MELODIST!!

すなねこ

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#036 Impromptu

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ウィーン・71歳男性「彼女は確かに優秀で頼れる部下ではあるんだが…その真面目さが仇というか…。そう言えばエイプリルフールだというのに冗談が通じず、仕事の為にと地球の反対側にいた事があったな…」


…………………………………………………………………………………




 カウンターに置かれた3枚の請求書。
 追加のタングステン棒材の料金、ハフニウム粉末とその加工費、技術追加料金。其々の名目の下には、0の数を指折り数える程の高額が記載されていた。

「た…たか……」
京哉が煤に汚れた手で請求書に触れようとした寸前の所で、ウォルターの母親がそれらをひったくって封筒に納めた。
「言い値で構わないってアンタの上司は言ってたそうじゃないか。ウチも海外に輸出できなくなってから経営難なもんでね。お言葉に甘えさせてもらうよ」
ヒヒヒッと魔女の様に笑う老婆の姿に、まだまだ老い先は長そうだと眉を下げた京哉。

 ウォルターと共にフルート製作を始めてから丸二日。ウィリアム・ハンネスが遺した超耐熱セラミックコーティング技術を使い、タングステンから必要なパーツを作り出す工程までが完了していた。

「あとどれぐらいでできるの…僕のフルート?」
「普通はタンポとトーンホールを馴染ませる為に一定期間シーズニングするんだけどね。恐らく素材が素材だけに、期間が空いてミリでも狂いが出る可能性を考えたらさっさと組み立てから調整するんだろうよ。早ければ明日には出来てるんじゃないのかい?」

請求書が入った封筒を手渡してきたウォルターの母親がそう告げると、途端に京哉の表情が明るくなっていく。
 ほぼ40時間ぶっ通しで演奏し続けた京哉は、疲労と酸欠でフラフラの状態であった。管楽器で挑むべきではなかったと非常に後悔していたが、幼い頃に託斗から誘われたピアノのレッスンを二つ返事で断ってしまっていた為、他の選択肢は無かったのだ。例え、ピアノであっても流石に40時間は体にガタがくる。
 一刻も早く宿に戻りたい、と半分眠ったような状態でカウンターに背を向けて歩き出した京哉を、老婆が引き止める。

「アンタ、そのフルートは置いていきな」
彼女が指差しているのは、京哉が小脇に抱えていた母親の形見のフルートであった。
「え?モノジチ!?逃げたりしないってば!支払いなら後から…」
「違うよ。アンタと同じで、そいつもボロボロになってんだろ?煤や埃が入り込んだままだといけない。しっかりオーバーホールしてやるから貸しなって言ってんだよ」
なるほど…と頷いた京哉は、両手でハードケースを手渡しながら深々と頭を下げる。





…………………………………………………………………………………


 秋を感じることも無く、季節はいつしか冬になっていた。京哉は美しい星空を仰ぎ見る余裕も無く、容赦無く吹き付ける乾いた風を全身に浴びながら走り出す。
 比較的治安の安定しているオーストリア国内は、近隣国から富裕層の観光客が多く訪れていた。特にウィーンやザルツブルクは人気があり、自国では楽しめない禁止物を目当てにする客も少なくないという。
 そんな彼等からの投げ銭を目当てに、ストリートパフォーマンスをする素人の演奏家が歩道に人集りを作っており、時折京哉の行手を阻んだ。

 やっとの思いで、アコースティックギターの弾き語りに集まる人々の中をすり抜ける事に成功した京哉。しかし、数歩進んだ先で道に座り込んでいる男児と目が合ってしまい思わず足を止める。
 体育座りの状態でじっと京哉を睨み付けている彼は、ギターケースの縁を小さな手でバンバン叩いてからその掌を差し出して来た。
「……か、カツアゲ…?」
「目が合った。寄越せ」
太々しい態度とは裏腹に酷く痩せている男児の髪はボサボサで、服は薄汚れている。作業後で人の事を言えるような状態ではない京哉であったが、何か事情があるのかと思いギターケースの前にしゃがんで彼に話しかけた。
「演奏は?気に入ったら払うもんじゃねーの?」
しかし、男児はムスッと頬を膨らませて俯いてしまう。
「……お前、アジア人だろ。音楽の都だからって、子供から大人まで全員が全員楽器できる奴だと思うなよ」

男児の言い分はもっともであったが、では何故ストリートパフォーマーの中に混ざって物乞いなどしているのだろうか。

「隣の人達だって、何の努力もしないで演奏できるようになった訳じゃねーだろ。楽器がダメなら他の事は?玉乗りとか、皿回しとか」
猿回しと勘違いしているような京哉の質問に、マセた男児は鼻で笑いながら返す。
「そんな事で稼げりゃ苦労しねーんだよ」
再度ギターケースを叩く彼を睨み付けながら、このままでは解放してくれなさそうだとスラックスのポケットから財布を取り出した京哉。小銭を数枚手に取り、何も入っていないギターケースの中に投げ入れる。
 すると、彼はフカフカなベロアに沈み込む硬貨が街灯に煌めく様子を見て満足そうに歯を見せながら笑った。
「ひひっ!まいどー」
そう言いながら男児が手渡してきたのは、色紙を折って作った小さな便箋。訝しげな表情でそれを受け取った京哉に向かって、男児はパチパチと手を叩き始めた。
「お兄さん優しいなぁ!お兄さんのことは一生忘れないよ!」
調子の良い奴だと思いながらも、立ち上がった京哉は男児の頭をグリグリと撫でながら最後に告げる。
「せいぜい、人見て商売しろよガキンチョ」
 曲がり角でもう一度男児の方を振り返ると、顔も確認出来ない程遠く離れていると言うのにまだ手を振り続けていた。



 ホテルまで残り100メートルという所の人通りの少ない細い道路で、京哉はふと立ち止まる。
 そして、先程男児に手渡された小さな封筒を財布の中から取り出し、封を開けてみた。手を添えて逆さにしてみると、中からは3粒の白い錠剤がそのままの状態で転がり出てきた。
 ラムネ菓子だろうか。裸で出てきた物を口に含むのも気が引ける。男児には悪いが後でそっと捨ててしまおう。そう思った矢先であった。


…………………………………………………………………………………

 

「お兄さーん、ソレ何処で手に入れたの?」

突如物陰から声を掛けられた京哉だったが、何者かに付けられていたのは気付いていた様子でめんどくさそうに小さく息を吐く。
 声が聞こえた方には5人の若者が立っており、揃いも揃って人相が悪い。以前ウィーンに住んでいた頃もよくチンピラに絡まれていた京哉は、彼らの対処には慣れている。

「えっとー…いんぐりっしゅ、ぷりーず、ぷりーず、ぐーてんもるげん?」

明らかに現地人とは異なる見た目を利用し、わざと言葉が通じないテイを装うのだ。

「何だコイツ…!?坊主と話してたのは見間違いか?おい、どーすんだよ?」

男達が困惑する様子で、先程路上に座っていた男児との関与を仄めかす会話をしている。さっさとずらかろうと考えていた京哉だったが、何やら訳アリな彼の事が聞けるやもと、演技を続けることにした。



「でぃすいーず…何コレ?何?わっつ?」
日本語と片言の英語を交えた気味の悪い言葉で尋ねながら、手のひらに乗る白い錠剤を指さす。
「言葉わかんねーんじゃ、ギルドの名前出しても脅しになんねーだろ。シャブだけ回収して次行くぞ!」
男達の一人が口にした『ギルド』という言葉を聞いた京哉は、手のひらの錠剤を取り上げようとした彼の手を掴み取る。
「何だテメェ!?テメェに用は無ェ!手を離せ!」
無理矢理振り解こうとした男の腕を掴みながら180度後方に身体を回転させ、柔道の釣込腰の要領で相手を投げる京哉。
 いきなり反撃に出た京哉に激昂した様子の彼等だったが、襲いかかる度簡単に投げ飛ばされてしまう。ついに最後の一人が京哉の真正面に飛び出すも、掴み掛かる寸前のところでヒョイと躱されてしまい、勢い余って道路標識のポールに顔面を強打していた。
 ものの数秒で全員をのしてしまった京哉は、ピクピクと痛みに悶えている彼らの顔を順番に覗き込んでいく。目が合い、怯える彼らの中から一人を選ぶと、その前髪を鷲掴みにして顔を鼻が触れ合いそうな程至近距離まで近付けた。
「一番元気そうな君にしようかなー……僕、教えて欲しい事があるんだよね」
ニコリと爽やかに笑ってみせた京哉に、掴まれている男は恐怖で肩をビクリと揺らす。
「…ど、ドイツ語……話せんじゃねーか…」
「ん?ぜんぜんわかんなーい。こっち来てぷりーずぷりーず」
ズルズルと低木の裏手に引き摺られていく仲間を見送る事しか出来なかった残りの4人は、暗がりから聞こえてくる鈍い音と悲鳴にガタガタと奥歯を鳴らしていた。



…………………………………………………………………………………

 翌日の朝、同じ道を通ってウォルターの店に向かっていた京哉は、昨夜ギターケースを置いてあった場所にあの男児だけがポツンと立っているのを目にして声を掛けた。

「よ、ガキンチョ。アコギな商売はもう辞めたのか?」
右手の親指と人差し指でお金のマークを作った京哉を見て、男児がニッコリと笑った。
「兄チャンが昨日の夜、誰かにボッコボコにされて帰ってきたんだよ。そんで、もう手伝わなくて良いって言われたんだ」

 昨夜、京哉に襲い掛かってきた5人組の男達の一人が、男児の兄であったようだ。
 詰問された男が簡単に吐いた情報によると、彼等は“ある儲け話”を聞いて男児に物乞いのような真似をさせていたというのだ。

 男児は情けをかけてギターケースの中に金を入れた人間に、白い錠剤入りの封筒を手渡すように指示されていた。
 その様子を物陰から隠れて見ていたチンピラ達が、人気の無い場所に移動した募金者に詰め寄るのだ。
「お前が持っているのは覚醒剤だ。この街で薬物の元締めをしているギルドという会社に知れたら、そいつを何処で盗んだのか吐くまで嬲られるぞ。嫌なら金を寄越してソイツを返しな」という長台詞を、本来なら京哉のようなカモが聞かされる予定であったという。
 “儲け話”とやらを持ち掛けてきたのは、両手に皮の手袋をした中年の男で、右頬にある大きな傷跡が印象的であったと、チンピラの一人が話していた。

 男児が昨日と全く同じ服を着ている様子に、京哉は胸騒ぎを覚える。
「パパとママは?」
「いないよ。パパはお仕事が嫌になっちゃってお酒ばっか飲むようになってさ…愛想尽かしたママは僕達を置いてどっかいっちゃった。パパはその後少しして、病気で死んじゃったし」
よくあるパターンの話と言えばそれまでだが、あまりにも他人事のように淡々と話す男児の様子は異様であった。
「じゃあ、兄チャンがしっかりしねーとな。どこにいんの?その兄チャンは今」
「それがさ…いきなり働き始めるって言い出して、今日はこれから…」
男児がそこまで言ったタイミングで、彼の背後から作業着姿のチンピラが一人登場した。京哉の顔を見るなり、息を切らしながら白目を剥いて後退る。彼は、昨夜成敗したチンピラの中でも京哉に最後の最後までボコボコに殴られていた男だったのだ。
「あ、兄チャン!これからおじさんの所で仕事なんだよね」
何も知らない無垢な眼差しの男児の声にすら動揺していた様子の男に、京哉は更に追い討ちをかけていった。
「お仕事頑張ってくださーい。真面目に働かないと……大変な事になりますからねー」
最後にトドメと言わんばかりに、ニヒルな笑みを浮かべた京哉を見て、悲鳴を上げながら走り去っていった兄の様子に男児は小首を傾げていた。

「兄チャンにちゃんと食わせてもらえよ」
ポンポンと男児の頭を軽く叩いた京哉は踵を返した。去っていく彼の背中に手を振る男児。
「またお小遣いちょーだいねー」
アコギな商売は辞めたんじゃないのかと、ツッコミながらも京哉はどこか満足そうにニヤニヤと笑いながらウォルターの店へと歩いていった。




…………………………………………………………………………………



 デスクの上に置かれていたPHSがブルブルと震えて着信を知らせる。朝から何事だと眉を顰めながら、液晶に示された名前に目を通したロジャーは通話ボタンを押した。

『あ!おはようございます、社長』
「最近は君からよくかかってくるな…一体どうした?」
所々声が遠くなったり、背後で物音や人の声が通り過ぎる状況から、移動中だと察する。
『支部長に繋がらなかったので…すみません。昨夜ですねェ…』
京哉から伝えられたのは、昨晩彼が遭遇したチンピラ達の手口について。

 表向きには一般企業として構えている楽団ギルド。音楽家以外の人間も多く在籍しているが、これ迄に犯罪に絡んだ悪い噂が流れた事は無い。
 その裏の顔を知る者達もまた、後ろ暗い理由で楽団ギルドを頼ってくるような連中ばかりであり、噂を表社会に暴露する様な下手は打たないのだ。

「…出鱈目を吹聴して世論を煽り、楽団ギルドに捜査の目を向けさせるのが目的なんだろうが……随分と姑息な手を使う奴もいたものだ」

 爆発事件の時と同様、楽団ギルドの表の顔と裏の顔のバランスを崩させ、活動を鈍らせようという動きの一部だとロジャーは直感しているようだった。

『犯人見つけたらどうします?殴ります?』
「調査班の方に情報を回しておこう。君は自分の事に集中して早く復帰しなさい。まったく…やはり親子というか何というか君もタクトと同じように…」
チクチクとロジャーが小言を言い始めた所で慌てて通話を切ろうとした京哉であったが、気になるフレーズが耳に届いて手をピタリと止める。

「君の上司ですら今日は外で忙しくしてるんだぞ」
『……支部長?電話出ないと思ったら出掛けてるんですか?』
右手に持ったままのボールペンの先をトントンとメモ用紙の上に軽く叩きつけながらPHSを肩と耳の間に挟み、左手で頬杖をついたロジャーは深いため息をついた。
「本来ならキョウヤに振る筈の仕事だ。そろそろ相手を出迎えた頃だろうな」







 静かな滑走路を暴風が撫で、ジャンボジェット機が地上に舞い降りる。
 ワシントン・ダレス空港発、ウィーン国際空港行きのこの便は座席のほとんどか観光客で埋め尽くされていた。
 8時間半にも及ぶ長い空の旅を終えた彼らが、オーストリアに到着して最初に耳にしたのは、暗い声色でトラブルについて説明をするフライトアテンダントのアナウンスであった。

「大変申し訳ございませんが空港スケジュールに不具合があり、予定していた到着口に当機を横付けすることができなくなってしまいました」

ブラインドを上げて小窓から外の様子を確認したペネムは、ジャンボ機がまだメインターミナルから遠く離れた位置で待機している様子を見て唇を尖らせた。

「ラファエルー。僕、お尻が椅子とくっついちゃいそうだよ。早く降りたい!」
「まぁまぁ、トラブルってんだから仕方ない。もう暫く大人しく待ってな」

隣に座るチロリアンハットのスーツの男は、これは時間が掛かりそうだと畳んでいた新聞を再度広げる。特に暇潰しの道具を持ち合わせていなかったペネムは、窓の外の様子を眺めるしかなかった。

「お客様にはこの場にて飛行機から降りていただき、バスにてターミナルへと向かっていただきます。只今より急ピッチで準備を進めて参りますので、乗務員の指示があるまではご自身の座席から離れぬようお願い申し上げます。急な予定変更となり大変申し訳ございませんでした」

深々と頭を下げたフライトアテンダントはマイクを壁にかけると、ヒールの靴を履いているにも関わらず俊敏な動きでその場を離れていった。


…………………………………………………………………………………


 国際指名手配されている男が搭乗している。ウィーン警察からの連絡を受けたオーストリア航空管制官は、該当機をターミナルから一番離れた滑走路に着陸させた。
 そして、地上誘導員の指示に従いながら、今は使用されていない予備滑走路へと向かっていく。

 もちろん、ラファエル達が指名手配されたという事実は無い。しかし、幾度となく国内外のフィクサー達の闇を隠蔽してきた楽団ギルドにはそれなりのコネクションがある。一時的に滑走路を封鎖しての大立ち回りですら何ら造作の無い事である。


 リージョナルエアブリッジが機体に接続されると、アテンダントの指示で席から立ち上がった乗客達がゾロゾロと機体の外に誘導されていく。
 乗客達の列に混じってオーストリアの地に足を踏み出したラファエルとペネムの二人。地上にいた誘導員が二人の目の前に両腕を広げて立ちはだかった。

「2号車の方にご案内致しますので、こちらにどうぞ」

踵を返した誘導員の後に続いて滑走路上を歩いていくと、ターミナルの方から今し方到着したバスの乗降口が開いた。


 そして、白い燕尾服を纏った彼女の姿を視認すると、ラファエルはそっと後方を確認した。そこでようやく、彼等の後ろには誰も他の乗客が続いていない事に気がつく。滑走路上の騒音が、後続の足音が途切れた事実を掻き消していたのだ。
 チロリアンハットに手を置いて頭を抱えたラファエルがボヤく。
「これがオーストリア式の歓迎ってやつ?」
「ラファエル、そんなこと言ってる場合?相手は一人だけだし、さっさと片付けて次の…」

 ラファエルの服の袖を引いていたペネムの両腕が宙を舞い、ぼとりと鈍い音を立てながら割れたアスファルトの上に転がった。
 綺麗に切断された腕の断面からじわりと血が滲み出たかと思えば、次の瞬間には噴水のように吹き出してラファエルのスーツを汚す。

「わ…あ……ぁああああぁぁああっ!!!いたい!いたいよ!ラファエル……!僕の…うで……うでが!」

両腕を失った事で体のバランスを崩したペネムは、パニック状態のまま倒れ込み、地べたを這いずり回っていた。
 泣き叫ぶペネムをそのままに、ラファエルはじっと白い燕尾服の方を凝視していた。
 一瞬も目を離した自覚は無かったにも関わらず、その姿は何処にも見当たらない。


「先に言っておこう。貴様らには交渉の余地も、この状況を脱する術も無い。目の動き、手の動き一つで今度は子供の脚を刎ねる」

右手にサーベルを持ち、高い位置で結い上げた長い緑色の髪を滑走路の暴風に靡かせていたミーア。ラファエルが踵を返し、いつの間にか二人の背後に移動していた彼女の方を向こうと足を引いたその時には、既にペネムの左脚は膝関節より下が失われた状態だった。

 あまりの痛みに狂った様にのたうち回る子供の叫び声が響く。

…………………………………………………………………………………


楽団ギルドじゃ子供でも躊躇なく殺るって噂は本当だったらしいな」
両手を耳の高さに上げてアスファルトの地面に跪いたラファエルの正面に立ったミーアは、サーベルの切先を彼の喉元にあてながら口を開く。
「さて…手短に終わらせよう」
彼女の目配せで、いつの間にか集結していた[[rb:旋律師 > メロディスト]]達がペネムの周囲を取り囲んでいた。四肢の殆どを奪われ、身動きすらままならず涙を流し続けるペネムを担ぎ上げ、横付けされたセダンに運び込む。
「ペネム!」
 ドアが閉められようという瞬間に、子供の方に大声で叫んだラファエル。それに応えるようにして大きく息を吸い込んだペネムが、「讃美歌第429番 愛のみ神よ」を美しいソプラノで歌い始めた。
 ニヤリと笑ったラファエルの耳や目からは、一筋の血が流れ出している。



「貴様などと道連れは御免被る」


 ラファエルは目の前のミーアが一切動じていない姿を目の当たりにして、ペネムの歌声が耳に届いていないのだと理解した。
 讃美歌を聞く事によって相手の中枢神経にダメージを負わせる彼の歌声。ラファエルが旋律師メロディスト達を拷問にかける際、彼は必ず自らのグロッケンの演奏で伴奏をつけていた。ラファエルの奏でた音は周囲の音を屈折させる。ペネムの歌声に指向性を持たせる事で、ラファエル自身はその場にいながら攻撃を受けずに済んでいたのだ。

「はっ…残念だ。それで、私達から何を聞き出そうって?」
 渇いた笑い声を上げたラファエルを睨み付けたミーア。彼女を始め、現場に向かった旋律師メロディスト達は、完全遮音仕様のイヤーモニターを両耳に装着していた。ラファエルの声は最初から何一つ届いていない。
「子供を殺人の道具に使う外道が……これ以上酸素を浪費する事も、声を発する事も度し難い」

 横一閃に薙ぎ払ったサーベルの切先がラファエルの首を綺麗に跳ね飛ばす。宙を舞った首がぼとりと鈍い音を立ててアスファルトに転がった後、それを追うようにして胴体が地面に吸い込まれていった。

 燕尾服の胸ポケットから取り出したクロスでサーベルに付着した血液を拭うミーアに、ペネムを収容し終えた旋律師メロディストが駆け寄っていく。
「支部長、子供の方は眠らせて止血処理を行いました。この男はいかがいたしますか?」
ペネムの歌の影響で目と耳から血を垂れ流しているラファエルの死に顔を一瞥すると、彼女は特段興味無さそうに踵を返しながら指示を出した。
「首は回収して異端カルトに突き返してやれ。胴体はいつもの業者に連絡し、回収させろ」
冷たく言い放ったミーアの横顔に深々と頭を下げた旋律師メロディストの男は、彼女がバスに乗り込んだ事を確認すると大きく深呼吸をしながら脱力した様子を見せる。



「どうしたんだよ、さっさと動け」
近くにいた別の旋律師メロディストが彼の肩を叩く。
「いやぁ…支部長って、本社にいる時はただのお堅い上司って感じだけど……戦闘になると噂通りだなって」
「噂……あぁ…」
納得した様子の男は、ラファエルの髪を鷲掴みにして首を持ち上げながら頷いた。
「怖ェよー…俺らの支部長は。なんてったって楽団ギルドの番人だからな。直属の部下があれだけ殺されて、相当頭にキてたって聞くぜ」
綺麗に切断された首の断面を再度確認した男は、ミーアの鮮やかな剣捌きを思い出して天を仰いだ。


 ミーア・ウィルソンは支部長クラスの中では唯一託斗の超絶技巧を持たない人間である。
 京哉に旋律師メロディストとしての奏法を教えた彼女もまた、音エネルギーによる金属の状態変化と再構築を得意としていた。
 しかし、京哉はダイヤモンドの次に硬い素材であるタングステンを変形させるのに対し、彼女が操るのはごく一般的なフルートの材料であるスターリングシルバーである。
 タングステンと比較すれば硬度の高くないスターリングシルバーで形成したサーベルは、戦闘に耐え得る強度ではない。しかし、ミーアの作るサーベルの刃はその周囲を音速で回転する音エネルギーの流れが纏わりついている。
 例えるなら、視認できない高速回転するチェーンソーの刃を振り回しているようなものだ。彼女はサーベル本体ではなく、音エネルギーの回転刃で物を切断していた。


 超絶技巧を使わずとも高い戦闘力を誇るミーアは、その実力を買われて歴代最年少で支部長を任された腕利きの旋律師メロディストである。


…………………………………………………………………………………



 ウォルター・キックス楽器店の扉を開けると、老爺がカウンターからひょっこりと顔を出した。そして、店の奥に下がって大声を出す。

「ウォルター!お客さん、戻ってきたぞー!」

老爺の声を聞いてドタドタと足音を鳴らしながら店に顔を出したウォルターは、煤だらけで疲労困憊の表情とは裏腹に何やら落ち着かない様子で京哉を作業場の方へと手招いた。



 壁の両サイドに掛けられた様々な楽器のパーツを落とさないように身を捩りながら狭い廊下を抜け、ウォルターが今し方調整を行っていた部屋に入る。
 ヤスリや木槌、設計図が乱雑に置かれた木製の机の上には、京哉が預けたジュラルミンケースが横たわっていた。
 待ちに待ったフルートが完成したのかと、目を輝かせながらジュラルミンケースとウォルターの顔を交互に見やる京哉の肩を押して机の前へと近づける。

「開けてみろ」

 ウォルターの許しが出て、待てを食らっていた犬の様に急いでケースの止金を外す。蓋を持ち上げ、ベロアのクッション材に包まれて鎮座していたのは、鈍い光を放つ三本に分かれた管。

「お前が納得すれば、俺の仕事はコレで終わりだ。散々無理に付き合わされたが、職人として最後まで責任は持つ。調整するから試しに吹いてみろ」


 約一ヶ月ぶりに自分のフルートに触れる京哉の手は少し震えていた。苦労に苦労を重ねて作り上げた楽器。慎重に各管部を組み立てチューニングを始める。
 フルートの音を聞いて作業場に駆け付けたウォルターの母親が、壁に立て掛けてあったパイプ椅子を引っ張ってきて京哉の目の前にドカっと腰掛ける。

「サン=サーンスが良いね。動物の謝肉祭の鳥かご」

いきなりやってきて難曲をリクエストしてきた老婆。運指が難しい曲で試奏した方が細かな調整には良さそうだと、京哉は首を縦に振ってリッププレートに唇を乗せた。

 冒頭から細かく連なる音の粒を、ブレスと運指、タンギングの技術で難なく奏でていく京哉。「大きな鳥かご」と題されているが、曲調は大空を舞う鳥そのものを表現しているように思える。
 一通り主旋律を奏で終え、そっとフルートを口元から離す。正面で彼の演奏を聴き入っていた老婆は、乾いた掌でパチパチと拍手を贈りながら和かに笑っていた。

「…凄い肺活量だねアンタ。タングステン製でそこまで鳴らせる人間はそうそういないよ。……良かったじゃないか、ウォルター」

 壁にもたれ掛かって京哉の演奏を聴いていた筈のウォルターは、連日の作業で蓄積した疲労のあまり立ったまま熟睡してしまっていた。

「おや……客の前でだらしない奴だ。何か注文はあったかい?」
老婆はやれやれ、とため息混じりに京哉に尋ねる。
「少しだけ……。でも、自分で直せるところだし、起こすのも悪いからこのまま受け取るよ。社長に小言言われるから、今日こそウィーンに戻らないと」
クロスでフルートを拭きながら答えると、老婆は眉を下げながら首を縦に振った。
 そして、ゆっくりと立ち上がり、陽光の差し込む小さな窓の方へと向かう。

「……楽団ギルドの人間がうちの店に依頼に来たのは、本当に久しぶりでね。最初に楽器を渡したのはまだウォルターがガキの頃だったよ」

踵を返した老婆の笑顔が、どこか悲しみを孕んでいるようで、京哉は思わず手を止めて身体を彼女の方へと向けた。

「私と旦那が丹精込めて作った楽器は、例外なく人殺しに使われたよ。私達夫婦は割り切って仕事を受けたけど、あの子は違った。……楽器が好きなんだ。だから、バラバラになったフルート見て憤った」


…………………………………………………………………………………


 音をエネルギーに変換する夢の技術、ハンネス機関。ウィリアム・ハンネスがその複雑な機械を完成させる前から、音エネルギーを武力化できる音楽家は存在していた。
 音は、音楽は、文化であり、娯楽である。本来、人々に親しまれ、愛されるべき存在なのだ。音楽を生み出す楽器も、然り。
 愛される筈の我が子が望まぬ形で人々の命を奪う道具にされていると知れば、楽器職人彼らは当然悲しみ、苦しむだろう。
 かつて、音楽がまだ愛されていた時代に多くの楽曲を生み出してきた偉人達は、今の時代を見てどう思うのか。



「…やめてくれとは言えないよ。手を離れれば、もうアンタらのモンだ。どう使おうが構わない。だけど……」

そこまで言うと声を詰まらせた老婆。窓の外を眺めるその瞳から、深い皺が刻まれた頬に一筋の雫が流れるのを、京哉は見逃さなかった。

「禁止物だなんだと言われて、この国以外じゃ闇市に流れるような代物……音楽やるために使ってくれんのは、楽団アンタらぐらいしかいないってのもわかってんのさ」

 老婆の紡いだ言葉に、京哉は前回の依頼人である矢馬岸灼の事を思い出した。
 先代の遺したガラス製の楽器。矢馬岸家の家宝を護るという彼女からの依頼は失敗に終わった。しかし、楽器としての本来の価値を見失っていたという灼は、京哉の奏でたガラスのフルートの音色に惚れ込み、パトロンになる事を決めたのだ。

「……またオーストリアに来たら、あのガゼボの庭でアンサンブルしよう。婆さんの好きなジャズで」

窓際に歩み寄った京哉が右手を差し出すと、眉にグッと力を入れた彼女は笑顔を取り繕って握手に応えた。

「良いね…こんな婆さんで良ければ、いつでも大歓迎さ。タングステンよりもシルバーの方が音が馴染む。合わせる時はこっちにしておくれよ」

そう言いながらもう一方の手で彼女が懐から取り出したのは、オーバーホールの為に預けていたシエナの形見であった。
 革張りのハードケースを受け取ると、京哉は大事そうにその表面を手で撫でながら首を縦に振った。

 楽器が音楽を奏でる為だけに、そして音楽が人々の娯楽の為だけに奏でられる時代に戻る事。
 それは、楽器職人のみならず、エネルギー革命以前を知る者、そしてただ純粋にフルートを愛していた母親の願い。京哉がこの世に産まれた時、両親が彼に託した切なる願いそのものであった。



[36] Impromptu 完
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