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#030 Estremo I
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東京都・32歳男性「詳しくは言えませんがある会社の人達のお手伝いをしています。彼ら、会議の時にいつもボードゲームやらカードゲームやらで遊んでるんですが…会話の内容は頭に入ってるのでしょうかね…?」
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2003年に造られた当時最新鋭の設備が導入された重刑務所。ピョトルクフに収監された凶悪犯達は二度と外界に出る事を許されず、死ぬまで刑務を真っ当するという。
そして、その閉鎖的環境故に独自のカースト制度、刑務諸法度が作られ、力を持たない受刑者にとってはまさに生き地獄となっていた。
エネルギー革命以降に投獄された音楽家の多くはこの法ならざる法の餌食となり、日々その身に降り掛かる苦しみに喘ぎながら生きているという。
「8931番、今日から此処がお前の家だ。次の指示があるまで大人しくする事だな」
看守に呼ばれ、白黒横縞模様の囚人服を纏った京哉が牢屋の前に立った。家と言われた檻の中には眼をギラつかせた囚人が既に3人ほど収容されている。
背中を蹴飛ばされて中に入った京哉は、背後でうるさく響く錠の落ちる音に大きくため息をついた。
タングステン製のフルートを作成する技術を、ピョトルクフのどこかに捕えられているハンネスの妻から聞き出し、無事に脱獄しなければならない。
先が思いやられるこの状況で、唯一頼りになるのは外界から支援すると言っていたアランと椿の二人だ。通信手段も無い今、どのような方法で脱獄をサポートしてくれるのか、彼には到底想像できなかった。
「おい、新人!まずは先輩方に挨拶だろうが!」
奥から唸るような低い声で凄まれ、京哉は慌てて其方を振り返る。先程、檻の中から彼を睨みつけていた3人の受刑者達だった。
「あ、挨拶……ええと」
戸惑いながらも言葉を返そうとした京哉は、貨物車内でアランに忠告された事を思い出した。本名を出すと後々厄介である、と。どうしたものかと悩んでいる所、早くしろと再度威嚇され、仕方なくあのリングネームを使う事にした。
「リュー・イーソウです…」
「あ?東洋顔だと思ったがお前中国人か。言葉も流暢だが、何しにポーランドに来た?」
かつてヨーロッパを活動拠点にしていた京哉は、ポーランド語も一応守備圏内であった。それが逆に違和感になってしまっているようで、京哉はミスを犯したなぁと自嘲した。
「で、出稼ぎってやつです……その、色々と…」
アランがこさえた設定を今此処で使う気にはなれない京哉。この檻房に入るまでの間に囚人が看守達受ける身体検査の間も、彼はずっと変な目で見られ続けていたのだからもう沢山だった。
最初こそ怒鳴られたものの、先輩囚人達は気の良い奴らのようですぐにこの刑務所内での特殊なルールについて教えてくれた。
一つ目、看守に逆らわない事。文句を言ったり命令に従わなかったりする囚人に対しは、相手が丸腰だろうと容赦無くスタンガンを食らわせたり警棒で殴り付けてきたりするという。
二つ目、カースト制度に逆らわない事。ピョトルクフ内は腕っぷしの強さがそのまま階級となっており、非力な者は強い者に媚び諂って生きていくしかないというのだ。
三つ目、蜘蛛の部屋について探ろうとしない事。刑務作業室の奥には、通称蜘蛛の部屋と呼ばれる開かずの間が存在するという。そこに近付こうとする者、秘密を探ろうと動く者は、漏れなく死の罰を受けるとされている。
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檻房の外に一列に並ばされた囚人達は、鉄製の枷を嵌められた互いの両手首を鎖で繋がれた状態で刑務室まで移動させられる。列の一番最後に繋がれた京哉は、周囲の構造を目に焼き付けながら大人しく隊列に続いた。
捕えられている檻房や罪名によって担う刑務作業の種類は異なり、京哉達が行うのは『部品作り』だった。プレス機や研磨機を使って金属板を加工していくのだ。
一人一人が行うのは非常に単純な作業ではあるが、作られている部品の種類は膨大で、一体これらが何を組み立てる為のものなのか、一般の人間には理解し得なかった。
「……これって…」
しかし、京哉には非常に見覚えのある形の部品ばかりである事に驚きを隠せない。何故ならば、彼ら受刑者が製造させられているのは、ハンネス機関を成すパーツだったからである。
「8931番!早く作業を始めろ!」
看守が警棒を構えながら近寄ってきた為、京哉は慌てて作業台の前に腰を下ろした。
何度見ても、その特殊な形をした部品はハンネス機関の駆動部に埋め込まれているものである。
しかしエネルギー革命後、ハンネス機関に関する一切の特許と製造販売の権限ついては、研究機関から世界政府へと完全に委譲されたはずである。こんな一刑務所内で作られて良い代物ではない。
そしてもう一つ、京哉には気掛かりな点があった。それは部品を成す金属の品質である。日々、金属を融解再構築している京哉には、それらが粗悪な物であることは一目瞭然であった。
紛れもなく、密造品である。
蜘蛛の部屋、と呼ばれている作業場の最奥。各所で作られた部品が運び込まれる場所となっている様で、模造ハンネス機関の正体はこの開かずの間を暴かない事には知り得ないようだった。
「リュー…、そっと俺の方に目だけ寄越してみろ」
小声でそう呟いたのは、同じ檻房に入っている先輩囚人のロドリゲス・アリハだった。
彼の指示通りそっと視線だけを移すと、刑務作業をしている区画の遥か向こう側を歩くスキンヘッドで色黒の大柄な囚人と、彼と話しながら横に連れ立っている一人の看守の姿が見える。他の看守とは異なる制服で、胸元には多くの勲章がジャラジャラと音を立てているちょび髭の壮年である。
「所長のマルツェルと、囚人の方がピョトルクフの王…レオポルトだ」
「王……」
ボソリと呟いた京哉は、作業を続けるフリをしながら二人の動向を目で追った。楽しげに会話を続けながら、あの蜘蛛の部屋の中へと入っていく。
「レオポルトに対してはマルツェルですら頭が上がらねぇ。誰も逆らえねぇ。この刑務所の掟から外れた唯一の人間ってワケだ」
強者のみが自由を得るこのピョトルクフ刑務所で、所長をも越える地位と力を持つのがレオポルトという男だという。
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蜘蛛の部屋の内部は殺風景な作業場の延長であった。しかし、その一部には座り心地の良さそうな革張りのソファが一対据えられており、そこに腰を降ろしたレオポルトはマルツェルからタバコを一本受け取りながら口を開いた。
「今月はあと1000程受注していると聞いたが、間に合いそうか?」
「ええ…まぁ、何とかさせましょう。人手は十分にありますからね」
そう答えたマルツェルは、ライターの火をレオポルトが咥えたタバコの先に翳した。
「全く、アンタも悪い奴だなマルツェル。どっちが罪人だかわかりゃしねぇ」
白い煙を室内に充満させながら、大男は天井を仰ぎ見て愉快そうに笑う。
京哉達の作業するエリアから部品を運ぶコンベアで繋がっている蜘蛛の部屋。その最奥には、数百人にも及ぶ囚人が並び、細かな部品を組み立てる作業を行っていた。
組み立てが終わると、それは誰もが目にした事のあるハンネス機関そのもの…複雑な金属塊の姿になる。
「密造したハンネス機関を世界中の紛争地域に売り捌くたぁ考えたな」
レオポルトが吹きかけてきた白煙に咳き込みながら、マルツェルは販売リストを手にしてパラパラとめくりながら答える。
「こいつらの製造方法を唯一握っている世界政府の奴らは表向きには平和維持を謳っていますからね。粗悪品といえど物騒な国では喉から手が出るほど欲しいのがこの夢の動力源です」
出来上がったハンネス機関の鈍色に光るボディをコツコツと叩いたマルツェルに、レオポルトは灰皿にタバコを押し付けながら再び尋ねた。
「バアさんはまだ生きてんのか?世界の危機を救った救世主の嫁が、今やポーランドの恥晒し呼ばわりとはねぇ…」
「ええ…彼女はピョトルクフでしか生きる事を許されない人間ですが、私としては恩を感じてますからねェ……。今は特別室でゆっくり余生を過ごしてもらってます」
特別室、という単語を聞いたレオポルトは納得した様子でソファの背もたれにふんぞり返った。そして、ゆっくりと顎で入り口の方をしゃくると、静かに立ち上がったマルツェルは腰のガンホルダーに入った拳銃を取り出して安全装置を外す。
引き金に指をかけながらゆっくりと一歩、また一歩と作業場との間を別つ扉の方に歩み寄る。そして、ノブに手をかけて一気に扉を開けて外に飛び出すと、拳銃を構えて周囲の様子をグルリと見回した。
ベルトコンベアの近くで、ひっくり返した部品の木箱を片付ける青年の周囲を看守達が取り囲んでいる。
「何事だ?」
拳銃を下ろし、ガンホルダーに戻したマルツェルの元に一人の看守が駆け寄って耳打ちする。
「怪しい動きを見せた為、事情聴取をしていました。本人は手が滑ったと証言していますが……」
出来上がった部品を入れた木箱をベルトコンベアに載せる際、積み方が悪くレーンから脱落しそうになったから手を添えたのだと必死に弁明しているのは京哉であった。
もちろん、例の部屋を探るために接近して中の音を立ち聞きしていただけなのだが…。
看守の話を聞いたマルツェルは、彼らに囲まれて尋問を受けている京哉の前に立った。訝しげな表情で彼のゼッケンを睨みつけながら問う。
「8931番…今日入った奴か。何をしていた?」
「な、何を……って、それは刑務作業を…」
同じ檻房の男から追加で教えてもらった、疑わしきは罰する、というピョトルクフの掟について思い出した京哉は顔を引き攣らせた。マルツェルの合図で両脇を二人の看守に持ち上げられた彼は、ズルズルと作業室から連行されてしまう。
刑務作業を行っていた部屋から締め出された京哉は、再び両手首に鉄の枷をはめられておまけに目隠しまでされる。刑務所内の構造を受刑者に知られないようにするための措置であろう。つまり、元の場所に戻るのでは無いということを意味していた。
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檻房の中で就寝前の自由時間を過ごしていたロドリゲス達。彼らは突如開いた檻の扉から投げ捨てられて床に転がった京哉の方を見て、哀れみの表情を浮かべていた。
激しい暴行を受けた様で、皮膚の見える箇所には痛々しい痣が浮かんでいる。横たわったままの彼の様子を心配して歩み寄ってきたロドリゲスは、近くにしゃがんで肩を叩いた。
「災難だったな。看守らはまるで聞く耳持たねェだろ?明日からは目立たねぇように、ヒッソリと暮らすこった。今日はゆっくり休んで、明日の篩い分けの為に体力温存しておきな」
「ふるいわけ…?」
初めて聞いた言葉に、京哉はガバっと上体を起こした。痛々しい見た目に反して元気そうな様子の京哉を見て驚いたロドリゲスだったが、咳払いをして表情を元に戻した。
「新人は全員、ぶち込まれてすぐにランク付けされんだ。まあ、腕っぷしの強い奴ァそれなりの生活を約束されるっていう理解で良い。ただ、逆は最悪だ……」
ピョトルクフ刑務所における独自のカースト制度。投獄された人間の格付けを行う儀式的な物だというが、翌日の朝京哉達が集められたのは運動場の真ん中であった。
所々枯れそうな雑草が地面から顔を出す乾いた砂地に整列させられた彼らは、倉庫の中から現れた二人の囚人がいきなり地面に四つん這いになる光景を訝しげな表情で眺めていた。
そして、後から看守達と一緒に姿を現したその大男が彼らの背中を踏み台にして土足で登る様子に呆然とさせられる。
「毎度毎度、同じ反応ばかりだな新人は。テメェら……人の上に立った経験はあるか?」
低く唸るような声でそう口を開いたのは、昨日所長のマルツェルと共に蜘蛛の部屋に入って行った男…囚人の王、レオポルトである。彼は靴の底で足元の背中を再度踏みしめると、四つん這いになっていた男は苦悶の表情を浮かべながらその痛みに耐えていた。
「俺はある。ピョトルクフでは俺がルールだ。俺が笑わせろと言えば愉快な裸踊りで楽しませ、足置きになれと言えば便所の床の上でも四つん這いになる。従うしか生き残る方法はねェと思いな」
二人の男の上から飛び降りたレオポルトは、地面を踏み鳴らしながら新入りの囚人達の列に近付くと彼等の肩を掴んで乱暴に移動させる。そうして作られた2人1組で並び直させ、それぞれに看守を配置させた。
「今から目の前の野郎と殴り合え。勝ち抜けで最後まで残った腰抜けが次の奴隷だ」
力を持たない者にとっては生き地獄。篩い分けとはよく言ったものだと、京哉はレオポルトに見えない様に苦笑した。地面に這いつくばっていた男達は、この殴り合いで負け残ったのだろう。
カーストの最下位に位置付けられた彼らはあのようにしてレオポルトの奴隷のように扱われ、日々人間としての尊厳を奪われているのだ。
常に奴の近くにいれば、蜘蛛の部屋について何か掴めるかもしれない。粗方予想はつく。囚人達に作らせたパーツを集めていたあの扉の向こうで、違法にハンネス機関が量産されているのだろう。
しかし、『どのようにして』その製造方法にたどり着いたのかを探る必要があった。京哉はあの部屋の内部が、彼がピョトルクフに来た理由に繋がると確信している。
囚人の王が仕切るこの刑務所内で製造され続けているウィリアム・ハンネスが生み出した夢の動力…そこに収監されている彼の妻が何かしら関与しているのは明白だからだ。
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看守の合図で、総勢15組の囚人達が一斉に相手に向かって踏み出した。流石は何かしらの罪人達…暴力沙汰に戸惑う様子は無く、躊躇なく殴り合いを始めていた。
「何処見てんだテメェ!」
目の前の囚人が拳を振り上げると、京哉は両手を挙げて降参の意を示した。
「や、やめてくださいよ!痛いの苦手で…僕の負けで良いですから」
わざと怯えた様子を見せると、男はフンと鼻を鳴らして踵を返した。勝つつもりならここで背後から一撃で喰らわせるのだが、目的はレオポルトに近付く事。
次も、そのまた次の相手にも戦わずして負け進んだ京哉は、いよいよ最後の一人と対峙した。不戦敗を重ねてきた京哉に対して、目の前のヒョロヒョロした男は掛けたメガネも割れてボロボロの状態である。
いくら何でもこんな相手を前にして白旗をあげるのは不自然極まりない。どうしたものかも考えている京哉だったが、叫び声をあげながらヨロヨロとした足取りで殴りかかってきた男の拳をわざと肩に受けて自ら後ろに倒れ込んだ。
篩い分けの洗礼を受け、晴れてレオポルトの奴隷になった京哉は看守達に囲まれて彼の後に続いて歩いた。ドシドシと前を歩く男の檻房にでも向かうのかと思いきや、目隠しを外された京哉が辿り着いたのは昨日と同じ湿った空気の澱む懲罰房の中だった。
「あ……えっとー…」
「マルツェルの目は欺けても、俺は騙せねェぞ……」
振り返ったレオポルトが合図を送ると、看守達によって白黒横縞模様のトップスを剥ぎ取られた京哉。
「その身体付きで武術に何の心得も無ェっていうのは少々無理があるぜ。一見華奢な優男に見せ掛けて、一切無駄の無い鍛え方をしてやがる…典型的な諜報員の容貌だ」
天井からぶら下がる鎖の先に両手首を拘束されて無防備な京哉の腹に、レオポルトが力を込めた拳を減り込ませた。一瞬呼吸が止まるほどの衝撃を受けて咳き込んだ京哉の頬に、空かさず右フックが叩き込まれる。
「早く正体を吐けなんて野暮な事ァ言わねぇよ……俺の楽しみが無くなっちまうからなァ…」
愉快そうなレオポルトの凶悪な笑顔を見て、京哉は悟る。この男は『暴力』の化身なのだと。どんな犯罪を犯して収監されたのかわからないが、絶対に外界に放ってはいけない部類の人間だと瞬時に理解した。
「何が可笑しい…?」
更に拳を振り上げたレオポルトだったが、絶望的な状況にも関わらずクツクツと笑っている京哉を見て動きを止めた。
「スゲェなって思って…アンタ。誰かに負けるなんて、一度も思った事ねぇんだ…そのツラ」
まるで自分なら勝てるとでも言うような京哉の口ぶりと態度に、レオポルトはその米神に血管を浮立たせた。彼の長い前髪を鷲掴みにし、鼻先がつくほどの至近距離まで顔を近付けて睨み付ける。
「テメェが何モンなのか、そんなの俺の知ったこっちゃねぇ。吐く前にくたばっても構いやしねぇんだよ」
「それは有難いね。生憎、正体がバレると色々と厄介なもので」
凄まれようが一切臆する様子を見せず軽口を叩く京哉に激怒したレオポルトは、掴んだ髪をそのままに彼の顔面目掛けて膝をめりこませた。ボタボタと音を立てながら鼻血が石畳に散らばる中、再度右フックで顔を殴り付け、腹にも膝蹴りを食らわせる。
喀血した京哉が膝をつくと、レオポルトは看守に持って来させた警棒を手にとって彼の正面に立った。
「正体がバレると厄介だと言ったな…?安心しろ…顔中の骨折って誰かわからない状態にしてから投げ捨ててやるから」
パシパシと警棒を掌に当てて息を整えるレオポルトの楽しげな表情。それとは正反対に看守達は表情を強張らせていた。
それは、あれだけレオポルトの猛攻を食いながら、血だらけの顔面をした男が口笛を吹き始めたからである。
現代ではその行為すら処罰の対象に値するというのに、呑気に京哉が奏でていたのはブラームスの子守唄。
舐め腐った彼の態度は当然の如くレオポルトの逆鱗に触れる。鬼の形相で振り上げられた警棒が京哉の頭部に迫った。
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キンッと甲高い音が懲罰房の中に響く。次の瞬間には拘束されていた筈の京哉がレオポルトの背後に回り、振り下ろされた金属の棒は虚しく石畳の床を叩いた。
京哉の手首を拘束していた手枷から天井に繋がる鎖は途中で切断されている。彼は手首から伸びる1メートル程の長さのそれを素早くレオポルトの首に数周巻き付けると、両端をグッと引っ張って彼の首を絞め上げた。
すぐさま京哉を振り解こうと身を捩るレオポルトを援護しようと看守達が銃を構えて二人を取り囲む。しかし、京哉を狙えばレオポルトに当たる可能性もありなかなか引き金を引くに至らない。
どうにか引き剥がそうと暴れるレオポルトの背中に数発膝蹴りを入れた京哉は、グッと腰を落として後方に体重を掛ける。
そうしているうちに意識を手放した大男の体重が京哉の方にかかり、石畳の床に大の字に転がって昏倒している王の姿に、看守達は唖然とするしかなかった。
「あれー?王様に勝っちゃったね、僕。次は僕が此処の王って事で良い?」
自分の血で真っ赤に染まった顔でゲラゲラと笑う京哉の姿に慄いた看守達は、得体の知れないその男に向けて次々に発砲し始める。
慌てて倒れているレオポルトの上体を起こしてその背後に隠れると、彼の両腕を持って操り人形のように扱いながら裏声で彼らの方に口を開いた。
「そんなに滅茶苦茶に撃ったら俺に当たっちまうだろーがー!」
仕方なく銃を下ろした看守達の様子に、よしよしと満足げな京哉は徐に立ち上がって彼らの中から二人を指名した。
「そこの君達二人、都落ちした王様を運んで介抱してやりなさい!」
早く!と急かされ、大人しく従う看守二人。そして、その場に残った人間の方を指差した京哉は、にっこりと笑いながら次なる指示を出した。
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黒電話の受話器を持ち上げたのは、ババ抜きで負けたナツキだった。いつも通りの無駄に明るい声色が聞こえてくるが、それがAIだとわかってからは彼との会話を楽しむという気持ちは若干揺らいでしまった。
『ナツキか、どうした?君から連絡を入れてくるなんて珍しいね』
「やあ、ジャック。今東京近辺で活動してる調査班の人間で少しの間借りれそうな奴いる?」
楽団に依頼が来ている訳ではない。しかし、道夫が遭遇した怪しい外国人の男と人死が出た雑居ビルについて調べなければならない。必ず異端の企に繋がると考えたその場の総意である。
『何かあったのかい?』
「一般人使って悪さしてる怪しい外国人がいるんだと。巻き込まれた奴からのタレコミだから間違いねーし、オレ達全員異端の仕業だと思ってる」
ナツキの回答になるほど…と唸ったジャック。数秒間が空いていきなり保留音が鳴る。何事かと一回受話器を耳から遠ざけるが、その次に聞こえてきたロジャーの声に慌てて元の位置に戻した。
『横取りして済まないな、ジャック。君の報告は聞こえていたよ、ナツキ。生憎、調査班の人間の多くは出払ってて回せそうにない』
「あー…そうですよね。わかりました、社長。それじゃあオレ達で……」
自分達で直接乗り込むと言い掛けた時、それにロジャーが慌てて声を被せてきた。
『戦力が足らんだろ?いくらレイジの治療を受けたと言っても、戦闘になった場合まともに動けるのが君だけじゃあまりにも不利だ。それに、そんな状況じゃ[[rb:あの馬鹿 > 託斗]]が行くと言うに決まってる』
確かにあの人やる気まんまんだったなぁ…と元気にアキレス腱を伸ばしている託斗の方を振り返りながら肯定の返事を聞かせると、ロジャーは長いため息を漏らした。
『キョウヤがこっちに来ると聞いてからすぐ、代わりの旋律師を東京に派遣してある。そろそろ到着する頃だと思うから、アイツは現地に向かわないように頼むぞ』
「わ、わかりました…何とか留守番お願いする口実作ってみます」
ロジャーの気苦労がヒシヒシと伝わり、ナツキは同情しながら受話器をブロックボタンの上に戻した。
外国人の男が雑居ビルに姿を現すのは決まって土曜の夕方であると、道夫の証言を得ている。そして今日は図らずもその日であった。
まだ全快でないフユキとイヤイヤして着いてこようとする託斗を祐介に預け、ナツキ、麗慈、鬼頭、そして道夫の4人が現地に向かう事になった。
追い出された身の上で例の雑居ビルを再び訪れる事になった道夫の表情は暗い。しかし、ビル内の構造と相手のやり口を知る彼を連れて行く事は戦力不足である[[rb:楽団 > ギルド]]側にとって貴重なアドバンテージであった。
リュックタイプに改造したガンケースの中に収納したのは2丁の自動小銃。フユキの演奏で生成した音の弾丸を防音マガジンに込めたものと一緒にそれを背負ったナツキは、普段よりその女装に磨きがかかっており、彼の事を知らない人間が見れば男だとはまず気が付かない程だった。
深い緑色のロングスカートに生成りのドレスシャツ、臙脂のベレー帽とカットブーツを合わせれば、所謂森ガールスタイルの可愛らしい女子の完成である。
「とっても可愛いです、ナツキ!」
自らの手で仕上げた兄の顔を見て、フユキは恍惚の表情を浮かべていた。
「前回の依頼で京哉とやりあった女が死んだとなれば、恐らく異端に顔が知られてないのはナツキだけだ。お前は真正面からビルに侵入して中を探れ」
そう告げた鬼頭は、彼の編んだ自慢の編みぐるみをナツキのガンケースに取り付けていた。もちろんただの可愛い要素ではなく、中には小型の通信機が埋め込まれており、これを介してナツキの耳にはめられた小型のイヤーモニターで連絡を取り合えるようになっている。
そして、最後にナツキの小顔には少々不釣り合いなレンズの大きい伊達メガネを彼の耳に掛ける。グラスモニターになっており、縁に埋め込まれた超小型カメラの映像を遠隔地に潜む道夫に飛ばして指示を得る算段だ。
「で、俺とアンタはどうすんだよ?」
表立った戦闘に向いていない自分が何故現場に…と思いながら鬼頭に尋ねた麗慈。彼の不服そうな表情を見て背中をバシンと叩いた鬼頭は自分の顔を指差しながらその疑問に答えた。
「おう、俺と麗慈は敵の動き見ながら屋上に向かうぞ。万が一また奇妙な治療とやらの途中なら助け出して話を聞くのが早い」
楽団を誘き出すための行為であるなら、今も同じ事を繰り返している可能性が高い。そう続けた鬼頭は麗慈に暗視スコープとフルハーネスを手渡した。
二丁掛けのカラビナがついた頑丈な作りのハーネスをじっと見つめた麗慈の嫌な予感はこの後見事に的中する事になる。
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より一層静まり返った夜の六本木。
道夫の案内で件のビルに到着した面々は、それぞれ持ち場に着いていた。
ビルの正面玄関から中に入っていったナツキの耳元に、道夫からの通信が届く。
『玄関を入ってすぐ左の階段は管理人室に繋がってます。普通の住居フロアへ行くにはまっすぐ突き当たりの階段を進んでください』
「りょうかーい」
20年以上前に放棄され廃墟と化したビルの低層階にはスナックやバーの看板が立ち並び、かつては賑やかな場所だったのだと想像できる。
今やそれらの区画にも全て住む場所を失った人間が勝手に住みつき、困窮に喘ぐ日々を過ごしていた。
『右手の飲み屋…ダルマの絵が描いてある赤い看板の所には、ちょっと面倒なご婦人が住んでいるので気を付けて通ってください』
面倒な?と聞き返す前に、そのご婦人とやらが店舗出入り口から姿を現してナツキの行く手を阻んだ。一見、人当たりの良さそうな恰幅の良い中年である。
目が合ってしまったからには、と思い軽く会釈をして通り過ぎようとした時だった。
「あらアナタ!見かけない顔ね!どこから来たの!?」
急に距離を詰めてきた彼女に肩を掴まれて、ナツキは咄嗟に笑顔を取り繕う。
「あらー!可愛らしいお嬢さんじゃないの!ささ!ちょっとお茶していきなさい!外は寒かったでしょう!」
グイグイと物凄い力で店舗の方に引き摺られていくナツキの様子をスマートグラスのカメラ越しに見ていた道夫は、顔を真っ青にした。そして、慌ててナツキに通信を試みるも、女が側にいる為一時的にミュート状態にしているようだった。
「……一体これは…」
再びナツキから送られてくる映像を食い入るように見つめる道夫は、夜風が涼しい中額から次々に溢れる汗を拭い続けていた。
いくら見た目は美少女でも、中身は23歳の立派な成人男性である。声を出せばすぐに男だとバレてしまうため、ナツキは身振り手振りで急いでいる事を伝えようとした。
「あら、そうよね。寒かったわよねぇ。今、お茶淹れてくるからちょっと待っててね!」
必死のボディランゲージも何も伝わっていなかったとわかり、ナツキは酷く落胆した。女が見えない所にいるうちに逃げてしまおうと思い静かに店舗内を歩き出す。
「……コレは…」
ふとナツキの目に止まったのは、15インチ程のタブレット端末を立て掛けているスタンド。その隣には白く塗装されたハンドベルが置いてあった。
端末の画面右端には赤い文字で数字のカウントダウンが表示されており、彼が最初に見た瞬間は720であった。
「ハジメくん…例の端末だ。住み着いてる人間の部屋の中に確認した。異端まだ悪趣味なお医者さんゴッコ続けてるみたいだぜ」
ドレスシャツの襟元に口を近づけて小声でそう伝えると、イヤーモニターから返事が聞こえてきた。
『何か気になる所はあるか?』
「ああ…今は680…679……次の演奏までのタイムリミットか?BPM60で変化してるから、恐らく秒針だ」
『12分無いな……わかった。俺と麗慈で屋上に向かう。男に会ったら気をつけろよ』
鬼頭との通信が切れた直後の事であった。店舗の引き戸がガラガラと音を立てて開き、スーツ姿の外国人の男がそこに立っている。
「あら!こんばんは!今日はこれから診察ですか?」
玄関の物音に気が付いた女が奥の調理場からひょっこりと顔を出すと、にこやかに男に向かって話しかけていた。
「こんばんは、マダム。今日もお願いしますね」
そう言いながら軽く頭を下げたのは、グレーの短髪をオールバックに纏めた男。ミュートを解除した時にイヤーモニターから聞こえる道夫の息遣いに焦燥を感じ取ったナツキは、目の前の人物が例の男で間違いないと確信した。
そっと視線を外し、手元を見つめてやり過ごそうとしていたナツキであったが、スーツ姿が真横に迫ってくるのを感じて心拍数が跳ね上がる。
「こちらのお嬢さんは?」
「ああ、さっき外から入ってきたからさ、寒いと思って中に入れてやったんですよ。とっても可愛らしいから、こんな時間に独り歩きなんて危ないでしょ?」
お茶を持って戻ってきた女が笑いながら湯呑みをカウンターに出す。
「そうでしたか。こんな時間にねぇ…」
そう言ってニヒルな笑いをナツキに向けた男。
バレているのだと察したナツキは咄嗟に後方に距離を取って背負っていたリュックを地面におろした。その瞬間に一気に距離を詰めてきた男は大きな手でナツキの頭を掴んで壁に叩きつける。
目の前で巻き起こる一大事に唖然とする女は、次に彼女の方に向かおうと身を翻した男が懐に隠し持っている凶器に気が付いていない。天井の裸電球の灯に反射した刃がギラリと光ったのを見た瞬間に、ナツキは揺れる脳を奮い立たせて自動小銃を構えた。
一般人の目の前だが、このまま男を屋上にあがらせれば麗慈と鬼頭が鉢合わせてしまうと思い立ち、ナツキは引き金に指を掛けた。
「伏せてろババァ!」
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イヤーモニターから響いてくる銃声でナツキに何かあった事を知る鬼頭。安全な場所に控えている道夫に連絡を繋ぐと、彼からは案の定の返答が寄越された。
『ナツキさんが……銃を…』
「わかった。アンタは引き続き、ナツキをサポートしてやってくれ。俺たちは屋上に向かう」
『あ、あの……』
道夫が何かを言い掛けていたが、今はそれどころではないと通信を切った鬼頭。
真向かいに聳える同じ高さのビルの屋上に待機していた鬼頭と麗慈は、あらかじめ架けておいたワイヤーロープにカラビナを引っ掛ける。
先に飛び出した鬼頭の体重でワイヤーロープは大きく軋むが、無事に屋上まで到着していた。彼に続いて今立つビルの床を蹴った麗慈。冷たい夜風に晒されながら白衣の男がビルの間を舞っている様子は奇妙以外の何物でもない。
鬼頭に手を引かれて屋上によじ登った彼の視界に飛び込んできたのは、乱雑に置かれた2畳程の広さのコンテナルーム。
周囲を警戒しながら近付いていくと、扉があらかじめ開け放たれていた真っ暗な室内で等間隔に響く電子音が不気味さを醸し出していた。
壁に設置されたスイッチを押して室内に明かりが灯り、中央に据えられたベッドに縛り付けられている男がその眩しさに驚いた様子で暴れ出した。
「い…嫌だ……っ!もうやめてくれ!」
「落ち着け。お前さんを助けに来た」
鬼頭に促されて麗慈がベッドの横まで進む。そして、彼の胸に刺さる複数の金属棒を凝視した。続いて、心電図を計測している機器の液晶を確認する。
「やっぱりな…」
そう呟いた麗慈は、ラテックスの手袋をはめながら金属棒を掴むと徐に引き抜いた。痛みにもがく男の悲鳴を聴きながら、10本程突き刺さっていたそれら全てを床に投げ捨てる。そして、手や足に突き刺さっていた同じタイプの電極も一気に引き抜いた。
「おい、大丈夫なのか?心臓は」
「いたって健康。治療の必要は無し」
麗慈によると、特に問題なく動いている心臓の周辺に金属棒が差し込まれていたのだという。
「住人の奏でたベルの音で作られた電気が電極を通して心臓に流れれば……下手すりゃ心室細動起こして逆に死ぬ。恐らく、拷問の最中では手足の電極だけに電気が流れるように切り替えてたんだろ。な、アンタ」
息を切らして天井を仰ぎ見ている男は、ガクガクと唇を震わせながら首を縦に振った。
「楽団…現地作業スタッフの…宮地と申します…」
「宮地さんか。アンタ、何処で攫われて男には何を聞かれた?」
鬼頭の問い掛けに対して、宮地と名乗った男は首をフルフルと横に振った。どういう意味だ、と顔を見合わせる二人。
「直近の作業場所で攫われました……一般人の侵入を防ぐために最後に鍵をかけてから現場を離れるのですが……そこで背中を向けている隙に背後から殴られて……でも、本当に何も聞かれていません。ただこの場所に縛り付けられて……」
宮地がそこまで言い終わると、二人のイヤーモニターからノイズ混じりに響いたナツキの声が鼓膜を震わせた。
『ワリィ弾切れだ!足止めしたかったがもう限界!』
それは、あのスーツの男が屋上に迫ってきている事を意味していた。
[30] Estremo I 完
…………………………………………………………………………………
2003年に造られた当時最新鋭の設備が導入された重刑務所。ピョトルクフに収監された凶悪犯達は二度と外界に出る事を許されず、死ぬまで刑務を真っ当するという。
そして、その閉鎖的環境故に独自のカースト制度、刑務諸法度が作られ、力を持たない受刑者にとってはまさに生き地獄となっていた。
エネルギー革命以降に投獄された音楽家の多くはこの法ならざる法の餌食となり、日々その身に降り掛かる苦しみに喘ぎながら生きているという。
「8931番、今日から此処がお前の家だ。次の指示があるまで大人しくする事だな」
看守に呼ばれ、白黒横縞模様の囚人服を纏った京哉が牢屋の前に立った。家と言われた檻の中には眼をギラつかせた囚人が既に3人ほど収容されている。
背中を蹴飛ばされて中に入った京哉は、背後でうるさく響く錠の落ちる音に大きくため息をついた。
タングステン製のフルートを作成する技術を、ピョトルクフのどこかに捕えられているハンネスの妻から聞き出し、無事に脱獄しなければならない。
先が思いやられるこの状況で、唯一頼りになるのは外界から支援すると言っていたアランと椿の二人だ。通信手段も無い今、どのような方法で脱獄をサポートしてくれるのか、彼には到底想像できなかった。
「おい、新人!まずは先輩方に挨拶だろうが!」
奥から唸るような低い声で凄まれ、京哉は慌てて其方を振り返る。先程、檻の中から彼を睨みつけていた3人の受刑者達だった。
「あ、挨拶……ええと」
戸惑いながらも言葉を返そうとした京哉は、貨物車内でアランに忠告された事を思い出した。本名を出すと後々厄介である、と。どうしたものかと悩んでいる所、早くしろと再度威嚇され、仕方なくあのリングネームを使う事にした。
「リュー・イーソウです…」
「あ?東洋顔だと思ったがお前中国人か。言葉も流暢だが、何しにポーランドに来た?」
かつてヨーロッパを活動拠点にしていた京哉は、ポーランド語も一応守備圏内であった。それが逆に違和感になってしまっているようで、京哉はミスを犯したなぁと自嘲した。
「で、出稼ぎってやつです……その、色々と…」
アランがこさえた設定を今此処で使う気にはなれない京哉。この檻房に入るまでの間に囚人が看守達受ける身体検査の間も、彼はずっと変な目で見られ続けていたのだからもう沢山だった。
最初こそ怒鳴られたものの、先輩囚人達は気の良い奴らのようですぐにこの刑務所内での特殊なルールについて教えてくれた。
一つ目、看守に逆らわない事。文句を言ったり命令に従わなかったりする囚人に対しは、相手が丸腰だろうと容赦無くスタンガンを食らわせたり警棒で殴り付けてきたりするという。
二つ目、カースト制度に逆らわない事。ピョトルクフ内は腕っぷしの強さがそのまま階級となっており、非力な者は強い者に媚び諂って生きていくしかないというのだ。
三つ目、蜘蛛の部屋について探ろうとしない事。刑務作業室の奥には、通称蜘蛛の部屋と呼ばれる開かずの間が存在するという。そこに近付こうとする者、秘密を探ろうと動く者は、漏れなく死の罰を受けるとされている。
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檻房の外に一列に並ばされた囚人達は、鉄製の枷を嵌められた互いの両手首を鎖で繋がれた状態で刑務室まで移動させられる。列の一番最後に繋がれた京哉は、周囲の構造を目に焼き付けながら大人しく隊列に続いた。
捕えられている檻房や罪名によって担う刑務作業の種類は異なり、京哉達が行うのは『部品作り』だった。プレス機や研磨機を使って金属板を加工していくのだ。
一人一人が行うのは非常に単純な作業ではあるが、作られている部品の種類は膨大で、一体これらが何を組み立てる為のものなのか、一般の人間には理解し得なかった。
「……これって…」
しかし、京哉には非常に見覚えのある形の部品ばかりである事に驚きを隠せない。何故ならば、彼ら受刑者が製造させられているのは、ハンネス機関を成すパーツだったからである。
「8931番!早く作業を始めろ!」
看守が警棒を構えながら近寄ってきた為、京哉は慌てて作業台の前に腰を下ろした。
何度見ても、その特殊な形をした部品はハンネス機関の駆動部に埋め込まれているものである。
しかしエネルギー革命後、ハンネス機関に関する一切の特許と製造販売の権限ついては、研究機関から世界政府へと完全に委譲されたはずである。こんな一刑務所内で作られて良い代物ではない。
そしてもう一つ、京哉には気掛かりな点があった。それは部品を成す金属の品質である。日々、金属を融解再構築している京哉には、それらが粗悪な物であることは一目瞭然であった。
紛れもなく、密造品である。
蜘蛛の部屋、と呼ばれている作業場の最奥。各所で作られた部品が運び込まれる場所となっている様で、模造ハンネス機関の正体はこの開かずの間を暴かない事には知り得ないようだった。
「リュー…、そっと俺の方に目だけ寄越してみろ」
小声でそう呟いたのは、同じ檻房に入っている先輩囚人のロドリゲス・アリハだった。
彼の指示通りそっと視線だけを移すと、刑務作業をしている区画の遥か向こう側を歩くスキンヘッドで色黒の大柄な囚人と、彼と話しながら横に連れ立っている一人の看守の姿が見える。他の看守とは異なる制服で、胸元には多くの勲章がジャラジャラと音を立てているちょび髭の壮年である。
「所長のマルツェルと、囚人の方がピョトルクフの王…レオポルトだ」
「王……」
ボソリと呟いた京哉は、作業を続けるフリをしながら二人の動向を目で追った。楽しげに会話を続けながら、あの蜘蛛の部屋の中へと入っていく。
「レオポルトに対してはマルツェルですら頭が上がらねぇ。誰も逆らえねぇ。この刑務所の掟から外れた唯一の人間ってワケだ」
強者のみが自由を得るこのピョトルクフ刑務所で、所長をも越える地位と力を持つのがレオポルトという男だという。
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蜘蛛の部屋の内部は殺風景な作業場の延長であった。しかし、その一部には座り心地の良さそうな革張りのソファが一対据えられており、そこに腰を降ろしたレオポルトはマルツェルからタバコを一本受け取りながら口を開いた。
「今月はあと1000程受注していると聞いたが、間に合いそうか?」
「ええ…まぁ、何とかさせましょう。人手は十分にありますからね」
そう答えたマルツェルは、ライターの火をレオポルトが咥えたタバコの先に翳した。
「全く、アンタも悪い奴だなマルツェル。どっちが罪人だかわかりゃしねぇ」
白い煙を室内に充満させながら、大男は天井を仰ぎ見て愉快そうに笑う。
京哉達の作業するエリアから部品を運ぶコンベアで繋がっている蜘蛛の部屋。その最奥には、数百人にも及ぶ囚人が並び、細かな部品を組み立てる作業を行っていた。
組み立てが終わると、それは誰もが目にした事のあるハンネス機関そのもの…複雑な金属塊の姿になる。
「密造したハンネス機関を世界中の紛争地域に売り捌くたぁ考えたな」
レオポルトが吹きかけてきた白煙に咳き込みながら、マルツェルは販売リストを手にしてパラパラとめくりながら答える。
「こいつらの製造方法を唯一握っている世界政府の奴らは表向きには平和維持を謳っていますからね。粗悪品といえど物騒な国では喉から手が出るほど欲しいのがこの夢の動力源です」
出来上がったハンネス機関の鈍色に光るボディをコツコツと叩いたマルツェルに、レオポルトは灰皿にタバコを押し付けながら再び尋ねた。
「バアさんはまだ生きてんのか?世界の危機を救った救世主の嫁が、今やポーランドの恥晒し呼ばわりとはねぇ…」
「ええ…彼女はピョトルクフでしか生きる事を許されない人間ですが、私としては恩を感じてますからねェ……。今は特別室でゆっくり余生を過ごしてもらってます」
特別室、という単語を聞いたレオポルトは納得した様子でソファの背もたれにふんぞり返った。そして、ゆっくりと顎で入り口の方をしゃくると、静かに立ち上がったマルツェルは腰のガンホルダーに入った拳銃を取り出して安全装置を外す。
引き金に指をかけながらゆっくりと一歩、また一歩と作業場との間を別つ扉の方に歩み寄る。そして、ノブに手をかけて一気に扉を開けて外に飛び出すと、拳銃を構えて周囲の様子をグルリと見回した。
ベルトコンベアの近くで、ひっくり返した部品の木箱を片付ける青年の周囲を看守達が取り囲んでいる。
「何事だ?」
拳銃を下ろし、ガンホルダーに戻したマルツェルの元に一人の看守が駆け寄って耳打ちする。
「怪しい動きを見せた為、事情聴取をしていました。本人は手が滑ったと証言していますが……」
出来上がった部品を入れた木箱をベルトコンベアに載せる際、積み方が悪くレーンから脱落しそうになったから手を添えたのだと必死に弁明しているのは京哉であった。
もちろん、例の部屋を探るために接近して中の音を立ち聞きしていただけなのだが…。
看守の話を聞いたマルツェルは、彼らに囲まれて尋問を受けている京哉の前に立った。訝しげな表情で彼のゼッケンを睨みつけながら問う。
「8931番…今日入った奴か。何をしていた?」
「な、何を……って、それは刑務作業を…」
同じ檻房の男から追加で教えてもらった、疑わしきは罰する、というピョトルクフの掟について思い出した京哉は顔を引き攣らせた。マルツェルの合図で両脇を二人の看守に持ち上げられた彼は、ズルズルと作業室から連行されてしまう。
刑務作業を行っていた部屋から締め出された京哉は、再び両手首に鉄の枷をはめられておまけに目隠しまでされる。刑務所内の構造を受刑者に知られないようにするための措置であろう。つまり、元の場所に戻るのでは無いということを意味していた。
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檻房の中で就寝前の自由時間を過ごしていたロドリゲス達。彼らは突如開いた檻の扉から投げ捨てられて床に転がった京哉の方を見て、哀れみの表情を浮かべていた。
激しい暴行を受けた様で、皮膚の見える箇所には痛々しい痣が浮かんでいる。横たわったままの彼の様子を心配して歩み寄ってきたロドリゲスは、近くにしゃがんで肩を叩いた。
「災難だったな。看守らはまるで聞く耳持たねェだろ?明日からは目立たねぇように、ヒッソリと暮らすこった。今日はゆっくり休んで、明日の篩い分けの為に体力温存しておきな」
「ふるいわけ…?」
初めて聞いた言葉に、京哉はガバっと上体を起こした。痛々しい見た目に反して元気そうな様子の京哉を見て驚いたロドリゲスだったが、咳払いをして表情を元に戻した。
「新人は全員、ぶち込まれてすぐにランク付けされんだ。まあ、腕っぷしの強い奴ァそれなりの生活を約束されるっていう理解で良い。ただ、逆は最悪だ……」
ピョトルクフ刑務所における独自のカースト制度。投獄された人間の格付けを行う儀式的な物だというが、翌日の朝京哉達が集められたのは運動場の真ん中であった。
所々枯れそうな雑草が地面から顔を出す乾いた砂地に整列させられた彼らは、倉庫の中から現れた二人の囚人がいきなり地面に四つん這いになる光景を訝しげな表情で眺めていた。
そして、後から看守達と一緒に姿を現したその大男が彼らの背中を踏み台にして土足で登る様子に呆然とさせられる。
「毎度毎度、同じ反応ばかりだな新人は。テメェら……人の上に立った経験はあるか?」
低く唸るような声でそう口を開いたのは、昨日所長のマルツェルと共に蜘蛛の部屋に入って行った男…囚人の王、レオポルトである。彼は靴の底で足元の背中を再度踏みしめると、四つん這いになっていた男は苦悶の表情を浮かべながらその痛みに耐えていた。
「俺はある。ピョトルクフでは俺がルールだ。俺が笑わせろと言えば愉快な裸踊りで楽しませ、足置きになれと言えば便所の床の上でも四つん這いになる。従うしか生き残る方法はねェと思いな」
二人の男の上から飛び降りたレオポルトは、地面を踏み鳴らしながら新入りの囚人達の列に近付くと彼等の肩を掴んで乱暴に移動させる。そうして作られた2人1組で並び直させ、それぞれに看守を配置させた。
「今から目の前の野郎と殴り合え。勝ち抜けで最後まで残った腰抜けが次の奴隷だ」
力を持たない者にとっては生き地獄。篩い分けとはよく言ったものだと、京哉はレオポルトに見えない様に苦笑した。地面に這いつくばっていた男達は、この殴り合いで負け残ったのだろう。
カーストの最下位に位置付けられた彼らはあのようにしてレオポルトの奴隷のように扱われ、日々人間としての尊厳を奪われているのだ。
常に奴の近くにいれば、蜘蛛の部屋について何か掴めるかもしれない。粗方予想はつく。囚人達に作らせたパーツを集めていたあの扉の向こうで、違法にハンネス機関が量産されているのだろう。
しかし、『どのようにして』その製造方法にたどり着いたのかを探る必要があった。京哉はあの部屋の内部が、彼がピョトルクフに来た理由に繋がると確信している。
囚人の王が仕切るこの刑務所内で製造され続けているウィリアム・ハンネスが生み出した夢の動力…そこに収監されている彼の妻が何かしら関与しているのは明白だからだ。
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看守の合図で、総勢15組の囚人達が一斉に相手に向かって踏み出した。流石は何かしらの罪人達…暴力沙汰に戸惑う様子は無く、躊躇なく殴り合いを始めていた。
「何処見てんだテメェ!」
目の前の囚人が拳を振り上げると、京哉は両手を挙げて降参の意を示した。
「や、やめてくださいよ!痛いの苦手で…僕の負けで良いですから」
わざと怯えた様子を見せると、男はフンと鼻を鳴らして踵を返した。勝つつもりならここで背後から一撃で喰らわせるのだが、目的はレオポルトに近付く事。
次も、そのまた次の相手にも戦わずして負け進んだ京哉は、いよいよ最後の一人と対峙した。不戦敗を重ねてきた京哉に対して、目の前のヒョロヒョロした男は掛けたメガネも割れてボロボロの状態である。
いくら何でもこんな相手を前にして白旗をあげるのは不自然極まりない。どうしたものかも考えている京哉だったが、叫び声をあげながらヨロヨロとした足取りで殴りかかってきた男の拳をわざと肩に受けて自ら後ろに倒れ込んだ。
篩い分けの洗礼を受け、晴れてレオポルトの奴隷になった京哉は看守達に囲まれて彼の後に続いて歩いた。ドシドシと前を歩く男の檻房にでも向かうのかと思いきや、目隠しを外された京哉が辿り着いたのは昨日と同じ湿った空気の澱む懲罰房の中だった。
「あ……えっとー…」
「マルツェルの目は欺けても、俺は騙せねェぞ……」
振り返ったレオポルトが合図を送ると、看守達によって白黒横縞模様のトップスを剥ぎ取られた京哉。
「その身体付きで武術に何の心得も無ェっていうのは少々無理があるぜ。一見華奢な優男に見せ掛けて、一切無駄の無い鍛え方をしてやがる…典型的な諜報員の容貌だ」
天井からぶら下がる鎖の先に両手首を拘束されて無防備な京哉の腹に、レオポルトが力を込めた拳を減り込ませた。一瞬呼吸が止まるほどの衝撃を受けて咳き込んだ京哉の頬に、空かさず右フックが叩き込まれる。
「早く正体を吐けなんて野暮な事ァ言わねぇよ……俺の楽しみが無くなっちまうからなァ…」
愉快そうなレオポルトの凶悪な笑顔を見て、京哉は悟る。この男は『暴力』の化身なのだと。どんな犯罪を犯して収監されたのかわからないが、絶対に外界に放ってはいけない部類の人間だと瞬時に理解した。
「何が可笑しい…?」
更に拳を振り上げたレオポルトだったが、絶望的な状況にも関わらずクツクツと笑っている京哉を見て動きを止めた。
「スゲェなって思って…アンタ。誰かに負けるなんて、一度も思った事ねぇんだ…そのツラ」
まるで自分なら勝てるとでも言うような京哉の口ぶりと態度に、レオポルトはその米神に血管を浮立たせた。彼の長い前髪を鷲掴みにし、鼻先がつくほどの至近距離まで顔を近付けて睨み付ける。
「テメェが何モンなのか、そんなの俺の知ったこっちゃねぇ。吐く前にくたばっても構いやしねぇんだよ」
「それは有難いね。生憎、正体がバレると色々と厄介なもので」
凄まれようが一切臆する様子を見せず軽口を叩く京哉に激怒したレオポルトは、掴んだ髪をそのままに彼の顔面目掛けて膝をめりこませた。ボタボタと音を立てながら鼻血が石畳に散らばる中、再度右フックで顔を殴り付け、腹にも膝蹴りを食らわせる。
喀血した京哉が膝をつくと、レオポルトは看守に持って来させた警棒を手にとって彼の正面に立った。
「正体がバレると厄介だと言ったな…?安心しろ…顔中の骨折って誰かわからない状態にしてから投げ捨ててやるから」
パシパシと警棒を掌に当てて息を整えるレオポルトの楽しげな表情。それとは正反対に看守達は表情を強張らせていた。
それは、あれだけレオポルトの猛攻を食いながら、血だらけの顔面をした男が口笛を吹き始めたからである。
現代ではその行為すら処罰の対象に値するというのに、呑気に京哉が奏でていたのはブラームスの子守唄。
舐め腐った彼の態度は当然の如くレオポルトの逆鱗に触れる。鬼の形相で振り上げられた警棒が京哉の頭部に迫った。
…………………………………………………………………………………
キンッと甲高い音が懲罰房の中に響く。次の瞬間には拘束されていた筈の京哉がレオポルトの背後に回り、振り下ろされた金属の棒は虚しく石畳の床を叩いた。
京哉の手首を拘束していた手枷から天井に繋がる鎖は途中で切断されている。彼は手首から伸びる1メートル程の長さのそれを素早くレオポルトの首に数周巻き付けると、両端をグッと引っ張って彼の首を絞め上げた。
すぐさま京哉を振り解こうと身を捩るレオポルトを援護しようと看守達が銃を構えて二人を取り囲む。しかし、京哉を狙えばレオポルトに当たる可能性もありなかなか引き金を引くに至らない。
どうにか引き剥がそうと暴れるレオポルトの背中に数発膝蹴りを入れた京哉は、グッと腰を落として後方に体重を掛ける。
そうしているうちに意識を手放した大男の体重が京哉の方にかかり、石畳の床に大の字に転がって昏倒している王の姿に、看守達は唖然とするしかなかった。
「あれー?王様に勝っちゃったね、僕。次は僕が此処の王って事で良い?」
自分の血で真っ赤に染まった顔でゲラゲラと笑う京哉の姿に慄いた看守達は、得体の知れないその男に向けて次々に発砲し始める。
慌てて倒れているレオポルトの上体を起こしてその背後に隠れると、彼の両腕を持って操り人形のように扱いながら裏声で彼らの方に口を開いた。
「そんなに滅茶苦茶に撃ったら俺に当たっちまうだろーがー!」
仕方なく銃を下ろした看守達の様子に、よしよしと満足げな京哉は徐に立ち上がって彼らの中から二人を指名した。
「そこの君達二人、都落ちした王様を運んで介抱してやりなさい!」
早く!と急かされ、大人しく従う看守二人。そして、その場に残った人間の方を指差した京哉は、にっこりと笑いながら次なる指示を出した。
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黒電話の受話器を持ち上げたのは、ババ抜きで負けたナツキだった。いつも通りの無駄に明るい声色が聞こえてくるが、それがAIだとわかってからは彼との会話を楽しむという気持ちは若干揺らいでしまった。
『ナツキか、どうした?君から連絡を入れてくるなんて珍しいね』
「やあ、ジャック。今東京近辺で活動してる調査班の人間で少しの間借りれそうな奴いる?」
楽団に依頼が来ている訳ではない。しかし、道夫が遭遇した怪しい外国人の男と人死が出た雑居ビルについて調べなければならない。必ず異端の企に繋がると考えたその場の総意である。
『何かあったのかい?』
「一般人使って悪さしてる怪しい外国人がいるんだと。巻き込まれた奴からのタレコミだから間違いねーし、オレ達全員異端の仕業だと思ってる」
ナツキの回答になるほど…と唸ったジャック。数秒間が空いていきなり保留音が鳴る。何事かと一回受話器を耳から遠ざけるが、その次に聞こえてきたロジャーの声に慌てて元の位置に戻した。
『横取りして済まないな、ジャック。君の報告は聞こえていたよ、ナツキ。生憎、調査班の人間の多くは出払ってて回せそうにない』
「あー…そうですよね。わかりました、社長。それじゃあオレ達で……」
自分達で直接乗り込むと言い掛けた時、それにロジャーが慌てて声を被せてきた。
『戦力が足らんだろ?いくらレイジの治療を受けたと言っても、戦闘になった場合まともに動けるのが君だけじゃあまりにも不利だ。それに、そんな状況じゃ[[rb:あの馬鹿 > 託斗]]が行くと言うに決まってる』
確かにあの人やる気まんまんだったなぁ…と元気にアキレス腱を伸ばしている託斗の方を振り返りながら肯定の返事を聞かせると、ロジャーは長いため息を漏らした。
『キョウヤがこっちに来ると聞いてからすぐ、代わりの旋律師を東京に派遣してある。そろそろ到着する頃だと思うから、アイツは現地に向かわないように頼むぞ』
「わ、わかりました…何とか留守番お願いする口実作ってみます」
ロジャーの気苦労がヒシヒシと伝わり、ナツキは同情しながら受話器をブロックボタンの上に戻した。
外国人の男が雑居ビルに姿を現すのは決まって土曜の夕方であると、道夫の証言を得ている。そして今日は図らずもその日であった。
まだ全快でないフユキとイヤイヤして着いてこようとする託斗を祐介に預け、ナツキ、麗慈、鬼頭、そして道夫の4人が現地に向かう事になった。
追い出された身の上で例の雑居ビルを再び訪れる事になった道夫の表情は暗い。しかし、ビル内の構造と相手のやり口を知る彼を連れて行く事は戦力不足である[[rb:楽団 > ギルド]]側にとって貴重なアドバンテージであった。
リュックタイプに改造したガンケースの中に収納したのは2丁の自動小銃。フユキの演奏で生成した音の弾丸を防音マガジンに込めたものと一緒にそれを背負ったナツキは、普段よりその女装に磨きがかかっており、彼の事を知らない人間が見れば男だとはまず気が付かない程だった。
深い緑色のロングスカートに生成りのドレスシャツ、臙脂のベレー帽とカットブーツを合わせれば、所謂森ガールスタイルの可愛らしい女子の完成である。
「とっても可愛いです、ナツキ!」
自らの手で仕上げた兄の顔を見て、フユキは恍惚の表情を浮かべていた。
「前回の依頼で京哉とやりあった女が死んだとなれば、恐らく異端に顔が知られてないのはナツキだけだ。お前は真正面からビルに侵入して中を探れ」
そう告げた鬼頭は、彼の編んだ自慢の編みぐるみをナツキのガンケースに取り付けていた。もちろんただの可愛い要素ではなく、中には小型の通信機が埋め込まれており、これを介してナツキの耳にはめられた小型のイヤーモニターで連絡を取り合えるようになっている。
そして、最後にナツキの小顔には少々不釣り合いなレンズの大きい伊達メガネを彼の耳に掛ける。グラスモニターになっており、縁に埋め込まれた超小型カメラの映像を遠隔地に潜む道夫に飛ばして指示を得る算段だ。
「で、俺とアンタはどうすんだよ?」
表立った戦闘に向いていない自分が何故現場に…と思いながら鬼頭に尋ねた麗慈。彼の不服そうな表情を見て背中をバシンと叩いた鬼頭は自分の顔を指差しながらその疑問に答えた。
「おう、俺と麗慈は敵の動き見ながら屋上に向かうぞ。万が一また奇妙な治療とやらの途中なら助け出して話を聞くのが早い」
楽団を誘き出すための行為であるなら、今も同じ事を繰り返している可能性が高い。そう続けた鬼頭は麗慈に暗視スコープとフルハーネスを手渡した。
二丁掛けのカラビナがついた頑丈な作りのハーネスをじっと見つめた麗慈の嫌な予感はこの後見事に的中する事になる。
…………………………………………………………………………………
より一層静まり返った夜の六本木。
道夫の案内で件のビルに到着した面々は、それぞれ持ち場に着いていた。
ビルの正面玄関から中に入っていったナツキの耳元に、道夫からの通信が届く。
『玄関を入ってすぐ左の階段は管理人室に繋がってます。普通の住居フロアへ行くにはまっすぐ突き当たりの階段を進んでください』
「りょうかーい」
20年以上前に放棄され廃墟と化したビルの低層階にはスナックやバーの看板が立ち並び、かつては賑やかな場所だったのだと想像できる。
今やそれらの区画にも全て住む場所を失った人間が勝手に住みつき、困窮に喘ぐ日々を過ごしていた。
『右手の飲み屋…ダルマの絵が描いてある赤い看板の所には、ちょっと面倒なご婦人が住んでいるので気を付けて通ってください』
面倒な?と聞き返す前に、そのご婦人とやらが店舗出入り口から姿を現してナツキの行く手を阻んだ。一見、人当たりの良さそうな恰幅の良い中年である。
目が合ってしまったからには、と思い軽く会釈をして通り過ぎようとした時だった。
「あらアナタ!見かけない顔ね!どこから来たの!?」
急に距離を詰めてきた彼女に肩を掴まれて、ナツキは咄嗟に笑顔を取り繕う。
「あらー!可愛らしいお嬢さんじゃないの!ささ!ちょっとお茶していきなさい!外は寒かったでしょう!」
グイグイと物凄い力で店舗の方に引き摺られていくナツキの様子をスマートグラスのカメラ越しに見ていた道夫は、顔を真っ青にした。そして、慌ててナツキに通信を試みるも、女が側にいる為一時的にミュート状態にしているようだった。
「……一体これは…」
再びナツキから送られてくる映像を食い入るように見つめる道夫は、夜風が涼しい中額から次々に溢れる汗を拭い続けていた。
いくら見た目は美少女でも、中身は23歳の立派な成人男性である。声を出せばすぐに男だとバレてしまうため、ナツキは身振り手振りで急いでいる事を伝えようとした。
「あら、そうよね。寒かったわよねぇ。今、お茶淹れてくるからちょっと待っててね!」
必死のボディランゲージも何も伝わっていなかったとわかり、ナツキは酷く落胆した。女が見えない所にいるうちに逃げてしまおうと思い静かに店舗内を歩き出す。
「……コレは…」
ふとナツキの目に止まったのは、15インチ程のタブレット端末を立て掛けているスタンド。その隣には白く塗装されたハンドベルが置いてあった。
端末の画面右端には赤い文字で数字のカウントダウンが表示されており、彼が最初に見た瞬間は720であった。
「ハジメくん…例の端末だ。住み着いてる人間の部屋の中に確認した。異端まだ悪趣味なお医者さんゴッコ続けてるみたいだぜ」
ドレスシャツの襟元に口を近づけて小声でそう伝えると、イヤーモニターから返事が聞こえてきた。
『何か気になる所はあるか?』
「ああ…今は680…679……次の演奏までのタイムリミットか?BPM60で変化してるから、恐らく秒針だ」
『12分無いな……わかった。俺と麗慈で屋上に向かう。男に会ったら気をつけろよ』
鬼頭との通信が切れた直後の事であった。店舗の引き戸がガラガラと音を立てて開き、スーツ姿の外国人の男がそこに立っている。
「あら!こんばんは!今日はこれから診察ですか?」
玄関の物音に気が付いた女が奥の調理場からひょっこりと顔を出すと、にこやかに男に向かって話しかけていた。
「こんばんは、マダム。今日もお願いしますね」
そう言いながら軽く頭を下げたのは、グレーの短髪をオールバックに纏めた男。ミュートを解除した時にイヤーモニターから聞こえる道夫の息遣いに焦燥を感じ取ったナツキは、目の前の人物が例の男で間違いないと確信した。
そっと視線を外し、手元を見つめてやり過ごそうとしていたナツキであったが、スーツ姿が真横に迫ってくるのを感じて心拍数が跳ね上がる。
「こちらのお嬢さんは?」
「ああ、さっき外から入ってきたからさ、寒いと思って中に入れてやったんですよ。とっても可愛らしいから、こんな時間に独り歩きなんて危ないでしょ?」
お茶を持って戻ってきた女が笑いながら湯呑みをカウンターに出す。
「そうでしたか。こんな時間にねぇ…」
そう言ってニヒルな笑いをナツキに向けた男。
バレているのだと察したナツキは咄嗟に後方に距離を取って背負っていたリュックを地面におろした。その瞬間に一気に距離を詰めてきた男は大きな手でナツキの頭を掴んで壁に叩きつける。
目の前で巻き起こる一大事に唖然とする女は、次に彼女の方に向かおうと身を翻した男が懐に隠し持っている凶器に気が付いていない。天井の裸電球の灯に反射した刃がギラリと光ったのを見た瞬間に、ナツキは揺れる脳を奮い立たせて自動小銃を構えた。
一般人の目の前だが、このまま男を屋上にあがらせれば麗慈と鬼頭が鉢合わせてしまうと思い立ち、ナツキは引き金に指を掛けた。
「伏せてろババァ!」
…………………………………………………………………………………
イヤーモニターから響いてくる銃声でナツキに何かあった事を知る鬼頭。安全な場所に控えている道夫に連絡を繋ぐと、彼からは案の定の返答が寄越された。
『ナツキさんが……銃を…』
「わかった。アンタは引き続き、ナツキをサポートしてやってくれ。俺たちは屋上に向かう」
『あ、あの……』
道夫が何かを言い掛けていたが、今はそれどころではないと通信を切った鬼頭。
真向かいに聳える同じ高さのビルの屋上に待機していた鬼頭と麗慈は、あらかじめ架けておいたワイヤーロープにカラビナを引っ掛ける。
先に飛び出した鬼頭の体重でワイヤーロープは大きく軋むが、無事に屋上まで到着していた。彼に続いて今立つビルの床を蹴った麗慈。冷たい夜風に晒されながら白衣の男がビルの間を舞っている様子は奇妙以外の何物でもない。
鬼頭に手を引かれて屋上によじ登った彼の視界に飛び込んできたのは、乱雑に置かれた2畳程の広さのコンテナルーム。
周囲を警戒しながら近付いていくと、扉があらかじめ開け放たれていた真っ暗な室内で等間隔に響く電子音が不気味さを醸し出していた。
壁に設置されたスイッチを押して室内に明かりが灯り、中央に据えられたベッドに縛り付けられている男がその眩しさに驚いた様子で暴れ出した。
「い…嫌だ……っ!もうやめてくれ!」
「落ち着け。お前さんを助けに来た」
鬼頭に促されて麗慈がベッドの横まで進む。そして、彼の胸に刺さる複数の金属棒を凝視した。続いて、心電図を計測している機器の液晶を確認する。
「やっぱりな…」
そう呟いた麗慈は、ラテックスの手袋をはめながら金属棒を掴むと徐に引き抜いた。痛みにもがく男の悲鳴を聴きながら、10本程突き刺さっていたそれら全てを床に投げ捨てる。そして、手や足に突き刺さっていた同じタイプの電極も一気に引き抜いた。
「おい、大丈夫なのか?心臓は」
「いたって健康。治療の必要は無し」
麗慈によると、特に問題なく動いている心臓の周辺に金属棒が差し込まれていたのだという。
「住人の奏でたベルの音で作られた電気が電極を通して心臓に流れれば……下手すりゃ心室細動起こして逆に死ぬ。恐らく、拷問の最中では手足の電極だけに電気が流れるように切り替えてたんだろ。な、アンタ」
息を切らして天井を仰ぎ見ている男は、ガクガクと唇を震わせながら首を縦に振った。
「楽団…現地作業スタッフの…宮地と申します…」
「宮地さんか。アンタ、何処で攫われて男には何を聞かれた?」
鬼頭の問い掛けに対して、宮地と名乗った男は首をフルフルと横に振った。どういう意味だ、と顔を見合わせる二人。
「直近の作業場所で攫われました……一般人の侵入を防ぐために最後に鍵をかけてから現場を離れるのですが……そこで背中を向けている隙に背後から殴られて……でも、本当に何も聞かれていません。ただこの場所に縛り付けられて……」
宮地がそこまで言い終わると、二人のイヤーモニターからノイズ混じりに響いたナツキの声が鼓膜を震わせた。
『ワリィ弾切れだ!足止めしたかったがもう限界!』
それは、あのスーツの男が屋上に迫ってきている事を意味していた。
[30] Estremo I 完
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