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#074 Jusqu’à la fin Ⅲ
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東京都・32歳男性「目の前で大切な物を奪われるなんて経験、一度だってしたくないよね。それを何度も繰り返すなんて、俺だったら気がおかしくなっちゃうよ。…最初から気がおかしい人の場合はどうなるのかな…?」
…………………………………………………………………………………
葬儀屋のトラックを見送った京哉達は、凌壱の情報を集める為に現在進行中で建物の解体が進んでいる場所を目指し始めた。
輸血ができない状況の為本調子ではない阿須賀、声の出ないシェリーと彼等の容体を見守る麗慈を祐介の運転するジープに乗せて送り出し、京哉、道夫、鬼頭の3人が徒歩で移動を開始し始めた。
「解体現場に志麻凌壱本人がいるとは思えねェが、手掛かりぐらいは掴めるだろ。……それにしても、渋谷区はほぼ全壊状態だな……」
周囲を見回した鬼頭が感嘆の声を漏らす。
「渋谷区の皆さん、無事に逃げ切れたでしょうか……心配ですな」
今朝の騒動で散り散りに逃げて行った彼らの身を案じる道夫の横で、京哉は一人欠伸をかましていた。
「……京哉殿は何と言いますか…」
「デリカシーが無ェんだよ、父親譲りだ」
ただ欠伸をしただけなのに…と、京哉は不機嫌を表に出して唇を突き出す。
「みんな僕に対して辛辣過ぎじゃない?ちょっとは優しくしてよ」
「最近のお前の行いだな、全ての原因は。酔って迷惑かけたり、シェリーを襲ったり…」
鬼頭の返しに「濡れ衣だ!」と叫ぶ京哉。いじけている彼の事を放置して先を急ぎ始めた二人の視線の先には、既に解体現場の土煙が見えていた。
爆破によって破壊された建物の瓦礫を重機を使ってトラックに積み込み、何処かに運び出している。総勢50名程の作業員が一つの現場に割り当てられている様であった。
黄色いヘルメットには緑色の塗料で『大山田建設』の文字がプリントされている。
「…大山田建設?あそこの社長夫婦は極楽町の一件で殺されたんじゃ…」
瓦礫の隙間から解体現場の様子を確認していた京哉が訝しげな表情で口を開いた。
「政府が大きく関与してた一件だな。大山田殺害は計画的だった可能性が十分あったってJACの報告から考察するに、最初から東京の街ぶっ壊す人手として大山田建設に目を付けてたんだろう」
双眼鏡で作業員を観察しながら寄越された鬼頭の返事に、京哉はあの胸糞悪い依頼内容を思い出す。
「現場監督っぽい方だけヘルメットの色が違いますな」
道夫の指摘通り、作業着姿の男達の中に数人の白い無地のヘルメットを被った男が混ざっている。鬼頭はその中の一人に目をつけた。書類を挟んだバインダーを小脇に挟んでやる気無さげに虚空を眺めている。
「京哉…話を聞くならあのパワーショベルの手前でボンヤリしてる中年だ。拷問し甲斐も無くベラベラとゲロってくれそうな面してやがる」
鬼頭の指した方向に立つ白ヘルメットの方を見やった京哉はコクリと首を縦に振った。
「きょ、京哉殿…どんな方法であの方を連れ出すおつもりですか?」
指の関節をコキコキと鳴らして明らかに野蛮な方法を取ろうとしている様子の京哉に、引き攣らせた表情で尋ねる道夫。
「大丈夫だってー道夫さん。僕、こう見えてエージェントだから」
ニカッと歯を見せて自信満々な様子の京哉はすくっと立ち上がり、瓦礫の影に隠れながら現場に近付いていく。
そして、休憩中の作業員の背後に近寄ると鮮やかな手付きで地面に置かれていたヘルメットと作業着の上着をくすねた。
大山田建設のヘルメットを被った京哉は上着を羽織りながら、今度はテクテクと白いヘルメットのターゲットに近づく。
…………………………………………………………………………………
「あっ…もうあんな近くまで……!創殿…京哉殿は本当に大丈夫なのでしょうか?」
そわそわと京哉の様子を見守っていた道夫の不安げな表情を見て、鬼頭は彼の肩を叩いた。
「そういえばお前さん、京哉に関しちゃあ駄目な所しか近くで見てなかったよな。不安になるのも仕方ねぇ。まぁ、安心して見ててやんな」
「安心してと言われましても……あぁっ!京哉殿躓いて白いヘルメットの方にぶつかってしまわれましたぞ!」
道夫が指差した先には、現場監督の男の背中にもたれ掛かった京哉の姿があった。
それまでぼんやりと空を眺めていた男は驚いた様子で踵を返す。
「なっ何だお前は!」
「ごっ…ごめんなさい……っ!寝不足でフラついてしまって……」
ヨタヨタと地面に膝を付いた京哉は、男の表情を伺いながら演技を続ける。
「寝不足だァ?寮の消灯は21時だろうが。一体何をしてたんだ」
男の呆れ返った声色の小言を聞いて、京哉はこれはチャンスだと心の中でガッツポーズを取る。
右手で左腕の肘の辺りをキュッと抱き、少し顔を伏せる。何か訳ありのような雰囲気に釣られた男は周囲を一度確認しながら京哉に一歩歩み寄ってその顔を覗き込んだ。
頬を赤く染め悩ましげに眉をハの字に下げた京哉は、口元を左手で覆いながら今にも泣き出しそうな表情で男に返した。
「っ……そんな、恥ずかしくて言えないです……僕…」
恥ずかしいという言葉に何を想像したのだろうか、男はドキッとした表情で京哉の両肩に手を置く。
「俺で良ければ…相談に乗ろうか……?そ、そうだ…!3つ隣のビルは明日解体予定だから、今なら誰も来ないんだ」
「監督さん……とっても良い人なんですね。僕、こんなに優しくされたの初めてです…」
肩に置かれた男の手にそっと触れた京哉は、上目遣いで喬笑を浮かべていた。それを見た男は何を思ったのか、ヘラヘラとだらしない笑顔を浮かべながら、立ち上がった京哉と共に並んで現場を離れていった。
瓦礫の影から二人のやり取りを見守っていた鬼頭と道夫も距離をとってその後に続く。何がどうなっているのかと疑問符を頭の上に浮かべている道夫を見て、鬼頭はゲラゲラと笑っていた。
「お前さんがナツキとフユキにやられた事だよ。ほら、俺達が最初に六本木のビルにやってきた時だ」
住処から逃げ出してきた道夫が駆け込んだ先が、偶然京哉達の新しい根城であった。彼が怪しい人間かどうかの尋問を行ったのがナツキとフユキの双子。道夫は鍵の掛かる個室スペースに閉じ込められ、あんな手やこんな手で情報を抜かれた時の事を思い出した。
「楽団の方々は全員心得ておられるのですか…その、ハニートラップと言いますか……。え?と言うことは、まさか麗慈殿や巳継殿も……!?」
「まぁ、全員という訳じゃねぇがな。巳継はどうか知らんが、託斗の話によると麗慈は京哉より上手く相手を落とすとか言ってたな」
普段はあまり人と馴れ合わない雰囲気の彼にそんな特技があるとは…と、その意外性に瞬きを繰り返して驚いていた道夫は、京哉達が廃ビルの中に入っていくのを見てふと足を止める。
「…待ってくだされ、創殿。我々、これから京哉殿があんな事やこんな事であの男を骨抜きにする様子を間近で見る事になったりしますか、もしかして…?」
自分がナツキとフユキにされた事を思い出し、額に汗を滲ませる道夫。一体彼らに何をされたというのか…。鬼頭は首を傾げながらも、迷う事なく二人の後を追って廃ビルの中に足を踏み入れていった。
…………………………………………………………………………………
地下2階のジメジメとした静かな空間に入ってきた二人。到着するなりヘルメットを脱ぎ捨てて作業着のジッパーを下まで下げた京哉を見て、男は何を期待したのか彼の脇腹にそっと手を添えた。
至近距離に迫っていた男の高揚した表情に、扇状的な笑みで返した京哉。彼の艶かしい表情に堪らず抱き着こうとしてきた男は、次の瞬間には砂埃に塗れた床に仰向けに倒れていた。
突然の事に驚いた男は、忙しなく周囲を見回す。そして、額に突き付けられているのが鋭い刃物の先端だと気付くまでに10秒程の時間を要してしまった。
「はいご苦労さん。そんじゃ、質問に答えてねオッサン」
先程までの人懐っこい声と表情はどこへいってしまったのだろうか。男は額に汗を滲ませながら尋ねる。
「っ……こういう感じが良いのか?俺は嫌いじゃないぞ」
「はぁっ!?こういうって何だよ!?プレイじゃねぇっつーのエロジジィ!」
呆れた表情で太刀の峰を肩に担いだ京哉の背後に、後を追ってきた鬼頭と道夫が歩み寄ってきた。
「どうした京哉。さっさと吐かせちまえよ」
そう言いながら倒れている男の頭側に胡座を描いた鬼頭。強面の大男に頭上から覗き込まれた男は表情を強張らせた。
「な、何だお前達!俺に何するつもりだ!」
去勢を張って大声を上げた男の首筋にスッと太刀があてがわれる。そして、面倒臭そうに眉間に皺を寄せた京哉が尋問を開始した。
「質問に答えれば五体満足で返してやるよ。あれ?痛い方が好みだったか?」
「っ……ひぃっ…」
悲鳴を上げた男は、恐怖にガタガタと歯を震わせてグレーの作業服の股間に大きな染みを作る。
「京哉殿…すごいテクをお持ちなんですな……我々が到着するまでの間のものの数十秒で達…「ちげーから」
ピシャっと道夫の言葉を遮った京哉が男に尋問を始める。
「オッサン、大山田建設の人間じゃねーよな?所属は?」
「っ……死にたくない…死にたくないんだ……っ」
まだ震えが止まらない様子の男の横腹を爪先で4回小突き改めて尋ねる京哉。
「しょ・ぞ・く・は?」
すると、男は我に返った様に回答した。
「こっ…国土交通省…です…」
国土交通省と言えば、今永昌俊の息の掛かった人間という事になる。大山田淳弥殺害の犯人とされているのが今永である事から、解体現場の状況を見ても男の言っている事に嘘偽り無い事がわかる。
「志麻凌壱って男の所在に心当たりは?」
「志麻……?」
震える声でそう繰り返すだけの男の耳の傍で太刀を床に突き立てた京哉。キンッと甲高い音が響き、男は再び悲鳴を上げた。
「ムカデのオモチャ使って人を殺して回ってる奴。見た事ねーの?」
「な…無いっ!俺達は今永大臣の命令で動いてるだけだ!ムカデのは現場で見るが、人間がついて回ってる訳じゃない!」
涙ながらに必死に答える男を見て、3人は本当に彼が凌壱について知らないのだと理解した。
最後に男の腰の辺りを跨いで立った京哉は、手に持っていた太刀を上段に振り上げる。殺される、そう思った男は再び失禁し、口から泡を吹いて意識を失ってしまった。
鬼頭の読み通りあっけなく情報を渡してきた男であったが、彼らの欲するものではない。可哀想なぐらい恐怖に震えていた男をその場に放置し、3人はそそくさと地上へと戻る。
解体現場では、いなくなった男を探して監督官や作業員達が散り散りに動いていた。あまり長居はしない方が良いと言った鬼頭に続いてその場を後にする。
…………………………………………………………………………………
この調子で解体現場を回ったとしても、恐らく凌壱に繋がる手掛かりには辿り着きそうもない。凌壱に仕事を依頼したのは都野崎本人という事からも伺えるように、彼はかなりの高待遇で政府側に迎え入れられている様子であった。
「直接総理官邸にでも殴り込みに行かない限り、志麻凌壱に会うのは難しいか?」
「何か誘き出せる餌でもあれば……」
鬼頭と京哉は一瞬でその答えに辿り着く。彼らの頭の中には阿須賀の姿が浮かんでいた。
凌壱は阿須賀の事が相当気に入らないらしく、身内を利用してまで殺そうとしている。一度死んだと思っていた相手が生きていて、自分を探していると知ったらどう思うだろうか。
「志麻凌壱が本当の腰抜けじゃなけりゃ、今度こそ阿須賀を殺そうとしてホイホイ出てくるだろうな」
何故こんな簡単な事に気が付かなかったのだろう、と溜め息をついた京哉が麗慈のPHSに連絡を入れる。合流して作戦を立て直す為だ。
「あ、もしもしー?志麻凌壱の事なんだけどさぁ?」
『っ…渋谷4丁目、大学敷地内だっ!…早く来いっ!』
電話に出るなりそう叫んだ麗慈。走っている様子で彼の息遣いが聞こえてきた。どうやら敵に遭遇してしまったらしい。
『こっちはまともに戦える奴が今いない!阿須賀が無理を押して囮になってる!異端の女だ!』
「異端!?…わかった、すぐ向かう」
電話を切るなり、鬼頭がPHSで現在地からの地図を調べ上げて京哉の目の前に持っていった。
「結構距離があるな…しゃーない!走って行くから二人は後から…」
そう言い掛けた京哉の視線の先で、道夫が先程まで居た解体現場の方を指さしていた。嫌な予感がする。顔を引き攣らせた京哉の肩を叩いた鬼頭が、愉快そうに笑っていた。
「道夫もわかってきたじゃねぇか。急ぐに越した事ァねぇ。そうだろ?」
荒れ果てた道路を爆走するダンプカー。運転するのは勿論、鬼頭であった。
解体現場から頂戴した車体には、最新鋭のハンネス機関が搭載されていた。十分に充電がされていたようだが、鬼頭がアクセルを踏み込む度にズルズルとメーターの数字が下がっていく。
「京哉っ!ガンガン発電しとけ!」
「わーってるって!」
助手席でフルートを取り出した京哉は、収音装置に向けてすぐさま演奏を開始した。すると、みるみるダンプの馬力が上がっていく。
後方の座席に座っていた道夫は飛ばされてしまわないようにしっかりと手すりに掴まって揺れに耐えていた。
代官山方面から八幡通りを飛ばして首都高3号渋谷線の交差点で右折しようと速度を緩めた鬼頭。しかし、全方向から聞こえてくるパトカーのサイレン。目の前にはあっという間に数十台のパトカーが壁を形成し、降車した警察官達がこちらに拳銃を構えている。ミラーを確認すれば、後ろからもパトカーの隊列…。
「は、創殿っ!」
「仕方ねぇ!強行突破だ!」
えっ?と、道夫が聞き返す前にアクセルが踏み込まれ、慣性のままに座席シートの背もたれに押さえ付けられる。
左右に蛇行しながらスピードを上げるダンプに拳銃を発砲し続けていた警官達だったが、遂に轢かれそうになると素早く左右に退散して道を開ける。そして、パトカーの壁に躊躇なく突っ込んで弾き飛ばすと大きな交差点を右折していった。
カーアクション映画さながらの激しい運転捌きに肝を冷やしながら、大学の校舎が見えるまで直線道路をひたすら爆走していく。
あと数十メートルで目的地という所まで来た時、京哉がある事に気が付く。
「創くん!さっきの分岐左だったんじゃない!?こっからだと首都高降りられない!」
交差点を曲がってすぐの二股に分かれた道のもう一方を走行しなければ、直接大学敷地内に繋がる下道に出る事ができないのだ。
「あのパトカーの数振り切ってすぐハンドル切れるかよ!横転しちまってただろうが!」
こうしているうちにも段々と迫る大学の校舎。そして更に彼らを追い込んだのは、前方に立ち塞がる特殊装甲車。屋根の部分に取り付けられた機関銃がこちらを真っ直ぐに見据えている。
「じ、自衛隊まで!」
頭を両手で覆って姿勢を低くする道夫。間髪入れずに始まった銃撃でダンプのフロントガラスに次々と穴が開く。
「ええいっ!掴まれえぇっ!」
ハンドルを一度右に振って勢いを付けてから左に切った鬼頭。側面の壁を突き破って重量のあるダンプが軽々と宙に舞う。
「ひゃあああああっ!」
「ぎゃあああああっ!」
京哉と道夫の悲鳴が車内に響く。重力に任せて落下していったのは、10メートルほど下に広がる大学敷地内の雑木林。葉を落とした木々の枝をクッションに地面に着地するも、大きな衝撃が3人を襲う。
…………………………………………………………………………………
ボンネットからプスプスと白い煙を上げる車体。歪んだドアを足で蹴って開けた鬼頭は、自らが先に外に出て車内に手を伸ばす。
京哉、そして道夫を次々と救出し、足早にダンプから離れた。京哉の演奏によって満充電の状態になっているハンネス機関。アレだけの衝撃が加わって、いつ爆発するかわからない状況であった。
「阿須賀が心配だ。京哉は先に行け。俺達は敵に見つからないように動いて麗慈達との合流を目指す」
「わかった。道夫さんのこと頼んだ」
鬼頭の指示を受けて駆け出した京哉は一目散に林を抜けると、広い敷地内を見回しながら校舎の立ち並ぶ方に向かった。
時折鼓膜を揺らす断続的な銃声と壁伝いに背中を揺らす衝撃。物陰に身を潜めて機を伺っていた阿須賀の顔色は悪かった。
凌壱の情報を探して解体現場近くを巡っていたジープを襲った弾幕。突如姿を現した異端の使徒、サラフィエルによる攻撃であった。
走行不能になった車両を捨てて走り出した4人が逃げ込んだのは渋谷4丁目にキャンパスを構える難関私立大学の敷地内。
「何やあの姉ちゃん!?」
「異端だ!あんなのの相手してる場合じゃねェ!」
壊された窓から校舎内に入るが、執拗に追いかけてくるサラフィエルの銃撃が彼らを襲う。
机と椅子が山積みになっている食堂に逃げ込んだ時、銃弾の一発がシェリーのふくらはぎを掠めた。床にドサッと倒れ込んだ音を聞き付け、咄嗟に振り返った祐介が危険も顧みず彼女の方に駆け寄る。
「危ない!伏せろっ!」
麗慈の声で咄嗟に頭を下げた祐介。二人の頭上を一つの影が飛び越えていったかと思えば、阿須賀が一人サラフィエルに向かっていった。
ガトリングの銃身の傍をすり抜けて、サラフィエル本人に鋭い回し蹴りを繰り出す。咄嗟に腕を立ててガードした彼女は、背中のホルダーからコンバットナイフを取り出して阿須賀に向かって振り翳した。
「大変だ…阿須賀くんはまだ本調子じゃない」
頭を上げた祐介の額に汗が滲む。
「本調子どころか大量出血したばかりだ。あんな風に動いて無事でいられるかよ」
右に左にと襲いかかるサラフィエルのナイフを避ける阿須賀であったが、段々とその足元が覚束なくなってきた。このまま激しく動き続ければ行動不能になってしまう。
かといって、今この場にいる人間の中で異端の戦闘員と思しき彼女と渡り合える者は他にいない。
「はよ行けっ!すぐに追うっ!」
阿須賀が身を挺している間にシェリーを安全な場所に移動させるしかなかった。祐介と頷き合った麗慈は、二人を先に行かせて阿須賀の方に向き直る。
「無理だけはすんな!」
麗慈の呼び掛けに、彼はピースサインを出して答えた。
彼を置いてこの場を離れるのは忍びなかったが、自分が残って逆に阿須賀の手を煩わせる訳にもいかないと判断した麗慈は踵を返して祐介達を追いかけた。
…………………………………………………………………………………
講義室の教卓の影に身を潜めていた阿須賀。銃声に耳を澄ませていた彼の頭上に突如現れた弾幕は、隣の部屋の壁を打ち抜いたサラフィエルの攻撃であった。
「んな…メチャクチャすんなぁ!」
バラバラと降り注いでくる小さな瓦礫を腕で払い除けながら立ち上がった阿須賀は、カツカツとブーツの底を鳴らしながら近づいて来るサラフィエルの方を睨み付ける。
砂煙が落ち着き、鮮明に確認できた彼女の姿。その手にガトリング砲は携えられていない。弾丸として使っていた金属素材が底を尽きたようであった。
「弾切れかいな。あんだけ無駄撃ちすりゃ当たり前やな」
挑発に対する返答は無い。以前屯所で退治したメタトロン同様に彼女には日本語が通じないのだと理解した阿須賀。しかし、その手に携えられている鋭い刃から見るに殺意だけはひしひしと伝わってくる。
ダンっと大きな音を立てて床を蹴ったサラフィエルが先に襲い掛かってきた。阿須賀は彼女のナイフを躱しながら後方に回り込み、左腕を掴んで後ろ手に拘束を試みる。しかし、その掴んだ左腕の先にもギラリと煌めく金属が見えて、咄嗟に距離を取った阿須賀。直後に彼女の手から放たれたもう一本のナイフはクルクルと回りながら宙を舞い、持ち主の手の中へと帰っていった。
明らかに常人の反応速度、身体能力ではない。素手喧嘩最強と言われていた阿須賀が本調子であっても簡単に倒せる相手ではなかった。
「アカンな……目眩してきたわ…」
何より今は血が足りていない。相手を撒いて逃げる選択肢も奪われつつあった。
ふらつく足で踏み止まっている阿須賀に正面から歩み寄ったサラフィエルは、つまらな表情で手を伸ばし彼の襟首を鷲掴みにした。掴み返そうとするも、手に力が入らない。
逆手に持たれたコンバットナイフ。鋭利な刃先が首元にあてがわれ、その冷たさがじんわりと伝わってくる。
自分には凌壱にケジメをつけさせるという仕事が残っていると言うのに…。
ふと脳内に再生されたのは、上半身を無惨に爆破された椿の亡骸と対面した時の様子。彼女の恐怖、無念を思えば、この身体の苦しさなどどうってことない。
首筋に当てたナイフを引き抜こうとしたサラフィエルの顎を、握り締めた阿須賀の重い拳がとらえた。白目を剥きながら後方に吹き飛ばされる彼女の手からこぼれ落ちたナイフは、カランと音を立てて埃の積もった講義室の床に転がり、床にボルトで固定されていた長机の影に入り込んで見えなくなった。
やっと生まれた隙。力を振り絞って足を踏み出した阿須賀は、講義室の出口に向かう。ぐるぐると回る視界が方向感覚を奪うなか、机に手をつきながらようやくたどり着いた出口。ドアノブに手を置いた瞬間、後方から急激に迫ってきた殺気に振り返る。
背後ではもう一本のナイフを振り下ろしたサラフィエルが間も無く阿須賀の身体をとらえようとしていた。
間に合わない。そう悟った時であった。あと数ミリというところまで迫っていたナイフが急激に熱を帯び、まるで水のように沸騰を始めてサラフィエルの手に纏わり付いた。
あまりの熱さに叫び声を上げながら床を転がり、のたうち回るサラフィエル。
こんな芸当ができる人間を、阿須賀は一人しか知らない。
…………………………………………………………………………………
ガラス窓を石で叩き割って侵入してきた京哉は、サラフィエルを一瞥しながら阿須賀の近くに駆け寄って肩を貸す。
「大丈夫か?」
「あー…マジで助かったわ。頭回らんくて大変やった…」
安堵の表情を浮かべた阿須賀。身長差に背伸びをしながら京哉に体重を預けた。
講義室を出ようとした時、手を真っ赤に腫らして口元から血をボタボタと垂らしていたサラフィエルが英語で彼らを呼び止める。
「待てよッ!……キョウヤ・ウガミ…!」
まだ戦うつもりなのかと面倒臭そうな表情で彼女の方に顔だけを向けた京哉は、次に彼女から発せられた言葉を聞いて更に嫌気がさす。
「第21楽章…もう異端は手に入れるまで秒読みって所だぜ?興味ねぇのかよ?」
「それー、前も言ってたじゃん!結局手に入らなかったんじゃないのー?ぷぷっ」
口角をクイッと上げて挑発する京哉に、サラフィエルのこめかみがピクっと動いた。
ガブリエルの目によって発見された、超絶技巧第21楽章の痕跡。しかしそれは、託斗によって敵の目を欺く為の罠であった。この時、都内のあらゆる場所の捜索をさせられたのがサラフィエルであり、骨折り損となった数日間の事を思い出し沸々と怒りがぶり返してきたところである。
大火傷と顎の骨の損傷という大怪我を負いながらも、その痛みを忘れる程の怒り。執念深い彼女にとって、あの出来事は地雷であった。それを見事に踏み抜いた京哉。
「京ちゃん!今は逃げるんが先やろ!何挑発しとんのや!」
阿須賀の正論を聞き彼女に背を向けて講義室を出ようとした京哉であったが、背後でガチャリと鳴った何かを接地する音に顔を引き攣らせる。
怒りに打ち震えるサラフィエルの前には、いつの間にか先程まで乱射していたガトリング砲…。
慌てて走り出した二人を追って弾幕が床材をめちゃくちゃに舞い上げた。
蜂の巣になっている背後の景色を一瞥して進行方向に向き直った京哉は恐怖のあまり涙目になっていた。
「こ、こえーっ!僕悪い事してなくない!?何であんなに怒ってたのさ!?」
「知らんわっ!あの姉チャンの地雷でも踏み抜いたんとちゃうか!?余計な事すな!」
大急ぎで階段を駆け降りた二人は、怪我をして先に逃したシェリー達の行方を探すべく一度校舎の外に飛び出す。
「ワシが皆と別れたんはそっちの校舎の1階…こんだけ広いと闇雲に探すんは危険やな。あの姉チャンとまた遭遇してまうかも」
「今麗慈と連絡取れるかどうか試してみる……もしあの女以外に敵が潜んでたら大変……で……」
京哉のPHSがガシャンと地面に落下する。
何事かと彼の視線の先を辿った阿須賀も、その目を見開いた。
一つ先の校舎の中から現れたのは、ネイビーのスーツを纏った異端の指示役、ミゲル。そして、彼の後方を歩くアサルトスーツの男達に抱えられているのは気を失った状態の麗慈であった。
遠目でよく確認できなかったが、口元を血で濡らしていたようにも見えた。
「京ちゃん、アレ……医者の兄チャンが…」
阿須賀が口を開く前に京哉は飛び出していた。
フルートを太刀の姿に変形させ、上段の構えからミゲルに斬り掛かる。太刀が空を切り、コンクリートの地面に甲高い音を立ててぶつかると、目の前で薄ら笑みを浮かべていたミゲルは背負っていたバンジョーのストラップを肩にかけた。
…………………………………………………………………………………
「やあ、また会えたね」
掻き鳴らされた弦の振動と共に、手足が鉛のように重たくなる。立っている事もままならず、京哉は思わず両膝を地面につけた。
「っ……麗慈を…返せ…っ!」
「返せ?まるで君のものみたいな言い草だな。いやぁ…彼も実に優秀だね」
更に弦が振動し、まるで背中を100人程の人間に押されている様に体が重くなる。地面に平伏してしまった京哉は、ソレでもミゲルを鋭い目付きで睨み付けていた。
そんな京哉の近くまで歩み寄ったミゲルは、彼の頭の近くでしゃがみ込み、耳打ちする。
「子供の頃、かなり辛い経験をしてるね…彼は。可哀想に……これからどんな風に人格を破壊されてしまうんだろうね……」
グラウンドに降り立ったヘリコプター。
アサルトスーツの男達によって運ばれていった麗慈を見て、京哉はミーアを連れ去られた時の事を思い出した。
「ふざけんなっ…!アイツに何かしてみろっ!ブッ殺してやるからな!」
「ははは、怖い怖い。それじゃあ彼にこんな事をしたら私は一体どうなってしまうんだろうね?」
再び京哉の耳に口を寄せたミゲル。囁かれた言葉がジワジワと脳味噌に浸透していき、怒りのメーターが振り切れるのを感じた。
力を込めた右腕を思い切り横一閃に振り翳す。しかし、カンッと金属同士がぶつかり合う音がして京哉の刃はミゲルの脚に受け止められてしまった。彼の義足に当たったのだ。
「驚いた…まだ動けるのか。君を傷つけるのは得策では無いが、この場を離れる為にはもう少しウエイトを上げるしか無さそうだ」
再び振動し始めたバンジョーの弦。ミシミシと骨が軋み、体は地面にめり込むほどの勢いで重くなる。肋骨に肺を圧迫され、息苦しい。
咳き込みながら地面で喘ぐ京哉に目を細めて恍惚の表情を浮かべたミゲル。名残惜しそうに立ち上がると、ヘリコプターの方へと去っていった。
「っ……待て………麗慈を……何でっ…」
声を出すたびに肺を直接握られるような痛みが走る。グラグラと揺れる脳が、奴を逃してはならないと煩く警鐘を鳴らし続けていた。
キャビンドアが閉まり、プロペラが回転数を上げる。猛烈なダウンウォッシュに身体を撫でられているうちに、次第に京哉を地面に縫い付けていた力が弱まっていった。
動けると察知した瞬間に走り出した京哉。グラウンドの泥濘に足を取られながら全力で足を漕ぐ。あと数メートル。手を伸ばせば届く距離……。
人差し指の先をスキッドの滑らかな曲面が滑り、機体は一気に上空へと舞い上がる。勢い余って地面に顔から突っ込んだ京哉は、それでも諦めようとせず砂だらけの状態で立ち上がった。そして思い切り腕を伸ばすものの、当然届くはずがない。
既に数十メートル先の上空を飛行するヘリコプターを目の当たりにして、今度は体が重い訳でもないのに地面に膝を付いた。
呆然と、遠ざかる機体を眺める事しかできない。
まただ……また、自分の目の前で仲間が奪われていった。
繰り返される絶望が京哉の心を打ちのめしていく。
体の自由が効かない阿須賀は、京哉が怒り狂い、悲しみに暮れる様子をただ遠くから見ている事しか出来なかった。
[74] Jusqu’à la fin Ⅲ 完
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葬儀屋のトラックを見送った京哉達は、凌壱の情報を集める為に現在進行中で建物の解体が進んでいる場所を目指し始めた。
輸血ができない状況の為本調子ではない阿須賀、声の出ないシェリーと彼等の容体を見守る麗慈を祐介の運転するジープに乗せて送り出し、京哉、道夫、鬼頭の3人が徒歩で移動を開始し始めた。
「解体現場に志麻凌壱本人がいるとは思えねェが、手掛かりぐらいは掴めるだろ。……それにしても、渋谷区はほぼ全壊状態だな……」
周囲を見回した鬼頭が感嘆の声を漏らす。
「渋谷区の皆さん、無事に逃げ切れたでしょうか……心配ですな」
今朝の騒動で散り散りに逃げて行った彼らの身を案じる道夫の横で、京哉は一人欠伸をかましていた。
「……京哉殿は何と言いますか…」
「デリカシーが無ェんだよ、父親譲りだ」
ただ欠伸をしただけなのに…と、京哉は不機嫌を表に出して唇を突き出す。
「みんな僕に対して辛辣過ぎじゃない?ちょっとは優しくしてよ」
「最近のお前の行いだな、全ての原因は。酔って迷惑かけたり、シェリーを襲ったり…」
鬼頭の返しに「濡れ衣だ!」と叫ぶ京哉。いじけている彼の事を放置して先を急ぎ始めた二人の視線の先には、既に解体現場の土煙が見えていた。
爆破によって破壊された建物の瓦礫を重機を使ってトラックに積み込み、何処かに運び出している。総勢50名程の作業員が一つの現場に割り当てられている様であった。
黄色いヘルメットには緑色の塗料で『大山田建設』の文字がプリントされている。
「…大山田建設?あそこの社長夫婦は極楽町の一件で殺されたんじゃ…」
瓦礫の隙間から解体現場の様子を確認していた京哉が訝しげな表情で口を開いた。
「政府が大きく関与してた一件だな。大山田殺害は計画的だった可能性が十分あったってJACの報告から考察するに、最初から東京の街ぶっ壊す人手として大山田建設に目を付けてたんだろう」
双眼鏡で作業員を観察しながら寄越された鬼頭の返事に、京哉はあの胸糞悪い依頼内容を思い出す。
「現場監督っぽい方だけヘルメットの色が違いますな」
道夫の指摘通り、作業着姿の男達の中に数人の白い無地のヘルメットを被った男が混ざっている。鬼頭はその中の一人に目をつけた。書類を挟んだバインダーを小脇に挟んでやる気無さげに虚空を眺めている。
「京哉…話を聞くならあのパワーショベルの手前でボンヤリしてる中年だ。拷問し甲斐も無くベラベラとゲロってくれそうな面してやがる」
鬼頭の指した方向に立つ白ヘルメットの方を見やった京哉はコクリと首を縦に振った。
「きょ、京哉殿…どんな方法であの方を連れ出すおつもりですか?」
指の関節をコキコキと鳴らして明らかに野蛮な方法を取ろうとしている様子の京哉に、引き攣らせた表情で尋ねる道夫。
「大丈夫だってー道夫さん。僕、こう見えてエージェントだから」
ニカッと歯を見せて自信満々な様子の京哉はすくっと立ち上がり、瓦礫の影に隠れながら現場に近付いていく。
そして、休憩中の作業員の背後に近寄ると鮮やかな手付きで地面に置かれていたヘルメットと作業着の上着をくすねた。
大山田建設のヘルメットを被った京哉は上着を羽織りながら、今度はテクテクと白いヘルメットのターゲットに近づく。
…………………………………………………………………………………
「あっ…もうあんな近くまで……!創殿…京哉殿は本当に大丈夫なのでしょうか?」
そわそわと京哉の様子を見守っていた道夫の不安げな表情を見て、鬼頭は彼の肩を叩いた。
「そういえばお前さん、京哉に関しちゃあ駄目な所しか近くで見てなかったよな。不安になるのも仕方ねぇ。まぁ、安心して見ててやんな」
「安心してと言われましても……あぁっ!京哉殿躓いて白いヘルメットの方にぶつかってしまわれましたぞ!」
道夫が指差した先には、現場監督の男の背中にもたれ掛かった京哉の姿があった。
それまでぼんやりと空を眺めていた男は驚いた様子で踵を返す。
「なっ何だお前は!」
「ごっ…ごめんなさい……っ!寝不足でフラついてしまって……」
ヨタヨタと地面に膝を付いた京哉は、男の表情を伺いながら演技を続ける。
「寝不足だァ?寮の消灯は21時だろうが。一体何をしてたんだ」
男の呆れ返った声色の小言を聞いて、京哉はこれはチャンスだと心の中でガッツポーズを取る。
右手で左腕の肘の辺りをキュッと抱き、少し顔を伏せる。何か訳ありのような雰囲気に釣られた男は周囲を一度確認しながら京哉に一歩歩み寄ってその顔を覗き込んだ。
頬を赤く染め悩ましげに眉をハの字に下げた京哉は、口元を左手で覆いながら今にも泣き出しそうな表情で男に返した。
「っ……そんな、恥ずかしくて言えないです……僕…」
恥ずかしいという言葉に何を想像したのだろうか、男はドキッとした表情で京哉の両肩に手を置く。
「俺で良ければ…相談に乗ろうか……?そ、そうだ…!3つ隣のビルは明日解体予定だから、今なら誰も来ないんだ」
「監督さん……とっても良い人なんですね。僕、こんなに優しくされたの初めてです…」
肩に置かれた男の手にそっと触れた京哉は、上目遣いで喬笑を浮かべていた。それを見た男は何を思ったのか、ヘラヘラとだらしない笑顔を浮かべながら、立ち上がった京哉と共に並んで現場を離れていった。
瓦礫の影から二人のやり取りを見守っていた鬼頭と道夫も距離をとってその後に続く。何がどうなっているのかと疑問符を頭の上に浮かべている道夫を見て、鬼頭はゲラゲラと笑っていた。
「お前さんがナツキとフユキにやられた事だよ。ほら、俺達が最初に六本木のビルにやってきた時だ」
住処から逃げ出してきた道夫が駆け込んだ先が、偶然京哉達の新しい根城であった。彼が怪しい人間かどうかの尋問を行ったのがナツキとフユキの双子。道夫は鍵の掛かる個室スペースに閉じ込められ、あんな手やこんな手で情報を抜かれた時の事を思い出した。
「楽団の方々は全員心得ておられるのですか…その、ハニートラップと言いますか……。え?と言うことは、まさか麗慈殿や巳継殿も……!?」
「まぁ、全員という訳じゃねぇがな。巳継はどうか知らんが、託斗の話によると麗慈は京哉より上手く相手を落とすとか言ってたな」
普段はあまり人と馴れ合わない雰囲気の彼にそんな特技があるとは…と、その意外性に瞬きを繰り返して驚いていた道夫は、京哉達が廃ビルの中に入っていくのを見てふと足を止める。
「…待ってくだされ、創殿。我々、これから京哉殿があんな事やこんな事であの男を骨抜きにする様子を間近で見る事になったりしますか、もしかして…?」
自分がナツキとフユキにされた事を思い出し、額に汗を滲ませる道夫。一体彼らに何をされたというのか…。鬼頭は首を傾げながらも、迷う事なく二人の後を追って廃ビルの中に足を踏み入れていった。
…………………………………………………………………………………
地下2階のジメジメとした静かな空間に入ってきた二人。到着するなりヘルメットを脱ぎ捨てて作業着のジッパーを下まで下げた京哉を見て、男は何を期待したのか彼の脇腹にそっと手を添えた。
至近距離に迫っていた男の高揚した表情に、扇状的な笑みで返した京哉。彼の艶かしい表情に堪らず抱き着こうとしてきた男は、次の瞬間には砂埃に塗れた床に仰向けに倒れていた。
突然の事に驚いた男は、忙しなく周囲を見回す。そして、額に突き付けられているのが鋭い刃物の先端だと気付くまでに10秒程の時間を要してしまった。
「はいご苦労さん。そんじゃ、質問に答えてねオッサン」
先程までの人懐っこい声と表情はどこへいってしまったのだろうか。男は額に汗を滲ませながら尋ねる。
「っ……こういう感じが良いのか?俺は嫌いじゃないぞ」
「はぁっ!?こういうって何だよ!?プレイじゃねぇっつーのエロジジィ!」
呆れた表情で太刀の峰を肩に担いだ京哉の背後に、後を追ってきた鬼頭と道夫が歩み寄ってきた。
「どうした京哉。さっさと吐かせちまえよ」
そう言いながら倒れている男の頭側に胡座を描いた鬼頭。強面の大男に頭上から覗き込まれた男は表情を強張らせた。
「な、何だお前達!俺に何するつもりだ!」
去勢を張って大声を上げた男の首筋にスッと太刀があてがわれる。そして、面倒臭そうに眉間に皺を寄せた京哉が尋問を開始した。
「質問に答えれば五体満足で返してやるよ。あれ?痛い方が好みだったか?」
「っ……ひぃっ…」
悲鳴を上げた男は、恐怖にガタガタと歯を震わせてグレーの作業服の股間に大きな染みを作る。
「京哉殿…すごいテクをお持ちなんですな……我々が到着するまでの間のものの数十秒で達…「ちげーから」
ピシャっと道夫の言葉を遮った京哉が男に尋問を始める。
「オッサン、大山田建設の人間じゃねーよな?所属は?」
「っ……死にたくない…死にたくないんだ……っ」
まだ震えが止まらない様子の男の横腹を爪先で4回小突き改めて尋ねる京哉。
「しょ・ぞ・く・は?」
すると、男は我に返った様に回答した。
「こっ…国土交通省…です…」
国土交通省と言えば、今永昌俊の息の掛かった人間という事になる。大山田淳弥殺害の犯人とされているのが今永である事から、解体現場の状況を見ても男の言っている事に嘘偽り無い事がわかる。
「志麻凌壱って男の所在に心当たりは?」
「志麻……?」
震える声でそう繰り返すだけの男の耳の傍で太刀を床に突き立てた京哉。キンッと甲高い音が響き、男は再び悲鳴を上げた。
「ムカデのオモチャ使って人を殺して回ってる奴。見た事ねーの?」
「な…無いっ!俺達は今永大臣の命令で動いてるだけだ!ムカデのは現場で見るが、人間がついて回ってる訳じゃない!」
涙ながらに必死に答える男を見て、3人は本当に彼が凌壱について知らないのだと理解した。
最後に男の腰の辺りを跨いで立った京哉は、手に持っていた太刀を上段に振り上げる。殺される、そう思った男は再び失禁し、口から泡を吹いて意識を失ってしまった。
鬼頭の読み通りあっけなく情報を渡してきた男であったが、彼らの欲するものではない。可哀想なぐらい恐怖に震えていた男をその場に放置し、3人はそそくさと地上へと戻る。
解体現場では、いなくなった男を探して監督官や作業員達が散り散りに動いていた。あまり長居はしない方が良いと言った鬼頭に続いてその場を後にする。
…………………………………………………………………………………
この調子で解体現場を回ったとしても、恐らく凌壱に繋がる手掛かりには辿り着きそうもない。凌壱に仕事を依頼したのは都野崎本人という事からも伺えるように、彼はかなりの高待遇で政府側に迎え入れられている様子であった。
「直接総理官邸にでも殴り込みに行かない限り、志麻凌壱に会うのは難しいか?」
「何か誘き出せる餌でもあれば……」
鬼頭と京哉は一瞬でその答えに辿り着く。彼らの頭の中には阿須賀の姿が浮かんでいた。
凌壱は阿須賀の事が相当気に入らないらしく、身内を利用してまで殺そうとしている。一度死んだと思っていた相手が生きていて、自分を探していると知ったらどう思うだろうか。
「志麻凌壱が本当の腰抜けじゃなけりゃ、今度こそ阿須賀を殺そうとしてホイホイ出てくるだろうな」
何故こんな簡単な事に気が付かなかったのだろう、と溜め息をついた京哉が麗慈のPHSに連絡を入れる。合流して作戦を立て直す為だ。
「あ、もしもしー?志麻凌壱の事なんだけどさぁ?」
『っ…渋谷4丁目、大学敷地内だっ!…早く来いっ!』
電話に出るなりそう叫んだ麗慈。走っている様子で彼の息遣いが聞こえてきた。どうやら敵に遭遇してしまったらしい。
『こっちはまともに戦える奴が今いない!阿須賀が無理を押して囮になってる!異端の女だ!』
「異端!?…わかった、すぐ向かう」
電話を切るなり、鬼頭がPHSで現在地からの地図を調べ上げて京哉の目の前に持っていった。
「結構距離があるな…しゃーない!走って行くから二人は後から…」
そう言い掛けた京哉の視線の先で、道夫が先程まで居た解体現場の方を指さしていた。嫌な予感がする。顔を引き攣らせた京哉の肩を叩いた鬼頭が、愉快そうに笑っていた。
「道夫もわかってきたじゃねぇか。急ぐに越した事ァねぇ。そうだろ?」
荒れ果てた道路を爆走するダンプカー。運転するのは勿論、鬼頭であった。
解体現場から頂戴した車体には、最新鋭のハンネス機関が搭載されていた。十分に充電がされていたようだが、鬼頭がアクセルを踏み込む度にズルズルとメーターの数字が下がっていく。
「京哉っ!ガンガン発電しとけ!」
「わーってるって!」
助手席でフルートを取り出した京哉は、収音装置に向けてすぐさま演奏を開始した。すると、みるみるダンプの馬力が上がっていく。
後方の座席に座っていた道夫は飛ばされてしまわないようにしっかりと手すりに掴まって揺れに耐えていた。
代官山方面から八幡通りを飛ばして首都高3号渋谷線の交差点で右折しようと速度を緩めた鬼頭。しかし、全方向から聞こえてくるパトカーのサイレン。目の前にはあっという間に数十台のパトカーが壁を形成し、降車した警察官達がこちらに拳銃を構えている。ミラーを確認すれば、後ろからもパトカーの隊列…。
「は、創殿っ!」
「仕方ねぇ!強行突破だ!」
えっ?と、道夫が聞き返す前にアクセルが踏み込まれ、慣性のままに座席シートの背もたれに押さえ付けられる。
左右に蛇行しながらスピードを上げるダンプに拳銃を発砲し続けていた警官達だったが、遂に轢かれそうになると素早く左右に退散して道を開ける。そして、パトカーの壁に躊躇なく突っ込んで弾き飛ばすと大きな交差点を右折していった。
カーアクション映画さながらの激しい運転捌きに肝を冷やしながら、大学の校舎が見えるまで直線道路をひたすら爆走していく。
あと数十メートルで目的地という所まで来た時、京哉がある事に気が付く。
「創くん!さっきの分岐左だったんじゃない!?こっからだと首都高降りられない!」
交差点を曲がってすぐの二股に分かれた道のもう一方を走行しなければ、直接大学敷地内に繋がる下道に出る事ができないのだ。
「あのパトカーの数振り切ってすぐハンドル切れるかよ!横転しちまってただろうが!」
こうしているうちにも段々と迫る大学の校舎。そして更に彼らを追い込んだのは、前方に立ち塞がる特殊装甲車。屋根の部分に取り付けられた機関銃がこちらを真っ直ぐに見据えている。
「じ、自衛隊まで!」
頭を両手で覆って姿勢を低くする道夫。間髪入れずに始まった銃撃でダンプのフロントガラスに次々と穴が開く。
「ええいっ!掴まれえぇっ!」
ハンドルを一度右に振って勢いを付けてから左に切った鬼頭。側面の壁を突き破って重量のあるダンプが軽々と宙に舞う。
「ひゃあああああっ!」
「ぎゃあああああっ!」
京哉と道夫の悲鳴が車内に響く。重力に任せて落下していったのは、10メートルほど下に広がる大学敷地内の雑木林。葉を落とした木々の枝をクッションに地面に着地するも、大きな衝撃が3人を襲う。
…………………………………………………………………………………
ボンネットからプスプスと白い煙を上げる車体。歪んだドアを足で蹴って開けた鬼頭は、自らが先に外に出て車内に手を伸ばす。
京哉、そして道夫を次々と救出し、足早にダンプから離れた。京哉の演奏によって満充電の状態になっているハンネス機関。アレだけの衝撃が加わって、いつ爆発するかわからない状況であった。
「阿須賀が心配だ。京哉は先に行け。俺達は敵に見つからないように動いて麗慈達との合流を目指す」
「わかった。道夫さんのこと頼んだ」
鬼頭の指示を受けて駆け出した京哉は一目散に林を抜けると、広い敷地内を見回しながら校舎の立ち並ぶ方に向かった。
時折鼓膜を揺らす断続的な銃声と壁伝いに背中を揺らす衝撃。物陰に身を潜めて機を伺っていた阿須賀の顔色は悪かった。
凌壱の情報を探して解体現場近くを巡っていたジープを襲った弾幕。突如姿を現した異端の使徒、サラフィエルによる攻撃であった。
走行不能になった車両を捨てて走り出した4人が逃げ込んだのは渋谷4丁目にキャンパスを構える難関私立大学の敷地内。
「何やあの姉ちゃん!?」
「異端だ!あんなのの相手してる場合じゃねェ!」
壊された窓から校舎内に入るが、執拗に追いかけてくるサラフィエルの銃撃が彼らを襲う。
机と椅子が山積みになっている食堂に逃げ込んだ時、銃弾の一発がシェリーのふくらはぎを掠めた。床にドサッと倒れ込んだ音を聞き付け、咄嗟に振り返った祐介が危険も顧みず彼女の方に駆け寄る。
「危ない!伏せろっ!」
麗慈の声で咄嗟に頭を下げた祐介。二人の頭上を一つの影が飛び越えていったかと思えば、阿須賀が一人サラフィエルに向かっていった。
ガトリングの銃身の傍をすり抜けて、サラフィエル本人に鋭い回し蹴りを繰り出す。咄嗟に腕を立ててガードした彼女は、背中のホルダーからコンバットナイフを取り出して阿須賀に向かって振り翳した。
「大変だ…阿須賀くんはまだ本調子じゃない」
頭を上げた祐介の額に汗が滲む。
「本調子どころか大量出血したばかりだ。あんな風に動いて無事でいられるかよ」
右に左にと襲いかかるサラフィエルのナイフを避ける阿須賀であったが、段々とその足元が覚束なくなってきた。このまま激しく動き続ければ行動不能になってしまう。
かといって、今この場にいる人間の中で異端の戦闘員と思しき彼女と渡り合える者は他にいない。
「はよ行けっ!すぐに追うっ!」
阿須賀が身を挺している間にシェリーを安全な場所に移動させるしかなかった。祐介と頷き合った麗慈は、二人を先に行かせて阿須賀の方に向き直る。
「無理だけはすんな!」
麗慈の呼び掛けに、彼はピースサインを出して答えた。
彼を置いてこの場を離れるのは忍びなかったが、自分が残って逆に阿須賀の手を煩わせる訳にもいかないと判断した麗慈は踵を返して祐介達を追いかけた。
…………………………………………………………………………………
講義室の教卓の影に身を潜めていた阿須賀。銃声に耳を澄ませていた彼の頭上に突如現れた弾幕は、隣の部屋の壁を打ち抜いたサラフィエルの攻撃であった。
「んな…メチャクチャすんなぁ!」
バラバラと降り注いでくる小さな瓦礫を腕で払い除けながら立ち上がった阿須賀は、カツカツとブーツの底を鳴らしながら近づいて来るサラフィエルの方を睨み付ける。
砂煙が落ち着き、鮮明に確認できた彼女の姿。その手にガトリング砲は携えられていない。弾丸として使っていた金属素材が底を尽きたようであった。
「弾切れかいな。あんだけ無駄撃ちすりゃ当たり前やな」
挑発に対する返答は無い。以前屯所で退治したメタトロン同様に彼女には日本語が通じないのだと理解した阿須賀。しかし、その手に携えられている鋭い刃から見るに殺意だけはひしひしと伝わってくる。
ダンっと大きな音を立てて床を蹴ったサラフィエルが先に襲い掛かってきた。阿須賀は彼女のナイフを躱しながら後方に回り込み、左腕を掴んで後ろ手に拘束を試みる。しかし、その掴んだ左腕の先にもギラリと煌めく金属が見えて、咄嗟に距離を取った阿須賀。直後に彼女の手から放たれたもう一本のナイフはクルクルと回りながら宙を舞い、持ち主の手の中へと帰っていった。
明らかに常人の反応速度、身体能力ではない。素手喧嘩最強と言われていた阿須賀が本調子であっても簡単に倒せる相手ではなかった。
「アカンな……目眩してきたわ…」
何より今は血が足りていない。相手を撒いて逃げる選択肢も奪われつつあった。
ふらつく足で踏み止まっている阿須賀に正面から歩み寄ったサラフィエルは、つまらな表情で手を伸ばし彼の襟首を鷲掴みにした。掴み返そうとするも、手に力が入らない。
逆手に持たれたコンバットナイフ。鋭利な刃先が首元にあてがわれ、その冷たさがじんわりと伝わってくる。
自分には凌壱にケジメをつけさせるという仕事が残っていると言うのに…。
ふと脳内に再生されたのは、上半身を無惨に爆破された椿の亡骸と対面した時の様子。彼女の恐怖、無念を思えば、この身体の苦しさなどどうってことない。
首筋に当てたナイフを引き抜こうとしたサラフィエルの顎を、握り締めた阿須賀の重い拳がとらえた。白目を剥きながら後方に吹き飛ばされる彼女の手からこぼれ落ちたナイフは、カランと音を立てて埃の積もった講義室の床に転がり、床にボルトで固定されていた長机の影に入り込んで見えなくなった。
やっと生まれた隙。力を振り絞って足を踏み出した阿須賀は、講義室の出口に向かう。ぐるぐると回る視界が方向感覚を奪うなか、机に手をつきながらようやくたどり着いた出口。ドアノブに手を置いた瞬間、後方から急激に迫ってきた殺気に振り返る。
背後ではもう一本のナイフを振り下ろしたサラフィエルが間も無く阿須賀の身体をとらえようとしていた。
間に合わない。そう悟った時であった。あと数ミリというところまで迫っていたナイフが急激に熱を帯び、まるで水のように沸騰を始めてサラフィエルの手に纏わり付いた。
あまりの熱さに叫び声を上げながら床を転がり、のたうち回るサラフィエル。
こんな芸当ができる人間を、阿須賀は一人しか知らない。
…………………………………………………………………………………
ガラス窓を石で叩き割って侵入してきた京哉は、サラフィエルを一瞥しながら阿須賀の近くに駆け寄って肩を貸す。
「大丈夫か?」
「あー…マジで助かったわ。頭回らんくて大変やった…」
安堵の表情を浮かべた阿須賀。身長差に背伸びをしながら京哉に体重を預けた。
講義室を出ようとした時、手を真っ赤に腫らして口元から血をボタボタと垂らしていたサラフィエルが英語で彼らを呼び止める。
「待てよッ!……キョウヤ・ウガミ…!」
まだ戦うつもりなのかと面倒臭そうな表情で彼女の方に顔だけを向けた京哉は、次に彼女から発せられた言葉を聞いて更に嫌気がさす。
「第21楽章…もう異端は手に入れるまで秒読みって所だぜ?興味ねぇのかよ?」
「それー、前も言ってたじゃん!結局手に入らなかったんじゃないのー?ぷぷっ」
口角をクイッと上げて挑発する京哉に、サラフィエルのこめかみがピクっと動いた。
ガブリエルの目によって発見された、超絶技巧第21楽章の痕跡。しかしそれは、託斗によって敵の目を欺く為の罠であった。この時、都内のあらゆる場所の捜索をさせられたのがサラフィエルであり、骨折り損となった数日間の事を思い出し沸々と怒りがぶり返してきたところである。
大火傷と顎の骨の損傷という大怪我を負いながらも、その痛みを忘れる程の怒り。執念深い彼女にとって、あの出来事は地雷であった。それを見事に踏み抜いた京哉。
「京ちゃん!今は逃げるんが先やろ!何挑発しとんのや!」
阿須賀の正論を聞き彼女に背を向けて講義室を出ようとした京哉であったが、背後でガチャリと鳴った何かを接地する音に顔を引き攣らせる。
怒りに打ち震えるサラフィエルの前には、いつの間にか先程まで乱射していたガトリング砲…。
慌てて走り出した二人を追って弾幕が床材をめちゃくちゃに舞い上げた。
蜂の巣になっている背後の景色を一瞥して進行方向に向き直った京哉は恐怖のあまり涙目になっていた。
「こ、こえーっ!僕悪い事してなくない!?何であんなに怒ってたのさ!?」
「知らんわっ!あの姉チャンの地雷でも踏み抜いたんとちゃうか!?余計な事すな!」
大急ぎで階段を駆け降りた二人は、怪我をして先に逃したシェリー達の行方を探すべく一度校舎の外に飛び出す。
「ワシが皆と別れたんはそっちの校舎の1階…こんだけ広いと闇雲に探すんは危険やな。あの姉チャンとまた遭遇してまうかも」
「今麗慈と連絡取れるかどうか試してみる……もしあの女以外に敵が潜んでたら大変……で……」
京哉のPHSがガシャンと地面に落下する。
何事かと彼の視線の先を辿った阿須賀も、その目を見開いた。
一つ先の校舎の中から現れたのは、ネイビーのスーツを纏った異端の指示役、ミゲル。そして、彼の後方を歩くアサルトスーツの男達に抱えられているのは気を失った状態の麗慈であった。
遠目でよく確認できなかったが、口元を血で濡らしていたようにも見えた。
「京ちゃん、アレ……医者の兄チャンが…」
阿須賀が口を開く前に京哉は飛び出していた。
フルートを太刀の姿に変形させ、上段の構えからミゲルに斬り掛かる。太刀が空を切り、コンクリートの地面に甲高い音を立ててぶつかると、目の前で薄ら笑みを浮かべていたミゲルは背負っていたバンジョーのストラップを肩にかけた。
…………………………………………………………………………………
「やあ、また会えたね」
掻き鳴らされた弦の振動と共に、手足が鉛のように重たくなる。立っている事もままならず、京哉は思わず両膝を地面につけた。
「っ……麗慈を…返せ…っ!」
「返せ?まるで君のものみたいな言い草だな。いやぁ…彼も実に優秀だね」
更に弦が振動し、まるで背中を100人程の人間に押されている様に体が重くなる。地面に平伏してしまった京哉は、ソレでもミゲルを鋭い目付きで睨み付けていた。
そんな京哉の近くまで歩み寄ったミゲルは、彼の頭の近くでしゃがみ込み、耳打ちする。
「子供の頃、かなり辛い経験をしてるね…彼は。可哀想に……これからどんな風に人格を破壊されてしまうんだろうね……」
グラウンドに降り立ったヘリコプター。
アサルトスーツの男達によって運ばれていった麗慈を見て、京哉はミーアを連れ去られた時の事を思い出した。
「ふざけんなっ…!アイツに何かしてみろっ!ブッ殺してやるからな!」
「ははは、怖い怖い。それじゃあ彼にこんな事をしたら私は一体どうなってしまうんだろうね?」
再び京哉の耳に口を寄せたミゲル。囁かれた言葉がジワジワと脳味噌に浸透していき、怒りのメーターが振り切れるのを感じた。
力を込めた右腕を思い切り横一閃に振り翳す。しかし、カンッと金属同士がぶつかり合う音がして京哉の刃はミゲルの脚に受け止められてしまった。彼の義足に当たったのだ。
「驚いた…まだ動けるのか。君を傷つけるのは得策では無いが、この場を離れる為にはもう少しウエイトを上げるしか無さそうだ」
再び振動し始めたバンジョーの弦。ミシミシと骨が軋み、体は地面にめり込むほどの勢いで重くなる。肋骨に肺を圧迫され、息苦しい。
咳き込みながら地面で喘ぐ京哉に目を細めて恍惚の表情を浮かべたミゲル。名残惜しそうに立ち上がると、ヘリコプターの方へと去っていった。
「っ……待て………麗慈を……何でっ…」
声を出すたびに肺を直接握られるような痛みが走る。グラグラと揺れる脳が、奴を逃してはならないと煩く警鐘を鳴らし続けていた。
キャビンドアが閉まり、プロペラが回転数を上げる。猛烈なダウンウォッシュに身体を撫でられているうちに、次第に京哉を地面に縫い付けていた力が弱まっていった。
動けると察知した瞬間に走り出した京哉。グラウンドの泥濘に足を取られながら全力で足を漕ぐ。あと数メートル。手を伸ばせば届く距離……。
人差し指の先をスキッドの滑らかな曲面が滑り、機体は一気に上空へと舞い上がる。勢い余って地面に顔から突っ込んだ京哉は、それでも諦めようとせず砂だらけの状態で立ち上がった。そして思い切り腕を伸ばすものの、当然届くはずがない。
既に数十メートル先の上空を飛行するヘリコプターを目の当たりにして、今度は体が重い訳でもないのに地面に膝を付いた。
呆然と、遠ざかる機体を眺める事しかできない。
まただ……また、自分の目の前で仲間が奪われていった。
繰り返される絶望が京哉の心を打ちのめしていく。
体の自由が効かない阿須賀は、京哉が怒り狂い、悲しみに暮れる様子をただ遠くから見ている事しか出来なかった。
[74] Jusqu’à la fin Ⅲ 完
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そして、あまりな強大な力を得て、貴族達にその身柄を
拘束させられ、地球のように束縛をされそうになり、
町から逃げ出すところから始まる。
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
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