんは何を話してくれるのかな?」
演奏を続けながら口元を怪しくと歪めたスーツの男。彼の奏でる不協和音がジンジンと脳内に染み入り、溶け出すような感覚に襲われる。
内側から破壊される。その恐怖に苛まれながら、ウルフはグッと目を閉じて堪えた。
「そこから2日間、同じような拷問が続きました。聞かれる内容は全て楽譜に関すること。どうやら、超絶技巧の完奏者を探しているようです」
ウルフの証言が終わり、会議室の面々は静かに唸った。
「アーロンが狙われた理由は矢張りそれか…」
「奴らにとって楽譜は喉から手が出るほど手に入れたい代物。タクトの真似事をする程ですからな…」
ザワザワと騒がしくなり始めた場内で、ミーアが手を挙げて立ち上がった。
「その男が演奏した曲、また子供が歌っていた曲に関しては?」
「ああ…普通に世に出回っている聖歌でした。特に変な編曲を加えた様子もありません」
主よ、人の望みの喜びよ。
おお、愛しうる限り愛せ。
罪に汚れしこの身をば。
ウルフの口から出てきた曲名は、どれも聞き覚えのあるものばかり。
「…スーツの男が旋律師と同じような能力を持っていると仮定して……少年の役割とは一体何だったのでしょう?」
ミーアが呈した疑問に、その場にいた全員が黙り込んでしまう。
少年の聖歌がグロッケンの伴奏に乗った瞬間、胸の痛みを覚える程の圧を感じたウルフはもしやと思いロジャーに声を掛ける。
「…アンサンブルですかね?」
歌声と楽器の演奏の相乗効果によって、特殊な作用を生み出したのではないか。そう考えたウルフに、会議場の面々は訝しげな表情を見せる。
「人の声と楽器が?ありえんだろ」
「かつてそのような試みもあったが、尽く失敗したんだったな…」
人の声が作り出す音の波は声帯を通すことによって非常に複雑になる。旋律師のように安定した合成波を生み出す事が出来る人間がいるとするならば、それは声帯を通さずに歌っているということになる。
「過去に病気の為に声帯を摘出後、訓練で話せるようになった人々を集めてアンサンブルの実験を試みたが、やはり巨大な音エネルギーを生み出すだけの合成波の生成には至らなかった…」
ミーアはそう呟き、難しい表情を浮かべながら何か考え込んでいる様子を見せた。
「何か思い付きそうかい?」
ロジャーが尋ねると、ミーアは自信無さげながらも一つの提案をした。
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現役大統領が殺害されるという大事件が発生したことにより、アメリカ国内は大混乱に陥っていた。
かねてより反政府運動を起こしていた市民団体に大統領殺害の容疑がかかり、警察との間で日夜抗争が巻き起こっていたのだ。
怒り狂う人々、逃げ惑う人々を眺めながら、白い半面の男は愉快そうにクツクツと笑っていた。彼の後ろを歩くのは、ぺったりとした七三分けの丸眼鏡の椙浦。
「ドクタースギウラ、どうですか?あれからアンプの研究は順調ですか?」
半面の男が笑顔で問い掛けると、椙浦は頭を掻きながら困った表情を見せた。
「いやぁ…お恥ずかしながら、彼の後は失敗続きでして……。矢張り骨を加工するのは難しく…調達していただいた素材を全てダメにしまっていたところなんです…」
椙浦の報告を聞いた半面の男は、なるほどぉと唸りながら額にコツコツと手を当てた。
「やはり、オリジナルの中身を観察しなければ、量産は難しそうですか?」
「…はい。彼女が手に入れば研究は一気に進みますね」
恍惚とした表情を浮かべる椙浦を、その横を歩くビビットピンクの髪をした女が睨み付けながら問う。
「ユリエル……アンプのオリジナルって、今は日本にあんだろ?」
「はい。タクト・ウガミの倅が連れ回していますね」
ユリエルと呼ばれた半面の男から発せられた言葉に、女は飛び上がりながら興奮し始めた。
「上海の武闘大会で訳わかんねぇヤバい技ぶっ放してたアイツだろ!?あんなのがアンプ使い始めたらどうなんだよ?」
「彼はまだ、彼女の本当の価値に気が付いていないようですよ。ね、ドクター?」
話を振られた椙浦は眼鏡を直しながら口の緩みを抑える。
「はい。気が付いてしまう前に、彼女を回収する必要があります、絶対に!」
フンっと意気込んでいる椙浦の横で、女の方も今度はやる気に満ちた様子でユリエルに懇願した。
「なぁ、ユリエル!俺を日本に行かせてくれよ!ドクターの為だ!良いだろ!?」
ドクターの為、というフレーズで椙浦もコクコクと頷き始める。彼らの期待に満ちた表情を目の前に断りづらかったのか、ユリエルは肩を竦めながら溜め息を吐いた。
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東京都・港区。かつては富の象徴とも謳われた高層マンションも、その全てが廃墟と化していた。
多くの居住スペースが比較的綺麗な状態で残されているにも関わらず、電気が通っていない為エレベーターが使えない事から、高層階の空き部屋を間借りして住み着くような物好きはいない。
天高く聳える廃墟群を眺めながら、京哉達は鬼頭が運転するワゴンに乗り新しい潜伏先に向かっていた。
「今度はどんな場所に住むんだろうな?」
「港区だったらタワマン!って思ったんですけど、低層階は人気で空きが無いみたいですよ」
両サイドからシェリーのツインテールを結び直しているナツキとフユキは残念そうに肩を落とす。
ワゴンは海岸エリアを通過し、市街地に入っていく。六本木エリアは比較的人が多く暮らしており、彼らの暮らしをサポートする為の自警団が新宿区同等に機能していた。
「東京タワーって、昔は光ってたらしいよ」
助手席に座る祐介が赤く聳える鉄塔の方を指さす。へぇーと声を漏らした双子とシェリーは、物珍しげにかつての繁華街の風景を見回していた。
「日本がこんななっちまう前は、東京はどこもかしこも煌びやかだったさ」
鬼頭がダッシュボードを指さすと、祐介が中から古い冊子を取り出した。ワゴン車を改造する前から入っていたという観光案内だ。
「すげぇ!2012年…スカイツリーができた年だって」
ナツキが冊子の写真を指差しながらフユキとシェリーの前に掲げる。その様子をフロントミラー越しに見た鬼頭が付け加えた。
「その前の年に東北地方でデケェ震災があったが、その時の方が今よりも日本は良い国だったって聞くぜ」
震災をきっかけに原発が停止、火力発電に大きく頼る事になっていた日本は第6次石油ショックの煽りを大きく受けて国が傾いた。
その影響でハンネス機関による音エネルギー発電をどの国よりも積極的に取り入れ、長期間の大規模停電危機を乗り切ったとされている。
潤沢な電力資源を得たにも関わらず、現在ではその恩恵を受けるのはニュー千代田区画に限られていた。全ては改正憲法、そしてそれに遵ずる悪法のせいである。
「綺麗だったんだね、昔の東京って」
観光案内の写真をまじまじと見つめながら、シェリーが呟いた。かつての東京の風景に想いを馳せる和やかな雰囲気の車内。そんな雰囲気をぶち壊したのが、ブレーキを掛けた際に1番後ろのシートを独占して寝ている京哉が落下する音だった。
「えっ!?なに!?天変地異!?」
アイマスクを外して周囲をキョロキョロと見回している。
「うるせーぞバカ!」
シェリーがジト目で睨み付けながら文句を言うと、這い上がってシートに座り直した京哉は不機嫌そうに唇を尖らせた。
「まぁまぁ、京ちゃんは見張り明けだから寝てなかったし」
祐介が数日ぶりに二人の喧嘩の仲裁をしている間に目的地に到着したようだった。
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車外に出た一同の目の前には、またしても雑居ビルが軒を連ねている。鬼頭が先陣を切って入っていったのは、1階に不動産屋跡の残る建物。その外階段を登って行くと、彼は3階フロアに入るドアの前で止まった。
鬼頭がガチャガチャと鍵を開けている間に入り口の上に取り付けられている看板を見上げた面々。彼らの頭上に掲げられていたのは、街でよく見かけるレンタルビデオチェーンの店名だった。
扉を押し開いて薄暗い室内を進んでいく。毎回廃墟を転々としている彼らであったが、初めて足を踏み入れる度に楽団の仕事の速さを思い知らされる。
何年も廃墟になっていた空間にも関わらず、入居時には荒れた形跡は愚かゴミ1つ落ちていないのだ。
「バタバタしてた割には、ちゃんと仕事してあるな…」
ナツキが内装をぐるりと見回しながら呟く。
「今回は通信網の整備がまだらしい。そのうちスタッフが派遣されて来んだろ」
フロアの最奥にあるスタッフルームと書かれた扉を開くと、外からの光は届かずさらに暗い空間が広がっていた。鬼頭は待っていろと一言声を掛けて一人で中に進んでいき、突き当たりの壁上部を見上げた。懐から取り出したペン型の懐中電灯を耳に挟みながらブレーカーカバーを取り外すと、ワゴンから運び込んだハンネス機関のケーブルを接続する。
「おい、出番」
京哉がシェリーの頭を後ろから小突く。彼の方を振り向いて睨み付けながら、一度咳払いして口を開いた。
彼女がドヴォルザークのルサルカから月に寄せる歌を唄い始めると、ハンネス機関の収音装置が作動して内部のギアが駆動する。蓄電量を確認した鬼頭がブレーカーを上げ、天井の蛍光灯が点灯して室内が一気に明るくなった。
「京哉のフルートでも早いが、シェリーも負けてねぇな。並の人間の歌声じゃあ、こう上手くはいかねぇよ」
鬼頭は腕組みをして頷きながらシェリーの歌声に聴き入る。
政府の方針で民間への送電が断たれてから、このように各自ハンネス機関を回収して違法に発電しながら生活に利用するしかなくなった。故に彼らはその日の当番を決めてハンネス機関への蓄電を行っているのだ。
[[rb:楽団 > ギルド]]関係者やある程度音楽に精通する者には容易であったが、その他多くの人間にとっては苦労を要するものである。
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明るくなった室内を見て回り始めた双子とシェリー。綺麗に並んだ棚にズラリとレンタルDVDが収納されている様子に息を呑んだ。
「100年前の映画とかもあるよ…全部観ていいのかな、コレ」
シェリーが洋画コーナーを見ながら目を輝かせている棚の反対側で、双子が韓流ドラマのパッケージを手に取って眺めていた。
「再生する機械が見つかれば見れるんじゃないですかね?」
「昔は映画館に人が集まって新作映画観てたんだろ?今じゃ、広い場所に人が集まると集会だ、とかデモだ、とか言われて逮捕されちまうのにな」
楽しそうにフロアを駆け回る三人を横目に、京哉と祐介はどう部屋を割り振ろうかと構造をチェックし始めていた。
「スタッフルームぐらいじゃね?居住スペースってなると」
「この前の喫茶店の時なんか余分な位部屋があったのに、やっぱり今回は急拵えで見つけた場所だからかな?」
試行錯誤している京哉と祐介の横を通り過ぎた鬼頭は、二人に付いてくるようにと顎で促した。
「此処はブレーカーを上げに来ただけだ。上行くぞ」
入ってきた扉を出て外階段を登ると、レンタルビデオ店の上の階が系列店のネットカフェになっていた。入り組んだ廊下には『完全個室!風呂トイレ付き!』と堂々と謳われたポスターが貼られていた。
「なるほどー…これは良さげな物件だ。良く残ってたね、こんな所」
工事無しで生活が始められそうな廃墟には必ずと言っていい程先住民がいる。
此処も例外では無かった。
「い、いきなり電気がついたからビックリしましたよ!貴方たちですか!?」
衝立で分けられたフラットスペースの中から立ち上がったのは、無精髭を生やし、もっさりとしたロングヘアにバンダナを巻き、分厚いレンズのメガネをかけた小太りの男。チェック柄のシャツをジーパンにインしている。店内用スリッパを履いてスタスタと彼らの方に向かって来る。
一瞬身構えたが、京哉はその男の全体像を見て彼を指差しながら叫んだ。
「お…オタクだーーっ!すごい!天然記念物!本物じゃん!サインください!」
はしゃいでいる京哉の首根っこを掴んで後方に引っ込めると、強面の鬼頭が彼と対峙した。
「お前さん、元々此処に住んでたのか?」
「ち、ちちちがいますけれども……前の家を追い出されてしまいまして…放浪した挙句やっとの思いで今朝方こちらに移り住んだのであります!」
ありますだ!と嬉しそうに繰り返した京哉の口を塞いで祐介が黙らせている間に、鬼頭は彼が身を隠していた場所を確認した。
楽団の事前調査の後ということであれば、タイミング悪く人が住み着いてしまう事も考えられる。確かに男の言う通り、彼は着の身着のままこの場所に移り住んできたような荷物の少なさだった。
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戻ってきた鬼頭が京哉と祐介に小声で話し掛ける。
「どうする?無害そうっちゃあ無害そうだが……ただ、万が一の時は奴にも危険が及ぶ可能性があるな…」
どうしたものかと悩んでいる時、レンタルビデオ店から上がってきた双子とシェリーがガヤガヤと彼らの前に現れた。
「何ニヤニヤしてんだよ、マジでキモい…」
シェリーが京哉に悪態をつくと、その様子を目にした男が床に腰を抜かして倒れ込みながら慌て始めた。
「び、びびびび美少女…!」
彼の慌てふためく姿に、全員がシェリーの方を向く。
「こっち見んな…っ!おい、お前もジロジロ見てんじゃねーよ!」
頬を真っ赤にしてキレ始めた彼女の姿に、男は顔を両手で隠しながら身体をくねらせ始めた。
「しかもツンデレ…!」
「何ワケわかんねーことほざいてんだよ!」
初対面にも関わらず酷い物言いのシェリーを宥めようと、双子が彼女と男の間に割って入った。
「また美少女が…っ!」
低身長のセーラー服姿で愛嬌のある顔立ちの双子の容姿に、男は過呼吸を起こすのではないかという程息を荒くしていた。
「おいオッサン、何だよさっきから?」
「言いたい事があるならはっきりと…「しかも男の娘だ…っ!!!」
フユキの言葉を遮り、遂には涙を流し始めた男を見て顔を見合わせた双子。鬼頭の方を見て状況を察した様子だったものの新しいオモチャを見つけたと言わんばかりに彼の隣に駆けて行った。
「オレ達とお話しようぜオッサン」
「おじさん、何でも話してくれますよね?」
ズルズルと男を引き摺り出し、内鍵のかかるスペースに連れ込んだ双子はドアを閉める前に京哉達に向かってハンドサインを送ってきた。
「…何するつもり?ナツキとフユキ…」
シェリーが顔を引き攣らせながら尋ねると、鬼頭が苦笑いで腕を組んだ。
「恐らく…敵じゃないかを調べるつもりなんだろうが…何をするかは知らないほうが幸せだな」
鬼頭の言葉に、シェリーは静かに頷いた。
「さて、俺はこの上の階にこれからピアノを運び込んでもらわねぇとだ。何かあったら来いよ」
ニカっと笑ってフロアから出て行った鬼頭に手を振って見送る。
「そういえば、京ちゃんは今夜から早速お仕事なんだよね?」
祐介が尋ねると、京哉は気怠そうにフラットシートスペースの一画に倒れ込んでいきなり寝息を立て始めた。そんな彼を睨みつけたシェリーは間仕切りになっている引き戸を勢い良く閉めて視界から消す。
シェリーがいつも以上にイライラしているのは、双子が男を連行していった個室から情けない喘ぎ声が漏れ出てきているのが聞こえるからだろう、と祐介は察した。
そして、やっぱり案外ウブなんだよな…と独りごつ彼の脛を何度もローキックで攻撃し始めた。
…………………………………………………………………………………
「藤原道夫さん、こう見えてお年は31歳」
フユキがそう紹介すると、先程の先住民が恥ずかしそうに頭を下げた。
「マジでオレ達が来る直前にこのビルに移り住んできただけ。な、嘘なんかついてねーよな?」
ナツキがウインクして尋ねると、道夫はあわあわしながら首を縦に振った。そして、祐介の方に向き直って口を開く。
「この方々が音楽家で、此処に隠れ住みたいという事情をお話いただきました……もし捜査が入ればわたくしにも危害が及ぶ可能性があるとも…」
緊張しているのか早口な道夫の様子を見て、祐介は彼を落ち着かせるように笑顔を見せる。
「タイミング的には我々が後から入ってきたので出て行けと言われればそうせざるを得ないのかもしれませんが、事情がありまして…」
「そ、そそそれは大丈夫であります!…出ていけだなんて、そんな烏滸がましい事は言えません……。ただ、すぐ住めそうな場所というのが近くにはもうこのビルしか無かったので、こちらとしてもすぐに出ていくというのはちょっと…」
道夫の意味深な回答に、祐介は首を傾げながら尋ねた。
「このビル…そういえばどのフロアも空きでしたね……何か理由があるんですか?」
すると、道夫は何やら口籠もりながら俯いてしまう。しかし理由を述べるように無言の圧をかけてくる双子達に屈して、ボソボソと小さな声で話し始めた。
「……鳥葬場だからですよ、此処の屋上が」
行政が機能していない今、死人が出た際に火葬を依頼するのも労を要する。野焼きでは人体を燃やすのに必要な1000度前後には到達しない上に火災の危険性もある。そこで、苦肉の策として最近の主流となっているのが、ある基準以上の高さのあるビルの屋上に遺体を運び込みカラス等の野鳥にその肉を啄ませる鳥葬であった。
「なるほど…だから、このビルには誰も近寄らないし住みたがらない、と」
納得した様子の祐介と双子だったが、その事実を聞いて震え上がっている人間がいた。
「し…死んだ人を放置するための建物ってこと……?」
シェリーの顔色は真っ青だった。作戦の中で囮になると宣言したあの時の勇気あふれる彼女の姿はどこへやら。フロアの中のちょっとした物音でビクッと驚き始めた。
「あれ?シェリー、お化け怖い?」
「信じちゃうタイプなんですね、そういうの」
双子が茶化すと、シェリーは外方を向いて唇を尖らせた。
「そうえいば、他の方々は?」
「ああ、一人は引越しの作業中で、もう一人はそこで寝てま……」
道夫の問いに答えた祐介は、京哉が寝ている空間から彼の魘されている声が聞こえてくる事に気が付いた。全員が慌てて駆け寄り、引き戸を勢い良く開け放つ。
フラットシートの上で仰向けの状態で目を瞑りなが額に汗をかいている京哉。ナツキが彼の肩を揺さぶって無理矢理起こすと、苦しそうに息を荒げながら瞼を持ち上げた。
「どうした、右神!?」
数回瞬きを繰り返した後、やっと落ち着いた様子で息を吸い込んだ京哉は上体を持ち上げて口を開いた。
「よくわかんねぇけど、カラスにつつかれる夢見てて……起きようと思ったら手足が動かなくなってて……」
恐怖体験を語り出す京哉の様子に、シェリーは鳥肌が収まらない様子で発狂していた。
[24] Aubade 完
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朝陽が山間から顔を覗かせ始めた頃、PHSの着信音が屋内に響いた。
外の見張りをしていた京哉を含め、旋律師達全員が自分の端末を手に取って画面を確認する。
『やあ、元気そうで何よりだね』
老婆と祐介が洗い物をする台所にせっせと食器を運び込む茅沙紀とシェリーは、囲炉裏を囲んで話し合いを始めた彼らの方を一瞥した。
「ジャック、普通に復旧してたね。大丈夫なの?ウィルスとか入ってない?」
梓が湯呑みを傾けながら最初に口を開いた。
「俺がそれとなく聞いてみたが、ありゃ前のジャックとは別人格というか…似て非なるものだったな。まるっと別のシステムに乗り換えたんだろ」
鬼頭が腕組みをしながらそれに答える。
朝方、楽団の旋律師達と調律師である鬼頭が受信した本社からの連絡。本来の機能を取り戻した為、通常業務に戻れとの通達であった。
「ボク達と京哉クンの所には早速次の依頼が来てます」
「切り替え早ェなー…オレ達みたいに異端に反撃とかしねぇのかよ」
フユキとナツキが、ねぇーっと顔を見合わせる。
「あれは僕が勝手にやろうって言ったことだからね。本来なら全員懲罰房行きでしょ!命令無しに動いて色々破壊したんだから」
ケラケラと笑いながら言う事ではないと、全員が託斗を窘めるような目で見た。
「私は一人教育してくれって言われたんだよね。新しい潜伏先も紹介された。この後、茅沙紀チャンを連れて向かうわ」
自分の名前が聞こえ、茅沙紀は台所から慌てて居間に駆け込んできた。
「い…移動するんですか?この後すぐ?」
「うん。仕事きちゃったから。何か問題あった?」
梓が尋ねると、茅沙紀は苦笑いを浮かべた。
「問題ではないですけど……ここにいる皆さんに囲まれてるとすごく安心するというか…」
それを聞いた託斗が、梓を指差しながら返す。
「大丈夫、大丈夫!あずあずは滅茶苦茶強いから、昨日の兄妹ぐらいの敵なら秒殺できるって」
茅沙紀を安心させるつもりで放った言葉だったが、彼以外の全員が黙り込んでしまった。あずあず呼びによる鉄槌も下らない。
メタトロンとサンダルフォンの凄惨な最期は、彼らの胸に痼りとして残っていた。本当に対峙するべき相手ではなかったのではないか、という疑問がいつまでも残る。
「……ご、ごめんなちゃい…」
ぐすん、とわざとらしく涙を拭う真似をした託斗が麗慈の背後に身を潜める。
…………………………………………………………………………………
「後味悪かったってのもあるけど…あの兄妹が本体の人間じゃないとしたら、これまでに異端の人間と直接会った事あるのって京ちゃんだけ?」
梓が尋ねると、京哉は多分…と首を縦に振った。
「上海でマフィアと連んでた半面の男と、鶯谷で新興宗教作って教祖気取ってた矢波…」
「何だか作為的なものも感じますね」
フユキがいきなり眉を顰めながら呟く。どういうこと?とナツキが彼を突いた。
「京哉クンが受けた依頼がたまたま異端に繋がっていたのか、それとも奴らに関係する依頼を京哉クンが受けるように誰かに仕向けられたのか…」
「後者だとすると、かなり前からジャックは敵の手に落ちてたってこと?」
ざわつき始める面々に、気を取り直した託斗が口を挟んだ。
「顧客からの依頼を精査する段階で、誰に依頼を振るかは上の人間が決めるんだ。京哉は楽団内の評価が高いからね。より模造された楽譜に関連しそうな案件が優先的に入るようになってるんだよ」
新たな知識を得た双子は、ほぉーと顔を見合わせる。その様子を見て、梓が手を挙げた。
「ハイハイ!その評価って、託斗はここにいる全員分知ってるの?」
「え?知りたい?傷付かない?」
ニタリと笑った託斗にイラッとした梓は、すぐさま彼を平手打ちした。
「酷いっ!暴力女だっ!あずあずなんかDランクだ!」
例の如くわんわん泣き真似を始めた子供大人を居間の外に締め出すと、鬼頭が話を切り出した。
「俺はコイツらを新しい潜伏先に連れてけと言われてる」
コイツらと言って顎で差したのは京哉と双子だった。
「麗慈、アンタは?」
梓にそう尋ねられると、彼は不服そうに顔を歪めた。
「……俺も新しい住所に向かえ、と」
その指示の何が嫌なのかとその場にいた全員が首を傾げると、締め出した筈の託斗が襖を開けて顔を出す。
「日本にいる間は麗慈の所にお邪魔しまーす!会いたくなったらいつでも来てね!」
嬉しそうにニコニコと笑っている託斗の顔面を鷲掴みにした梓に凄まれ、託斗は大人しく部屋を出て行った。
これからの胃痛の日々を想像して頭を抱えている麗慈の肩を叩いた京哉は、哀れみの眼差しで彼を見ていた。
…………………………………………………………………………………
ノア・グラウス、アメリカ副支部長の訃報が入ったのは新ジャックシステム復旧後すぐのことだった。
そして今、ほぼ同時刻、アメリカ大統領ダラス・シンプソンが何者かに殺害されたという衝撃の事件報道が世界中を駆け巡っていた。
この事態を受け、全体機能のほぼ90パーセントが復旧した楽団本社では上層部による緊急会議が行われていた。
アメリカ支部長に続き、副支部長、そして楽団と親交のあったアメリカ大統領の殺害事件。大火傷を負いながらも奇跡的に生還したノアの秘書の証言によって、それら3つの事件において異端の人間の関与が証明されていた。
「さて…楽団との連絡手段を断たれている間にこのザマだ」
「楽譜を狙っていたにしても、大統領の件はどういう訳なんだ?」
ガヤガヤと騒がしい会議場内、議長を勤めていた男が手を叩くと、彼の隣に座っていたロジャーが神妙な面持ちで口を開く。
「最新の状況報告によると、アメリカ支部所属の旋律師のうち、約半数が未だに行方不明だそうだ。残りの半数は…」
事前に配布した資料に、死亡者リストが記載されており、その数の多さに一同が絶句した。
「ほぼ壊滅状態と言っていい。楽団がアメリカ国内で勢力を弱める中で、異端の人間が先導するとされている反政府運動も各地で勃発している」
ロジャーは議長の男の方を向いて一度頷いた。彼は目の前に置かれた端末を操作し、プロジェクターの映像を壁に投影する。
映し出されたのは、異端による襲撃を受けて集中治療室に入っていたウルフだった。無事に普通病棟に移動できたようでカメラに向かって元気そうな様子を見せる。
『ご無沙汰してます、社長』
「悪いな、アンダーソン。大変な時に」
今は笑顔で受け答えをしているウルフだったが、一時は生死の境を彷徨っていた。
「子連れでスーツの男…君は奴らに襲われた人間の中で唯一生還した貴重な証人だ。君が襲われた当時の状況を話してもらえるか?」
「はい、勿論ですよ。これが最後の仕事ですから…」
ウルフは異端の人間から受けた怪我の影響で右耳の聴力を失っており、残された左耳も非常に聴こえづらい状況だという。音楽家としては致命的であり、引退を余儀なくされていた。
「私が最初に奴を認識したのは、ジャックが機能停止に陥ったその日の夜でした」
…………………………………………………………………………………
アメリカ支部のあるニューオーリンズからポンチャートレイン湖を挟んで北側に位置するルイジアナ州スライデル。
任務遂行中だったウルフが身を潜めていた廃ビルの中に、突如金髪碧眼の白いローブを纏った少年が姿を現したのだ。
何故こんな夜遅くに子供が一人で出歩いているのか。しかも、こんな廃墟の中を…。ウルフの脳裏には先日、楽団本社から受けた子連れのスーツ男の件が過ぎる。リングナイフを手の中に隠し、周囲を警戒しながら彼は少年に話しかけた。
「やあ。こんな時間にどうしたんだい?」
ウルフは緊張の面持ちで少年の反応を待つ。すると、彼はニッコリと可愛らしい笑顔を浮かべてウルフの脚にしがみついてきた。
「おじちゃん!聞いてくれる?」
両手に何も持っていない事を確認しながら、ウルフは少年の前にしゃがみ込んで顔を覗き込んだ。
「聞くって何を?お話かい?」
「ううん、僕の歌だよ」
少年の表情が悪魔のような笑顔に変わった瞬間、高い金属音が響いてウルフは意識を失った。
次に彼が目覚めた時には、柱に縛り付けられた状態だった。目の前には、こちらに背を向けて座るスーツの男。その隣には先ほどの少年の姿がある。ウルフの楽器が入ったジュラルミンケースは彼らの手元に移動されていた。
「あ、おじちゃん起きてるよ!」
少年がウルフの方を指差しながらスーツ裾を引っ張っている。徐に立ち上がって踵を返した男は、ゆっくりとした足取りでウルフに近づいた。
「はじめまして。一応、自己紹介しとく?まずは君からね」
飄々とした態度の男だった。しかし、隙が何処にもない。この手の男は豹変すると厄介だと、ウルフは経験上理解していた。名前を教えろ…暗に込められた意味を読み取り、大人しく彼に従う。
「ウルフ・J・アンダーソン」
「ウルフさんね。私はラファエルで、このちっこいのは相棒のペネム。ま、コードネームなんだけどさ」
ラファエルと名乗ったスーツの男は、埃だらけの床に散らばった廃材をガサガサと漁り始めた。
「なに、ちょっと教えてもらいたいんだけどさ…君たち楽団の選ばれた奏者が持ってる特別な楽譜ってのがあるじゃん?」
歩み寄ってきたラファエルの右手には先の尖った長さ20センチ程の細い角材。左手には木槌が握られていた。
「アレはどうやって力を得てるのかなって思って…さっ!」
そう尋ねながら、ウルフの太腿に角材を突き立て振りかぶった左手の木槌で打ち込んだ。歯を食いしばりながら声を押さえるウルフを見て、ペネムはパチパチと拍手をし始めた。
「やっぱり旋律師って凄いや!今まで一人も悲鳴上げなかったし、きっとおじさんも命乞いしないんだろうね!」
「こらこら、今は私がお話中なんだから」
ラファエルが注意すると、ペネムはつまらなそうに床に散らばった小さな廃材を弄りながら一人遊びを再開した。
「で、どうなの?教えてくれないかな?」
チロリアンハットの下でニッと笑った男は、再び角材を構えていた。
「……俺の知ってる事で良ければ教えてやるよ。答えは、知らない、だ」
「ほう?教えない、じゃなくて?」
ラファエルがもう一本角材を打ち込む。白いトラウザーズの片側だけ真っ赤に染まっていった。
「…ちがう、な。教えてやれる事が何も無い」
楽譜の呪いに関する祝福と災厄、そして制約についてはその奏者のみが知り得る。起こり得る災厄はその曲のモチーフに纏わる神話から推測されるが、具体的な制約については実際に演奏してみないとわからないのだ。
そして、それらの情報は組織の重要機密に値するとされている。何故ならば、彼らの弱点たり得るからだ。
…………………………………………………………………………………
ウルフの目を見てどうやら嘘はついてなさそうだと判断したラファエルは、小さく息を吐いて新たな角材を手に取った。
「……そういう事にしておいてやるか。じゃあ次の質問。超絶技巧の第21楽章の在処に心当たりは?」
「それがわかったら苦労しないね。血眼で探している最中さ」
じっとウルフの目を睨み付けた男は、木槌を持った手をそっと引っ込めた。そして、床で一人遊びをしていたペネムに声を掛けた。
「準備をしてくれるかい、ペネム。今回は早いが、コイツは中々口が硬い男のようだ。そろそろ心に聞いてみようじゃないか」
ラファエルの方に駆け寄ってきたペネムは重たそうに両手でスーツケースを運んできた。中を開くと、グロッケンの鍵盤が埋め込まれており、ビーターを取り出したラファエルはそれを両手に構えた。
甲高い金属音が響き、鍵盤を打ち付ける度に音が混ざり合ってフロア内を渦巻く。グラグラと脳が揺れる感覚に襲われたウルフの耳に、少年の歌声が入ってくると突然胸痛が起こり始めた。偏頭痛のようにズキズキと血管が収縮して脳が痛み、気が付いた時には耳や鼻から血が流れ出している。
「さて…ウルフさんは何を話してくれるのかな?」
演奏を続けながら口元を怪しくと歪めたスーツの男。彼の奏でる不協和音がジンジンと脳内に染み入り、溶け出すような感覚に襲われる。
内側から破壊される。その恐怖に苛まれながら、ウルフはグッと目を閉じて堪えた。
「そこから2日間、同じような拷問が続きました。聞かれる内容は全て楽譜に関すること。どうやら、超絶技巧の完奏者を探しているようです」
ウルフの証言が終わり、会議室の面々は静かに唸った。
「アーロンが狙われた理由は矢張りそれか…」
「奴らにとって楽譜は喉から手が出るほど手に入れたい代物。タクトの真似事をする程ですからな…」
ザワザワと騒がしくなり始めた場内で、ミーアが手を挙げて立ち上がった。
「その男が演奏した曲、また子供が歌っていた曲に関しては?」
「ああ…普通に世に出回っている聖歌でした。特に変な編曲を加えた様子もありません」
主よ、人の望みの喜びよ。
おお、愛しうる限り愛せ。
罪に汚れしこの身をば。
ウルフの口から出てきた曲名は、どれも聞き覚えのあるものばかり。
「…スーツの男が旋律師と同じような能力を持っていると仮定して……少年の役割とは一体何だったのでしょう?」
ミーアが呈した疑問に、その場にいた全員が黙り込んでしまう。
少年の聖歌がグロッケンの伴奏に乗った瞬間、胸の痛みを覚える程の圧を感じたウルフはもしやと思いロジャーに声を掛ける。
「…アンサンブルですかね?」
歌声と楽器の演奏の相乗効果によって、特殊な作用を生み出したのではないか。そう考えたウルフに、会議場の面々は訝しげな表情を見せる。
「人の声と楽器が?ありえんだろ」
「かつてそのような試みもあったが、尽く失敗したんだったな…」
人の声が作り出す音の波は声帯を通すことによって非常に複雑になる。旋律師のように安定した合成波を生み出す事が出来る人間がいるとするならば、それは声帯を通さずに歌っているということになる。
「過去に病気の為に声帯を摘出後、訓練で話せるようになった人々を集めてアンサンブルの実験を試みたが、やはり巨大な音エネルギーを生み出すだけの合成波の生成には至らなかった…」
ミーアはそう呟き、難しい表情を浮かべながら何か考え込んでいる様子を見せた。
「何か思い付きそうかい?」
ロジャーが尋ねると、ミーアは自信無さげながらも一つの提案をした。
…………………………………………………………………………………
現役大統領が殺害されるという大事件が発生したことにより、アメリカ国内は大混乱に陥っていた。
かねてより反政府運動を起こしていた市民団体に大統領殺害の容疑がかかり、警察との間で日夜抗争が巻き起こっていたのだ。
怒り狂う人々、逃げ惑う人々を眺めながら、白い半面の男は愉快そうにクツクツと笑っていた。彼の後ろを歩くのは、ぺったりとした七三分けの丸眼鏡の椙浦。
「ドクタースギウラ、どうですか?あれからアンプの研究は順調ですか?」
半面の男が笑顔で問い掛けると、椙浦は頭を掻きながら困った表情を見せた。
「いやぁ…お恥ずかしながら、彼の後は失敗続きでして……。矢張り骨を加工するのは難しく…調達していただいた素材を全てダメにしまっていたところなんです…」
椙浦の報告を聞いた半面の男は、なるほどぉと唸りながら額にコツコツと手を当てた。
「やはり、オリジナルの中身を観察しなければ、量産は難しそうですか?」
「…はい。彼女が手に入れば研究は一気に進みますね」
恍惚とした表情を浮かべる椙浦を、その横を歩くビビットピンクの髪をした女が睨み付けながら問う。
「ユリエル……アンプのオリジナルって、今は日本にあんだろ?」
「はい。タクト・ウガミの倅が連れ回していますね」
ユリエルと呼ばれた半面の男から発せられた言葉に、女は飛び上がりながら興奮し始めた。
「上海の武闘大会で訳わかんねぇヤバい技ぶっ放してたアイツだろ!?あんなのがアンプ使い始めたらどうなんだよ?」
「彼はまだ、彼女の本当の価値に気が付いていないようですよ。ね、ドクター?」
話を振られた椙浦は眼鏡を直しながら口の緩みを抑える。
「はい。気が付いてしまう前に、彼女を回収する必要があります、絶対に!」
フンっと意気込んでいる椙浦の横で、女の方も今度はやる気に満ちた様子でユリエルに懇願した。
「なぁ、ユリエル!俺を日本に行かせてくれよ!ドクターの為だ!良いだろ!?」
ドクターの為、というフレーズで椙浦もコクコクと頷き始める。彼らの期待に満ちた表情を目の前に断りづらかったのか、ユリエルは肩を竦めながら溜め息を吐いた。
…………………………………………………………………………………
東京都・港区。かつては富の象徴とも謳われた高層マンションも、その全てが廃墟と化していた。
多くの居住スペースが比較的綺麗な状態で残されているにも関わらず、電気が通っていない為エレベーターが使えない事から、高層階の空き部屋を間借りして住み着くような物好きはいない。
天高く聳える廃墟群を眺めながら、京哉達は鬼頭が運転するワゴンに乗り新しい潜伏先に向かっていた。
「今度はどんな場所に住むんだろうな?」
「港区だったらタワマン!って思ったんですけど、低層階は人気で空きが無いみたいですよ」
両サイドからシェリーのツインテールを結び直しているナツキとフユキは残念そうに肩を落とす。
ワゴンは海岸エリアを通過し、市街地に入っていく。六本木エリアは比較的人が多く暮らしており、彼らの暮らしをサポートする為の自警団が新宿区同等に機能していた。
「東京タワーって、昔は光ってたらしいよ」
助手席に座る祐介が赤く聳える鉄塔の方を指さす。へぇーと声を漏らした双子とシェリーは、物珍しげにかつての繁華街の風景を見回していた。
「日本がこんななっちまう前は、東京はどこもかしこも煌びやかだったさ」
鬼頭がダッシュボードを指さすと、祐介が中から古い冊子を取り出した。ワゴン車を改造する前から入っていたという観光案内だ。
「すげぇ!2012年…スカイツリーができた年だって」
ナツキが冊子の写真を指差しながらフユキとシェリーの前に掲げる。その様子をフロントミラー越しに見た鬼頭が付け加えた。
「その前の年に東北地方でデケェ震災があったが、その時の方が今よりも日本は良い国だったって聞くぜ」
震災をきっかけに原発が停止、火力発電に大きく頼る事になっていた日本は第6次石油ショックの煽りを大きく受けて国が傾いた。
その影響でハンネス機関による音エネルギー発電をどの国よりも積極的に取り入れ、長期間の大規模停電危機を乗り切ったとされている。
潤沢な電力資源を得たにも関わらず、現在ではその恩恵を受けるのはニュー千代田区画に限られていた。全ては改正憲法、そしてそれに遵ずる悪法のせいである。
「綺麗だったんだね、昔の東京って」
観光案内の写真をまじまじと見つめながら、シェリーが呟いた。かつての東京の風景に想いを馳せる和やかな雰囲気の車内。そんな雰囲気をぶち壊したのが、ブレーキを掛けた際に1番後ろのシートを独占して寝ている京哉が落下する音だった。
「えっ!?なに!?天変地異!?」
アイマスクを外して周囲をキョロキョロと見回している。
「うるせーぞバカ!」
シェリーがジト目で睨み付けながら文句を言うと、這い上がってシートに座り直した京哉は不機嫌そうに唇を尖らせた。
「まぁまぁ、京ちゃんは見張り明けだから寝てなかったし」
祐介が数日ぶりに二人の喧嘩の仲裁をしている間に目的地に到着したようだった。
…………………………………………………………………………………
車外に出た一同の目の前には、またしても雑居ビルが軒を連ねている。鬼頭が先陣を切って入っていったのは、1階に不動産屋跡の残る建物。その外階段を登って行くと、彼は3階フロアに入るドアの前で止まった。
鬼頭がガチャガチャと鍵を開けている間に入り口の上に取り付けられている看板を見上げた面々。彼らの頭上に掲げられていたのは、街でよく見かけるレンタルビデオチェーンの店名だった。
扉を押し開いて薄暗い室内を進んでいく。毎回廃墟を転々としている彼らであったが、初めて足を踏み入れる度に楽団の仕事の速さを思い知らされる。
何年も廃墟になっていた空間にも関わらず、入居時には荒れた形跡は愚かゴミ1つ落ちていないのだ。
「バタバタしてた割には、ちゃんと仕事してあるな…」
ナツキが内装をぐるりと見回しながら呟く。
「今回は通信網の整備がまだらしい。そのうちスタッフが派遣されて来んだろ」
フロアの最奥にあるスタッフルームと書かれた扉を開くと、外からの光は届かずさらに暗い空間が広がっていた。鬼頭は待っていろと一言声を掛けて一人で中に進んでいき、突き当たりの壁上部を見上げた。懐から取り出したペン型の懐中電灯を耳に挟みながらブレーカーカバーを取り外すと、ワゴンから運び込んだハンネス機関のケーブルを接続する。
「おい、出番」
京哉がシェリーの頭を後ろから小突く。彼の方を振り向いて睨み付けながら、一度咳払いして口を開いた。
彼女がドヴォルザークのルサルカから月に寄せる歌を唄い始めると、ハンネス機関の収音装置が作動して内部のギアが駆動する。蓄電量を確認した鬼頭がブレーカーを上げ、天井の蛍光灯が点灯して室内が一気に明るくなった。
「京哉のフルートでも早いが、シェリーも負けてねぇな。並の人間の歌声じゃあ、こう上手くはいかねぇよ」
鬼頭は腕組みをして頷きながらシェリーの歌声に聴き入る。
政府の方針で民間への送電が断たれてから、このように各自ハンネス機関を回収して違法に発電しながら生活に利用するしかなくなった。故に彼らはその日の当番を決めてハンネス機関への蓄電を行っているのだ。
[[rb:楽団 > ギルド]]関係者やある程度音楽に精通する者には容易であったが、その他多くの人間にとっては苦労を要するものである。
…………………………………………………………………………………
明るくなった室内を見て回り始めた双子とシェリー。綺麗に並んだ棚にズラリとレンタルDVDが収納されている様子に息を呑んだ。
「100年前の映画とかもあるよ…全部観ていいのかな、コレ」
シェリーが洋画コーナーを見ながら目を輝かせている棚の反対側で、双子が韓流ドラマのパッケージを手に取って眺めていた。
「再生する機械が見つかれば見れるんじゃないですかね?」
「昔は映画館に人が集まって新作映画観てたんだろ?今じゃ、広い場所に人が集まると集会だ、とかデモだ、とか言われて逮捕されちまうのにな」
楽しそうにフロアを駆け回る三人を横目に、京哉と祐介はどう部屋を割り振ろうかと構造をチェックし始めていた。
「スタッフルームぐらいじゃね?居住スペースってなると」
「この前の喫茶店の時なんか余分な位部屋があったのに、やっぱり今回は急拵えで見つけた場所だからかな?」
試行錯誤している京哉と祐介の横を通り過ぎた鬼頭は、二人に付いてくるようにと顎で促した。
「此処はブレーカーを上げに来ただけだ。上行くぞ」
入ってきた扉を出て外階段を登ると、レンタルビデオ店の上の階が系列店のネットカフェになっていた。入り組んだ廊下には『完全個室!風呂トイレ付き!』と堂々と謳われたポスターが貼られていた。
「なるほどー…これは良さげな物件だ。良く残ってたね、こんな所」
工事無しで生活が始められそうな廃墟には必ずと言っていい程先住民がいる。
此処も例外では無かった。
「い、いきなり電気がついたからビックリしましたよ!貴方たちですか!?」
衝立で分けられたフラットスペースの中から立ち上がったのは、無精髭を生やし、もっさりとしたロングヘアにバンダナを巻き、分厚いレンズのメガネをかけた小太りの男。チェック柄のシャツをジーパンにインしている。店内用スリッパを履いてスタスタと彼らの方に向かって来る。
一瞬身構えたが、京哉はその男の全体像を見て彼を指差しながら叫んだ。
「お…オタクだーーっ!すごい!天然記念物!本物じゃん!サインください!」
はしゃいでいる京哉の首根っこを掴んで後方に引っ込めると、強面の鬼頭が彼と対峙した。
「お前さん、元々此処に住んでたのか?」
「ち、ちちちがいますけれども……前の家を追い出されてしまいまして…放浪した挙句やっとの思いで今朝方こちらに移り住んだのであります!」
ありますだ!と嬉しそうに繰り返した京哉の口を塞いで祐介が黙らせている間に、鬼頭は彼が身を隠していた場所を確認した。
楽団の事前調査の後ということであれば、タイミング悪く人が住み着いてしまう事も考えられる。確かに男の言う通り、彼は着の身着のままこの場所に移り住んできたような荷物の少なさだった。
…………………………………………………………………………………
戻ってきた鬼頭が京哉と祐介に小声で話し掛ける。
「どうする?無害そうっちゃあ無害そうだが……ただ、万が一の時は奴にも危険が及ぶ可能性があるな…」
どうしたものかと悩んでいる時、レンタルビデオ店から上がってきた双子とシェリーがガヤガヤと彼らの前に現れた。
「何ニヤニヤしてんだよ、マジでキモい…」
シェリーが京哉に悪態をつくと、その様子を目にした男が床に腰を抜かして倒れ込みながら慌て始めた。
「び、びびびび美少女…!」
彼の慌てふためく姿に、全員がシェリーの方を向く。
「こっち見んな…っ!おい、お前もジロジロ見てんじゃねーよ!」
頬を真っ赤にしてキレ始めた彼女の姿に、男は顔を両手で隠しながら身体をくねらせ始めた。
「しかもツンデレ…!」
「何ワケわかんねーことほざいてんだよ!」
初対面にも関わらず酷い物言いのシェリーを宥めようと、双子が彼女と男の間に割って入った。
「また美少女が…っ!」
低身長のセーラー服姿で愛嬌のある顔立ちの双子の容姿に、男は過呼吸を起こすのではないかという程息を荒くしていた。
「おいオッサン、何だよさっきから?」
「言いたい事があるならはっきりと…「しかも男の娘だ…っ!!!」
フユキの言葉を遮り、遂には涙を流し始めた男を見て顔を見合わせた双子。鬼頭の方を見て状況を察した様子だったものの新しいオモチャを見つけたと言わんばかりに彼の隣に駆けて行った。
「オレ達とお話しようぜオッサン」
「おじさん、何でも話してくれますよね?」
ズルズルと男を引き摺り出し、内鍵のかかるスペースに連れ込んだ双子はドアを閉める前に京哉達に向かってハンドサインを送ってきた。
「…何するつもり?ナツキとフユキ…」
シェリーが顔を引き攣らせながら尋ねると、鬼頭が苦笑いで腕を組んだ。
「恐らく…敵じゃないかを調べるつもりなんだろうが…何をするかは知らないほうが幸せだな」
鬼頭の言葉に、シェリーは静かに頷いた。
「さて、俺はこの上の階にこれからピアノを運び込んでもらわねぇとだ。何かあったら来いよ」
ニカっと笑ってフロアから出て行った鬼頭に手を振って見送る。
「そういえば、京ちゃんは今夜から早速お仕事なんだよね?」
祐介が尋ねると、京哉は気怠そうにフラットシートスペースの一画に倒れ込んでいきなり寝息を立て始めた。そんな彼を睨みつけたシェリーは間仕切りになっている引き戸を勢い良く閉めて視界から消す。
シェリーがいつも以上にイライラしているのは、双子が男を連行していった個室から情けない喘ぎ声が漏れ出てきているのが聞こえるからだろう、と祐介は察した。
そして、やっぱり案外ウブなんだよな…と独りごつ彼の脛を何度もローキックで攻撃し始めた。
…………………………………………………………………………………
「藤原道夫さん、こう見えてお年は31歳」
フユキがそう紹介すると、先程の先住民が恥ずかしそうに頭を下げた。
「マジでオレ達が来る直前にこのビルに移り住んできただけ。な、嘘なんかついてねーよな?」
ナツキがウインクして尋ねると、道夫はあわあわしながら首を縦に振った。そして、祐介の方に向き直って口を開く。
「この方々が音楽家で、此処に隠れ住みたいという事情をお話いただきました……もし捜査が入ればわたくしにも危害が及ぶ可能性があるとも…」
緊張しているのか早口な道夫の様子を見て、祐介は彼を落ち着かせるように笑顔を見せる。
「タイミング的には我々が後から入ってきたので出て行けと言われればそうせざるを得ないのかもしれませんが、事情がありまして…」
「そ、そそそれは大丈夫であります!…出ていけだなんて、そんな烏滸がましい事は言えません……。ただ、すぐ住めそうな場所というのが近くにはもうこのビルしか無かったので、こちらとしてもすぐに出ていくというのはちょっと…」
道夫の意味深な回答に、祐介は首を傾げながら尋ねた。
「このビル…そういえばどのフロアも空きでしたね……何か理由があるんですか?」
すると、道夫は何やら口籠もりながら俯いてしまう。しかし理由を述べるように無言の圧をかけてくる双子達に屈して、ボソボソと小さな声で話し始めた。
「……鳥葬場だからですよ、此処の屋上が」
行政が機能していない今、死人が出た際に火葬を依頼するのも労を要する。野焼きでは人体を燃やすのに必要な1000度前後には到達しない上に火災の危険性もある。そこで、苦肉の策として最近の主流となっているのが、ある基準以上の高さのあるビルの屋上に遺体を運び込みカラス等の野鳥にその肉を啄ませる鳥葬であった。
「なるほど…だから、このビルには誰も近寄らないし住みたがらない、と」
納得した様子の祐介と双子だったが、その事実を聞いて震え上がっている人間がいた。
「し…死んだ人を放置するための建物ってこと……?」
シェリーの顔色は真っ青だった。作戦の中で囮になると宣言したあの時の勇気あふれる彼女の姿はどこへやら。フロアの中のちょっとした物音でビクッと驚き始めた。
「あれ?シェリー、お化け怖い?」
「信じちゃうタイプなんですね、そういうの」
双子が茶化すと、シェリーは外方を向いて唇を尖らせた。
「そうえいば、他の方々は?」
「ああ、一人は引越しの作業中で、もう一人はそこで寝てま……」
道夫の問いに答えた祐介は、京哉が寝ている空間から彼の魘されている声が聞こえてくる事に気が付いた。全員が慌てて駆け寄り、引き戸を勢い良く開け放つ。
フラットシートの上で仰向けの状態で目を瞑りなが額に汗をかいている京哉。ナツキが彼の肩を揺さぶって無理矢理起こすと、苦しそうに息を荒げながら瞼を持ち上げた。
「どうした、右神!?」
数回瞬きを繰り返した後、やっと落ち着いた様子で息を吸い込んだ京哉は上体を持ち上げて口を開いた。
「よくわかんねぇけど、カラスにつつかれる夢見てて……起きようと思ったら手足が動かなくなってて……」
恐怖体験を語り出す京哉の様子に、シェリーは鳥肌が収まらない様子で発狂していた。
[24] Aubade 完
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ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!
企業再生のプロ、倒産寸前の貧乏伯爵に転生する
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数々の倒産寸前の企業を立て直してきた敏腕コンサルタントの男は、過労の末に命を落とし、異世界で目を覚ます。
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しかし、そこは「帝国の重荷」と蔑まれる、借金まみれで領民が飢える極貧領地だった。
凍える屋敷、迫りくる借金取り、絶望する家臣たち。
詰みかけた状況の中で、アレクは独自のユニーク魔法【構造解析(アナライズ)】に目覚める。
それは、物体の構造のみならず、組織の欠陥や魔法術式の不備さえも見抜き、再構築(クラフト)するチート能力だった。
「問題ない。この程度の赤字、前世の案件に比べれば可愛いものだ」
前世の経営知識と規格外の魔法で、アレクは領地の大改革に乗り出す。
痩せた土地を改良し、特産品を生み出し、隣国の経済さえも掌握していくアレク。
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エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~
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エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。
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神様転生~うどんを食べてスローライフをしつつ、領地を豊かにしようとする話、の筈だったのですけれど~
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大西彩花(香川県出身、享年29歳、独身)は転生直後、維持神を名乗る存在から、いきなり土地神を命じられた。目の前は砂浜と海。反対側は枯れたような色の草原と、所々にぽつんと高い山、そしてずっと向こうにも山。神の権能『全知』によると、この地を豊かにして人や動物を呼び込まなければ、私という土地神は消えてしまうらしい。
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(カクヨムと小説家になろうにも、投稿しています)
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社畜のおじさん過労で死に、異世界でダンジョンマスターと なり自由に行動し、それを脅かす人間には容赦しません。
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【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
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大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
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