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第一章 凍てつく春と、雪解けのメス
第9話 真夜中のコールと、戦友の横顔
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季節は巡り、5月。
ゴールデンウィークが明け、病棟の窓から見える新緑が眩しい季節になった。
皐月は日々の業務にも少しずつ慣れ、処方、点滴のオーダー、カルテの書き方といったルーチンワークを、雪村に嫌味を言われない程度のスピードでこなせるようになっていた。
そして、ついにこの日がやってきた。 「オンコール当番」の開始だ。
夕方の医局。ホワイトボードに書かれた当番表を見上げながら、皐月はゴクリと唾を飲み込んだ。
「今日からかぁ……」
オンコールとは、夜間や休日の緊急呼び出しに対応する当番のことだ。
当直とは違い、自宅で待機していて良いが、電話が鳴れば30分以内に駆けつけなければならない。
皐月、雪村、美雲、霜田、小林などの年次が低いメンバーで回す。
「大丈夫だよ、皐月ちゃん」
ガチガチに緊張している皐月を見て、美雲が笑いかけた。
「夜中に呼ばれることなんて滅多にないよ。私もオンコールの時なんて、お風呂上がりにハーブティー飲みながら映画見てリラックスしてるもん」
その言葉に少し安心したのも束の間、横から低い声が割って入った。
「甘いわね、和泉先生」
霜田だ。
彼女は憐れむような目で、隣のデスクにいる小林を指差した。
「こういうのって、『持ってる人』は呼ばれまくるのよ。……ねえ、小林先生? 去年のオンコール、他の人の5倍くらい電話鳴ったって伝説、本当です?」
小林が、げっそりとした顔で苦笑いする。
「……やめてくださいよ、霜田先生。あの日々は悪夢でした」 皐月は青ざめた。
小林は「僕が不運なだけだから、天野先生は大丈夫だよ」と優しく言ってくれたが、その笑顔には疲労の色が滲んでいた。
*
日付が変わろうとする、深夜0時。
「持っていない」はずの皐月の枕元で、電話がけたたましく鳴り響いた。
心臓が跳ね上がる。画面を見ると『3西病棟』の文字。
「は、はい! 皮膚科オンコール、天野です!」
『あ、夜分にすみません。研修医の佐藤ですが……コンサルトよろしいでしょうか』
電話口の相手は、困惑と焦りが混ざったような声だった。
『入院中の60代男性なんですが、夕方から右足を痛がっていたんです。さっき見たら右下腿全体が赤黒く腫れ上がっていて……熱も39度台まで急上昇してしまって』
「わかりました。すぐ行きます!」
皐月はパジャマの上に服を引っ掛け、タクシーに飛び乗った。
(発熱、右足が腫れている……。蜂窩織炎が悪化したのかな。抗菌薬の点滴でいけるかも)
病棟へ駆け込み、患者さんの足を見た瞬間、皐月の背筋に冷たいものが走った。
右下腿全体がドス黒い赤紫色に変色し、パンパンに腫れ上がっている。
患者さんは脂汗をかき、うわ言のように「痛い、痛い」と呻いている。血圧は低下し、頻脈もある。
(痛がり方が、尋常じゃない……)
夕方からたった数時間でこの状態? 皐月は震える手で手袋をし、患部を触診した。
――プチ、プチ。
指先に、新雪を踏んだ時のような、奇妙な感触があった。
握雪感(あくせつかん)。皮下組織でガスが発生している証拠だ。
血の気が引いた。これは、ただの蜂窩織炎じゃない。
壊死性筋膜炎。
「人食いバクテリア」とも呼ばれる、致死率の高い劇症型感染症だ。
抗菌薬だけでは間に合わない。
一刻も早く患部を切開し、壊死した組織を取り除く手術(デブリドマン)をしなければ、数時間で命を落とすかもしれない。
(どうする。雨宮先生に相談する?)
一瞬、セカンドコールの雨宮の顔が浮かんだ。
けれど、診断は明白だ。相談している時間すら惜しい。
皮膚科単独の手術では手が足りない。
広範囲の切除と再建が必要になる可能性があるなら、呼ぶべき相手は一つだ。
形成外科。
皐月は震える指で、当直表を確認した。
そこに書かれていた名前を見て、皐月の指が止まった。
『形成外科当直:五十嵐 拓海』
よりによって、彼だ。 先日の更衣室での一件以来、まともに口も聞いていない。しかも、こんな深夜だ。 気まずさで胃が痛くなる。 でも、目の前の患者さんは今、死にかけている。私情を挟んでいる場合じゃない。
皐月は覚悟を決めて発信した。 プルルル……プルルル……。 数コールの後、繋がった。
『……はい』 明らかに寝起きで、不機嫌そうな低い声。
「夜分にすみません、……皮膚科の天野です」
『はあ?』
皐月の名乗りに、五十嵐の声に露骨な苛立ちが混ざった。
『何の用だ』
「入院中の60代男性、右下腿の壊死性筋膜炎の疑いです。本日の夕方から急激な疼痛と腫脹、発熱があり、触診で握雪感(ガス)があります。ショックバイタルになりかけています」
一瞬の沈黙。 寝息のような静けさの後、彼の声色が変わった。
眠気も、不機嫌さも消え失せた、鋭利な刃物のような声。
『……場所は?』
「3階西病棟です。今、CT室へ向かっています。採血検査は結果待ちです」
『わかった。すぐ行く。上級医とオペ室は俺が連絡する。お前は全身管理をしておけ』
ガチャリ。通話が切れた。
迷いのない対応。私情を一瞬で切り捨てた彼のプロ意識に、皐月は震える息を吐き出した。
中央手術室。
麻酔科医とスタッフが慌ただしく準備を進める中、五十嵐と形成外科の上級医が駆けつけ、そのまま緊急手術へと突入した。
無影灯の白い光が、赤黒く変色した患部を照らし出す。 執刀医がメスで患部を大きく切開する。悪臭と共に、濁った排液が溢れ出した。筋膜は壊死している。
「範囲が広いな。大きく開けるぞ」 「はい。鈎(こう)引きます」
執刀医の対面に立ち、第一助手を務めているのは五十嵐だ。
皐月は第二助手として、術野を確保するために器具を支えていた。
視線の先で、五十嵐の手が動く。
執刀医が次に何を欲しているかを瞬時に読み取り、無駄のない動きで器具を渡し、術野を展開し、出血点を凝固する。 その横顔には、迷いも焦りもない。 ただ目の前の「命」と向き合う、研ぎ澄まされた集中力だけがある。
(……すごい)
皐月は、マスクの下で息を呑んだ。 9年前。図書室でシャーペンを回し、安っぽい洗剤の匂いをさせていた、不器用な少年。
些細なことで意地を張り、素直になれなかった彼。
でも、今目の前にいる彼は、違う。
的確な判断力と、確かな技術を持った、一人のプロフェッショナルだ。
(五十嵐は、知らない間に立派な医師になっていたんだ……)
私たちが離れていた空白の時間の間に、彼はどれだけの修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。
あの頃の幼い顔とは違う。
厳しく、頼もしい、大人の顔をしていた。
悔しさとも、寂しさとも違う。
ただ純粋な尊敬の念が、皐月の胸に温かく広がっていった。
*
数時間後。 手術は無事に終了した。壊死組織は完全に取り除かれ、患者さんのバイタルも安定し、ひとまず命の危機は脱した。
手術室を出た更衣室前の廊下。 深夜の静寂の中、自動販売機のモーター音だけが響いている。 皐月は重い足取りで廊下に出ると、自販機の前で立ち止まっている背中を見つけた。
五十嵐だ。 術衣から白衣に着替え、缶コーヒーを買っているところだった。 ガコン、と取り出し口に落ちる音が響く。
皐月は立ち止まった。 声をかけていいものか迷う。この数週間、まともに会話もしていない。彼はこちらを向こうともしなかった。 でも。 今日の彼の背中は、あの頃のように遠くなかった。
皐月は意を決して、一歩踏み出した。
「……五十嵐」
小さな声だったが、彼はピクリと肩を動かし、ゆっくりと振り返った。 手には、二つの缶コーヒーが握られている。 目が合う。彼は無言だ。
「……お疲れ様。その、来てくれてありがとう」
皐月は勇気を出して続けた。
「五十嵐たちが来てくれなかったら、どうなっていたか分からない。……手術、早くてすごかった」
五十嵐は少し驚いたように目を見開き、それからふいと視線を逸らした。
「……仕事だからな」
ぶっきらぼうな声。でも、そこには拒絶の色はなかった。 彼は少し躊躇ってから、持っていた缶コーヒーの一つを、放るように皐月に差し出した。
「ほら。……微糖だけど」
「え……?」
「いらねぇならいいけど」
「ううん! いただく!」
皐月は慌てて受け取った。温かい缶の感触が、冷えた指先にじんわりと伝わってくる。
二つ買っていたのは、もしかして私の分も? そんな自意識過剰な期待が胸をかすめるが、彼の仏頂面からは何も読み取れない。
彼は隣には座らず、少し離れた壁に背中を預けてコーヒーを開けた。
皐月も隣でプルトップを開ける。
あの日の決裂以来、初めてまともに会話ができた気がする。
言葉数は少ない。かつてのような親密さもない。 それでも、今この瞬間、二人は「医師」として同じ現場に立ち、一つの命を救った「戦友」だった。
コーヒーの苦味の中に広がる甘さが、徹夜明けの体に優しく染み渡っていく。
「……また、明日な」
「うん。お疲れ様」
飲み終えた空き缶をゴミ箱に投げ入れると、五十嵐は一度だけ小さく手を挙げて去っていった。
その背中を見送りながら、皐月は思う。
過去は変えられないし、失った時間は戻らない。
けれど、別々の道を歩んできた二つの線が、こうしてまた交わったことには、きっと何かの意味があるはずだ。
窓の外では、夜明け前の空が白み始めていた。
これからの日々が、少しだけ前向きなものになる予感と共に、皐月は立ち上がった。
ゴールデンウィークが明け、病棟の窓から見える新緑が眩しい季節になった。
皐月は日々の業務にも少しずつ慣れ、処方、点滴のオーダー、カルテの書き方といったルーチンワークを、雪村に嫌味を言われない程度のスピードでこなせるようになっていた。
そして、ついにこの日がやってきた。 「オンコール当番」の開始だ。
夕方の医局。ホワイトボードに書かれた当番表を見上げながら、皐月はゴクリと唾を飲み込んだ。
「今日からかぁ……」
オンコールとは、夜間や休日の緊急呼び出しに対応する当番のことだ。
当直とは違い、自宅で待機していて良いが、電話が鳴れば30分以内に駆けつけなければならない。
皐月、雪村、美雲、霜田、小林などの年次が低いメンバーで回す。
「大丈夫だよ、皐月ちゃん」
ガチガチに緊張している皐月を見て、美雲が笑いかけた。
「夜中に呼ばれることなんて滅多にないよ。私もオンコールの時なんて、お風呂上がりにハーブティー飲みながら映画見てリラックスしてるもん」
その言葉に少し安心したのも束の間、横から低い声が割って入った。
「甘いわね、和泉先生」
霜田だ。
彼女は憐れむような目で、隣のデスクにいる小林を指差した。
「こういうのって、『持ってる人』は呼ばれまくるのよ。……ねえ、小林先生? 去年のオンコール、他の人の5倍くらい電話鳴ったって伝説、本当です?」
小林が、げっそりとした顔で苦笑いする。
「……やめてくださいよ、霜田先生。あの日々は悪夢でした」 皐月は青ざめた。
小林は「僕が不運なだけだから、天野先生は大丈夫だよ」と優しく言ってくれたが、その笑顔には疲労の色が滲んでいた。
*
日付が変わろうとする、深夜0時。
「持っていない」はずの皐月の枕元で、電話がけたたましく鳴り響いた。
心臓が跳ね上がる。画面を見ると『3西病棟』の文字。
「は、はい! 皮膚科オンコール、天野です!」
『あ、夜分にすみません。研修医の佐藤ですが……コンサルトよろしいでしょうか』
電話口の相手は、困惑と焦りが混ざったような声だった。
『入院中の60代男性なんですが、夕方から右足を痛がっていたんです。さっき見たら右下腿全体が赤黒く腫れ上がっていて……熱も39度台まで急上昇してしまって』
「わかりました。すぐ行きます!」
皐月はパジャマの上に服を引っ掛け、タクシーに飛び乗った。
(発熱、右足が腫れている……。蜂窩織炎が悪化したのかな。抗菌薬の点滴でいけるかも)
病棟へ駆け込み、患者さんの足を見た瞬間、皐月の背筋に冷たいものが走った。
右下腿全体がドス黒い赤紫色に変色し、パンパンに腫れ上がっている。
患者さんは脂汗をかき、うわ言のように「痛い、痛い」と呻いている。血圧は低下し、頻脈もある。
(痛がり方が、尋常じゃない……)
夕方からたった数時間でこの状態? 皐月は震える手で手袋をし、患部を触診した。
――プチ、プチ。
指先に、新雪を踏んだ時のような、奇妙な感触があった。
握雪感(あくせつかん)。皮下組織でガスが発生している証拠だ。
血の気が引いた。これは、ただの蜂窩織炎じゃない。
壊死性筋膜炎。
「人食いバクテリア」とも呼ばれる、致死率の高い劇症型感染症だ。
抗菌薬だけでは間に合わない。
一刻も早く患部を切開し、壊死した組織を取り除く手術(デブリドマン)をしなければ、数時間で命を落とすかもしれない。
(どうする。雨宮先生に相談する?)
一瞬、セカンドコールの雨宮の顔が浮かんだ。
けれど、診断は明白だ。相談している時間すら惜しい。
皮膚科単独の手術では手が足りない。
広範囲の切除と再建が必要になる可能性があるなら、呼ぶべき相手は一つだ。
形成外科。
皐月は震える指で、当直表を確認した。
そこに書かれていた名前を見て、皐月の指が止まった。
『形成外科当直:五十嵐 拓海』
よりによって、彼だ。 先日の更衣室での一件以来、まともに口も聞いていない。しかも、こんな深夜だ。 気まずさで胃が痛くなる。 でも、目の前の患者さんは今、死にかけている。私情を挟んでいる場合じゃない。
皐月は覚悟を決めて発信した。 プルルル……プルルル……。 数コールの後、繋がった。
『……はい』 明らかに寝起きで、不機嫌そうな低い声。
「夜分にすみません、……皮膚科の天野です」
『はあ?』
皐月の名乗りに、五十嵐の声に露骨な苛立ちが混ざった。
『何の用だ』
「入院中の60代男性、右下腿の壊死性筋膜炎の疑いです。本日の夕方から急激な疼痛と腫脹、発熱があり、触診で握雪感(ガス)があります。ショックバイタルになりかけています」
一瞬の沈黙。 寝息のような静けさの後、彼の声色が変わった。
眠気も、不機嫌さも消え失せた、鋭利な刃物のような声。
『……場所は?』
「3階西病棟です。今、CT室へ向かっています。採血検査は結果待ちです」
『わかった。すぐ行く。上級医とオペ室は俺が連絡する。お前は全身管理をしておけ』
ガチャリ。通話が切れた。
迷いのない対応。私情を一瞬で切り捨てた彼のプロ意識に、皐月は震える息を吐き出した。
中央手術室。
麻酔科医とスタッフが慌ただしく準備を進める中、五十嵐と形成外科の上級医が駆けつけ、そのまま緊急手術へと突入した。
無影灯の白い光が、赤黒く変色した患部を照らし出す。 執刀医がメスで患部を大きく切開する。悪臭と共に、濁った排液が溢れ出した。筋膜は壊死している。
「範囲が広いな。大きく開けるぞ」 「はい。鈎(こう)引きます」
執刀医の対面に立ち、第一助手を務めているのは五十嵐だ。
皐月は第二助手として、術野を確保するために器具を支えていた。
視線の先で、五十嵐の手が動く。
執刀医が次に何を欲しているかを瞬時に読み取り、無駄のない動きで器具を渡し、術野を展開し、出血点を凝固する。 その横顔には、迷いも焦りもない。 ただ目の前の「命」と向き合う、研ぎ澄まされた集中力だけがある。
(……すごい)
皐月は、マスクの下で息を呑んだ。 9年前。図書室でシャーペンを回し、安っぽい洗剤の匂いをさせていた、不器用な少年。
些細なことで意地を張り、素直になれなかった彼。
でも、今目の前にいる彼は、違う。
的確な判断力と、確かな技術を持った、一人のプロフェッショナルだ。
(五十嵐は、知らない間に立派な医師になっていたんだ……)
私たちが離れていた空白の時間の間に、彼はどれだけの修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。
あの頃の幼い顔とは違う。
厳しく、頼もしい、大人の顔をしていた。
悔しさとも、寂しさとも違う。
ただ純粋な尊敬の念が、皐月の胸に温かく広がっていった。
*
数時間後。 手術は無事に終了した。壊死組織は完全に取り除かれ、患者さんのバイタルも安定し、ひとまず命の危機は脱した。
手術室を出た更衣室前の廊下。 深夜の静寂の中、自動販売機のモーター音だけが響いている。 皐月は重い足取りで廊下に出ると、自販機の前で立ち止まっている背中を見つけた。
五十嵐だ。 術衣から白衣に着替え、缶コーヒーを買っているところだった。 ガコン、と取り出し口に落ちる音が響く。
皐月は立ち止まった。 声をかけていいものか迷う。この数週間、まともに会話もしていない。彼はこちらを向こうともしなかった。 でも。 今日の彼の背中は、あの頃のように遠くなかった。
皐月は意を決して、一歩踏み出した。
「……五十嵐」
小さな声だったが、彼はピクリと肩を動かし、ゆっくりと振り返った。 手には、二つの缶コーヒーが握られている。 目が合う。彼は無言だ。
「……お疲れ様。その、来てくれてありがとう」
皐月は勇気を出して続けた。
「五十嵐たちが来てくれなかったら、どうなっていたか分からない。……手術、早くてすごかった」
五十嵐は少し驚いたように目を見開き、それからふいと視線を逸らした。
「……仕事だからな」
ぶっきらぼうな声。でも、そこには拒絶の色はなかった。 彼は少し躊躇ってから、持っていた缶コーヒーの一つを、放るように皐月に差し出した。
「ほら。……微糖だけど」
「え……?」
「いらねぇならいいけど」
「ううん! いただく!」
皐月は慌てて受け取った。温かい缶の感触が、冷えた指先にじんわりと伝わってくる。
二つ買っていたのは、もしかして私の分も? そんな自意識過剰な期待が胸をかすめるが、彼の仏頂面からは何も読み取れない。
彼は隣には座らず、少し離れた壁に背中を預けてコーヒーを開けた。
皐月も隣でプルトップを開ける。
あの日の決裂以来、初めてまともに会話ができた気がする。
言葉数は少ない。かつてのような親密さもない。 それでも、今この瞬間、二人は「医師」として同じ現場に立ち、一つの命を救った「戦友」だった。
コーヒーの苦味の中に広がる甘さが、徹夜明けの体に優しく染み渡っていく。
「……また、明日な」
「うん。お疲れ様」
飲み終えた空き缶をゴミ箱に投げ入れると、五十嵐は一度だけ小さく手を挙げて去っていった。
その背中を見送りながら、皐月は思う。
過去は変えられないし、失った時間は戻らない。
けれど、別々の道を歩んできた二つの線が、こうしてまた交わったことには、きっと何かの意味があるはずだ。
窓の外では、夜明け前の空が白み始めていた。
これからの日々が、少しだけ前向きなものになる予感と共に、皐月は立ち上がった。
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