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#041 lamentoso Ⅱ
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東京都・39歳男性「息子が今度は男の人を相手にする風俗で働き始めたらしくて、パパはとても心配です。少し前に刑務所から出所してきたばかりですよね?破天荒な人生を楽しんでいるみたいですね。パパが若い頃は…
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新宿2丁目のとある路地裏、雑居ビル群に囲われた薄暗い空き地の奥に地下空間へと続くエレベーターが存在する。
電気を失った地上の様子とは正反対に、色取り取りのLEDライトが煌めく常夜の街。
天井にはプロジェクションマッピングで星空が描かれており、地下である事を忘れてしまう程に美しい。
30ヘクタールもの広大な敷地には綺麗な碁盤の目状の街並みが形成されており、其々の区画でモチーフとしている景観が異なっていた。
北地区の『玄武』、南地区の『朱雀』、東地区の『青龍』、西地区の『白虎』から成る極楽町。
中央に聳える中国の宮殿を模した巨大な構造物では近日中に、花一匁と呼ばれるこの花街最大の祭が開催される予定であった。
「順番にIDカードをスキャンして登録情報の認証を済ませろよー」
グレーに紫色のストライプという独特な配色センスのツーピーススーツを纏った黒いオールバックに金縁のサングラスを掛けた如何にも胡散臭い風貌をした男は、京哉がこれから潜伏する“バイト先”の上司であった。
「お!今日から復帰ね、待ち侘びてたよー!」」
男は手持ちのバインダーに挟み込んでいた数枚の資料に目を通しながら、今し方IDをゲートに通した青年の方に告げる。彼の目の前には、目深にフードを被った京哉の姿があった。顔の半分を覆う大きな不織布のマスクと伊達メガネを装着している。
「で…真城さんになりきって潜入すれば良い、って事ですよね?生体認証はどうやってパスしますか?」
京哉は極楽町に来る前、待ち合わせの場所として指定された喫茶店の中で今後の調査の進め方について話し合っていた。大山田ひな子が戸籍を買い取ったという青年の名は、真城涼。
親の作った膨大な借金を返済すべく、風邪で倒れるまでずっと住み込みのアルバイトをしていたという。
「今月の認証は網膜パターン。事前に真城の瞳を忠実に再現した特注のカラーコンタクトがここにあります」
とても素人とは思えない程の抜かり無さで、ひな子が手の平程の大きさの紙の箱を手渡してきた。
「わかりました。あ、あと……真城さんの方からは、僕が中で活動するに当たって前持って知っておいた方が良い事があれば教えていただけますか?」
ひな子の後方に控えていた真城は、此処では少し難しいと言いながら京哉に喫茶店から一度出るように促した。彼に続いて厨房奥の裏口から店外に出る。
換気扇の連なる店舗裏の薄暗い空間で踵を返した真城は、京哉の頭から爪先までを何回か往復して眺める。何かを確認するような彼の動作に戸惑った京哉は、一歩後退りしながら尋ねた。
「な、何か…?」
しばらくジッと黙ったままの真城であったが、何故か意を決したような表情でいきなり京哉の両手を勢い良く握る。
「マッッッッッッッジでありがとう!!」
「………はい?」
目を瞬かせて動揺する京哉の手を離した真城は、深く深く息を吸い込みながら両腕を大きく広げて空を見上げた。
「もうあんな場所に行かなくて良いって思うと嬉し過ぎて…!偶然奥様が俺に目を付けてくれたとはいえ、身代わりになってくれるアンタにマジで感謝してるよ」
あんな場所…と彼の言葉をボソリと繰り返した京哉は、そこはかとない不安を感じ始める。
「あ、あのー…極楽町ってそんなにヤバい?」
京哉の問い掛けに視線を彼の方に戻した真城は、今度はどこか悲しみを孕んだ表情で長い溜め息をつく。
「町の中についてざっくり伝えとく。どこも同じような見た目で迷いやすいから」
金属製の階段に腰掛けた真城は、長くなるから、と言って京哉を隣に呼び寄せた。
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認証ゲートの列に並んでいた人間が全員奥の広い空間に収まると、次は厳重に閉ざされた分厚い金属製のシャッターがけたたましいモーター音をあげながら巻き取られていく。
隔絶された常夜街の光が足元から徐々に広い空間全体を照らしていき、非日常の世界と完全に繋がった瞬間に列を成していた人間達は一斉に進み始めた。
前の青年に続いて歩き出した京哉であったが、その肩を誰かに叩かれ慌てて後方を振り向く。先程の胡散臭いを寄せ集めて作った様な見た目をした上司の男が有り得ない程白い前歯をキラリと光らせていた。
「真城ちゃん、風邪治ったんだよね?マスク取れる?」
背格好こそ京哉と真城は似ていたが、顔のつくりは全く違う。マスクを取ればすぐに真城ではないとバレてしまう為、京哉は顔を伏せながらフルフルと首を振った。
「そっかー…。ま、病み上がりだし無理せずに今日は配膳頼むよ。今日は個室の予約取れないようにしておくからさ」
「こ…個室…?」
事前情報には無いワードに、思わず声を出してしまった京哉は、しまったと口元を手で覆い隠す。
「まだ鼻声?花一匁も近いし、今年こそ借金減らさないとヤバいんだから頑張ってよね」
次々の飛び出す不思議な単語に目をパチクリさせている京哉を置き去りにして、上司の男は人の波の中を掻い潜りながらどこかに姿を眩ませてしまった。
碁盤の目状に広い歩道が整備された極楽町の南側に位置する朱雀門。朱色の鮮やかな門戸をくぐれば、季節外れの桜が咲き誇る美しく古風な街並みが広がっていた。
夜桜を照らす紫や青のLEDは行燈の中に隠されていて、おそらくこの地下空間全体のモチーフとされている明治から大正時代の時代背景にあった外装に統一されている。
数寄屋造りの建物が立ち並ぶ大通り。立派な屋久杉の一枚板に手彫りで『凪央屋』と大きく刻まれた看板が掲げられた場所が、京哉の潜伏先であった。
外装や客を迎え入れる場所は古風な見た目で統一されているが、襖一枚隔てた従業員のみが足を踏み入れる空間はコンクリート打ちっぱなしの殺風景が広がっていた。他の者たちに続いて更衣室に入り、京哉は真城のロッカーを探す。
本人から預かってきたロッカーの鍵を取り出し、小さな鍵穴に突き刺した所で背後からいきなり声を掛けられた。
「真城ォ、大丈夫だったか?やっぱ無理はよくねぇよ。流石に休み無しで三人は…」
不意に顔を覗き込んできた淡い栗色の短髪の青年は、訝しげな表情を浮かべた。そして、京哉の腕を掴んで引き寄せると小声で耳打ちする。
「オイ……アンタ誰だよ?もしかして、真城の奴…トんだのか?」
顔の殆どが隠れた状態だというのに早々に真城ではないとバレてしまった事に青褪めた京哉は、平常心を取り繕って何とか彼を欺けないかとチャレンジし始める。
「ま、真城だってば……!ほら、一緒にカブトムシ採りに行ったじゃん!」
「誰との思い出引っ張り出して来てんだよ。っつーか、マジかよアイツ……深津葉ちゃんの事どうすんだよ…」
蛍光灯が煌々と光っている天井を仰いだ青年は、次に大きくため息をつきながら項垂れた。
「なぁ、ミツハって誰だよ?」
「ほら、お前真城じゃねーじゃん。あんなに大事そうに話してた妹の名前忘れる訳ねーだろ」
いもうと…と呟いた京哉の呆けた表情に呆れ顔を見せた青年は、周囲の様子を確認しながら座面が水色の強化プラスチックでできたベンチに彼を引き連れて座らせる。
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「深津葉ってのは真城涼の妹で、今10歳。宮殿の中に幽閉されていて、あの場所から助け出すにはかなり金がかかるの。真城は妹の為にこんな店で働いて少しずつ借金返してたって訳」
本人の口からは語られなかった事情とやらが、同僚の青年から次々と明かされる。
正直、極楽町に潜入できた時点で真城の戸籍情報は用済みである。今すぐ目の前の青年を昏倒させてこの場から立ち去れば、直ぐにでも大山田淳弥の素行調査に移ることができた。
「まぁ、アイツ…金稼ぐ為に店に借金して整形したからな。利息だけで首が回らなくなったんだろ」
「親の借金返す為じゃねーの!?っつーか…せ、整形?指名手配か?」
京哉が相変わらず呆けた表情をしている様子に、目の前の青年は苦笑いを浮かべながら首を横に振る。そして、徐に立ち上がると彼のロッカーの中から一枚の写真を持ち出して来た。
「俺と真城が凪央屋に入ったのは同じ日。同期は全部で15人程いたけど、他はみんないなくなった」
そう言いながら青年が京哉に見せた写真には、彼を合わせて16人の青年と例の胡散臭い上司の男が写っている。
「まし……あ、僕は?」
「……もう良いよ、その設定は。ちなみにアイツの一人称は『俺』だから。ほら、これこれ。な、全然違うだろ?」
青年が指差した部分には、彼が目にした真城とは似ても似つかない容貌の冴えない人物。
「フツメンだ…」
「だろ?……極楽町で一番金稼げる方法は、客を取る事。ご贔屓さんがたくさんできりゃ、100億ぐらいは夢じゃねぇ」
100億という個人が所有するにはあまりにも現実離れした金額を聞かされた京哉は白目を剥く。
「アイツの借金…100億?そりゃトぶだろ…」
「でも、頑張ってたんだぜ、アイツ。深津葉ちゃん助けたくて必死で働いてた。勤務態度が良かったから、風邪こじらせて病院行きたいって言った時もオーナーは二つ返事で了承してくれた」
青年の話によると、一度極楽町に立ち入った者はそう簡単には出られないのだと言う。しかし、そうなると京哉には一つの疑問が湧くのだ。
「待て待て、今日僕と一緒に町に入ってきた人…結構いたんだけど?」
認証ゲートを潜るための列には、ざっと200人以上が並んでいた。彼らは一体何だというのか。
「ああ。新しい債務者だろうな。働き手は常に不足してるから、どんどん入れるんだよ。労働に耐えられなくなってトんだり、首吊っちまったり…」
彼が見せてくれた写真に写っていた同期の多くも、どちらかなのだろう。眉を下げた青年は、短く息を吐きながら天井を見上げた。
「アンタ、何の為に真城のID使って極楽町に入ったか知らねーけど…用が済んだら早く出て行った方が良い。碌な場所じゃねーから」
それではお言葉に甘えて…と立ち去りたい京哉であったが、二人の座っていたベンチに歩み寄ってきた人影によってそれは叶わなくなってしまう。
「お前ら早く着替えて開店準備しろよー。今日は首相の大事なお客様の貸し切りなんだから粗相のない様になー」
パンパンと手を叩きながら更衣室内を早足で徘徊し、まだ支度が済んでいない者たちを急かすのは、胡散臭いオーナーの男。
「吉井ちゃん、宴会場セッティング頼むよ。新しい子も総出でやらないと今日は間に合わないから」
青年の肩を叩いた男は、急いで顔を伏せて咳をする真似をした京哉の方を一瞥した。
「残念だねぇ、真城ちゃん。ご贔屓の大山田さんだったのに」
最後に出入り口に一番近いロッカーで着替えをしていた青年の肩を叩いて退出していった男。彼の口から飛び出した『大山田』という名前を聞いて、京哉は慌てて立ち上がった。そして、吉井と呼ばれた青年の方を振り返って尋ねる。
「…大山田……淳弥?」
「おう。政府がよく仕事振ってる建設会社の社長。真城の事気に入ってて、よく隣につかせてたよ。個室もそろそろなんじゃないかって言われてた」
やはり調査対象の男であった。
真城を贔屓にしてこの店を予約していたのなら、彼の戸籍を買い取って極楽町から亡命させた妻のひな子も大山田の行動について凡その予測は付いていたのではないだろうか。ただの偶然にしては出来過ぎている。
浮気を疑っての素行調査などと面倒な依頼を持ちかけてきた理由を調べる必要はありそうだった。
そしてもう一つ、京哉には気になる事があった。
「そのさ…個室って何?オーナーも言ってたけど……料亭って普通の飲食店と全然違うワケ?」
ベンチに座り直して尋ねてきた京哉に対して、吉井は目をパチクリさせて動揺していた。
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大山田淳弥の邸宅前に、黒塗りのセダンが一台停車していた。其方に駆け寄り、後部座席に乗り込む夫の姿を、バスローブを纏ったひな子が屋敷の自室の窓からじっと眺めている。
「アイツ…今日も元気に出かけて行ったわ」
日の入りが迫り、橙色に染まる石畳を走り抜けるセダンが門を抜けていく様子を見届けたひな子は、厚いベロアのカーテンを閉めながら踵を返した。
「私がいなけりゃ仕事の一つも取って来れない出来損ないのクセに、浮気だけは一丁前にしてくる訳ね。本当にくだらない男」
感情の篭っていない声色でカーペットの上を歩くひな子がキングサイズのベッドに仰向けに倒れ込むと、腰にバスタオルを巻いた上裸の恰幅の良い男が彼女に覆い被さるようにして雪崩れ込んできた。
「浮気はお互い様だろう?」
「私は弁えているから良いのよ。貴方はビジネスパートナー。風俗の女が用意した心地良いぬるま湯に心から浸かってるようなバカとは違うの」
巨大な背中に腕を回した彼女のバスローブの合わせに手を滑り込ませた男は、荒々しい鼻息を立てて貪るように艶やかな身体を舐り始めた。
『あぁ…新宿の極楽町ね』
京哉が備品倉庫の中に身を隠してPHSで連絡を取っていたのは、博識なあの男。案の定、この地下空間についても知っている様子で、平常通りのやる気のない声色で続けた。
『四方位の街の中で朱雀門から南は唯一、女人禁制の男色の街。所謂…花魁なんかがいる遊廓の男バージョンみたいな感じか?』
「えっ…じゃあ、この街で『客を取る』って……そういう意味!?」
またかよ畜生!と小声で嘆く京哉に対して、「また?」と不思議そうに返した麗慈は、ガサガサとノイズ音が混じり出した黒電話の受話器から耳を離した。地下空間との通信は、やはり安定しない。
『それでお前は、俺に何を聞きたいんだよ?まさかケツの使い方を…』
「だーっ!病み上がり設定なのでお給仕係ですぅっ!……麗慈、花一匁っていう祭について調べて欲しい。大山田淳弥とその嫁、あと真城っていう男の本当の狙いがその祭と関係ある筈だから」
運良く調査対象の方から京哉の元に近付いて来る状況になったものの、あまりにも偶然が過ぎる。何百もの料亭が連なる極楽町で、敢えてこの凪央屋を選んだ理由が真城の亡命と繋がってくる筈である。
そして、真城が大事にしていた深津葉という彼の妹についても、現在どのような状況に置かれているのか気になる。吉井の使った“助ける”という表現についても、だ。
『…人助けってんなら協力しねーぞ。お前に協力して骨折り損するのはもう懲り懲りだからな』
麗慈に心の内を見透かされてしまっている事に、京哉は苦笑いを浮かべる。
「またまたぁ……ご冗談でしょ?」
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周囲を確認しながら物置部屋を出た京哉は、バタバタと忙しない足音が響く広い土間の方へと急いだ。
凪央屋の貸切予約をしているという大山田御一行が到着したのだろう。襟の無い白いシャツに淡い色の着物と袴を合わせた書生服を纏った若い男達の列に混ざった京哉は、開け放たれた障子戸の向こう側から敷居を跨いできたスーツの集団に目を凝らす。
「ようこそおいでくださいました、大山田様!本日はよろしくお願い致します!」
ニカニカと相変わらず胡散臭い笑顔で先導するオーナーの隣には、白髪混じりのツーブロック頭をペコペコと下げる気弱そうな壮年男の姿があった。彼が大山田淳弥で間違いないだろう。肩書きや前情報とは裏腹に、人当たりの良さそうな男だと京哉は感じていた。
「流石ですな、大山田さんは。次も元請は社長のところ確実だって聞きましたよ」
「重機のご用命は是非我が社を…!」
「コラコラ、抜け駆けは良くないですよ!」
賑やかに酒を酌み交わす男達は、大山田建設が業務提携をしている各業界の経営者であった。談笑している彼らの側に座る書生服の青年達もにこやかに相槌を打っている。
「いやぁ、しかし…こんな店は初めての経験ですが、存外落ち着いていて良い物ですな。社長は良く来られるのですか?」
一人の男が大山田に酌をしながら問うと、彼は後頭部の刈り上げを掻きながら恥ずかしそうに頭をペコペコと下げた。
「香水の匂い…が苦手でして」
それは確かに、と共感する経営者達。
「貢物も大変ですし、妻にアレコレ言われるのも面倒ですからな」
ガハハと豪快に笑う客人達を他所に、京哉は忙しなく厨房と宴会場とを行ったり来たりしていた。他のキャストはほぼ客に付きっきりの為、明らかに不慣れな様子の青年と二人で配膳や皿の回収を熟す。大山田や周囲の人間の動きや会話の内容から情報を得たい所だったが、この忙しさでは難しい。
そんな京哉の動きを遠目で眺めていた大山田に気が付いた吉井は、彼の横に跪いて話し掛ける。
「大山田様、折角お出でくださいましたのに申し訳ございません。真城は本日病欠明けでして…」
「あ…あぁ。やっぱりあの子だよね、真城くんは…」
少し戸惑った様子で返してきた為、自分が懇意にしていた青年との雰囲気の違いに気が付いているのかもしれない…と、吉井は肝を冷やした。
「吉井くん、悪いけど田所オーナーとお話できるかな?」
徐に立ち上がった大山田に続いて宴会場を出た吉井は、慌てて例の胡散臭い男を探しに行く。
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数分の後、サングラスを素早く胸ポケットに収納したオーナー…田所周斗を連れた吉井が、宴会場の外で待つ大山田の元に戻ってきた。
異様に白い歯をニカッと見せ付けながら両手を揉む田所に対して、大山田は客だと言うのにまたもや低姿勢でペコペコと頭を下げている。
「どうされましたか、大山田様?誰かが粗相を…?」
「いえいえ、とんでもございません…!実は一つ、お願いがございまして……」
過去、数回来店した際にも物静かに座っている時間が殆どで、何か要望を口にした事がなかった彼の「お願い」とは一体何なのだろうか。
「お願い…でございますか?」
一瞬、訝しげに眉を顰めた田所であったが、すぐにまた嫌味なほどの笑顔を取り繕う。
「………宴会の後、個室を一つ用意できますか?」
大山田が言う“個室”は、客が気に入ったキャストと一夜を共にする為の部屋を指す。所謂、ヤリ部屋というやつだ。料亭を隠れ蓑に営業する極楽町のこれらの店には、必ずこの個室が存在しており、経営側としては宴会よりも稼げる。
「個室のご用意は勿論大歓迎でございます!ええと…誰をご指名なされますか?」
田所がどこか不安げに眉を下げて尋ねたのは、大山田の回答が予想できたからである。
「真城涼くんをお願い致します」
「ええと…そうですね、彼ですか…」
酷い風邪を引いて数日間欠勤していた後の復帰初日という設定を信じ、未だに彼が真城本人ではないという事実に気が付いていない様子の田所だ。少しだけ悩んだ様子を見せるものの、利益優先で真城もとい京哉を説得しに行くと踏んだ吉井は、踵を返した彼を引き止めて耳打ちをした。
「お、オーナー…!真城は病み上がりで本当に辛そうですし……」
「客に諦めさせんのか?あの人にバンバン個室入れて貰えるようになれば、真城の借金もすぐに無くなるだろ?」
そして田所や店に入る利益も増えるので、断る理由が無い。欲にくらんだオーナーを説得するのは至難の業だと判断した吉井は、今度は大山田の方に体を向けた。
「大山田様…こんな事を申し上げるのは大変心苦しいのですが……真城は病み上がりで本当に体調が悪く…。彼以外、というのはお願いできませんか?」
そもそも、アレは真城ではなく全くの別人だ。さっき気付きかけてたんじゃないのか?と思っていた吉井は、大山田の行動理由を推察して額に汗を滲ませる。まさか、本人かどうかを確かめる為なのでは…?と。
「や、やはり真城は今日は……」
「体調が悪そうなのはわかっています。こちらも無理を通すからには、倍…いえ、3倍お支払いいたします。どうですか、田所オーナー?」
吉井の言い分を聞かずに割り込んできた大山田の言葉を聞いて、田所は目を輝かせた。
「勿論ですとも、大山田様!今、真城に伝えてきますのでご安心ください!では、ごゆっくりと!」
飛び跳ねて喜びを体現している田所の銭ゲバ具合に呆れ顔を見せる吉井は、これからあの訳の分からない侵入者が一体どうなってしまうのだろうかと目眩を覚えていた。
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京哉の頭の中は真っ白になっていた。
胡散臭いオーナーに押し切られて、6畳程の和室で大山田の到着を待つ間、ずっと「どうしよう、どうしよう、どうしよう」と小声で呟いていた。
素行調査なのだから、基本的に大山田と接触してはならない。しかし、今京哉にとってそこは問題ではなかった。
これからどうすべきか、という所だ。どうこの状況を乗り切るのか。今まで散々イジられてきたが、京哉には同性での営みの経験など全く無い。
凪央屋での業務内容について、真城本人からは飲食店の給仕係としか聞かされていなかった。そして、大山田淳弥との関係性についても…。
ズザッと奥の襖が滑る音が薄暗い室内に響き、思考に耽っていた京哉は両肩を上下に揺らした。出来るだけ物理的な距離を取らなければ、と壁際に移動し、近づいて来る足音の方を固唾を飲んで見詰める。
「すみません、無理を言って……」
手前の障子戸が開き、大山田が姿を現した。
見れば見る程優しさの塊の様なオーラを放っているこの男が、三倍の料金を支払ってまでも真城…もとい京哉と二人きりになりたかった理由は、すぐに明かされることになる。
「まずは自己紹介からですかね…」
顔を上げて自分より背の高い京哉と目を合わせた大山田は、疲れを滲ませながら笑顔を見せた。
畳にゆっくりと胡座を描いた大山田は、京哉にも座るように促す。部屋の中央に敷かれた布団を挟んで向かい側に座った京哉は、彼の言葉の真意を聞くために口を開いた。
「……僕が真城じゃないってわかって呼び出したのか!?」
マスクと伊達メガネで殆ど顔の見えない状況であったが、さも当たり前だと言うように大山田はコクコクと首を縦に振っていた。
「真城くんが極楽町から逃げられるように手筈を整えたのは私ですから」
「………へ!?」
予想だにしない展開に、京哉は素っ頓狂な声を上げる。
大山田淳弥が初めて極楽町を訪れたのは、今から1ヶ月程前の事だった。
ニュー千代田区画の中央に聳える巨大な発電プラント。爆破事故によって破壊された施設をわずか3ヶ月という超短期間で再建させた大山田建設の評価は非常に高かった。
しかし、そのような輝かしい功績の裏で、政府によって工事の完了を急かされるあまり労災死亡事故も多く発生していた。
父親から受け継いだ会社で従業員を死なせてしまったという事実に心を病んでしまっていた大山田に声を掛けたのは、首相の都野崎であった。
都野崎に連れられて初めて極楽町に足を踏み入れた大山田は、中央に聳え立つ宮殿の中で日本の闇を垣間見る事になる。
「かつて、日本の土地やマンションを外国人が次々に買い上げてしまう時代がありました。日本の文化、日本らしさをどんどん失っていく有様を見て、当時の国民は何を感じたのでしょうか」
都野崎はそう独りごちながら、大山田にステージの方を見るように促す。彼が指差す先、そこには煌びやかな装飾を施された玉座が据えられており、同じく華美な金色の龍袍を纏った男が腰を下ろしている。
彼は、『皇帝』と呼ばれていた。
「私が首相という立場になった時、最初に実施したのが土地を占拠していた外国人の追放です」
「…追放…ですか…」
純日本国民人口の減少、石油資源の枯渇危機と共に、日本の国力は落ちていった。海外から次々と流入してくる人、物を全て受け入れざるを得ない程に。
土地所有者に対価を払わずに住み着く不法移民もその数を増やしていき、3年前の外国人犯罪件数は史上最悪規模であった。
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「まぁ、彼らにも言い分はあります。自分の生まれ育った国を捨ててまで日本で暮らす理由のある方も勿論いらっしゃいましたので。ですが…例外というのは制度を整える上ではかなり厄介です」
音楽等禁止法が施行される以前から日本で暮らしていた外国人達は、徐々にその数を減らしていった。自由を失い、住みにくい国となった日本に魅力を感じなくなっていったからである。
しかし、何らかの理由で国を追われて移住してきた者たちは、変わりゆく日本の政治方針に真っ向から反対してきた。反政府運動も都野崎が総理大臣に就任する2年前までは、現在と比べ物にならないほど大規模で、苛烈であったのだ。
「郷に入っては郷に従え…この感覚がわからない外国人は非常に多い。特に血のルーツに音楽が染み付いているような輩は、我々の政策にとって非常に邪魔でした。だから、彼らには此方側の社会に移り住んでいただきました」
人々の話し声だけが響いていた広い逆円錐形のアリーナに、弦楽器の音が割り込む。徐々にその数は増え、重厚さを増していく。
「極楽町はあらゆる黒い感情を閉じ込めた蠱毒のようなものです。見た目の華やかさとは裏腹に、ありとあらゆる犯罪が“見てみぬフリ”をされる場所」
大山田の方に踵を返した都野崎は、まっすぐな眼差しで彼を見据えていた。
「地上と同じです。千代田区が輝く程、他は暗く濃い影を生み出す。私が目指す『新しい日本』がより清らかで明るいものになる為には、掃き溜めが必要だったのです」
皇帝の目の前には、7歳から12歳までの少年少女達が10名ずつ向かい合わせに手を繋いで列を成していた。
童歌の花一匁に合わせて楽しげに前後する彼らの様子を眺めている大人達は、全員外国人である。
不思議な光景に目を瞬かせていた大山田は、都野崎がいる側とは反対側に座った北欧人の大男の方を一瞥する。彼は10歳ぐらいの日本人の少女を連れており、まるで人形のように彼女を膝の上に乗せたのだ。
細い髪を撫でていた手は次第に顔、首、肩と下に降りていき、終いには服の上からまだ膨らみ始めたばかりの胸を撫で始める。
「……あの子供達は、様々な理由でこの町にやってきました。孤児院の口減し…両親が抱えた借金のカタとして…。また、外の花街で遊女が産んだ子供が成長すればいずれあそこに加えられるでしょう。……皆、行き場のない子供達です」
並べられた子供たちは、品定めをされているのだという。目鼻立ちのくっきりした子供は人気があり、愛玩用に買われていく。
それは紛れもなく人身売買であった。
「買われた子供のその後はわかりません。買い手のつかない子供は花街で商売道具になります。15歳になるまでは使用人として、そこからは整形を施してショーケースに並びます。ルッキズムの話はしたくありませんが…そちらの方が金になる」
「……これが…貴方の目指した日本を作るために必要な闇である…と言うことですか?」
淡々と話し続ける都野崎の横顔に、唇を震わせながら問う大山田。彼にとってあまりにも非現実的な世界であった。
一国の首相がこの様な非道な行いを自ら手掛けているなど、あってはならない。糾弾されるべきである。
しかし、誰も声を上げない。上げることができないのだ。
「社長……全ての人間を救おうなんて、神でも無い限りそんな無責任な事を口にしてはいけない」
目の前の光景に目眩を感じ、冷や汗をかきながら浅い息を繰り返す大山田の横顔に耳打ちした都野崎は、こう続けた。
「共に『良き日本』をつくりましょう。清らかで、皆が平等に生きる素晴らしい世界です」
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「首相は文字通り日本を一から作り直すおつもりのようです。ニュー千代田区画外の東京22区の今ある建物を全て取り壊し、更地にした後…ハイパーエコシティ構想を拡大していく、と……」
膝の上に乗せていた拳をギュッと握りしめた大山田が眉間に皺を寄せながら述べた。
「黒いモンは地下に隠して、地上は綺麗事で塗り固める…って訳か。そりゃ偉く崇高な志なことで…」
「理想や何だと謳っておられましたが、実際の所この地下空間での営みは外貨を得る為の手段だと私は考えています。音楽等禁止法の施行以後、対外輸出産業自体かなり衰退していますから」
極楽町が抱え込む闇について京哉に語った大山田は疲れ切った表情を浮かべていた。
「アンタは都野崎に気に入られてる側の人間だろ。尻尾振ってりゃ甘い蜜だけ吸えるんじゃねーの?何で真城を逃したんだよ」
今回の依頼主は大山田ひな子だ。そして彼女が夫の素行調査を依頼した楽団の人間を極楽町に潜入させる為に用いた手段が、真城の戸籍を買い取ると言うもの。
真城と大山田淳弥が事前に繋がっていたとなると、真城がひな子に選ばれたのは偶然ではない。もし、都野崎と繋がりのある大山田淳弥がひな子と共謀して楽団の人間を陥れる為に依頼を入れてきたとするなら、即時契約破棄となる。
何やら回答に困っている大山田。袴の中に隠していたジュラルミンケースに手を掛けて周囲の様子を警戒し始めた京哉であったが、目の前の壮年男が声もなく大粒の涙をポロポロと膝の上に溢している様子を見て呆気に取られてしまった。
「ちょっと!何で泣いてんだよアンタ!?」
「す、すみません……色々抱え過ぎてしまっていて緊張の糸が…」
京哉は布団の上を膝立ちで移動し、大山田の背中を摩りながら彼が落ち着くのを待つ。そして、「もう大丈夫です」と小さく呟いた横顔を覗き込んだ。
「貴方が楽団の旋律師だということは、わかっています。真城くんから、ひな子の動向については連絡を受けていますから…」
「ええと…嫁に浮気調査されてるってのも……わかってる訳?」
首を縦に振る大山田に、京哉の頭の中はあまりの情報錯綜具合でパンクしそうになっていた。
これでは、何が発端で誰が何の為に動いているのかがわからない。困り顔で説明を求める京哉に、大山田は涙を拭いながら向き直った。
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極楽町内で働く者は一度中に入ってしまうと、一部の例外を除いて外の世界に出る事は許されない。衣食住全てを地下空間の中で済ませている。
その為、各料亭の裏手には彼らが住まう専用の居住スペースがあり、外観こそ趣のある数寄屋造りだが内部は簡素な造りの1Kアパートになっていた。
大山田を見送り凪央屋の勝手口から居住スペースに向かっていた京哉に声を掛けたのは、昨日から彼の事を心配していた吉井である。
「流石に大山田さんにはバレただろ?大丈夫だったのか?」
「あー…うん。大丈夫かな!もう、アレだったから…」
アレ?と聞き返す吉井に、京哉は身振り手振りで言語化し辛いものを伝えようとする。
「そんな事より、アンタ。オーナーが小躍りしながら今日のシフト貼り出してたぞ。二日連続で真城に大枚叩いてくれた客から個室の予約が入ったって」
「二日…連続?」
吉井に案内されて共同スペースの掲示板に貼られた手書きのシフト表の前まで移動する。そして、真城の予定が書き込まれる行の本日の予定に赤い文字でハッキリと『個室』の文字が確認できた。
ガタガタと震えながらゆっくりと吉井の方を振り返るが、どうしてやることもできない、と首を横に振って肩を叩かれる。
依頼遂行の為に一早く凪央屋を抜け出さ無ければ。日々死の危険と隣り合わせの現場に向かってきた京哉であったが、命以外の何かを奪われる恐怖に怯える事になるとは夢にも思わなかったという。
[041] lamentoso Ⅱ 完
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新宿2丁目のとある路地裏、雑居ビル群に囲われた薄暗い空き地の奥に地下空間へと続くエレベーターが存在する。
電気を失った地上の様子とは正反対に、色取り取りのLEDライトが煌めく常夜の街。
天井にはプロジェクションマッピングで星空が描かれており、地下である事を忘れてしまう程に美しい。
30ヘクタールもの広大な敷地には綺麗な碁盤の目状の街並みが形成されており、其々の区画でモチーフとしている景観が異なっていた。
北地区の『玄武』、南地区の『朱雀』、東地区の『青龍』、西地区の『白虎』から成る極楽町。
中央に聳える中国の宮殿を模した巨大な構造物では近日中に、花一匁と呼ばれるこの花街最大の祭が開催される予定であった。
「順番にIDカードをスキャンして登録情報の認証を済ませろよー」
グレーに紫色のストライプという独特な配色センスのツーピーススーツを纏った黒いオールバックに金縁のサングラスを掛けた如何にも胡散臭い風貌をした男は、京哉がこれから潜伏する“バイト先”の上司であった。
「お!今日から復帰ね、待ち侘びてたよー!」」
男は手持ちのバインダーに挟み込んでいた数枚の資料に目を通しながら、今し方IDをゲートに通した青年の方に告げる。彼の目の前には、目深にフードを被った京哉の姿があった。顔の半分を覆う大きな不織布のマスクと伊達メガネを装着している。
「で…真城さんになりきって潜入すれば良い、って事ですよね?生体認証はどうやってパスしますか?」
京哉は極楽町に来る前、待ち合わせの場所として指定された喫茶店の中で今後の調査の進め方について話し合っていた。大山田ひな子が戸籍を買い取ったという青年の名は、真城涼。
親の作った膨大な借金を返済すべく、風邪で倒れるまでずっと住み込みのアルバイトをしていたという。
「今月の認証は網膜パターン。事前に真城の瞳を忠実に再現した特注のカラーコンタクトがここにあります」
とても素人とは思えない程の抜かり無さで、ひな子が手の平程の大きさの紙の箱を手渡してきた。
「わかりました。あ、あと……真城さんの方からは、僕が中で活動するに当たって前持って知っておいた方が良い事があれば教えていただけますか?」
ひな子の後方に控えていた真城は、此処では少し難しいと言いながら京哉に喫茶店から一度出るように促した。彼に続いて厨房奥の裏口から店外に出る。
換気扇の連なる店舗裏の薄暗い空間で踵を返した真城は、京哉の頭から爪先までを何回か往復して眺める。何かを確認するような彼の動作に戸惑った京哉は、一歩後退りしながら尋ねた。
「な、何か…?」
しばらくジッと黙ったままの真城であったが、何故か意を決したような表情でいきなり京哉の両手を勢い良く握る。
「マッッッッッッッジでありがとう!!」
「………はい?」
目を瞬かせて動揺する京哉の手を離した真城は、深く深く息を吸い込みながら両腕を大きく広げて空を見上げた。
「もうあんな場所に行かなくて良いって思うと嬉し過ぎて…!偶然奥様が俺に目を付けてくれたとはいえ、身代わりになってくれるアンタにマジで感謝してるよ」
あんな場所…と彼の言葉をボソリと繰り返した京哉は、そこはかとない不安を感じ始める。
「あ、あのー…極楽町ってそんなにヤバい?」
京哉の問い掛けに視線を彼の方に戻した真城は、今度はどこか悲しみを孕んだ表情で長い溜め息をつく。
「町の中についてざっくり伝えとく。どこも同じような見た目で迷いやすいから」
金属製の階段に腰掛けた真城は、長くなるから、と言って京哉を隣に呼び寄せた。
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認証ゲートの列に並んでいた人間が全員奥の広い空間に収まると、次は厳重に閉ざされた分厚い金属製のシャッターがけたたましいモーター音をあげながら巻き取られていく。
隔絶された常夜街の光が足元から徐々に広い空間全体を照らしていき、非日常の世界と完全に繋がった瞬間に列を成していた人間達は一斉に進み始めた。
前の青年に続いて歩き出した京哉であったが、その肩を誰かに叩かれ慌てて後方を振り向く。先程の胡散臭いを寄せ集めて作った様な見た目をした上司の男が有り得ない程白い前歯をキラリと光らせていた。
「真城ちゃん、風邪治ったんだよね?マスク取れる?」
背格好こそ京哉と真城は似ていたが、顔のつくりは全く違う。マスクを取ればすぐに真城ではないとバレてしまう為、京哉は顔を伏せながらフルフルと首を振った。
「そっかー…。ま、病み上がりだし無理せずに今日は配膳頼むよ。今日は個室の予約取れないようにしておくからさ」
「こ…個室…?」
事前情報には無いワードに、思わず声を出してしまった京哉は、しまったと口元を手で覆い隠す。
「まだ鼻声?花一匁も近いし、今年こそ借金減らさないとヤバいんだから頑張ってよね」
次々の飛び出す不思議な単語に目をパチクリさせている京哉を置き去りにして、上司の男は人の波の中を掻い潜りながらどこかに姿を眩ませてしまった。
碁盤の目状に広い歩道が整備された極楽町の南側に位置する朱雀門。朱色の鮮やかな門戸をくぐれば、季節外れの桜が咲き誇る美しく古風な街並みが広がっていた。
夜桜を照らす紫や青のLEDは行燈の中に隠されていて、おそらくこの地下空間全体のモチーフとされている明治から大正時代の時代背景にあった外装に統一されている。
数寄屋造りの建物が立ち並ぶ大通り。立派な屋久杉の一枚板に手彫りで『凪央屋』と大きく刻まれた看板が掲げられた場所が、京哉の潜伏先であった。
外装や客を迎え入れる場所は古風な見た目で統一されているが、襖一枚隔てた従業員のみが足を踏み入れる空間はコンクリート打ちっぱなしの殺風景が広がっていた。他の者たちに続いて更衣室に入り、京哉は真城のロッカーを探す。
本人から預かってきたロッカーの鍵を取り出し、小さな鍵穴に突き刺した所で背後からいきなり声を掛けられた。
「真城ォ、大丈夫だったか?やっぱ無理はよくねぇよ。流石に休み無しで三人は…」
不意に顔を覗き込んできた淡い栗色の短髪の青年は、訝しげな表情を浮かべた。そして、京哉の腕を掴んで引き寄せると小声で耳打ちする。
「オイ……アンタ誰だよ?もしかして、真城の奴…トんだのか?」
顔の殆どが隠れた状態だというのに早々に真城ではないとバレてしまった事に青褪めた京哉は、平常心を取り繕って何とか彼を欺けないかとチャレンジし始める。
「ま、真城だってば……!ほら、一緒にカブトムシ採りに行ったじゃん!」
「誰との思い出引っ張り出して来てんだよ。っつーか、マジかよアイツ……深津葉ちゃんの事どうすんだよ…」
蛍光灯が煌々と光っている天井を仰いだ青年は、次に大きくため息をつきながら項垂れた。
「なぁ、ミツハって誰だよ?」
「ほら、お前真城じゃねーじゃん。あんなに大事そうに話してた妹の名前忘れる訳ねーだろ」
いもうと…と呟いた京哉の呆けた表情に呆れ顔を見せた青年は、周囲の様子を確認しながら座面が水色の強化プラスチックでできたベンチに彼を引き連れて座らせる。
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「深津葉ってのは真城涼の妹で、今10歳。宮殿の中に幽閉されていて、あの場所から助け出すにはかなり金がかかるの。真城は妹の為にこんな店で働いて少しずつ借金返してたって訳」
本人の口からは語られなかった事情とやらが、同僚の青年から次々と明かされる。
正直、極楽町に潜入できた時点で真城の戸籍情報は用済みである。今すぐ目の前の青年を昏倒させてこの場から立ち去れば、直ぐにでも大山田淳弥の素行調査に移ることができた。
「まぁ、アイツ…金稼ぐ為に店に借金して整形したからな。利息だけで首が回らなくなったんだろ」
「親の借金返す為じゃねーの!?っつーか…せ、整形?指名手配か?」
京哉が相変わらず呆けた表情をしている様子に、目の前の青年は苦笑いを浮かべながら首を横に振る。そして、徐に立ち上がると彼のロッカーの中から一枚の写真を持ち出して来た。
「俺と真城が凪央屋に入ったのは同じ日。同期は全部で15人程いたけど、他はみんないなくなった」
そう言いながら青年が京哉に見せた写真には、彼を合わせて16人の青年と例の胡散臭い上司の男が写っている。
「まし……あ、僕は?」
「……もう良いよ、その設定は。ちなみにアイツの一人称は『俺』だから。ほら、これこれ。な、全然違うだろ?」
青年が指差した部分には、彼が目にした真城とは似ても似つかない容貌の冴えない人物。
「フツメンだ…」
「だろ?……極楽町で一番金稼げる方法は、客を取る事。ご贔屓さんがたくさんできりゃ、100億ぐらいは夢じゃねぇ」
100億という個人が所有するにはあまりにも現実離れした金額を聞かされた京哉は白目を剥く。
「アイツの借金…100億?そりゃトぶだろ…」
「でも、頑張ってたんだぜ、アイツ。深津葉ちゃん助けたくて必死で働いてた。勤務態度が良かったから、風邪こじらせて病院行きたいって言った時もオーナーは二つ返事で了承してくれた」
青年の話によると、一度極楽町に立ち入った者はそう簡単には出られないのだと言う。しかし、そうなると京哉には一つの疑問が湧くのだ。
「待て待て、今日僕と一緒に町に入ってきた人…結構いたんだけど?」
認証ゲートを潜るための列には、ざっと200人以上が並んでいた。彼らは一体何だというのか。
「ああ。新しい債務者だろうな。働き手は常に不足してるから、どんどん入れるんだよ。労働に耐えられなくなってトんだり、首吊っちまったり…」
彼が見せてくれた写真に写っていた同期の多くも、どちらかなのだろう。眉を下げた青年は、短く息を吐きながら天井を見上げた。
「アンタ、何の為に真城のID使って極楽町に入ったか知らねーけど…用が済んだら早く出て行った方が良い。碌な場所じゃねーから」
それではお言葉に甘えて…と立ち去りたい京哉であったが、二人の座っていたベンチに歩み寄ってきた人影によってそれは叶わなくなってしまう。
「お前ら早く着替えて開店準備しろよー。今日は首相の大事なお客様の貸し切りなんだから粗相のない様になー」
パンパンと手を叩きながら更衣室内を早足で徘徊し、まだ支度が済んでいない者たちを急かすのは、胡散臭いオーナーの男。
「吉井ちゃん、宴会場セッティング頼むよ。新しい子も総出でやらないと今日は間に合わないから」
青年の肩を叩いた男は、急いで顔を伏せて咳をする真似をした京哉の方を一瞥した。
「残念だねぇ、真城ちゃん。ご贔屓の大山田さんだったのに」
最後に出入り口に一番近いロッカーで着替えをしていた青年の肩を叩いて退出していった男。彼の口から飛び出した『大山田』という名前を聞いて、京哉は慌てて立ち上がった。そして、吉井と呼ばれた青年の方を振り返って尋ねる。
「…大山田……淳弥?」
「おう。政府がよく仕事振ってる建設会社の社長。真城の事気に入ってて、よく隣につかせてたよ。個室もそろそろなんじゃないかって言われてた」
やはり調査対象の男であった。
真城を贔屓にしてこの店を予約していたのなら、彼の戸籍を買い取って極楽町から亡命させた妻のひな子も大山田の行動について凡その予測は付いていたのではないだろうか。ただの偶然にしては出来過ぎている。
浮気を疑っての素行調査などと面倒な依頼を持ちかけてきた理由を調べる必要はありそうだった。
そしてもう一つ、京哉には気になる事があった。
「そのさ…個室って何?オーナーも言ってたけど……料亭って普通の飲食店と全然違うワケ?」
ベンチに座り直して尋ねてきた京哉に対して、吉井は目をパチクリさせて動揺していた。
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大山田淳弥の邸宅前に、黒塗りのセダンが一台停車していた。其方に駆け寄り、後部座席に乗り込む夫の姿を、バスローブを纏ったひな子が屋敷の自室の窓からじっと眺めている。
「アイツ…今日も元気に出かけて行ったわ」
日の入りが迫り、橙色に染まる石畳を走り抜けるセダンが門を抜けていく様子を見届けたひな子は、厚いベロアのカーテンを閉めながら踵を返した。
「私がいなけりゃ仕事の一つも取って来れない出来損ないのクセに、浮気だけは一丁前にしてくる訳ね。本当にくだらない男」
感情の篭っていない声色でカーペットの上を歩くひな子がキングサイズのベッドに仰向けに倒れ込むと、腰にバスタオルを巻いた上裸の恰幅の良い男が彼女に覆い被さるようにして雪崩れ込んできた。
「浮気はお互い様だろう?」
「私は弁えているから良いのよ。貴方はビジネスパートナー。風俗の女が用意した心地良いぬるま湯に心から浸かってるようなバカとは違うの」
巨大な背中に腕を回した彼女のバスローブの合わせに手を滑り込ませた男は、荒々しい鼻息を立てて貪るように艶やかな身体を舐り始めた。
『あぁ…新宿の極楽町ね』
京哉が備品倉庫の中に身を隠してPHSで連絡を取っていたのは、博識なあの男。案の定、この地下空間についても知っている様子で、平常通りのやる気のない声色で続けた。
『四方位の街の中で朱雀門から南は唯一、女人禁制の男色の街。所謂…花魁なんかがいる遊廓の男バージョンみたいな感じか?』
「えっ…じゃあ、この街で『客を取る』って……そういう意味!?」
またかよ畜生!と小声で嘆く京哉に対して、「また?」と不思議そうに返した麗慈は、ガサガサとノイズ音が混じり出した黒電話の受話器から耳を離した。地下空間との通信は、やはり安定しない。
『それでお前は、俺に何を聞きたいんだよ?まさかケツの使い方を…』
「だーっ!病み上がり設定なのでお給仕係ですぅっ!……麗慈、花一匁っていう祭について調べて欲しい。大山田淳弥とその嫁、あと真城っていう男の本当の狙いがその祭と関係ある筈だから」
運良く調査対象の方から京哉の元に近付いて来る状況になったものの、あまりにも偶然が過ぎる。何百もの料亭が連なる極楽町で、敢えてこの凪央屋を選んだ理由が真城の亡命と繋がってくる筈である。
そして、真城が大事にしていた深津葉という彼の妹についても、現在どのような状況に置かれているのか気になる。吉井の使った“助ける”という表現についても、だ。
『…人助けってんなら協力しねーぞ。お前に協力して骨折り損するのはもう懲り懲りだからな』
麗慈に心の内を見透かされてしまっている事に、京哉は苦笑いを浮かべる。
「またまたぁ……ご冗談でしょ?」
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周囲を確認しながら物置部屋を出た京哉は、バタバタと忙しない足音が響く広い土間の方へと急いだ。
凪央屋の貸切予約をしているという大山田御一行が到着したのだろう。襟の無い白いシャツに淡い色の着物と袴を合わせた書生服を纏った若い男達の列に混ざった京哉は、開け放たれた障子戸の向こう側から敷居を跨いできたスーツの集団に目を凝らす。
「ようこそおいでくださいました、大山田様!本日はよろしくお願い致します!」
ニカニカと相変わらず胡散臭い笑顔で先導するオーナーの隣には、白髪混じりのツーブロック頭をペコペコと下げる気弱そうな壮年男の姿があった。彼が大山田淳弥で間違いないだろう。肩書きや前情報とは裏腹に、人当たりの良さそうな男だと京哉は感じていた。
「流石ですな、大山田さんは。次も元請は社長のところ確実だって聞きましたよ」
「重機のご用命は是非我が社を…!」
「コラコラ、抜け駆けは良くないですよ!」
賑やかに酒を酌み交わす男達は、大山田建設が業務提携をしている各業界の経営者であった。談笑している彼らの側に座る書生服の青年達もにこやかに相槌を打っている。
「いやぁ、しかし…こんな店は初めての経験ですが、存外落ち着いていて良い物ですな。社長は良く来られるのですか?」
一人の男が大山田に酌をしながら問うと、彼は後頭部の刈り上げを掻きながら恥ずかしそうに頭をペコペコと下げた。
「香水の匂い…が苦手でして」
それは確かに、と共感する経営者達。
「貢物も大変ですし、妻にアレコレ言われるのも面倒ですからな」
ガハハと豪快に笑う客人達を他所に、京哉は忙しなく厨房と宴会場とを行ったり来たりしていた。他のキャストはほぼ客に付きっきりの為、明らかに不慣れな様子の青年と二人で配膳や皿の回収を熟す。大山田や周囲の人間の動きや会話の内容から情報を得たい所だったが、この忙しさでは難しい。
そんな京哉の動きを遠目で眺めていた大山田に気が付いた吉井は、彼の横に跪いて話し掛ける。
「大山田様、折角お出でくださいましたのに申し訳ございません。真城は本日病欠明けでして…」
「あ…あぁ。やっぱりあの子だよね、真城くんは…」
少し戸惑った様子で返してきた為、自分が懇意にしていた青年との雰囲気の違いに気が付いているのかもしれない…と、吉井は肝を冷やした。
「吉井くん、悪いけど田所オーナーとお話できるかな?」
徐に立ち上がった大山田に続いて宴会場を出た吉井は、慌てて例の胡散臭い男を探しに行く。
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数分の後、サングラスを素早く胸ポケットに収納したオーナー…田所周斗を連れた吉井が、宴会場の外で待つ大山田の元に戻ってきた。
異様に白い歯をニカッと見せ付けながら両手を揉む田所に対して、大山田は客だと言うのにまたもや低姿勢でペコペコと頭を下げている。
「どうされましたか、大山田様?誰かが粗相を…?」
「いえいえ、とんでもございません…!実は一つ、お願いがございまして……」
過去、数回来店した際にも物静かに座っている時間が殆どで、何か要望を口にした事がなかった彼の「お願い」とは一体何なのだろうか。
「お願い…でございますか?」
一瞬、訝しげに眉を顰めた田所であったが、すぐにまた嫌味なほどの笑顔を取り繕う。
「………宴会の後、個室を一つ用意できますか?」
大山田が言う“個室”は、客が気に入ったキャストと一夜を共にする為の部屋を指す。所謂、ヤリ部屋というやつだ。料亭を隠れ蓑に営業する極楽町のこれらの店には、必ずこの個室が存在しており、経営側としては宴会よりも稼げる。
「個室のご用意は勿論大歓迎でございます!ええと…誰をご指名なされますか?」
田所がどこか不安げに眉を下げて尋ねたのは、大山田の回答が予想できたからである。
「真城涼くんをお願い致します」
「ええと…そうですね、彼ですか…」
酷い風邪を引いて数日間欠勤していた後の復帰初日という設定を信じ、未だに彼が真城本人ではないという事実に気が付いていない様子の田所だ。少しだけ悩んだ様子を見せるものの、利益優先で真城もとい京哉を説得しに行くと踏んだ吉井は、踵を返した彼を引き止めて耳打ちをした。
「お、オーナー…!真城は病み上がりで本当に辛そうですし……」
「客に諦めさせんのか?あの人にバンバン個室入れて貰えるようになれば、真城の借金もすぐに無くなるだろ?」
そして田所や店に入る利益も増えるので、断る理由が無い。欲にくらんだオーナーを説得するのは至難の業だと判断した吉井は、今度は大山田の方に体を向けた。
「大山田様…こんな事を申し上げるのは大変心苦しいのですが……真城は病み上がりで本当に体調が悪く…。彼以外、というのはお願いできませんか?」
そもそも、アレは真城ではなく全くの別人だ。さっき気付きかけてたんじゃないのか?と思っていた吉井は、大山田の行動理由を推察して額に汗を滲ませる。まさか、本人かどうかを確かめる為なのでは…?と。
「や、やはり真城は今日は……」
「体調が悪そうなのはわかっています。こちらも無理を通すからには、倍…いえ、3倍お支払いいたします。どうですか、田所オーナー?」
吉井の言い分を聞かずに割り込んできた大山田の言葉を聞いて、田所は目を輝かせた。
「勿論ですとも、大山田様!今、真城に伝えてきますのでご安心ください!では、ごゆっくりと!」
飛び跳ねて喜びを体現している田所の銭ゲバ具合に呆れ顔を見せる吉井は、これからあの訳の分からない侵入者が一体どうなってしまうのだろうかと目眩を覚えていた。
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京哉の頭の中は真っ白になっていた。
胡散臭いオーナーに押し切られて、6畳程の和室で大山田の到着を待つ間、ずっと「どうしよう、どうしよう、どうしよう」と小声で呟いていた。
素行調査なのだから、基本的に大山田と接触してはならない。しかし、今京哉にとってそこは問題ではなかった。
これからどうすべきか、という所だ。どうこの状況を乗り切るのか。今まで散々イジられてきたが、京哉には同性での営みの経験など全く無い。
凪央屋での業務内容について、真城本人からは飲食店の給仕係としか聞かされていなかった。そして、大山田淳弥との関係性についても…。
ズザッと奥の襖が滑る音が薄暗い室内に響き、思考に耽っていた京哉は両肩を上下に揺らした。出来るだけ物理的な距離を取らなければ、と壁際に移動し、近づいて来る足音の方を固唾を飲んで見詰める。
「すみません、無理を言って……」
手前の障子戸が開き、大山田が姿を現した。
見れば見る程優しさの塊の様なオーラを放っているこの男が、三倍の料金を支払ってまでも真城…もとい京哉と二人きりになりたかった理由は、すぐに明かされることになる。
「まずは自己紹介からですかね…」
顔を上げて自分より背の高い京哉と目を合わせた大山田は、疲れを滲ませながら笑顔を見せた。
畳にゆっくりと胡座を描いた大山田は、京哉にも座るように促す。部屋の中央に敷かれた布団を挟んで向かい側に座った京哉は、彼の言葉の真意を聞くために口を開いた。
「……僕が真城じゃないってわかって呼び出したのか!?」
マスクと伊達メガネで殆ど顔の見えない状況であったが、さも当たり前だと言うように大山田はコクコクと首を縦に振っていた。
「真城くんが極楽町から逃げられるように手筈を整えたのは私ですから」
「………へ!?」
予想だにしない展開に、京哉は素っ頓狂な声を上げる。
大山田淳弥が初めて極楽町を訪れたのは、今から1ヶ月程前の事だった。
ニュー千代田区画の中央に聳える巨大な発電プラント。爆破事故によって破壊された施設をわずか3ヶ月という超短期間で再建させた大山田建設の評価は非常に高かった。
しかし、そのような輝かしい功績の裏で、政府によって工事の完了を急かされるあまり労災死亡事故も多く発生していた。
父親から受け継いだ会社で従業員を死なせてしまったという事実に心を病んでしまっていた大山田に声を掛けたのは、首相の都野崎であった。
都野崎に連れられて初めて極楽町に足を踏み入れた大山田は、中央に聳え立つ宮殿の中で日本の闇を垣間見る事になる。
「かつて、日本の土地やマンションを外国人が次々に買い上げてしまう時代がありました。日本の文化、日本らしさをどんどん失っていく有様を見て、当時の国民は何を感じたのでしょうか」
都野崎はそう独りごちながら、大山田にステージの方を見るように促す。彼が指差す先、そこには煌びやかな装飾を施された玉座が据えられており、同じく華美な金色の龍袍を纏った男が腰を下ろしている。
彼は、『皇帝』と呼ばれていた。
「私が首相という立場になった時、最初に実施したのが土地を占拠していた外国人の追放です」
「…追放…ですか…」
純日本国民人口の減少、石油資源の枯渇危機と共に、日本の国力は落ちていった。海外から次々と流入してくる人、物を全て受け入れざるを得ない程に。
土地所有者に対価を払わずに住み着く不法移民もその数を増やしていき、3年前の外国人犯罪件数は史上最悪規模であった。
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「まぁ、彼らにも言い分はあります。自分の生まれ育った国を捨ててまで日本で暮らす理由のある方も勿論いらっしゃいましたので。ですが…例外というのは制度を整える上ではかなり厄介です」
音楽等禁止法が施行される以前から日本で暮らしていた外国人達は、徐々にその数を減らしていった。自由を失い、住みにくい国となった日本に魅力を感じなくなっていったからである。
しかし、何らかの理由で国を追われて移住してきた者たちは、変わりゆく日本の政治方針に真っ向から反対してきた。反政府運動も都野崎が総理大臣に就任する2年前までは、現在と比べ物にならないほど大規模で、苛烈であったのだ。
「郷に入っては郷に従え…この感覚がわからない外国人は非常に多い。特に血のルーツに音楽が染み付いているような輩は、我々の政策にとって非常に邪魔でした。だから、彼らには此方側の社会に移り住んでいただきました」
人々の話し声だけが響いていた広い逆円錐形のアリーナに、弦楽器の音が割り込む。徐々にその数は増え、重厚さを増していく。
「極楽町はあらゆる黒い感情を閉じ込めた蠱毒のようなものです。見た目の華やかさとは裏腹に、ありとあらゆる犯罪が“見てみぬフリ”をされる場所」
大山田の方に踵を返した都野崎は、まっすぐな眼差しで彼を見据えていた。
「地上と同じです。千代田区が輝く程、他は暗く濃い影を生み出す。私が目指す『新しい日本』がより清らかで明るいものになる為には、掃き溜めが必要だったのです」
皇帝の目の前には、7歳から12歳までの少年少女達が10名ずつ向かい合わせに手を繋いで列を成していた。
童歌の花一匁に合わせて楽しげに前後する彼らの様子を眺めている大人達は、全員外国人である。
不思議な光景に目を瞬かせていた大山田は、都野崎がいる側とは反対側に座った北欧人の大男の方を一瞥する。彼は10歳ぐらいの日本人の少女を連れており、まるで人形のように彼女を膝の上に乗せたのだ。
細い髪を撫でていた手は次第に顔、首、肩と下に降りていき、終いには服の上からまだ膨らみ始めたばかりの胸を撫で始める。
「……あの子供達は、様々な理由でこの町にやってきました。孤児院の口減し…両親が抱えた借金のカタとして…。また、外の花街で遊女が産んだ子供が成長すればいずれあそこに加えられるでしょう。……皆、行き場のない子供達です」
並べられた子供たちは、品定めをされているのだという。目鼻立ちのくっきりした子供は人気があり、愛玩用に買われていく。
それは紛れもなく人身売買であった。
「買われた子供のその後はわかりません。買い手のつかない子供は花街で商売道具になります。15歳になるまでは使用人として、そこからは整形を施してショーケースに並びます。ルッキズムの話はしたくありませんが…そちらの方が金になる」
「……これが…貴方の目指した日本を作るために必要な闇である…と言うことですか?」
淡々と話し続ける都野崎の横顔に、唇を震わせながら問う大山田。彼にとってあまりにも非現実的な世界であった。
一国の首相がこの様な非道な行いを自ら手掛けているなど、あってはならない。糾弾されるべきである。
しかし、誰も声を上げない。上げることができないのだ。
「社長……全ての人間を救おうなんて、神でも無い限りそんな無責任な事を口にしてはいけない」
目の前の光景に目眩を感じ、冷や汗をかきながら浅い息を繰り返す大山田の横顔に耳打ちした都野崎は、こう続けた。
「共に『良き日本』をつくりましょう。清らかで、皆が平等に生きる素晴らしい世界です」
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「首相は文字通り日本を一から作り直すおつもりのようです。ニュー千代田区画外の東京22区の今ある建物を全て取り壊し、更地にした後…ハイパーエコシティ構想を拡大していく、と……」
膝の上に乗せていた拳をギュッと握りしめた大山田が眉間に皺を寄せながら述べた。
「黒いモンは地下に隠して、地上は綺麗事で塗り固める…って訳か。そりゃ偉く崇高な志なことで…」
「理想や何だと謳っておられましたが、実際の所この地下空間での営みは外貨を得る為の手段だと私は考えています。音楽等禁止法の施行以後、対外輸出産業自体かなり衰退していますから」
極楽町が抱え込む闇について京哉に語った大山田は疲れ切った表情を浮かべていた。
「アンタは都野崎に気に入られてる側の人間だろ。尻尾振ってりゃ甘い蜜だけ吸えるんじゃねーの?何で真城を逃したんだよ」
今回の依頼主は大山田ひな子だ。そして彼女が夫の素行調査を依頼した楽団の人間を極楽町に潜入させる為に用いた手段が、真城の戸籍を買い取ると言うもの。
真城と大山田淳弥が事前に繋がっていたとなると、真城がひな子に選ばれたのは偶然ではない。もし、都野崎と繋がりのある大山田淳弥がひな子と共謀して楽団の人間を陥れる為に依頼を入れてきたとするなら、即時契約破棄となる。
何やら回答に困っている大山田。袴の中に隠していたジュラルミンケースに手を掛けて周囲の様子を警戒し始めた京哉であったが、目の前の壮年男が声もなく大粒の涙をポロポロと膝の上に溢している様子を見て呆気に取られてしまった。
「ちょっと!何で泣いてんだよアンタ!?」
「す、すみません……色々抱え過ぎてしまっていて緊張の糸が…」
京哉は布団の上を膝立ちで移動し、大山田の背中を摩りながら彼が落ち着くのを待つ。そして、「もう大丈夫です」と小さく呟いた横顔を覗き込んだ。
「貴方が楽団の旋律師だということは、わかっています。真城くんから、ひな子の動向については連絡を受けていますから…」
「ええと…嫁に浮気調査されてるってのも……わかってる訳?」
首を縦に振る大山田に、京哉の頭の中はあまりの情報錯綜具合でパンクしそうになっていた。
これでは、何が発端で誰が何の為に動いているのかがわからない。困り顔で説明を求める京哉に、大山田は涙を拭いながら向き直った。
…………………………………………………………………………………
極楽町内で働く者は一度中に入ってしまうと、一部の例外を除いて外の世界に出る事は許されない。衣食住全てを地下空間の中で済ませている。
その為、各料亭の裏手には彼らが住まう専用の居住スペースがあり、外観こそ趣のある数寄屋造りだが内部は簡素な造りの1Kアパートになっていた。
大山田を見送り凪央屋の勝手口から居住スペースに向かっていた京哉に声を掛けたのは、昨日から彼の事を心配していた吉井である。
「流石に大山田さんにはバレただろ?大丈夫だったのか?」
「あー…うん。大丈夫かな!もう、アレだったから…」
アレ?と聞き返す吉井に、京哉は身振り手振りで言語化し辛いものを伝えようとする。
「そんな事より、アンタ。オーナーが小躍りしながら今日のシフト貼り出してたぞ。二日連続で真城に大枚叩いてくれた客から個室の予約が入ったって」
「二日…連続?」
吉井に案内されて共同スペースの掲示板に貼られた手書きのシフト表の前まで移動する。そして、真城の予定が書き込まれる行の本日の予定に赤い文字でハッキリと『個室』の文字が確認できた。
ガタガタと震えながらゆっくりと吉井の方を振り返るが、どうしてやることもできない、と首を横に振って肩を叩かれる。
依頼遂行の為に一早く凪央屋を抜け出さ無ければ。日々死の危険と隣り合わせの現場に向かってきた京哉であったが、命以外の何かを奪われる恐怖に怯える事になるとは夢にも思わなかったという。
[041] lamentoso Ⅱ 完
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