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STANDBY
第3話 泊めても何の問題もないでしょ?
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翌日の夜。月曜日。
仕事を終えた凛は、愛車のハンドルを握りながら駅のロータリーに停まっていた。
(なんで私がこんな……)
時計は20時を回っている。
『今、駅に着いた。迎えに来て』
『タクシーに乗るお金がない』
そんな見え透いた嘘の電話一本で呼び出された自分が情けない。
でも、万が一本当にお金がなくて、真冬の空の下で凍えていたら……と思うと、かつての「お姉ちゃん心」が疼いてしまったのだ。
「……遅いな」
苛立ち紛れにハンドルを指で叩いていると、助手席の窓がコンコンと叩かれた。
「……お待たせ、凛ちゃん」
窓の外に立っていたのは、記憶の中の泣き虫少年ではなかった。
黒のロングコートを着こなし、キャリーケースを片手に持った長身の男が、街灯の下で微笑んでいた。
ガチャリ、と助手席のドアが開く。
冷たい夜風と共に、男物の香水の匂いがふわりと車内に入り込んできた。
「久しぶり。迎えに来てくれてありがと」
当たり前のように助手席に乗り込み、シートベルトを締める湊。
狭い車内が、一気に圧迫されるような感覚。
凛は動揺を悟られないよう、努めて低い声を出した。
「……久しぶりね、湊。随分大人っぽくなったじゃない」
「凛ちゃんは変わってないね。相変わらず美人だ」
「お世辞はいいわよ。……で?行き先は?ホテル?」
凛が尋ねると、湊はきょとんとした顔で言った。
「凛ちゃんの家」
「……は?」
凛は思わずブレーキを踏みそうになった。
「泊まるところないし。泊めてよ」
「いや、それはちょっと……無理よ」
「なんで?」
「なんでって……あんたねぇ」
凛は呆れてため息をついた。
「昔とは違うのよ。あんたももう立派な成人男性でしょ?独身女性の家に泊まるなんて、常識的に考えてダメに決まってるじゃない」
「ふーん……」
湊は面白そうに凛の横顔を覗き込んだ。
「じゃあ、俺のこと『男』として見てるんだ?」
「えっ」
「男として意識してるから、泊めるのが怖いんでしょ?だったら付き合ってよ」
「はぁ!?」
話の飛躍に、凛の声が裏返る。
「……だから!あんたは弟分だって昔から言ってるでしょ!?そういう対象じゃないの!」
凛が叫ぶと、湊は「あーあ」と肩をすくめた。
「じゃあ、いいじゃん」
「え?」
「凛ちゃんにとって俺が『男』じゃなくて、ただの『弟分』なら。泊めても何の問題もないでしょ?」
「……っ」
言葉に詰まる。完全に論理の罠だ。
「泊めるのを断る」=「男として意識している」
「男として意識していない」=「泊めても平気」
この二択を突きつけられ、凛は退路を断たれた。
ここで「やっぱりダメ」と言えば、「俺のこと好きなの?」と揚げ足を取られる未来が見える。
「俺、何もしないし。凛ちゃんも俺のこと無理なら、泊まってもいいじゃん。スペース借りるだけだよ」
湊は悪びれもせず、ニコニコと笑っている。
「……」
「早く行こうよ。凛ちゃんの家、行くの初めてだから楽しみだなー」
「……わかったわよ。行くわよ!」
凛はヤケクソ気味にアクセルを踏み込んだ。
一晩だけだ。明日には追い出せばいい。
そう自分に言い聞かせて。
*
車を走らせてしばらくして、凛はふと疑問を口にした。
「……そういえば、なんで急にこっちに来たの?国家試験終わったばかりでしょ」
湊はスマホをいじりながら、何でもないことのように答えた。
「4月から凛ちゃんと同じ大学病院で研修するから。その物件探し」
「はぁああ!?」
凛は素っ頓狂な声を上げた。ハンドル操作を誤りそうになる。
「あんた、東京の国立大学出たんでしょ?もっといい病院いくらでもあるじゃない。なんでわざわざこっちに戻ってくるのよ」
「だって、凛ちゃんがいるし」
「……は?」
「俺の第一志望は、凛ちゃんのいる場所だから」
「なっ……せ、せっかくのキャリアが台無しじゃない!」
凛は動揺して声を荒らげたが、胸の奥では別の感情が渦巻いていた。
(それに……)
脳裏に、7年前の記憶が蘇る。
『……凛ちゃん。俺、あと1年頑張ってあの家で暮らす。大学に入るまでは耐えるよ』
父親を憎み、母親の嘘に傷つき、必死の思いでこの街を出ていった少年。
せっかくあの家から解放されたのに、また戻ってくるなんて。
「……とりあえず、明日は不動産屋行って、物件見てくるね」
湊は凛の葛藤など気にも留めない様子で、窓の外を流れる夜景を眺めていた。
*
「へえ、結構いい部屋住んでんじゃん」
マンションのリビングに入るなり、湊は我が物顔でソファに腰を下ろした。
「勝手にくつろがないで。……ほら、お茶」
凛はマグカップをテーブルにドンと置いた。
「ありがと。……で、彼氏は?」
「いないわよ」
「やっぱりね。凛ちゃんの性格じゃ、男は寄ってこないか」
「失礼ね!今いい感じの人がいるのよ!」
凛はムキになって言い返した。
「へぇ……どんな人?」
「お医者さんで、年上で、私より賢くて優しい人よ。昨日もデートしたんだから!」
「ふーん……」
湊の目が、すっと細められる。
「ま、どうでもいいけど。……ねえ、シャワー借りていい?」
「え、あ、どうぞ。タオルはそこの棚……」
会話を打ち切るように、湊は洗面所へと消えていった。
(……なによ、あいつ。人の気も知らないで)
凛はソファに座り込み、大きなため息をついた。
ペースを乱されっぱなしだ。
早く寝て、明日の朝一番で追い出そう。
数十分後。
シャワーを浴びた湊が出てきた。
髪をタオルで拭きながら、ラフなTシャツ姿で近づいてくる。
「凛ちゃん、ドライヤーどこ?」
「そこにあるでしょ。……もう、早く寝なさいよ。私は明日も仕事なんだから」
凛が立ち上がろうとした、その時だった。
ドンッ。
湊の手が、凛の背後の背もたれに突き立てられた。
仕事を終えた凛は、愛車のハンドルを握りながら駅のロータリーに停まっていた。
(なんで私がこんな……)
時計は20時を回っている。
『今、駅に着いた。迎えに来て』
『タクシーに乗るお金がない』
そんな見え透いた嘘の電話一本で呼び出された自分が情けない。
でも、万が一本当にお金がなくて、真冬の空の下で凍えていたら……と思うと、かつての「お姉ちゃん心」が疼いてしまったのだ。
「……遅いな」
苛立ち紛れにハンドルを指で叩いていると、助手席の窓がコンコンと叩かれた。
「……お待たせ、凛ちゃん」
窓の外に立っていたのは、記憶の中の泣き虫少年ではなかった。
黒のロングコートを着こなし、キャリーケースを片手に持った長身の男が、街灯の下で微笑んでいた。
ガチャリ、と助手席のドアが開く。
冷たい夜風と共に、男物の香水の匂いがふわりと車内に入り込んできた。
「久しぶり。迎えに来てくれてありがと」
当たり前のように助手席に乗り込み、シートベルトを締める湊。
狭い車内が、一気に圧迫されるような感覚。
凛は動揺を悟られないよう、努めて低い声を出した。
「……久しぶりね、湊。随分大人っぽくなったじゃない」
「凛ちゃんは変わってないね。相変わらず美人だ」
「お世辞はいいわよ。……で?行き先は?ホテル?」
凛が尋ねると、湊はきょとんとした顔で言った。
「凛ちゃんの家」
「……は?」
凛は思わずブレーキを踏みそうになった。
「泊まるところないし。泊めてよ」
「いや、それはちょっと……無理よ」
「なんで?」
「なんでって……あんたねぇ」
凛は呆れてため息をついた。
「昔とは違うのよ。あんたももう立派な成人男性でしょ?独身女性の家に泊まるなんて、常識的に考えてダメに決まってるじゃない」
「ふーん……」
湊は面白そうに凛の横顔を覗き込んだ。
「じゃあ、俺のこと『男』として見てるんだ?」
「えっ」
「男として意識してるから、泊めるのが怖いんでしょ?だったら付き合ってよ」
「はぁ!?」
話の飛躍に、凛の声が裏返る。
「……だから!あんたは弟分だって昔から言ってるでしょ!?そういう対象じゃないの!」
凛が叫ぶと、湊は「あーあ」と肩をすくめた。
「じゃあ、いいじゃん」
「え?」
「凛ちゃんにとって俺が『男』じゃなくて、ただの『弟分』なら。泊めても何の問題もないでしょ?」
「……っ」
言葉に詰まる。完全に論理の罠だ。
「泊めるのを断る」=「男として意識している」
「男として意識していない」=「泊めても平気」
この二択を突きつけられ、凛は退路を断たれた。
ここで「やっぱりダメ」と言えば、「俺のこと好きなの?」と揚げ足を取られる未来が見える。
「俺、何もしないし。凛ちゃんも俺のこと無理なら、泊まってもいいじゃん。スペース借りるだけだよ」
湊は悪びれもせず、ニコニコと笑っている。
「……」
「早く行こうよ。凛ちゃんの家、行くの初めてだから楽しみだなー」
「……わかったわよ。行くわよ!」
凛はヤケクソ気味にアクセルを踏み込んだ。
一晩だけだ。明日には追い出せばいい。
そう自分に言い聞かせて。
*
車を走らせてしばらくして、凛はふと疑問を口にした。
「……そういえば、なんで急にこっちに来たの?国家試験終わったばかりでしょ」
湊はスマホをいじりながら、何でもないことのように答えた。
「4月から凛ちゃんと同じ大学病院で研修するから。その物件探し」
「はぁああ!?」
凛は素っ頓狂な声を上げた。ハンドル操作を誤りそうになる。
「あんた、東京の国立大学出たんでしょ?もっといい病院いくらでもあるじゃない。なんでわざわざこっちに戻ってくるのよ」
「だって、凛ちゃんがいるし」
「……は?」
「俺の第一志望は、凛ちゃんのいる場所だから」
「なっ……せ、せっかくのキャリアが台無しじゃない!」
凛は動揺して声を荒らげたが、胸の奥では別の感情が渦巻いていた。
(それに……)
脳裏に、7年前の記憶が蘇る。
『……凛ちゃん。俺、あと1年頑張ってあの家で暮らす。大学に入るまでは耐えるよ』
父親を憎み、母親の嘘に傷つき、必死の思いでこの街を出ていった少年。
せっかくあの家から解放されたのに、また戻ってくるなんて。
「……とりあえず、明日は不動産屋行って、物件見てくるね」
湊は凛の葛藤など気にも留めない様子で、窓の外を流れる夜景を眺めていた。
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「へえ、結構いい部屋住んでんじゃん」
マンションのリビングに入るなり、湊は我が物顔でソファに腰を下ろした。
「勝手にくつろがないで。……ほら、お茶」
凛はマグカップをテーブルにドンと置いた。
「ありがと。……で、彼氏は?」
「いないわよ」
「やっぱりね。凛ちゃんの性格じゃ、男は寄ってこないか」
「失礼ね!今いい感じの人がいるのよ!」
凛はムキになって言い返した。
「へぇ……どんな人?」
「お医者さんで、年上で、私より賢くて優しい人よ。昨日もデートしたんだから!」
「ふーん……」
湊の目が、すっと細められる。
「ま、どうでもいいけど。……ねえ、シャワー借りていい?」
「え、あ、どうぞ。タオルはそこの棚……」
会話を打ち切るように、湊は洗面所へと消えていった。
(……なによ、あいつ。人の気も知らないで)
凛はソファに座り込み、大きなため息をついた。
ペースを乱されっぱなしだ。
早く寝て、明日の朝一番で追い出そう。
数十分後。
シャワーを浴びた湊が出てきた。
髪をタオルで拭きながら、ラフなTシャツ姿で近づいてくる。
「凛ちゃん、ドライヤーどこ?」
「そこにあるでしょ。……もう、早く寝なさいよ。私は明日も仕事なんだから」
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ドンッ。
湊の手が、凛の背後の背もたれに突き立てられた。
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