MELODIST!!

すなねこ

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#053 Mákina Ⅲ

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東京都・22歳女性「新しい事件の担当になったのですがサボってばかりの上司に邪魔されて満足に捜査が出来ません。こんな超就職難の時代にも窓際人間って存在するんですね。一日中ぼんやりしてる方が疲れません?」


…………………………………………………………………………………



 連続殺人事件の調査中、新たな現場に遭遇した伊調と榛埜は鑑識に現場を任せて周辺にまだ潜んでいるかもしれない犯人の捜索に向かっていた。
 しかし、例の如くやる気の無い様子の伊調は、ズンズン前を進む榛埜に何とか麻布署に戻ってもらえないかと説得を試みる最中である。

「榛野チャアン…ねぇ、帰ろうって。危ないよ。オジサン怖いよ…」
「何言ってるんですか、伊調さん…。まだ近くに犯人が潜んでるかもしれないんですよ」

だから帰ろうって…と情け無い声を出す伊調を無視して駆け出した榛埜は、事件現場となったビルの周辺を虱潰しに当たる覚悟を決めたようだ。嫌がる中年の抵抗も虚しく、取り敢えず目の前の雑居ビルの中へと吸い込まれていく。


 六本木エリアは自警団がしっかり統治している事もあり、廃ビルの居住者には家族連れが多い。エントランス部分を進む榛埜の方に駆け寄ってきた少女が勢い良くぶつかって跳ね返り床に転んでしまうと、驚いた様子でわんわん泣き始めてしまった。
 一人っ子であり子供の扱いに慣れていない榛埜がパニックに陥っている様子を見かねて、後から入ってきた伊調が少女を担ぎ上げる。

「お嬢ちゃん、ごめんねー。どっか痛いか?」

ニカっと笑いかけてきた伊調の顔を見て多少落ち着いた彼女は、不安げな表情を浮かべながらも首を小さく左右に振る。

「すみませーん!コラ!走り回っちゃダメって言ったでしょ!」

その時、階段を駆け降りてきたのは少女の母親と思しき女。息を切らしながら榛埜達の方に駆け寄ると、頭をペコペコ下げて少女を伊調から受け取る。

「ごめんなさいは?」
母親に怒られ再び泣き出しそうな少女の様子に、伊調は両手を振って制する。

「お母さん、そんなに怒らないで。こっちもいきなり入ってきちゃった訳だし。ね、お嬢ちゃんもニコニコしてるママのが好きだよね?」

再度笑いかけられると、少女はコクリと頷いて母親の首筋に顔を埋めて抱きついていた。

「すみません……本当に…」
「いえいえ、代わりにと言ってはアレですが……少しお話聞かせてもらえませんか?」

伊調がヨレヨレのコートの懐から取り出した警察手帳を目の前に翳すと、母親は目を見開いた。

「警察の方……どうかされたんですか?」

 警察と言えば、今の日本では政府の命令で度々住民達の住居に強制捜査に入るような連中だという認識を持つ人間も多い。
 不安げな表情を浮かべた母親の心情を汲み取った伊調と榛埜は、すぐさま本題を切り出す。

「六本木で起こっている連続殺人事件について調査をしています。最近、身の回りで起こった気になる事や不審なものの目撃情報などあれば共有いただけないでしょうか?」

掌サイズのノートを取り出してペンを持った榛埜を見て誤解が解けた様子の母親は、ギュッと眉間に寄せていた力を抜く。

「殺人事件……あ!もしかして、片倉さんの旦那さんの事かな…」
「かた…くら……片倉……あ!片倉豊カタクラユタカ…47歳」

ページを捲って3件目に発生した殺人事件の被害者についてまとめた箇所に目を通す榛埜。


…………………………………………………………………………………


「目黒区で妻の両親から相続した一軒家に住んでいたみたいですね。半年ほど前に反政府デモに参加して身柄を取り押さえられた経歴があります」

連続殺人事件の被害者に共通しているのは、全員が過去に反政府運動に参加している事…そして、全く同様の手口で殺害されている事である。

「奥さんのハルミさんとは産院が一緒で……今でも家族ぐるみの付き合いがあったから驚きました。でも、本当にお話しできるような事は無くて…お役に立てずすみません」
「いえ。ご協力ありがとうございました。まだ犯人が近隣に潜んでいる可能性がありますので、十分に警戒してください」

ピシッと敬礼した榛埜に会釈をした母親は、少女を抱き抱えたままエントランスの奥へと向かっていく。

「…るちあちゃんにも、ちゃんとおうちに帰らないと危ないよって教えた方が良いかな?」
少女の問い掛けに、何故か母親は顔色を悪くする。そして、足早に暗がりの方へと姿を消していった。

「隣のビルをあたってみま……どうしたんですか、伊調さん?真剣な顔して…」
珍しく思考に耽る様子を見せた伊調に、榛埜は驚きを隠せない様子で尋ねる。
「気になるねぇ…あのお嬢ちゃんが最後に言ってた女の子」
「え?……るちあ…ちゃんってやつですか?お友達ですかね?」
友達の少女を心配する何気ない会話に聞こえていた新米刑事は、何かを怪しむ様子の伊調に首を傾げていた。
「ちゃんとおうちに帰らないと…って、それは家に帰ってないって事でしょ?あのお嬢ちゃんと同じくらいの年のコなら、家出なんてのはあまりにも不自然だ。親がいないって話なら、早急に保護が必要だろうし」
なるほど…と納得した様子の榛埜は暫くの静寂の後、慌てて伊調の方に向き直る。
「それなら早く探しましょうよ!連続殺人犯が徘徊してるかもしれないのに、小さな女の子一人にしておけません!」
ビルの外に向かって駆け出した彼女の背中を見て、伊調は眉間に掌底を置いて酷く後悔する。
 早く署に戻りたかったというのに、彼女のヤル気に火をつけてしまったのだから。






…………………………………………………………………………………



 正午過ぎ、開け放たれた窓から吹き込む冷たい風が顔を撫でるのを感じて麗慈は目を覚ました。
 ミーアに刺され、倒れた先に浴槽から溢れ出た湯が溜まってしまったのがいけなかった。熱めの湯で血流が良くなり、託斗や鬼頭とは比較にならない量の血液を失っていたのだ。
 ぼんやりとして働かない脳で周囲を見回すと、パーティションの隙間から本来この場所にいない筈の人物が歩み寄ってきた。

「やっと起きたか、バカ弟子」

呆れ返った表情でふうっと息を吐いた梓は、再びパーティションから顔だけ出して医療班の人間を呼ぶ。




 駆け付けた看護師が輸液ボトルを交換し終えるのを静かに待っていると、オフィスチェアにドサッと雑に腰掛けた梓が自身のPHSの画面を見せてきた。

「ミーア・ウィルソンは組織の重大規約違反者として処刑対象になったと。まぁ、アンタと創くん刺したぐらいじゃここまで大事にはなってなかっただろうけどさァ」
「……ひでぇ」

スクッと立ち上がった梓は、今度はボソリと不満を漏らした麗慈の横たわる簡易ベッドのマットレスに座る。

「あのタコ助がそんなに大事かねぇ?あの性格の悪さは1回どころか2、3回ぐらい殺された方が良いんじゃない?」
「死んでも治んねぇだろ、アレは…」

相変わらず辛辣すぎるコメント浴びせられている張本人からのメールがちょうど届き、梓は安堵の表情でその内容を彼に告げた。

「京ちゃん、無事だったって。今、皆と一緒に戻るらしい」

暫くその言葉を反芻しながら瞬きを繰り返していた麗慈は、肩をバシバシと叩かれて漸く状況を飲み込んだようであった。

「マジか…」
「何よその反応…うっす。良かったじゃない、アンタがポカして連れ去られちゃったんだから」

痛い所を突かれて傷が痛み出したと顔を背ける様子に、梓は嬉しそうに眉を下げた。

「俺のせいだーって言ってメソメソしてるかと思ったら、案外元気そうで安心したわ。でも凄く心配してたんでしょ?京ちゃんは弟みたいなモンだから」

 オーストリアに亡命してきた京哉と麗慈がルームシェアをした期間は2年と短かった。しかし、日本で地獄のような生活を味わって来た彼らにとって、唯一子供らしい事を経験できた期間でもあったのだ。
 他者が介入し難い絆のようなものは確かに存在しており、それは幼馴染よりも近く『兄弟』という表現が最もしっくりくるものであった。


…………………………………………………………………………………




 鉄製の外階段を駆け上がる複数の足音が耳に届く。手持ち無沙汰にフロアを黙々と清掃していた祐介と道夫が顔を上げたタイミングで、白装束の双子が勢い良く進入してきた。

「おかえり、二人とも」

まだ事の顛末を知らない祐介達は緊張の面持ちで報告を待っているのだとわかるや否や、ナツキとフユキは顔を見合わせて悪い表情を浮かべた。

「……悪ィな…アイツはもう…」
「尽力したのですが…本当に残念でなりません…」

おいおいと泣き真似をし始める二人に駆け寄り、京哉は手遅れだったのかと一緒に悲しむ彼らの背後に当の本人がジト目で立っていた。

「…コレ、僕がツッコミ入れないとダメ?」

次の瞬間には「化けて出た!」と騒ぎ出した双子がその場から一目散に姿を消す。

「京ちゃん!…無事だったんだね……」
「京哉殿…ッ!足…ついてますね!この世のモノで間違いありませんね!」

結果的に温かく迎えられたものの、複雑な気持ちになる京哉。
 双子の悪戯はいつもの事だと割り切り、不自然に動かされたパーティションの方を指差して祐介に尋ねた。

「あそこ…何?」
「あぁ…!さっき目が覚めたらしいよ、若乃宮さん。顔出してあげなよ」

さぁさぁと肩を押されるがままにフロアを縦断して麗慈が介抱されてるという空間の手前まで歩み寄る。
 隙間を通って中に入ろうとした矢先、中から悲鳴が聞こえてきた。


 慌てて駆け付けてみれば、簡易ベッドで横たわった状態でヴァイオリンを持たされた麗慈が梓の“指導”を受けている。彼女の気になる箇所がある度に額に熱々のおしぼりをポトリと落とされていた。

「はーいもっかいやってー……あら、京ちゃん!おかえりー」

にこやかに手を振ってきた梓にペコリと頭を下げた京哉は、隣で唖然としていた祐介の手を引き急いでパーティションの外へと逃げ出していった。
 中からは「裏切り者!」と元気そうな麗慈の声が聞こえてきたので、京哉は安心した表情で彼を見捨てる。






 楽団ギルドがミーアに関する決定を下してから半日程経過した頃、梓を含めた旋律師メロディスト達が虎穴に集められていた。
 本社上層部から今回の事象に対する詰問を行うのだという。

 特殊な衛生回線で本社と連絡が取れる黒電話に接続されたモニターに、最上階の会議室が映し出された。中央の議長席の隣には普段通りロジャーが鎮座している。据えられていた卓上マイクを口に近づける様子に、日本のメンバーには緊張が走った。
『まずは、無事に戻って安心した。では早速だが…』
時間が惜しいのだろう。いち早く情報を掴みたい様子のロジャーは、当事者達への詰問を開始した。


『…ほぼ無抵抗の状態で昏倒させられたようだが、いくら相手が師匠だったとは言え……キョウヤ、君ほどのエージェントがそう簡単に連れ出されてしまった事に…我々としては疑念を抱かざるを得ないのだが…』

上層部は京哉が自らの意思でミーアに着いて行ったのではないかと疑っていた。
 本当に彼の意思とは関係無かったと証明する為には、それ以前の自白剤を使用した尋問の件を白状する必要があった。
 しかし、それでは託斗達が目を瞑った『同胞狩り』の件について上層部に知られてしまう事になる。



…………………………………………………………………………………


「ちょっと良いかい、ロジャー?」

手を挙げたのは、託斗であった。

「そうだとしたら、ミーアと京哉の目的は何だと思う?」

まさかの質問返しにモニターに映る人影はざわつき始めた。動揺する彼らの反応に手応えを感じた託斗は、更に言葉を付け足す。

「今回はたまたまその二人だった訳だけど、アンタらは自覚した方が良いよ。楽団ギルドがどういう人間の集まりなのかって事」

その表情から普段の胡散臭い笑みは消えていた。託斗の周囲に座る旋律師メロディスト達もモニターの向こう側に映る上層部の面々をジッと睨み付けている。

 所属する彼らには其々、旋律師メロディスト以外の生き方を選べない事情があった。それを利用して非人道的な行為を強要し、拒否すれば処刑の決定をくだしてきた上層部に対して意趣返しを考える人間は一定数いる。
 そんな不平不満の芽を私刑によって摘み取り、楽団ギルドが組織としての運用を続ける事が出来たのはミーアの働きによるものであった。

「彼女が何を考えて行動したのかはわからない。京哉も目を覚ました時は既に一人だったらしいから。この子を問い詰めても何も出てこないさ。こんな事してる暇があったら、さっさと日本に人間送って居場所なり何なり調べた方が効率的じゃない?」

ベラベラと息継ぎ無しに語り終えた託斗は隣の京哉の方を見てウインクを投げる。背筋に悪寒を走らせながら、京哉も口を開いた。

「…支部長に昏倒させられたのは、僕の実力の無さが原因です。精進します」
『……そうか』

仕方なく、という雰囲気ではあったものの自身への嫌疑が晴れた様子に、ペコリと頭を下げたままであった京哉は悪い笑顔を見せる。

『ミーアの件は調査が進むまで一旦保留だ。彼女の目的がわからなければ迂闊に攻撃できない』
「珍しく柔軟じゃないか。彼女の事がそんなに怖いんだ」
同じく悪い顔を見せて上層部の面々を鼻で笑った託斗に、ロジャーは呆れた表情で返した。
『それより、お前はいつまで日本で遊んでいる気なんだ?』
元々、アメリカに飛ぶ筈だった彼が日本に滞在している理由は異端カルトによる襲撃を受けたからである。
 お説教が始まりそうな雰囲気を察した託斗はスッとカメラの画角から姿を消す。
『ミツキ、オーストリアにアイツを連れ戻してくれないか。アジア支部長の方には此方から詫びを入れておこう』
「…しょ…承知致しました」
ロジャーの発言に、やっと問題児のお守りと天敵との罵り合いの日々から解放されるとあって、後列に座っていた麗慈もガッツポーズを取る。

『設計図も一緒に持ち戻ってくれ。本社で内容を精査する必要がある。その他…追加の指示が出る迄は、引き続き顧客の依頼解決に向かう様に』

ブツリと通信が切られ、真っ青な画面がモニター一面に映し出された。



「意外とアッサリ終わったわね……何か企んでんのかしら?」
梓が腕を組み訝しげな表情で呟くと、ナツキが自身のPHS端末を弄りながら返した。
「多分コレ…今アメリカがヤバい事になってるらしいから、そっちの対応じゃねぇかな?」
彼が掲げた画面に全員が目を凝らす。


 異端カルトによって大統領が暗殺されたアメリカでは、保守派と音楽肯定派の間に巻き起こっていた争いが激化していた。
 大混乱の中強行された直接選挙にて次期大統領となった男は、音楽肯定派のテイナー・ロドリゲスという男であった。
 FBIの調査によって、前大統領の暗殺が音楽否定派の国々に加担する異端カルトである事まで突き止めた大統領府。
 事もあろうに、彼らは暗殺は音楽否定派国家による陰謀であると結論付け、報復攻撃を仕掛けるとまで発表していたのだ。

「えっ…ヤバくない?戦争じゃない、こんなの…」
「ヤバいんだよ、世界情勢。組織内の裏切りだ何だに構ってる余裕、正直無いんだろうな…」
端末を仕舞ったナツキがため息混じりに言うと、フユキは不安げな表情で尋ねた。
「前に言ってましたよね…旋律師メロディストが戦争に駆り出されてたくさん死んでるって。…僕達も色んな国の依頼でバラバラに派遣されて、いつの間にか旋律師メロディスト同士で殺し合いになったりしちゃうんでしょうか…」

 それは、ミーアがこれ迄必死に阻止してきた最悪な未来である。
 麗慈、託斗、鬼頭、そして京哉は表情を曇らせた。楽団ギルドが彼女を失った事により、一気に現実味を帯びてしまった事は憂慮すべき事態であった。




…………………………………………………………………………………



 虎穴の扉から外階段に出る頃には深夜0時を回っていた。
 品川の医院に戻るという麗慈達3人と運転手の鬼頭に別れを告げ、京哉と双子達はネットカフェエリアに向かって鉄製の板を一段ずつ降りていく。

 夜景を失った東京の街では、星空が綺麗に見えた。白い息を吐きながら瞬く星々を眺めるフユキが、突然元気良く手を挙げる。
「はいっ!提案があります!」
「…一体何だね?」
一体何を言い出すのかと眉を引き攣らせながら尋ねた京哉の方に向き直ったフユキは、真夜中だというのに爆けるような笑顔で嬉しそうに述べる。
「京哉クン、今日は何日かわかりますか?」
唐突に聞かれると咄嗟に答えられなかった。オーストリアに戻ったり、敵の拠点に乗り込んだり、師匠に拉致されたりと…立て続けに様々な事が起こり過ぎて、カレンダーを見る余裕すら無かったのだ。
 口をマゴマゴしている京哉の代わりに、これまた元気よく手を挙げたナツキが答えた。
「はい!12月22日です!」
「その通り!正解でーす!」
パチパチと拍手をしながらお互いを讃え合う同じ顔の茶番劇を見せ付けられる京哉は、もう年の瀬も近いのかと時の流れの早さを感じていた。

「京哉クン、みんなでクリスマス会をしましょう!」
「……く、くりすますかい…?」

彼のぎこちない返事に、顔を見合わせた双子はコクリと頷く。そして、京哉の両腕に其々しがみつきながら狭い階段に3人並んで無理矢理腰掛けた。

「こんな大変な時にって思いますよね?いつ大きな戦いがあるかわからないのにって」
「良いか、右神?オレ達はいつ死んでもおかしくない。旋律師メロディストなんてそんなもんだろ?」

ギュッと両脇から押されて息苦しさを感じながらコクコクとしきりに首を縦に振る京哉。

「いつ死ぬかわからないんだから、死ぬまで楽しくやりましょうよ、京哉クン!」
「…そ、そういうモン?」

苦笑いを浮かべている京哉の顔を両側から睨み上げた双子は、例の如く声を揃えて返した。

「「そういうモン!!」」


 交換用のプレゼントを用意しろという指示を出して階段を駆け降りていってしまった二人に置いていかれた京哉は、徐に立ち上がって手摺に背中を預ける。

「クリスマス…」

 夜風に髪を靡かせながらボソリと呟く。思い出していたのは彼が最も幸せだった瞬間に見た母親の笑顔だった。

 望んで産んだ子ではないのに、彼女は一体どんな気持ちで自分の誕生日を祝っていたのだろうか。
 日本に来てから出会った京哉と関係の深い人間の中で彼の誕生日を知る者はいない。教えていない。
 そして自身の産まれの秘密を知ってしまった今、12月25日という日を“楽しい”という感情で迎える事は更に難しいように思えた。

 そして、親交のある人間が一堂に会する機会に茅沙紀の姿が無い理由を説明しなければならない事も京哉の気怠さを助長する要因となっていた。






…………………………………………………………………………………



 麻布警察署近くの公園に、相変わらずヨレヨレのコートを纏った窓際刑事が一人。水が出なくなって久しい噴水が良く見える位置に据えられた木製のベンチに腰掛けて空を見上げていた。
 片手に持った缶コーヒーをチビチビと飲んでいる彼の視界の端に、季節外れの甚平を纏ったビーチサンダルの男が歩み寄ってくる様子が映る。


「うぉー…見てるだけで寒ィんだけど…」

身震いしながら顔を上げた先でニコニコと笑っている託斗は、特に寒がる様子もなく伊調の隣に腰掛けた。
「久しぶりじゃん、慎!この前は色々ありがとねー」
彼の『この前』という一言で、伊調は矢馬岸灼の邸宅で巻き起こった超人同士の戦いを思い出す。
「どうだった?助かったのあの子?」
「なーにを仰る…僕の息子ですよ、当たり前じゃん。超元気に昨日も誘拐されちゃったよ」
ハハハーと笑い飛ばしている託斗の横顔を一瞥して早朝の白ばんだ空に視線を戻す。
 楽団ギルドの内通者として日本の警察に長年潜入している伊調であったが、彼にも組織専用のPHSは配布されている。当然、ミーアが京哉を攫った事件についても知っていた。
「そんな事より、何かわかったから呼び出したんだろ?ちょうど良かったよー!ロジャーが煩くてさぁ…すぐオーストリアに戻って来いって」
当然日本にいるべき人間ではないと思いながら、伊調はコートの懐から折り畳まれたA4紙を取り出して広げる。
「おうよ…今回は結構危ない橋渡っちゃったよ、俺。最高機密情報のサーバまでアクセスしたからね」
手渡された用紙に印刷された情報を斜め読みした託斗は、ある単語が目に止まると慌てて顔を上げて伊調の方を見やる。
「ね、驚いたでしょ。君の上さんの遺体、神奈川県警の管轄から特別な権限振り翳されて秘密裏に持ち出されのよ。……世界政府サマが」
「何で世界政府が……」


 音エネルギーの台頭後に二分された世界で、音楽肯定派、否定派のどちらにも属さず、ただ人類の平和平等を願う永世中立的な組織として国際連合から独立した世界政府。
 どのような理由があって、個人の遺体を回収するという奇行に及んだのか。そして、シエナの遺体は一体何処に持ち出されてしまったというのか。
 その真実を知る者は彼らにシエナを託したミーアと、彼女から全ての事情を聞かされた京哉、そしてもうこの世には存在しないオルバス・シェスカのみであった。

「これ以上深く潜れば足が付くと思って切り上げたよ。ただ、世界政府からの干渉は警察にとっても予想外だったようで記録がそこまで残ってなかったってのも伝えておくぜ」
「……そうか。ありがとう、慎。毎度苦労かけて悪いね」
A4用紙を再び四つ折りの状態に戻し、懐に戻しながら立ち上がった託斗。吐く息を白くする彼の姿を見上げた伊調は、本当に寒く無いのかと首を傾げる。

「あー、これは不確定情報だけど…最近六本木で発生してる連続殺人事件に“得体の知れないナニカ”が関与してる可能性があるって話。いくら捜索してもその“ナニカ”についての情報が出てこないっていうのが非常に怪しくてね」
ほう、と相槌を打った託斗が振り返ったタイミングで、伊調がニヤリと笑った。
「情報が『消されてる』んじゃないかと俺は睨んでるよ。そんで、唯一のヒントは……ルチアという名前の少女」

 警察のデータベースに情報を載せさせない、または記録された情報を削除できる権限を持つ組織には心当たりがあった。
「やるとするなら、まず考えられるのは日本政府だけど……」
「そんなら最初から『載せさせない』方向で記録させるだろうな」

 わざわざ“消させる”必要があるということは、登録前の政府機関による検閲が関与していない…外部の組織が関係している可能性が高い。
 そして、日本の中枢を担う組織にそれだけ大きな権限を振り翳すことのできる機関と言えば、おのずと答えは絞られてくる。

「…世界政府か。なるほど、色々裏で繋がってるかもしれないって事ね。また何かわかったら連絡頼むよ」

 機嫌良さそうに手を振りながら、元来た方向へと消えていった甚平の背中に手を振り返した伊調は先程から騒がしく胸元を震わせる自身の携帯電話に手を伸ばした。

「なーによ榛埜チャン?朝っぱらから電話なんか掛けてきちゃっ…」



 耳に当てたスピーカーから何か巨大な物が崩落する轟音と共に、ゼェゼェと激しい息遣いが聞こえてきた。一言も喋らないまま数十秒が経過し、その間始終忙しない足音が響いている。
 それはまるで、何者かに追いかけ回されている最中のようであった。




[53] Mákina Ⅲ 完
 
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