MELODIST!!

すなねこ

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#025 Serenade

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[横浜市・47歳男性「愛し過ぎて解剖してみたい、という欲に駆られていて困っています。もう少しで手の届きそうな所にいるのですが……なかなか現実は厳しいものです。早く彼女の中身をこの目で確認してみたいなァ」


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 依頼は六本木に拠点を置く硝子細工職人からだった。元々老舗ガラス工房を営んでいた祖父から家業を引き継いだという、矢馬岸灼ヤマギシアラタ38歳。
 矢馬岸家の邸宅に招かれた京哉達は、使用人の案内で中に通されると、待合室の其処彼処に飾られたガラス細工やガラスケースの中に鎮座するガラス工芸品等を鑑賞しながら依頼人が現れるのを待った。

「凄いですね…コレ……ガラスでできた編みかごって…どうやって編んでるんでしょうか?」
フユキが目を輝かせながらケースの中を見つめる。
「こっちはガラスのドレスだぜ…透け透けじゃん」
ナツキはマネキンが纏っているガラスでできたウェディングドレスを興味津々な様子で四方から観察していた。
「流石に中に何か着るんじゃねーの?」
どのような技術を使えばガラスが衣服になるのだろうか。それ以前に、ガラスでドレスを作ってしまおうという発想自体、到底京哉には理解できるものではなかった。感心している様子で作品を見つめていると、その横顔を覗き込んだフユキは何故か恥じらうように身体をくねらせる。
「やだなぁ、京哉クン。ナツキに着て欲しいだなんて…やっぱり気になってたんですね、本当に男の子かどうか」
「そうなのか?言ってくれればいつでも脱ぐのに」
二人のペースに呑まれてはいけないと、心を無にして棒立ちになっている京哉は、正面の壁に嵌め殺しになっている巨大なステンドグラスを下から上へと見やった。

 海外の宗教画的なステンドグラスは教会でよく見られるが、この場所に飾られているのは獅子に乗る文殊菩薩。周囲には蓮の花がガラスで描かれている。
 珍しさに惹かれてじっと見つめていると、後方から蝶番の軋む音が響き扉の向こうからグレーの刈り上げショートヘアの依頼人が現れた。細身のスーツを纏っており、精悍な、そしてどこか中性的な顔立ちである。
「カッコいい人だね、今回の依頼人」
「仕事デキますオーラがすげーな」
ナツキとフユキがひそひそと小声で話していると、踵を返した依頼人が口を開いた。

「待たせて済まなかったね。さあ、こちらにどうぞ」

その声を聞いた京哉達は目を見開く。三人の反応を見て、灼は愉快そうに笑っていた。
「よく言われるよ。話さなければ男と見間違う、とね」
「あ、いや…失礼しました。日頃、コイツらといる所為でそこらへんの判断基準が曖昧になってまして…」
京哉がコイツらと指差した先で微笑むナツキとフユキを見て、灼は首を傾げた。
「ボク達もよく間違えられちゃいます」
フユキの声を聞いて、灼は納得したように首を縦に振った。
「なるほど、可愛らしいお兄様方だ…」


 灼の後に続いて、三人は屋敷の中を進んでいく。待合室に置かれていたガラス工芸品はほんの一部だった様で、廊下の至る場所にも芸術品がディスプレイされていた。
「これは祖父の趣味なんだ。ガラス職人でありながら、世界の様々なガラス工芸品を集めていたようで」
「地震が起きたら大変ですね、コレ…」
京哉が不謹慎な事を口走るも、灼はそれを聞いて笑い飛ばしていた。
「全くその通りだよ。屋敷の者が避難するのに危ないから、片付けてくれと何度も祖母に言われていたさ」

 灼は突き当たりの階段を降りていくと、ひんやりとした空気の流れる地下倉庫に彼らを案内した。



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 厳重に鍵の掛けられた扉の先にも先程通った廊下と同じようにガラスケースに守られた品々が飾られていたが、それらはまるで異質だった。
「これらは私の祖父の作品だ」
灼が京哉達に見せたのは、ガラスで作られた楽器の数々。ヴァイオリン、ビオラ、クラリネット、フルート、オーボエの5種類である。
「凄ェ…木管の方なんかリードまでガラスでできてる」
「弦楽器の方は、弦と弓までガラスですよ」
全てのパーツがガラスで作られ、影まで透明感溢れる作品達を前に、三人は感嘆の声を漏らしていた。
 目を輝かせながら作品を鑑賞する彼らを見て、灼も嬉しそうな様子だった。ふと振り返った京哉が彼女に問い掛ける。
「矢馬岸さんのお祖父様が此処に飾られたんですか?」
「いや…祖父が現役の頃はまだ音楽等禁止法の無かった時代だ。これらの楽器を使ったコンサートも度々開催されていたようだよ」
灼の返事を聞いて、京哉は目の前のガラス細工から音が鳴るのかと驚愕した。
「祖父は唯一無二のガラス職人だった。どのような素材もガラスで再現することができたんだ。ただ、今の日本ではこの最高傑作達も取り締まりの対象となる」
楽器の所持及び使用は重罪であり、最悪極刑もあり得る。そして、押収された楽器は所有歴を調べられた後に処分されてしまうのだ。

 灼はショーケースの中の楽器達を愛おしげな眼差しで見ながら倉庫内をゆっくりと歩き回る。
「明朝、事前通告無しの強制捜査でこの屋敷に警官隊が突入する、とそのテの情報に詳しい友人から教えてもらった。…私は何としても此れ等の楽器を壊される訳にはいかないんだ」
京哉の正面で向かい合って立ち止まった灼は、深々と頭を下げた。
「…頼む。祖父の大事な作品を守ってくれないか」
地位のある資産家の娘がこれ程必死に懇願するのだ。祖父の作品は彼女にとってそれ程大事な物なのだろう。
 灼に頭を上げるように促した京哉は、ボウ・アンド・スクレープで頭を下げる。
「承知しました。矢馬岸灼様。必ずや我々楽団ギルドが貴女様の願いを叶えて差し上げましょう」
最後に顔を上げると、彼はニコリと笑顔を見せた。
「…良かった。君達に巡り逢えて」
目を細めて笑い返した灼に、フユキが申し訳なさそうな表情で尋ねる。
「ちなみになんですけど…これらの楽器って、ざっとどれくらいの価値があるんですか?」
不躾な質問であったが、灼は不快そうな顔一つすることなく腕を組んで考え込む様子を見せた。
「あくまで、改正憲法前の鑑定結果だが、5つ合わせて750億円と言われたそうだ」
驚きの金額に、三人は顔を見合わせて飛び上がる。
「演奏してみるかい?」
金額を聞かされてからのその質問は非常に答えづらいと思いながらも、京哉はおずおずと首を縦に振った。
「じゃあ……フ、フルートを」
京哉の返事を聞いて快諾した彼女は、ショーケースの鍵を開ける。そして、白い綿手袋をはめてガラスで出来たフルートを手に取った。
 目の前に掲げられた透き通ったフルートをまじまじと見つめると、灼に手渡された綿手袋をはめてそれを受け取る。心なしか手が震えているように思える。


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 透明なキーの上に指を置き、リッププレートに下唇を乗せて息を吹き込む。金属でできたものとは異なり、水の中にいるような独特な音色が響く。
 しかし、京哉がキーを押さえる指を動かしたところ、アイスレバーの部分から亀裂が入り次の瞬間には粉々に砕けて床に散らばってしまった。
 数秒間、ポジショニングしたままの手で固まっていた京哉だったが、瞬きを繰り返しながら足元にゆっくりと視線を移していく。徐々に彼の顔から血の気が引いていった。

「……壊した」
ナツキがポツリと呟いた言葉で突然我に帰った京哉は、灼の足元で土下座をして涙ながらに謝罪し始めた。
「わあああぁぁぁぁっ!!!ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ!!何でもして弁償します!臓器売ってきます!」
すると、フユキが慌てて彼の元に駆け寄って来て肩に手を置いた。
「京哉クン!駄目ですよ早まっちゃ!いきなりモツ売るなんて勿体無い!」
ナツキも駆け付けて京哉の横に蹲み込んで顔を覗き込んだ。
「そうだぞ!先に体を売れ!お前なら結構稼げる!モツはそれからだ!」
「わ…わかった……よし、頑張るぞ……っ!」
あまりにも高額な品を破壊してしまった事で気が動転している京哉は、双子のとんでもないアドバイスも鵜呑みにしている様子だった。
 彼らの慌てふためく様子を見て、ずっと黙っていた灼は遂に堪え切れなくなって腹を抱えながら笑い出した。宝を壊されたというのに上機嫌な彼女の様子に、三人は顔を見合わせる。
「す、済まない……反応があまりにも面白くて…。慌てなくても大丈夫だ。それは私が作ったレプリカだから」
キョトンとする京哉達の目の前で、灼はヴァイオリンを手に取った。すると、数秒もしないうちに弦の部分がボロボロと崩れ落ちてしまう。
「私が祖父を真似て作ったんだが、見ての通りの劣化品だ。本物は滅多な事じゃ外に出さない。騙すような事をして済まなかったな」
申し訳なさそうに眉を下げる灼を見て、京哉は安堵の涙を流した。
「ありがとうございます…ありがとうございますレプリカ…じゃなくて、矢馬岸さま…」
「いいよ、灼で。お願いをしているのはこちらの方だ。そんなに畏まらないでくれ」
優しく微笑んだ灼だったが、壊れてしまったヴァイオリンを見つめる表情は悲しみとはまた違った感情を秘めているようだった。


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 麻布警察署に集ったのは300人もの警官隊。
 彼らが集められた理由…それは、矢馬岸硝子工房の経営者、矢馬岸灼の邸宅に強制捜査に入る為である。
 とりわけ音楽関連の検挙率の高さを誇る麻布署内でも今回の突入を任されていた第18機動隊は、これまでに何度も楽団ギルドの人間と対峙してきた。

「矢馬岸氏の通話記録から、明日の執行おいて禁止物の防衛の為に楽団ギルド旋律師メロディスト3名と契約した模様。アサインされてきた人物の中に、政府より特別手配の連絡があった男も含まれている」

 会議室に集う警官達は、スライドに投影された写真を凝視した。小型カメラを搭載した自走型ドローンによる盗撮映像。茂みの中から撮影されたと思われる映像には、灼の屋敷に入っていく私服を纏ったの京哉達の姿が残されていた。

「発電所爆破事件の主犯格ですね…」
機動隊員達の後ろでメモを取りながらスライドを眺めていたのは刑事課の新人、卯月榛埜ウヅキハルノ。彼女は警察学校をトップクラスの成績で卒業したエリートであった。上司の言葉を一言一句漏らさぬようにとガムシャラにペンを走らせるかっちりポニーテールに清楚なパンツスーツ姿の彼女の耳に、やる気のない声が聞こえてくる。
「おう、良い男じゃねぇか」
そんな明後日の方向の返事を寄越したのが、卯月の新人教育を担当する伊調慎イチョウマコト。アイロンのかかっていないヨレヨレのワイシャツに所々シミのついたスーツ。無精髭にチリチリパーマヘアの窓際刑事である。
「伊調さん…奴は政府の要人を何人も殺している悪の組織の手下なんですよ?顔がどうとか、関係ありません!」
先輩に対してやたらと風当たりの強い榛埜は、今の境遇にうんざりしていたのだ。

 幼い頃からの夢を叶えて警察官になれたは良いが、どう考えても警官不適合者であるいい加減な男の下につかされ、未だろくな事件に関わった事がない。
「私は早く、凶悪な楽団ギルドの音楽家をこの手で逮捕したいんですよ伊調さん!」
張り切る榛埜を横目に、伊調は首をコキコキ鳴らしながら大きな欠伸をした。
「逮捕逮捕ってねぇ……もうちょっと気楽にいこうよ榛埜チャン。何で音楽家三人相手にこれだけの機動隊員が集められてるかわかるぅ?」
気怠そうな表情で尋ねてきた伊調に、榛埜は得意気に答えた。
「それは、旋律師メロディストが危険な存在だからです!音エネルギーを武力転用する技を持っていますからね」
「そうそう。人間じゃないのよ、奴等は。だから、逮捕とか生温い事言ってる間にこっちが殺されちゃうワケ。俺達の出る幕じゃなぁいの」
ヘラヘラと笑っている伊調を見て、榛埜は唇を噛み締めながら俯いた。
「じゃあ……どうして私は刑事課に配属されたんでしょうか…」
「そりゃあ、その君の正義感とやらが麻布署ウチに合わなかったからじゃないの?それに、おいそれと新人を外に出して死なせる訳にはいかないんだしさ」

それじゃあ先に戻ってるわ、とやる気ない足取りで去っていった伊調を横目に、会議室からゾロゾロと撤退する機動隊員達の背中を見詰めながら、榛埜はギュッと両手を握り締めていた。


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 雨が降り頻る薄暗い矢馬岸家の広大な庭を、機動隊の投光器が眩く照らす。手入れの行き届いた薔薇の垣根を荒らしながら進む編み上げ靴の集団が足を止めたのは、丈の長いメイド服を纏った二人組の立つ噴水の前。雨の中傘も刺さずに立ち尽くす二人に、機動隊員達は静かに銃を構えた。



「やっぱりこういうクラシカルなやつはオレ達にはあんま似合わねぇよな?」
「そう?十分可愛いと思うんだけどなぁー」
濡れたスカートの両端を手で掴んだナツキとフユキは、お辞儀をしながらそれを耳の高さまで持ち上げた。
 フリルのあしらわれた可憐な見た目のメイド服とは似つかわしくない、無骨な自動小銃と擲弾発射器がスカートの中から姿を表して地面に落下する。彼等がその場でくるり回転すると、装いは白い燕尾服へと早変わりしていた。

「「ようこそ、政府の狗ども」」

ナツキの足元に隠れたフユキがホルンのマウスピースに唇をあてる。青白い弾丸が自動小銃から断続的に発射されて機動隊員達の足元の土を跳ね上げた。
 彼らが一瞬目を離しているうちに今度はフユキが銃を構えており、放たれた榴弾が目の前で炸裂した。広範囲に渡って散弾が猛威を奮い、敵の戦力の殆どがその場に倒れ伏す。
 隊員達がガスマスクを装着すると、それを目視した瞬間に双子は噴水の水の中に飛び込んだ。直後に噴射された催涙ガスのオレンジ色の煙が庭に充満し、一気に視界が狭まっていく。
「慎重に近付けよ!水から上がった瞬間に撃ち殺せ!!」
噴水をぐるりと一周取り囲み、小銃の銃口を水の中に向けて待つ。
 しかし、いくら待てど双子が浮上してくる様子はない。それどころか後方から聞こえてくる仲間の悲鳴と地面に転がる鈍い音に、隊員達は動揺し始めた。
 徐々に晴れていく催涙ガスの霧。トランシーバーを手に取った隊員は、周囲を見回しながら屋敷を挟んで庭の反対側から侵入している班に連絡を入れた。
「こちらC班!応援を要せ…」
スピーカーから響くのは自動小銃の発砲音。
 慌てて周囲を見回した彼は、自分以外の隊員が全員地面に伏している事に気が付いた。


「Cってことは…あともう一箇所か…」

突然背後から肩を掴まれた隊員は、慌てて小銃を地面に落とした。ガスマスクを脱ぎながら振り返ると、そこには返り血を浴びた白い燕尾服姿の京哉が立っていた。

「山側、海側……残るは…空側?」

首を傾けながら上空を見上げると、今まさに敵がヘリコプターから降下しようという所だった。しかし、屋敷の裏手で交戦中だった双子が屋根に駆け上り、機体ごと庭に撃ち落としていた。
 呆気に取られていた隊員だが、突如強烈な痛みに襲われる。次の瞬間には、胸から血を流して地面に吸い込まれていった。
 手に握られていた太刀をフルートに戻した京哉は、屋根の上にいる双子に合図を送って敵が全員片付いた事を伝える。

 三人の連携の取れた動きであっという間に機動部隊を片付けてしまうと、実に呆気ない幕切れに欠伸をしながら戻ろうとした京哉。しかし、踵を返した刹那、背後からの殺気に気付き素早く噴水の影に身を隠した。


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 晴れぬモヤモヤを胸の中に留めながら榛埜が刑事課のオフィスに戻ると、応接間の長椅子に見知らぬ男二人組が腰掛けており課長と話し込んでいた。
 一体誰だろうと思いながら自分のデスクにつこうとした時、榛埜に気が付いた課長が彼女を呼び出す。
「卯月さん、まだ会った事なかったよね異端カルトの方々。君、英語はできるよね?」
「か…カルト?」
訝しげな表情で応接椅子に座る男二人を見やる。一人はピッチリ七三分けの髪型に丸眼鏡の人の良さそうな男。もう一人は顔の半分に白い不気味な面を付けた金髪の青年。
「初めまして、ウヅキさん。ユリエルと申します。こちらはドクタースギウラです」
にこやかに紹介を受け、榛埜はペコリと頭を下げた。
「あの…どのような方々なのでしょうか?」
日本語で課長に問うと、椙浦の方が答えた。
「我々は日本政府と協力して旋律師メロディストを始めとした音楽家達の殲滅を目指す組織です」
「殲…滅……」
その言葉に、榛埜は伊調に言われた言葉を思い出した。
「昨晩日本にいらっしゃってね、今楽団ギルドの連中と交戦中だと言ったら、一目散に飛び出して行かれて……えぇと、あの女性の名前は…」
「シェムハザです」
ああ、そうだった、と手をぽんと打った課長が愉快そうに笑った。
「シェムハザさんね、楽団ギルドアメリカ支部の副支部長を殺してくれたのは彼女だと聞きましたよ。あの男の事もスパッとやってくれると助かるんですがねぇ!」
「あの男とは?」
椙浦が尋ねると、課長はスライドに投影していた京哉の手配写真を見せた。すると、それを見た椙浦とユリエルは顔を見合わせる。
「図らずとも願いが叶ったという事だね、彼女の」
「あの旋律師メロディストさえいなくなれば、アンプは手に入れたも同然です」
彼らの会話を聞いていた榛埜が恐る恐る英語で問い掛ける。
「その男をご存知なんですか?」
「ええ、有名人ですよ。何せ、楽団ギルド専属の作曲家の息子ですから」
榛埜は焦燥と期待を孕んだ表情で生唾を飲み込んだ。今まで正体不明だった謎の男の真相に繋がるはずだと、彼女は慌てて胸ポケットからメモ帳を取り出して再び問い始めた。
「な、名前は?」
「キョウヤ・ウガミ。21歳。12月25日生まれ、山羊座のAB型」
聞いてもいない情報もベラベラと話し出したユリエルに合わせて、榛埜は必死にペンを動かす。
「彼は10歳から旋律師メロディストとして世界中を飛び回っています。超一流と言っても良いでしょう」
「10歳から……楽団ギルドはそんな子供にまで仕事をさせるのですか?例えば…人殺しも……?」
榛埜のその問いに、ユリエルはクツクツと笑い始めた。何がおかしいのかと、彼女は眉を顰める。
「彼に限らず、楽団ギルド旋律師メロディストは何でもやりますよ。金を積まれれば、ね。まったく、人の心など持たない極悪非道な連中ですよ。生きている価値はない」
目の前で繰り広げられる英語での会話についていけていない様子の課長の方を振り返った榛埜は、ユリエルから齎された情報を要約しながら伝える。
楽団ギルドの連中には生きている価値なんて無い!まったくその通りですな!ええと…」
愉快そうに合いの手を入れた課長がまた眉間を人差し指で叩きながら何かを絞り出そうとしていた。
「シェムハザ?」
「そう!シェムハザさん!頑張って欲しいですなぁ」
ガハハと豪快に笑い合っている異端カルトの二人と課長の横で、榛埜は静かに打ち震えていた。そして、顔を上げると深々と頭を下げて踵を返す。
 カツカツと踵を鳴らしながら早足で刑事課フロアを後にした榛埜を、窓際の席で居眠りをしていた筈の伊調だけが眠そうな目で見送っていた。


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 巨大な爆発音と共に、衝撃波が屋敷の窓やガラス細工を襲う。使用人達と共に地下に逃げ込んでいた灼は、地上の異変に気が付き階段を駆け上がった。1階に出て周囲を見回すと、廊下のガラス細工コレクションや窓ガラスの殆どが割れてしまっている。

「灼さん、危険なので地下に戻ってください!」
屋根から屋敷の中に入った双子が彼女の元に駆け寄る。そして、床の上で粉々になった作品達を見て眉を下げた。
「さっきの爆発で割れたのか…」
ナツキは呟きながら木製のサッシごと破壊された窓から庭の方に視線を移した。
「これは一体…?」
「ボク達が警察の機動隊を制圧した後、何者かが敷地内に侵入してきたみたいです」
フユキも庭の様子を見やる。死体の散らばる大穴の空いた空間。一度舞い上がった土煙は降り続く雨ですっかり晴れ、破壊されたその全貌が徐々に明らかになってきた。




 覆い被さってきた機動隊員の身体を持ち上げ、横に薙ぎ払った京哉は警戒しながらゆっくりと立ち上がる。そして、破壊され尽くした庭の中でポツリと佇む一人の女の姿を視認した。首からぶら下げたストラップの先に、ソプラノサックスが装着されている。

「反応良いね。コレで無傷とか俺のハートが傷付くんだけど」
英語で聞こえて来た女の声。京哉は燕尾服に付着した土を払いながら答えた。
「傷付いた奴の表情じゃねーよな。何がそんなに嬉しいんだよ?」
堪えていた笑いを表に出したシェムハザは、京哉の方を指先す。
「リュー・イーソウ!決勝戦はシビれたぜ!俺はあの戦いを見てアンタの大ファンになったんだよ」
忘れかけていたそのリングネームは、上海の武闘賭博に参加した時のもの。
「アレは架空の人物なんで、存在しませーん。お帰りあそばせ」
フルートについた土を払い落とした京哉は、それを構えて息を吹き込んだ。青白い光を放って太刀に変形する姿を間近で見たシェムハザは嬉々とした表情でソプラノサックスのリードを食む。
「ソレがお前の本気じゃねぇのは知ってんだよ。早く見せろって…猛獣を狩った超絶技巧!」
数歩前に出た彼女は、先程の大爆発で砕けてしまった噴水の瓦礫を手に取って京哉に向かって投げ付ける。そして、すかさずサックスの演奏を始めた。
 投げつけられた瓦礫を京哉が避けた瞬間、目の前に転がっていた壊れた噴水の本体が前触れなく爆破粉砕する。ノーガードの身体にまともに爆風を浴びてしまった京哉は後方に聳える屋敷の壁に背中から叩きつけられた。


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 ズルズルと地面に座り込んだ京哉の前まで歩み寄ってきたシェムハザは、その場にしゃがんで彼の顔を覗き込んだ。
「ワケわかんねーだろ?どうして爆発した?って面してるなァ?」
額を伝う血を拭った京哉は太刀を振りながら地面を蹴って彼女との距離を取る。
 シェムハザの言う通り、何故爆発が起こったのか京哉には全くわからなかった。次の出方を見ようとするあまり、攻撃に転じる事ができない。
 警戒している彼の様子を見てニヤリと笑ったシェムハザは、屋敷の壁に手を触れながら立ち上がると再びリードを食んだ。すると、次は屋敷の壁に使われている煉瓦が一斉に弾け散り、巻き起こった爆風で京哉は大穴の底に吹き飛ばされた。
「おーい、早く大技出さねぇと死んじまうぞー」
穴の中に向かって大声で呼び掛けるシェムハザの方を睨み付けた京哉は、右手の太刀をフルートに戻す。手で地面を押してふらつく身体を支えながら立ち上がった京哉は、瓦礫を足場にして大穴から抜け出した。
 フルートを構えてリッププレートに下唇を乗せる。そして彼が息を吹き込む瞬間に違和感を感じたシェムハザは、数十メートル程後方に移動して京哉との間に大きく距離を取った。
 彼女の行動を見た京哉は、舌打ちして演奏するのを止める。
「チッ……バレたか」
「人様の楽器溶かそうなんて、アンタそれでも音楽家?」
大声で文句を言うシェムハザは、右手を空に向けて翳し、雨粒で掌を濡らしてからリードを食んで息を吹き込んだ。今度はどの方向から爆風がくるのかと身構えた京哉。
 しかし、次は周囲に降り落ちる雨と足元の水溜りが水蒸気爆発を起こし、防ぎようがない。全身を圧迫されるような痛みと共に、京哉は喀血してその場に膝をついた。

「なぁ、そろそろつまんねーから殺しちまっても良いか?こんなに骨の無ェ奴だとは思わなかったんだけど」

幻滅した様子で唇を尖らせたシェムハザは、ザクザクと水を含んだ土を踏みしめながら京哉に近付くと、彼の口元から流れる血液に触れようと膝を曲げた。
 指先が触れる間際にシェムハザの手首を掴んだ京哉は、立ち上がる勢いで彼女を背負い投げようと宙に浮かせる。しかし、手を離す間際にフルートを掴んだシェムハザがニヤリと歯を見せてからソプラノサックスを吹き始めた。
 京哉は咄嗟にフルートを放り投げて腕でガードする。その直後にフルートのキーがバラバラに弾け飛び、三本の短い筒になって地面に転がり落ちた。

「さて、終わりにしようかな。これだけ耕せば屋敷ごと飛ばせるんじゃねーか?コレで」

そう言いながら、シェムハザは捲れ上がった石畳の下にある土を一掴みしてパラパラと雨に流した。



 シェムハザは手に持った物質の固有振動を感知できる超感覚の持ち主であり、その振動数に合わせた音エネルギーの波を与えて極大化、爆破させることができるのだ。
 触れたものを爆発させることのできる強力な能力であるが、彼女は固有振動を数字としてではなく波の形のニュアンスとして捉えているため、記憶に留めておくことができない。
 よって、直前に触れたものが次の爆破対象となるのだ。


 足元の土が全て爆発すれば、屋敷は愚か周囲の建物、そしてガラスの楽器が隠された地下にすら甚大な被害を齎す。
 何とか彼女を止めねばと動こうとするが、京哉は楽器を破壊されてしまい肉弾戦に持ち込むしかなかった。


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 意を決して飛び込もうとしたその時、屋敷の正面玄関から飛び出したフユキの榴弾がシェムハザの足元で炸裂した。
「京哉クン!ボク達でなんとかします!灼さん達をお願いします!」
京哉の楽器が破壊された瞬間を見ていた双子。次々に銃撃を仕掛けて演奏の隙を与えない。
 シェムハザの注意が逸れた隙に屋敷の方へと駆け出した京哉は、双子とすれ違い様に一刻も早くこの場から離れるべき状況であることを伝えた。
「アイツの攻撃…手で触ったモンが爆発する」
「ああ、見てたぜ!下手したらこの敷地ごとブッ飛んじまうかもしれねぇ!」
フユキと交代で銃を握ったナツキが銃声に負けないよう大声で答えた。
「行け、右神!地下室の人間と楽器持ってなるべく遠くに避難しろ!」
早く向かえと目で促したフユキに頷くと、京哉は灼達のいる地下室に向かって走り出した。



 ガラス窓、ディスプレイされた作品達全てが割れてしまっている廊下を進み、突き当たりの階段を転がるように駆け降りる。そして鍵の掛けられた扉を3回ノックした。中から2回コンコンと返ってきたのを確認して、最後に4回ノックする。内側の錠が落ちる音が響いて、灼が顔を出した。
「灼さん…想定外の敵が現れました。このまま屋敷の敷地内にいては、皆さんの命が危ない。楽器を持って一度遠くに避難します」
シェムハザから受けたダメージが蓄積しており、ゼエゼエと苦しそうに息をしている京哉の必死の訴えを聞いて事態の緊急性を把握した灼はすぐ首を縦に振った。そして踵を返すと、地下室の奥で怯えていた使用人達に向かって落ち着いた口調で話し掛ける。

「みんな、聞いてくれ。これから、安全な場所に避難する。女性はそのまま地上に出て、屋敷の裏手から六本木ヒルズ跡の方に向かってくれ。男性は済まないが、私と一緒に楽器を運んでもらう」

灼の指示を聞いた使用人達はお互いの顔を見合わせながら大きく頷いた。そして、次の瞬間には統率された動きで避難を開始する。
 素早い動きで地下室から人が消えていき、最後の一人を見送った灼に続いて屋敷の中を駆け出した京哉だったが、背後から彼を呼ぶ声で足を止めた。
 京哉の足音が消えた事に気が付いた灼は慌てて足を止めて振り返る。
「京哉君!?」
「灼さん…先に行っててもらえますか?」

踵を返した京哉は、一歩ずつ迫り来るシェムハザを睨み付けた。その両手には血塗れの双子の姿。

「ヒデェなぁ…仲間置いていくのかよ?」

二人を床に投げ捨てると、シェムハザは苦しそうに唸っている彼らの顔に着いた血液に指先で触れた。

「ふぅん……一卵性の双子でも微妙に違うんだ。じゃあ、まずはセミロングの子からだな」
ナツキの身体にもう一度触れたシェムハザは、ニヤリと笑いながらソプラノサックスを構えた。
 体の中で血液が爆発すれば、彼の肉体はただでは済まない。彼女に向かって走り出した京哉は彼女の胸倉を掴んで頭突きを食らわす。食んでいたリード部分が前歯に当たり、彼女は口から血を流した。
 口元を押さえながら京哉を睨みつけたシェムハザは、よろけながら咄嗟に京哉の燕尾服の裾を掴んで血だらけのリードで演奏を始める。両手首の位置にあるボタンがバチバチと弾けて燃え上がり、京哉はすぐに燕尾服を脱いで放り投げた。彼の腕は、手首から肘にかけて火傷のように赤く腫れていた。


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「そういう事すんだ、お前……超ムカつくな。後ろの一般人は逃してやろうと思ってたのに、やーめた」
シェムハザは前屈みになると、床板を指先でなぞってソプラノサックスに手を戻した。
 後方を見やるがまだ避難は完全に完了していない。床が爆発すれば灼や使用人達も大怪我は免れない。京哉は攻撃を阻止するべく彼女の目前に走り込んで腕を掴むと、力づくで引き寄せて背後を取った。そして、両腕を彼女の脇の下から差し込んで羽交い締めにする。
「時間稼ぎかよ…っ!情けねぇ奴だな!」
拘束から抜け出そうと激しく踠くシェムハザを押さえ込み、京哉は避難する使用人達の列の最後尾についている灼に向かって叫んだ。
「急げっ!!この建物から離れろっ!!床が吹き飛ぶかもしれない!」
京哉の声が耳に入った灼は慌てて振り返る。そして彼女は、怪我を負いながら敵と思しき女を押さえ込む京哉と血だらけの状態で倒れ込む双子の姿を目の当たりにした。
「……っ!君達も早く逃げなければ危険だ!」
彼らの元に戻ろうとした灼を制止させると、京哉はシェムハザを壁に押さえ付けた。
「僕達は命に代えても依頼達成を全うする!そう教育されてますから!」
そう言って歯に噛んだ京哉に向かって、灼は苦悶の表情を浮かべながら頷く。

 彼女が再び裏手に向かって走り出したのを確認すると、京哉はシェムハザが壁に触れないように後ろ手に拘束しようと腕を捻る。
 しかし、肘を張ってそれを阻止してきた彼女の後ろ蹴りで距離を取られる。解放されたシェムハザはすぐに割れ散らかったガラスを拾い上げて京哉の方に投げ付けた。
 投擲を去なして彼女の方を見た瞬間には周囲に散らばっていたガラス片が炸裂し、京哉や双子の身体に破片が突き刺さる。
「命に代えても、とかサムすぎんだよ……」
そう呟いたシェムハザは再びガラス片に触れた。身体の至る所にガラスが突き刺さった状態の今、それらが粉砕すれば大ダメージは免れない。
「お前をぶっ殺した後、逃げた奴らも皆殺しだ!バーカ!!」
舌を出して大声を張った彼女の足元で突如現れた榴弾が炸裂し、倒れた拍子に砕けたガラスが腕に突き刺さった。
「これで……ガラスは爆発できません…ね……」
息も絶え絶えに顔を上げたフユキと、その隣でマウスピースから口を離したナツキ。まだ二人の意識あがある事に嬉しさを感じながらも、尚圧倒的不利な状況で有効な攻撃手段を持たない京哉の顔には焦りが滲み出ていた。


…………………………………………………………………………………




 屋敷の裏手から最後の使用人が楽器ケースを担ぎながら外に飛び出す。灼の誘導で彼らは敷地から離れた安全な場所に移りつつあった。

「社長も早くお逃げください!この場にいては危険です!」
いつまでも屋敷から離れようとしない灼の様子を見かねて、メイド服の使用人が彼女に説得を試みた。
「社長!」
「お逃げください!貴女を失っては困ります!」
他の使用人達も口々に彼女に避難を促そうとする。しかし、目を瞑って俯いた灼は口元に笑みを浮かべてそれを拒否する。

「……お祖父様が今この場にいたら、きっと私は叱られてしまっているね」




 矢馬岸硝子工房の初代社長であり、優秀なガラス職人であった灼の祖父。彼は幼くして両親を事故で無くした灼を引き取り、娘のように手を掛けて育て上げた。
 そして、灼も祖父の事を大変慕っていた。何よりも、彼の作り出すガラス工芸を愛していた。だから、彼女が祖父の部屋に忍び込んで彼の作品を誤って割ってしまった時、一日中涙を流したという。そんな彼女の様子を見て、祖父は彼の理念を教えてくれた。
「灼、怪我したんだってな?爺ちゃんのガラスが割れたの、拾おうとしてくれたのかい?」
泣き伏せる彼女に、祖父は優しく問いかける。
「だって……大事なものなのに…あんなに綺麗だったのに割れて…可哀想だから……」
灼が涙ながらにそう伝えると、祖父は笑顔を見せて答えた。
「灼、ガラスは生き物だ。爺ちゃんが命を吹き込んで作ったからな」
「……私、生き物なのに壊しちゃったの?」
「それは違うな。生き物はいつ、どこで、なにがおこってこの世からいなくなるかわからない。どんなに気をつけてても、突然なくなっちまうことだってある」
祖父の言葉に、灼は両親の事を思い出した。
「だがな、そいつが宿命ってやつだ。命ある限り、何処かで必ず終わりは来る。人だって、物だって同じだ。その時、終わる運命だったんだ。いつまでも拘ってちゃいけねぇ」
それは、普段気丈に振る舞っていたが、彼女が両親を想い影で涙している事を知っていた祖父から彼女への慰めと励ましの言葉でもあった。
「だから、爺ちゃんの作品が壊れたとしてもそんなに泣くもんじゃねぇ。自分の手、傷付けてまで拾う必要はねぇんだ。でも、たまに思い出してくれたら壊れちまった奴らも嬉しいだろうな」
そう言って笑い掛けてきた祖父の事を、灼は昨日の事のように思い出せるのだ。




「先に行っててくれ。これは命令だよ」
そう強く言われてしまい、使用人達は引き下がるしかない。そして、屋敷の中に戻っていった灼の背中を心配そうに見つめる事しかできなかった。



…………………………………………………………………………………



 シェムハザと距離をとって対峙する京哉は、彼女の次の動きに注視していた。最後に触れたのはガラス。しかし、今彼女の腕にも大量のガラス片が刺さった状態である。爆発させることはあるまい、と考えていた。
 しかし、シェムハザは躊躇う事なくリードを食むと演奏を始めた。目を見開く間に、三人の身体に突き刺さったガラスが粉砕する。皮膚を割く強烈な痛みが全身を襲い、白い燕尾服の殆どが彼らの血で赤黒く染まっていた。一方で、彼女に刺さったガラスや周辺のガラス片は割れてすらいない。

「勘違いお疲れさんだな!範囲ぐらい調整できるに決まってんだろ!」

彼女が先程床に触れた時に気付くべきだった。同じ木材の上に立つ使用人達の避難列を襲おうとしていた事に。

 ボタボタと足元に血が垂れてふらつく京哉だったが、より深刻な怪我を負ったのはナツキであった。大きなガラス片が心臓付近に突き刺さっていた為、胸から大量に出血している。隣でそれを見ていたフユキは、兄の呼吸が徐々に弱々しくなっていく事を感じていた。
「……ナツキ…大丈夫だよ……きっとなんとかなる…」
フユキが根拠の無い励ましをすると、ナツキは口元に笑みを浮かべた。そして、静かに瞼を閉じる。

 呼吸をしなくなったナツキの様子に、シェムハザは愉快そうに高らかに笑い始めた。
「ギャハハハハハっ!旋律師メロディストって超簡単に殺せんだなぁ!それともお前達が弱すぎるだけかー?」

呆然とするフユキの目からは涙が溢れていた。

「さて、次は誰が死にてぇんだー?楽器も持ってねぇ一般人にするか?それとも、片割れが死んで傷心中のテメェにするか?」

指差されたフユキは、上体を起こすとフラフラしながらゆっくりと立ち上がった。
「…フユキ……お前ももう…」
「……お互い様じゃないですか、京哉クン」
一歩踏み出すたびに廊下の床が彼の血で汚れていく。ニコリと笑ったフユキはグレネードランチャーを構えた。
「ナツキが…残してくれた榴弾があと三発あります……京哉クン、何とかできそうですか?」
時間を稼ぐと言うフユキ。しかし、京哉は彼の問いに首を縦に振ることが出来なかった。楽器も無い、肉弾戦にも持ち込めない相手にどう立ち向かえば良いのか。


…………………………………………………………………………………



「京哉君!苦戦している理由はコレだろ?」


そんな時に聞こえてきたのは、逃げた筈の灼の声だった。何故屋敷の中に…そう問おうとした時、大事に抱えていた楽器ケースを事もあろうに京哉に向かって投げ付けた。飛んでくる直方体を両腕で抱き止めると、慌てて灼の方を向いた。

「灼さん……でも…コレは…」

「人の命に代えても守りたい宝なんて無い!」

ボロボロにされた屋敷の至る所に散らばったこの家の宝の数々。
傷付き、倒れ伏す仲間の姿。
明らかに任務失敗である。

 しかし、力強くそう叫んだ灼の言葉はそれを否定していた。

 京哉はそっと楽器ケースの蓋を開ける。
 気泡一つ無い、透き通ったガラス製のフルート。それを取り上げると、リッププレートに下唇を置いて息を吹き込み、音程の狂いを確かめる。
 そして、銃を構えていたフユキに呼び掛けた。
 今度は自信に満ちた強い眼差しで。

「何とかするさ……任せたぜ、相棒……っ!」

超絶技巧『素戔嗚尊スサノオノミコト』の演奏が始まった。


…………………………………………………………………………………




 榛埜が現場に駆け付けた頃には、既に庭は元の様相を完全に失って瓦礫の山と化していた。そして、停車していたパトカーの影から、外壁が砕け散り全ての窓ガラスが割れた敷地内を双眼鏡で見渡す。
「……何が起こったの……?」
口を衝いて出た榛埜の独り言だったが、それに答える男の声が聞こえる。
旋律師メロディストと課長のお客さんのツレが派手にやり合ったんでしょうよ」
慌てて振り返ると、榛埜の視線の先には欠伸をしながら近付いてくる伊調の姿があった。
「い、伊調さん!?何で此処に…」
「いやぁー、君がソレ言う?黙って出てきたでしょ?業務契約違反で謹慎になっちゃうよ?」
痛い所を突かれた榛埜は硬直して口籠る。
「ま、オレには教育係として榛埜チャンの身の安全を守る義務があるのでね」
彼女の横にしゃがんだ伊調は、屋敷の中から飛び出してきた三人の人影に目を凝らした。





 土に触れて演奏を始めようとしたシェムハザに向けてフユキが発砲する。足元で榴弾が爆発して土煙が舞った。
 瓦礫の山、銃声と爆発音、そして血だらけの燕尾服を纏った男達。戦場を背景に流れる美しいフルートの旋律が響き渡り、あまりに不釣り合いな両者の存在が異質な空間を生み出している。

 激しく上下するキーが管に押し付けられる度、徐々にヒビが入っていく。京哉の生み出す音エネルギーの大きさに、フルートの強度が限界をむかえつつあったのだ。
 京哉は祈るような気持ちで演奏を続けながら、フユキの動きを目で追う。身体はとうに限界を超えていた。それでも超絶技巧を完奏させるために時間を稼いでくれている。

「死に損ないが!さっさとくたばんな!」

 フユキの足元の土が爆発を起こし、彼は膝から崩れ落ちようとしていた。地面に吸い込まれる間際、最後の一発を放つ。シェムハザの足元に着弾した榴弾で土が舞い上がり、彼女は顔を背けながら大きく後退した。

「…京哉クンっ!」

フユキが地を這いながら叫ぶ。


 亀裂の入った部分からガラスのフルートが割れ、最後の一音の直後に甲高い音と共にバラバラに砕け散った。灼は祖父の楽器が地面に吸い込まれていく様を京哉の後ろで見つめていた。
「……お爺様…」
あの日の祖父の姿を思い出しながら、これで良いのだと灼は静かに目を瞑る。



…………………………………………………………………………………



 赤い閃光と共に京哉の差し出した右手に雨叢雲剣アメノムラクモノツルギが出現する。そして、七本の剣が降臨し、破壊された庭のあちこちに突き刺さった。

「勿体ぶってねぇで最初から出せよ!」
嬉々とした表情でフユキの上を飛び越えていったシェムハザは、砕かれた石畳を拾い上げて京哉に投げ付ける。リードを食み指が動くと、彼女が投げ付けた石材と同じものが爆発を起こし、地面が大きく隆起した。

 腹の中をオロチが蠢く痛みに歯を食いしばりながら、京哉がひと太刀を振るう。すると、爆発で盛り上がった地面が削がれ一瞬で凪いで鎮まる。巻き起こった風圧がシェムハザを襲い、彼女は屋敷の塀を越えて向かい側の廃屋まで飛ばされていった。




「っ……!?人が飛ばされてきましたけど!?」
パトカーの影から覗き込んでいた榛埜が、廃屋の錆びついたガレージを破壊したシェムハザの方を指差して動揺し始めた。
「おう、そだね。アレが奴らの戦いだから」
ケロっとした態度で返す伊調は、シェムハザの後を追って来た京哉の方に視線を移した。榛埜も手配書で見た顔を目の前にして緊張した面持ちだった。





 瓦礫を押しのけ、ゲラゲラと笑いながら立ち上がったシェムハザ。頭からダラダラと血を流し、右肩は脱臼している様子だった。
「良いねェ……やっと愉しくなってきたじゃん…!」
彼女がリードを食む動きを見せた瞬間、大きく踏み込んだ京哉の剣がその腹を貫いた。ボタボタと口から溢れ出す鮮血でリードが必要以上に濡れてしまい、息を吹き込もうにもそれは叶わない。そして、腕の力が抜けて落下したソプラノサックスはストラップにぶら下がったまま首から宙吊りになった。
 仰向けに倒れたシェムハザの上に跨った京哉は、三本目の剣を彼女の首に当てがう。苦しそうに息を荒げる京哉の呼吸に合わせるように、剣が消え掛かって留まってを繰り返していた。

「……何だよ?聞きたい事でもあんのか?」
すぐにトドメをさそうとしない京哉は、シェムハザの上で吐血した。彼の血で上半身が血だらけになったシェムハザは、今度は気の抜けた笑いを見せる。
「きったねぇな……死にそうじゃねーか…」
「……っ、ファンサービスだ……ありがてぇと思え…」

血で殆どの布地が赤黒く変色したドレスシャツの袖で口元を拭って、両手で柄を握りしめた。

「……自己紹介させてやる。ファン冥利に尽きるだろ?」
「ははっ…そうだな…」

乾いた笑い声を漏らすものの、シェムハザの目は既に何も見えていない状況だった。虚げにガレージの屋根を見上げている。

「…名前は…シェムハザ。コードネームだけどな…。異端カルトの使徒ってやつさ……アンプを手に入れるために日本に来た…」

聞き覚えのない単語に、京哉は聞き返す。
「アンプ…?」
「…シェスカの遺作……お飾りにしとくならいっそのこと異端カルトに売っちまったほうが良いんじゃねーの?」

 シェスカの遺作。それは、オルゴール作家オルバス・シェスカが最後に手掛けた作品…もとい、人体実験を施したシェリアーナ・シェスカの事である。
 目を見開いた京哉は、剣を更に首に押し付けながら問う。

「……アイツをどうするつもりだ…?」
「どうって……ああ、元愛玩動物だったな。あんな人造人間でもヤりてぇと思うクソ野郎は五万といる訳だ。お前もそのクチか…よ…」

そう言い終わるか否か、京哉の顔から表情が消えて無言のまま剣を振り上げると、シェムハザの口から喉の奥を通って後頭部まで一気に貫いた。

 ギョロギョロと動く目玉を見下しながら立ちあがろうとした京哉であったが、そこで意識を失うとシェムハザの隣にうつ伏せになって倒れ込んでしまった。


…………………………………………………………………………………




 静まり返った廃屋内を双眼鏡で見渡す。二人が血塗れで倒れている様子を発見した榛埜は、スーツの胸ポケットに手を突っ込んでPHSを取り出そうとした。しかし、その手を押さえ付けたのは隣にしゃがみ込んでいた伊調である。

「待て待て、俺がやる。榛埜ちゃんが本部に連絡したら、此処に黙って出てきた事バレちゃうでしょ」
「で、でも伊調さんこそ…」
「俺が榛埜ちゃんを指導の為に此処につれてきた、おーけー?」
パチンとウインクを決めた伊調に鳥肌を立てた榛埜は、顔を顰めながらポケットから手を抜き去る。

 自分のPHSを取り出した伊調は榛埜にその場に待機するように指示を出し、破壊された廃屋の入り口まで歩み寄った。
 完全に息絶えたシェムハザと、その横で浅く短い呼吸を繰り返す京哉。二人の状態を確認すると、電話帳を開いてある人物に連絡を入れた。


「……あ、もしもし?起きてる?珍しー…え?今日本にいんの?じゃあ丁度良かったー。君の息子、死にかけてんだけど……」






[25] Serenade 完
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