MELODIST!!

すなねこ

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#026 Serenade Ⅱ

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東京都・38歳女性「こんなご時世だ。生音を聴ける機会なんて無いと思っていたんだ。あんな状況じゃなければ、ちゃんと座って心落ち着いた状態で彼の演奏を聴いてみたかったよ。今度屋敷に招いてみようか」


…………………………………………………………………………………




 品川区のクリニック跡を改築した場所が、麗慈の新たな拠点になっていた。

 朝方の大雨の中、鬼頭によって運び込まれてきた三人の急患。
 意識の残っていたフユキ、意識は無く辛うじて呼吸のある京哉、そして心肺停止状態のナツキだ。

「…麗慈クン……二人とも…助かるよね?」
今にも泣き出しそうな震える声で尋ねるフユキも、すぐに処置が必要な程出血していた。
「……お前ら双子の血液型は?」
麗慈はフユキの問いに答える事はなく、応急処置を進める為の準備を始めた。
「B…」
消え入りそうな声で返したフユキ。もう疲れ果て、指の一本も動かす事が出来なかった。そして、徐々に薄れていく意識の中で、最後に目に入ったのは最愛の兄の姿であった。







 有栖川家は北海道の旧家であった。跡目争いが起こらないようにと、家の者達は弟のフユキをナツキから遠ざけて育てる事にしたという。ナツキは自分が双子である事すら知らされていなかった。
 利発な子供であったナツキを可愛がる一方で、座敷牢の中で育てたフユキに対しては皆辛くあたっていた。彼は日の当たらない場所からいつも母に愛されているナツキを見て、羨ましがることしか出来なかった。

 彼等が10歳になった年、ナツキは法事で両親が居なくなった隙を見て、それまで入る事を禁じられていた開かずの間に侵入していた。
 呪物が封じ込められていると教え込まれていたナツキは、ただの悪戯心と冒険心で其処に足を踏み入れたのだ。

「……誰?」

啜り泣く声に気が付いたナツキは、恐る恐る声を掛けた。すると、その声はピタリと止んでしまう。本当に心霊の類なのかと恐ろしくなったナツキであったが、それ以上に奥の暗く湿った空気の漂う空間が気になって仕方がなかった。

 思い切って木でできた牢屋の近くまで走り寄ると、そこには自分と同じくらいの背格好の少年が俯きながら正座をしていた。
「………生きてる?人間?」
尋ねるが、返事は無い。ナツキの方に視線を上げようとしなかった。ナツキは彼が腕に酷い火傷を負っているのを見つけ、慌てて壁に掛かった鍵を手に取って牢屋の南京錠を開けた。
 中に入って彼の目の前に座ると、古い着物の袖をめくって痛々しい腕をまじまじと見つめた。
「痛くて泣いてたんだろ?」
「………」
「何で何も話さないんだよ?」
「………」
「…オレはナツキ。お前は?」
その名前を聞いた瞬間に、彼は顔を上げた。ナツキの顔を見て、口を戦慄かせる。ナツキの方も彼の顔を見て目を見開いた。
「何で…オレと同じ顔……?」
驚いている様子のナツキを見て、彼は掠れた声でやっと話し出した。
「……ボクたち、ふたごなんだ」
「双子…」
そう繰り返したナツキに、フユキはコクリと頷く。
「きみはお兄ちゃんだから、とても大切なんだよ。でも、ボクは要らない子だから、此処に閉じ込めておくんだ」
自分が双子であることを知り喜びを覚える一方で、血を分けた弟が酷い扱いを受けている事にナツキは憤りを感じた。


…………………………………………………………………………………



 隣り合って座り、ナツキはフユキから今まで受けてきた仕打ちについて話を聞いた。腕の火傷は前の日に受けた折檻の痕であるという。日に何度も体罰を受けて育ったフユキは完全に萎縮してしまっていた。
「一体誰がそんな酷い事をするんだ?」
ナツキが問い掛けると、フユキは目線を伏せて膝の上に置いた両手をギュッと握りしめた。
「……おとうさまだよ」
ポツポツと溢れた涙が彼の手の甲に落ちる。
 ナツキは最初、彼の言う事を信じる事ができなかった。父親はとても優しく、一度も怒った顔など見せた事のない人だったからだ。ましてや、手を上げるなど…。
 しかし、フユキの顔に残る痣が、腕に残る火傷の痕がそれを証明している。
「お母様に相談してみよう。オレの大切な弟だから、きっと助けて…「おかあさまは…ボクに言ったよ。必要のない命だって。産まれて来なくて良かったのにって…」

 彼等の母親は、政略結婚で嫁いで来た嫁であり姑や古くから家に仕える従者達には良く思われていなかった。そして、ようやく出来た後継が双子という事でかなりいびりを受けたのだという。
「ボクが産まれたせいで、おかあさまは辛い思いをしてるんだ……だから、罰を受けるのは当然なんだって…」
同じ顔をしているというのに、並んで話をしているというのに、ナツキはフユキがとても遠くにいるように感じた。
「おとうさまは…ボクを物のように扱うんだ。毎週日曜の晩……ボクはおとうさまがこの牢屋に来るのが恐ろしくてたまらない…」

 フユキは父親から性的虐待を受けていた。母親が父親との間になかなか子を授からなかった理由は、彼の性的嗜好によるものだった。小児性愛者であり、自分と血の通った息子でさえも手に掛ける異常者である。母親も、他の使用人達も、その事を知っていた。知った上で、誰もフユキの事を助けなかったのだ。

 初めて自分の気持ちを打ち明けたのだろう。フユキは次から次に流れ出す涙を止める術が無く、ひたすら目を擦っていた。そんな彼の手を掴み抱き寄せると、ナツキは彼の頭を撫でた。
「…オレが必ず助けてやる」
「そんなの……できないよ…だって……大人は大きくて怖いんだよ…?」
「できる。オレはお前を助ける。だって…お兄ちゃんなんだぞ?」

必ず助ける、そう何度も告げる兄の力強い言葉に、フユキは彼の背中に手を回して抱きしめ返した。



…………………………………………………………………………………



 その日はちょうど日曜日の夜だった。
 ギシギシと床を鳴らしながら近付く足音と共に、ぼんやりとした薄明かりが座敷牢の中を照らした。
 ガチャリと開錠する音と共に蝶番が軋み、父親が恍惚の表情を浮かべながら牢屋の中に入ってきた。

 硬い床の上に押し倒された彼。荒い鼻息で着物の合わせから手を入れ、力任せにはだけさせてきた父親の見る表情に酷く失望した。そして、痣や火傷の無い体躯を見て動きを止めた父親に、蔑むような眼差しを向けた。

「そうやっていつも、弟を傷付けてたんだな」

声を聞いてそこにいるのがナツキだとわかった父親は、慌てて手を離した。

「ナツキ…!?何故お前が此処に…」
「何故?そんなの決まってんだろ!」

父親を蹴って壁に突き飛ばしたナツキは、急いで立ち上がって座敷牢から出る。そして、父親が牢の外に無造作に置いた鍵を拾い上げて鍵穴にさした。ガチャリと錠の落ちる音がして、父親は慌てて牢の外を向く。

「ナツキ!何をするつもりだ!早く開けなさい!」
「まだわかんねぇのかよ…コイツと一緒にこんなクソみてぇな家出てってやるんだよ!」

物影から姿を現したのは、ナツキの着物を纏ったフユキだった。目を見開いた父親は、表情を一転させる。牢の格子を掴んでガタガタと揺らしながら吼えた。

「フユキっ!お前がそそのかしたのか!!助けを乞うたか!!」

罵声を浴びせ続けられ俯いてしまったフユキの手を掴んで、ナツキは走り出した。

 騒ぎを聞きつけた使用人達が二人を取り押さえようと手を伸ばすが、それらを身を翻しながら躱しあっという間に屋敷の門戸まで辿り着いてしまう。

「ナツキっ!」

門の外に出た瞬間、玄関から飛び出してきた母親に呼び止められて、二人は立ち止まって踵を返した。心配そうな表情でじっとナツキだけを見詰めている。その様子を見て、フユキの目からはポロポロと涙が溢れていた。

「オレの弟を泣かす奴は家族じゃない」

それだけを言い放ち、ナツキはフユキの手を掴んで再び走り出した。

 着の身着のまま、靴すら履かずに裸足で飛び出してきた二人。初めて外の世界を見たフユキは、その広さに目を輝かせていた。



 そして、港まで辿り着いた二人は、高く積まれたコンテナの山の一角に、扉が開いたままの場所を見つける。誰も見ていない事を確認しながらそこに入り、扉をそっと閉めた。幸いにも空気を循環させる為のファンが回っており、息苦しくない。
 ドサッと床に倒れ込むと、顔を見合わた二人は思わず笑ってしまった。
「ボク…こんなに疲れたの初めて…!」
「オレだって裸足でこんなに走んの初めてだ!」

 ひとしきり笑った後、急に不安が込み上げてくる。家の者は追いかけて来てるだろうか。もし見つかったら、フユキはどうなってしまうのだろうか。これから、どうやって生きていけば良いのだろうか。
 笑いながら涙がポロポロと溢れてきて、感情がぐちゃぐちゃになっているうちに、疲れ果てていた二人はそのままコンテナの中で眠ってしまった。



…………………………………………………………………………………



 左右に大きな揺れを感じ、ナツキは目を覚ました。そして、コンテナの扉が完全に閉まっている事に気が付いて慌てて立ち上がる。
「フユキ…おい、起きろ!」
真っ暗で殆ど周囲が見えない中、手探りでフユキを探し出しその手を握った。
「ヤバい…コンテナの中に閉じ込められた!」
「えっ……!?」
ナツキの声で飛び起きたフユキも、揺ら揺らと揺れ続ける狭い空間を見回して表情を強張らせた。
「もしかしたら、船に積まれたのかもしれない…」
「そんな…!じゃあ…いつ外に出られるかわからないってこと…?」
眉を顰めたナツキは、静かに首を縦に振った。




 1日、また1日と経過していく。喉の渇きと飢えが彼らを苦しめた。そして、常にユラユラと揺れ続ける狭いコンテナの中、このまま死ぬのかも知れないという恐怖が二人の脳裏に浮かび始める。


「ごめん、フユキ」

体力を使わないようにと、並んで天井を仰いでいた時だった。ナツキが唐突に謝ったのだ。

「…どうしたの?急に…」
「せっかくお前を…外の世界に連れ出したのに……」

そこから先を口に出すのは恐ろしかったのだろう。涙が出そうになるのを必死に堪えるナツキを、フユキが抱きしめた。

「良いんだ……ボクは、お兄ちゃんの弟に産まれてきて良かったんだってわかったから」

 彼は、誰にも愛されなかった自分の手を握り、抱きしめてくれた兄の存在を心から愛おしく思っていた。
 だから、これから先どんな運命が待ち構えていようとも、彼と二人なら喜んで受け入れようとしていた。




「おい、ちゃんと確認したのか?」
「したさ!」
「じゃあ、何で中から人の声が聞こえて来るんだよ!」

 コンテナの外から人の話し声が聞こえた。そして、唐突にかんぬきが取り去られ、7日ぶりに外の空気と繋がった。

 しかし、彼らの前に現れたのは理解できない言語を話す男達。腕を掴まれてコンテナの外に引き摺り出されると、二人を取り囲んでガヤガヤと何か怒鳴り散らしていた。
 得体の知れない恐怖に泣き出した二人を見て、男の中の一人が手を挙げて遠くから誰かを呼び出す。


「おい、お前らの積荷の中から子供が出てきたぞ!ちゃんと乗船料払わないなら荷物ごと海に投げ捨てるからな!」
「わかった、わかった…この場で払うからそれだけは勘弁してくれ」

そう言って懐から紙幣を取り出し、男達に運賃を支払ったグレーの髪の男。楽団ギルド取締役社長のハロルド・ロジャーであった。


…………………………………………………………………………………



「……ユキ…フユキ起きろ…!」

 名前を呼ぶ声に、フユキは目を覚ました。顔を覗き込んできた彼を見て、フユキの表情はみるみる明るくなっていく。

 瀕死の重症を負ったナツキは、麗慈の『大己貴命オオナムチノミコト』によって蘇生されていた。ニッカリと笑いかけてきたナツキに抱き付いたフユキだったが、全身の痛みに思わず顔が引き攣る。

「あんま無理すんなよ。若乃宮が俺を一番先に治したせいで、右神とお前の処置までかなり時間が空いたんだ」
全身に刺さっていたガラス片は綺麗に取り去られ、丁寧に包帯が巻かれた状態になっている。
「えっと……京哉クンは?」
フユキが尋ねると、ナツキは暗い顔をした。最悪の事態を想定して、フユキも眉を顰める。


「痛い痛い痛い痛いーーーーっ!!死んじゃうーーー!」


 その時、隣の部屋から情けない叫び声がクリニック中に響き渡った。ナツキの方を向いたフユキは、彼がまたもやニッカリ笑ったのを見て釣られて笑顔になる。
 車椅子に乗せたフユキをナツキが押して、隣の部屋の引き戸をコンコンと叩く。はーい、と気のない返事が返ってくると、ナツキが戸を開けて中に入った。

 病室のベッドを囲うカーテンの切れ目から麗慈が顔を出し、フユキの状態を診る。
「大丈夫そうだな。長い間寝たままだったから心配したが…」
首を傾げたフユキは、ナツキの方を見上げる。
「お前、丸一日死んだように寝てた。オレもさっき起きるまでヒヤヒヤしてたんだぜ」
何事も無かったかのようにケロッとしているナツキの姿に、フユキは心から安堵の表情を浮かべた。

「ちょい!何のほほんとしてんだよ!痛いっつってんだろ!」

カーテンの中では京哉の処置が続いているようで、ギャーギャーとうるさい彼の相手をしている麗慈はかなり疲弊している様子だった。

「ありがとうございます…ナツキの事も、ボクの処置も…」
「ん、仕事だからな。……お前もちったぁ見習え馬鹿っ!」
そう言いながらカーテンの中に戻った麗慈は、痛がる京哉を抑えつけて刺さったままのガラス片をピンセットで取り出していた。

 でもでもだってを繰り返してまるで子供のように泣き叫んでいる京哉の声を聞いて、だいぶ元気そうだと双子は苦笑いを浮かべた。


…………………………………………………………………………………




 その日の午後、鬼頭に連れられて祐介とシェリーが見舞いにやってきた。
「やっとお見舞いできるようになったって聞いて…シェリーちゃんがずっと心配してたんだよ」

祐介がニコニコしながらこの二日間の彼女の焦燥に駆られた様子をバラしてしまう。シェリーは包帯でぐるぐる巻きにされたミイラ男状態で横になっている彼のベッドの足元に、丸いプランターに入った金木犀の鉢植えをドカっと雑に置いた。

「あーーーっ!鉢植えだし!匂い強いし!何てモン病室に持ってきてんだよメスガキ!」

指差してブーブー文句を言う京哉は、外方を向いたシェリーの目が真っ赤に腫れてる事に気が付く。そっと祐介と目を合わせると、彼はうんうんと頷いた。
 大怪我を負って麗慈の元に運ばれたと知らされてから、シェリーは一日中そわそわしながら夜も眠れていないという。そんな彼女を近くで見ていた祐介は、素直になればいいのにとつくづく思うのである。


 そして、もう一人彼らを見舞いに来た人影があった。
「愛しい息子がミイラ男になってしまっている!」
そう言いながらややこしい人間がまた一人京哉の病室に入ってくる。
「親父…」
京哉が嫌そうな声色でそう呟くと、託斗は手に持っていたツバキ、ユリ、シクラメンのタブー数え役満セットの花束をキンモクセイの鉢植えの横に置いた。
「可哀想な京哉…パパがお歌をうたってあげよう」
「ああ、本当に可哀想だよ僕は!!もうやめてくれよ…静かにしろって!」

 ガヤガヤとうるさい病室の引き戸を勢い良く開けた麗慈は、およそ医者が患者に向けるものとは思えない恐ろしい表情で静かに怒りを表している。
「……お客さん」
そう一言だけ呟くと、彼が連れてきた客人を病室内に通した。
 一礼しながら病室に足を踏み入れたのは、2日ぶりにその顔を見た今回の依頼人、矢馬岸灼だった。
「元気そうで安心したよ、京哉君」
灼はお見舞い用に誂えたフラワーアレンジメントをベッドの横の棚に置く。やっとまともな見舞いの品を届けてくれる人間が現れたことに感動している様子の京哉だったが、彼女が自分の前に現れた理由を想像して次第に体調が悪くなる。
「も、もしかしなくても……フルートを弁償しろって事ですよね……」
そう言いながら頭を抱え出した京哉を見て、灼は目をパチクリさせていた。そして、彼女の代わりに話を切り出したのは、隣に立っていた託斗だった。
「彼女はお前のパトロンになってくれるそうだよ。楽器、壊れちゃったでしょ?」
「壊しました…灼さんのお爺様が作った大事な家宝を…」
エグエグと泣いている京哉を見て、灼は笑いながら返した。
「違うんだよ。もうガラスのフルートの事は忘れてくれ。弁償も求めていない」
彼女の言葉に、京哉は状況が飲み込めない様子で眉を顰めた。


…………………………………………………………………………………



「パトロンっていうのは、その…スポンサーみたいなものですか?一般的に言う…」
京哉を挟んでベッドの向かい側から尋ねた祐介を指差した託斗はピンポンピンポン!と笑顔で肯定する。
「基本的に依頼に関する旋律師メロディストの活動費は100パー顧客持ちなんだけど…」
今度は京哉を指差した託斗。
「何らかの理由で楽器を再度調達しなきゃならない場合に発生する渡航費や楽器そのものの費用は、楽団ギルドからも依頼人からも出ない」
 シェムハザの攻撃によって、京哉は自身のフルートを復旧できない状態まで破壊されてしまっていた。そして、託斗が述べた社則を初めて聞いた京哉は口をパクパクさせながら呆然としている。
「じ…自腹ってコト?」
楽器は今、世界各国で禁止物として扱われており、その作り手も当然の如く罰せられた為、世に出回る現存数は法改正前と比較にならない程少なくなっていた。その為、ただでさえ高価な代物にも関わらず、闇市や地下競売でその値段は格段に跳ね上がる。
 それに加えて彼のフルートは特注品であり、特殊な金属加工技術を持つ人間を探し出して発注する必要があり、生半可な金額では手に入らない可能性すら出てきているのが現状だった。
「そこで援助してもらうのが、パトロン様々って訳だよ」
託斗ににこやかな笑顔で会釈され、灼もそれに合わせて頭を下げた。
「渡航費と楽器の費用を全額面倒見てくれるんだって」
「ぜ…全額!?いや、でも僕は…」
あまりにも大金が動く話に、京哉は尻込みしている様子だった。
「ちなみに…」
そう続けた託斗は、何やら指で数を数え始める。
「お前には今、13人程パトロンがいる」
「……え?誰!?」
今日初めて聞いた話ばかりで混乱し始めた彼のベッドに腰掛けた託斗は、天井を仰ぎながら名前を上げていった。
「最近ので言うと…アメリカ大使のハワード・J・ジェザリック。あと、上海の大財閥当主、レン・クー」
あぁ、と声を漏らした京哉は彼らの顔を思い出した。
「彼等に連絡を入れたら、全員快諾してくれたよ。すぐに資金提供するって」
自分の事なのに何処か他人事の様な気分で託斗の話を聞いていた京哉だったが、そのパトロンに名乗りをあげてくれた灼の方を向いて尋ねた。
「何でそんなの引き受けてくれたんですか?……依頼は失敗してしまったと思うんですけど」
すると、灼は目を細めて優しく笑った。そして、窓の外に視線をやりなからしつこく降り続く秋の長雨を見やる。
「一言で言ってしまえば、惚れてしまったんだよ」
灼のその言葉に、京哉とシェリーが「えっ!?」と同じ反応をする。
「憧れのガラス職人だった祖父の作った物だと言って、私はあの楽器達を家宝のように大事に扱ってきた。でも、あれらを受け継いだ時から今までで一番あの楽器を美しく感じたのは、君が演奏していた時間だとわかったんだ」
高価な品であるが故、資産家のコレクションとなる事も多い楽器。彼女も自分はその一人だったと言う。
「持ち主の私が、本来の価値を失わせてしまっていたんだと気付いたよ。楽器は飾る物ではなくて、奏でる物だというのに」
手を差し出した灼は、真っ直ぐに京哉を見つめた。
「君の演奏に惚れてしまった人間の一人だ。全力でサポートさせてもらいたい」
戸惑いながら彼女の手を握った京哉は、自分の事を旋律師メロディストとしてではなく一人の演奏家として評価してくれる人間がいたのだとわかり、どこか恥ずかしそうな表情で笑ってみせた。




[26] Serenade Ⅱ 完
 
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